183 モルドベアヌ
愉快そうに笑うジン。その後方、少し離れた場所に瞬間移動したベアトリクスを発見した。ジンにダメージはない。受け流したのか、それとも回避したのかは分からなかった。
シュウト:
「今の、どうなったんですか?」
葵:
『ダメ。まるで見えなかった』
石丸:
「ジンさんが相手の攻撃を、自分の武器で逸らしていたっス」
ユフィリア:
「うん、うん」
石丸・ユフィリアの2人には見えたらしい。どういう眼をしてるんだろう?と本気で思う。
ユフィリア:
「ジンさん、なんで笑ってるのかな?」
葵:
『ついに壊れたんじゃね?』
レイシン:
「はっはっは」
そんな馬鹿な、とは思ったけれど、冗談のはずなのでスルーしておく。
ニキータ:
「……あの感じだと、目では全く見えなかったんだと思います」
いまジンのことが一番分かるのはニキータだろう。その予想は当たっていると思う。見えなさ過ぎて大爆笑。……素晴らしく『しっくり』とくる。きっとそんな感じだろう。
ラトリ:
「ちょちょちょ、まったく見えてないのに、今のを防いだってこと?」
ニキータ:
「はい。見てからじゃ反応は間に合いません。気や意識の感知、細胞反応系、超反射です。だいたいミニマップも間に合わなかったハズですし。ジンさんは運動ベクトル自体を感じられるようなので。複合感知能力ですね」
ラトリ:
「……君ら、普段いったいどんな練習してるの?」
ユフィリア:
「ゆるとか?」
シュウト:
「呼吸法とか?」
ヴィルヘルム:
「なるほど」
ひとしきり笑って満足したのか、いい笑顔で振り向くジン。
ジン:
「いいね! さ、ドンドンいこうか!」
ベアトリクス:
「その余裕、すぐに消し去ってみせよう」
上機嫌で攻撃を催促するジン。
ジンの周囲をぐるぐると回りはじめるベアトリクス。ライトニングステップと遜色のないスピードに到達する。あまりの素早さに、彼女の姿・形が歪んで見える。その状態で何度も仕掛けているのだが、ジンはほとんど防御できているらしく、かすめた程度のダメージしか増えていない。
ヴィオラート:
「これは、どちらが優勢なのでしょう?」
ユフィリア:
「ジンさんだよ。まだ金色のドラゴン出てないし」
ヴィオラート:
「金の、ドラゴン???」
ベアトリクスも埒が明かないと思ったのだろう。近接し、ショートステップで斬撃を叩きつける。だがハンドスピードはそれほどでもなさそうで、余裕綽々のジンは笑いながら捌いている。
戦闘中にも関わらず、どんどん吸収し、成長していく。否、戦闘中『だから』だ。戦闘に関しては天才すら置き去りにする学習能力。時間経過とともにジンの慣れや学習は進み、ベアトリクスの旗色はその分だけ悪くなっていく。
ほぼ学習完了だろう。彼女の速度はもはや通用しそうにない。ベアトリクスの攻撃に合わせてジンのカウンター斬撃が放たれる。それをかろうじて回避し、彼女は距離を取っていた。
ベアトリクス:
「まさか、こんな……」
ジン:
「確かに『速度』は戦闘において最重要の要素で、致命的な要因たりうるものだ。多少の個人差はあるが、目で見てからじゃスピードに反応できなくなるからだな。かろうじて反応できたとしても、体のスピードが追いつかず、対処できなくなっていく」
ベアトリクス:
「貴方には見えている、ということでしょうか?」
ジン:
「いや、目は補助的に使っているだけだな。なんとなくしか見えていないし、それで十分なんだ」
ぼんやりと、全体を、見るともなく見る。『観の目』の使い手独特の感覚だ。逆に、しっかり見える状況でも、そんなにしっかりとは見ないはずだ。ぼんやりと、全体をなんとなく見ているぐらいだから、対処能力が向上する。
シュウト:
「これはもう、ジンさんの勝ちですよね?」
レイシン:
「うーん、まだかな。警戒は解いていないみたいだよ」
葵:
『だから口説いてんのか』
ヴィオラート:
「おまちください。……口説いているのですか?」
レイシン:
「そういう意味じゃないよ(苦笑) ……連続技を出す時って、ひとつひとつの技を『出し切る』のがコツなんだよ。野球やゴルフとかのスウィングだと、インパクトで終わりじゃなくて、その先のフォロースウィングまでやりきること。そうして『出し切る』のが大事なんだ」
