177 ライフハック
12月。
〈大規模戦闘〉が終わり、緊張感が抜けたこともあって、僕たちはぼんやりとした日々を過ごしていた。
この所のこまごまとした変化を列挙すればきりがないが、アキバでの大きな変化はふたつあった。
ひとつは〈D.D.D〉、〈黒剣騎士団〉といった戦闘ギルドが、東北のオウウ地方にある〈七つ滝城塞〉への遠征に出発したことだ。夏にあったゴブリン戦役の後始末を行うことになったようだ。
出発前は準備でどこも忙しく、特需に盛り上がっていたらしいが、僕らはレイドをしてたため、あまり詳しくは知らない。
アキバの街も今は落ち着いて、少し落ち着き過ぎのような状態でもあった。〈天秤祭〉や特需の反動、もしくは戦闘ギルドが出かけて人が少なくなった影響かもしれない。街に活気があるとは言えない状況である。雨も雪に変わるような寒さだというのに、道ばたで座り込んで一日中酒を飲んでいる人を街のあちこちで見かけるようになった。
大きな変化のふたつめは、外観再決定ボーション(簡易版)の発表だった。僕自身は〈アキバ新聞〉のユーノから先にまたまた話を聞いて知っていたのだが、想像以上に大きなニュースになっていたようだ。開発者はロデ研のロデリック。妖精薬師の異名はダテではないらしい。
これも11月後半の忙しかった頃の話で、街での反応などはあまり把握していない。希望者が性別を正したりしたようだ。
これに関連した変化もひとつ。
ケイトリンの取り巻きをしていたPKプレイヤーのサブリナ、トガ、ジュン、マシュー、イッチーが女性の姿になって戻ってきた。ただし、性別が変化しようと中身はまるで変わらず、拍子抜けだった。
たとえば、「あたしのチンコでっけーぞ!」でお馴染みになっていたサブリナも、今度は「あたしのパイパイでっけーぞ!」に変わっただけだった。(汰輔と雷市は喜んでいたけど)
女性化したついでに〈カトレヤ〉に正式に参加することになり、ジン達も『女ならまぁ、いっか?』などと気楽に許可していた。(いや、PKプレイヤーだったんじゃ……?)
外観再決定ポーションに関しては、葵がツッコミを入れると息巻いていたので、次号のアキバ通信は関連した話が載ることになりそうだ。
アキバ通信といえば、第2号が発売となり、即日完売していた。これも11月中旬ごろのことだ。流石ユフィリア効果!と喜んだのも束の間、不思議なことにまるで話題にならない。重版したものの、やはり即日完売し、またまた話題にならなかった。
おかしいと思って調べたところ、ユフィリアが表紙の絵を飾ったためか、1人1人が何冊もまとめて購入していたとかで、一部のマニア向けコレクション・アイテムになってしまった。
対策をしてもイタチごっただったらしい。見本誌を置いてもらっても、あっさり完売してしまうため、「見本誌でいいからを売ってくれ」と頼まれたり、持ち逃げされたりしたようだ。1人1冊までと言えば、1冊買って、また列の後ろに並び直したり、それもダメとなると〈大地人〉の子供を雇ったりして手に入れる剛の者までいたとか。
葵はあくどい顔でホクホクしていたのでかなり儲けたらしい。ジンは「俺にも還元しろ」とか叫んでいたが、いつも通りスルーされていた。
そんな感じで、僕の主観的にいえば、世界は割と平和だった。
◆
シュウト:
「星奈? どうしたの?」
星奈:
「……」にぱー!
うろうろしていた星奈に声をかけると、嬉しそうな笑顔が返ってきた。
どうやらエプロンを見せびらかしたかっただけ、らしい。あまりに嬉しそうだったので、こちらも笑顔になる。
シュウト:
「よかったね」
頭を撫でてあげると、幸せそうである。本当に良い子だなぁと思う。
星奈が身に付けているのは〈新妻のエプロン〉だ。これを最近4着ほど入手していた。時間が掛かっていたのは、遠征組を優先していたためだ。自動的に居残り組になった我が〈カトレヤ〉にも、ようやくが順番が回ってきたのだ。1着は当然、星奈専用。体格に合わせて小型サイズ。ユフィリアが『せな』と名前を刺繍してプレゼントしていた。気に入った様子でメイド服の上から常に着用するつもりらしい。
ちなみにこの〈新妻のエプロン〉、予想より数が出なかったそうだ。逆に4着も入手できたのはそのおかげでもある。料理しない人、ではなく、『したくない人』が意外と多かったのかもしれない。
アキバの街中であれば、屋台もたくさんあるし、食べる場所に困ることはない。『じわ売れし続ける、ロングセラーになんじゃない?』と葵は言っていた。
ユフィリア:
「もうすぐクリスマスだね。その後は新年だからいろいろ準備しなくちゃ!」
ジン:
「あー、もうそんな季節かー」
グデグデとしているためか、語尾がたるんで、のびのびのジン。
りえ:
「なんか新年のお祭りに呼び名みたいのあったと思うんだけど」
英命:
「ええ。こちらの世界では『スノウフェル』ですね」
スノウフェルにもいろいろイベントがあった気がする。僕の場合、戦闘ギルドで平和なイベントでもなかったので、あまり参加した記憶がない。
ユフィリア:
「……ところでジンさん。何か忘れてることなぁい?」
ジン:
「へ? 何だっけ? 俺、なんか言った?(キュピーン!)そうかっ! クリスマスに2人きりでイチャイチャラヴラヴ(←巻き舌)するって約束してた!」
ユフィリア:
「ちっがーう! そんな約束してないもん」
ジン:
「まったくもう、都合良く記憶喪失になるんだからー」
ユフィリア:
「それ、ずるい。……がんばったら、骨休めに温泉いこうねって言ってたでしょ? 私たち、がんばったよね?」
ニキータ:
「そうね、温泉は良いものだわ」
温泉と聞いた途端にパワーを漲らせるニキータだった。
ジン:
「あー、なんかそんなこと言ったような気がするなー。えーっ、ホントに行くのぉ~?」
ユフィリア:
「行く! 行くの! 行きたい!」
星奈:
「おん、せんっ!」
星奈がふにふに(?)しているので確定っぽい流れだ。
ジン:
「つーかさぁ、骨休めだよなぁ?」
ユフィリア:
「うん、そう!」
ジン:
「骨休めとか慰安旅行って、普段がんばってくれている人を休ませる意味とかがある訳じゃん? 感謝のしるしっつーか。つまりレイとかね」
レイシン:
「はっはっは」
ジン:
「ユフィもだけど、咲空も星奈も家事がんばってくれてるわけですよ」
ユフィリア:
「うん。そうだよね! えらいよねっ」
咲空:
「あ、ありがとうございます」
星奈:
「ございますっ!」
ジン:
「だがしかしっ! そこらの温泉行っても、食事とか自分達で用意することになるワケじゃん? それ、レイを働かせるってことだろ? それアカンやつだろ。だから、温泉なしでどっか泊まりにいくのじゃダメ?」
ユフィリア:
「うーん。じゃあ温泉に行った後で、どっかに泊まりにいく!」
ジン:
「ちょっ! なんじゃそら?!」
えーと、……無駄にイベントを増やした模様(苦笑)
葵:
「じゃっ、そーゆーことで!」
ジン:
「ハァ? 何が『そーゆーこと』なんだよ」
葵:
「当然、言い出しっぺのジンぷーが費用を持つってことに決まっちょるやんけ。ゴチになりまーす!」
ジン:
「このクソミソロリ、どうしてそういうことになるんだよ! ふざっけんなよ、マジで! 言い出しっぺはユフィだろ!?」
またジンの借金が増える展開のご様子。南無阿弥陀物。南無妙法蓮華経。
葵:
「ゴッドボンビーはともかく。そーなると、水着がいるねぇ~?」
ジン:
「誰が貧乏神だ。お前が、俺を貧乏にしてんだろうが!」
りえ:
「ん……?」
まり:
「水着……?」
まり達は、なんとなく温泉がどういう状況なのか想像できていない感じだった。
静:
「もっ、もしかして、混浴……とか?」
ジン:
「あんなー? 温泉ったって、宿なんかないぞ? モンスター出まくりじゃ観光業なんて成立しないんだ。採算とれなきゃ、宿なんかあるわけがない」
静:
「えっ、と。じゃあ、そこらで自然に沸いてる温泉ってことすか?」
ジン:
「当然そうなるな。仕切り無し、脱衣所なし、宿なし野宿で、すっぽろぽーん!」
りえ:
「ぎゃー!?」
嫌がりそうな言い方をあえてするジンであった。大事な (?)お約束である。
静:
「えーっ? ホント、温泉いくんすか?」
ユフィリア:
「行き!」
星奈:
「ます!」
やはり確定の流れだ。ユフィリア&星奈コンビの強さは、もはや支配的ですらある。ポーカーで言えばロイヤルストレートフラッシュ級であろう。
まり:
「混浴ですよね? 水着で」
静:
「ふつーに恥ずかしいんですけど」
ジン:
「これだから中高生は。揉んで・吸って・舐めるぐらいしなきゃ、イベント絵にすらならないってのに。……別にいいんだぞ、そんなに恥ずかしけりゃ、男女で時間帯分けても」
汰輔:
「えーっ?」
雷市:
「一気につまんなくなってきた」
ジン:
「ただし今回から別風呂ってことは、この先イケメンと水着で混浴する機会も永久に失われることになる、と」しれっと
静&りえ:
「「はぅっ!?」」
ここでしゃしゃり出てきたのはリコだった。反応が素早すぎる。
リコ:
「なんていうのかな? 混浴って、古き良き日本の精神、『和のこころ』が表現されていると思うの。少しのことで和を乱したらダメだよね。水着で混浴ぐらい、別にどうってことないでしょ?」
静:
「ないです!」
りえ:
「さっすがリコ姉、良いこといいますよ!」
そこまでしてタクトと混浴したいんかい。なんかもう、(このギルド)ダメかもしれない……。
