202 内的な発話
お昼ご飯まで残り2時間。午前の練習は〈スイス衛兵隊〉をゴミ虫に降格させたところからリスタート。
ジン:
「では、足ネバ~。ネバ、ネバ、とやっていくのだが、これは粘度を100ぐらいに分割した方が分かり易くなる。1~3ネバぐらいまではほとんど糸を引くかどうかぐらいだ。魚の表面のヌメリなんかは7ネバぐらいとイメージできるだろう。逆に99や100ネバになると、ほとんど固体に近くなってくる」
んぎぎぎぎ!と歯を食いしばって足ネバをやってみせるジン。最大粘度までくると、かなり力を込めないと動かなくなってくるようなネバつき具合ということだろう。
ジン:
「練習では10段階ぐらいに分割すればいいだろう。最初はそれでも多すぎるので、弱・中・強の3分割でやっていく」
脱力(抜き)、気持ちよーく、トロケる、ときて、4段階目のネバネバが10分割されたことになる。他のも分割できるのは間違いない。
弱・中・強でしばらくネバネバとその場歩きをやり続け、5分割にしてさらにやり込んでいく。1→3→5→2→4と粘度を変えていくジン。
ジン:
「はい、1ネバから、0ネバへ。トロケるように~、トロトロと~」
ネイサン:
「う~ん、メッチャ楽になった~」にっこり
弱トロ、中トロ、強トロとやってから、『気持ちよーく』と『脱力(抜いて~)』まで戻ってから、再びネバネバまで順に戻していく。そうして何往復も繰り返していった。機能としては存在していたけれど、生まれてこのかた、一度も使ったことがないような部分を対象とした訓練だった。
石丸:
「残り5分っス」
ジン:
「よし、ラスト5分で追い上げだ。さらに上、5段階目に突入するぞ。脱力、気持ちよく、トロケるように、ネバネバまでをすべて合成するんだ」
シュウト:
「合成したらどうなるんですか?」
ジン:
「甘ったれんな、自分で探っていけ。ヒントは、部分の総計よりも全体の方が大きい、だ。さぁ、混ぜ合わせろ!」
バリー:
「トロトロとネバネバってどうやって混ぜるんだろ?」
ロッセラ:
「ネバネバしたものにトロトロのソースをかける感じ?」
スタナ:
「トロネバってことかしら?」
ウォルター:
「脱力はどこいったんだよ」
オスカー:
「確かに」
摩擦抵抗ナシとアリを混ぜろと言っているので混乱する気持ちはよく分かる。考えるよりもやってみるしかない。
ユフィリア:
「トロトロ、ネバネバ、抜いて抜いて、気持ちよーく、気持ちよーく……」
だいたいこういうとき、一番最初に気が付くのはユフィリアだ。ちょっぴり負けたくない気分だが、さっぱりわからない。破眼を封じるためか、ジンはニヤニヤしながら見てるだけだった。対象が存在しなければ破眼といえど見抜きようがない。そうなると自分には思い付く気配すらなかった。そこで、昨日のように頭の中から声が聞こえないかと期待してみる。
シュウト:
(答えを教えてくれないかな?)
―― ……
シュウト:
(やっぱりダメ、か。もしかして矢筒がないからかな~?)
今日は一日訓練なので、鎧も矢筒も身に付けていない。組み手や武器を使う練習に備えて、マジックバッグは近くに置いてある。5分あるなら、試してみるべきだろうか? いや、そこまでしてユフィリアに負けたくないってことか?
シュウト:
(うーん。たまには勝ちたい、かも?)
小走りでマジックバッグへ。期待半分ぐらいで矢筒を背負う。これでわかったら儲けものだし、ついでに内なる声の正体に迫ることもできる。失敗しても特にデメリットはない。
葵:
『おっと、シュウくん、なんかやるつもりだーね?』
シュウト:
「はい。ちょっと、試してみたいことが……」
矢筒が揺れるガッサガッサいう音を聞きながら、トロトロネバネバ、気持ちよーく脱力で足踏みしていく。
シュウト:
(これを混ぜたら、何になるかな?)
―― ……
ゴポリ、という感触。息苦しさと分厚さのようなイメージ。どこかでいつも感じているような、何かとても身近にある気配。僕はコレを確実に知っている……!