アクア:
「最初が一番速かったのは、そういうことね」
ヴィオラート:
「それは、その……??」
葵:
『あの子はまだ速くなるってことさ!』
アクアが理解した内容を考える間に、あちらの会話が始まってしまった。
ジン:
「どうした。もっと出せるハズだぞ。……脱力を利かせろ。それから、攻撃前にブレーキを踏むな」
ベアトリクス:
「……〈シャープブレイド〉!」
トグル式のシャープブレイドを発動。ベアトリクスの構えから力が抜け、更に身軽になったような印象を受ける。
ベアトリクス:
「全力だ! 〈騎士の突撃〉!!」
両手の武器が青白い光を放ち、移動ラインに軌跡を残して斬り抜けている。受け流しても武器がかすめたのか、ジンにはわずかにダメージ。でもそれだけだった。
大きく走り抜けたベアトリクスに向けて怒鳴りつける。
ジン:
「雑に走るな! さっきまでの走り方に戻せ! 高ぶる気持ちだけを乗せて、もっと丁寧にだ!」
ウヅキ:
「ちょっと待て。何やってやがんだ、あのオッサン!」
シュウト:
「いや、どう見ても……」
特訓になりつつある。いや、もう、なっている。
ジン:
「スピードは空間とセットの概念だ。速度とは、距離の移動にかかる時間だからな。ただ速いだけの鉄砲玉になるな! 空間を支配しろ!」
スペースがなければ、スピードもないのだろう。これは戦闘のヒントになりそうだった。ベアトリクスを攻略するのなら、スペースを殺せばいいことになりそうだった。
もう完全にのんでしまっている。現状のベアトリクスではジンを満足させられない。だから戦闘中に引き上げてしまうおうとしている。
ジン:
「その速度域では、空気との正しい関係が必要なんだ。空気をただ邪魔なものとして扱ってはならない! もっと空気と仲良くなれ。空気も、空間も、自分のものにするんだ。空気を切り裂いてスピードを上げろ。停止では空気抵抗をもっと利用しろ。体に風を受け入れて、揚力も操るんだ!」
たぶんベアトリクスはあの速度での戦闘経験がまるで足りていない。だから使いこなせていないのだろう。ジンは最低限、必要になる概念を植え込んでいるらしい。オーバーライドを成立させるほどの天才にそんなことをすればどうなるのか。成長してしまうに決まっている。
ジン:
「逆走すんな! 来た道をそのまま戻るのは、宇宙空間では最悪の機動だ。地上でもそれは同じなんだ。なぜならば、ここは宇宙空間だからだ!ただ大地があって、重力があって、空気と気圧があるだけの違いだ。これが秘密だ!」
シュウト:
(それを地上っていうんじゃ……?)
逆走を止めたことで攻撃ポイントが読みにくくなる。コースが分からなければ、仕掛けるにも後手に回らされる。あまりにも速すぎて、設置型の罠には弱いはずなのだ。その弱点が減っていく。
空気抵抗を利用して、軽くカーブを掛けながら停止、角度を変えて再ダッシュ。そこから突撃を繰り出す。……このままだとまるで手が付けられなくなりそうだ。
ジン:
「よし、とりあえずこんなものだろう」うむっ
ベアトリクス:
「こんなもので、もう満足ですか?」
何度、突撃を繰り返したのだろう。
満足げなジンだが、そのHPを半分にまで減らしていた。一方で荒く呼吸を繰り返すベアトリクスは、クロス・スラッシュを受けてからダメージはない。決着というには、確かに中途半端だった。
ベアトリクス:
「自分だけ良くなればいいと? ……つまらない男ですね」
ジン:
「イイ女だったら2回戦いくけどさ。……オナニーして寝れば?」
女性陣の最低!という叫び&ブーイング。同時に男性陣のバカ笑いと苦笑いとが巻き起こる。〈スイス衛兵隊〉も2~3割は女性メンバーなので大騒ぎだった。
ジン:
「結果が分かってるのに、まだやんの~?」
ベアトリクス:
「だったら負けを認めればいい」
ジン:
「……しょうがない。手マンぐらいしてやるか~」
風が止んだ。風だけではない、音も消えた。
凪を経て、やがて風が逆巻く。風がすべて、ジンに向かって集まっていくかのよう。
シュウト:
(錯覚だ。風が吹いている訳じゃない)
