185 キャンプ設営
シュウト:
「どこか行くの?」
集団から離れようとした時、シュウトに声を掛けられて立ち止まる。
ニキータ:
「ジンさんの様子を見てくる。……無理して、寝てると思うから」
レベルブーストだけでもかなりの無茶だ。加えて〈竜破斬〉の回転速度まで上げている。250付近で維持して戦闘を続けるのは流石に負荷が大きかっただろう。しかし〈スイス衛兵隊〉の前では、疲れ果てて寝ている姿を見せる訳にもいかない。強がりというよりも全体の士気の問題だと分かる。
世界最高水準のレイドメンバーを揃えておいて、ゾーンに入った途端、1体のレイドボス相手になすすべなく全滅。それが『本来むかえるべき結末』だ。それをたった1人で強引に阻止してのけた。敵が退却してくれた幸運もあったが、死者はゼロ。あのレイドボスにしても、工夫をすればなんとか戦えなくもない。……そんな印象が残ったはずだ。
いっそ、全滅した方がよかったかもしれない。それか、半分ぐらい死んでいれば正しく現実を理解できたはずだ。ジンや私たちに向けられる視線を思えば、一度死ねばよかったのに、と思ってしまう。バカは死んでも治らないが、この世界なら復活はできる。
シュウト:
「そう、だよね。……どこで寝てるんだろ?」
ユフィリア:
「じゃあ、私もいってこよっと」
ジンの移動した方向は見ていたし、足跡も残っていた。
薄く積もった雪の上をサクサクと歩いて進むと、人工物が見えてきた。神殿のような建物は、どうやら外と行き来するためのゲートらしい。
外から入ってきた時は、このゲートから離された場所に送られていたようだ。意図的なものだろう。たぶん最初に『イベント戦闘』をさせるための仕掛け、といったもののはずだ。
さらに近づくとゾーン情報が変化し、戦闘行為禁止に切り替わる。そこそこの広さのセーフティーゾーンのようだ。もしかすると蘇生ポイントも、このエリアかもしれない。
ユフィリア:
「いた、あそこ」
ニキータ:
「やっぱり寝てる」
建物のすぐ脇、雪のない石畳に鎧姿のまま横たわって寝ていた。起こさないように近づいていく。ユフィリアはそばに座ると、オデコに触れていた。
ユフィリア:
「お熱は、……ないみたい」
ニキータ:
「なら、仮眠ぐらいで済んだのかも」
心配していた訳ではないが、少しばかり安堵していた。
ユフィリアとは反対の側に座り、鎧の上から胸に手を当てる。力の渦に手を突っ込んでいる気分だった。手を引っ込めそうになり、意思の力で止めた。引き裂かれることはないと分かっていても、恐ろしい気がしてしまう。
ユフィリア:
「……?」
ユフィリアが不思議そうな目で見ていたが、心配ないと目で合図を送る。そのまま目的を果たしてしまうことにする。ハーモニティアの更新だ。レベル250のレイドボスと戦った直後の『高水準の意識』などそうそうあるものではない。戦力的な意味でもここでコピーしておきたい。だいたい起きていたら「ハグぐらいさせろ」と言われるに決まっている。だから寝ている間に済ませたかったこともあった。少し、いたずらっぽい気分。
ただ、更新なんて出来るのか出来ないのか、それが上書き再登録になるのか、別登録になるのかも分かっていなかったりする。
時間経過と共に、手からだんだんと全身へエネルギーがチャージされていく感覚があった。これは初めてだ。
ユフィリア:
「どう?」
ニキータ:
「……うまくいった、かな?」
発動させてみればいいのだが、ジンを起こしかねない。後にしようと思う。集中していたので気付くのが遅れた。人の気配。歩いてくる誰かの方に顔を向ける。
ヴィオラートだった。供もつけずに歩いて来ていた。私たちの後を追ってきたのか。危険だろうと諫めようかと思ったが、危険度ではこちらもそう大差がない気がして、やめた。お互い、もうセーフティーゾーンに入っているのだから、問題は終わっている。
ヴィオラート:
「あの、大丈夫、でしょうか?」
ユフィリア:
「うん。寝てるだけ」にっこり
ヴィオラート:
「あの……」
何か話がしたい様子なので、こちらから提案することに。