シュウト:
「…………水?」
身震いが上下に走り抜ける。当たっていると感覚が囁いていた。
ユフィリア:
「そっか! これ、水なんだぁ。 ……でしょ、ジンさん?」
ジン:
「うっそだろ? おまえが一番に気が付くとか。なんだよ、デカい地震でもくるってのか……?」
シュウト:
「あー、いやー、ハハハ……」
いろいろとこんがらがって、素直には喜べなかった。言ってしまえばズルをした。でもそのことで矢筒の能力を確認できた。そして水のクオリティ。その意味するところを僕は既に知っている。基礎と呼ぶにはあまりにも突き抜けて洗練された、高度能力への誘い。
石丸:
「……時間っス!」
葵:
『とりま、お昼ご飯にしよっか』
ジン:
「腹減ったしな。よーし、昼休憩にするぞー」
いい所で中断することになったけれど、これはこれでタイミング良い気がしないでもない。僕は先に確かめたいことができたばかりだった。
◆
長めのお昼休憩でもあり、食事前だけど、とりあえず矢筒に話しかけてみることにした。
シュウト:
(えっと、声に出さなくてもいいのかな?)
――大丈夫。
返事が返って来たことに感動する。というかドキドキしてきた。新しい何かがはじまる予感というのか。
シュウト:
(えっと、何から質問しよう……?)
そうしてみると、何を質問していいのかよく分かっていない。
そんなこんなで頭をひねっていると、話しかけられていた。
葵:
『ほんで? シュウ君ってばどうなってるの? 大事そうに矢筒抱えちゃって、かなーり意味深なんだけど?』
シュウト:
「葵さん。……えっとー、なんか頭の中で声が聞こえるんです。それで確認しようと思って。どうもこの矢筒がしゃべってるみたいで」
瞬間、迷ったけれど、隠すよりも正直にヘルプを頼むべきだろう。別に隠さなきゃいけないことは特になさそうな気がする。
葵:
『ほーん? じゃあ、あたしの質問に答えられるのかな?』
シュウト:
「……大丈夫みたいです」
葵:
『じゃあ、まずAIアイテムなの?』
シュウト:
「……違う、そうです。基本的に僕の独り言だとか。えっ、そうなの?」
少しばかりショックというか、残念な気持ちが沸き上がる。新しい話し相手ができたのだとばかり。まぁ、話相手というよりは相談相手というか、答えを教えてくれる人かな、とか。
葵:
『〈高山流水〉の能力? それとも〈四天の霊核〉の作用?』
シュウト:
「……両方、みたいです」
葵:
『じゃあ偶然だったのか。……今回のクエストに関する情報を持ってるのかな?』
シュウト:
「えっと、僕が知らないことは分からないそうです。って、そうなの?」
葵:
『うん。これでだいたい分かったかな』
シュウト:
「へっ? ……今のやり取りだけで、ですか?」
なんだか頭のデキが違うのを存分に見せつけられているだけの気がしないでもない(涙)
葵:
『マリーちゃんに相談した方が良さそうだけど、状況だけならわかるじゃん。AIアイテムじゃないから、言語的な機能も、記憶的な機能も持ってないんだよ。だからシュウ君の頭を借りたんでしょ?』
シュウト:
「なるほど。……あ、あってるそうです」
昨日、レイドゾーンから戻ってきた時、〈四天の霊核〉を無くしたと思った。恥ずかしさで頭が熱かったのだと思ったら、あの時にイジられていたらしい。
特殊な事情なので、ジンとマリーにお越し願うことに。2人だけでなく、英命先生もご一緒だ。
葵:
『……ってことで喋る矢筒らしいんだけど』
マリー:
「おもしろい。ぐっじょぶ」
英命:
「興味深いですね」
なぜだがジト目のジンに睨まれている。
シュウト:
「あのー、ジンさん?」
ジン:
「……んだよ?」
シュウト:
「これって、どうすれば?」
ジン:
「貴様ブルータスの分際で、俺のメシを邪魔した挙げ句、『どうすれば?』だと?」
葵:
『まぁ、まぁ。メシは逃げねーって(苦笑)』
ジン:
「バカ野郎。タイミングを逃したら美味しくなくなるだろ!腕を振るってくれた料理人に謝れ!すべての食材に感謝を捧げろ!」
シュウト:
「すみません、すみません、それと感謝します!」><
食べ終わってから相談するのが常識ですよね、そうですよね。 目上の人を相手にこうした舐めきったプレイをしてたらゴミ虫ですよね。
英命:
「それで、お見立てはいかがでしょう?」にこにこ
ジン:
「……命に別状はなさそうだ。上丹田に異常も感じられない。まぁ、俺の感知力がどこまで当てになるかって話だけど」
僕の頭に触れつつ、そうのたまうジンであった。
命の危険だのは、まっったく予想していなかった。なんで平気で当然と思い込んでいたのやら。たとえば〈四天の霊核〉に僕の意識というか体を乗っ取られてしまうかもしれなかったのだ。
……そうして襟を正してみれば、食事より様子を見に来る方を優先してくれていた、ということだ。もう色々な意味で切ない。
葵:
『もし異常があったら?』
ジン:
「ふむ。モルタル野郎が『〈冒険者〉の復元力は異常』とかいってたし、ヤバかったら一度死んで、復活すりゃいい」
シュウト:
「なるほ、ど……」
逆にいえば、現在の状態を維持したければ、ジンと同じく死んではダメってことになりそうだ。……消滅前に蘇生、でも良さそうだけど。
英命:
「〈高山流水〉の能力は、たしか意志疎通、でしたか?」
シュウト:
「えっと、もの凄く使い易いというか。欲しいものがパッと出てくるんです」
葵:
『かゆい所に手が届く、的な?』
シュウト:
「そんな感じですね。戦ってて、出てきたものの方が結果的に正しかったりするぐらいで……」
英命:
「いかがでしょう?」
そうして先生が次に水を向けたのはマリーだった。
マリー:
「独特なオペレーション・システムっぽい。んー、人格模倣型、かな?」
葵:
『あ~、そっか。そうなんのか』
英命:
「結果からの推定、帰納法ですね」にっこり
シュウト:
「えっと、どういうことでしょう?」
ジン:
「いや、そのまんまだろ」
葵:
『んと、〈高山流水〉はシュウ君の人格をコピってたんだろうね。もう1人のシュウ君の人格が、君の欲しい矢を選んで「ほいっ」て渡してたってイメージかな』
シュウト:
「それは、なんとなく」
わかるような、わからないような。でも意味は分かる。単に人格の模倣とかされていた実感が全くないだけだ。
マリー:
「無意識を代弁していたかもしれない。それで君の表層意識より正確なOSとして機能していた可能性がある」
シュウト:
「はぁ、そうですか……」
英命:
「ですが、魂や意識のようなものは無かったのでしょう。そこで〈四天の霊核〉と合体してしまった」
葵:
『あい はぶ あ やづつ~。あい はぶ あ えれめんたるこあ~』
葵&マリー:
『「ウンッ!」』
ジン:
「ネタ、ふっる」
葵:
『邪魔すんなコラァ! ゴラァアアア!』
思いっきり邪魔するジンに半ばキレ気味の葵。いつもの光景だ。
英命:
「〈四天の霊核〉には意思が宿っているのですね?」
マリー:
「イベント対応の、リアクティブ型?」
シュウト:
「えっ? ……えっ?」
葵:
『フムフム。必要なイベントシーンになると、パァ~とか光ったりするタイプだ?』
マリー:
「それ」
英命:
「ある意味、『閉じこめられ』ていたのですね。それが偶然、外部を認識する手段を得たわけですか……」
シュウト:
「えっとー……?」
会話が早いというか、付いていけなくて困った顔になってしまう。
葵:
『事故とかで意識不明の植物状態になると、ごくまれに、意識があんのに外部とコミュニケーションする手段がなーんもなくなることがあるんよ。目は見えない、なにも喋れない。当然、体も動かせない』
ジン:
「でも意識はある。そして受動的な感覚器である耳、つまり聴覚や、皮膚の触られた感覚、触覚なんかは機能していたりする状態のことだな。音が聞こえるから外の状況は見えなくても少しだけ分かる。触られたことも分かったりする。けれど、自分に意識があるってことを『外』に教えられない」
シュウト:
「おっかないですね……」
ジンのいう『外』のイメージが伝わってきて静かに恐ろしさを感じる。
葵:
『まぁね。植物状態を脳死と判定して、臓器移植したいとか思っても、万が一、「閉じこめられ」ているだけだったら? とかって話もあるらしいからね。なかなか微妙な問題っしょ?』
シュウト:
「うわーっ(汗)」
意識があるのに、死んでるものとしてザクザクと切り刻まれ、臓器移植に使われてしまうとしたら? 確かに恐ろしすぎる話だ。その状況で麻酔とかしてくれるのだろうか……?
