161 クリスティーヌの事情 / ツバメの飛ぶ空
急な休日に特にやることもなく、どうしようかと考えていた。何も思いつかなければ、大抵、個人的な訓練に当ててしまうことになる。
ユフィリア達は既に〈209〉へ出かけた。そー太達は最近小さなクエストを掛け持ちを始めたので、今頃はあちこちで冒険を楽しんでいることだろう。ビルは人が少なくてがらんとなっている。
そんな状況で、珍しい人が声をかけてきた。
クリスティーヌ:
「頼みがある」
シュウト:
「僕、ですか?」
こくり、と頷くクリスティーヌに少しばかり動揺する。戦闘用の格好は見慣れているが、今は私服だった。フランスの人らしいのだが、こざっぱりとした格好をしている。そのことで逆説的に『例のもの』が大変に強調されていた。首元というか、胸元が開きすぎているような気がおおいにする。
クリスティーヌ:
「ジンの使っているのと同じ鎧を購入したい。アキバにはまだまだ不慣れだ。買い物に付き合って欲しい」
シュウト:
「前に言ってた件ですね……」
スタークが鎧を作ると宣言した時の話だろう。それは少しばかり協力したい気がする。……ただし問題は、クリスティーヌと2人切りになるかもしれない、という点にあった。彼女も十二分に人目を引く外見をしている。
〈スイス衛兵隊〉であること、加えてギルドマスターであるスタークの護衛をしているからなのか、基本的にあらゆるスペックが高い。外国風の容貌 (まぁ、本当に外人さんだし)はいわゆる『リアルエルフ』というヤツであろう。普通に美人さんだし、僕よりも背が高いし、更に『例のもの』が最強クラスだ。まともに勝負できるのは、〈円卓会議〉参加ギルド〈三日月同盟〉のマリエールさんぐらいではないかと聞いている(雷市や汰輔がそんな話をしていたのだ)。
アキバの街を2人きりで歩くことを想像すると、何か変な震えがくる。
たとえば、ケイトリンのように性格が悪ければ断ることもできたかもしれない。だが、クリスティーヌは誠実な人柄で(ちょっと真面目すぎるというべき?)そういうことはしにくい。何しろ物静かなので、会話が続く自信がない。下手な冗談で静寂を作り出して、戻ってくるまで気まずいまま、なんて光景が4Kを超えたハイビジョンで想像できてしまう。
勘違いされては困るのだ。ユフィリアみたいな『世界の頂点』相手に緊張しなくなったからといって、他の美人さんに緊張しなくなるかというと、そんな都合のいい話はないのだから。
(だいたいユフィリアは勝手に喋ってくれるから話題とか気にしなくていいし!)
ジン:
「デートか? まぁ、がんばれ~」←他人事
シュウト:
「ジンさん!」はっし
どこからかやって来て、そのまま脇を通過していこうとするジンの腕をもう超反射的なスピードで掴んでいた。
ジン:
「……なんだよ?」←嫌そうに
シュウト:
「(一緒に、来て欲しいんですが?)」ボソボソ←(既に涙目)
ジン:
「だから、お布団ホカホカにするって言ってんだろ」
シュウト:
「(でも、干したらあとは暇じゃないですか!?)」
ジン:
「バカ、丹念に何度もひっくり返したりするんだよ! てか、買い物だったら石丸に頼めよ。それに鎧を買うんなら、Zenonあたりに連絡して、まけて貰えばいいだろ?」
……というか、そこまで気が回っていなかった。ありがたい指摘に感謝しつつ、掴んだ腕を放したりはしなかった。それとこれは、別の問題である。
クリスティーヌ:
「すまない、なにか迷惑だったかな?」
シュウト:
「(ビクッ)ぃえ! 決して、そういうことでは……」はわわわわ
ジン:
「あー、ワリィな。2人で歩くと緊張するんだってよ」
クリスティーヌ:
「私と一緒でか? ……君ほどの戦士が何を言っている?」きょとん
それ、関係ないですよね? まったくもってして別の問題ですよね?