ニキータ:
「少し、場所を変えましょうか。起こしてしまうものね」
ヴィオラート:
「はい」こくり
ゲートを挟んだ反対側へ。距離的にはジンから20mと離れていないが、会話するぐらいならここでいいだろう。
話しにくそうにしていたので、呼び水として声を掛けることにする。
ニキータ:
「それで、どうしたの?」
ヴィオラート:
「いえ。……心配したら、また、怒られちゃうのかなって」
ニキータ:
「ああ、そういう?」
少し意外な反応かもしれない。怒られたことでジンを嫌いになったのかと思ったら、なんだろう、慎重になっていただけのようだ。
ヴィオラート:
「それで、あの、私、嫌われてしまったのでしょうか?」
ニキータ:
「……え?」
ユフィリア:
「うーうん。そんなことないと思うよ」
ヴィオラートの顔に桜色が浮かぶ。純粋さ、真剣み、恥ずかしさのハイブリッド。どうやら、ジンに怒られたことで、逆に重症化したらしい。 ……これは、どうするのだろう? とりあえず、どうしようと考える。いや、何ができるという訳でもないのだ。意外に慌てている自分を自覚する。
ユフィリア:
「ジンさんは、普段からいじわるなんだよ。だから大丈夫」にっこー
ヴィオラート:
「はぁ……?」
何が大丈夫なのかわからないが、流石にそれは『いじわる』と言いたいだけだろう。なんだか面倒になってきた。このままなのもアレなので、とりあえず誤解だけでも解いておこうかという気持ちになった。
ニキータ:
「あのね? ジンさんにも立場があって、『最強の戦士の役』をやっている時は、人前でむやみに心配されると困ってしまうの。それは貴方も同じでしょう。聖女、な訳だから。立場を考えてもらわないと困るってこと、色々あるんでしょう?」
ヴィオラート:
「ああ。 そうかぁ、そうなんですね? そうですよね……」
しまった。違う。この子はそんなことは分かっている。 ヴィオラートは、実に嬉しそうに、ほころぶように微笑んだ。甘くてとろける蜜をもった、清らかな花に吸い寄せられるようだった。
ニキータ:
(あなたは、味方が欲しい、のね……?)
完全に勘だけ。サインも予兆も何もない。でも直感的がそう囁いた。
天然か、演技かの区別がまったく付かない。これが演技だとしたらまったく恐ろしい。しかし、天然だなんてことがありえるだろうか。天然だったりしたらもっと恐ろしい気がする。
まるでヴィオラートの本体が宇宙の高いところにいて、現在のヴィオラートを、それと気付かないように操っているかのようだ。少し先の未来で予定調和的に巧く行くように振る舞わせている、みたいに。
ニキータ:
(んー、これってジンさんのよね(苦笑))
思考や気付き方、発想、視点が自分のものとかけ離れている。ヴィオラートに宇宙を感じた、だなんて、どこをつついても『私』からは出てこないものだ。
いったん落ち着こう。こんなものは、よくある恋愛闘争だ。ジンとユフィリアが親密そうだから、探りを入れたり、決定的な状況になる前に、揺さぶったり、彼女の友人である私なんかを味方に引き込んだりしたい、などの、ありふれた話のはずだ。
私はユフィリアの味方だ。しかしそれはジンとユフィリアがくっつくようにする、という意味ではない。ただユフィリアの味方をする、という意味なのだ。自分はほぼ諦めの心境なのでどうこうは無いが、ユフィリアがジンとくっつきたいと願うのならば、それではじめて応援する立場になるだけ。ユフィリアが望まないのであれば、ヴィオラートを応援しても構わないような気もする。
ニキータ:
(……構わない、のかしら?)
その場合、ジンはセブンヒルに行くのだろう。それは、シュウトが可哀想かもしれなかった。シュウトもセブンヒルに行くとなったら、ギルドは分裂する。いっそ、みんなでセブンヒルに引っ越す? ……その場合、アキバにいる友達とユフィリアは会えなくなる。ついでに言えば、その人たちは私の友人でもある。ジンがセブンヒルに行くからって、なんで私まで西欧サーバーで暮らさなければならないのだろうか?