皮膚を通して、異常な雰囲気がビリビリと感じられる。単純な『生命の危機』。モンスターと戦闘して、負けそうになったことがあれば誰でも知っている感覚。敗北の足音。死神の気配。
ジン:
「オーバーライド」
静かな宣言だった。同時にフェイスガードを引き下ろしている。僅かに遅れて黄金竜のオーラが立ちのぼる。
ユフィリア:
「出た!」わーい
アクア:
「ようやく全力、ね」
黄金竜のオーラに嬉しそうなユフィリアと、呆れるばかりのアクア。呆れもするだろう。ベアトリクスのあれだけの速度を相手にしていて、『まだ全力じゃなかった』のだから。
ジン:
「うおおおおおおおお」
地の底から響いてくるような、雄叫びが轟く。黄金竜も咆哮の構えだ。見る見るうちにHPが回復していく。世界のルールを超越した、異質・異次元の戦士。
ベアトリクス:
「うわぁぁあああ!!」
焦燥・恐怖に駆られたベアトリクスが切りかかる。1撃、2撃、3撃と叩き込み、直後、盾で殴られ、吹き飛ばされた。ジンのHPは今の3連撃まで合わせても10秒と掛からずに回復を終える。ソロで戦ってもレイドボスの猛攻すら阻む、超再生能力。
ジン:
「殴られてやってもいいんだが、鎧の耐久力はタダじゃないからな。……という訳だ。端っからお前じゃ俺を殺せない」
ベアトリクス:
「そん、な」
ジン:
「結局、チート同士の戦いなんて、どっちがよりズルいかだろ」
つまらなそうに言い切る。それもまた、一つの結論なのだろう。
ベアトリクス:
「ですが、まだ負けた訳では!」
ジン:
「まぁ、な。逃げ回りゃ死にはしない。……|逃げられれば
《、、、、、、》、な」ゴゴゴゴゴ
再び黄金竜のオーラが立ち上り、威嚇の構えをとる。ジンの動きに連動しているのか、パターンが変化する。いくつパターンがあるのか知らないが、モルヅァートのコダワリには苦笑いしか出ない。
ベアトリクス:
「あっ、……あっ?」
ジンはただ歩いて近付いていく。なのに、ベアトリクスは動かなかった、否、動けなかった。ドラゴンストリーム。強烈な威圧が、人の形をした殺意が、彼女を縛り付けている。どれだけスピードがあろうと、動けないのでは意味などない。
ジンの剣が振りあがる。それは死刑宣告というよりも、むしろ断罪の刃そのもの。無慈悲な刃が振り下ろされる、そう思った瞬間だった。
ゴオッ!!
シュウト:
「!?」
巨大な戦斧がもの凄い速度で、ジンの居た場所に、えぐるように突き刺さっていた。
ジン:
「誰だ、コノヤロウ!?」
当然、躱しているジン。目を丸くするベアトリクス。ざわざわと騒ぐギャラリーたち。戦斧が飛来した方に注目が集まっていた。
鎧を装着した馬にまたがり、全身を隙間なく覆う『黒い甲冑』の重戦士。黒騎士だ。両手用の戦斧を投げつけたにも関わらず、その背には、巨大な両手剣が残されている。
ステータス表示をすばやく確認する。名はデュラン、〈守護戦士〉、レベル90、ギルド無所属。その背には細っこい〈召喚術師〉、アシュリーを乗せていた。もしかすると戦馬は彼女の召還したものかもしれない。
ジン:
「はぁ? なんだお前?」
フェイスガードを上げ、怒りマークをつけて、ズンズンとデュランに向けて歩いていく。
ジン:
「なに邪魔してんだよ。オンナ助けようとか、カッコつけてんのか?」
デュラン:
「…………」
ジン:
「あ? なに無視こいてんだテメェ。いつでも戦ってやんぞ、この野郎」
デュラン:
「…………」
ジン:
「てか、なんなんだよその格好。おまえ、けっこう外見から入るのな? ホント、そんなんでマジ大丈夫かよ?」
半ギレだか全ギレだかで喧嘩を売りに行ってしまった。なんとなくこれは止めた方が良さそうな気がして、ジンの元へ駆けつけることに。
シュウト:
「あの、ジンさん? ジンさん!」
ジン:
「うるせーな、邪魔すんな!」
シュウト:
「もしかして、お知り合いの方でしょうか?」
ジン:
「ハァ? お前なにを言って……。ぬっ、そ~ゆ~ことか~」
何が『そういうこと』なのか分からないが、振り返るとジンは思いっきり怒鳴っていた。
ジン:
「くそチビ! ざけんな! お前ら、みんなグルじゃねーか!!」
ヴィオラート:
「え?」きょとん
マリー:
「わたしは、関知していない(ふるふる)。わたしは関知していない!(ふるふるふるふる)」
ラトリ:
「ま、バレバレだよね~(苦笑)」
マリーは懸命に首を横に振っていた。
しかし、これでだいたいの事情は読めた。考えてみたら、今回は世界の危機。本番中の本番だ。彼がこの場に来てないのは逆に不自然というものだ。たぶん僕たちよりも先に、東欧に入っていたのだろう。
シュウト:
「どうも、お久しぶりです」にこり
デュラン:
「……(コクリ)」
確定した。心強い援軍がまた増えたことになる。これはかなり強烈な攻略になりそうだ。生半可なクエストやダンジョンでは瞬殺だろう。
完全にシラケきったジンが、ベアトリクスもデュラン(仮)も無視して、アルバ・ユリアへと戻っていった。むかついているから、何か食べる気だろう。
ベアトリクス戦は、はっきりした決着こそ付かなかったが、それ以前に戦いになっていなかったような気もする。どちらが強いのかは明白だったし、助けられたのでは反則負けかもしれない。
◆
ベアトリクス:
「目的地はファガラシュ山群のモルドベアヌ。ルーマニアの最高峰だ。〈緑の庭園〉は、そこにまったく新しいクエストポイントを発見していた。扉は一向に閉ざされたままだったが……」
ヴィルヘルム:
「そこに案内してもらえるだろうか?」
ベアトリクス:
「条件というわけではないのだが。……私も探索に加えて欲しい。できれば、最後まで見届けたい」
ラトリ:
「それはもちろん。こちらからお願いしようと思ってましたよ」
ベアトリクスとシーンを加えて、モルドベアヌという場所を目指すことになった。
手順的には、近場の〈妖精の輪〉から、モルドベアヌに一番近い〈妖精の輪〉まで飛んで、そこから移動することになるだろう。
ラトリ:
「パーティー運搬用の騎乗用ドラゴンがあるから、それで何回かに分けて運んだ方が速いと思うんだけど、どう?」
ベアトリクス:
「あの辺りは騎乗生物による空からの接近を阻むようになっている。ドラゴンやワイバーンもだが、厄介なのはヴァンパイアバットの集団だ」
ギヴァ:
「ううむ。飛行中に対処はできないな」
ベアトリクス:
「なので、この辺りからは徒歩の方が安全だろう」
ラトリ:
「楽させてくんないかぁ~。しょうがないかねぇ?」
ヴィルヘルム:
「ああ。……歩きではどのくらい掛かる?」
シーン:
「ハーフガイアで山は低くなってるけど、それでもこの時期だ。3日はみた方がいい」
ベアトリクス:
「いや、飛行系の騎乗生物が使えるのなら24時間もあれば行ける」
ラトリ:
「強行軍するかどうかってことかな?」
アクア:
「目標地点に近付けば、吸血鬼化した〈冒険者〉が待っている可能性があるのでしょう?」
ベアトリクス:
「〈緑の庭園〉のレイドメンバーの大半が見つかっていない……」
ギヴァ:
「深夜の行軍は避けるべきだ。暗がりから襲われたら対処できん」
ヴィルヘルム:
「では今から早めの昼食をとって、出発だ。今夜は野営できる場所を見付け、明日、日がある内に到着とする」
可能な限りの情報を得て、余力を残しつつ、最善らしき方法を即決していく。昨夜の内に準備は終えているのだろう。ひとりひとりの動きに迷いがない。
昼食を終えると、点呼で人数確認して出発となった。200人近い移動にジンが疑問を呈した。
ジン:
「なぁ、全員で移動すんの? フルレイドだったら人数が無駄になんぞ」
ラトリ:
「フルレイドだったらね~」
シュウト:
「もしかして、レギオンレイドだと思ってるんですか?」
ラトリ:
「わかんないっしょ。可能性はあるかもよ?」
ジン:
「それにしたって、倍近くいるだろ?」
ヴィルヘルム:
「まだ人数を分割するほど追いつめられていない」
不思議な言い回しだった。どこか試すような口振り。
ジン:
「……そういうことか。何かに対処するために人数を分割をする必要が生まれる。逆に、対処する『前に』分割するのは論理的じゃない、ってか」
ラトリ:
「到着までに何人落ちるか分からないってのもあるしね(苦笑)」
