186 カレー戦争
西欧サーバー入りして二度目の夕食。北海道サイズというカルパティア山脈をウロウロと探し回らずに済んだものの、レイドゾーンの攻略開始は明日になりそうだ。やることが早いのか、遅いのか悩むところである。少しばかり焦る気分も出てきた。
ジン:
「今日、レイんとこは何だった?」
シュウト:
「カツカレーみたいです」
英命:
「きわどい配球ですね」フフフ
カレーはインド料理だけれど、カレー粉だかカレールーだかはイギリスで作られたとかの話も聞いたことがある。西欧の人にとってはどうなのだろう?
ジン:
「カツが美味いからなー。ちょっと悩み所だなー」
前日の野営地での夕食から料理班が一つ減っていた。ギリシア料理が減ったらしく、当然のように『食っとけば良かったなー』の会話になる。残っているのは、スペイン、フランス、イタリア(ミラノ)、イタリア(ナポリ)、そしてレイシンの担当する日本。
毎日レイシンの料理でぜんぜん問題はないのだが、今のところ物珍しさと好奇心が勝っている。飽きるまでしばらく余所の国の料理でも食べておこうか?ぐらいのノリだった。
シュウト:
「ところで、ミラノとナポリってどう違うんですか?」
英命:
「北イタリアと南イタリアですね。基本的に北部の方が栄えています。南部は風光明媚な観光向きの地域でしょうか。……いわゆるトマトとオリーブオイルを使ったイタリア料理のイメージなのは、南部の料理ですね」
タクト:
「そうなんですか。じゃあ、北のミラノは?」
ラトリ:
「うん。どっちも美味しいけど、フランスの影響かな? バターとか生クリームを使う料理が多い印象。それと、ピザが薄いのがミラノ。厚いのがナポリかな。ちなみに中間のローマは、ピザの厚さも中間、ってね」
ラトリが現れて、そんな解説をしてくれた。なかなか楽しい食事タイムだ。なにを食べるか悩めるのは贅沢の極みとも言える。
ラトリ:
「ところで、日本チームのカツカレーってどうなの?」
ジン:
「そりゃ美味いに決まってらーな」
ラトリ:
「そうなんだ? ……じゃあ、試してみようかな」
シュウト:
「ジンさんはどうします?」
ジン:
「そうだなー、女の子可愛いし、フランスいってみっかな」
テーブルとイスが人数分以上にセットされている。つまり100人分以上だ。自然と〈カトレヤ〉のメンバーで固まって食事することに。いや、この段階から気易くあちこちに混じって食べてたら、その方が変だろう。(若干、そういうことしそうな人もいるけど)
料理を受け取り、テーブルに運んで来た。しかし、誰も食事をはじめていない。食事前にヴィルヘルムから一言あるようだ。注目が集まる中、彼は穏やかに語り始めた。
ヴィルヘルム:
「食事前だ、短く済ませよう。……今回のレイドは、いつになく厳しいものになるだろう。異世界に来て、初のレギオンレイド攻略。しかも、最難関となるワールドワイド・レギオンレイドだ。これがノーマルなクエストであれば、問題にはならなかっただろう。我々は〈スイス衛兵隊〉、最強を自負する最高のギルドだからだ。しかし、最早この世界はゲームであってゲームではなくなっている。もし今までのようにゲームのつもりでいれば、イレギュラーな問題が次々と発生し、解決に追われることになるだろう」
ゲームだと考えるから、イレギュラーに感じる。現実だと思えば、何が起こっても不思議には思わず、対処できる。自分の言いたいところ、主張したい部分に触れられて、嬉しくなっていた。強く同意する。
ヴィルヘルム:
「普段のレギオンレイドがそうであるように、今回もいつも以上の困難に直面することになるはずだ。……だが、私は楽しみにしている。みんなはどうだろう?」
楽しみだというセリフに、目からウロコが落ちた。どうやら困難ばかりを見ていた気がする。ヴィルヘルムは楽しみにしているという。それなら、僕だって同じだ。僕だって楽しみだ。
ヴィルヘルム:
「我々には心強い援軍がいる。まずは勝利を約束する歌姫 アクア。共にセブンヒルを駆け抜けた戦友 ジン君とシュウト君だ。彼らは遠く日本からギルド〈カトレヤ〉の仲間と駆けつけてくれた。また、かつての強大な敵 レオンもいる。幸運な事に、今回 彼は頼もしい味方だ。さらに東欧の手強いギルド、名門〈緑の庭園〉から、ギルドマスターのベアトリクスが参戦してくれている。みんな、ありがとう」
自分の名前を呼ばれて、照れくさいような、昂ぶるような感覚を味わう。
ヴィルヘルム:
「最後に〈白の聖女〉にもお越しいただいた。今回の遠征はそれほど重要な戦いということでもある。だが、この96人ならば、きっとどんな困難もはねのけ、最後には勝利を掴むだろう。そう信じている」
ということは、外のゾーンの〈スイス衛兵隊〉メンバーは帰ったということだろうか。それは知らなかった。
ヴィルヘルム:
「長くなってきた。これで最後にしたい。……ジン君、メインタンクを引き受けてくれてありがとう」
ジン:
「へいよ~」