クリスティーヌ:
「大体、君はモテるだろう?」
シュウト:
「モテるかどうかと、緊張する・しないは別の問題ですよね?」
この後に及んでモテないつもりでいたら流石にジンに殴られるだろう(当確)。そこは仕方なく認めても、だから平気かどうかとは関係がないと主張する。
ジン:
「まぁ、モンスター退治なら余裕なんだろうけどなー?」
シュウト:
「そうなんです」コクコクコクコク
そういうのだったら、いくらでもお付き合いが可能だ。しかし、クリスティーヌは何か勘違いしたらしい。
クリスティーヌ:
「……もしかして、この格好では不味かったか?」
ジン:
「まぁ、露出が足りないってことかもな?」(邪悪)
クリスティーヌ:
「すまない、そこまで気が回らなかった……」
シュウト:
「ちょっ!? そういう問題じゃないですから!」
クリスティーヌ:
「少し待っていてくれ。君に恥をかかせたりはしない」
願いも虚しく、着替えに行ってしまうクリスティーヌだった。自動翻訳がなにか違っているのか言葉が通じていない気がする。ゲラゲラ笑って涙目のジンに恨みがましい視線を投げつける。しかし軽くスルーされ、部屋に布団を取りに行って、そのまま屋上へと去ってしまった。だが、クリスティーヌの着替えが終わる前にジンは戻って来た。着替えた彼女を見物するのが目的だろう。
ジン:
「咲空、石丸先生しらね?」
咲空:
「ユフィさん達と一緒にお出かけされました!」
ジン:
「そっか。やっぱ買い物の時はモテモテだなぁ」
シュウト:
「咲空は一緒に行かなくて良かったの?」
咲空:
「大丈夫です。いつでも行けますし。今日は星奈とお留守番です!」
ジン:
「すまんな。後で、シュウトが服を買ってやるからな?」
シュウト:
「えっ?」
咲空:
「いいんですか?」
ジン:
「よかよか(笑)」
咲空:
「シュウトさん、ありがとうございます!」きらきら
シュウト:
「う、うん」
自分で買ってあげると言わないあたり、流石はジンである。でも咲空の嬉しそうな笑顔を前にしたら、拒否することなどできる訳もない。女の子にはご褒美が多めに必要なのかもしれない。
クリスティーヌ:
「すまない、待たせてしまったかな?」
咲空:
「うわぁ~、ステキ!」
シュウト:
「ああああ(焦)」
クリスティーヌが本気を出したら、更に美人度がアップした。そして僕の憂鬱度は加速度的に深まった。洋服の知識がないので、腰までの短めのコート?にマフラー?を巻き付けていて、足にぴったりと張り付くようなパンツルック?ぐらいしかわからないのだけれど、格好良かった。
クリスティーヌ:
「……どうだろう?」
ジン:
「そういうのもこなせんだな。よく似合ってるぜ」
クリスティーヌ:
「ありがとう」
ジンが普通にホメ言葉を言ってて狼狽える。次は僕の番であろう。(ど、ど、ど、どないしよう?)とか内心でどもりつつ、必死で口を動かした。
シュウト:
「こんな美しい人のエスコートが務まるかどうか、不安でいっぱいです」
クリスティーヌ:
「…………」
ジン:
「…………」
何か黙られてしまい、変なこと言って失敗したかと怯えてしまう。えっ、お仕置き? お説教?
クリスティーヌ:
「(フッ)感謝する。君にそう言ってもらえて、とても光栄だよ」
笑顔で優雅にお辞儀する姿は、どこぞの貴族の令嬢のごとし。いや、バロー家とかって言ってた気がするし、もしかしなくても、そういう家柄ってことなんじゃ?
