17 不可視
「ねぇ、〈古来種〉ってどう思う?」
〈第8商店街〉の亜矢はしきりに〈古来種〉のことを話題にしていた。『〈古来種〉との恋』という自分のアイデアを自慢したいらしい。彼女をよく見ていると強気なようで臆病なことがわかってくる。わざわざ周囲に話しているのは、自信のなさの現われなのだ。
それでも厄介な性格をしているから、誰かが自分よりも先に〈古来種〉と付き合ったりしたら、手柄を先に取られたように顔をしかめるのに違いなく、本気で怒ってみせるぐらいのことはするだろうと思われた。
ニキータとユフィリアは今夜もマダムのサロンにやって来ていた。
この日は〈エターナルアイスの古宮廷〉で来月に行われる舞踏会のことで持ちきりだった。〈大地人〉の貴族たちに招待を受け、アキバの円卓会議は代表団を送ることに決まったと聞く。一部の人間のみが知ることのできる情報であっても、この場所では半ば筒抜けになってしまう。
もしも舞踏会に参加することになれば、宮殿で〈大地人〉の貴族を相手に格好良いところを見せなければならない。それは半ば恐ろしくもあり、半ばうっとりするような素敵なイベントになるだろうと女子の想像をかき立てていた。また生産ギルドではイブニングドレスを作ったりと準備で慌ただしく動いているようだ。
ニキータは本来の政治的な影響を先に考えてしまい、参加したって緊張しそうでイヤだと思っているのだが、ユフィリアは美味しいものが食べられるのかな?といったことや、現代日本ではなかなか参加する機会のない華やかな舞踏会に少なからず興味がありそうな顔をしていた。
〈ロデリック商会〉の花乃音がユフィリアのところにやって来て、ドレスのことでなにやら相談をしている。何点かのデザインを急いで提出することになって困っていた。着る人のことを考えれば地味にはできないし、かといって派手過ぎるのもうまくない。それでいて技術力の高さはアピールしなければならないといった思惑があるようで、頭がぐちゃぐちゃになっている。しばらく話込んでいたが、何かのヒントを得たらしく、気が付けば帰ってしまっていた。
〈海洋機構〉のトモコが、今日が初参加という〈グランデール〉のルカを連れて来ていた。初回ということで遠慮がちに振舞ってはいたが、瞳が強い印象で、覇気がありそうな子だった。亜矢とはぶつかるかもしれない。
場の流れからか、ユミカが男の子とデートしていたことをトモコが暴露した様子で人の輪が出来ていた。しかもその相手はシュウトだったらしい。ユフィリアに向かって「ユミカを贔屓してずるい!」という声が上がったが、笑いながらうまく逃げていた。
◆
「ホントに、どうすればいいんだ……?」
一方でシュウトはといえば、自分の休みを練習に充てていた。場所はいつもの隠れ家的練習ポイントである。珍しく昆虫系のモンスターが数匹現れたのだが、レベル差があるのでソロでも問題なく倒していた。その後、矢に『気』をのせることを目的に何十本と矢を射てみるのだが、一度として上手くいかない。
(これだけ試してみて上手く行かないのだとすると、確率的にも狙って出せそうにないなぁ~)
実のところ、シュウトは既に答えに目星を付けていた。初めて試し撃ちをしに行った日、ジンに向けて放った矢で一度だけ感じた『虚脱感』こそが求めているものだろうと予想していた。ジンがまともに反応できなかったのも『気がのった』からだと考えれば辻褄が合う。
しかし、あれ以来一度も虚脱感を感じたことはない。
(んー、やっぱり「感覚の再現はタブー」ってのが原因なのかなぁ…………)
シュウトとしては虚脱感という感覚を再現したいのだが、ジンは感覚の再現はタブーだと言う。もしかすると、この矛盾が解決しない限りは上手くいかないのかもしれなかった。
それでもめげずに「もう一度!」と矢をつがえる。
弓弦を引き絞るのに合わせて気を高めていく。ここまで出来るようになるだけでもそれなりの時間が掛かっていて、マトが動かなければ何とか戦闘でも使えそうな感じになって来ている。これはかなり順調だった。問題はとっかかりすら掴めていない虚脱感の方だけである。