気楽な返事をするジンだった。いい雰囲気の流れだった挨拶が、いきなりどうなるのか分からなくなる。もしかしなくても、綱渡りの始まりの気がしてならない。
ヴィルヘルム:
「みなも知っての通り、メインタンクは最も献身と貢献とが求められる厳しい役割だ」
ジン:
「お~ぅ。……そればっかりは、そっちの態度次第、ってところだけどなァ?」
場の空気が一変する。ここで無礼な発言をするな!という圧力がピリピリを越えてグイグイとかガガガガガという擬音に高まって感じる。だというのに、ハラが座り過ぎているからか、まるで平気そうにしていた。……もしくは、敵意で自分は強化されるものだから、この状況を楽しんでいるような気がした。
ユフィリア:
「ジンさん! そういうこと言っちゃダメ!」
損なツッコミ役を誰に押しつけるか、そんな無益な争いが始まりそうなタイミングでの、ヒロイン登場だった。こういう時ばかりは便利というか、ほんとにありがたい。
ジン:
「いやいや、冗談事じゃねーって。メインタンクの仕事は引き受けた。報酬分はきっちり働くつもりだ。 けど、献身と貢献じゃ話が別だろーがよ。……まさかそんなものが金で買えるとか思ってねーだろうな?」
これで言葉を詰まらせたのは〈スイス衛兵隊〉の側だった。正論だからだろう。メインタンクの重い負担を、献身や貢献と言い換え、都合良く奴隷扱いするつもりじゃなかろうな?といった意味合いで返したことになる。仕事はこなすと宣言している手前、それ以上を要求する権利とかの話になると微妙な問題でもあるのだろう。
ギルドメンバーに内容を考えさせる丁度良い間で、ヴィルヘルムが言葉を返していた。タイミング良くヴィルヘルムが救う形だ。信頼される人間の振る舞いの、お手本のような人だ。
ヴィルヘルム:
「無論、そんなつもりはないさ。……正当な評価をし、正当な対価を得ること。それは我々にとっても多くの利点があることだ」
ジン:
「そいつは重畳」へらっ
ヴィルヘルム:
「そこでだ。メインタンクの負担と、ジン君の実力とを考慮し、彼の食事に一品、追加する!」
ジン:
「へ……?」
まったく予想の外の展開だった。どう反応すべきか判断に困る。〈スイス衛兵隊〉もざわめいていた。不意打ちだったらしく、ジンですら理解に時間が掛かっている。硬直時間が終わるや、叫ぶような勢いで立ち上がっていた。
ジン:
「まっ、マジか!?」ガタタ
ヴィルヘルム:
「本当だ。ささやかな贈り物だが、君の励みになるだろうか?」
ジン:
「なる! なるなるなるなる!」
料理であっさり釣られてしまうあたりがなんというか。もしかして丸く収まった、のかな?
リコ:
「まさか、ここで餌付け展開?」
英命:
「これは、興味深いですね」
そこに颯爽と現れたのは、スペイン料理担当 ミゲル・フーゴだ。〈冒険者〉の肉体年齢はアテにできないが、引き締まった精悍な体躯と、無駄のない動き。何より顔つきに刻まれた厳しさに老練の境地を見た気がする。
ミゲルがその手ずから運んで来た皿を、ジンのテーブルに給仕する。
ミゲル:
「ソロミージョ・アル・ウィスキー。よくあるタパスだ。……さ、俺の皿を楽しんでくれ」
ジン:
「お、おう……」
料理に目を奪われ、気圧されたかのように座りなおすジン。
どうやら肉料理のようだ。なんとも言えない良い香りがしてくる。
ジン:
「いただきます」
ユフィリア:
「うわっ、すっごく美味しそう!」
ロッセラ:
「それ、ミゲルさんの必殺料理じゃ!?」
ジン:
「うっ……!」ぞわり
一拍の沈黙の後、黄金竜のオーラが飛び出した。ジン本人の意思で出したのではない。料理によって『出させられた』のだ。もしかして、これって究極的には嘘をつけなくなったんじゃ?と心の片隅で考える。どちらにせよ、黄金竜が勝手に出るぐらい美味しかったはずで、それがどういうことなのか、いや、どんな味なのか気が気ではなかった。
ミゲル:
「どうかな?」
ジン:
「うんまいっ! 言葉に、ならん。最っっっ高だ!!」
ミゲル:
「そうだろう」ニヤリ
再び場の空気が変わる。料理の力による勝利だ。それは作る側・食べる側の双方を笑顔にする、最もWIN・WINへと近づく戦い方かもしれない。
ユフィリア:
「ジー、ンー、さん?」にこっ
ジン:
「なー、あー、に?」にっこり
ユフィリア:
「私も食べたいな、って?」
ジン:
「えーっ? でもこれ、俺専用だぜ?」
ユフィリア:
「でも、ジンさんばっかりズルいよね?」
ジン:
「いや、俺、働いてるし」
ユフィリア:
「私だって働いてるもん!」
ジン:
「それだったら、みんな働いてることになるんじゃねーの?」
渋る渋る。ここぞとばかりにユフィリアをからかって遊んでいた。結局食べさせるにしても、こうしたひと手間は欠かさないというか(苦笑)
そんな風にして遊んでいる横からレイシンが現れていた。
ユフィリア:
「いーじーわーるぅ~」
レイシン:
「……ごめん、味見、いい?」
ジン:
「ん」スッ
ユフィリア:
「あーっ、わたしもー!」
ジン:
「いいけど、残しとけよ?」
