153 鍛錬三昧 (鍛錬回)
タクト:
「質問していいか? ……究極のパンチと言ってたが、パンチの威力を高める方法は他に何かないのか?」
ジン:
「たとえば?」
タクト:
「たとえば、気を高めたり、とか」
ジン:
「フム。究極ってのを誤解しているようだな」
タクト:
「誤解?」
ジン:
「時速140キロで投げられるピッチャーがいたとする。丹田に気を練り込んでボールを投げたら、時速300キロで投げられました!……みたいなことは、一切、起こらない。同じくパンチの威力が2倍とか3倍になる、なんて話もあり得ない」
タクト:
「そうか……」
シュウト:
「それは、なさそうですね」
ジン:
「かかる労力とその結果の関係で考えれば、140キロから150キロにアップさせるのに、主観的に2倍のパワーを出しました!とか、160キロから165キロにするのに3倍のパワーが必要でした!みたいな感じにはなるけどな。100mで10秒で走るのと9秒5で走るのだとエネルギー量が10倍じゃ利かないかもしれない、とかそういう話だぞ」
タクト:
「ハイレベルになるほど、必要な労力・エネルギーは大きくなるんだな」
シュウト:
「それじゃ、究極っていうのは?」
ジン:
「まず一切のウソやまやかし、誤解を排除した実打撃のことだ。ダメージだけを指標に、純粋に打撃ダメージを追求せよ。某マンガ作品でいう『実の拳』のことだな!」←龍狼伝
良いことを言っているにも関わらず、逆に嘘くさく聞こえるのは何故なのだろう?
ジン:
「この辺りの話は少々、哲学的だな。現実世界では意外と実打撃を追求していない。それはある意味『本当に死んだら困るから』だろう。
殴られたら死んじゃうぞ?と相手を脅し、実打撃を本気で追求してるつもりで、でも殺す前に倒したり無力化する方法をやっている。……こないだ止められた内容だからこの辺にしとくけどー」
それは言い方を変えたら、殺人拳ということじゃなかろうか。目やノドを潰し、金的を打って怯ませ、内蔵を破壊して死に至らしめる。ひたすら相手を殺し、効率よく人体を破壊するための技術は、現実で使う場所のない、あってはならないものになるだろう。
モンスターと戦わねばならず、常にダメージ量が問題になるこの世界では、実打撃・実ダメージ以外のものを入り込ませる余地はあまりない。『痛み』による無力化が通用しないからだ。こうした勝利条件の違いが影響しているらしい。
タクト:
「だいたい分かった。……もういい」
納得した風には見えなかった。諦めたような感じだ。
ジン:
「口で言っても分からんだろうし、一応、見せておくことにしようか」
そういうと上の鎧を脱ぎ始めた。
タクト:
「……何をするんだ?」
ジン:
「肉体改造なんて言葉が流行った時期もあるが、技を突き詰めていくと、それを発揮する肉体の問題になっていく。今のからだのまま、究極の打撃に到達できるとか思ってんだろ?」
タクト:
「レベルアップしなきゃ、肉体は変わらないんじゃないのか?」
ジン:
「そうだ。でもそうじゃない。脱力を『ただ力を抜く』という段階から飛躍させることができるんだよ」
肩周りの入念なゆるを開始。かるくパンチ動作をしながら、どんどんゆるめていく。とろとろの液状化が進んでいくのが見えるようだった。
ジン:
「いしまる~、10秒間のパンチ数をカウントできるか?」
石丸:
「誰かがスタートとストップを言ってくれれば、たぶん可能っス」
レイシン:
「じゃあ、そっちをやろっか」
石丸の砂時計をレイシンが受け取った。その間もジンは更にゆるめていく。
ジン:
「スタートの『ス』、ストップの『ス』な」
石丸:
「了解っス」
レイシン:
「じゃあいくよ~、……『ス』タート!」
力感のない、スマートな、だから超高速の連続パンチだった。目で見て速いのは当然に分かる。しかし、速すぎてしまって数えられない。数を数える機能がどうやっても間に合わない。