戦闘モードに入り、能動意識から体を解放する。気を高めながら限界まで引き絞り、更に引き続ける。するり、と矢は離れ、弓の鳴る高い音と共に狙い通りの場所に命中する。……だが、やはり虚脱感だけは感じられないままであった。
深く吐き出した息が、どうもため息に近くなってしまう。
かすかな金属鎧の音に気が付き、そちらに目をやるとジンが歩いて近付いてくるのが見えた。
ジンは女性2人をアキバまで送って行く役を引き受けていた。ニキータ達はそのまま宿に泊まることになっていたので、ちょうど帰って来たのだろう。荷物を見る限りでは戻ってきたその足でそのままこちらに寄ったのだと分かる。
「よっ、勤労青年。がんばってるじゃないか?」
「……ええ、まぁ」
よっぽど我慢しようかと思ったのだが、やはり教えを請うことにする。
「あの、ご相談が…………」
「んー?」
一通りの事情を話し終えたところで、ジンが深々と頷いた。
「なるほどね。…………問題はアレだな」
「何が問題なんでしょうか……?」
「うん。やっぱりさぁー、リア充のくせに非モテの『怨念の力』まで手に入れようって魂胆が間違ってんだよ。神に与えられた試練という名の罰だな。間違いない。」
「…………へっ?」
「可愛かったじゃん、黒髪の子。 俺もあのシャーベット食べてくれば良かったなぁ」
「み、見てたん、ですか?」
「別に見ようと思ったわけじゃないんだがなぁ。呼ばれてったら、たまたま」
考えてみれば、ユフィリアが1人でアキバからシブヤに帰るのは安全上の配慮として禁止されているのだ。帰るためには誰かを呼ぶしかなくて、それがジンになるのはごく自然な展開だった。ユフィリアが消えた直後にジンに念話を入れたら、クラッシュ・シャーベットを食べている頃にちょうどアキバに到着できる。
「いやぁ、女の子のことを考えながら練習したって、あんまり巧くいくとは思えないなぁ~。」
「そんなこと考えてませんよ!」
ニヤニヤしながら追求するジンに抵抗するために頭を必死で回転させる。何とか誤魔化さなければならない。ユミカのことを全く考えていないと言えばさすがに嘘になる。昨日の出来事を思い出しながら練習していたのは事実だったりするのではあるが、そんなに人聞きの悪いことがあったわけではない。
(…………結果的には、何もなかったわけだし?)
「そ、そういうジンさんだって、ユフィリアといつも一緒じゃないですか!」
「んー、そうか?」
「もう付き合ってるんですか?」
「いやぁ~、別にそういう話にはなっていないけれども」
「え? 好みじゃないんですか? というか、口説かないんですか?」
「いやいや、可愛いとは思ってるんだけど。……正直、アイツはなかなか完成度が高めなんだよ。美人で高嶺の花かといえば気さくで可愛いし、人懐っこいから手が届きそうなんだけど、あとちょっとで届かなくて、それで高嶺の花としての価値が高まる。また始めに戻って高嶺の花だけど、ってのがグルグルと続いていく仕組みがあるっぽい」
「はぁ……」
「つかみどころが無いっちゅうか、期待感だけはてんこ盛りっちゅうか?」
「なんかフラれるのよりも始末が悪いというか、余計にエゲツないような気が……」
実際のところ、ジンとユフィリアの間に通常の理解が可能な甘い駆け引きの類いはほとんど行われていない。
これはジンの安全距離が異常なほどに深まっていることにも原因があった。例えば、ジンの首筋にユフィリアが刃物を押し当て、『あとは掻っ切るだけ』の状態にしてスタートしても、ジンは90%以上の確率でユフィリアの攻撃を防ぐことができる。のこりの10%もダメージは受けても致命傷ではないという状態だ。人間関係での最大の影響のひとつである『殺すこと』ができないことによって、ユフィリアからの影響の大半を『どちらでもよいもの』としてジンは選択的に無視できてしまえる。