そしてレイシンには躊躇なくオーケーし、皿を差し出すのであった。
味見する2人の表情もまた、一変した。
ユフィリア:
「おいっっっしい! すごーい!」
レイシン:
「っ! ……さすがだなぁ~」
僕もちょっと味見させてほしいのだけど、それとは別に、明日はスペイン料理にしようと決めた。
ジン:
「なぁ、アイツ、何モンだ?」
レイシン:
「うん。ミゲルさんはスペイン料理担当で、料理部門全体の責任者だよ。つまり、ここで一番料理が上手な人」
ジン:
「なるほどなー、やっぱ隠れてんのなー?」
レイシン:
「うん。……化け物だねぇ」
半分食べたところでお皿を回してくれたので、少しだけ味見できた。期待通り、衝撃の美味しさだった。
リコ:
「なにこれ!?」
タクト:
「うまい!」
英命:
「素晴らしいですね、これほどとは……」
ウヅキ:
「なんだこのソース? メチャクチャうめぇ!」
ケイトリン:
「……いい味」
あの、人を小馬鹿にすることに人生を賭けているようなケイトリンすら褒めるというのか。恐るべし、スペイン料理。
ジュディス:
「すまない、私にも味見をさせてほしい」
ロッセラ:
「お願い!ソースだけでいいから~」
ミゲル:
「やめんか。客人の皿に手を出すな」
ロッセラ:
「だって~」
ミゲル:
「……わかった。後でお前らの分も作ってやる」
味見を求めて来ていたのはたしかフランスとイタリアの料理長だろう。厳しそうな人なのに、女性には優しい。どうやら料理は洋の東西を問わず、モテ・アイテムらしい。
ラトリ:
「……ねぇ、これってどうやって食べればいいの?」
そんな所に、カツカレーを持ったラトリがやってきた。
いち早く反応したのは予想外の人物だった。
ヴィルヘルム:
「待て、ラトリ。待つんだ」
ラトリ:
「は、何か?」
ヴィルヘルム:
「それは? その料理は……」
ラトリ:
「え、と? 日本チームのカツカレー、ですけど」
ヴィルヘルム:
「……まさか、カレー・ライス、なのか?」ふるふる
ミゲル:
「どうした、ヴィルヘルム?」
ヴィルヘルムの様子がおかしい。これにミゲルが戻って声を掛けていた。
辺りにはカレーのいい香りが漂い始めている。なぜだろう。途轍もなく馬鹿げた話になりそうな予感しかしない。
ミゲル:
「なんだ? このスパイスの香り」
ヴィルヘルム:
「……すまない! 私にも、このカレーライスを頼むっ!」
ミゲル:
「ふむ、面白そうだな。 俺もだ!」
ユフィリア:
「はーい、ただいまっ」
ラトリの横に、なぜかヴィルヘルムとミゲルまで座っていた。なんだろう。何が始まるというのだろう?
ジン:
「なんだよ、カレー食ったことないのか?」
ヴィルヘルム:
「いや、あるとも」
ミゲル:
「ふむ。インド料理だろう? ナンと呼ばれるパンに、カリと呼ばれるスパイス・ソースを付けて食べる」
ヴィルヘルム:
「いや、日本のカレー・ライスは違う」
ラトリ:
「旦那、何かあったんですか?」
ヴィルヘルム:
「うむ。あれは何年前だったか。……日本に出張した時のことだ。それまでにも数回、日本を訪れていた。一通りの日本食、たとえばスシやテンプラはほとんど食べていた。日本食に対する十分な知識を得たと思っていたよ」
ジン:
「……数回の出張程度で?」
ヴィルヘルム:
「いや、その通り。浅はかだった。……そんな折、1人の日本人が大衆料理店へと誘ってくれた。高級店ばかりで飽きただろう、と」
英命:
「接待が続いていたのですね?」
ヴィルヘルム:
「その通りだ。このチャレンジにはもちろん了承した。大衆料理店ならば、一般的な日本の食文化にも触れられるだろうと私は考えたからだ。そうして案内されたのは、こじんまりとした店だった。狭く、雑然とした店内には、人がひっきりなしに出入りしていた。そこで……」
ユフィリア:
「おまちどうさまでーす!」
ヴィルヘルム:
「さ、いただこう!」シャキーン
シュウト:
「話の続きは!?」
カレーの準備にそんなに時間が掛かる訳もなく。ヴィルヘルムはばっさりと話を打ち切り、カレーにありつこうとしていた。
ラトリ:
「んで? どうやって食えばいいの?」
ジン:
「好きに食えばいいだろ」
ヴィルヘルム:
「このスープを、ライスに掛けて食べるんだ」
ラトリ:
「こう?」
ウヅキ:
「ちょっとまてー!!!」
ヴィルヘルムの動きを真似て、カレースープを白米にぶちまけようとしている3人。ウヅキが我慢ならないという感じでストップを掛けた。
ウヅキ:
「なにやってやがるっ! カレーはそうやって食うものじゃねーだろっっ!!」
ラトリ:
「……だから教えてって言ったのに」
ジン:
「……ワリィ。しゃーない。センコー、概要」
英命:
「承りました。元はインド料理なのはご存じの通りかと思います。それが日本独自の発展を遂げたものが、今日のカレーライスと呼ばれるものですね。西欧と比較した場合、皿に残ったソースを、パンに付けて食べるという行為に相当します。これを専門化したもの、とお考えください」
ミゲル:
「パンの代わりが、このライスなのだな?」
英命:
「そうなります」
ヴィルヘルム:
「すまない。先に、ライスにかけてはいけなかったのだろうか?」
ジン:
「いや、食べ方は自由なんだが、あまり推奨されないというか。子供向けというか、んー、初心者コースってことだ」
ミゲル:
「ふむ。どうすればいい?」
ジン:
「カレーはパズルに喩えられる。ライスの量と、カレースープの量を見てくれ。少しずつかけて食べる場合、ライスが余ったり、スープが余ったりすることになるだろ? きっちり計算しながら食べる必要がある。これがまた、日本人でもけっこう失敗するんだわ。喋りながらだと特にな~」
ヴィルヘルム:
「……先に掛けてから食べれば、そうした失敗はしない、ということだな?」
ジン:
「そうそう」
ラトリ:
「それだと先に掛けちゃった方が簡単でいいと思うんだけど。どうしてダメなの?」
ジン:
「んー、米にカレーを掛けて直ぐに食べる方が美味しいんだ。1秒を争うわけじゃないんだが、2分も3分も放っておくと、米がカレーを吸ってグジャグジャになって、味が落ちるんだよ」
ヴィルヘルム:
「そういうことだったのか……!」
ミゲルがスプーンでトンカツを指して訪ねた。
ミゲル:
「これはなんだ? どうやって食えばいい?」
英命:
「それはトンカツという、豚肉料理です。正式名称はポーク・カツレツですね。トンカツのトンは、豚肉の意味になります」
石丸:
「元はフランス語のコトレットがなまったものと言われているっス」
ミゲル:
「フム。焼いたのではなく、ころもを付けて揚げたのだな?」
ラトリ:
「あぁ~、カツカレーのカツってことだ?」
ジン:
「そうそう。それも食い方は自由だ。今回は2枚あるから、難易度はイージー。まず専用の黒いソースを掛けて食べる方法がオーソドックスな形式になる」
ヴィルヘルム:
「この黒いソースは、トンカツ用ということだな?」
シュウト:
「そうです」
ジン:
「そのソースなしでそのまま食べるのもいい。また、カレーを付けて食べるのもありだ。さらに、ソースを掛けたカツに、カレーを付けて食べるのもオーケー。もっと言うと、カレーにソースをかけて味を変えるのに使うのもアリだ。少し甘くなるんだよな」
ヴィルヘルム:
「なるほど」
ラトリ:
「じゃあ、禁止事項とかってあるの?」
英命:
「そうですね。その黒いソースをご飯にかけて食べるのは、『貧乏メシ』と言われるものになり、パブリックスペースでは推奨されません」
ラトリ:
「プライベートならアリなわけね。じゃあ、ライスにソースを掛けて、その上からカレーだったら?」
ラトリの質問はなかなか高度なものだった。正確にルールを把握しているのが伝わってくる。
ジン:
「ご飯にソースをかけた時点でNG。日本人が見たら困った顔をするだろうよ。時々は怒るヤツもいる(苦笑)」
シュウト:
「いますね(苦笑)」
ジン:
「てなわけだ。勝利条件は『最後まで美味しく食べる』こと。……さ、召し上がれ」
なんやかんやと注目を集めてしまっていた。ようやく実食となり、3人揃って、試すようにそろりと口に運んだ。
ミゲル:
「うまい! なんという……」
ヴィルヘルム:
「素晴らしい。夢にまで見た日本のカレー・ライスだ!」
ラトリ:
「うま。あ、でもけっこう、カラいねぇ~」
ちゃんと食べてくれるのか?とかをソワソワしながら見てしまう。そういう部分は、僕もやはり日本人なのだろうな、とか思ってしまう。
ミゲル:
「見事な奥行きだ。これはかなり甘みが強いな」
ラトリ:
「え? そこそこカラいって思うんですけど?」
ミゲル:
「全体の印象はそうだ。だが、それは甘みが引き立てているからだ。この甘さを作っているのは、……タマネギだろう?」
レイシン:
「一度、凍らせたタマネギを使っています」
リディア:
「凍らせてるの?」
ミゲル:
「凍らせることで細胞膜を破壊し、調理時間を短縮できる。……それだけではないな。この風味は、そうか、トマトだ!」
ラトリ:
「トマト!? トマトなんてこの中にいる?」
ヴィルヘルム:
「いや、まったく分からない。だが、うまい!」
ミゲル:
「考え方としては、イタリア料理でいうブロードに、スパイスを加えているのだろう。野菜の水分で作ったスープで旨味を何段階も引き上げているな。とても丁寧な仕事だ」
レイシン:
「ありがとうございます」
ミゲル:
「しかし、このスパイスだ。なんという複雑さだ……」
レイシン:
「いや、それは……」
実際、カレーはレイシンの得意料理という訳ではない。どちらかといえば、苦手分野のはずだ。カレー・ルゥが発達した結果、家庭料理としてはスパイスをブレンドして作らなくて良かったからだ。こちらの世界にカレー・ルゥはないため、自動的に作れなくなってしまっていた。レイシンがカレーを作れるようになったのは、レシピを教えてもらってからだった。