そんな立ち向かう気力さえわかない現実に惨めな敗北を喫していると、水着どうしようの話題に戻っていた。
咲空:
「そういえば、バーゲンセールがあるとか!」
葵:
「むむっ。争奪戦か!」
サイ:
「人混み、苦手……」
ジン:
「フム。……今日はその話をしようかね」
◆
雑談からの流れで今回の講義が始まった。
ジン:
「問おう。君は電車に乗っていて、車内はそれなりに混雑している。目的の駅に着いた。降りなければならない。しかし、扉までは距離がある。立ちふさがる人、人、人。……さぁ、どうする?」
静:
「そりゃあ……」
りえ:
「すいませーん!って言いながら、強引に突っ込んで行く、……しかないですよね?」
まぁ、それしかないよねと思いつつ、ジンの様子をうかがう。
葵:
「フッ、甘いな! 最初から階段やエスカレーター、出口や乗り換え口に近い車両あーんどドアを選んでおくのだ! そうすれば人がどわっと降りるから、すすすーって降りられるんだじぇ!」
エルンスト:
「ふむ、戦略的だな」
ニキータ:
「私は、ドア付近に立つようにしていますが……」
ジン:
「なるほどね。……じゃあ、ユフィは? どうやる?」
ユフィリアに注目が集まり、おもむろにゴゴゴゴゴ、と緊張みたいなのが走った、ような気がした。
ユフィリア:
「……悲鳴を、あげます。 『きゃー!おりまーす!ごめんなさい!おろしてー!』」(><)/
ジン:
「正解っ(涙)」
それは通さざるをえない……。なんという強引な正解。まぁ、このワザが使えるのは選ばれた強者に限られるだろうけれど(苦笑)
葵:
「まぁ、ユフィちゃんはそれでいいわな~(苦笑)」
静:
「でも、あたしらはユフィさんの真似できないですし」
りえ:
「いや、イケると信じたいっっ!」
まり:
「ムリすんなって(苦笑)」
ジン:
「まぁ、結論的には、簡単なテクニックでずいぶん降りやすくなるんだけどなー」
リコ:
「それライフハックってことですよね?」
バーゲンセールでの混雑を切り抜けるテクニックの話だと、ほぼ興味はない。しかし、ジンがそんな話をするのだろうか?と僕は考えていた。しないとは言い切れないが、ここまでタメたりはしないだろう。
ジン:
「ライフハックと言われればライフハックだが、ガチのライフハックってのは、ライフがハックされ、世界観が変わっちまうもんだぜ? まぁ、俺にとっては『格闘的存在として生きること』だけど。これを道ともいう」
名護っしゅ:
「世界観まで言われると、大げさな印象すっけどなぁ」
知っている人は知っている。ジンの話には世界観が変わりそうな話がちょくちょく出てくるのだということを……。
リコ:
「格闘的存在として生きたいとか思ってないんだけどなぁ~」
タクト:
「この世界にいる間は、否も応もないだろ」
そればかりはタクトの言う通りだ。もう巻き込まれてしまったのだから、適切な対処を学んだ方が良い。建設的だ。
ジン:
「では、順を追って説明していこう。混雑している場所を通り抜けるのがなぜ大変なのか。その原因は『筋反射』などと呼ばれるものにある」
英命がスッと立ち上がり、黒板へ。板書するつもりのようだ。
ジン:
「一般概念でなんて言うか知らんけど、格闘技的には筋肉の反射とか、筋反射といえば通じるだろう。これは生理的な反射動作に近い。人間は2足で立ってることもあって、押されて押されっぱだと倒れてしまうから、反射的に押された方向に押し返す動きをする。反射的にな」
筋反射 押される→←押し返す
ジン:
「混雑時の対処では、この筋反射をどう利用するか?が問題なのだ。この筋反射を利用した術理を扱うのは、相撲や柔道、それから合気道みたいな、相手に触って、掴んでして戦う系統の武道・武術な訳だ。『揉み合う』と書いて、『揉合』系とかって分類したりする」
揉み合う→揉合系(相撲・柔道・合気道など)
ジン:
「こうした武術では、筋反射で押し返してくる力を、タイミングよく利用して投げたり、技をかけたりするわけだ。今回はその中でも特に、『崩し』に注目したい」
シュウト:
「崩し……」
エリオと勝負した時、崩し切れなかったことを思い出していた。ヒントになるような話が含まれている可能性は高い。
ジン:
「『崩し』は、あまり理論化されていない分野で、個人的な経験論になりがちだ。相撲や柔道の場合、いわゆるポショニングに相当する『組み手争い』から、『崩し』をかけて、投げといった攻撃技に持ち込む、というのが基本の流れになっている」
組み手争い →崩し →攻撃技
かなり基本的な話からのようだが、そのぶん分かりやすい。そして板書がありがたい。
ジン:
「では、崩しとは何か。……これは『相手の構えを崩す』といった意味合いが強く含まれている。武蔵の五輪書を紐解くと、構えは防御的な意味合いが強いとされる。『待ち構える』から『構え』になっている訳だな。これは城のような防御構造物に近くて、武術的には『攻めの意識』を弱めてしまう。このため、武蔵は構えに対して批判的な立場をとっていたわけだ。まぁ、五輪書はみんな読んでて知ってるのが前提だな。ゲームの場合、攻撃用のスタンスもあるんだけど、ここでは割愛する」
崩し →『構え』を崩す
待ち構える →構え (防御的)
ジン:
「こうした前提から、崩しをどう理論化していくか。俺の師匠に相当する人の言葉によれば、『崩しは、崩しと崩れからなる』のだそうな。この場合の『崩し』というのは、相手を崩そうとするもの、行動。そして『崩れ』とは、自分が崩れていくことで、相手を崩そうとするもの、行動をいう」
崩し と 崩れ
崩し――相手だけを崩そうとする行動
崩れ――自分が崩れていくことで、相手を崩そうとする行動
ジン:
「これは揉合系だけに限らない射程の大きな理論なんだ。たとえば、戦争で嘘情報を流して混乱を狙うのは崩しということになるだろう」
葵:
「ふーん。んじゃ、『崩れ』は?」
ジン:
「日本の戦国時代で多用された『釣り出し戦法』が典型的な崩れだな。敗走したと見せかけて相手を釣り出し、バカが突出したところを叩く、っていう。これは大きくみて、『包囲殲滅』の亜流に相当する」
包囲殲滅の話は教えてもらったことがある。しかし、初めて聞く生徒向けに、説明するようだ。
ジン:
「まず超基本である包囲殲滅から説明するぞ。包囲殲滅ってのは、広い草原なんかで大軍同士が合戦になった際のスーパー勝ちパターンのことだ。
日本だと孫氏の兵法の影響が大きいこともあって、西洋戦術を理解する下地が整っていない。だからか、包囲殲滅のような究極的な戦法すらあまり理解されていなかったりする。歴史の授業でこれやらないで何をやるんだっつー話だけど」
英命:
「耳が痛いですね」フフフ
ジン:
「センコーは耳鼻科に行けばいいとして。順番的にはまずアレクサンダー大王が、騎兵の運用を改善したところから始まる」
葵:
「Fate/Zero でいうライダーだね。またの名を 征服王イスカンダル!」
ジン:
「それネタバレじゃね? まぁ、いいか。……そして包囲殲滅それ自体を発明したのはハンニバルだと言われている。大王の戦術を研究していたハンニバルが、それを応用して包囲殲滅にたどり着いたのだろうって事だ。
カルタゴのハンニバルがローマを一方的、且つ、めっちゃくちゃに蹂躙した結果、ローマは包囲殲滅という戦法を得ることになる。その後のローマ帝国、ローマ世界の繁栄は、ほぼ包囲殲滅を得たおかげと言っても過言ではない。歴史の転換点ともいえるアイデアだった訳だ」
そこまで凄いのか、包囲殲滅!と思うと同時に、そんなことも教えない日本の教育って大丈夫なのか?と思ってしまう。
ジン:
「んでやり方だけど、開戦の地を選んで、戦いが始まると同時に包囲しに向かう訳だ。最終的には包囲殲滅同士の戦いになるから、右翼左翼の軍にスピード重視の兵を配置することになる。当時は、馬、つまり騎兵だな。中世ファンタジー的な鎧ゴテゴテの騎士様ではなく、速度が要求されたわけだ。敵が広がるのを抑えつつ、無事に包囲したら、次に包囲を縮めていく。この『包囲を縮める』のが重要なポイントだ。包囲を縮めるとどうなる?」
ユフィリア:
「ぎゅーぎゅー詰めの満員電車!」
あっ……。止めるより先に言ってしまっていた。
ジン:
「その通り。武器を振るうには周囲に空間・スペースが必要になる。包囲を縮めることで、敵軍のスペースを奪う訳だ。ぎゅーぎゅー詰めになったら、もう抵抗はできない。これで終わりだ」
静:
「えっ、その後ってどうするんですか?」
ジン:
「そんなの、包囲したら、あとは殲滅するに決まってるだろ。満員電車状態で身動きできなくなった敵兵力、数万人を、まるっと全滅・皆殺しにするのが包囲殲滅ってモンですよ」
りえ:
「うぇっ!?」
包囲(騎兵を運用)→『包囲を縮める』(スペースを奪う)→殲滅
ジン:
「これの凄いところは、兵力差をある程度まで無視できちまう点だ。包囲にはある程度人数が必要だが、包囲を縮め終わったら、もうその時点で一方的に虐殺可能な状態になる。兵力差が2倍、3倍だろうと関係ない。抵抗しようにも抵抗できない状態に追い込んでるわけだから、そこからはほとんど戦闘にならない。ただ殺すだけ。指揮官が巧けりゃ、損害は極微になる。こういうものは知らなければ引っかかっちまうんだ」
そー太達だけではない。初耳だった仲間たちがうめき声をあげていた。あまりに凄まじい内容だからだろう。
ジン:
「少しは怖さが分かったか? ……前衛、戦士職!」