ニキータ:
(なんだかジンさんみたいな結論の出し方だけど……)
ちょっと自分の方向性というか、覚悟が定まった気がする。
ユフィリア:
「どうしたの?」
ニキータ:
「いいえ。なんでもないわ」
ヴィオラート:
「……? ニキータさんって、格好良いですよね?」
ユフィリア:
「そうなんだよ。ニナはね?……」
◆
ヴィルヘルム達は、簡易テントを設営し、スタークとネイサンを加えて会議中だった。
ラトリ:
「参ったね。第1レイドはメンバー組み直した方がいいかな?」
ネイサン:
「僕が第1レイドに行くよ。だからスタナにチャンスをあげて欲しい。フォローは任せて」
ギヴァ:
「そういう問題ではない」
スターク:
「……そうなの?」
ヴィルヘルムはこちらを見上げて声を出していた。まさかね……
ヴィルヘルム:
「アオイ、見ているだろうか? 居たら返事をしてほしい」
アオイ:
『あららーん。バレちったか』
声を出さない限りバレる要素はない。完全に予測されたのだろう。なかなか厄介な相手だ。評価を少し上げる。
ラトリ:
「いたんだ? ちょ~っと、意見を聞かせてもらえないかな~?」
葵:
『ん~、いいけど、全滅確定なのをひっくり返したジンぷーを、ロクにねぎらいもせんと、突っかかって行った件? それだったら、さっすが〈スイス衛兵隊〉だよねぇ。 感じ悪いったらないわ~』
スターク:
「あの、ごめん……」
ギヴァ:
「心から謝罪する」
ヴィルヘルム:
「本当に申し訳ない」
ラトリ:
「すいませんでした」
この程度のイヤミは言わせて貰わないとねー。カタキはとったぞ、ジンぷー、……とか思ったりして。
でも実際には、このクラスの人間は密室・クローズドな環境だったらむしろ簡単に謝れる。なかなか謝らない風に感じるのは、自分が謝ることが政治的な意味をもってしまうからだろう。
謝って済むなら、完全に安上がり。謝罪や金銭で『真の価値』は得られない。それを彼らは知っている。
ネイサン:
「スタナは、本当に悪い子じゃないんだ」
葵:
『悪い子じゃないかもしんないけど、計算通りになっちゃったね』
スターク:
「んっと、どういうこと?」
葵:
『あたしが説明すんのでいいの?』
ラトリ:
「どうぞ」
葵:
『これ、よくある指揮権の問題でしょ。ジンぷーは強すぎた。このままだと指揮系統に混乱を招くことになる。ジンぷーか、ヴィルヘルムかハッキリさせないといけない、ってヤツ』
スターク:
「そんなの、ヴィルヘルムじゃないとマズいでしょ?」
ラトリ:
「それをギルマスが言っちゃうのはどうなの?って話ですけどね~」
スターク:
「フォローありがと。でもボクには無理だよ。今回はヴィルヘルムじゃないと。ジンだってそんなこと分かってるでしょ?」
葵:
『そ。ジンぷーも分かってた。でもスタナって子はどうだろう。危機感を持ったんだろうね。だから、ジンぷーが大活躍して株を上げた途端に攻撃を仕掛けた』
ネイサン:
「そう思うと、なかなか根性あるよね、彼女?」
ギヴァ:
「そういう問題ではない」
葵:
『スタナがジンぷーをやりこめても、逆にジンぷーが彼女を撃退しても、結局はジンぷーの株は下がる。意図的かどうかはしらないけど、結局は彼女の望んだ展開だーね』
ヴィルヘルム:
「ジン君は、スタナを撃退するしかなかった。それは正しい。なぜなら、我々が欲したのはただの〈守護戦士〉ではなく、世界最強の〈守護戦士〉だからだ」
同意で深く頷く。竜眼の水晶球の中で、だけど。
スターク:
「でも、みんなスタナに同情的だよね?」
ネイサン:
「あれ? ……もしかして、やっちゃった?」
葵:
『誰かさんのせいで、〈カトレヤ〉vs〈スイス衛兵隊〉の構図になっちゃったかもねー。別に喧嘩してなかったのにねー?』
ラトリ:
「ねー?」
ネイサン:
「うっそ、マジ? マジで言ってるの?」
ギヴァ:
「冗談ではすまない。2人の口論なら、言い過ぎがあっても、その場の話で終わったはず。それが、どちらの味方をするか?となれば、仲間の味方をするに決まっている」