一方のユフィリアはその異常なモテ強度の高さから、男性に対して影響を与え、フィードバックからエネルギーを得るところまでを組み込んで自己の意識構造を形成させている。まず周辺の男性に魅力のシャワーを浴びせ、ちょっとした反応を引き起こすようにする。現実で言えば、軽く目が合ったり、姿を見かけたり、近くを歩いていたり、笑い声を聞いたりするといった程度のことなのだが、本人の自覚的な行動なしの半ば自動的な状態で男性の気を惹いてしまえる。その時に男性側は、驚きや照れ、ポーっとなる、嬉しくなる、感動するといった様々な『ちょっとした反応』を起こす。それらの反応からエネルギーをかき集め、時には増幅させつつ、取り込んでユフィリア自身を輝かせるエネルギー源にしていた。
しかし、ジンを相手にした場合、ゼロ距離でも期待した程の反応やエネルギーが返ってこない。無意識に膨大なエネルギーを運用しているジンはとても良いカモであるはずだったので、その潜在的な損失は看過できないレベルにある。実際のところユフィリアの魅力のシャワーは相手がどんなに女性慣れしていようと、一定の水準を超えて影響を与えられるだけの威力はあるのだが、恐竜並の鈍感さにより、否、そもそも運用しているエネルギー量の桁が違うので歯牙にも掛かっていなかった。結果、物理的にこれ以上は接近のしようがないため、ユフィリアの潜在意識ははじめての異常事態を前に対処に追われているのであった。このことは本人の表層意識にも僅かに影響を与えており、『なんとなくジンとくっ付いているのは楽しい』といった風にユフィリア本人に感じさせていた。
「気分転換に俺の練習を手伝えよ」
「何をすればいいんですか?」
ひとしきりからかって満足したのか、ジンがそう切り出した。うまく追求からは逃れたが、念のためにもう少し話を合わせておくことにする。
「じゃあ、俺の体に触ったらシュウトの勝ちな。」
それだけ言うとジンはタオルを巻いて目隠しをしてしまった。
「さ、行ってみよう!」
「……って、ミニマップがあるから、こっちの位置は分かるんですよね?」
「もちろん」
「つまり、〈特技〉でミニマップを誤魔化してジンさんに触ったらいいわけですね?」
「まぁ、大まかに言えばそんな感じかな。……ああ、ダッシュはすんなよ?一瞬で5メートルやら10メートル詰めて『触りました!』とかやられても意味ないから」
「わかりました」
〈暗殺者〉やサブ職〈追跡者〉の習得する特技には、この課題に利用できそうなものが幾つかある。どうするかチラりと考えた後で、〈ハイドウォーク〉から順に試していくことにした。念のために背後からではなく真横から接近してみたのだが、残り3歩のところで剣をピタリと喉元に突きつけられてしまった。
「ふむ、分かりにくくはなるが、このぐらいなら何とかなりそうだな」
「ホントに見えてないんですよね?」
「モチのロンですよ。つーか、この2ヶ月ばかしミニマップ関係で気配を察知する鍛錬はやってたからなぁ。一日の長ぐらいはなきゃ困るっての」
「…………もう一回いいですか?」
「おっ、いいねぇ。 じゃあ何か賭けるか。そうだな、俺が負けたら……」
「質問に答えてください」
「ん? そんなんでいいのか?」
「それでお願いします」
「ふ~ん。 ま、いいけど…………あんま変なこと訊くなよ?」
やり始めてみると面白くなり、シュウトも本気で攻略しにかかる。しかし、数度のチャレンジの全てを撃退されてしまった。しかも段々とジンが上達している気配があり、最初よりも難易度が高くなって来ている印象を受ける。今では慣れたためか何やら体をブラブラとさせ、たぶん別の練習をしながら、シュウトの相手をしていた。
「うーい、どうするぅ~? もっぺんやっかー?」
「えっと、今日はギブアップで……」
「そっか、サンキューな?」
そう言いながら目隠しを外そうとして…………外れず、もがいていた。
そのジンの様子を放心しながら見ていて、世界はかくも複雑で豊かなものだったか、と思い直していた。ゲームであれば、ミニマップと視覚を封じてしまえばあとは殆ど何も分からなくなるはずなのだ。それが今では殺気などの気配であったり、微かな匂い、体温、空気の流れなどの様々な要素が渾然一体となり、自分の存在を浮き彫りにしているのを感じる。皮肉なもので、気配を消そうと思えば思うほど、自分が確かにこの世界に存在していることが分かってくるのだ。自分が普段から使っていない感覚がどれだけ多いかが分かって、ちょっとがっかりしてしまう。