唐突に呼びかけられ、何人かがビクリと震える。
ジン:
「いいか、お前らが守るべきは味方だけじゃない。ヘイトを集めて、ダメージ引き受けて、それで終わりになるな! 味方のスペースは俺たちが確保するんだ。どれだけ敵が多かろうが、強かろうが、ビビって安易に下がるんじゃないぞ。……わかったか」
数人:
「「はいっ!」」
そー太にマコト、サイ、それにタクトも叫ぶように返事していた。戦士職の戦い方は独特で、まったくの別ゲームをやっているようなものだ。
僕もタンクだった方が良かったのかな?と少し寂しいような、羨ましいような気がしてしまう。攻撃職じゃないと横に並んで戦うことできなかっただろうと思ってはいるけれど。
ジン:
「超基本の戦法をおさえたところで、本題の『崩し』と、その例となる『釣り出し戦法』に戻ろう。簡単にいえば、負けたフリのことだな。ちょっと戦ってみせて、わざと退却・敗走する。そして敵が追撃してきたところを、待ちかまえていた味方や伏兵でボコボコにする。それが釣り出し戦法だ」
戦闘 →敗走 →(釣り出し)→打ちのめす
ジン:
「日本の戦国時代だと、たぶん包囲殲滅にはたどり着いてなかったんじゃねーかと思う。いや、現代のドラマ脚本がたどり着いていないだけかもしれないけど。戦国も後期になると鉄砲の生産が始まってるわけだから、単純に比較したりは難しいって話もあるだろう。そんな感じで、西洋の包囲殲滅の代用品は、日本だと釣り出し戦法になるわけだ」
シュウト:
「わざと敗走してみせる部分が『崩れ』ってことですよね?」
ジン:
「そうだ。自分が崩れてみせることで、敵の陣形を崩す戦法だな。深追いで突出した敵を美味しくいただきますな要素は、ちょっと包囲っぽくもあるし、各個撃破でもある。ハイブリッドだな」
〈大規模戦闘〉ではこうした釣り出し戦法のようなことを全体で行うことはあまりない。その意味では、一番近いのはカイティングになりそうだった。
これらのどこに違いがあるのかと考えてみると、たぶんタウンティングとヘイト・コントロールになるはずだった。わざと負けてみせなくても、タウンティングでヘイトを集めればモンスターを釣り出すことができる。
しかし、カイティングの目的は、大半が『時間稼ぎ』の気がする。
ジン:
「これらは『深追い』と関係している」
葵:
「あれっしょ? 戦闘指揮官が言ってみたいセリフランキングみたいな(笑)」
なぜだろう? 僕の方を見ている人が、何人かいるような気が……?
ジン:
「シュウト」
シュウト:
「はい、なんでしょうか?」←笑顔
ジン:
「言ってみろ」
シュウト:
「な、なに、を?」
ジン:
「言わせてやるって言ってんだろ? あ?」オラオラ
ジンがオラついて無理矢理言わせようとしているのは、「よせ、深追いはするな!」といったセリフだろう。葵はゲラゲラと笑っていて、悪ノリが過ぎると思う。
ジン:
「まぁ、いい。いわゆる『追撃戦』でのやりすぎが『深追い』だな」
葵:
「撃破数を稼ぐのは、追撃戦がデフォ!」
咲空:
「デフォ?」
英命:
「デフォルトの略ですね。『初期設定』のことですが、『標準的』といった意味で使われます」
ジン:
「包囲殲滅みたいな戦術を使わない場合、正面戦闘になりがちだ。そうなると、装備や兵種、練度、士気の差、地形に多少の軍略、何よりも人数の差で勝敗が決することになる。数を数で叩き潰す戦い方だと、双方に損害が出るから、負けが確定した段階で直ぐに撤退しなければならない。無駄な損害は避けるのが当然だし、負けた側は再戦するためにも戦力を温存しなければならない」
葵:
「3割で撤退とかを広めたのは、やっぱガンパレだろうね」
そー太:
「えっ? 3割って、なんか少なくないですか?」
大槻:
「……3万人の軍隊で、3割の損害だと何人死んだことになる?」
そー太:
「んっと、さざんが、9000人? ……そっか」
葵:
「包囲殲滅がそんだけ異常ってことだよ」
3割で撤退と聞くと、なぜか早すぎる気がしてしまう。たぶん勝つ側に無意識に感情移入しているせいだろう。味方が3割も殺されたら、たまったものじゃない。
レイドでも蘇生が間に合う人数などは把握しておく必要がある(ただし、ヒーラーの残り人数によって変動)
ジン:
「な? 正面からチャンチャンバラバラと戦えば、双方に損害が出る。でも、撤退して背を向けている相手を背後から襲えば、一方的に数を削れる。だから、追撃戦で撃破数を稼ぐのがデフォルトになる。
武功を立てたい、敵の数を今の内に減らしたい、……そんな『欲』が、深追いに変わる。そうして勝ったつもりの愚か者を狙い撃ちにするのが、釣り出し戦法ってことだ」