ジン:
「とはいえ、臓器移植で助かっている人も大勢いる訳だしな。それに心臓移植したら、泳げなかった人がとんでもなく泳げるようになったってエピソードもある。記憶はどういう形で保存されているのか、まだよく分かっていない。心臓に記憶因子があって、とはちと考えにくい」
シュウト:
「じゃあ、泳げる人の身体意識が、心臓と一緒に移植されたってことですか?」
ジン:
「俺はそう考えている。……すまん、脱線した」
こっちは興味深い、おもしろい話だった。記憶で説明されるよりも、身体意識の方がスポーツ的には理解しやすい気がする。
それと、この脱線話は臓器移植=悪という一方的なイメージを植え付けないようにするためのジンなりの配慮らしい。
〈四天の霊核〉の意思が『閉じこめられ』ているという話は理解できた。そして外との通信手段として矢筒の人格OS機能が、というかむしろ僕の頭がじかに利用されている、という話のようだ。
シュウト:
「だいたいのところは理解できたと思います」キリッ
ジン:
「てか、おまえの場合、これがパワーアップ・イベントかって事にしか興味ないんだろ? どうせ」
シュウト:
「えっとー、…………はい(恥)」
それはもう、パワーアップできるなら、それに越したことはないわけで。
葵:
『そのへんはどうかな?』
マリー:
「うーん? 不明点が多すぎて何とも」
英命:
「パソコンでいう、増設のような意味合いがあると思うのですが?」
ジン:
「てか、むしろSFに出てくる補助脳とかの話だろ?」
マリー:
「確かに」
葵:
『別に考えさせたり、計算させたり?』
ジン:
「眠ってる間に、操縦を任せたり」
シュウト:
「……すみません。僕の代わりに体を動かしたりはできないそうです」
葵:
『そっかー。基本的に独り言に介入する程度ってことかー』
シュウト:
「そうなんですね」
強くなる切っ掛けを得られたかと思ったので、逆にがっかり感が強くなってしまった。勇み足は戒めよう。
ジン:
「フム。俺としては、お前のどん欲な所は評価しているつもりなんだが」
シュウト:
「えっ?」
葵:
『あー、意外に図太いっていうか。勝ちに行くトコあるよね』
ジン:
「怒られそうだと隠れてコソコソするけどな」
シュウト:
「あのー、それは褒められているんでしょうか?」
性格が悪いとか、歪んでるとかの評価の気がして仕方がない。
ジン:
「貶してんのに決まってるだろ」
シュウト:
「あぅぅ」
葵:
『あたしは嫌いではないね』
ジン:
「同族で庇い合ってりゃ世話ねーな」にやにや
葵:
『にゃにおー? 喧嘩売ってんのかキサマ! 喧嘩売ってんだな!?』
ジン:
「(無視)大事なことを言おう。……道具は大切に扱え。その上で使い倒すのだ」
シュウト:
「はぁ、……はい?」
ジン:
「使用頻度の高い道具類を粗末に扱ってはいけない。雑に扱うのもアウト。この道具という分類には人体も微妙に含まれる。人体は道具としての性質もあるのだし、道具を粗雑に扱ってるテメーの体も粗雑に使っていることになるからだ」
シュウト:
「はい」
武器防具はメンテナンスを欠かさないし、自分なりの基準では大事にしているつもりだった。
武器などは手足の延長というのだし、延長を粗雑に扱うということは、手足を粗雑に扱っていることになるといいたいらしい。理解できる内容だった。
ジン:
「その上で、使い倒せ。性能を引き出して、十全に使って、使い切れ」
葵:
『まぁ、ある意味で、弾薬は撃ちきってから死ねってことだね』
シュウト:
「はぁ……?」
正直なところ、意味は分かっても、何を意味しているのかまでは分からなかった。
英命:
「どん欲に、性能を引き出せということですね」
シュウト:
「……つまり矢筒の話ってことですよね? でも、独り言みたいなものなのでは」
ジン:
「だったらどうした。脳みそ萎縮してんじゃねーのか? 人に無駄な時間使わせてんじゃねーよ」
一方的に吐き捨てると、ジンは食事に戻ってしまった。脳が萎縮とはひどい言われようだけれど、失望させてしまったような、怒らせてしまったような。
葵:
『まぁ、あたしも悪かったかもだー(苦笑) シュウ君が自力で知っていく過程をすっ飛ばしちゃったわけだから。ごめんしてね?』
シュウト:
「いえ、それはありがたいと思っていますけど……」
英命:
「これもご縁でしょう。話し合ってみてはいかがですか?」
シュウト:
「独り言と、ですか?」
マリー:
「そのバカにしてる態度、好きくない」むすっ
シュウト:
「えっ?」
ドキっとした。つまり矢筒と会話しとけとみんないいたいらしい。記憶領域を持たないなら、自問自答するのと大差がない。あまり役に立たないと思うのだけれど……。
葵:
『時間制限あるかもだから、気を付けて。 今回、後悔は君だけのものになっちゃうからね?』
英命先生とマリーが立ち去る時にお礼を言っておいた。最後に葵の気配も消えた。ローマでお昼ご飯にするのだろう。
シュウト:
(使い切れって言われても……。時間制限ってなんだ?)