96人ぴったりで移動して、途中で6人脱落して、90人でレギオンレイドに挑むのでは確かに効率が悪い。その意味では、まず6人を脱落させないために、全軍で移動するという意味だろう。
スターク:
「人数が増えれば速度は落ちるんだろうけど、ウチは精鋭で揃えてるから、あんまり落ちないよ」ドヤ
アシュリー:
「なるほど~。さすがヴィルヘルム隊長。西欧ナンバーワン・プレイヤーは、気が狂ったみたいな常識人だね」
口を挟んで来たのは黒騎士デュランと一緒に戦馬に跨がっていた〈召喚術師〉、アシュリーだった。外観の印象は『か細い』だった。西洋の女性の平均的な身長が高めなことも相まってか、もう怖いぐらいだ。たとえばタクトなども針金をイメージさせる細身なのだが、アレは引き締まった結果としての細さだ。比べると、アシュリーのそれは拒食症を連想させる不健康なものである。ダイエットに失敗し、肉も、中身も削げ落ちてしまったような、生命の危機を見ている感覚。その上からフワフワとした服装を纏って体裁を整えている風に見える。
顔つきは美人だと思うのだが、目の下に濃いくまがあって、不健康さを更に強調していた。あまり受け付けないタイプの美人だった。
アシュリー:
「ボク、有名な隊長さんに訊いておきたいんだけど」
ヴィルヘルム:
「私で答えられればいいが」
アシュリー:
「〈大地人〉の都市はどうするつもりなの? カルパティア山脈を挟んだ反対側に、ブカレスト、こっちの世界だと、えっと」
ラトリ:
「〈ブクレシュティ〉かな?」
アシュリー:
「ありがと。〈ブクレシュティ〉があるでしょ。〈大地人〉の吸血鬼被害、どうするつもりなのかな?」
ヴィルヘルム:
「冷たいようだが、原因の特定と問題そのものの解決を優先する。今は時間が何よりも希少だ。今後も時間と共に被害は増大し続けるだろう。本質的な解決を疎かにすることは、絶対にできない。
その上で、ここ〈アルバ・ユリア〉の〈冒険者〉と協力し、吸血鬼化による被害を未然に防ぐ努力をする」
アシュリー:
「目の前の困ってる人よりも、どこかの原因をやっつけに行くんだ?」
ヴィルヘルム:
「そうだな。同じ西欧サーバーの仲間ではあるが、我々はここでは余所者だ。目の前の困っている人たちを放っておくのは、余所者の役割だろう」
偽悪趣味のような、しかし、それとも違う『覚悟』だった。誰かを本当に助けたいのであれば、悪者にだろうとなる覚悟がいる、というような。
ジンがヴィルヘルムを高く評価している理由を、少しだけ見たような気がした。
ベアトリクス:
「すまない……」
シーン:
「あの、私からも、ありがと……」
英命:
「では我々『援軍』は、その本分を全うするとしましょう」
感謝の気持ちを口にするベアトリクスとシーン。そこに加えて、一緒に聞いていた英命が、余所者を援軍と言い換えていた。きっと先生もヴィルヘルムをリーダーとして認めたのだろう。
ヴィルヘルム:
「君の疑問に答えることはできただろうか?」
アシュリー:
「うん。悔しいほど完璧にね」
ギヴァ:
「こっちは準備を完了した」
ギャン:
「いけるぞ、ヴィルヘルム!」
ヴィルヘルム:
「よし、……出発するぞ!!」
気付けとばかりに、〈アルバ・ユリア〉の街に、僕ら200人の怒号が炸裂した。戦いに向かおうとする意思が、攻めの姿勢が、まるで街に伝播したかのようだった。『火が付いた』のだ。大勢に見送られて僕らは出陣した。
予定通り、街から一番近い〈妖精の輪〉へ。そこからアクアの指輪の力で、モルドベアヌに近い〈妖精の輪〉までジャンプする。騎乗用大型ドラゴン保有者で一斉にドラゴンを呼び出して移動を開始。僕ら〈カトレヤ〉のチームは第一陣で移動し、全員が往復を終えるまで待機と周辺の警戒を担当する。〈スイス衛兵隊〉の行動は素早く、無駄がない。その程度のことは出来て当たり前なのだ。彼らの本質はこんな部分では計れない。
ラトリ:
「点呼確認終了。ここまで脱落者な~し」
ギヴァ:
「順調だな」
ヴィルヘルム:
「では、急ぐとしよう」
アクア:
「ここからが本番ね」
点呼確認を済ませて、野営ポイントまでの移動を再開する。全員がやるべきことを理解し、自発的・積極的に参加している集団であることの心地良さみたいなものがあった。