ラトリ:
「止めるべきだと分かってても、止めちゃうと別の問題になるかもでしょー、せっかく傍観決め込んでたのにさー?」
ネイサン:
「うっそでしょー? なんで早く言ってくんないの?」
あそこでヴィルヘルム達がスタナを止めていたら、彼女の『正しさ』が燃え上がったかもしれない。言論封殺はあまり良い手ではない。
だがスタナはヴィルヘルムに泣きついている。あのポーズを突き放すしかなかったわけで、結局、どちらにしても悪手だったかもしれない。
ラトリ:
「ここはジンに泣いてもらう? 大人ってことで、なんとかひとつ……」
ギヴァ:
「恥の上塗りをする気か」
スターク:
「ボク、謝ってこようか? いちおうギルマスだし」
ヴィルヘルム:
「それには及びません。……努力が正当な形で認められないのであれば、組織の健全さを保つことは難しくなるでしょう。それは長期的に見て大きなマイナスです。ここで禍根を残すべきではない」
ラトリ:
「ああ~、旦那の言うとおりだと思うけど。じゃあ、どうする?」
ヴィルヘルム:
「だからだ。……我々を助けに来てくれたのだろう、アオイ?」
うーん、底知れねー。おっかねーや(笑)
葵:
『ま、ね。……食べ物で手ぇ打ったげる。ジンぷーに1品プラスするのでいいよ』
ギヴァ:
「む?」
ネイサン:
「なんだって?」
スターク:
「話が突然、安っぽくなったんだけど?」
ヴィルヘルム:
「わかった。それでいいのなら」
ラトリ:
「ちょ、ちょ、ちょ。先に理由を聞かせてくれる?」
葵:
『ここから発生する最悪の展開は、料理担当がスタナの味方をして、ジンぷーの料理を減らしたり、マズく作ったりすることなんだよ』
ラトリ:
「まさか、いくらなんでもそんな学生みたいなこと……」
葵:
『んー、ラトリっち失格。指揮官としては落第だね。向いてないかも?』
ラトリ:
「えーっ? その採点、辛くない?」
ギヴァ:
「いや、気をつけないと十分に起こりうる。これは料理人に限った話ではない。後ろからわざとぶつかったりは誰にでもできる」
ヴィルヘルム:
「ああ。レイド中に悪ふざけはしないだろう。すると接点は休憩時間に限られる。そして必ず接触することになるのが食事時間帯だ」
ネイサン:
「そこを狙うのが必然なわけか。それで続きは? 料理でふざけると、どうなる?」
葵:
『決まってるじゃん。メシもまともに出せないギルドなんかゴミだし。レイドなんか知ったことかってなって、完全に決裂でしょ。二度と関わらないって決めて、さようなら。説得も修復も不可能だかんね。日本人というか、ジンぷーがメシ関連でキレたらお終いだよ。……先に言っとくけど、食い意地の話なんかじゃないゼ。ちゃんとしたご飯を出す・出さないってのは、相手を人間として認めるかどうか、お互いが“人間かどうか”の話なんだから』
相手を信じるから、出された食事を食べられる。作り手は毒だろうとゴミだろうと入れられる立場だもん。相手が人間に満たないのであれば、見切りを付ける。当然でしょうに。
ヴィルヘルム:
「深く心に刻もう」
ギヴァ:
「細心の注意を払うと誓う」
まー、この2人なら信じてもいっかなー。ラトリっちは約束しようにも言葉がちょっと軽いもんね。トップクラスのエリートなんだろうけど。
葵:
『だから、その逆をやればいい。ちゃんとご飯を出すこと。それからジンぷーに1品付けること。謝罪なしでおっけー』
ネイサン:
「それで本当に丸く収まるのか?」
葵:
『ジンぷーの功績を認めるにしても、落とし所の問題があるっしょ。幻想級装備を渡すなんて確約を与えたら、確実に不満が出るやね。撃退はしても、倒した訳じゃないんだし。……それに、オーバーライド使える連中はズルいって話になりかねない』
その辺りの話題はまだ先に延ばしたいはず。考慮に入ってるよん。
スターク:
「ジンだと幻想級いらないとか言いそうだよね。でも、料理一品は安すぎじゃない?」
