151 交渉術の手解き / 11月のサマーバケーション
本日分の仕事を終え、すっかり暗くなってしまっていた。個人の仕事場|(寝室とは別の建物にある)に立ち寄って書類を眺めていると、ここに居るのを誰から聞きつけたのか、トモコがやって来た。美人タイプなのだが、にっこりと笑うと可愛らしい人だ。目が休まる気がする。
トモコ:
「エルム、ちょっとZenonとバーミリヲンの2人を戻して欲しいって言われたんだけど」
エルム:
「それはそれは。何かあったのでしょうか?」
トモコ:
「そっか、まだ聞いてない?」
トモコの話では、海路上に出現した大型モンスターの討伐依頼のようだ。小型とはいえ、ギルドの船に被害が出てしまったという。損害額というよりも品物が無駄になったのが残念だ。食料は大切にしたい。
〈海洋機構〉はアキバ随一の大規模ギルドなので、戦闘用の人員もいないではない。だが、実際には常に出払ってしまっているところがある。戦闘になるのは買い付けに出かける道中や素材集めの時なので、遊んでいるメンバーは基本的にいないのだ。
Zenonとバーミリヲンは実力的にも申し分ないのだろう。〈海洋機構〉でも最も『実用的な実力』をもっているはずだった。
だいたいのところ、モンスターと戦闘になると分かった途端に、戦闘ギルドに頼るのではギルド同士の関係が成り立たない。なにより格好が付かない。ダメそうな時に遠慮なく頼ればいいのであって、最初から戦闘ギルドありきで考えるのはアキバの〈冒険者〉としてあまり健全とは言えない。だから基本的に〈海洋機構〉から人を出すことには賛成だった。
エルム:
(それに、今は時期が悪い……)
先日、〈円卓会議〉は東北への派兵を決めたばかりだった。〈D.D.D〉と〈黒剣騎士団〉から精鋭を派遣して、〈七つ滝城塞〉の攻略をする計画になっている。周辺のゴブリンの封じ込めから、城塞での決戦までの長期計画で、今は準備期間中だろう。
話を聞いた限り、海路上のモンスター討伐程度の話だし、倒すのは何とかなるだろう。最大の問題はむしろ『遭遇できるかどうか?』という部分にある。単純な話として、海は広い。出会うまでに2日なのか、それとも2週間以上掛かるかは、神だけが知っている。
エルム:
(彼らは、どうしても遊んでいるように見えますからね)
Zenonとバーミリヲンの2人は、しょっちゅうアキバにいた。だとすると、外から見れば遊んでいるようにしか見えないだろう。彼らとてレイドに参加しているのだが、本来、レイドに参加したら2~3週間は出かけっぱなしになるのが普通だ。それなのに、ふらりと出かけて行っては、夜には戻ってくるような『日帰りレイド』をしている。そんなことを周囲に言えるはずがない。レベルは93に到達したというし、素材の獲得などギルドへの貢献度は高いのだが、遊んでみえる点ばかりはどうにもならなかった。
だからこそ、ここで抜けさせたくはなかった。彼らにとっても残念だろう。一度離れてしまうと、レイドへの復帰は難しくなってしまうはずだ。モンスター討伐のためとはいえ、2週間も彼らを船の上で遊ばせておくのは心が痛むというものだ。
エルム:
「ところで、知り合いでリアルラックが一番高い人は誰ですか?」
トモコ:
「モンスター討伐の話が、なんでリアルラックの話になるかな?」
エルム:
「ま、ま、いいじゃありませんか。それで、誰です?」
5000人に届こうかという〈海洋機構〉のメンバーと一番話をしているのが彼女だ。この手の情報を集めたければ、トモコに当たるのが最も効率が良い。リアルラック、特別に『ひき』のいい人物が欲しい。思わず神頼みしたくなるような、この人なら大丈夫だろうと思うような。
トモコ:
「う~ん。まぁ、運のいい人っていったら、ユフィかな。〈カトレヤ〉の」
エルム:
「…………ああ、なるほど」
絶句してしまった。太陽が明るくて、目立ちすぎて逆に気が付かなかった、というレベルの盲点だった。確かに、次々とイベントが発生するタイプの人である。国どころか星を傾けそうな人だからか、幸運という意味では見ていなかったのだ。
エルム:
「確かに、ユフィリアさんは神様に愛されてそうな気がしますね」
トモコ:
「でも、できればそうであって欲しいかも~」
エルム:
「おや。そうなのですか?」
トモコ:
「だって、その方が逆に諦めがつくってもんでしょ」
エルム:
「ハハハ。分かります」
『3日で終わらせる』つもりなら、巻き込んでしまうのは良いアイデアかもしれない。ただ、そうなると『あの人』を動かさなければならないことになる。それはむしろ、この案件より難しい注文だろう。
エルム:
「……お世話になっております。〈海洋機構〉のエルムです。夜分に申し訳ありません」
トモコ:
「ちょっ、話してる途中に念話!?」
シュウト:
『どうもです。えっと、その口調だとジンさんに用事ですか?』
エルム:
「話が早くて助かります。明日、お伺いしたいのですが?」
呆れたように出て行こうとするトモコの腕を掴む。まだ彼女とすべき話が残っていた。念話中なので気を使って声は出さなかったが『ちょっとぉ~』という顔で睨んでくる。そんな所もかわいい人だ。
シュウト:
『大丈夫だと思いますが、何時頃ですか?』
エルム:
「宜しければ、朝食の前に」
パワーランチならぬ、パワーモーニングだ。〈209〉はオープン直前。忙しくて日中は時間が作れそうにない。動くなら朝しかなかった。
シュウト:
『わかりました、伝えておきます。あ、そうだ。僕からもちょっとお願いがあるんですが……』
エルム:
「おや。なんでしょう? 私に出来ることでしたら、何なりとおっしゃってください」
シュウトからの依頼は、少し予想外のものだった。
その話を聞いている間ずっと、トモコの手を握り続けていた。機嫌を損ねたと言いたいらしく、そっぽ向いていた。彼女の耳は微かに赤らんでみえる。そんな様子を眺めているのは、あまりにも贅沢な、至福の時間だった。
◆
〈消失〉の練習でランニングして戻ってくると、エルムは既に来ていた。味噌汁屋のところでなぜか星奈と話をしている。エルムが星奈に単独で用事があるとも思えず、疑問に思う。
シュウト:
「おはようございまーす」
エルム:
「おはようございます。ランニングですか?」
シュウト:
「はい、日課でして」
星奈:
「お疲れさまです」
シュウト:
「星奈もお疲れさま」にこり
この世界では走ることにはほとんど意味がない。筋力は鍛えられないし、呼吸などの循環系も効率がよくなったりしない。〈冒険者〉の肉体性能はレベルアップでだけ上昇する。ただ、走り方や前方力の意識(前へ進もうとする傾向)が変化する可能性はある。走ることそのものへの慣れにもプラスの側面とマイナスの側面があるらしい。
訓練するなら変える部分をきっちりと意識しなければならない。走るのが目的なら走り方を。僕は呼吸を変えるために走っている。呼吸の仕方を変えなければ、走っても息があがってしまうだけだ。まず息があがらないように、走りながら高密度呼吸法の練習をしている。
人間の場合、その筋力は『強さ(エネルギー)』と『使い方』の組み合わせで決まっている。強さであるハイ・ミドル・ローパワーは、それぞれ使用するエネルギーの種類による変化である。これはそれぞれ100m走、400m走、フルマラソンに対応している。
戦闘では最も強いハイパワーだけを使いたいが、これは全力疾走の80m付近まで、時間的には6~8秒が限度でオールアウトしてしまう。
ミドルパワーなら約1分。世界最速クラスの中距離ランナーを基準に考えれば、450mぐらいまではミドルパワーを使える計算になるらしい。ここまでが無酸素運動だ。
もっと長く動き続けるには、有酸素運動のローパワーを使うことになる。最大筋力の3割程度が基準になり、マラソン選手なら約30kmでオールアウトするタイミングがくるという。ここを巧く乗り越えられると、フルマラソンの42.195kmでゴールにたどり着けるらしい。
僕らは〈冒険者〉になっているので、こうした人間の限界値を遙かに越えてしまっている。だからといって無限に無理が利く訳ではない。息を止めっぱなしで30分行動できるわけではないように、理が無いところで頑張って、どうなるものでもなかった。
人間の限界から逆算して考えると、〈消失〉の条件が少し見えてくる。戦闘使用したければ基本的にローパワーで活動する必要があること。つまり戦い方に緩急を付けるなどする必要がある。特技を使う一瞬に力を集中し、息を乱さないようにしたり、全力で動いたら呼吸を整える間を取る方が良いことになる。
消失している間は、物理・魔法攻撃を無力化できるはずなので、言ってしまえば、激しく動く必要はない。呼吸を乱さずに息を止めていられるぐらいの時間、つまり初歩的には2~3秒、を巧く活用できればいいことになる。そうなると歩くぐらいの速度で少し移動してポジションを変えるような使い方になるはずだった。
エルム:
「こんな早い時間からで大丈夫ですか?」
シュウト:
「いつも朝食前に訓練をしますから」
エルム:
「やはり大変なのですね。頭が下がります」
シュウト:
「いえ、どうってことは。ちょっと寝るのが早くなりましたけど」
実際には、夜更かしをしてもやることがない。
エルム:
「それにしても、もうレベル95ですか。ついこの間、レベル91になったと思っていたら」
シュウト:
「そうですね。上がり始めちゃうと意外と早いかもです」
昨日の昼前に〈炎爪竜ビートホーフェン〉との戦いを終えて、ニキータ以外の全員がレベルアップしていた。彼女も、次のレイドボスと戦う前にレベル94に上がってしまうことだろう。
そんな会話をしている間に、味噌汁屋は終わって、後片付けが始まっていた。星奈も手伝いに戻っている。
エルム:
「それで、『交渉について学びたい』ということでしたが?」
シュウト:
「はい。勉強不足のところなので、教えていただければ、と」
エルム:
「ですが私も自己流ですので、難しいところですね。とりあえず、用意してきましたので、今日は実際の交渉現場を見て学ぶ方向でいきましょう」
シュウト:
「今日の用事のことですね?」
エルム:
「ええ。準備がありますので、皆さんにも参加していただきたいのです。……特にユフィリアさんに」
シュウト:
「ユフィリアに、ですか?」
用件的な話なのか、交渉術的な話なのか。とりあえずユフィリアにも来て欲しいと伝えておくことにする。味噌汁屋の後片付けが済んでしまうのを、少しの間だけ待っていた。
ユフィリア:
「エルムさん、おはよーございまーす!」
エルム:
「おはようございます。今日も輝いていますね」
ユフィリア:
「ウフフフ。ありがとー」
にこにこしながら言葉を交わしている。流石のエルムもほっぺたが落ちそうな笑顔をしていた。
ユフィリア:
「ジンさんに用事でしょ?」
エルム:
「そうなんですよ。でもユフィリアさんに会いたかったのも本当ですね」