「んしょっ、と。 ふぃ~。…………あれだな、〈特技〉の使い方は良かったよ。繋ぎ目もほとんど感じなかったし、さすがに大手で揉まれてる優等生は違うな。作戦はまだ遠慮がちだったけど、それでもちゃんと勝ちに来てたしな。」
「……まぁ、鍛えられてますから」
(特にここ最近は、刺激が強いしね) と心の声で付け加える。
「あとは、もうちっと気を抜いたりしないとな。気を消したり、殺したり、抜いたり、周囲と馴染ませたり。逆に強く印象付けておいてから、一気に気を殺して移動するとかもいいんじゃねーかな?」
「〈追跡者〉の〈隠行術〉を持ってれば試してみたかったんですが……」
「ま、無いものはしょうがないな。〈特技〉や装備品に頼らないで、なるべく自分の腕を磨くこった」
「そうか、何か装備を買ってこようかな。」
「おぃ、先に腕を磨けよ……」
「でもそれが『代用』ってことですよね?」
「それはそうなんだが、まぁ、いいや。…………っと、俺に質問ってのは何だったんだ? 別に今でもいいけど」
「いえ、そっちはできれば再戦で」
「へぇ、勝つ気マンマンかい」
◆
「今朝は手抜きだよ」
とレイシンが軽い(?)朝食を並べる。温め直したパンに軽く火を通したハム、サラダ、オムレツ、ジャガイモのガレット。
「さ、食うべ、食うべ」
「日本人なら、朝はパンだね!」
「ツッコミ待ちはヤメろよ」
ジンや葵がゾロゾロと席に着く。石丸もやって来たので、レイシンは全員分のミルクティーを入れていた。これはコーヒーがなかなか手に入らないためで、最近は代用品として『たんぽぽ麦茶』なるものが登場したのだが、これが中々の人気商品だった。ジン達もそのうちに試してみようと話をしていた。
「今日の予定なんですが」
ここのところジンが気を回す前に、シュウトから先に話を切り出すように心掛けていた。これは慣れてしまうと意外と具合がよかった。
「アキバに寄って女性陣を回収した後で、マイハマまで足を延ばそうと思います。向こうへの連絡は出発する時にします。」
「おっけ」「了解っス」
自分の分のミルクティーを受け取って、口をつける。その柔らかい香りにほっとする。
「しかし、あれだな……って、これ美味いな!」
ジンがジャガイモのガレットを食べながら口を開いたが、どうやら開ききらなかった。
「ガレット? 塩揉みして焼いただけだよ」
「ほら、ジンぷーは舌がやっすいから、手抜き料理がお好みなんでしょ?」
「おっと、値段を聞くまで味が分からないヤツが偉そうだな、オイ?」
「なにさ?」
「なんだよ?」
いつもの光景なので軽く聞き流し、シュウトは黙々と食事を進めてゆく。オムレツも美味しかった。やはりここはまとめてサンドイッチ風にして食べるべきだろうと考え、具材をのせてから齧り付いてみる。正解だった。
そうしておいてから、何も無かったようにジンに先を促した。
「それで、なんでしたっけ?」
「え?…………あー、そうそう。 そろそろ、もちっと強い敵と戦いたいなって話だ。今のままだと全然レベル上がらないし、金もアイテムもさっぱりだ。」
「もう少し高レベルのクエストをやるとなると、数が少ないから競争っぽい感じになりますね」
「そうなるだろうな。この手の“狩場”の数が少ないって問題にはひとつの原因があるわけだが、」
「〈妖精の輪〉っスね?」
「そいつだ」
〈妖精の輪〉とは、ゾーン間移動に使われる転移装置で『天然の魔法陣』といった姿をしているものだ。世界各所に存在し、それもかなりの数にのぼるため、場所やタイムテーブルの全てを把握しているプレイヤーはいない。〈大災害〉以降はネットにあったWikiなどの攻略サイトを確認することが出来なくなってしまったため、必然的に使用が制限されることになってしまっていた。
「自分達の狩場だけでも確保しなきゃなぁ」
「周期を調べるのも一苦労だもんねぇ。海外に飛ばされて、帰ってこれないかも?!きゃー!」