ラトリ:
「逆にそれか。ヴィルヘルムが報酬を『渋った』ってことにできる」
葵:
『そ。ジンぷーを上げすぎれば、スタナちゃんが下がる。周りは料理ぐらいなら、まぁいいかと思う。料理ならジンぷーも喜ぶ』
ネイサン:
「完璧じゃないか」
ホントは食事内容の不平等は揉める原因なんだけどね。
それに誰にどんな言い方をするか、伝えるのか、考えさせるのかといった微妙なニュアンスも重要。その程度はこなせる頭がないと話にならないんだけど。
葵:
『あとは、会議する時にジンぷーは呼ばないで、代わりにシュウくん誘うようにすればいいと思うよ』
ギヴァ:
「レオンを呼んで、ジンは呼ばないということだな?」
葵:
『そうそう。意外と誰が呼ばれたかとか周りは見てるからね。〈カトレヤ〉が無視されてると思われるのはマイナス。だからシュウくんなわけ。あたしも出席するけど、外からは居るか居ないか見えないからねー』
ヴィルヘルム:
「了解した」
葵:
『それとあと……おっ? おっ? 何? 何だ?』
スターク:
「葵? どうしたの?」
葵:
『勝手に動いてるんですけどー? あ、そっか! ユフィちゃんが移動してんのかー。あー、これムリ。あとよろぴくぴく~……』
ネイサン:
「えっと、いってらっしゃーい」
◆
目覚めたらしきジンから念話だった。
ジン:
『シュウトか? いま、どうなってる?』
シュウト:
「すぐに行きます」
同じセーフティーゾーン内に居るので距離的には近い。
隠れて寝ていたつもりだったかも知れないが、結局はかなり目立つ位置で寝たことになってしまっていた。『暇だからってぐっすり寝やがって』というのが大体の評価だろう。
シュウト:
「お疲れさまです。……体は、大丈夫ですか?」
ジン:
「んー、問題ない。んでどうなってる?」
シュウト:
「ええと、キャンプを設営中です。かなりの規模でやってますね。ここがゲートで、その周辺がセーフティーゾーンでした。僕らのテントもこの裏にあります。それと周辺の調査も始まってます」
ジン:
「続けてくれ」
外のモルドベアヌ側はセーフティーゾーンではないし、天候的にも不安定。なので、こちらのゾーン内にキャンプを設置することで決まった。〈スイス衛兵隊〉はメンバーを交代で中に入れて、資材・物資の搬入をやっていた。特に驚いたのは簡易トイレの組立てだ。これには女子メンバーも大喜びである。
(実は日本人には『おまる』という最終兵器があり、……ここでは割愛)
特殊家具による水場の設置もしていた。これはコンパクトな手押しポンプのようなものだった。レバーをシュコシュコと押し込むと、井戸を掘ってもいないのに水がでるという代物である。こうした手押しポンプは真空や圧力を利用するものなので、先に『呼び水』を入れる必要があるらしいのだが、これは呼び水の要らないタイプとのこと。
噴水に比べたら手間は掛かるものの、持ち運び等では便利そうだ。
そうした作業を2時間ほど続けているものの、フィールド内の時間経過は確認できなかった。月明かりが強くて、星の見えない世界。便宜上、月の方角を北と定めることで決まった。
ジン:
「このゾーンの敵は? どこにいる?」
シュウト:
「敵というか、ダンジョンがたくさんあるみたい、でして(苦笑)」
ジン:
「ダンジョン……? 天塔みたくデカイ塔がドーンとかじゃなくて?」
シュウト:
「はい。メモを貰ってますので、ちょっと待ってください」がさごそ
まずは〈満月城〉。これは便宜的に北と定めた方角に発見した。ここが最終的な攻略ポイントだと思われる。反対の南側には〈ヘリオドロモスの塔〉が見つかっている。舌を噛みそうな名前だけれど、太陽関連の塔らしい。満月をどうにかするには、この塔をどうにかしないといけない感じだ。
シュウト:
「その他に判明しているのが、〈ミリス火山洞穴〉。かなり広いらしいです。あと〈獅子の空中庭園〉、高いところにあるそうです。最後が〈パテル大墳墓〉。いま見つかっているのはこのぐらいです」