ゾクリと寒気が走る。勝ったつもりで調子に乗り、油断している相手など隙だらけだろう。そこを狙われれば、天国が地獄に変わってしまう。
いや、感情移入先を変えれば、相手を地獄にたたき落とすべき立場かもしれない。キチンと叩き落とさなればならない。
シュウト:
「そうか。単なる撤退なのか、それとも釣り出し戦法なのかが分からないんですね?」
ジン:
「そうだ。そして釣り出し戦法の完全版ともいえるのが、撤退戦、いわゆる殿の役目だな。殿が敵を押さえている間に、味方を逃がす役割をする。全滅を防ぎ、殿様を守るためだから、いくさ上手が任されることになりやすい。釣り出し戦法と同様に、追撃・深追いしてくる敵に損害を与えつつ、自分たちも連続で後退する。相手が追ってこなくなるまで延々とそれを続けるわけだ。撤退戦で有名なのは、関ヶ原の、島津の、なんだったっけ?」
石丸:
「捨て奸っスね。兵の一部を置き去りにして反撃させる、死兵とトカゲの尻尾切り戦法のことっス」
釣り出し戦法、撤退、深追い、追撃戦、撤退戦、殿、捨て奸。黒板に並んだ文字に、ドキドキするような、焦るような気持ちがある。
ジン:
「人間相手の深追いはこうした危険があるってことだ。相手がガキんちょだとしても、あまり油断はしてくれるなよ? ……ただし、知性の低いモンスターが相手なら、なるべく追撃して数を減らすべきかもしれない。指揮する場合、前線を素早く押し上げて、全員で襲いかかるようにしろ。単騎で突撃させないようにな」
シュウト:
「わかりました」コクリ
葵:
「あ、ダンジョンだとそれも禁止。モンスターが釣り出し戦法を使ってくる可能性はまずないんだけど、別グループとの遭遇戦になって、釣り出し戦法みたいになることがあるから。スケルトンアーチャー辺りにボコられたことがあれば、わかるよね?」
コクコクと何人か頷いている。ダンジョン攻略はフィールドのそれとは感覚が全くと言って良いほど異なるのだ。
ジン:
「さて、戦争レベルの話はいったんここまでにして、崩し・崩れの話に戻すぞ。柔道の崩しをやってみせよう。えっと……」
シュウト:
「はい!」
例題係に立候補しておく。身を持って体験することの大事さはよく分かっていた。
ジン:
「やる気はわかったが、そー太、手伝え」
そー太:
「うっす」
う、うらやましい……。
ジン:
「柔道の基本の崩し技は、袖・襟をもった状態で円を描くようにするものだ。これは筋反射の操作法の代表例なんだ」
そー太の袖・襟を持った状態で、そー太にもジンの袖・襟を握らせる。
ジン:
「よし、踏ん張れ。崩されるなよ? それとスタンスは使うな」
そー太:
「うっす」
ジン:
「この円を描くというのは、相手が筋反射で押し返そうとするベクトルとどんどんズラしてやるってことだ」
そー太:
「どわっ!?」
踏ん張ろうとしていたそー太があっさりと崩されている。
ジン:
「柔道家でもこれがちゃんと出来る人って、もうほとんどいないんだ。腕できれいな円を描くことも、本当にやろうとすると難しいけど、知られてない。さらに本質である『筋反射とズラす』ってことを教えてない場合も多くて、どうしても力ずくになってしまう。金メダルが取れなくなったのは、こうした崩しの技術が失われたせいだ」
シュウト:
「僕もお願いします!」
タクト:
「オレも!」
希望者がジンに技をかけてもらうのだが、一瞬であっさりと崩されていた。柔道の基本技があまりにも高度でビックリした。
ジン:
「揉合系のこうした崩しを、すこし科学的な認識で捉えていくと、崩し・崩れに近いのが、筋力と重みになる。筋力で相手を押した場合、筋反射で押し返されるが、重みを掛けると、筋反射が起こりにくいんだ。この組み合わせで崩し技をかけていくことになる」
崩し →筋力 ……押し返される
崩れ →重み ……押し返されない(にくい)
ジン:
「じゃ、やってみせよう。そー太、踏ん張れよ?」
そー太:
「うっす」
ジン:
「基本は、押すか引くか、それに筋力と重みで4パターンの動作が作れる。これを組み合わせるんだけど、基本はこうだな。まず筋力で引く。すると抵抗されるんで……」
腕の力でグッと引きつけるが、そー太の首がガッと力を発して抵抗している。レベル差があるため筋力で無理矢理どうにかできる可能性はあるのだが……。
ジン:
「ここで、もたれ掛かるように前へ……」
そー太:
「でっ!? あがっ!」
崩しだけで、あっさりと床に倒れていた。手を貸してそー太を起こしてやるジン。
ジン:
「強く引かれたから、そー太は転ばないように逆のベクトルの筋反射を発生させた。そこに乗っかるように前に重みを掛けたわけだ。この時、『重み』だと筋反射を起こしにくい。バランスを取るのが遅れて、そこに俺の体が寄せられたってことだ。こうした重みを利用する動作だけど『崩れ』に近い。筋肉は使わないようにするのがコツだな」