ユフィリア:
「またまた~。上手ぅ~」
エルム:
「本気ですよ、命がけで本気です」
ユフィリア:
「じゃあ、嘘だったらサクッと逝っちゃう?」
いや、その冗談は怖いよ。
エルム:
「えっとー、『命がけ』はちょっと盛りましたけど、それ以外は本当です!」
ユフィリア:
「アハハハ! それじゃ、いこいこっ!」
2人とも先に歩き出した。ちょうど近くに星奈がいたので呼び止めてみる。
シュウト:
「ねぇ、星奈?」
星奈:
「なんでしょーか」
シュウト:
「さっき、エルムさんに何を言われたの?」
星奈:
「? ……かいせんどんまつり!」くわ
シュウト:
「海鮮丼?」
星奈:
「かいせんどんまつり、です!」
流石は星奈だ、意味がまるで分からない。まぁ、いっか、とエルム達の後を追った。
◆
エルム:
「おはようございます。朝早くから申し訳ございません」
ジン:
「うぃーす」←眠そう
葵:
「オッス、おはようさん」←偉そう
レイシン:
「お茶でいい? 味噌汁もあるけど」←偉い
エルム:
「では、お味噌汁を」ニコニコ
幸せそうにお味噌汁を飲んでいるエルムを見て、疲れた表情のジンが切り出していた。
ジン:
「んで? 朝から何の用だ。金ピカ家具をどうするか決まったのか?」
エルム:
「すみません、それとは別件でして。さっそくなのですが、今日はお話が2点ありまして~」ぶいっ
葵:
「フッ。黄金のイスはあたしがもらった!」
ジン:
「だぁから! いちばん売れそうなヤツに手を出すなっつー!」
葵:
「……んで、ひとつめは? なになに?」
ジン:
「チィッ」
エルム:
「ええ。どうも強めの魔物が出たらしく、討伐隊に参加していただけないかなぁと……」
ジン:
「いいぜ」
エルム:
「え? ……よろしいのですか?」
意外にもすんなりと纏まりそうな……
ジン:
「いいっていいって。もらえるものを貰えたら働きますよー。……3日で金貨、ひゃ~く、ま~ん、まーい♪」にっこー
エルム:
「ハハハハハ(苦笑)」
毎回のことなので、もう何とも思わない。こういう人だ。こういう人なのだった!
ジン:
「この価格に設定してから、もうかなり強くなったけど、お値段は据え置きだ。スペシャルプライスってやつ? これはお得ですよ、お客さん?」にこにこ
などと、30年前からやってるラーメン屋みたいなことを言い始めた。エルムと言えど手に負えるハズもない。ハードな交渉になりそうだった。
エルム:
「そのぉ、もうちょっとまけていただくことなどは?」
ジン:
「えーっ? なに、どゆこと? 俺の実力を評価してくれないの?」ガビーン
エルム:
「イエイエイエイエ、そういう訳では! けっっして、そういう訳では」
ジン:
「分かってくれたか。じゃあ、金貨200万枚なっ!」ギュピーン
シュウト:
(ファッ!?)
エルム:
「あの、その、2倍になっていませんか?」ヒクヒク
ジン:
「スペシャルプライスは嫌なんだろ? だったら通常価格しかねーべ。遠慮するな、ちゃんと受け取ってやるって。そうだ、なんならプレミアム価格で300万にしてやろう。任せておけ、ちゃーんとサービスしてやるぞ。プレミアムプレミアム♪」
ちなみに、顔は笑ってみえても、ジンの目は笑っていない。まけてくれと頼むと、こうなるらしい。覚えておかなければ。
スターク:
「何なの朝から。ぼったくり?」
ジン:
「なんと人聞きの悪い。適正価格を自負してるっつー」
シュウト:
「あはははは(苦笑)」
エルム:
「わはははは(苦笑)」
スターク:
「どうせ値段を釣り上げたら、バカな金持ちが喜んで払うとか思ってんでしょ?」
ジン:
「ばーか。……だからお前は『ボンボン』なんだよ」
スターク:
「ボンボン?」
ボンボンってなんだったろう。子供的な意味だった気がする。
葵:
「まぁねぇ。絶対負けない戦士の価値、プライスレス」
スターク:
「なにそれ?」
エルム:
「フフフ。……大っ変、残念なのですが、金貨300万枚は私ごときでは用意できそうにありません。今回は仕方なく、断腸の思いで諦めたいと思います。がっくり」
がっくりを口で言ったよ、この人。
ジン:
「あ゛~? もうちょっと頑張れよ〈海洋機構〉~」
エルム:
「いやぁ、さすがにその値段は勘弁してください」
葵:
「まぁ、そうだろうね。……んで、ふたつめは?」
エルム:
「それです。えー、当ギルドでは新しい企画を考えていまして」ガサゴソ
ユフィリア:
「新しい企画?」
ニキータ:
「なにかしら?」
ジン:
「どうせくだらないのだろ」
荷物からフリップを取り出した。カラフルな文字が踊っている。
エルム:
「コレです!(ドン) ちょっぴり豪華な船旅はいかが? 〈海洋機構〉プレゼンツ! 海の幸を満喫するクルージング・コース! 特選海鮮丼もあるよっ」
葵:
「ばははははははは!!」
大ウケの葵が後ろ向きに倒れ込んで笑い続けている。
エルム:
「えー、日頃のご愛顧に感謝しまして、ギルド〈カトレヤ〉のみなさまをご招待します。まだ実験段階ですので、料金は全額、当方で負担させていただきます。……いかがでしょう?」キリッ
ジン:
「だーっ! バカにしてんのか、このにやつき野郎!」
ユフィリア:
「すごいっ! 行きたーいっ!!」
ジン:
「な、なにぃ!?」
どうやらさっきまでの方法が失敗例で、今度のが本命らしい。つまるところ、正面からお願いしてもダメということかもしれない。ユフィリアの好きそうなイベントを設定して、賛成側に回らせて取り込んでしまっている。なるほど今度のは巧いやり口だった。
