149 痛み と 衝撃 / システム外戦闘
ジン:
「パンチの威力というヤツは、大まかに2つに分類される」
タクト:
「ふたつ……?」
ジン:
「『痛み』と『衝撃』だ」
昨日、あの後で何があったか知らないが、タクトが少しだけ改心した雰囲気を見せていた。ジンの話をちゃんと聞いているのは良いことなのだが、それはそれで何かイラっとさせられるものがある。……なんなんだろう、アイツは。
タクト:
「痛みと衝撃? それのどこが違うんだ?」
シュウト:
(というか、口調を正せ、口調を)
ジン:
「痛みは心理的な要素が大きいものだ。衝撃の方はもっと物理的な要素だな。現実世界でのケンカは、『痛み』を駆使する戦法が使える。こっちの世界では痛覚緩和があるから痛みを利用しづらい」
タクト:
「だったら、衝撃だけでいいだろ」
ジン:
「いいや、だから『痛み』を頭で理解しないといけないんだ。体では覚えにくくなってるからな」
タクト:
「具体的には?」
ジン:
「やってみせた方が早い。……いくぞ、防いでみろ」
一瞬で襲いかかると、顔面に左ストレート。顔を避けつつ、防ごうとしたタクトをすり抜けるように、ボディブロウを寸止め。……顔面への攻撃はフェイントだった。
ジン:
「こんなのとかね。大して痛くないと分かってても、殴られるのはイヤだから、避けようとする。んで、フェイントに引っかかって『ボディが、ガラ空きだぜ!』となったわけだな」
レイシン:
「はっはっは」
ジン:
「痛みに対する心理傾向は、大きく変化していない。〈冒険者〉になったからって、そんな簡単に変わるものじゃないワケだ」
タクト:
「……よく、分かった」
ジン:
「よろしい。……ちなみに、人間の顔は痛覚的にとても敏感に出来ている。殴られると、通常よりも『痛い』んだよ。これを逆からいうと、四つ足の動物達は顔を殴られても人間ほど効果がないってことなのだ」
シュウト:
「えっ、そうなんですか?」
タクト:
「そうだったのか……」
ジン:
「四つ足動物の連中は、走る時『顔面から突撃すること』になるかんな。多少、ぶつかったりしても平気なように、顔の痛覚は鈍くなってるんだろう。……というか『そっちが普通』なわけだ」
ユフィリア:
「そうなんだ~」
ジン:
「まぁ、〈冒険者〉になって痛覚緩和があっから、ようやく条件的に五分というかね」
シュウト:
「痛みかぁ。……重要ですね」
相手も自分と同じように痛かろうと思うから狙うのだ。相手の心理を把握することの大切さは確かにありそうだった。
ジン:
「じゃあ何で?って話になるワケだけど、人間の顔の痛覚が鋭い理由はよくわかってない。推測になるけど、二足歩行だと軽くコケただけで頭蓋が1m以上落下することになるから、脳が損傷しやすい。痛覚を鋭くすることによって、そういう状況から身を護るようにするためじゃないか、とか言われている」
身長173センチの自分の場合、頭のサイズを差し引いても、1.5m近い高さに頭蓋があることになる。転んでそれが落下したとすると、中に入っている『柔らかい脳みそ』がグシャリとなってもおかしくない。もちろん、頭蓋骨の中にはクッションとかがあって、多少は護られているものだろうけれど。
考えてみれば、視覚・聴覚・嗅覚、味覚まで加えたら、人間の感覚の大半が頭に集中していることになる。ここを護るためには多少の痛みがあった方が良さそうな気もしてくる。
タクト:
「逆に言えば、現実世界だったら、弱い一撃でも大きな痛みを与えられたわけだな。『その手が使えなくなった』ということだろ?」
ジン:
「そーだ。もっといえば、より科学的な態度が求められるようになった、とも言える」
ユフィリア:
「科学的?」
ジン:
「お前らには一度ぐらい話してると思うんだが……。ともかくもう少し広いところに移動しよう」
タクト:
「わかった」
起伏の少ない平野で、遠くまで見晴らしが良い地点へ移動。途中、ところどころでモンスターと出くわすのだが、怖れからか近づいてはこなかった。
ジン:
「そういや、石丸とどうした?」
ニキータ:
「アクアさんに呼ばれて連れて行かれました」