ジン:
「……しゃあねぇ。ついて行ってやっか」
クリスティーヌ:
「なんだ、我々のデートを邪魔するつもりか?」
シュウト:
「デ!!?」
ジン:
「あー、すまん、そういうことなら出しゃばる気はねーよ」にやにや
シュウト:
「ら&%”$’ね・@?」
目を白黒させていると、クリスティーヌが吹き出して笑った。
クリスティーヌ:
「冗談だとも。さ、行こうか」
輝くような、楽しげな笑顔だったと、付け加えておくことにする。
◆
ジンとクリスティーヌの間に挟まれて街を歩く。クリスティーヌが当然のように目立っていて、道行く男性が、否、女性までも振り返って見ている。2人の間というのは、どうもポジションが良くない気がする。
ジン:
「確認しときたいんだが、〈スイス衛兵隊〉ってのは何なんだ?」
クリスティーヌ:
「難しい質問だな」
シュウト:
「えっと、ギルドじゃないんですか?」
ジン:
「いや、構成メンバーが異常だ。たとえて言えば、エルムや英命みたいなのばっかりの集団ってことだぞ」
シュウト:
「そうなんですか?」
それはちょっと怖いような。平均レベルが高そうだとは思ったけれど、最上級の人材ばかりってことになってしまいそうだ。
ジン:
「巨大な下部組織かなんかがあって、選抜された精鋭だけってんなら話は分かるんだが、そんな雰囲気でもないし……。何が目的なんだ?」
クリスティーヌ:
「スターク様のことはスターク様に質問してくれ。私が推測で答える権限はない」
ジン:
「そうか。そうだろうな」
クリスティーヌ:
「しかし、自分のことなら話せる。私の目的は、スターク様の妾にしていただくことだ」
シュウト:
「めか、け……?」
あまり聞かない単語に『?』が3つぐらい浮かぶ。
ジン:
「おいおい、本妻じゃなくて、愛人になるのが目的だってか?」
クリスティーヌ:
「そうだ。あの方は既にご婚約されているし、私とは10歳近く年齢が離れていることもある。贅沢を言う気はないさ」
ジン:
「家のためか」
クリスティーヌ:
「そうだ。我がバロー家の繁栄のためだな」
ジン:
「ガチかよ。どんだけ金持ちなんだ、アイツん家」
会話内容が一瞬で異次元と化した。理解が追いつく自信がない。妾とか言われて、瞬間的に理解できるハズがなかった。そんなの、日本だといつの時代のことだろう?とか思ってしまう。
ジン:
「つまり、ロスチャイルドとか、そういう感じなんだな?」
クリスティーヌ:
「あそこまで有名じゃないが、西欧諸国で三本の指には入るだろう」
ジン:
「御三家ってか。まぁ、向こうの金持ちは桁が違うって聞くしな……」
シュウト:
「そうなんですか?」
ジン:
「うむ。日本だと、基本的に金持ちは3代続くかどうか、って話らしい。相続税があるからってのもよく言われてんな。ヨーロッパだと相続税がなかったりして、中世からずうっと金持ちとかの連中が、それなりにいるんだとよ」
貴族的なおぼっちゃまだったのか。そう考えると、スタークの振る舞いにもどこか気品があるような、……まるっきり無いような?
ジン:
「てことは、〈スイス衛兵隊〉ってのは」
クリスティーヌ:
「うむ。スターク様とコネクションを得ようとする企業や組織からのエージェントで構成されている」
シュウト:
「それじゃ、スパイ大作戦ですか!?」
ジン:
「なかなか古いネタではないか」
クリスティーヌ:
「しかし、そう間違ってもいない」
ジン:
「そうなのか。とりあえず事情はなんとなーく分かったけど。……アイツ、跡取りなのか?」
クリスティーヌ:
「いや、ご兄弟が上に2人いる」
ジン:
「三男坊でそれかい……」
クリスティーヌが『三男坊の愛人』になろうとするほど、スタークの実家には影響力があるということに……。
クリスティーヌ:
「3年ほど前、スターク様が〈エルダー・テイル〉を始めたことが噂になった。後で聞いた話だと、ご本人がリークしたと笑っておられた」
ジン:
「なに考えてんだ、あのガキ」
シュウト:
「それで、どうなったんですか?」
クリスティーヌ:
「うむ。スターク様とのご実家と、もしくはスターク様ご本人とコネクションを得るべく企業などから人材が投入された」
ジン:
「気のなげぇ話だな~」
シュウト:
「そんなことに……」