可能な限り観察してヒントを探す。ジンの顔は特に涼しげだった。最精密操作意識『MIN』の利いた独特の表情。
時間が間延びしたような、長い長い10秒が終わろうとしていた。
レイシン:
「そろそろだよ~。はい、『ス』トップ!」
ジン:
「……どぅわっはー! どうよ? 何発いった?」
フォローで更に10発近いパンチを繰り出してから、止まった。
石丸:
「403発っス」
タクト:
「400……?」
10秒で400発越え。1秒間に40発。片腕で20発づつ。従って1発辺り0.05秒。しかし、パンチはパンチだけで構成できない。行って、もどらなければならないからだ。パンチの攻撃に掛かる時間は、更にその半分以下の0.025秒しか使えない計算だ。
これは〈冒険者〉の反応速度をもってしても、ろくに反応できないことを意味している。下手すると、2~3発殴られたぐらいでようやくボコられているぞと気が付くのかもしれない。
ジン:
「よしっ! ギリ許される範囲! ヤベー、この体で40いかなかったら怒られるとこだったわ~」ホッ
シュウト:
「ちなみに、誰に怒られるんですか?」
ジン:
「え? そりゃ、俺にだって先生的な人がいるんだけど」
シュウト:
「ああ。それは、そうですよね……」
考えたことはなかったけれど、それはそうなのだろう。いつかお会いしてみたいものである。
ジン:
「とりあえず、こんな感じ? 今やらせてる練習を突き詰めていくと、こうなるわけだな」
タクト:
「…………」
脳裏に『無理』『不可能』などの文字が踊っている。でも実際、今、目の前で見せられたのだから不可能ではないことになる。こうしたことは全て、前提が違うのが原因になっている。普通の体のまま、技の水準でどうにかしようとしたって無理なのだ。
からだをゆるめて水のように、その先の領域へ変質させることで、不可能ではなくなっていくもののはずだ。
ジン:
「言っておくけど、俺、〈守護戦士〉だからな? 〈武闘家〉だったらもっと先まで行ける可能性も十分にあるんだからな?」
レイシン:
「厳しいけどね(笑)」
究極のもつ重み、みたいなものを突きつけられて、しんどくなった気がした。
◆
ジン:
「今日は、中心軸の強化訓練を行う」
シュウト:
「よろしくお願いします」
ユフィリア:
「お願いしまーす!」
レイドメンバー向けと言いつつ、いつものメインメンバーにエリオ・リディア・リコを加えただけだった。珍しくアキバの街中、銀葉の大樹前の広場にいた。ギルドは目の前だ。
ジン:
「この中心軸というのは、軸、中心軸、正中線、センターなどの呼び名があるが、意味はだいたい一緒だ。基本は軸タン(タンブリングの略)をやり込むもんだけど、今日は別のヤツをやろう」
ユフィリア:
「今日のって、面白い?」
ジン:
「俺はけっこー好きかな?」
レイシン:
「はっはっは」
中心軸の訓練で面白いとはこれいかに? 変なことをやらされそうな予感がしないでもない。
ジン:
「ここでは便宜的にセンターと読み替えるけど、中心軸なのは変わらないからな。まず環境センターからだ。これは、まっすぐなものを見たら、それと自分の中心軸を合わせて、意識を強くすることをする」
ユフィリア:
「まっすぐなもの?」
ジン:
「たとえば、天井から紐をつり下げた場合、かなり真っ直ぐだし、しかも垂直のはずだろ?」
ニキータ:
「そうなりますね」
ジン:
「まず、真っ直ぐなものを探します。自然物の中に真っ直ぐはほとんどないけど、アキバの街中なんかにはそれなりにあるはずだ。それを見たら『これ真っ直ぐかな? 垂直かな?』と考えてみる。次に、自分の中心軸と比較する。そして、良い真っ直ぐを見つけたら、『良い真っ直ぐだな~』と言ったり思ったりしつつ、体の中に取り込みます。真っ直ぐをいただいて、自分が真っ直ぐになるようにする。……これが環境センターの基本的なやり方だな」
シュウト:
「取り合えず、真っ直ぐを探すところからですね?」