「嬉しそうにしてんじゃねーっつの。お前だって最低でも半年ぐらい旦那のご飯は抜きになるんだぞ」
「ジンぷーだけ先に飛び込んで、行き先を調べればいいじゃん……ダーリンは安全そうな時だけにしてね?」
「どこまで鬼なんだ、お前……」
「いいじゃん、“妖精の旅人”すれば。かっくいー!」
「アホか!」
〈妖精の輪〉に飛び込んだ場合、転移先からもう一度転移して元の場所に戻ってくることは基本的にできない。これは〈妖精の輪〉にはそれぞれ別の転移先テーブルが決められているためだ。よって基本的に帰りは帰還呪文を使うことになる。
ところが稀にシブヤのように都市の中に〈妖精の輪〉が存在している場合もあった。世界の中~大型の都市にその傾向がみられ、そういった場所に飛んでしまえば当然ながら帰還先の設定が上書きされてしまう。このため現在では安易な連続転移は控えなければならなかった。
ゲーム時代ならば適当にログアウトし、再ログインする時にアキバなどを選んで再スタートすればよかっただけなのだが、そもそも『ログアウトができないこと』によってこの異世界に閉じ込められているのである。間違って海外の都市に飛んでしまった場合は、歩いて戻ってくるなり〈妖精の輪〉で再び戻ってくるしかない。
『妖精の旅人』とは一種のスラングであり、迷子のように連続ジャンプし続けることを指している。これは長くプレイしていれば誰もが一度や二度は経験しているもので、実際には世界中を旅して回ることは出来ずに、数箇所~十数箇所の単位で〈妖精の輪〉の転移先の範囲内に閉じ込められてしまうことがしばしばだった。
転移先テーブルもゲーム時代は5分で変化していたのだが、現在は1時間かかるため、もし連続ジャンプをしていてループした場合には狙い通りの行き先に移動するのはより困難になってしまっている。
「じゃあ、いってくるね?」
「いってらー!」
「行ってきます」「よーし、私も出るぞ!」「いってくるっス」
「そうそう、帰ってきたらみんなにちょっとお話があるんだからね?」
「シュウト、……なんだか急に2、3日は戻って来られない気分になってきたな?」
「また、そういうことを……」
◆
「おはよー!」「おはようございます」
「オハヨー」「チューッス」「ございますっス」
アキバの街に入ったすぐのところでユフィリア達と合流する。帰還呪文による帰還先の設定を一致させておく事は、パーティで行動する際に意外と重要なポイントだった。まだ朝に分類される時刻ではあったが、アキバの街は活気づいていた。
「ジンさんも、おはよっ!」
「よっ。ずいぶんと顔がツヤツヤしてんじゃん。……昨晩はお楽しみでしたか?」
「うん。すっごい楽しかったよ!」
後ろでレイシンと石丸が笑っているが、意味が分からないメンバーはキョトンとしていた。
「なんか、言い方がイヤラしいのよね」
そのやり取りを冷め切った目でみていたニキータに、シュウトが話しかける。
「おはよう。今日はこれからマイハマに行くから」
「ン、わかりました」
「……?」
ニキータの態度に少しの違和感を覚えつつも、気のせいだろうと結論する。
マイハマまでは通い慣れた道になりつつあった。しばらくは歩きながらユフィリアが楽しそうに話すのを聞いておく。意外とディープな話題に「侮れないな、女子会……」と唸る。
開けたゾーンに出たところで馬の人となった。このところの小クエストの踏破により、馬は日常を構成するものの一部になっていた。馬を走らせたときの振動にも慣れたため、風を心地好く楽しむことができる。自分専用の馬を使っているわけではないのだが、召喚の笛で呼びだした馬にもそれぞれ個性があるのが少し分かるようになって来ていた。
7月も下旬に入ろうとしている。今日も暑い一日になりそうだった。
「おっと……」
酒場から飛び出して来た男性を、ジンはぶつかるすんでのところで躱していた。相手はそのまま謝罪の言葉もなしに走りさってしまった。石丸がしばらくその男の背中を見続けていた。
酒場の中に入るなり、切り盛りしている店主が声をかけてきた。