ジン:
「ふざっけんな、言い方 変えただけじゃねぇか!」ぐぬぬぬぬ
ユフィリア:
「ねぇ、いいでしょ? ジンさんおねが~い!」
エルム:
「船旅は本当ですし、釣れたて新鮮な海の幸も食べ放題です。後はモンスターが出た時に、ちょーっとだけ護衛していただけたら助かります(笑)」
ジン:
「だから、それがふざけてんだろうが!」
エルム:
「HAHAHAHAHA」←アメリカンな笑い
ユフィリア:
「ジンさん 海の幸だよ? 海鮮丼だよ? お出かけしようよ~」ゆさゆさ
ジン:
「あぐっ、うぐっ」
体をくっつてせがむユフィリアのコアクマンな攻撃の前に、いかなジンとて折れるのも時間の問題。その時、袖をつかむ小さな手があった。
ジン:
「ん、星奈?」
星奈:
「かいせんどんまつり」じゅるり
ジン:
「…………わかった、わかったから(涙)」はらはら
よだれを垂らした星奈がラストアタックだった。よだれはともかく、星奈はエルムの仕込みだった。さっき先に話していたのはこれを狙ってのことだ。エルムの顔を伺うと涼しげなポーカーフェイスをしていたが、してやったりと思っているに違いない。この交渉はエルムの勝ちだ。
エルム:
「ところで、噂のアクアさんとお会いしたいのですが?」
ジン:
「知るかバーカ!」
葵:
「でかけたー。しばらく戻ってこないよん」
シュウト:
「昨日、用事が出来たとかで。なのでレイドもお休みなんですよ」
エルム:
「そうでしたか、残念です」
星奈:
「かっいせんどん♪」
ユフィリア:
「うっみのさち♪」
星奈:
「かっいせんどん♪」
ユフィリア:
「うっみのさち♪」
後ろで海鮮丼&海の幸の舞いが繰り広げられていた。万一にも目を合わせたくないので、見ないように努める。可哀想に、咲空も巻き込まれつつある。だが、ジンに止められないものを僕が止めようなどと、傲慢が過ぎるというものだ。
世の中には努力ではどうにもできないことが、ある。
ジン:
「……で、いつだ? 明日か? 明後日か?」
エルム:
「今、船の準備をしていますので、たぶんお昼頃には……」
シュウト:
「今日の?!」
◆
そしてお昼。本当に当日出発になった。喜んでいるのは女性陣ばっかりで、ジンなどはぐったりモードだ。集合場所を確認すると、アキバの川沿いの船の停留場所だという。アキバから海まで小型船で移動して、中~大型船に乗り換えるのかな?などと予想していた。
荷物の積み込みをやっている精霊船オキュペテーを横目に、自分たちが乗っていく船はどれかな?などと周囲を見回す。
トモコ:
「こんにちは~」ひらひら
シュウト:
「どうも」
ユフィリア:
「トモコさんっ、だー!」
トモコ:
「おー、よしよし」
会う度にぐりぐりしている気がするのだが、それはそれで大丈夫なのだろうか。トモコはすこーし(かなり)薄着な印象で、それはまるで夏服のような気がした。服装はともかく、エルムは忙しくて来れないというので彼女が代理だろう。
ニキータ:
「今日は見送りに?」
トモコ:
「ううん、一緒にいくよー!。夏休みを貰ったからね」
ニキータ:
「……えっ、夏?」
ジン:
「おいおい、もう11月だぞ?」
トモコ:
「そうなんですよねぇ(苦笑)、もうぜんぜん休みが取れなくて」うふふのふー
ジン:
「……あ、そう」
ジンすら凍り付かせるレベルの冷気を放つトモコだった。9月に夏休みならまだ分かる。10月ならちょっとした話題になるだろう。そして11月だと死人がでるレベルだった。休んでいない女の人はドラゴンよりも怖い。下手に近づくと、間違いなく祟られる。
Zenon:
「よぉ、悪いな。手伝ってくれるんだって?」
バーミリヲン:
「それにしては気の抜けた格好だが?」
ジン:
「そりゃそうだ。俺たちゃただの船遊びだかんなー」
Zenon:
「エルムか」
バーミリヲン:
「エルムだな。すまない」
レイシン:
「ま、モンスター退治はレクリエーションの一環みたいだからね」
シュウト:
「あはははは(苦笑)」
葵:
「それで? どの船でいくの? あのちっこいの?」
Zenon:
「アレだってよ」アゴクイッ
シュウト:
「いや、アレって……?」
ジン:
「マジか?」
バーミリヲン:
「マジだ」
荷物の積み込みをやっているオキュペテーが、僕らの乗っていく船だと言われる。結構、反応に困る。
そー太:
「マジで? あの船に乗るの!?」
静:
「すごっ。凄いよ~」
まり:
「うはぁ、乗ってみたかったんだよねぇ」
りえ:
「隊長と南の海でバカンス!?」
アキバから見れば南の海かもしれないけれど、南国的な暑さを期待するのはどうだろう?という気がする。
ジン:
「てゆーか、脂ののったサンマとかが目的だろ?」
レイシン:
「時期的にはそうなるよね~」
Zenon:
「レイシンの旦那が来てくれたのは有り難いぜ。……メシに期待してもいいんだよな?」
トモコ:
「うんうん……」←ハイパー聞き耳状態
レイシン:
「んー、でもこの船にも料理人がいるんじゃないのかなぁ?」
Zenon:
「んなっ!? マジかよ」
他人の職責を侵さないという態度は素晴らしいと思う。思うけれど、そこは出しゃばって欲しいと思うのが、ほぼ全員の心境だったりした。
トモコ:
「ねぇ、船長と料理長を呼んでもらえる?」ゴゴゴゴゴゴ
Zenon:
「わ、わかった……」