スターク本人が社会に影響力を振るうようになるとしても年齢を考えればまだ数年、もしかすると10年ぐらいかかりそうなものだ。そんな前からコネを得ようとしたらしい。もしかすると資産家としての歴史が長いからなのかもしれない。
クリスティーヌ:
「当初、どの企業も歳の近い人間や、ゲームの得意な者を雇って送り込んだそうだが、そうした者達にスターク様は見向きもされなかったそうだ」
ジン:
「なるほどね(笑)」
クリスティーヌ:
「この辺りは私も又聞きなのだが、しばらくして現れたのが、あのヴィルヘルムだったそうだ。当時はまだまだ中規模の企業だったそうだが、最も優秀な人間を投入したのは英断だったろう」
ジン:
「あの男か」
シュウト:
「思い切ったことしますね」
クリスティーヌ:
「まぁ、ヴィルヘルム本人が志願して勝手に始めたという噂もあるが、本当のところは私も知らない。だが、すぐにスターク様のお気に入りになったそうだ。ここからがあっという間だった」
ジン:
「状況を予見できた連中から順に、エリートの投入を始めた訳だな?」
クリスィーヌ:
「そうなる。〈スイス衛兵隊〉に参加した企業の業績が伸び始めたことで、だんだんと企業側も態度を変えていった」
シュウト:
「どうしてそんなことに? スタークが家のお金を動かしたんですか?」
クリスティーヌ:
「それは違う」
ジン:
「ヴィルヘルムだな。ぜってー、アイツだろ」
クリスティーヌ:
「〈エルダー・テイル〉をやっているということは、常にネット会議しているようなものだからな。そこでヨーロッパ各地のエリートが集まったらどうなる?」
ジン:
「情報収集やらマーケティングだの各種の分析、人材の斡旋、コラボレーション、やりたい放題だろ」
シュウト:
「うわぁ……」
ゲームだけやっていた自分とは、まるっきり別次元の楽しみ方だった。
そうして考えると、エリートが集まることに意味があったのだろう。
クリスティーヌ:
「こうしてスターク様は、ご実家の資金を一切使うことなく、ビジネスネットワークと、有力なエリートに対するコネクションを得られたのだ」
ジン:
「そういうことだったか。そりゃ、しんどいだろうなー」
シュウト:
「しんどい? 誰が、ですか?」
ジン:
「バーたれ、少しは想像力を働かせろ。〈大災害〉で実家の影響力と切り離された状態で、年上のエリート相手にギルドマスターやってんだぞ?」
シュウト:
「あっ」
流石に、それはゾッとする話だった。超サイヤ人2が必須の戦いで、超サイヤ人になる能力を一時的に失ったようなものだろう。
クリスティーヌ:
「ヴィルヘルムが真っ先に忠誠の態度を示したのだ。そのことで〈スイス衛兵隊〉は空中分解せずに済んだ。……彼は、本当に凄いと思う」
強さには様々な種類がある。ヴィルヘルムの強さは、僕らのものとはまるで別モノのようだった。大人力とでも言えばいいのか、ジンがリスペクト(もしくは処置なし)としているのもそういう所からくるものだろう。
ジン:
「スタークのヤロウが何を考えてるのか、これでだいたい分かったな」
プレッシャーに負けて逃げて来たのかもしれない。一時的に休息が必要だったのかもしれない。しかし、最もありそうなのは、ジンの元に修行に来たことだろう。〈スイス衛兵隊〉を率いるに足る資格を手に入れるためではなかろうか。自分の力で幻想級装備の獲得も済ませている。なにより90レベルを越えていることは西欧サーバーでは高い価値になるだろう。
ただ、スタークの性格はもう少しナチュラルにひねくれているのだ。修行のためとかの殊勝なことを考えていると言われてもピンとこないのが正直なところだった。クリスティーヌではないが、スタークのことはスタークに訊くべきかもしれない。
Zenon:
「よう! こっちだ!」
ジン:
「休みに何度も悪いな」
バーミリヲン:
「構わない。のんびりさせて貰っている」
クリスティーヌ:
「では、せめて売り上げに貢献させてもらおう」
Zenon:
「お買い上げ、ありがこうございます、だ!(笑)」
◆
ジン:
「いやぁ、いろいろ目移りすんなぁ」
シュウト:
「無事に買えて良かったですね」
ジン:
「じゃあ、なんか軽く食いにいくか、シュウトのおごりで?」
シュウト:
「僕ですか!?」
金欠魔神のジン、鎧を購入したばかりのクリスティーヌという配合なので、お金を出せそうなのが僕しかいないと言いたいらしい。まぁ、軽食代ぐらいどうってことないのだが。