アキバというか、日本ではカレーに一家言ある人が大勢いる。ただ、多くのアキバ住民が料理をしないため、主戦場はカレーを扱う屋台や店舗でのものになった。それでも料理の材料、スパイス・ブレンドの領域でも密かなる戦争が勃発していたのだ。
事の起こりは本当にただの偶然だったと言われる。同時期に『絶品アキバカレー』と『本格アキバカレー』が店に並んだ。よく似た名称。ここから絶品か、本格かの戦いが始まったのだ。その後すぐに『元祖アキバカレー』がこの戦いに加わった。この三つ巴の争いは長く続くことになった。
〈カトレヤ〉でもカレーは大人気であり、絶品派、本格派の戦いは熾烈を極める。しかし、ジンや葵のような偉い人たちが『どっちも美味しい』と言うので交互になったり、たまに元祖も食べてみようとかの話になる。
こうした間にもカレー商品はいくつも発売されていたのだが、まるで売れずに消えていった。やがて『○○アキバカレー』じゃないと売れないという暗黙のルールが形成されていった。
そして秋頃になって登場したのが、『新説アキバカレー』と『こだわりのアキバカレー』である。特に『こだわり』は、2文字の定説を覆して生き残ったカレー界の新鋭。これが戦国乱世の始まりだった。続けて『最強アキバカレー』が激辛ブームを巻き起こすことになる。『激辛アキバカレー』、『ウマ辛アキバカレー』が続けざまに登場した。
こうした状況の中、量は少ないが簡便なカレー・ルゥタイプも販売が始まり、アキバでのカレー戦争は激化の一途を辿っている。今度、アキバ通信でカレー特集をやろうという話があって、大規模な食べ比べ調査を現在計画中である。……ようするに、理由をつけていろいろ食べ比べてみたいだけ、というか(苦笑)
……次はとんかつの実食だった。
ラトリ:
「うわっ、これ、うまい!」
ヴィルヘルム:
「すばらしい。カレー・ライスとの相性も抜群だ!」
ミゲル:
「低温で加熱したのだろう。ころもで旨味を逃がさない工夫も素晴らしい」
ジン:
「じゅんわり感がたまらんのだよなー」じゅるり
レイシン:
「はっはっは」
うまい、うまいと言いながら食べるヴィルヘルムに周囲の視線が集まり、やがて観衆が増えていった。一体どうやったら、カレーを食べるだけけで人が集まってくる、なんて事が起こるのやら?
カツ2枚のパワー&ボリュームは大きく、中盤を易々と乗り越えると、終盤戦へと突入していった。
シグムント:
「ヴィルヘルムは流石だな、完璧なペース配分だ」
ネイサン:
「ミゲルは少し怪しいか。だがラトリは……」
ギャン:
「ありゃダメだ」
どうにもラトリがオチ担当っぽい展開である。
ラトリ:
「やっぱカレースープが足りないや(笑)」
ニキータ:
「追加のカレースープです。どうぞ?」
ラトリ:
「お、ありがとー」
展開を先読みしていたのか、完璧なタイミングで追加のスープを出すニキータだった。
ラトリは脱落(?)し、完璧なペース配分のヴィルヘルムと、料理長ミゲルの一騎打ちの様相に。しかし、カレー食べるのに一騎打ちってなんだ(苦笑)
バリー:
「ダメだ。ミゲルのカレースープがもう……」
ヒルティー:
「待て、ライスの横のアレはなんだ?」
ミゲルのカレースープが底をつく。しかし、態度にはまだ余裕があった。
ヴィルヘルム:
「ミゲル、カレースープの追加を頼むか?」
ミゲル:
「いいや。このカレーというヤツは、どんな食べ方も自由なのだろう?」
ヴィルヘルム:
「ああ、もちろんだ」
ライスの横に確保していたのは、カレーに浸してグズグズになったカツだった。優しく火を入れた肉は、スプーンの先でも切れてしまう程に柔らかい。そうしてカツを分割していく。
ミゲル:
「こうして、こうだ!」
カレーがしみたカツと、まっさらなご飯をまとめて頬張る。白米を残しておいたのは、どうやら計算のようだった。
ネイサン:
「なんてことだ!」
ギャン:
「あんな食べ方が!?」
ヒルティー:
「恐るべきセンスだ」ごくり
……日本人的には驚くに値しないのだが、アメイジング!とか周りが騒いでいると、どうにもそわそわしてしまう。
確かに、初めて食べるにしては上手だ。やはり料理のセンスがある人は、食べる方にもセンスが発揮されるってことだろうか。
ヴィルヘルムに続いて、ミゲルも完食する。甲乙付けがたいたべっぷり。きっとカレーも喜んでいることだろう。
ジン:
「ほれよ。これで〆だ」コトリ
グラスが2人の前に提供される。中身はたぶん、ただの水だ。
ヴィルヘルムとミゲルは、ゴクリ、ゴクリとノドを鳴らし、そのままあおって飲みきっていた。
ヴィルヘルム:
「うぅぅぅぅ」
ミゲル:
「おぉぉぉぉ」
目を閉じ、眉間にシワを作って、苦しげなうめき声を放つ2人。
ヴィルヘルム:
「満たされる。……まるで何日か砂漠でさまよっていたかのようだ」
ミゲル:
「ああ。まさに『命の水』だ」
肺腑の底から、焼け付くような息が、深く、長く、長く吐き出される。細胞が生まれ変わって行くかのような、真に素晴らしい呼吸。その呼吸だけで、よほど美味しかったのだと分かる。いや、もう『美味しい』の段階を越えているような……?