トモコが責任者たちと話をした結果、船の料理責任者は操船スタッフや〈海洋機構〉の戦闘要員の食事を作るだけということに決まった。レイシンの邪魔をしない、可能な限りサポートをする、という条件で話が纏まる。誰もトモコの邪魔をできなかった。休んでいない女性は圧倒的に無敵だった。
レイシンは自分の調理道具を取りに戻り|(なんと持ってきていなかった!)、その間に僕らは荷物と一緒にスタークを積み込んで出発になった。スタークを荷物扱いしているのは、彼のメインクラスが目立つものだからだ。人権侵害だ!とか叫んでいたけれど、スルーして積み込みを終えた。
逆にウヅキは咲空と星奈と手をつないでオキュペテーに乗り込んでいた。仲睦まじいのはよいことだと思う。
◆
トモコ:
「うーん! 気持ちイイ!」
ちょっと艶めかしい声色でトモコが伸びをした。開かれたパラソル、プールにあるようなロングチェア、右手のサイドテーブルには青色なトロピカル・ジュース。ビキニの水着に、パレオを巻き付けて、これぞ海!というスタイルで、夏(?)を満喫している。
Zenon:
「おい、寒々しいって!」
Zenonのツッコミマインドは限界を知らないかのうよう。夏の太陽よりもまぶしく感じてしまう。11月の、涼しいと表現するのも少しばかり無理のある海風の中、甲板のそこだけ完璧な夏を演出しており、近くを通るオキュペテーのクルーが軒並み視線を逸らして通り過ぎていくほどだった。……僕がツッコむには難易度が高すぎた。
ジン:
「おい、無粋なツッコミはヤメろ!」
Zenon:
「そうは言うけどよぉ」
ジン:
「愚かな、これぞ正に眼福だろうに。……素晴らしいですねっ」
見事なボディラインを惜しげもなく衆目に晒しているのだから、有り難く目の保養にするというのがジンのスタンスである。手をすり合わせて拝んでいるぐらいだ。もうドコにドコからツッコめばいいのやら。
そー太:
「胸ばっかみてねーで、もうちょっと景色を楽しむとかすればいいんじゃねーの?」
ジン:
「これだから素人は。東京湾を出たら周りはぜーんぶ、海だぞ。見所もクソもあるかっつー」
アキバから川をくだり、既に海に出ていた。大型船のためか、波の揺れもそんなに強くない。〈冒険者〉になっても船酔いする人はするらしいが、今のところ問題はなかった。
ところどころ千葉と神奈川の陸地が見えていて、あれはどの辺りだろう?などと思ったりもするが、正直なところ、名前も知らない土地はどれも同じに見えてしまったりする。
Zenon:
「ったくエルムの野郎、どうしてこういう時にいないんだか」
ジン:
「……いたらいたで海に突き飛ばしちまうけどな」
シュウト:
「なんでですか?」
ジン:
「あのなぁ。若い体を持て余したイイ女と、案外やることのない船の上。これを組み合わせるとどうなるんだよ?」
シュウト:
「どうなるんですか……?」
ジン:
「答えはセックスだ。俺なら部屋に連れてって、空っぽになるまで抱く」
死亡フラグをきっちり回避してくるエルムは流石だった。しかし、なんというか、そういう話を聞かされた後でトモコを見てしまうと、不純な感覚が混じるというか、見ていいのか戸惑ってしまう。妙に肌がキレイな気がしてしまうというか……。
シュウト:
「やることもありませんし、訓練でも」
Zenon:
「そうだな」
何かに大きく負けた気がした。ズブ濡れわんこの気持ちで、僕らはその場を後にした。
◆
ジン:
「じゃあ、階段登りだ。片足を階段に足を掛けた状態から、ケツ・モモ裏を意識しつつ、サクッと引き上げるようにすること。下側の足で蹴って上がろうとするなよ」
細々とした雑用から解放された咲空と星奈も参加している。2人とも一生懸命にやっていた。Zenon、バーミリヲンの2人も気まぐれなのか、ここに加わっていた。
延々と階段を登ったり降りたりするのが続いて、特段疲れもしないはずなのだが、そー太が愚痴めいたものをこぼした。
そー太:
「なぁ、この訓練って何の役に立つの?」
ジン:
「階段を登るのの役に立つが?」
Zenon:
「わははははは(笑)」
そー太:
「そーいうことじゃなくってさぁ!」
ジン:
「うむ。どのくらい重要か?と言われたら、今後、階段を何千段・何万段登るかによっても違うな。その階段登りが戦闘の役に立つか?と言われたら、難しいところだ。階段で戦えば役に立つかもしれん」
ジンはまるっきりおちょくりモードだった。
前方推進力の大部分はモモの裏側で作られる。足の動かし方、使い方を変えるためのごく初歩的・基本的な訓練法なのだ。動き出しがコンマ1秒でも早くなれば、その分だけ相手が反応する余地や余裕を潰すことができる。そうした高速運動が可能になると、自分の反応速度もそれに応じたものにランクアップする効果もある。
そー太:
「あー、もう。意味がないならやらねぇぞ!」
ジン:
「いいぞ、別に。俺は構わない」
りえ:
「えっ!?」
静:
「ちょっ!?」
なるべくなら訓練したくなさそうな2人が、反応に困っていたりする。まぁ、間違いなく罠なのだが、まだそれが分からないのだろう。
ニキータ:
「ちょっと待って。……みんな思い出して、ここはドコだったかしら?」
静:
「そりゃ、海の上というか?」
まり:
「オキュペテーの上です」
ニキータ:
「そうよね。それで貴方たちはどうしてココにいるのかしら? 帰還呪文を使う前に、まずそれを思い出してごらんなさい」にっこり