――〈四天の霊核〉は、〈大規模戦闘〉終了後、保持可能かどうか不明。
確かにクエストアイテムだとすれば、短い付き合いになる可能性はある。ただ『大事なアイテム』として、特に再利用できない状態で持ち続けることが可能な場合もあったと思う。たとえば『どこそこの鍵』などだ。牢屋の鍵だとか、古びた鍵みたいなアイテムは、レイド終了後も持ったままだった気がする。〈四天の霊核〉は魔法のアイテムっぽいし、レイドが終了したら、いつの間にか消えてしまっているかもしれない。
シュウト:
(僕の考えを先取りしてくれているのかな?)
自分で考えてもたどり着ける問題で、一足先にたどり着ける能力? でもそれだと足ネバの5段階目を答えたのは一足どころではないような気もする。いずれ到達できるかもしれないものに先んじてたどり着けるのだとしたら、有用だと認めない訳にはいかない。……それどころか恐ろしい程に強力なアイテムの可能性すらある。
なんとなく、素朴な疑問をぶつけてみることにした。
シュウト:
(ところで、……どうして女の子の声なの?)
――混同を避けるため。
それはそうだ、と納得する。独り言、ジン風に言い換えると『内的な発話』になると思うのだが、それが僕のものなのか、彼女?のものなのかを混同する可能性があるのだろう。
でも僕は自分の内的な発話を自覚できている。戦闘時などの忙しい状況でもなければ、混同しそうには思えない。同時に混同することのデメリットはなんだろう?と考えてみる。
シュウト:
(そうか、思考を誘導される可能性……)
――破滅願望はありません。
即答だった。それと相手の言わんとすることがよく読みとれるのが分かってきた。思考を誘導されて困るのは、相手に破滅願望がある場合だ。 ……これではまるで他人がいるかのようだが、独り言に毛が生えた状態のはずで、矢筒や〈四天の霊核〉をどう捉えるかの問題らしい。もし他者だと思えば、不安を感じて、破滅願望をもっているのではないか?と想像してしまうような、そんな作用があるらしい。
しかし、僕の一部であるとすれば、むしろ僕自身に破滅願望がある可能性の方がよっぽど高いことになりそうな話だった。
シュウト:
(道具は使い倒せ、か……)
経験的に、だいたいのところジンの方が正しかったりするのだ。指針はすでに与えられたのだろう。ではその意味するところはなんだ?と考えてみる。
シュウト:
(道具にとっての幸せの話……?)
大事にしろといいつつ、壊してしまえ!という矛盾した内容だと思ったら、道具からみた幸せの問題、やさしさの話だったらしい。大事だから仕舞っておく、のではなく、大切なら使い切れ。
そうしてみると、『単なる独り言じゃないか……』などとイジケて、大切に扱っていなかったのに気が付く。それはジンを怒らせるはずだ。
シュウト:
(うーん。女の子の声だから話しかけにくいのかな?)
――声質はいつでも変更可能。
シュウト:
(いやいやいやいや! 待って、今のままでいいから!)