心配しているフリ、注意しているフリをすると、どこか悲観的に振る舞いたくなってしまうものだろう。これだけの大人数で動いているのだから、そういう人物がいてもおかしくはない。
細心の注意を払っているのに、楽観的なままで居られる強さみたいなものが、ギルドのカルチャーとして存在していた。自信の表れかもしれない。僕ら風にいえば、参加者全員が『ゆるんでいる』となるだろう。一緒に居られて嬉しくなってしまう。
徒歩での移動となれば、流石にモンスターに襲われることになる。この大集団を襲ってくるだけあって、どれもレベルが高い。これに加えて、吸血鬼化が外観では判断できない問題が再燃する。モンスターには話しかけて確認を取ることが出来ないのだ。
しかし、先頭集団には僕らが、誰よりもジンが居る。
ジン:
「出たぞ~」
シュウト:
「セットアップ!」
ニキータ:
「モンスター5体、正面から3時方向に分散」
英命:
「念のため、攻撃は障壁で防いでおきましょう」
ジン:
「当たらなきゃ、どうということはないけど、な!」
ノーマルランクの熊型モンスター5体を瞬殺。
石丸の装着する弱点属性を看破できる〈深窓のメガネ〉でもって、吸血鬼化しているモンスターが、そしてその判別が可能なのも同時に確認できた。判別ができれば、対処方法もある。被弾しそうな全員に障壁を張る必要もなくなるので効率がいい。
しかし、大人数での移動なので、正面から襲ってくれるばかりではない。それを不安視していたが、心配は杞憂に終わった。〈スイス衛兵隊〉の個別能力は高く、対処方法が確立すれば、確実に実行できたからだ。早期警戒網の構築、敵の分散、足止め、障壁による吸血鬼化の回避などをあっさりとこなしてしまっていた。ベアトリクスやデュランが参戦しているので、戦力的な不安、万が一も気にしなくて良かった。
ビバークポイントに到達し、野営の準備を開始。天候は少し悪化。風が出て、雪が降り始めていた。大型・小型のテントが素早く用意されていく。そのなかには魔法のテントらしきものまであった。
レイシン:
「じゃあ、ちょっと手伝ってくるね?」
ジン:
「おう」
ユフィリア:
「私も!」
ニキータ:
「ちょっと行ってきます」
本格的な戦闘の開始である。200人近い大部隊の食事を作らなければならないのだ。その作業量は膨大と言って良かった。新妻のエプロンでニキータも参戦するようだ。
だいたい30人分を用意する料理班を6つ作って、それぞれの料理を選んで食べるようになっているらしい。これだと20人分足りない気がしたけれど、その辺りは融通が利くのかどうか、よく分からない。
ジン:
「やばい。これ、けっこう悩むな!」
シュウト:
「どんな料理が食べられるんですかね?」
やはりここはイタリアンだろうか。フランス料理もありそうだし、かなり楽しみになってきた。
ラトリ:
「もしかして、本格的な日本食が食べられちゃったりするってこと?」
シグムント:
「なん」
ギリアム:
「だと!?」
問題発生。7割のメンバーがレイシンの料理班に並ぶことに(笑)
普段から食べる機会のある僕らは真っ先に追い出され、なにやら議論してローテーションとかの話に発展していた。完璧な統率が取れているようで、そうでもないな〈スイス衛兵隊〉!と苦笑い。
僕らは別の班の料理を互いに味見でつつき合いながら堪能できた。たまに違ったものを食べるのは良いものだし、料理自体も多彩で美味しかった。
戦いが長引くほど、食事の用意は簡便なものになりがちだ。食事の彩りは、精神の粘りを引き出す特効薬でもある。今日の料理を見ても〈スイス衛兵隊〉が強いのが良く分かる。タレントの層自体が分厚い。
シュウト:
(ゲームが得意なだけじゃ、このレベルまで来れないんだろうなぁ)
レイドを攻略するには、レイド以外の能力がいるという矛盾。皮肉だ。
逆からいえば、あらゆる努力はゲームの、そしてレイドの力になりうる、ということでもあるかもしれない。
ジン:
「終わったのか?」
ユフィリア:
「うん!」
レイシン:
「明日の仕込みもね。……手伝ってくれてありがとう。助かったよ」
ニキータ:
「いえ、このぐらい。いつでも手伝います」