訓練する気のない人は、帰還呪文で帰りなさいというわかり易いアドバイス(命令?)だった。その笑顔には容赦の欠片もないように見える。
しかし、これはたぶん僕がするべき注意だった。それを代わりにやってもらってしまっていた。ちょっぴり(だいぶ?)情けない感じがしてしまう。
しばらくは大人しく練習を続けていたが、静がたまらずに叫んでいた。
静:
「うわーん。階段の上り下りばっかしてたら、足が太くなっちゃいますよ!」
ジン:
「……むしろ美脚トレーニングなのだが?」
りえ:
「マジっスか?!」
ジン:
「動物的に正しく使えている足は、動物的に美しく見えやすい。
不細工な足ってのは、モモ前、特にヒザ上の筋肉が発達しちゃうことと、ふくらはぎがパンパンに張ってしまうことの2点だな。だが、このトレーニングで鍛えているのはモモ裏のケツ近くだ。リキまずに引き上げてやれば、つま先立ちにならない。だからふくらはぎがパンパンにならない。それとモモ裏が少し発達している方が、ヒップアップにもつながって、ラインがキレイに見えるようになる。馬だの鹿だのを観察すれば分かることだ」
自分の足の形にまで興味はないし、強くなれればどんな形になっても仕方ないと思っている。けれど、醜いよりは美しい方が良いとは思う。当たり前だけど。
ジン:
「だいたいよー、ユフィとかニキータが歩いたり、階段登ったりが綺麗じゃなきゃ嫌だろ?」
汰輔:
「それは嫌っすね」
Zenon:
「寂しい気持ちになるよな」
エリオ:
「まったくでござる」
ジン:
「逆に、『最強』とか『メチャクチャ強い』とか言われるようなヤツが、運動神経なさそうな変な歩き方してると思うのかよ?」
そー太:
「そう言われたらそうだけど」
りえ:
「隊長は歩き方キレイですもんね」
シュウト:
「それは、鍛えてもらったからで……」
ジン:
「ったくよー。お前らみたいなロクに努力もしてこなかった連中が、どこをどういじれば強くなれるって? マトモに歩くこともできない癖に、どうしてそう偉そうなんだよ。もうメンドクセェから、生まれてくる所からやり直したらどうだ? そっちの方がよっぽど早く済むだろがよ!」
辛辣極まりないのだが、事実なので反論のしようもない。
結局、無様で、下手クソで、醜くて、弱過ぎるという自覚が足りないのだ。自分達は普通ぐらいだろう、平均よりはマシだろうなどと思っているから、そこそこで満足してしまうのだ。怠けているウサギは、亀に追い抜かれるだけのみっともない生き物でしかない。この異世界でそんな生き方をしていたら、本気を出す前に殺されて終わりになってしまう。
強くなろうとする覚悟を持つ難しさも分かる。誰もが最強になろう、なりたいとは思っていないのも本当だろう。それでも、あまりにも集団・組織としてレベルもモラルも自覚も低すぎて無さ過ぎる。
葵:
「そりゃそうだろうけど、それをいっちゃあ、おしめーよ」
シュウト:
「葵さん……」
雰囲気が悪くなったところで、ふわっと現れて空気を変えてくれた。
葵:
「じゃあ、まず美しいお手本をじっくり見せて貰おうかね」
ニキータ:
「ユフィ?」
ユフィリア:
「はーい!」
なめらかにスッスッ階段を登っていく2人。動作からすでに『美人の動き』になって来ている。少しばかり歓声が上がっていた。見回せば、オキュペテーのクルーまでみとれていたりする。
ジン:
「これはさっきまでのやり方に加えて、腸腰筋でモモを引き上げている状態だな。ここまで出来れば合格でいいだろう。戦闘時の何気ない動きにも、モモ裏が利いてくるようになる」
義務的にそれだけ説明すると、ジンはふらりと立ち去った。僕は後で謝りにいこうと決めた。情けなさで盛大な溜め息が出た。
エルンスト:
「すまんな」
大月:
「申し訳ない」
名護っしゅ:
「ホント、迷惑かけてごめんな」
シュウト:
「いえ、大丈夫ですから(苦笑)」
誰か他人を責める気持ちは僕にはなかった。少し前の自分の振る舞いをまだ忘れてなどいない。僕だって同じことをやっていた。何度も怒られたし、呆れられもした。それでも粘り強く指導してもらって、今日までやってこれたのだ。この数ヶ月と同じ過ちを繰り返している『だけ』なのが情けなくて、申し訳なかったのだ。でもそれはそー太達の責任ではない。繰り返しになったのは、僕が先にやったのが原因であって、僕の責任なのだから。
シュウト:
(っていうか、エルムさんのせいで不機嫌なんだよなぁ……)
そっちはそっちで自分のせいだったりする。交渉術を分かりやすく見せてもらったのだが、裏側がバレバレでは怒るのも仕方がない。そこまで含めて交渉術の真髄的なものなのかもしれない。たいへん多くの示唆を含む内容だった気がする。交渉相手をこう不機嫌にして良いことなど何もない、とかまで含めて……。
シュウト:
(この件も謝るべきだろうか。それが問題だ……)
機嫌が良さそうな時を狙おう、そうしよう!と考えていた。
◆
朱雀:
「おい」
そー太:
「なんだ、朱雀か」
朱雀:
「お前らのせいで、練習が途中で終わりになったんだが?」
汰輔:
「うっ……」
雷市:
「すまん」
朱雀:
「特にそこのサル。お前が何しようと勝手だが、こっちにまで迷惑をかけるな!」
そー太:
「誰がサルだ!」
朱雀:
「サルにサルと言って何が悪い」
そー太:
「ピーチクパーチクうるせぇぞ、このスズメ野郎!」
マコト:
「落ち着いて、2人とも落ち着いて~」
損な役割だと分かっているのに、どうしてだか仲裁役みたいになってしまっている。なぜ僕が?