「ああ、アンタ達か。ちょうど頼みたい仕事があるんだが」
「っていうと?」
「たった今、キャンセルされた仕事があってね。4、5日前に登録だけしてあったみたいで、依頼主をかなり待たせちまってるんだ」
「ふぅ~ん。俺達は別に構わないよな?」
「ええ。僕らで引き受けましょうか」
それはごく単純な護衛の依頼だった。母と娘という組み合わせで、特に大きな荷物もない。〈冒険者〉に護衛を依頼してまで旅ができるということは、それなりに裕福なのだろう。〈大地人〉は〈冒険者〉とは違い、魔物を倒して財貨を得るということができるわけではない。貴族でないのなら、そこそこ裕福な商人の家族だろうとあたりをつける。
「どうやらお待たせしたようですね、申し訳ありません」
自分達の責任ではないが、それでもジンは軽い謝罪をする。
「いえ、急ぎの旅ではなかったので大丈夫です。どうぞ、よろしくお願いいたします」
母親の丁寧な態度に、〈冒険者〉との付き合いに慣れた雰囲気を感じる。〈大地人〉の女性であれば、もう少しおっかなびっくりであることが大半だからだ。……となると、この護衛のクエストはゲームでも度々発生していたものかもしれない。〈大地人〉の寿命を考えると、現実世界の時間で2年(=ゲーム時間で24年)もすれば娘は大きくなって母になり、また自分の子供を連れてこうした護衛のクエストを依頼することになるのかもしれない。
そうしたことを考えると、母親の影に隠れている小さなレディに別の感慨を覚えてしまう。
(いや、全て僕の勝手な妄想ではあるんだけど……)
ユフィリアが早速、その内気なレディに話し掛けていた。こういった部分でカトレヤ女性班のあまりの頼もしさに湧き上がる感情を何と呼べばいいのか、シュウトは言葉にできなかった。
男性ばかりのグループの場合、子供、特に女の子は持て余しがちだ。元々は戦闘さえ強ければクエストをこなす事はできたのだが、ゲームが現実化したことで、物事を円滑に進めるためにはちょっとした配慮を積み重ねることが必要になっていた。クエストに付与されたこれらソーシャルな側面に上手く対応できなければ、(ジンが考えているであろう意味において、)『ちゃんとこなす』ことはできない。
しかし女性だから小さな子の相手をするのが得意だなどと決め付けるわけにはいかない。むしろゲーム女子にはその手の行為が苦手なタイプも多いかもしれないのだ。無理をして繕って、子供が好きなふりをして貰いたいわけではない。それらは自然な感情であって欲しいし、シュウトも便利だからと女性陣に役割を押し付けてしまえばいいとは思わない。ただ『そういうこと』の得意な人が身近にいるのは、それだけで圧倒的に心強いものなのだ。
小さなレディがこちらを見ていて、目が合ってしまう。
シュウトは、にっこりと笑ってみた。それで女の子も安心したのか、笑ってくれた。……こうした小さな心の交流に和やかな気分でいるのに、
「ロリコンの人がいる……」
「プッ……」
ジンがボソっとコメントしたのを耳にして、ニキータが身をよじって背を向け、ふるふると震えている。……これでは台無しではないか。
ちなみに母親はロリコンの意味が分からなかった様子で、そちらは事なきを得た。
(ジンさんに『ソーシャルな配慮』は期待できないな……!)
照れもあったが、やはり憤懣やるかたない。
シュウトが自分の外側にむけて一歩を踏み出した努力を笑われた気がしてたまったものではなかったが、外からみたら小さな女の子を毒牙にかけようとしている風に見える可能性について、本人はまったく気が付いていなかった。
マイハマから護衛の目的地である魔法都市ツクバへと向かう小旅行を急ぎ足で行う。この区間は意外と距離があり、子供連れの〈大地人〉と一緒に歩いていては、2日かけても目的地に辿りつかない。かといって馬車を用立てていては足が出てしまう。現在は交渉の仕方次第でクエストのやり方に多少の融通が利くため、母親をニキータの、子供をユフィリアの馬の背に乗せて走らせていた。馬に休憩を与えることを考えたとしても、今のペースであれば日が落ちる頃にはギリギリで辿りつくことができるかもしれない。当然、帰りはアキバまで帰還呪文だ。