ジン:
「でも、あんまり良い真っ直ぐは見つからないはずなんだよ。遠近法だのパースの関係なのかな? 真っ直ぐはあっても、垂直なのはほとんどないね」
そちこちを眺めてみる。真っ直ぐはたくさん見つかるが、自分と比較すると、意外と曲がってる気がしてくる。どっちが正しいのか本当には分からないので、傾いているのはもしかして自分なのだろうか?などと思い悩んでしまったりする。
ジン:
「じゃあ、次。センター・トゥ・センター。やり方は環境センターの対人バージョンだ。はい、向かい合って立ちます」
レイシンとジンが向かい合う。
ジン:
「相手の中心軸を見て、感じて。そして自分と比較して。そして互いに中心軸を高めあう。……これがセンター・トゥ・センターだな」
それからゆっくり歩いて2人が近づき、最後ににっこりと笑い合った。
仲間内で相手を変えながら、センター・トゥ・センターの練習をしてみる。これは少し面白い気がする。
ジン:
「じゃあ、本番な。今日の練習は、このセンター・トゥ・センターの応用、『中心軸勝負』だ」
ユフィリア:
「勝負?」
ジン:
「やり方はほぼ同じ。人のいるところに行って、『中心軸勝負!』と言ったり心の中で念じたりする。そんで前を歩いている人、すれ違う人に次々と勝負を仕掛けるんだ。相手の中心軸があるかないか、その完成度を見たり感じたりして、自分と比較して勝負して、勝ち負けを決める。アキバだと勝ちまくりだけどな。一通り、街中を勝負しながら歩いてこい」
ユフィリア:
「はーい!」
シュウト:
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
ジン:
「待った、待った。えっと、これは環境センターの練習なんだよ。だから、相手に中心軸がないなーと思ったら、理想的なセンターを相手に立てて、それとセンター・トゥ・センターするんだ」
ユフィリア:
「勝手に立てちゃっていいの?」
ジン:
「無いんだからしょうがない。ちなみに、これをコミュニケーション法にも転換できるんだけど、……まぁいいや。ともかく行って勝負してこい」
ともかくみんなで中央通りの方へ、そこからバラバラに歩いて行こうとしていたところで。
ユフィリア:
「中心軸しょーぶ!!」
実際に叫んで注目を浴びている不審者が約1名。アイタタタ、とニキータが頭痛(幻痛であろう)を手で押さえつけている。護衛で付いていく必要がありそうだ。街中で謎の勝負を挑んでいたら、いくら美人でもトラブルになりかねない。
不安は的中していた。その後も道を曲がったりして新しい通りに出たらこの人は叫んだ。しかも周囲の人をガン見して脳内で勝負を挑んでいる。美人じゃなかったら喧嘩になっていたかもしれない。その勝負に掛ける意気込みは、必勝のハチマキを巻いている気がするほどの闘魂っぷりだった。
リコ:
「まっすぐ歩いている人、少ないなぁ」
そして僕らの勝負はといえば、だんだん悲しくなっていくほどの連戦連勝だったりする。まともに歩いている人があまりにも少ない。中心軸らしきものがあまりにも無い。虚しい上に、歩き方の汚さに普段から気が付いていなかったことに気が付いてしまう。
シュウト:
「ジンさんが、日本人は世界一歩き方が汚いって言ってたよ」
リディア:
「そうなんだ……」
リコ:
「納得ですけど。……嫌ですね、やっぱり」
まともに歩けないなら、走るのはもっと無理だ。まともに動けないのだから、運動のセンスなどあるはずがない。しかも戦闘は運動の中でも最も難しい部類と来ている。まともに歩けない人がどれだけ上達しようと、その上達幅はたかが知れてしまう。
オートアタックがあるからそこそこ戦えても、そこそこ止まりだろう。お世辞ですら強い人がいるとは思えなかった。全体のレベルが低すぎる。少数の例外すら、全体の低水準に引っ張られてしまうはずだった。