ジン:
「だいたいお前、ギルドのリーダー格としての自覚が足りないんだよ」
クリスティーヌ:
「うむ。デートなのだから、腕ぐらい組まなければ」
シュウト:
「(ぎゃー!?)」
クリスティーヌが腕を絡めてくる。二の腕が『例のもの』による凄まじい圧迫感を受けて悲鳴をあげそうになったが、声を出す判定はどうにかレジストに成功する。なんという凶器か。
Zenon:
「おいおい、羨ましいぞ」
バーミリヲン:
「これは是非ともおごって貰わないとな」ニヤリ
悪ノリが過ぎる。こういう時、成人してもまだぜんぜん子供でしかない自分のだらしなさを自覚させられる。いつか、僕もこういう悪い大人になって、年下をからかってイジメてやる!とかしょうもないことを思った。
まずギルド会館へ向かう。銀行施設にあるギルドの共用スペースに鎧を放り込めば、それで西欧サーバーからアクセスして取り出せるようになるハズだからだ。
ジン:
「おっ、今日も飛んでるな~」
ビルからビルへと飛び移る幾人かの影。このところああしてフリーランニングをする人が増えていた。細々としたビルの多いアキバでは、ショートカットする意味で便利そうな気もする。
Zenon:
「よくあんな事できるよな~」
シュウト:
「クラス的にやりやすいってこともあるんですけどね(苦笑)」
クリスティーヌ:
「見ろ、あの子」
小さな女の子が次から次へとビルを飛び越えていくのだが、周囲に比べて体のキレが良い。一段階頭抜けている。
ジン:
「シュウト、お前ちょっとやってみろ。いい練習になるかもしれん」
シュウト:
「わかりました」
地面を走った方が速いので、ああして木やビルを飛び回ったことはあまりない。レイシンが空中機動の格闘戦をやっていたのを思いだし、ちょっと練習するのもいいかも?なんて思った。
戦闘モードに身を委ねる感覚で、ビルの壁を交互に蹴って上へと登っていく。
シュウト:
(うん。できる!)
危なくなったら特技を繋いで回避すればいいようだ。空中姿勢などにコツが必要な感じだけれど、軸を利かせられればそんなに難しくは感じない。既に基礎ができていることは自分にも分かった。
大丈夫なのを確認したところで、さっきの女の子を追いかけてみることにした。テクニックを盗む意味もあるが、何よりも一番上手い人を参考にするためだ。思ったよりずっと上手で、なかなか追いつけない。〈破眼〉を発動させる。
シュウト:
(なるほど、〈羽毛落身〉を利用した軽身功か……)
落下時の〈羽毛落身〉を利用する技術だった。さまざまな応用が可能らしい。
それと片足ではパワーが足りないので、なるべく両足で壁をキックするようにする。身体の中心からうずくような力の波を感じる。体幹部の波動運動を足に伝達させ、軽身功も利用して、思い切り飛んだ。
……と、念話が掛かって来る。
シュウト:
「はい、なんでしょう?」
ジン:
『シュウト、終わりだ。戻ってこーい』
シュウト:
「分かりました」
もう少しで追いつけそうだったのだが、タイムアップのようだ。残念に思いつつ、ジン達の側を狙って安全に降りられそうなポイントを探す。
シュウト:
「……お待たせしました」
Zenon:
「スゲエな! いきなりでアレかよ」
クリスティーヌ:
「素晴らしい」
シュウト:
「いえ、そんな大したことじゃ。……それより、どうでした?」
ジン:
「ああ、上手かったぞ。しかし、訓練としてはダメそうだな。残念」
バーミリヲン:
「ダメなのか? 練習してみようと思っていたんだが?」
ジン:
「ああ。フリーランニング自体は訓練として有効なんだが、ちょっとな。元々、鳥のような動きを行うことで高度なバランス感覚やボディコントロール、重心感知能力なんかを育てる意義がある。鳥の動きは運動脳である小脳を活性化させるから、そういう意味で訓練に組み込めないかと思っていたわけだ」
シュウト:
「なるほど」
クリスティーヌ:
「では、どうしてダメなのだ?」
ジン:
「うーん。ビルの高さのせいか、ちょっと怖いんだろう。〈冒険者〉になりすぎちまってる。初歩の訓練としては悪くないが、シュウトにはマイナスに作用しそうだったから止めた」
シュウト:
「『〈冒険者〉になる』とマイナスなんですか?」
ジン:
「〈冒険者〉ってのは、もともと意思のない人形みたいなもんだろ。それを操ってゲームをやっていたが、〈大災害〉で俺たちの意識がその人形に入った。だから初歩的には〈冒険者〉って名前の『人形になる』という過程には意味がある。でもお前はその段階はもう超えている。人形の能力を使ったまま『人間になる』必要があるんだよ」
クリスティーヌ:
「ああしたフリーランニングを続けていると、『人形の状態』に引っ張られるのだな?」
ジン:
「そういうこと。……さっきの子、伸び悩むんじゃねーかな?」
バーミリヲン:
「なるほどな」
オートアタックのような『戦闘モード』に固定されてしまうようだ。空中での感覚は新鮮で面白そうだっただけに残念だ。でも仕方がないと割り切ることにする。僕に間違う権利はない。
ジン:
「まったくやっちゃダメってこたーないが、たまにやって使えるのを確認する程度にしておけよ」
シュウト:
「分かりました」
バーミリヲン:
「使える程度に留めておこう」
クリスティーヌ:
「それがいい」
Zenon:
「どっちにしても俺らには関係ないよな?」
ジン:
「フリランはな。人形うんぬんはモロだぞ」
なんとなく興味本位で質問してみることに。
シュウト:
「さっきの子、助けられないんでしょうか?」
ジン:
「へ? 知り合いだったのか?」
シュウト:
「いえ、知り合いではないんですが……」
ジン:
「ならやめとくんだな。『人間になる』とか言葉で言うのは簡単だが、ある種の枠組みからはみ出せと言ってるのと同じだぞ。はみ出した結果として強くなるとは限らない」
Zenon:
「だろうなー」
クリスティーヌ:
「実力が保証されなくなる、ということか」
バーミリヲン:
「たとえば剣舞の真似事をして特技を使わずに強くなれるか?というと疑問だろう。特技をキチンと使っていく方が普通は強くなり易い」
シュウト:
「それは、そうでしたね」
特別な才能や、才能を超えた実力が必要になるということだろう。枠組みには枠組みの幸せがある。どうしてもはみ出さなければダメということはないのだから。
ジン:
「しかも限界を突破するのに『物語』が必要かもわからん。そうなったらますます手に負えないね」
シュウト:
「物語、ですか?(苦笑)」
ジン:
「ドラマですよ。ドラマツルギーですよ。主人公補正的なね。ご都合主義的なね。試練とか苦難とか、迷いとかな。そこから盛り上がりとか決断とか、友情・努力・勝利~みたいな?」
Zenon:
「うん、無理だな(笑)」
シュウト:
「大丈夫です、もう諦めました(笑)」
クリスティーヌ:
「それがいいだろう(苦笑)」
バーミリヲン:
「それがいい」フッ
その後、御茶請けを購入してから、『茶クオリティ』へいってお茶することに。「安上がりで済ませたな?」とジンには笑われたけれど、温かいお茶をいただいてのんびりとすることが出来た。
お布団をひっくり返すためにジンが先に帰り、僕らも解散することに。
――その帰り際。
クリスティーヌ:
「今日は楽しかった」
シュウト:
「特に、何もしていませんけど?」
クリスティーヌ:
「そんなことはない」
軽く微笑む横顔から意識的に視線を逸らした。彼女にとっても、良い息抜きになったのなら良かったと思う。気を張っている姿ばかり見ていたのか、素顔らしき側面はまた魅力的だった。これではスタークが手を出さないでいるのは、実は大変なことのような気がした。羨ましい気分もあるし、でも羨ましいと思ってはいけないのだろうなぁ、と考えていた。
◆
ギルドホームに帰ると、みんなが戻ってきていて騒がしくなっていた。
シュウト:
「あれっ?」
サブリナ:
「さぁ、パンプキン・パイだし! 食べてくれよな!」
シュウト:
「はぁ、いただきます」
マシュー:
「おかわりはたくさんある」
シュウト:
「どうも……」
記憶が確かならば、ケイトリンのところのネナベなPKプレイヤー達のはずだ。女王然として座っているケイトリンを見つけて問いただすことに。
シュウト:
「ちょっと、これってどうなって……?」
ケイトリン:
「ああ、今日からここに住むことにした。よろしく」
シュウト:
「ちょっ!? ジンさん達の許可は?」
ケイトリン:
「……ン」アゴクイー