ジン:
「なにをやってるんだ?」
ニキータ:
「さぁ?」
シュウト:
「リディアも困ってるみたいで、石丸さんに相談してましたけど」
ジン:
「ふーん」
アクアが何をしているかは知らないが、リディアの悩みは分かっていた。
ヘイト抑制・MP回復・再使用規制の短縮などの諸要素は、特技の使用順に影響する。魔法使い達は独自の使用配列(循環)を構築しているものだが、特殊な呪文で一時的に再使用規制が短縮されても、それにあわせた循環を瞬間的には再構築できない。従って、循環がゆるい戦士職・武器攻撃職に短縮呪文を使う方が『簡単』ということになる。
……もしくは、循環から外れている『緊急呪文』などの切り札を使えるように、それらの特技の使用後に短縮系呪文を使う、といった『手順』が必要になる。これらの細かな要望と全体の戦術構築の組み合わせが〈レイド〉とも言えるだろう。
ジンがいることで、ヘイト跳ねのリスクが大幅に下がるため、僕たちは火力に意識を振り分けることができる。ここにアクアが参加すると、更にヘイト減・MP大回復・再使用規制の高速短縮が加わる。当然、循環にも大きく影響することになった。武器攻撃職であれば、気持ちよくポンポンと特技を出して、MPが破綻しない程度に管理すればいいだけだが、魔法使いだとそう簡単には行かない。
石丸の『ジュークボックス』は、あらゆる呪文の組み合わせを網羅している。……というより、すべての循環を瞬時に再構築できるらしい。圧倒的な計算能力・記憶能力。このため、アクアの参加という『環境の変化』にも万全の対応が可能だ。しかし、それは石丸だけの特性なのであって、その他の魔法使いに容易に真似できることではない。
イヴルアイにマナコントローラーを兼ねるリディアにすれば、結構こまった感じになっているだろう。そのあたりを相談しているのだと思われる。
ジン:
「じゃあ続きだな」
シュウト:
「えっと、科学的な態度が求められる、というところからですよね?」
ジン:
「そうだったな。じゃあ非科学的な態度はどういうものか?という話になるんだけど、この場合は『手応え』のことを言う。……話の順番を正すと、より強力なパンチだとか正しいパンチとは何か?ということを『どう評価するか?』という問題になる。相手のダメージを正確に測定するのは、本来はかなり難儀する。むしろこの世界だと、HPへのダメージ値で計算できてしまったりするんだけど、現実だと『手応え』の大・小がこれに相当していたワケだ」
ニキータ:
「手応えが強ければ、大ダメージだろう、手応えが小さければ、あまりダメージはなかっただろうってことですね」
ユフィリア:
「……あれ?」
ジン:
「さっき説明したと思うが、パンチの威力には2種類あってだな」
シュウト:
「痛みと衝撃、ですよね?」
タクト:
「なんとなく分かったが、続けてくれ」
ジン:
「どうかしたか?」
悩んだ風の顔をしているユフィリアに気が付いて、ジンが発言を促していた。
ユフィリア:
「この世界だとあんまり痛くないんだよね?」
ジン:
「そうだな」
ユフィリア:
「でも、ふつうだと、殴られた方だけじゃなくて、殴った方も痛いんだゾって言うよね。だとすると、殴っても殴られても平気ってことになるんだから、……優しさの足りない世界?」
ジン:
「ずいぶん哲学的だな、オイ」
とんでもない結論に吹き出しそうになる。堪えきれずにせき込んでしまった。
ニキータ:
「あの? 殴るような行為で力を加えれば、反作用がありますよね? それが手応えだと思うんですが」
ジン:
「ほぅ。続けてみな?」
ニキータ:
「普通に考えたら、反作用の大きさと威力は比例関係になるはずです」
シュウト:
「だけど、痛覚緩和があるから、反作用による手応えも小さくなるんじゃ?」
ニキータ:
「むしろそれはプラスに働くと思うの」
タクト:
「ああ。痛みなのか、衝撃なのか?という感覚のズレがなくなるから、衝撃だけを手応えとして感じる、ということだな」
ニキータ:
「そうね。……どうですか?」
ジン:
「なるほどね」
ユフィリア:
「でも、それは違うと思う」
ジン:
「おっ?」
シュウト:
「えっ?」
タクト:
「どういうこと? ゆきちゃ……ユフィ」
ユフィリア:
「うーんと、ジンさんは手応えを信じるのは『非科学的だ』って言ったよ。だから、きっと間違ってるんだよ」うんうん
ニキータ:
「あ……」
ジン:
「まぁ正解だ。やるじゃないか」
ユフィリア:
「……最近、私って頭いい人っぽくない?」
ジン:
「ほほぅ?」ニタニタ
ニキータ:
「そうね。だけど、自分からアピールしたらダメよ(笑)」
賢いかどうかはともかくとして、確かに非科学的だと言っていた。
タクト:
「いい線いってたと思うんだが?」
ジン:
「いや、『普通はそう考えてしまう』という類例なだけだ。手応えと威力には必ずしも関連性はない。手応えという評価軸を使うと、目指すところが全く違ってしまう可能性がある」
シュウト:
「威力さえあれば、手応えは必要ない……。あってもいいけど、重要じゃない、ってことですね?」
ジン:
「そうだ。手応えを信じると、威力は二の次になりやすい。
たとえば『威力が高く、手応えの弱いパンチ』と、『威力は弱いけれど、手応えの強いパンチ』があったとする」
ニキータ:
「その場合、威力の弱い方を選択してしまいますね……」
ジン:
「そういうこと。そしてその方向で『威力は普通の、スーパー手応えパンチ』を作ろうとしてしまう。
パンチ動作自体、練習体系そのものを、『手応えを作る』方向にシフトさせてしまうわけだ。どうやったら最も手応えがあるか?ということを基準にパンチ動作を構成してはダメだ。それは科学的な態度ではない」
針の穴を通すような『細か過ぎる話』にも関わらず、その重要性が分かってくると恐ろしくなる。些細な誤解が大きな結果の違いを生む。
ジン:
「一方で、衝撃力の至上主義も良くない……(以下略)」
――以下、長いので割愛しました by作者(血涙)
シュウト:
「ジンさん、そろそろ練習を」
ジン:
「ええい、もうちょいで終わるから邪魔立てするな!」
シュウト:
「いえいえ、もうかなりの時間しゃべってますってば」
ジン:
「えーっ、そうか~? もうそんな時間?」
ユフィリア:
「とりあえず、練習しよっ! ねっ!」
ジン:
「わーったよ」しぶしぶ
終わる気配の見えない長い解説。割って入ってみたのだが、言いたりない雰囲気のジンだったりした。
ニキータ:
「どうしてこんな、広い場所に?」
ジン:
「ああ、そりゃ目で見た方がいいからだ。
パンチの威力を測定するのに、手応えとかの曖昧なものを頼みにするとあまりいい結果にならない。ではどうするか? ……こうする」
手頃な石を手に取ると、勢い良く放り投げた。〈冒険者〉の筋力なので、かなりの飛距離が出ていた。
ユフィリア:
「けっこう飛んだね?」
ジン:
「まぁまぁだな。……飛距離は威力を測定する方法のひとつだ。威力を『目に見える形』に変えてくれる。パンチ動作でこそないが、筋肉の使い方を学ぶ上では良い目安になるだろう。やってみろ」
無闇に力を入れても、遠くまで飛ばないし、速くも投げられない。野球をやったことがあれば分かることだった。ほどよく力を抜いて、全身を連動させる。一番遠くまで投げたのはレイシンだった。筋力もそうだが、運動神経自体がかなりいいのだろう。タクトもかなりの飛距離を出していた。
タクト:
「そうか。今までの俺のパンチは……」
野球に例えるなら、リキみ過ぎて、ボールを地面に叩きつけてしまうような、初心者がやるミスをひたすら繰り返していたことになる。
これほど単純なことが、格闘技や武術になった途端に分からなくなるのだから不思議だった。こればかりはタクトを笑うことなどできそうにない。
こんな単純なことを教えるために、膨大な手間と言葉が必要だったのだ。いや、むしろ単純なことだったから、というべきかもしれない。
ジン:
「脱力しておいて、インパクトの瞬間に力を集中させたりとかだな。インパクトについてもいろいろあるから、その辺は今度また教えてやろう。まずは、今の練習を丁寧に積み上げていくことだな」
タクト:
「……わかった」
◆