中心軸は人間のレベルを規定してしまうものなのに、在ると断言できる人とすれ違う確率が低すぎた。やっと出会ったと思ったら、別ルートで街中を歩いていたエリオだった。
最後の方はもう祈るような気持ちしかなかった。相手に中心軸を見出し、それと自分の中心軸を合わせていく。可能性を願うような、切ない気持ちが胸に溢れていた。
ユフィリア:
「ただいま~」
レイシン:
「おかえり~」
葵:
「お疲れちゃ~ん」
どうにかトラブルもなく、ギルドに戻ってこれた。
ユフィリア:
「レイシンさん、中心軸しょーぶ!」
レイシン:
「んー? いいよー」
ハッキリとした中心軸の存在を感じる。さすがにこれは勝てそうにない。十年早かった。
ユフィリア:
「負けた~。葵さん、しょーぶ!」
葵:
「ん? あたしと勝負だとぅ? いい度胸だ!」
中心軸勝負が何かはよく分かっていない雰囲気だったが、その小さな体は脱力が利いてフラフラしつつも、垂直の中心軸がはっきりと感じられた。
シュウト:
「参りました」
ユフィリア:
「あーん、また負けたー!」
葵:
「なに? どゆこと?」
レイシン:
「はっはっは」
更に半地下へ降りて行くユフィリアに付いていった。目的はもちろん。
ユフィリア:
「ジンさん! 中心じ、く……」
シュウト:
「うあ、あ……」
壮大、荘厳。言葉になんてならない。極限的な中心軸の存在を感じた気がした。正しく、鍛え方が違った。
ジン:
「お疲れ。どうだった?」
ユフィリア:
「うん、楽しかった!」
ジン:
「そうかそうか」
アキバの惨憺たる状況はともかく、希望はここにある!という想いを強くしていた。
◆
それは、食事の時に起こった。
お茶碗半分ぐらいおかわりしようかな?と思って立ち上がったところ、ジンにもついでに頼まれた。
ジン:
「ついでに俺のも頼む。大盛りな?」
シュウト:
「わかりました」
おひつからご飯をよそっていると、しゃもじからポロリとご飯がこぼれて落ちてしまった。
シュウト:
(!……あれ?)
おひつへと落ちていくはずのご飯を、次の瞬間、しゃもじですくい返していた。しゃもじから落ちたはずのご飯が、しゃもじの上に乗っている。いや、自分の腕が動いたのは分かっているのだが。
シュウト:
(今の……?)
自動的に反応して体が動いた感じだった。体を動かそうと思うより早く、ごく自然な感覚で体が反応して動いていた。空中のご飯を、しゃもじがすくっていたのだ。
ユフィリア:
「それ、シュウトにもできたんだー?」
シュウト:
「えっ? ……これって、何なの?」
レイシン:
「超反射だね」にっこり
シュウト:
「超……?」ゴクリ
あまりの単語に、慌てて聞き返していた。
シュウト:
「これがですか? でも、今、自分で腕を動かしてないんですが?」
ユフィリア:
「うんうん。そうだよね」
レイシン:
「いいんだよ、それで合ってるよ」
じんわりと理解が広がっていく。体を動かそうと思うより早く反応するので正しいらしい。圧倒的な超高速反応。その秘密の一端を体験したらしいのだ。
シュウト:
「か……」
勝てる訳がなかった。ジンにもレイシンにも。超反射を戦闘利用すれば、近接戦の次元が飛躍するのは当たり前だ。しかし……。
シュウト:
「でも、これってどうやればいいんですか?」
レイシン:
「詳しいことは彼に聞いてよ。……けど、ちょっとだけやってみようか?」
シュウト:
「お願いします!」
レイシンは意外とお茶目な人なのだ。ちょっとした遊び心を弁えていて、付き合ってくれることは多い。今度もそうらしい。
しゃもじでもう一度ごはんをすくう。しかし、レイシンはすぐ首を横に振っていた。
レイシン:
「……それじゃ巧くいかないよ。ルールは覚えてる?」
シュウト:
「ルール?」
レイシン:
「『感覚の再現は』」
シュウト:
「『タブー』。そうでした」
気持ちが焦っていた。大きく深呼吸する。早くこの感覚を、手が覚えている間に掴んでしまいたい。でもそれではダメなのだ。気持ちを落ち着かせなければならない。ゼロベースに戻さなければ。