ミゲル:
「レイシン、教えてくれ。どうしたらこんな素晴らしい料理が作れる?」
レイシン:
「さぁ? 丁寧に基本通りに。特別なことは、何も」
ジン:
「……言ったろう、パズルだって。『自分のパズル』を上手く解いたってことだ。自分で美味く食ったから、美味いんだ」
英命:
「ふむ。自己最適化ということでしょうか」
セルフサービスというより、セルフ・カスタマイズということか。センスがよければ、その分、自分に適した形で食べることができるというか。
ミゲル:
「ふははははは! ……そうか、鍵は『俺』だったのか。俺が食ったから、こんなに美味いとは! それなら、納得するしかないな!」
これは『食事を楽しむ才能』みたいなものの話になるのかもしれない。たとえばジンはとても美味しそうに食べる。それは出された食事のポテンシャルをより多く、十全に引き出せるから、なのかもしれない。
ラトリ:
「うまかったー。あ、ボクにもお水ちょうだい?」
ギャン:
「ラトリ……」
ギルバート:
「お疲れ……」
ラトリ:
「なに? 美味しかったって。ホント、カツとか絶品だったよ?」
なんともラトリは残念な感じだった。本人は本当に美味しかったと主張しているが、どこかコミカルな感じで笑いを誘われてしまう。そうした姿さえも周囲から愛されているのが伝わってくる。
ミゲル:
「それで、 さっきの話はどうした。 大衆店に入ってからは?」
食後の余韻として、ヴィルヘルムのカレーエピソードの続きになった。
ヴィルヘルム:
「ああ。最初は戸惑った。出された料理は、ドロリとしたスープが掛かった得体の知れないものだったからな。私は素早く周囲を観察した。誰も彼もが同じように、得体の知れない料理を注文し、夢中になって食べているではないか。私は、覚悟を決めたよ」
英命:
「たぶんカレーハウス、いわゆるカレーライスの専門店だったのでしょう」
ジン:
「小汚くても旨いカレーを出す店はいくらでもあるからな」
葵:
『つまり、騙し討ちを食らったってことだね』けっけっけ
ユフィリア:
「あー、葵さんだー」
ローマ側で自分の食事を終えたのか、葵が参加したようだ。
ヴィルヘルム:
「騙した、か。そうかもしれない。一口食べて、そのカラさに驚いた。同時に、これまで味わったことのない複雑で、独特な美味に出会ったことを理解したよ。次第に夢中になり、気が付けば最後まで食べきっていた」
ラトリ:
「確かに美味かった」うんうん
ネイサン:
「まだ言ってる(苦笑)」
ヴィルヘルム:
「本当に素晴らしかった。またあの店に行きたいと頼んだが、忙しかったこともあり、ノラリクラリとかわされてしまった。そうしている内に出張が終わった。帰国する前に、どうにか時間を作ることができた。しかし、連れて行かれたのはあの店ではなかったんだ」
ニキータ:
「がっかりしたんですね?」
ヴィルヘルム:
「そうだ。あの店のカレーをもう一度食べたかった。我慢が期待へ、そして失望へと変わった。しかし、その店のカレーも負けないほどの絶品だった。そのまま、時間に追われるように帰国した。おみやげにもらったのはカレーのインスタント食品だった」
シュウト:
「レトルトですね?」
ヴィルヘルム:
「うむ? ともかく、カレースープが袋に入っているものだ。だがこれは、残念ながらテロを警戒する空港のチェックに引っかかり、持ち帰ることは出来なかった」
葵:
『やっぱ、完全にハメに行ってんじゃん』
とりあえずレトルトは通じなかったらしい。
ヴィルヘルム:
「その後、日本へ行くたび、カレー・ライスを楽しみにしている」
葵:
『カレーが食べたくなるたびに日本に来てる、じゃなくて?』
ヴィルヘルム:
「……それを強く否定することは、できない」
ヘンな人だ。優先順位の付け方がメチャクチャだ。欧州から日本までの移動にかかる手間暇よりも、カレーの方が大事とか、そういう感覚がまっっったく理解できない。
そういう部分に、何か秘密があるのだろうか。少なくとも頭が硬い人物ではなさそうだ。まじめそうなのに、突き抜けてしまっている。
ウヅキ:
「そんな好きなら、自分で作ればいいだろ?」
ヴィルヘルム:
「もちろんだ。レシピを探し、研究していたよ。こちらの世界に来る前だが、そこそこのものを作れるようにはなった。それでも日本の専門店で食べるのは格別なのだ。その国の料理は、その国で食べると何倍も美味しくなることがある。気候や風土、文化といったものの影響は侮れない。 ……それと、最初の店がどうしても忘れられないんだ」
英命:
「では、その最初に食べた店に何度か訪れているのですね?」
ヴィルヘルム:
「いや、あれから一度も行けていない。場所が分からないんだ」
ジン:
「……? その、連れてった日本人はどうした?」
ヴィルヘルム:
「日本人、キンジョウは、数ヶ月後に連絡した時には、すでに退社していた。別れ際、『次に会う時には、日本で一番美味いカレーを食べさせる』と私と約束したのだが、その約束は果たされないままだ」
葵:
『うーん。脱サラしてカレー屋やってそうなパターンだけど』
ジン:
「まさか、物語じゃあるめーし」
シュウト:
「……それじゃあ、探すしかなさそうですね」
ジン:
「だが、カレー激戦区とかだったら見つかるかどうか分からんぞ。周辺に20店舗とか平気であるからな」
ヴィルヘルム:
「……そうなのか?」
葵:
『うーん、潰れて消えたりだのの入れ替わりも激しいしねー。まぁ、店探しの方は現実世界に戻れたら手伝うよ。あたし、そういうの得意だから』
ヴィルヘルム:
「……ありがとう。必ず連絡させてもらう」
葵:
『アハハ。任して!……てか、連絡手段ってどうしよっか?』
電話番号にしろ、メールアドレスにしろ、メモしてもそのメモをゲームの外に持って帰れない可能性が高い。
石丸:
「電話番号でよければ、自分が記憶しておくっス」
シュウト:
「おおー!」
単純に記憶する能力のブレイクスルー能力に感じ入る。何ヶ月か先だろうと、石丸なら覚えておけるはずだ。下手すれば何年かだけれど、それでも大丈夫だろう。
アクア:
「それならフェイスブックを探すより確実ね。……ところで、言葉はどうするつもりなの、葵?」
葵:
「うっ。言葉の壁、厚いな~(苦笑) まぁ、英語だいじょびなら、知り合い連れて行くけど」
ヴィルヘルム:
「もちろん英語で問題ない」
レイシン:
「英語が話せる人って?」
葵:
「ほら〈ホネスティ〉の菜穂美ちゃん。あの子、帰国子女でぺらぺらだから、通訳いけるんよ。ちょうどリアルでも知り合いだし」
最近は〈ホネスティ〉に関して、あまり良くない話を耳にしていた。新規メンバーが増え、他方で元からいた古参メンバーの離脱が相次ぎ、戦闘ギルドとしては名目だけになっているとか。菜穂美は良識派として居残っているものの、執務からは遠ざけられているとか。
ネイサン:
「こりゃあ、明日はカレー・ライスを試して見なくちゃな」
バリー:
「そうだね。美味しそうだった」
ギャン:
「しかし、ミゲルのスペイン料理もいい」
株を上げたスペインと日本の料理が話題になっていた。
ジン:
「……ところで、レイ?」
レイシン:
「なに?」
ジン:
「明日もカレーを出すのか?」
レイシン:
「いや、別のメニューにしようかと」
スイス衛兵隊メンバー:
「「なっ!?」」
疾走する衝撃。そりゃ、カレーだけが日本の料理じゃないから当然の話だけど。
ヴィルヘルム:
「なん、……だって?」
ネイサン:
「ええええ? そりゃまた、一体どうして?」
レイシン:
「え? 飽きられないように、なるべく変えるようにって言われてるし」
ミゲル:
「うむ。言ったな、俺が」
ここでおもむろに追撃を入れる人がいたりする。
英命:
「フフフ。ところで日本の格言にはこうあります。『二日目のカレーは もっと美味しい』、と」
ヴィルヘルム:
「どういうことか、詳しく教えてほしい!」
ミゲル:
「道理だろう。長く煮込んだり、寝かしたりすることで美味くなる料理はいくらでもある」
ジン:
「つか、それのどこが格言だっつー」ケッ
シュウト:
「あははは(苦笑)」
ヴィルヘルム:
「なんてことだ。……すまない、レイシン。少し話し合いたい」
レイシン:
「え? ああ、うん」
レイシンを強引に連れ出し、説得しているヴィルヘルムだった。
スターク:
「こりゃ、明日もカレーだね」
シュウト:
「そうなの?」
スターク:
「ヴィルヘルムの説得能力は、なんていうの? オーバーライド級って
いうか(苦笑)」
リディア:
「あそこまでカレーにこだわるとか、意味わかんない」
葵:
『でも、良い交渉材料じゃん。カレーをチラつかせればいいんだし』
スターク:
「あははは(苦笑) ……それ、本気で通りそうで怖いな(困)」
ウヅキ:
「ところでセンセー、アンタにしちゃ珍しいのな?」
英命:
「そうですか?」
ケイトリン:
「意地が、悪い」
英命:
「実のところ、私にも少しばかり据えかねるものがありましたので」にっこり
その笑顔が怖い。なんだか決裂しそう。今回のレイド、本当に大丈夫なのだうか……。
ユフィリア:
「みんな、仲良くしよっ。ご飯は楽しく食べた方が美味しいんだよ?」
なんというリーダーシップ。……かと思えば、切り返して混ぜっ返しにかかるジンだった。なんという大人げのなさ(苦笑)
ジン:
「俺の一品を奪いに来なきゃ、もっと楽しめるんですが?」
ユフィリア:
「ジンさんはいいの!」
ジン:
「なんだそりゃ? まさか、毎回、来る気か?」
ユフィリア:
「うん!」
ジン:
「『うん!』じゃねーよ!」
ユフィリア:
「いいでしょ、ひとくちぐらい。わたし、味見する係だし」
ジン:
「そんな係、誰が決めた!?」
葵:
『あたしだ!』
シュウト:
「いつの間に!?」
そんな会話に興じている間に交渉が終了し、明日・明後日もカレーライスが振る舞われることに決まった。戻ってきたレイシンによると、毎日カレーを提供するように頼まれたのだが、カレーライスだけが日本食ではないと断ったところ、妥協案で成立したという。
リディア:
「毎日って、どんだけカレー好きなの!?」
葵:
『大きく提示して、小さく妥協して話を纏める交渉テクでしょ~』
レイシン:
「……本気っぽかったけどなぁ」はっはっは
ジン:
「おいおい(苦笑) お前らはカレーだけ作ってろなんて、死にたいとしか思えない発言だぞ」
スターク:
「いやいや、絶対、ただ好きなだけだから。ホント勘弁してよ~」
ジン:
「チッ。ともかく、だ。真の問題は明日もトンカツなら、俺もそっちいくべきかどうかだ」ぬぅ
どこが真の問題なのかわからないけれど、重要な問題であることは間違いない。(えっ?)