シュウト:
「お疲れさま」
タクト:
「ありがとう」
意識して感謝の言葉を言っておく。せめてお礼ぐらいは言うべきだろう。タクトの言葉にリコが反応して、明日は自分が手伝うとか言い始めて笑いを誘っていた。リコも料理できるのかもしれない。
ユフィリア:
「ねぇ、こういうのも、ホワイトクリスマスっていうのかな?」
ジン:
「たぶんな。……雪山で雪が降っても、あまり有り難みはないけど」
ユフィリア:
「今年は、みんなでホワイトクリスマスでした!」
シュウト:
「吸血鬼事件でね」
しかもルーマニアの山奥でビバークしているとか、誰が信じるだろう。
ユフィリア:
「いいの。私たちががんばって、ハッピーエンドになるんだから!」
ジン:
「そりゃあ、いい話だな」
ニキータ:
「……ですね」
冗談抜きで、そうなる可能性は極めて高い。なにしろ、集まっているメンツが豪華すぎる。巨人の黄金期より凄いかも。メジャー級でも表現としては不足だろう。
少なくとも、この時まではそう思っていた。
翌朝、日が登るのを待って進軍を再開。ハーフガイアで山脈の高さが縮んでいるためなのか、ピクニックレベルの気楽な登山が続いた。
モンスターも幾度かは出現したが、ジンの新技が文字通りに炸裂した。
ニキータ:
「ちょっと数が多いです! 〈冒険者〉も混じっています!」
ジン:
「アクア~、耳を塞いでおけ」
アクア:
「わかった」
ジン:
「エナジーバースト『クラップスタナー』!」
パァン!と手を叩いて鳴らした。新技らしいが、特に目新しいとも思えない。しかし、破壊的な音波が山あいに響きわたると、僕は膝から崩れてしゃがみ込んでいた。僕だけではない。見える範囲の全員が、同じ目に合っていた。麻痺したように体を動かせない。
ジン:
「元ネタは暗殺教室……って、ありゃ? 威力がありすぎたか?」
アクア:
「ちょっと! 味方を全滅させるつもり!?」
ジン:
「んじゃ、これでどうだ? 『フィンガースタナー』」
今度は指を鳴らした。程良く効果範囲を限定できたらしく、吸血鬼になった〈冒険者〉を麻痺させると、超デコピンで悶絶させてトドメ。その他のモンスターもジンが一人で倒してしまっていた。
これでレギオンレイドだろうと初見殺しが可能になった気がしないでもない(苦笑) 実際の麻痺時間はごく短かったものの、足下がふらつく感覚は1~2分は続いていたと思う。
そんな事件から数時間後にはモルドベアヌ、ルーマニアの最高峰へと到達していた。〈緑の庭園〉が発見したという、新しいクエストの入り口へと案内してもらう。岩間にその扉は存在していた。
ベアトリクス:
「ここだ。……やはり、封印が解けている。一体、どうして?」
それはともかく、ゾーン情報を確認する。進入規制がレベル90~100。人数規制……。
ラトリ:
「よっし! レギオンレイドだ!!」
レギオンレイドの報が全軍に伝えられ、爆発的な歓喜が沸き起こった。困難の度合いが数倍化したハズなのに、みんな喜んでいる。〈スイス衛兵隊〉の気が狂っているというのは、たぶん事実だろう。
そんな中、ひとり冷静に疑問を口にしている人がいた。
マリー:
「これは、おかしい……」
ジン:
「どうした?」
マリー:
「なぜ? 新規ゾーンは解放できないはず。扉があっても、その向こうには行けない。ううん、行けてはならない。どうしてこんなことが起こりえる?」
いつから来ていたのか、葵が言葉を降らせる。
葵:
『慮外の可能性。万が一だと思うけどね』
ヴィルヘルム:
「教えてほしい。どういうことだろう?」
葵:
『たとえば、神託の天塔と同じ、とかね』ニヤリ
ジン:
「んん?」
アクア:
「まさか……!」
ラトリ:
「え?〈神託の天塔〉ならクリアしてるけど」
デュラン:
「そうではない。今度のも、ワールドワイド・レギオンレイドなのか?」
世界共通100人規模戦闘。フルレイドによるハイエンドコンテンツすら上回る、真の最難関。日本でクリアしているのは〈D.D.D〉だけだ。
扉の向こうのゾーン名を確認する。『〈満月の夜〉』。これが世界共通クエストで、それに今から挑まなければならないのだとしたら? あまりにも理不尽だ。いい加減、不意打ちがすぎる。難易度が高すぎる。