筋力で引く← →転ばないように支える
重みで前へ→ →→筋反射が間に合わず、バランスを崩す
ジン:
「という訳で、簡単にだけど、ごく基本的な崩し技の理論でした。筋反射に対して、筋力と重みを組み合わせて崩していくわけだな。モンスター相手に使う機会はそんな無いと思うけど、武術においては前提であり、基礎だから、ちゃんと覚えておくように。
……では、最初の問いに戻ろう。電車を降りるにはどうすればいい?」
サイ:
「重みを、使う?」
ジン:
「正解だ。では、みんなで実際にやってみよう」
電車内の空間を再現する。まずテーブル2つを適当な間隔で離して配置。椅子を反対において、背もたれがテーブルに接するように置く。これを向かい合わせに作り、人を座らせて電車内の座席を再現。その前に人を立たせた。
横から順番で、テーブル、椅子に人が座り、立っている人、立っている人、椅子に人が座り、テーブル、の形になっている。
ジン:
「よし。じゃあ、この立っている人の間を通り抜けてもらおうか」
りえ:
「んじゃ、いっきまーす! んがー!」
名護っしゅ:
「おい、あんま押すなよ!?」
阿鼻叫喚の地獄絵図、みたいになった(苦笑)
立っている人は、椅子に座っている人に触れないようにしなければならないのだ。後ろにも人が立っているので、基本的に身動きが取れない。電車と違う点は、吊革がなくてバランスが取りにくいことだろう。これと相まって、通り抜けようとすると抵抗が強まることになる。
ジン:
「な? 筋力を使うと筋反射が起こるから、相手に強く抵抗される。人と人の隙間に、体、肩を押し当て、もたれ掛かるようにズルリと体重を掛けて割り込ませるんだ。決して力を使わないように、ズルリ、ズルリだ」
椅子役、立ち役、通過役で交代しながら、何回も何回も練習した。
――30分経過。
ジン:
「いやぁ、ウチのちっちゃい子は優秀だなぁ」ナデナデ
咲空と星奈の頭を撫でているジン。素直なのだろう。2人とも言われた通りにちゃんと出来ていた。本当に優秀である。
ジン:
「それに比べて、アイツらのヘタレなことと来たら。……いいか? あーいう頭空っぽな女子高生になっちゃダメだぞ? 親が悲しむ」
静:
「ぐっ」
りえ:
「くっそー」
葵:
「夢は詰め込める可能性はあるけどな」ケッケッケ
はいと言う訳にもいかず微妙な笑顔の咲空と、よく分かってなさそうな顔(猫なのでよく分からない)の星奈だった。
ジン:
「これなら、お前達のレベルをあげてレイドに加えた方が良さそうだ。 ……あ、ダメだ、あいつら家事もできないんだった(笑)」
りえ:
「うえーん(嘘涙) ユフィさーん!」
静:
「ジンさんがイジメるんですぅ~」
ドラえもんに泣きつくのび太ライクなダメJKが約2名。狙いどころが陰湿である。小賢しいというか、ああいう知恵は回るんだよね……。
ユフィリア:
「もう~。女の子いじめたらダメだよ?」
ジン:
「そうか? 構って欲しいとか、寂しくて死んじゃうとか言うくせに」
ユフィリア:
「それとこれは、別なの! いじめないで、優しくしてほしいんだよ?」
静&りえ:
「「そーだ、そーだぁ!」」
ジン:
「……フン。考え違いも甚だしい。女に優しくしたって良いことなんてなんもないね!」
ユフィリア:
「どうしてそういうこというの?」
ジン:
「さんざん優しくして来たからだよ。……だが実際、良いことなんてなんもない。ただ単に図々しいだけ。ひとつ譲ったら、ふたつ、みっつと譲ってもらえるもんだと思ってやがる。このゴミめ!」
静&りえ:
「ひぃっ!?」
葵:
「あーあ、ダークサイド発動しちゃったよ(苦笑)」
えーっと、どうすればいいのだろう? まぁ、見ているしかないんだけど。
ユフィリア:
「そんなこと、ないもん!」
ジン:
「ハッ、笑わせやがる。女になんぞ優しくしたところで、せいぜいが『普段、会話してあげてもいいかな?』とかのどうでもいい譲歩だけだぞ。テメーラ、どんだけ上から目線なんだっつー。優しくしたぐらいで恋愛やセックスに発展することはまずないし、それで体を許すのはかなり地雷度が高い女だけだろ」
葵:
「ぶぁっはっはっはっ、ちげーねぇー!」
場の空気が凍り付くなか、葵がひとり大爆笑していた。
ジン:
「そこのバカ2人、好きでもない男に優しくされたらどう思うんだ? ホレ、言ってみろ」
静:
「えっ、困る?」
りえ:
「めんどくさいとか、どーせ、あたしの体が目当てでしょ?とか」
ジン:
「……聞いたか? もう結論は出ましたけど?」
ユフィリア:
「そんなことないもん! 優しくしてもらったら嬉しいなって思うよ!」
ジン:
「お前らみたいなのばっかだから、優しさ・親切心がビジネスライクなものになるんだろ。好きでもないヤツに優しくされたら困るんだから、結局、好きな人に優しくされたいだけってことだ。例外はイケメンだろ? 実質、イケメン以外に優しくする権利はないんだから。
どっちにしてもイケメンに横からかっさらわれたりするんだし、女に優しくしなきゃいけない理由がどこにあんだって話だろ」
ジンの言ってることが正論だと思った。だけど、それで惨めな気持ちになるのは何故なのだろう。イケメンと言われることはあるが、自分でそう思っていないからなのか。もしくは、イケメンとジンが呼ぶ連中が、余りにも自分勝手に生きている風に聞こえるから、かもしれない。
ユフィリア:
「でも、でも、ジンさんは自分が真のイケメンだって言ってたよ!」
一方的な論破・封殺だと思ったが、ユフィリアは負けていなかった。彼女としては結構良い反駁の気がする。
ジン:
「そうさ。だから俺は、俺に優しい女にだけ優しくする」ドンッ
葵:
「ほい、ジンぷーの勝ち!」
ユフィリア:
「えーっ!?」
エルンスト:
「それしかないだろうな」
英命:
「ハロー効果ですね。……ですが『だから女の子をイジメて良い』ことにはならないのですがね(笑)」
シュウト:
「あっ……」
静&りえ:
「「せんせー!」」
静とりえが英命にすがりつく。横から見事にかっさらう人だった。
ユフィリアだけは納得行かないのかジンを睨んでいるが、軽く無視されていた。
ジン:
「終わりにするか。最後にまとめよう。……立ち役をやったら分かると思うけど、筋力で押されると疲れたり、反発心が生まれんだよ。言っちまえばストレスを感じるんだ。つまり、逆に重みを使う体術を巧く使うと、相手にストレスをかけにくくなると言える」
ユフィリア:
「優しいってこと?」
ニキータ:
「そうなるでしょうね」
りこ:
「でも、やっぱりただのライフハックって気がするんですが?」
確かに、崩しの大理論とつながっているのは分かるのだが、この部分だけ取り出すとライフハック的なものにしか聞こえない気がする。
ジン:
「かもな。でもまぁ、5年、10年と電車だのでこれを使い続ければ分かるけど、周りの人間はまったく学ばない、変化しない存在なんだよ。電車の乗り方、体の使い方に関しては、半永久的にMobのまんまだ。どんだけ顔が良かろうが、頭良かろうが10年15年経っても雑魚だよ。お前らも俺がこうして教えなきゃMobでしかなかった。実際、Mobだろ?」
シュウト:
「それは……」
その通りだ。こんな知識に触れる機会がそもそもない。高校生だったそー太や静、サイ達が試されるのはこれから先の話だから、まだ分かっていないかもしれない。僕だって同じだ。時間に試されるのはこれからのはずだった。……普通に生きていたら、レイドボスどころか、ネームドMobにすらなれないに違いない。
ジン:
「実際にはどうかというと、揉合系の格闘技やってても、この辺のことはやってなかったりするんだけどな。ちょっと気の利いたヤツならやってても良さそうなもんだけど、バカ多いかんなー。格闘技は格闘技、日常は日常と分けて考えてるせいなんだ。それは道って概念じゃねーな」
ジンはなんと言っていただろう。日常を『格闘的存在として生きる』こと。それはまさに武道という意味ではないのか。
ジン:
「周囲はMobのままだから、自分の動き方を変えるしかない。Mobをコントロールしろ。たとえば、後ろのヤツが『押す』のと『押される』のはまるで違うんだ。後ろのヤツが力で押してくるとイラッとする。押してくんじゃねーよ!と思う。でも『押される』とそうは感じない。後ろのヤツもその後ろのヤツに押されたのかもしれないって思うからだ。感じ方がまるで違う。これを応用して、自分が押された風を装えばいいことになる。それで相手にストレスを与えないように行動すればいい」
自分が後ろの人に、本当に『押される』まで待たなくてもいい、ということだろう。重みを使えば、押された風を装うことができる。
ジン:
「犯罪捜査のドラマとかだと、犯人が走って逃げる時に、周りの人を突き飛ばして逃げたりするけど『ああ、筋反射、筋反射』とか思いながら見ることになる。けっこう、抵抗されてて、体力使ってるのが分かるぞ」
テレビで見かけることが多いシーンの気がしたが、そんな風に見たことはない。テレビは、随分と懐かしくなってしまった。今では、無くてもそんなに困らない。することがないと暇だけど。
ジン:
「こんな話は実際、基本でしかない。この先の技術の前提なんだよ。重みを意識して生活すること。……よくよく吟味するように」
こんな風に講義は終わった。
この日の翌日、アキバの街中で殺人事件が起きたことを知った。