シュウト達は、ほとんど無意識に『近道だけれど少し危険なルート』を選択していた。確かに、遠回りだがより安全なルートもあったのだ。しかし、馬の疲労や、同乗する〈大地人〉親子の疲労、日没までの時間と途中で夜営したくないといった面倒を避けたがる気持ちなどが重なり、『より安全なルート』を行くべきかどうか?といった選択肢を意識させなかった。
――そして、万が一が起こった。
先頭を走らせていたジンが手を上げながら、馬の速度を落としていた。他のメンバーもそれにならって速度を落とす。と、同時に一番うしろにいたシュウトの頭に念話を知らせるチャイムが鳴った。
『どうも囲まれつつあるな。動きが早いし、数も多い。』
『そのまま突っ切って逃げられませんか?』
『難しいな。俺達のは戦闘用の馬じゃない。逆に危ないだろう。』
『やるしかなさそうですね…………先に馬を逃がしましょう』
『そうだな』
戦いになった時にパニックになった馬が暴れると面倒事が増えてしまうのだ。鞍を外すように指示し、食べられてしまわないことを祈りつつ、囲みが完成していない方向へ逃がしてやる。これで馬達の無事は祈ってやるしかない。
「……見えました。ダイアウルフの群れです」
〈暗殺者〉にして弓兵でもあるシュウトは、視力強化の特技やアイテムを保持している。ここは谷の底に近い地形をしていて、馬を走らせることは出来るが、周囲から魔物に襲われた時に身を隠す場所がない。相手からはこちらの姿が見えてしまうが、敵の姿は木々に遮られ、襲い掛かられるまで分からない。ちょっとした難所になっていた。
「デカ狼かよ…………面倒だな」
レベル差のあるモンスターなので、20~30体程度に囲まれたところで、ただ倒すだけならば何も面倒ではない。ここで問題にしているのは、守るべき対象の身の安全についてだった。大型の狼は動きが素早い。一瞬の隙に噛みつかれでもすれば、小さな女の子などは一撃で死に到ってしまう。生きてさえいてくれれば回復させることもできるが、死んでしまっては蘇生の呪文も通じない。〈大地人〉は死んだら生き返ることはないのだ。
「しゃあねぇか、ちょっくら本気を出すかね」
ジンはむしろ楽しげな様子で左右に首を鳴らした。
「それはダメっス」
ところが石丸が待ったを掛ける。
「ん?……どして?」
「たぶん、高確率で、これはMPKっス」
「なん……だと……?」
瞬間的に緊張感が増大する。血流が耳元で地鳴りのような音を奏でる。
シュウトは信じたくなかった。同意するに足る“予兆”がない。考え過ぎや心配のし過ぎではないのか?陰謀論が好きといった様な、ちょっとした思考の偏りみたいなものではないのだろうか?
MPKとは、モンスタープレイヤーキラーの略称で、いわゆるプレイヤー殺し(PK)の手法で、モンスターを利用するものだった。〈エルダー・テイル〉の場合、ハイレベルクエストのイベント中といったよほどの事情でもなければ、帰還するなりで回避できる。
しかし、今回の場合は自分達が助かったとしても〈大地人〉親子の命は失われることになるだろう。それは単なるクエストの失敗とは既に根本から意味が変わってしまっている。
「……シュウトは弓を準備。ニキータと先制して、なるべく数を」
「ジンさん!」
「シュウト、いいか、MPKでも、例え違ってても、俺達は対処する。どっちにしろそこは変わらない。」
「それは、そうですけど……」
「だったら信じろよ、仲間だろ?」
その言葉に、瞳を輝かせたユフィリアが元気な声を出した。
「うん。私達はただ 護り切って勝てばいいんだよね!」
「そうだ」
(天然なのか、計算なのか、タイミングのいい同意だな)
パーティがバラバラになる前に、方向付けをしている。
弓を取り出しながら更にシュウトは考える。
結局は『仲間を信じるかどうか?』という事なのだろう。性格的なものに疑問を感じはするが、石丸の能力を疑っているわけではなかった。
(なら、僕が否定する根拠はなんだ? …………無いな。感情だけか?)