そー太:
「あんな、階段なんか上り下りしたってしょうがないだろ!」
朱雀:
「だからサルなんだろ。先輩方がちゃんと練習してるのに、弱いお前が練習しないで、どうやって強くなるつもりだ!」
そー太:
「隊長はもうレベル95なんだぞ! 俺たちとどんどん差が開いて行ってるのに、こんなことやってられるか!」
朱雀:
「フッ、レベルが低いから足手まといだとでもいうつもりか?」
そー太:
「違うのかよ!?」
朱雀:
「じゃあグズグズしてないで、とっととモンスターと戦ってくればいい」
だが、レベルを上げるには85レベル以上のモンスターと戦う必要がある。レベル91になれば今度は86レベル以上のモンスターと戦わなければならない。レベル95に追いつくころにはレベル100になってしまっている気がするけれど、少なくとも90レベルのモンスターと戦わなければ、レベル95になることも出来ない。
名護っしゅ:
「今の俺たちだけじゃ、ちょっと勝てないだろうなぁ」
そー太:
「…………」
朱雀:
「なんだ? じゃあ、結局はパワーレベリングってことか? 隊長にモンスターを倒してもらってレベルを上げるのか?」
そー太:
「そうじゃねぇ! 隊長に指揮して貰えたら、俺たちだってもっとやれるんだ!」
朱雀:
「レベルが上がったって、足手まといなのは変わらないだろうが!」
そー太にはそー太の理由があって、焦りや苛立ちを感じていたのだろう。それが分かったとしても、どうすることもできない。
そのタイミングで珍しく念話がかかってきた。仲間以外から掛かってくることはないのでビックリしてしまう。念話相手を見て、出たくなくて全力疾走しそうだった。
マコト:
「……はい」
ジン:
『さっさと出ろ、この野郎』
マコト:
「すみません」
ジン:
『甲板にいる。5秒で来い』
マコト:
「はひ……。あの、ごめんね、ちょっと急ぐので」
ダッシュでその場を後にした。
◇
シュウト:
「先程は、本当にすみませんでした!」
ジン:
「はぁ? テメェが謝ったら俺の気が済むのかこの野郎? アンポタンが何様のつもりだ、コノヤラウ?」
シュウト:
「すみません、すみません、すみません」
甲板に出てみると、平謝りの隊長がいた。その後ろから『僕、間に合ってます』アピールをしておく。
ジン:
「マコト、遅い!」
マコト:
「すみません!」
キリキリキリキリキリと何かが巻き上がっていく音がする。僕の人生が短くなっていく音ではなかろうか。もしくは胃が痛くなる時の擬音か何かの気もする。異世界なのに胃薬が欲しくなるのはなぜだろう。
ああ、暑くもないのに空が高い。
ジン:
「教えた通りに練習してんだろうな?」
マコト:
「はい! やってます。やらせていただいてます!」
ジン:
「よし、見せてみろ」
シュウト:
「一体、何を……?」
刀を抜いて、その切っ先を素早く動かして、目で追う訓練だった。まず左右に振ってその先端を目で追い続ける。次に前後、最後に上下もだ。
ジン:
「よし、いいだろう。次からは倍のスピードでやるように」
マコト:
「それだと、目が回っちゃいそうなんですが……」
ジン:
「やれと言ったら、やれ」
マコト:
「はひ」
有無を言わせない迫力に飲み込まれる。どうしてこうなったのだろう。
シュウト:
「マコトに目の訓練をさせてるんですか?」
ジン:
「まぁな。コイツ、〈武士〉のくせに目が使えてねーんだよ。基礎練だな。視覚と運動の連動の前に、目の使い方が下手なのを直さなきゃならん」
シュウト:
「それって」↑ぴこん
ジン:
「お前はやらなくていい」
シュウト:
「そうですか……」↓↓とぅるるる
なぜだろう。隊長の気分の浮き沈みが見えた気がした。
ジン:
「このままコイツを鍛えて、あの生意気なクソガキに思い知らせるのも悪くないと思ってな。……なぁ、マコト?」クックックッ
マコト:
「あわわわわわ」
ジン:
「弱っちぃヤツが地獄の特訓を経て、強いつもりの雑魚をヒネリ潰すのとか、もろ王道だろ? ついでにシュウトよりも強くしちまうか」ゲッゲッゲッ
シュウト:
「勘弁してください。そういう冗談めいてる時の方が、なにげに本気だったりするじゃないですか……」
恐ろしい単語が混じっていた気がする。もしかして『地獄の特訓』は決定事項なのだろうか? 邪悪なたくらみに巻き込まれてしまったのかもしれない。
ジン:
「それはともかくとして。隠れてこっそり練習しそうだな、お前?」
シュウト:
「いえ、そんなことは」ぎくり
僕は見逃さなかった。隊長の目が泳いでいた。明らかに目が泳いでいた。目の特訓の成果がもう現れたに違いない。
ジン:
「チッ。……命令する。おまえは目の練習をするな」
シュウト:
「命令、ですか?」
ジン:
「なに不満げな声だしてんだコノヤラウ? ……次の段階は『超反射』なんだぞ。無駄なことをやらせるつもりはない」
マコト:
「超……?」
シュウト:
「そ、そうなんですか!?」↑↑↑↑ぱんぱかぱーん
隊長が途轍もなくうれしそうだった。それはなんとなく僕も嬉しかった。超反射というぐらいだし、なんだかスゴそうな気がする。
ジン:
「視覚高速反射は、アレで意外と訓練が難しい。本の速読と併せて考えると、慣れている文章は読み飛ばせるってことかもしれん」