ジン:
「最後のはアンデッドの巣窟だな」
シュウト:
「ですね……。あ、あと透明度の高い湖みたいなのがあるらしくて。その中にも建物がありそうだとか」
ジン:
「火山だの、塔だの、もうオナカいっぱいだろ」
シュウト:
「いえ、葵さんはもう1~2箇所あるだろうって予想してましたけど」
ジン:
「根拠は?」
シュウト:
「地形の配置具合から、とかなんとか……」
どう考えても東に偏っているので、絶対にあるとか。調査の続報が待たれるところだ。
ジン:
「あー、逆にゲーム的な訳か。こりゃ正月にゃ間にあわねーな~」
シュウト:
「といいますと?」
ジン:
「ゲームイベントとして、2~5時間かかるレイドを複数用意してあったってことだろ? 5個とか6個とか」
実際のゲームの場合、多人数を数時間拘束することになるため、ダンジョンの規模にも限界がある。そのため、だいたい2~5時間程度が目安とされていた。細かな攻略単位を突破していくのはセオリーみたいになっている。たとえばレイドボス1体倒すところまで、といった具合だ。
今回の場合、それがダンジョンの数だろうとを言いたいのだろう。
シュウト:
「1日1つクリアしても、6~7日掛かりますね……」
1日1つクリアだとか、希望的観測が過ぎる話だけど、そのぐらいの日数で勘弁してもらいたい。
ジン:
「ハラへったな。てか、何時なんだ?」
シュウト:
「さぁ? そういうのも〈スイス衛兵隊〉にお任せになっちゃってます」
時計は一応もっている。ただ、今はあわせるべき時刻がわからない。外の世界は夕方のはずだ。
ジン:
「このままずっと昼にならねーんだろ? じゃあずっと晩飯か~」
シュウト:
「アハハ(苦笑) まだゾーンに入っただけなのに、どんどん時間が過ぎていきますね」
さっさとダンジョンに行きたいのだが、彼らの手順に合わせるとこうなってしまう。しかし削れる時間、無駄な時間があるのかといえば、これがないのだ。少人数で動いていることが、いかに身軽なのかが分かる。
攻略を急ぎたい。食後の会議になぜだか指名で呼ばれていた。どのダンジョンから攻略するか意見を求められるのだろう。つまり、突入はその後になりそうだった。
シュウト:
「あの、ジンさん?」
ジン:
「あんだよ?」
シュウト:
「どのダンジョンから攻略すればいいと思いますか?」
ジン:
「どうせ全部やんだろ? かたっぱしからでいいんじゃねーか」
シュウト:
「……はい」
少しでも有利なダンジョンからやりたいと思っての質問だった。しかし、それは『小さなこと』だった。
レギオンレイドでは、装備品を入手しても数が行き渡らないだろう。つまり装備品による強化はほとんど見込みがない。現状の装備でもって、すべてのダンジョンを踏破するつもりでいなければならない。
ジンのお陰で、ほんの少しだけ覚悟が芽生えた気がした。
◆
ロッセラ:
「ミゲルさん、料理班集まってくれって~」
ミゲル:
「わかった、今いく」
キリのいい所で手を止め、続きをアシスタントに任せるべく指示を出す。見るとロッセラがまだ待っていた。急かすように手招きしている。あのナポリ女は頭こそ悪いが、料理の腕は上等、腰は細く、胸はデカい。実にイイ女だ。
呼ばれた先で待っていたのはラトリだった。こいつはまだ若造だが、すこぶる切れる。ナマクラを演じようとするのが鼻に付くが、そのぐらいでいい。
ヴィルヘルムやギヴァが来なかったということは、少し面倒な指示を出すつもりだろう。ラトリはそういう指示出しを敢えて引き受けるところがある。汚れ役は参謀がやるべきだ、とか、そういう洒落臭いことを考える。そういう歳なのだ。
ミゲル:
「遅くなったな、何の用だ?」
他の料理班の長が先に集まっていた。新顔のレイシンは居ないが、これは呼ばれなかったのだろう。
ラトリ:
「用件は単純。今回、メインタンクをやってくれるジンに、追加で一品、料理を作ってもらいたいんだよね~」