レイシン:
「目に力を入れちゃダメだよ。ぼんやりと全体を、見るともなく見るぐらいに抑えて」
シュウト:
「ぼんやり……」
レイシン:
「自分で反応しようとしないこと。意識をまんべんなく、広く配置して。体の動きを邪魔しないようにね。体が動こうとする感覚に任せるんだ。失敗しても大丈夫だからね」
シュウト:
「はい」
穏やかに、そして思考はゼロベースに。しゃもじからご飯をこぼすようにそっと落とした。
おひつに落ちていくご飯をぼんやりと見つめるつもりでいると、直後、腕が動いて、しゃもじはご飯をすくい直していた。
シュウト:
「できた……!」
ユフィリア:
「シュウト」
フルーツが盛られたカゴをユフィリアが落としていた。
自然と右手が伸びてカゴを受け止める。そこからはフルーツがこぼれないように自分で、左手を動かして上から押さえようとした。
レイシン:
「こっちも」
レイシンがフリスビーの要領で皿を飛ばしていた。しかも自分の背中側に向かって。右手はフルーツのカゴで塞がっている。その時、自動的に左腕が動いて、背中側にまわり、背面キャッチしていた。
クルリと回して前に持ってきて、フルーツのカゴを乗せた。これは自分で。
レイシン:
「うん。できたみたいだね、おめでとう」
ユフィリア:
「よかったね!」
ごく当然の結果に感じて、そのことにも静かに驚いていた。
こんなことが練習も無しで出来るようになるとは、さすがに想像すらしていなかった。特にお皿を背面キャッチなど出来なかったはずだ。そもそも背面キャッチしようなんて発想が、自分の中には無いはずだから。
考えて対処したのとは大きく違っていた。考えて動くときは、反応しよう!間に合わせよう!と緊張し、速く動こうと頑張る感覚がある。超反射が働いている時は、そうした緊張感や集中がなかった。緊張しないことで速く動く感覚、というのか。『反応しようとする』必要はなかった。なぜならば、『既に反応していた』からだ。まるで違っていた。
力強い喜びが沸き上がってくる。感無量というのでもないし、涙を流してしまうものとも違う。希望とか明日への活力を得た、というのが近いかもしれない。
ジン:
「おーい! ご飯まだかー?」
シュウト:
「す、すみません!」
ユフィリア:
「ウフフフ」
あわててご飯を運んでいった。うれしいニュースを添えることができそうだった。
◆
ジン:
「……そうか。それじゃ、メシが終わったら説明してやろう」
シュウト:
「お願いします」
もうご飯どころの話ではなくなっていた。興奮とか高揚とかがぐるぐるしていて、ご飯の味なんて分からなくなっている。
そー太:
「隊長、スゲェな」
朱雀:
「俺たちにも説明して欲しいんですが?」
ジン:
「先に知識を入れたら、なかなか出来なくなるけど、それでもいいか?」
そー太:
「…………」
朱雀:
「…………」
さすがに黙るしかなかったらしい。その気持ちはよく分かる。何しろ、ついさっきまで『そちら側』だったぐらいだ。
シュウト:
「ってことは、ユフィリアは」
ジン:
「出来てたな、おまえより早く」
ユフィリア:
「えへへ」
シュウト:
「~~っっ」
それは結構、悔しかったりした。でも、仕方がない。彼女の才能が上なのは分かっていたことだ。柔らかさのレベルが違う。
マコト:
「それで、知覚高速反射だったんですか?」
そー太:
「なにそれ?」
シュウト:
「えっ? ……いや、どうだろう。視覚系ではなかったけど」
そう言われて分類しようとすると難しかった。なるほど、超反射とは何なのかよく分かっていない。
英命:
「……面白そうなお話ですね」にこにこ
ジン:
「そーかーぁ?」
そー太:
「先生って超反射のこと知ってんの?」
英命:
「いいえ。ですが、超反射という名前からある程度まで想像することはできるでしょう……」