ジンはデザートを美味しそうに頬張っている。攻略済みだったらしい。どうしてあの人は、ああも甘いのとかに弱いのだろう! なんか弱点だらけじゃないか?と心の中で悪態をついてしまう。
ケイトリン:
「私もレイドメンバーなんだし、別に問題はないだろう?」
シュウト:
「それはそうだけど。だったらあのネナベさん達はどうするの?」
ケイトリン:
「もちろん一緒さ。サポート要員が必要だと言っていたじゃないか? いくらでもコキ使っていい」フッ
シュウト:
(きったねー!(苦笑))
慕ってくれる手下を差し出して、自分の居場所をゲットしたのだ。自分の欲望?のために。ニキータの側にいたいがために。
イッチー:
「フィナンシェ、焼き上がりましたー!」
ジン:
「おお! 待ってました!」
シュウト:
「ジンさん!」
ジン:
「……なんだ、どうかしたか?」
シュウト:
「どうって、なんでケイトさんを?」
ジン:
「ん? 別にいいだろ。なんか問題あんのか?」
ニキータとケイトリンの確執を知らないらしい。それはそれで説明に窮する話だった。
りえ:
「ジンさん、なんでフィナンシェなんですー?」
ジン:
「フッフッフ。それはだな、俺が好きだからだ!」
こっちは身も蓋もない人だった。美味しそうにかぶりつく。まだ熱そうだった。本当の焼きたてでアツアツだった。
ジン:
「アッチー!」
イッチー:
「だけど、フィナンシェはすっごく『いいお菓子』なんですよ!」
静:
「そうなの? なんで?」
イッチー:
「お菓子作りはだいたい卵黄をたくさん使って、卵白は余るんです。でもフィナンシェは卵白を使うので、捨てなくてイイ! だから、お菓子作りをするなら、フィナンシェも一緒に覚えるとイイんです」
サイ:
「へー」
ジン:
「そもそもポロポロしないように作られたものだから、食べてもポロポロしないんだぞ」
りえ:
「そういえば」
静:
「ホントだー」
クリスティーヌ:
「これも美味いな」
みんな幸せそうにしている。お菓子の力は偉大だった。
元々、金融マンのために作られたお菓子で、仕事中に食べてもポロポロしないための焼き菓子だったそうだ。なので金塊の形をかたどっているそうで、専用の型がないので形が変だと済まなそうにしていた。ファイナンス→フィナンシェとのこと。
スターク:
「こっちのパイも美味しいよ」
イッチー:
「どうもでーす!」
お菓子を作って活き活きとしているイッチーに罪はなさそうだし、美味しいし、残念だけど手出しできそうもない。
ユフィリア:
「ただいま戻りましたー! なになに? すっごくいい香~」
タイミングの悪いことに、ご帰還だった。
ニキータに向かって手を合わせて頭を下げる。だいたいの事情を察したらしく、つかつかとケイトリンの元へ向かう。
ニキータ:
「で、どういうことかしら?」
ケイトリン:
「別に……」
ケイトリンの顔が赤いような気がする。そっぽ向いて誤魔化そうとしているけれど、少しニヤケている気がした。邪悪な割に可愛らしい部分もあるのだった。
ユフィリア:
「きゃー! すっごくステキ!!」
クリスティーヌ:
「そ、そうか?」
戻ってからまだ着替えを済ませていないクリスティーヌを相手に、興奮した様子で襲いかかるユフィリアだった。服のチョイスが好みだったらしい。そこからの会話内容は宇宙語だったのでまったく聞き取れなかった。同じ日本人の使う言葉とは思えない。
クリスティーヌ:
「わかりました。私で良ければ」
ユフィリア:
「やったー!きゃー!」
シュウト:
「……何あれ?」
ニキータ:
「フレンチカジュアルとかの、パリジェンヌ風のスタイルがユフィの好みなのよ。今日のクリスティーヌのスタイルなんかドンピシャでしょうね」
ケイトリン:
「普段着ているものと系統が似ているだろう?」
シュウト:
「そうか、そう言われれば……」
本当はよく分かっていなかったけれど、指摘されてみるとそんな気がしてくるものだった。嘘は言っていない。何やらクリスティーヌはファッションの師匠的位置付けになったらしい。
もう色々とごちゃごちゃになってしまって、僕なんかにコントロールできそうにない。どうしたものだろう?
レイシン:
「じゃあ、夕飯を作るから、手伝ってもらおうかな?」
ユフィリア:
「はーい!」
イッチー:
「わっかりました!」
なるようにしかならないだろう。そう思うことにした。