ジュディス:
「いいですよ。……あー、終わるまで、ずっと?」
フランス女のジュディスは物憂げな表情がセクシーだと勘違いしているタイプだ。やる気があるのか無いのか分からない。笑顔になったら負けだと信じている陰気なタチの女だ。しかし料理の腕は褒めてやろう。若さに似合わず、きちんと腕を磨いている。
ラトリ:
「レイドが終わるまで、ずっと。持ち回りとかで頼めるかな?」
ロッセラ:
「それって、3食全部?」
ラトリ:
「あー、1日1回でいいのかな? どうしよっか」
ミゲル:
「一品追加するだけだろう? 3食付けてやればいい」
ケチくさい考えは却下するべきだろう。やるならキチンとやる。
バジーリオ:
「……形の上だけでも、スタナの味方をしなくていいのか?」
バジーリオはミラノの出身だ。ミラノは都会で、都会人はクールだとか思っているようだが、基本的にただの根暗野郎だ。しかし、どうして頭は悪くない。料理の腕は、まぁ、合格ってところか。
ロッセラ:
「形の上だけなら、仲良くしなきゃ」
ミゲル:
「ロッセラが正しい。確認だが、いいのか? 料理で差を付けると不満が出るぞ」
ラトリ:
「そうなんだけどねぇ~。我ら〈スイス衛兵隊〉は、ジンに敬意を示す。……スタナのことでは『ちょっと』揉めたけど、全滅の危機から救ってくれたのは事実だからね」
口調も態度も正し、これが正式な指示だと理解させてきた。
だが、わざわざ料理で敬意を示す必要があるのか?と考えて、逆だと気が付く。報酬の増額ではなく、料理で手を打つつもりだ。
そこまで考えて、ふと気が付く。〈カトレヤ〉側と通じてなくて、こんな手を打てばどうなる。相手をバカにしたことになるのではないか? ウチの連中が、特にヴィルヘルムがそんなことをする訳がない。つまり、裏で話は付いているのだろう。茶番は茶番だが、良い茶番かどうかが問題だ。
ロッセラ:
「でもカレ、ちょっと協調性足りなくない?」
ミゲル:
「どうした、文句でもあるのか?」
ロッセラ:
「文句っていうか、……ジンって、ちょっと見てない間に消えちゃうんだよね。スタナもすごく慌ててた。見てて可哀想だったよ」
バジーリオ:
「第1レイド部隊からは、そんな風に見えていたのか……」
ラトリ:
「なぁるほどねぇ~」
ジュディス:
「でも、見失うのが悪い」
ロッセラ:
「まぁ、そうかもだね。んー、なんか、レイド巧い人の評価が高いって感じ?」
つまり、ロッセラと仲の良いオディアが言ったのだろう。アレは腕のいい〈アサシン〉だ。笑えばもっと良くなる。
ロッセラは文句を言い足りない顔をしていた。〈スイス衛兵隊〉としてのプライドがあって、あまり言い訳したくないのだろう。この調子だと、スタナの味方をする人間がそれなりの人数になりそうだ。
ミゲル:
「スタナの件と、料理は別だ。食べさせて恥ずかしいものは出さない」
ラトリ:
「ホント、大事な所なんで……よろしくお願いします」
その丁寧な態度で、念押しにヴィルヘルムかギヴァが来るのが分かった。最重要案件の扱い。つまり、レイドの成否がここで決まると思っている。間違いない。
確かに〈白の聖女〉が出征した手前、絶対に今度のレイドは成功させる必要がある。ただ、そんな打算や欲得の話ではないはずだ。
単純に、あの新しい友人達を失うことを恐れているのだ。尊敬を欠く態度、ちょっとした行き違い、思いやりのなさ。……そんなもので簡単に人の心は離れてしまう。ナイーブ過ぎる話だが、実際にはそれがすべてだ。
ギルマスが呼んだ友人が失望して帰ってしまうこと。思い付く中でも最悪の結末だろう。
ロッセラ:
「えっとー、順番どうします?」
ジュディス:
「あたしやりますよ」
ミゲル:
「……いや。悪いが今夜は俺が作る」
ジュディス:
「あっ、はい。どうぞ」
絶対目標はクエストの達成ではなく、『レイドそのものを成功させる』こと。〈スイス衛兵隊〉が愚図の集まりではないところを見せてやろう。それも、さりげなく、だ。