ジン:
「ほぅ、言ってみな?」
英命:
「超という言葉は、『凄い』というような意味で使いがちですが、『その概念を超えている』ことを表すように使います。そして反射といえば脊髄反射のことですね。しかし、脊髄反射は戦闘利用できないでしょう」
マコト:
「そうです! 確かそんな話もしてました!」
英命:
「言語的に『正しい名前』だと仮定すれば、戦闘利用できない脊髄反射を超えている、つまり戦闘に利用できる脊髄反射。従って脊髄『超』反射、ということになりそうですが?」
ジン:
「やるなセンコー。……ほぼ正解、と言っておこう」
目を伏せて目礼する英命。食事を終えたジンは、立ち上がるとさっと身を翻して出て行った。
正直、ちょっと憧れた。頭が良いというのはこういうことかと思う。知ってることを組み合わせれば、正しく推測することが出来るのかも知れない。確かに、脊髄反射に近い概念だった気がするのだ。
しかし、どうやればいいのか?ということには届いていない。『出来なければ』意味などないような気もする。
そうして半地下にドキドキしながら降りていった。そこではジンがソファにぐったりしながら待っていた。ついに知りたかったことの1つが分かる。
ジン:
「……概念的にはセンコーの言ってたのでほぼ正解だ。脊髄ではなく、脊椎超反射だがな」
シュウト:
「あの、すみません。マコトの言ってた、知覚高速反射は違うんですよね?」
ジン:
「視覚を知覚に変えただけじゃ超反射にならない。視覚高速反射、聴覚高速反射、触覚高速反射、知覚高速反射……」
シュウト:
「なるほど……」
道理というものだ。高速反射の上は超反射になると言っていた、その通りだった。
ジン:
「この辺りはまだ科学的に解明されていない。というか、要素は現れ始めているんだが、全体のビジョンやイメージが無いから、まとまった現象としての解明が進まないというべきかな? たとえば、一流選手のプレー中の脳波を測定すると、脳を使っていないことが分かっていたりする」
シュウト:
「そうなんですか?」
ジン:
「ああ。『省力化』なんて言ってるけどな。でも普通に解釈すると、慣れてるプレーは頭を使わないで済む、となってしまう。ということは、単なる慣れや癖の一種として扱われてしまうわな(苦笑)」
シュウト:
「超反射は、単なる癖とは違うんですよね?」
ジン:
「経験したんだろ?」
シュウト:
「たぶん……。いえ、確かに経験しました」
ジン:
「だったら分かるはずだ。目的的に使える戦術的な反射動作。だから戦闘にも利用できる。これは武蔵の五輪の書の隠された秘密の話でもあるし、ライド法の入り口でもあるわけだ」
シュウト:
「お、お願いします」
そしてジンは語り始めた。たぶん最高峰の秘密の話だった。
ジン:
「脳は中央演算装置のようなものだ。全身という全体から情報を集めて中枢制御の処理をしている。その反応動作は『見て』からスタートし、脳で情報を処理して、体を動かすという順番に働く。筋肉が働いて、動き出すまでにはどうしてもある程度の時間が掛かる」
シュウト:
「人体なら0.2秒、〈冒険者〉でも0.1秒前後、ですね?」
ジン:
「そんなもんのはずだ。超反射では脳をショートカットさせる。これを細胞反応系といって、細胞で感じて、直接処理する。細胞のセンサーや細胞の意識を使うわけだ。脳はあまり使わない。だから早くて、速い」
シュウト:
「省力化の真実というヤツですよね? でも癖になってしまわないんですか?」
ジン:
「癖との最大の違いは、『目的に従って動く』という点だしな。細胞には意識はあっても意思はないというか。まぁ、戦術的なんだよ。ゾーンに入った状態、なんて呼ぶ場合もあるがな」
シュウト:
「ゾーン……」
何度か経験したことがあるような気もするけれど、狙って入れるものではない気がする。
ジン:
「まず逆から理解するといい。目の意識、視覚意識、視聴覚意識というのがあって、これは影響が強く、どうしても『脳の意識』と混在・混同しやすい。自我や自分の意識というのが脳の意識なのか、目の意識なのか?ということは微妙な問題で区別がつきにくい。まず分からないものだ。
だから、『見の目』で部分を凝視するような目付けをしてしまうと、反応系が通常の系統に傾いてしまう。そうすると脳という中枢を経由することになる。これがレギュラームーブメントの性質でもある」
シュウト:
「ではフリーが超反射なんですか?」
ジン:
「超反射はフリーであり、ライドの話だ。脊髄反射ではなく、脊椎超反射だ。では何故背骨の話をしているのか?ということだが」
シュウト:
「中心軸だから、ですよね?」
ジン:
「結果的に中心軸ではある。だが、『内と外』が先なんだよ。
人間は二足歩行をしていて、目の位置から前と後ろと考えてしまう。これも目の意識が影響してのことだが、そうなると背骨は『後ろ』になってしまうだろう?」
シュウト:
「背骨は『後ろ』じゃないんですか?」
ジン:
「ここがポイントだ。四つ足動物を考えてみろ。腹が内で、背は外だろ。外部を知覚するセンサーは『外側に付いているべき』じゃないのか?」
シュウト:
「あっ……」
ジン:
「動物的に考えれば、外側が強いのが当然だ。外側が正面、『正しい面』なんだよ。腹は弱点で隠すべきなんだから正面にならない。たまたま二足歩行で立ってしまって、前面なってしまった。だから弱点を前面に晒しているだけなんだよ。
そして目から見て背面である背骨・脊椎の意識を高めることは、目の意識、視覚認知系を弱める役に立つ。ここに術理が生まれる」
シュウト:
「…………」
凄まじいの一言だった。
ジン:
「まぁ、視覚意識が強いほど、逆に脊椎運動が鈍ることも言えてしまうわけだけどな」
シュウト:
「だから目の訓練をするなと命じたんですね?」
ジン:
「そういうこと。中心軸の意識が強くなれば、脊椎まわりが変質する。身体の制御系をジャックして、細胞反応系が走り始める。これが脊椎超反射の基本的な仕組みだ。以前に説明したように、ライドにも通じている」
シュウト:
「考えるよりも早く反応するから、ですね?」
ジン:
「そうだ。それが教えられなかった原因であり、秘密だよ。無心、無念無想を逆から考えればいい。自分で何も考えない。でも体は動く。自動的に、勝手に体が動くこと。『動かされる身体』だ。極まった意識に身をゆだねること。それが『ライド』ってことだ」
シュウト:
「体が、勝手に……?」
ジン:
「バラバラに考えるな。ひとつひとつの要素がつながって、全体を作っている。観の目で視覚意識は弱まる。脊椎運動は逆に強くなりやすい。中心軸が活性化される。背中の細胞センサーも強くなる。しかも無心だ、余計な邪魔は入らない。細胞には意識がある。全身の全部に意識があるんだ。頭で考えなきゃいけないなんて『きまり』はない。反応するべき情報に『気が付く』必要はない。気が付くのを待っていたら間に合わない。……だろ? 細胞は気が付いている。細胞反応系であり、超反射であり、ライドだ。
しかもこれはオートアタックととても相性がいい。調子だのに左右されがちな超反射を、安定して運用できる」
超反射は防御用だろうと思っていた。相手の攻撃に超スピードで反応できるようになるものだろう、と。その結果、後の先などになるのだと思っていたのだが、ライドは違った。違っていた。
これはつまり、超反射状態で戦闘することを言っていた。反射的な攻撃、反射的な防御、超反射戦闘のことだ。『考えるよりも早く』行われるのだとしたら……? 強いに決まっているではないか。
ジン:
「ここで大事なのは目的意識を持つことだ。武蔵は再三に渡って『切るつもりで』『殺すつもりで』と書いてる。太刀の持ち方でも『とにかく切るつもりで』といった表現をしていてね。これなんかは超反射のことを知っていれば、『そうだろうな』と思うわけだ」