ジンが本気を出せば確実に勝てる。本気を出さないのなら、五分五分といったところだろう。〈大地人〉親子の生命を掛けてお遊びみたいな事をするのが気に入らないのか、単に楽をしたいだけなのかは、実のところ区別が付かない。
そうして、いつかと同じ感じを覚える。自分はやるだけやって、後はどうとでもなればいいというあの感じだ。
だから、振り向いた。
シュウトの視線の先には、小さなレディが不安そうに母親にしがみ付いている。
(あんな重そうなものをこの先ずっと背負っていくのは、僕には無理だ……)
情けないことだが、それが本音だ。 今はその弱さでも十分に『使える』と判断する。
――そうやって、絶対に勝つと決めた。
◆
準備も打ち合わせの時間も殆ど残されていなかった。地の利を得たいが、その場から動くことも間々ならない。親子に速力を求めることはできなかった。何処か背後から襲われない場所を背にし、前線で壁を築くのが理想だったが、これが仮にMPKだとすると理想的なポイントには逆にトラップが仕掛けてあったり、伏兵に襲われ易くなる可能性もあった。
モンスターよりも同じ人間である〈冒険者〉に狙われることの方が遥かに気を使わなければならない。
勝利条件の厳しい戦いにおいては、オープニングからの数手で戦局全体の有利・不利が決まってしまい易い。防衛戦の難しさはゲームで幾度も経験していたが、戦いが始まる前は普段の何倍も緊張が高まるのだった。
ジン・レイシン・シュウトの3人で三角形の形に陣形を作り、内側にニキータ・ユフィリア・石丸を入れ、更にその内側に〈大地人〉の親子を守る形を採る。
敵は〈魔狂狼〉ダイアウルフ。一体一体は敵ではないが、数が多いうえに、周囲をグルリと囲まれている。
射程圏内に入ったところで、立て続けに弓を射掛ける。二種類の弓鳴りが響いた。しかし敵に囲まれているため、どうしても火線が散らばってしまう。同じ方向ばかりに打ち続けるわけには行かないためだった。加えて前線を構築するため、シュウトは武器を持ち替えるタイミングを計りながらの射撃だった。
ダイアウルフの一体が雄叫びを上げる。……狩りの時間が始まった。
本来の狼の狩りは、周りを囲ってちょっかいをかけ、疲労したところで仕留めるといった形をとる。ダイアウルフは月やマナに狂っているために凶暴で、一斉に襲い掛かってくることも多いのだが、始まりはゆっくりとした形になった。
しかしシュウト達も相手のペースにさせるつもりはない。シュウトは白兵戦武器に持ち替えたが、ニキータはまだ矢を射続けていた。……と、石丸の呪文が完成し、狼の群れで爆発が起こる。
ニキータは永続式の援護歌に〈臆病者のフーガ〉を選択し、後衛にターゲットを集めないようにしている。ジン達はちょっかいをかけにくる相手を追い払う形で戦っていた。……ここまでは順調だ。
やがて、ダイアウルフたちが狂った様に凶暴性を剥き出しにし始める。ヘイト値の上昇から怒り状態への移行、そして一斉に襲い掛かってくる。
第一波はなんとか凌ぎ切った。そちらこちらでユフィリアの掛けておいた反応起動回復の光が弾ける。同時にタイミングをズラしたジンのタウンティング特技が決まり、深く入り込んでいたダイアウルフたちの大半を取り込んで、ターゲットを強制的に集めていた。そのままジンは敵を引き付けて離れ、味方を巻き込まないように位置取りをする。シュウトは間を空けずジンを襲う敵に背後からの攻撃をしかけ、一体、二体と仕留めていく。〈暗殺者〉との攻撃力の差から追撃役を譲ったレイシンは、周囲を広くカバーする役割を引き受けている。ユフィリアは再使用規制の解けた反応起動回復呪文を掛けなおしていた。
第二波もなんとか防いだ。状況は芳しくなく、石丸は自分の体を敢えて噛み付かせることで、親子への被害を阻止していた。
密度の濃い詰め将棋のような戦いを行っている。それぞれが独自に考え、且つ、一つの生き物のように動いている姿をシュウトは幻視する。これまで過ごして来た時間が積み重ねたものが、答えとして、形としてここに現れていることを知った。
(なんだ、ちゃんとやれているじゃないか……!)
そう再認識した。 規模こそ小さいが、内容的に大手の戦闘ギルドにも決して引けをとらない『本格的な戦闘ギルド』として、いつの間にか成立している。今こそ自分の、自分達のチームを誇らしく思った。ダイアウルフなぞに苦戦しながら、埃まみれの傷だらけであっても、それは変わらない。
石丸が炎の壁を作り出す。シュウトにもその意図が分かる。包囲の円を歪ませるためだ。ジンは微妙に自陣の位置を動かしながら、潮目の変化を見逃さないようにしていた。シュウトは包囲の歪みからタイムラグを引き出すべく、投擲用のナイフを準備しておく。
その時、意外なところから潮目の変化が起こった。
炎の壁を嫌ったダイアウルフが空けたスペースに向かって、少女が闇雲に走り出してしまったのだ。
ゾッと凍り付く時間。一瞬、動きが固まってしまう仲間達。うろたえて足が縺れそうになる母親。ジンが何事かを叫び、いち早く弾けるようにユフィリアが飛び出した。なぜか直後に倍する声で怒鳴るジン。
その時シュウトが見たのは、ユフィリアに吸い込まれるように命中する『一本の矢』だった。