マリー:
「それなら、理屈にあう」
葵:
『新規ゾーンも、世界共通クエなら成立するっしょ。だから、この向こうは“日本でもある”ってことじゃないかな。つまり……』
ヴィルヘルム:
「我々もレベル上げが可能、ということかな?」
深い動揺とざわめき。僕らにとっては当たり前のことが、彼らにとっては違うのだと分かる。
誰が中に入るべきかで話し合いが行われた。〈カトレヤ〉の12名、アクア、黒騎士デュラン、ベアトリクス、シーン。白の聖女マリーとヴィオラートは先に決定していた。アシュリーは辞退したと後で知った。
ヴィオラート:
「ですが、レギオンレイドだなんて……」
マリー:
「(コクリ)フルレイドの経験もない」
ヴィルヘルム:
「だとしても、2人には来ていただかなくてはなりません」
アクア:
「貴方にしては強引ね。納得のいく理由はあるのかしら?」
ヴィルヘルム:
「打てる手、使える駒、すべて使う。最高の治癒術師が必要だ。彼女達は、伊達や酔狂で『聖女』などと呼ばれている訳ではない」
先ほど一言だけ言葉を発して以後、沈黙を続けているデュランも肯いていた。そこには白の聖女に対する絶大な信頼があった。
ヴィオラート:
「ですが。皆さんこそ、レイドに参加したいのでは……?」
ラトリ:
「逆ですよ。お2人に来て頂くことで、我々の参加人数を増やしたと考えてください」
ギヴァ:
「うむ。ヒーラーの数を減らし、アタッカーの数を増やす。攻略としては邪道だ。リスクが高い」
ヴィルヘルム:
「だが、それでもやらなければならない」
極めて合理的な精神の発露としての、レギオンレイド参加メンバーの策定が行われた。特に興味深かったのは、クラス分類法だった。
たとえは、日本で言えば、〈神祇官〉だが、西欧サーバーではスタークのメインクラスである〈エクソシスト〉になる。これに〈メディウム〉を加えていた。
ラトリに質問したところ、バフの効果を多重化するためだという。
ラトリ:
「メイン職の数はいくつあると思う?」
シュウト:
「えっと、12じゃなくて、ですか?」
ラトリ:
「39だよ。すべてのサーバーの、すべてのメインクラスを集めるのが本当は理想なのかもしれないからねぇ。部分的に特技に変更があったりするから、組み合わせのすべてを試さないと、本当のところは分からないからね。こうしたハードなレイドでは強みになるから、敢えて別サーバーのクラスで入ってくるプレイヤーもウチにはいるからね」
大半の組み合わせは既に試しているらしいが、大型アップデートがあればこうした研究はやり直すものだと笑っていた。
第1レイド部隊の第1パーティー、いわゆる1―1には僕たち〈カトレヤ〉の第1パーティーがそのまま入った。フルレイドでも本来は回復役を3枚付けるところなのだが、ジンが却下してそのまま押し通してしまった形である。1―2は〈カトレヤ〉の第2パーティーをそのまま押し込むことにして、残りは回復役多めで〈スイス衛兵隊〉のメンバーが並んでいた。
第2レイド部隊には黒騎士デュランが入っていた。むしろこっちの方が第1レイド部隊っぽい編成である。
第3レイド部隊にはヴィルヘルムやアクア、白の聖女2人がいる。指揮系統としてはここが本隊ということになるだろう。
第4レイド部隊には、ベアトリクスやシーンが混じっている。第3・第4共にアタッカーがメイン。魔法と物理で分けている訳でもなさそうだ。
初めてのおつかい、ならぬ、初めてのレギオンレイド。デビューがワールドワイド・レギオンレイドとは、流石に笑えそうにない。ジンなどはまるで緊張している様子はなかった。僕もリラックスするだけだと決める。
ちなみに葵の側もローマで魔力供給用の人員配置が進めていたようで、全時間ブッ通しでも行けると豪語していた。……眠くならないのだろうか?
ジン:
「んで? そろそろどーよ?」
ヴィルヘルム:
「待たせて済まない。準備完了だ」
ラトリ:
「だね。とりあえず入って、進入調査もしないとね」
こうして僕たちは未知のゾーン〈満月の夜〉へと進入することになった。その向こう側に広がっていたのは……