シュウト:
「えっと、慣れてくれば反応できるってことですか?」
ジン:
「たぶんな。……そもそも『反射』というのは本来、脊髄反射のことだ。脊髄反射は利用したくてもコントロールが利かない。だから正しくは『反応系』ということになる。視覚反応系と呼ぶのが用語定義上は正しいのだが、視覚高速反射と言ってしまうことにしてる。反射と言ってしまった方が、反応と呼ぶより素早い感じが出るからだ」
シュウト:
「視覚高速反応より、ずっと素早い感じがしますね」
どうやらネーミングの問題、ということのようだ。
ジン:
「視覚高速反射の上位は、もう超反射だな。超反射の話はまた後日にしよう。お前が切っ掛けを掴んだら話してやる。って、……まぁ、ずっとそう言ってきた気もするけど」
シュウト:
「そうですか……」↓↓↓ショボボボーン
ジン:
「コイツ、毎度毎度めんどくせぇ」
偉い人も苦労しているんだなぁ、と思った。
ジン:
「視覚反応系は、結局『見の目』の話だからな、その先の『観の目』の段階に進むことになるんだよ。間接視、メタ視、メタ認識、第六感とされる知覚力まで絡む問題だな」
シュウト:
「奥が深そうですね……」
マコト:
「あの、第六感って何ですか?」
ジン:
「ん。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の次は『知覚』といって、より直接的に知る感覚のことだ。超感覚と呼ばれる場合もあって、今はまだ超能力の一種として扱われることが多い。そういうものがあるらしい、ぐらいに思っておけ」
なんとなく霊能力だとか、幽霊が見えるとかの話かな?というイメージで聴いていた。
シュウト:
「そういうのってあるんですか?」
ジン:
「殺気を感じたりとかするだろ。少なくともこっちの世界にはある」
シュウト:
「それは、ありますね(笑)」
マコト:
「すごく分かり易いです」
隊長が一緒だからか、緊張しないで話を聴くことができる。なんとなくこの場にいられるのはラッキーな感じだった。
ジン:
「動物の狩りを考えてみろ。基本は潜んで獲物に近づいて、一気に襲いかかることになる。擬態する生き物も多いことを考えれば、視覚を騙すのが生存戦略として有効なのが分かるだろう」
シュウト:
「目をごまかした方が有利、ですよね……?」
語尾が弱まっていて、あまり自信は無さそうだった。隊長は〈暗殺者〉なのでステルスなどの特技を使うことができる。
ジン:
「逆から考えれば『生きるか死ぬかギリギリ』ぐらいだと必然的にそうなるってことだからな。弱いから擬態する必要がある、とも言える」
マコト:
「はぁ……」
ジン:
「視覚を騙すのが効果的なのは、全体的にみれば視覚が有効だからだ。でもそこで強者たらんとした場合には、視覚を騙されたぐらいで食われてたらダメってことになるだろ」
シュウト:
「視覚高速反射ではやっぱりダメそうですね……」
擬態などで視覚を騙されたら、視覚高速反射は使えないのだろう。〈冒険者〉もステルスされたらダメだということになりそうだ。
ジン:
「こうした野生動物だのの類例やら、様々な要素を併せて考えていく必要があるわけだ。擬態する生き物が多いのに、なぜ視覚は有効なのか? その答えは、ロングレンジだと視覚での情報取得が最も効率がいいからだ。1キロ先の出来事を嗅覚で知るのはあまりにも難しい。聴覚はどうだ? 何かが聞こえることもなさそうだ。でも視覚なら? 何か見えるかもしれない」
シュウト:
「五感、第六感まで含めても、それぞれに得意なレンジがあるってことですね」
ジン:
「そういうこと。クロスレンジでは必ずしも視覚が有効とは限らない。かといって、使えるようになった途端、すべて超感覚に頼るのも良くはない。これはちょっと自戒を込めて言っておこう」
マコト:
「ってことは、超反射っていうのは、知覚高速反射なんですか?」
ジン:
「……まぁ、視覚系ではない、とだけ言っておこう」
頭にぽんと手を置かれる。殴られたわけでもなく、どちらかと言えば褒められているような気がした。
ジン:
「シュウト」
シュウト:
「はい!」ビクン
ジン:
「背骨周りをよーくゆるめておけ」
シュウト:
「わかりました!」ビシッ
どうやら話は終わったらしい。
シュウト:
「(ありがとう、マコト)」
マコト:
「い、いえ」
なんで感謝されたかは分からなかったけれど、嬉しそうなので良かった。
ジン:
「……んで、何を隠してるのかね、シュウトくん?」
シュウト:
「バレバレ、ですか?」
ジン:
「バレバレだったら尋ねたりしない。今なら、釈明の余地を与えてやらんこともない」
シュウト:
「実は……」かくかくしかじか
ジン:
「交渉術ねぇ。つまりお前のせいで俺はおちょくられた訳か。なるほどなー、よーく分かった」
シュウト:
「そ、それじゃあ」
ジン:
「リアルバンジーの刑だ」
シュウト:
「は?」
ジン:
「マストが無いんだよな、この船。あの高いところからでいっか……」
シュウト:
「は?」
……こうしてシュウト隊長は『リアルバンジーの刑』に処されることに決まった。(つづく)