レイシン:
「あ、明日はトッピングとか変えるよ。豚肉ダメな人もいるし」
ジン:
「マジで?」
英命:
「宗教上の理由、ですね?」
レイシン:
「そうなんだ。厳密に現実世界と同じとは言えないから、包丁やまな板までは分けなくていいって言われてるけど」
ジン:
「ハラル認証ってヤツか。そこはゆるめみたいだな」
レイシン:
「作業スペースはそんな広くとれないから、助かってる。豚肉とお酒だけ気を付けてくれって。今回カレーに豚肉は使っていないから……」
葵:
『明日は、チキン or ビーフ!だね』
ジン:
「どっちにしろ、悩ましいんだよな」
レイシン:
「はっはっは」
確かに悩ましい問題だ。でも僕はスペイン料理に決めた。カレーは明後日食べることにするので全てオーケーである。
リコ:
「食のタブー、ですね」
英命:
「ええ。たとえば牛肉は牛を神聖視するインド周辺のヒンドゥー教ではタブーですね。イスラム教では豚肉と酒のタブーが有名です。厳密には他の肉食にもルールがありますが、都市部ではゆるい扱いになっている所もあるようですね。
ちなみに、豚肉をよく使うのは中華料理ですね。それと、スペインも」
石丸:
「スペインはレコンキスタの影響っスね」
ジン:
「Gレコか」
シュウト:
「えと、続きをお願いします」
たぶんくだらない話なので、先を促しておく。
英命:
「スペインはローマ帝国の属領だったのですが、5世紀にはゴート族の国家が成立し、8世紀にはイスラム教徒のムーア人が支配しました。13世紀以降、レコンキスタと呼ばれる国土回復運動が始まり、15世紀にスペイン王国を形成します」
ジン:
「イスラム教徒に支配されていたわけか」
英命:
「ええ。その後、豚肉を使うように奨励したのです。それが今日のスペイン料理にまで影響しているのですね。たとえば先程の料理のように」
ユフィリア:
「豚肉と、お酒だったよね」
ソロミージョ・アル・ウィスキー。美味しかった。また食べたい。もっと食べたい。
タクト:
「食のタブーでイスラム教徒を狙い撃ちって」
シュウト:
「けっこうエグいやり方ですね」
葵:
『スペインってそんな波瀾万丈だったんだ? イメージだと無敵艦隊と太陽の沈まぬ国って感じだけど』
英命:
「16世紀にスペイン国王カルロス1世が神聖ローマ皇帝を兼任し、欧州最強の国家になります。アメリカ大陸、当時栄えていたのは南米だけでしたので、南米に植民地を作ります。このころが『沈まぬ太陽の国』ですね。無敵艦隊がイギリスに敗北し、だんだんと沈んでいくのですが、トドメは19世紀のナポレオンによるスペイン侵攻でしょう。本国の混乱に乗じて南米の植民地は失われ、国力が衰退します。その後、ごく最近まで独裁政権の国ですね」
南米というと、知り合いはエリオぐらいのものだ。いや、エリオを知ってるだけでも凄く偶然というか。
シュウト:
「えっとー、無敵艦隊ってなんで負けたんですか?」
石丸:
「悪天候と戦略ミスと言われているっス。無敵艦隊の司令官、メディナ・シドニア公は前任者の死後、土壇場で就任していたため、経験不足だったとか」
英命:
「ここでスペインが勝っていた場合、イギリスの産業革命の行方は怪しくなりますね。無敵艦隊に偶然にも勝ってしまったことで、英国は大西洋貿易や植民地化で強い影響力を手にします。そうして王と関係のない大商人達が生まれました。1世紀の後、清教徒革命・名誉革命でこうした大商人たちが王と対立し、決定的な役割を演じることになります。もし無敵艦隊に負けていたら、世界は数世紀か、それ以上に停滞していた可能性もあるかと」にっこり
ジン:
「……言いたくはないが、歴史の必然とか言いたくなるな」
葵:
『何が正しいかなんて、未来からでもわからんでしょ』
アクア:
「その時々で、自分が正しいと思うことをする以外に、やりようなんてないじゃない。ましてや、私たちはレオンを引きずり落として、白の聖女を立てたのだから」
ジン:
「じゃー、まー、はい。後はがんばってください」ぺこり
葵:
『とりま、ジンぷーとシュウくんは逃げたらダメだね』
シュウト:
「僕もですか!?」
そうして夕食は終わり、会議に呼び出されることになるのだった。