シュウト:
「目的というか、命令を与えておくことで、方向性を決めておくんですね?」
ジン:
「そう。それと、焦って早く武器を振ろうとするのも良くない。小刀きざみになる、という意味もあるが、体が刀を振ろうとする動きを邪魔してしまうからだ。能動性が強すぎると、ライドの動きを消してしまうんだ。でも受動的に動かされる感覚ではなくて……」
こうして超反射とライド法のきっかけを得ることができた。身に付けていくにはまだまだ時間が掛かるのだが、ともかく、大きな前進を果すことができたと思う。
◇
そー太:
「体が勝手に動くってどういうことだ?」
朱雀:
「わからない。だが、意地悪や邪険にされた訳じゃなかったのかもしれないぞ」
――オールドメンズルームのドアの外で2人の青年は、ドアに耳をつけて漏れ聞こえる会話の声に集中していた。
ジン:
「はい、お疲れちゃーん」
――唐突に開かれたドアに動きが固まる2人組。
朱雀:
「…………」
そー太:
「あ、いや、これは、その」
シュウト:
「2人とも、盗み聞きしてたのか?」
――ショックを受けたようなシュウトの顔に心がざわめく2人。ジンは、意外にもニヤニヤしていた。怒鳴りそうなものなので拍子抜けした部分はあった。意を決した朱雀が頭を下げる。
朱雀:
「申し訳ありませんでした。どんなペナルティも覚悟の上です!」
ジン:
「ペナルティ~?」
そー太:
「どんな罰でも受ける。だからギルドから追い出すのだけは……」
シュウト:
「ジンさん!?」
――3人はジンの顔色を伺った。楽しそうにしているばかりで想像とは違った。ゆえに、どう振舞うかも読めなかった。
ジン:
「ひとつ約束しろ。ここで聞いた内容を、ギルドの仲間には喋るな。これは約束できるか?」
そー太:
「うん」
朱雀:
「もちろんです」
ジン:
「たとえばここにいるシュウトは、知りたいのを我慢して、ようやく今日になって知ることかできた訳だ。そういう風に『選んだ』ってことだな。お前らはここで聞き耳たてることを選んだ。それは構わない。お前らの選択であり、自由だ。だけど、ギルドの仲間をお前らの巻き添えにすることは許さない。……んじゃ、もういいぞ。かいさーん」
シュウト:
「えっ? それだけ、ですか?」
ジン:
「これ以上のペナルティなんて必要ないし。あ、口止めはペナルティじゃなくてマナーだかんな?」
朱雀:
「はい、すみませんでした」
そー太:
「ごめん、隊長」
――立ち去る2人を見送るシュウト。残ったのはジンに訊きたいことがあったからだ。
シュウト:
「盗み聞きを知ってたんですよね?」
ジン:
「もちろん」
シュウト:
「つまり『別に聞いてても良かった』ってことですか?」
ジン:
「そうだ。俺は警告しておいた。一緒に聞きたいか尋ねてもいる」
――ゾーンが完全にロックされていれば中の会話が聞こえるはずがない、と気が付いていたシュウトだったが、ジンが何かしたとも思えなかった。ジンは先に中にいた。シュウトが入った時、ドアを閉める前に2人が行動を起こした可能性を考える。それは尾行に気が付かなかったという意味でシュウトの失態を意味している。
シュウト:
「彼らは、これからどうなるんですか?」
ジン:
「どうもせんよ。ただ、お前が我慢できなかったらどうなっていたか?がこれから分かるかもしれないな。できもしない技術の断片情報だけ仕入れて、どうにかなると思うか?」
シュウト:
「その、許してあげることはできないんですか?」
ジン:
「逆にどうやって? 記憶を操作する技術なんかもってないぞ。頭でもひっぱたいてみるか?」
シュウト:
「……なぜ、彼らにはそんな」
ジン:
「お前は俺の雑用兼おもちゃだが、アイツらはそうじゃない」
――契約の存在を意識するシュウト。それは、冷たさの種類の違いだった。失敗する自由は彼らの権利だ。シュウトの『失敗する自由』が制限されているのは、つまり優しさなどではなく……。