ユフィリアやニキータの声で再生される可能性に気が付いて、それはさすがに変態チックな気がした。本人の知らないところで、脳内の会話相手の声に勝手に使われるのとか、普通にあり得ないだろう。……というか、今の声に関しても、妹が大人びた感じなのに気が付いた。家族なら問題ないとは思うが、なんとも微妙だ。
それでもダンディーなおじさまの声とかにはしないでおく。
シュウト:
(なんていうか、……これからよろしく)
挨拶してみたのだけれど、特に返事とかはなかった。質問じゃないからなのか、やっぱり独り言だからなのかはよく分からないままだった。
◆
午後の訓練は解説を多めにしつつも、実践しながらの内容になった。
ジン:
「訓練の目的はゆるみ度を高めることだ。それを邪魔するのが、スティフ、拘束だ。たとえば、『立位依存』と呼ぶべきものとかな」
拘束世界の説明だった。立位依存は初耳だが、内容的には同じもののはずだ。
ジン:
「立つために使っている部位は、既に立つのに使っているのだから、ゆるめることはできない。まぁ、当たり前だな」
レオン:
「前に話していたように、細く立てばいいのだな?」
ジン:
「そうだ。これは運動の上手・下手、威力の大きい・小さいにまで影響してくる。筋肉で立位を維持しようとしてしまうと、骨のように硬く固めて、そこに依存してしまう。なので、骨は骨、筋肉は筋肉といった具合に組織を役割ごとにきちんと分化させて、『骨で立つこと』が出来なければならない。それが結果的に細く立つということの中身だからだ。体がそういう風に出来るということは、脳もそうしたことが可能になる風に変質するという意味になる」
バリー:
「非常に説得力のある内容だね」
ジン:
「だが、そうした解剖学的な知識で人体や運動を制御することは難しいし、戦闘で役に立たなきゃどうしようもない。ではどうするか?というと、『中心軸』でもって制御を代替するわけだ。身体意識によるメタ制御システムが、武術の極意というべきものになってくる」
本格的な学習内容に、〈スイス衛兵隊〉メンバーも真剣な表情になっている。
ジン:
「話を少し戻すぞ。立位での無自覚な依存だけでは話は半分にしかならない。もうひとつ、完全二足歩行を行うためには、自己を拘束する必要がある。これはバランスを取るためではなく、バランスを崩さないことを目的としている」
ネイサン:
「自分で自分を拘束してるってこと?」
ジン:
「そう。転倒をさけるためにな。……そうして結果的に二重にごちゃ混ぜの状態で拘束されていることになるんだ。なのでゆるみ度を高めるためには、自律拘束を解除しつつ、立位依存の割合を減らしていくことが必要になる。……このため、初手では床に寝た状態でのトレーニングが望ましい」
つまりは寝ゆるってことだ。横になっていれば、立位依存は無視できる。確かに効率的だろう。まぁ、どちらにせよ結局は、立った状態で依存を解除しなければならないのだけど。
ジン:
「残念ながら、ここに100人が横になって訓練するスペースはない。立ったままどうにかしていくようにがんばるしかない訳だ」
当然ながら、難易度は一気に数十倍に(苦笑)
雪の上でねっ転がるためにはかなり準備が必要になる。
ジン:
「まずは脱力から。今、立っているその状態から、まだまだぜんぜん脱力できるのは分かるな? 完全に筋力を使わない状態になったら、当然ながら立っていられない。しゃがんだり、崩れ落ちたりするだろう。でもそれでは戦闘で役に立たない。社会生活でも役に立たない。従って、必要最小限度の筋力発揮で立つ練習が必要になってくる。そっちの訓練は、この後、統一棒を使って行う」
オスカー:
「じゃあ、今からは?」
ジン:
「脱力そのものの鍛錬だ。実際のところ、脱力して横になったとしても、自律拘束は解除されないからだな」
ネイサン:
「あれっ? さっきと言ってること違わない?」
ジン:
「違わない。横になった瞬間に拘束が解除されるなら、横になってトレーニングする必要はないだろ?」
ギャン:
「ああ~、確かにな。そうなるのか」
立位依存と自律拘束は別物だとして説明しているからだろう。現実にはごちゃ混ぜなのでどっちがどっちかは分からないものなんだけど。
ジン:
「これにはハンモックストレッチの概念を応用していきます」
ユフィリア:
「ハンモックストレッチ?」
ジン:
「天井から吊り下げられたハンモック、まぁ、網みたいなもんだ。それに包まれている状態だと、ストレッチするときに普段よりも関節が大きく可動するんだ」
アクア:
「なぜ? 理由はわかっているのかしら」
ジン:
「分かっている。たとえば股関節を大きく開くストレッチを行ったとする。開こうとする動作に対して、無意識に抵抗し、反発する筋力が発揮される」
レオン:
「内的な反作用のような力が働くのだな?」
ジン:
「そうだ。ハンモックストレッチの場合、ハンモックがその内的反作用の代わりとして働くため、普段よりも体を柔らかく・大きくストレッチすることができる。それは自分の体を護るための、自然な反応なんだけどな。なんの抵抗もなくストレッチできてしまうと、スジを違えたり、伸ばしすぎて断裂をまねいたり、腱を痛めたりしてしまう」
運動を阻害する内部抵抗には、そうした内的な反作用も存在するということだろう。ブレーキ成分を減らしていく過程で、向き合わなければならないものになりそうだ。
ジン:
「これに関連して、柔らかいベッドと硬いベッドの話がある。ウォーターベッドのような、柔らかいベッドで寝ると体がゆるみそうな気がするが、実際に寝てみると、ベッドが柔らかいことで体をあずけることができない。このため体を固めてしまい易いんだな。逆にある程度硬いベッドの方が、自分の体は柔らかくなりやすかったりする」
ネイサン:
「束縛されている方が、案外、自由を感じられたりするものだよね。いやぁ、哲学的だなぁ~」
スタナ:
「あら、束縛されるのが癖になってるのかしら?」
ネイサン:
「べ、別に束縛されたい訳じゃないさ」
スタナ:
「じゃあ束縛されてる状態で、浮気するのが趣味ってこと?」しれっと
ネイサン:
「そういうことじゃないって!……勘弁してよぉ~」
どうやらスタナの方が上手っぽい。ちょっぴり安っぽく纏められちゃった気がしないでもないけれど。
ジン:
「はい、浮気は程々に~」
ネイサン:
「ジンまで!?」
ユフィリア:
「……ほどほどなら、してもいいの?」
ジン:
「ゴホンッ、言い間違えた。浮気は感心できませんね。では訓練に戻ろうか。そうしよう」
ネイサン:
「そうしよう」
弱い(確信)。
でも逆らえないのも実際のところ、そうだと思う(小並感)。
ジン:
「ハンモックストレッチのこうした原理を利用して脱力をやっていきたいと思う。では最初に、尊い犠牲になってくれる人、挙手!」
シュウト&タクト:
「「はいっ!!」」
シーン:
「あいつら、どうしてあんな積極的なんだ?」
ベアトリクス:
「知らないわよ。よく訓練されているからじゃない?」
レオン:
「実例係は、ジンの技を受ける機会が増えるからだろう」
ジン:
「バカ野郎。サクラじゃねーんだ、ウチの連中から選ぶわけねーだろ」
タクト:
「そうですか」
シュウト:
「ですよねー」
オスカー:
「内容的に束縛されるってことでしょ? だとしたら適任がいるんじゃない?」←悪魔
スタナ:
「ほら、ご指名よ」
ネイサン:
「ちょっと待ってよ! 変なレッテル貼るのやめてくれないかな? ボクの築きあげたブランドが壊れちゃ……」
スタナ:
「ゴチャゴチャいわない! さ、いってらっしゃい」
尻を叩かれるようにして(実際には叩いていないけれど)、ネイサンを送り出した。
ジン:
「ご苦労さん」
ネイサン:
「で、何をやらされるの?」
ジン:
「大したことはしない。指示するから安心しろ。……じゃあ、5~6人で手伝ってもらおうか。前列のそこ、前に来てくれ」
ネイサンを囲むように6人を配置する。
ジン:
「じゃあ、ぎゅーっと押しつぶして」
ネイサン:
「えっ、本当に束縛するの? って、うぎゃ~!?」
ジン:
「じゃあ、力を抜いて~、もっともっと。周りが支えてくれてるだろ?もっと力を抜けって。体重を預けろ!」
2分ぐらいだろうか。もっと力を抜け、自分で立つななどと言い続けていた。
ジン:
「はい、終了~。どうだった?」
ネイサン:
「強烈だったよ。でも、拘束とか依存とかはわかった気がするかな。こうでもしなきゃ解除できないかも」
ジン:
「よし、上々だ。……日本だと満員電車でこの練習ができたりするが、まぁ、こっちの異世界では難しいだろう」
オスカー:
「なるほどね。……これ、みんなでいっぺんにやってもいいかな?」
ジン:
「いいぞ。やってみな」
オスカーに場所を明け渡すと、見守ることに決めたらしい。オスカーというか、〈スイス衛兵隊〉は素早く男女に分かれて、セッティングを開始。僕らも参加することにした。
葵:
『はいほーい。あたしが仕切ってやんよ。……包囲せよ!』
オスカー:
「準備、完了であります!」
デジレ:
「こっちもだよ!」
素早く準備を終える〈スイス衛兵隊〉。やることが早い。
葵:
『よし! ……包囲を縮めよ!』
なぜだか気取った口調で指示出ししている葵。気分は大隊指揮官だろうか。楽しそうでなりより、なんて思ってたら一気に来た。
スターク:
「つーぶーれーるー!」
シュウト:
「むぎゅーっ!?」
タクト:
「これは、なかなかっ!」
ネイサン:
「グヘヘヘヘ。潰れろ~、潰れてしまえ~!」
外側に陣取ったネイサンがぐいぐいと押し込んでくる。ここぞとばかりにやり返そうという魂胆に違いない。
葵:
『フハハハハ! 最後だ、殲滅せよっ!! 外側から一枚ずつ皮を向いていくかのように、丁寧にな!』
ネイサン:
「殲滅、了解!(笑)」
葵:
『一兵なりとも、逃すな!』
ジン:
「バカか! 殲滅してどうすんだよ!?」
葵:
『ここまで来たら包囲殲滅を完成させなきゃって使命感? やっぱ包囲したら殲滅しなくっちゃ!』
ジン:
「お前の頭はどうなってんだよ!? ……脱力しろ、脱力だ! 外側の押さえ係も、もたれ掛かってなるべく力を抜くように!」
ジンが指示することで規律と秩序が回復する。とはいえ、絶賛潰され中の僕らは混乱のただ中にいた。もはや諦めの心境らしきスタークの姿があった。抵抗しても無駄だと悟ったらしい。それを真似して、抵抗を諦める。
ネイサン:
「あー、あっちムニムニして気持ちよさそう~」
ジン:
「女子チームか。確かにな」
ネイサン:
「あの中で女の子の臭いに包まれて死ねたなら、本望かもしれない」
ジン:
「それ、どんな死に方だよ(苦笑)」
もう一度、外側の押さえ係を内側にして、同じ事を繰り返す。押さえ係になれなかったため、僕は再び押し潰されることに。
オスカー:
「どうかな?」
ジン:
「ああ、いいんじゃね? ゆるみ度が高まればなんでもいいし」
オスカー:
「そうなんだ?」
ジン:
「よーし、じゃあ、背丈・体格の近いので二人組を作れ~」
なんとなくタクトで我慢することにした。向こうも同じような顔をしていたけれど、コイツの気持ちとかどちらでもいい。
ジン:
「誰か余ってないかー? 仲間外れ出すんじゃねーぞぉ?」
葵:
『96人だから、確実に余るべ』
ウォルター:
「すまん、オレが1人だ」
ジン:
「じゃあ、俺とだ。ついでに実例係をやってもらうぞ」
ウォルター:
「わかった」
葵:
『余り物には福パターンとかいう(笑)』
う、うらやましい。
ジン:
「じゃあ『ペア背モゾ』だ。足をちょっと開いて、背中でもたれあう。互いの背中を感じながら、上下左右にモゾモゾと動かしてやる。シンクロもいいけど、ズレ合わせるのも効果的」
ジンとウォルターがもたれ合う。ジンがリードしてモゾモゾと背モゾを始めた。
ジン:
「お前、背中かってーなぁ~?」
ウォルター:
「うぉっ、ちょっ、なんっ!?」
ジン:
「ホレ、声を出して~、モゾモゾモゾモゾ」
ウォルター:
「モゾモゾ……」
自由度が100倍では利かないほどの差があるのだろう。ジンがウォルターの背中を一方的に揉みほぐしている。背中を使って。
シュウト:
「ナニソレ、羨ましいんですけど?(血涙)」
タクト:
「やろうぜ、俺たちも負けてられない」
ペア背モゾを開始。僕とタクトの間にも実力差があるので、一方的にゆるませてやろうと意気込んでみる。
タクト:
「おい、呼吸を合わせろよ!」
シュウト:
「おまえが合わせたらいいだろ」
タクト:
「こういう時は、先輩が面倒みろよ」
シュウト:
「うるさい、都合良く後輩面するな!」
葵:
『ばははは! ある意味、息ピッタシだよ(笑)』
葵には笑われてしまったけれど、コイツと仲良くモゾモゾとかしたくない。硬いのが移りそうな気がしてくる。
―― ……。
シュウト:
「違う。やり方を間違えてた」
タクト:
「なんだって?」
矢筒の声が聞こえた気がした。装備していないのだから空耳みたいなものだろう。この現象こそが勘違いとか気のせいのはずだ。
それでも矢筒がいいそうなことは分かる。なぜならばいい意味で(悪い意味で?)独り言だからだ。
シュウト:
「もっと寄りかかるんだ。依存と拘束を取り去らないと意味がない」
タクト:
「……わかった」
シュウト:
「『深く踏み込む』んだ」
タクト:
「朝の? やってみる」
ただ寄りかかって相手に体重を押しつけるだけになってもやっぱり違う気がする。浮かす心持ちで、相手の体を受け入れる。その状態でモゾモゾと動かしていくのだが、より深く刺激が届くようになったと思えた。
ジン:
「よし、いいだろう。そのまま次は『ペア腰モゾ』。腰の位置をあわせて、すこし丸くする」
またまたウォルターと実例をやってみせるジンだった。すり合わせられるように、腰を後ろ方向に丸くさせている。弓腰の状態だ。
ジン:
「あー、固かった。……さあ、やってみろ!」
背中と腰の固まったのを揉みほぐされてウォルターが崩れ落ちた。
そうしてまだまだ訓練は続くのであった。