ギルドの入り口前、銀葉の大樹の広場で集まった仲間たちにむかって宣言した。
シュウト:
「それでは、いよいよビートホーフェンの攻略に挑みたいと思います」
Zenon:
「よっしゃあ!」
エリオ:
「がんばるでござる!」
アクア:
「フフフ、楽しみだわ」
シュウト:
「今回、新たに2名が加わります。まず……」
ニキータ:
「ええ。〈召喚術師〉のリコです」
リコ:
「よ、……よろしくお願いしますっ」
ついさっきまでドコに連れて行かれるのか不安そうにしていたが、気丈に振る舞っていた。
Zenon:
「おー。カワイイ子だなぁ」
バーミリヲン:
「もう1人は?」
シュウト:
「えっと、……ケイトリン」
本当にまだ居るのか不安になっていたのだが、声をかけると物陰からというか、人目を忍んでというべきか、ケイトリンが姿を現した。
シュウト:
「元〈シルバーソード〉で、アタッカーをしていました。実力は保証します」
クリスティーヌ:
「レベル91か……」
レベル91には特別な意味合いがある。確かに今日集まっている大半のメンバーが90レベルを越えてはいる。しかし、ジンのような特別な助力を得てのものだ。
外部から参加するケイトリンのレベルは、そのまま実力の証明だと言えた。
スターク:
「なんか女性比率高いねぇ(笑)」
さもありなん。男性9人に対して女性8人。ほぼ半分が女性ということになる。〈大災害〉時の女性プレイヤーの比率が約7対3と言われているぐらいなので、かなり偏った結果、ということになるだろう。
ジン:
「というか、なんぞ複雑な緊張感があるな」
ユフィリア:
「わー、ケイトさんだー!」
ケイトリン:
「……くっ」
ユフィリアを中心として、女性同士の確執的なものが増えた気がしないでもない。ケイトリンは複雑な感情があるらしいが、ユフィリアは知り合いぐらい(=仲がよい人)にしか思っていない風だ。それがまた複雑さに輪をかけていそうな雰囲気だった。
ニキータ側がリコを増員メンバーに選んでくるとは予想していなかった。面白い人選の気がするものの、こちらもユフィリアに対して一言か二言はありそうな気がする。
……とりあえず、レイドの日なのですべて黙殺することにした。レイドに勝てるなら、この際、人間関係なんてどうでもいい。それが負ける要因になるなら早い段階で切り捨てなければならないが、正直、それどころじゃなくなるに決まっている。協力しないで生き残れるほど生易しくはないし、ここに集まっていればその程度のことは分かっているだろう。(この中でいえば、リコはどうだか知らないが……)
ニキータ:
「話は聞いていたけど、まさか彼女が参加するなんてね……」
シュウト:
「ごめん。誘わないつもりだったんだけど」
あの実力が惜しくなって、レイドに誘ってしまった。仲間になるつもりがあるかどうかは知らないけれど、共闘ぐらいはできるはずだ。
出発前の微妙な時間帯。ぼんやりするつもりは無かったが、挨拶したり、話しかけたりの『のりしろ』的な時間は切り捨ててしまっていいものでもない。なので、自覚的にぼんやりしていたところケイトリンがジンに視線を送っていた。睨んでいるのだろうか?
ジン:
「何かいいたいことがあるのか?」
ケイトリン:
「……覚えている?」
ジン:
「何を? おっぱいとか?」
身も蓋もないことを言いつつ、ケイトリンの強調された胸をまじまじと見ているジンだった。『イヤらしい目で見るのは礼儀にかなうことだ!』などと平気でいう人なので、きっと本人的にはマナーを守っている気分だろう。……最悪である。
ケイトリン:
「次は、届く」
ジン:
「フーン。別にいいけど、目的が変わってないか?」
因縁があるのかないのか、よく分からなかった。
アクア:
「時間だから、出発するわよ」
そうして仕切られて街の外へ。みんな揃って、カンダの〈妖精の輪〉から、ジャンプ。
アクア:
「入り直して」
すぐさま、出てきた〈妖精の輪〉に入り直す。当然、行き先は別なので、元のポイントに帰れる訳ではない。繰り返すこと7回。
アクア:
「5分休憩よ」
見たことも聞いたこともない場所で休憩になった。連続転移で船酔いの転移版みたいなものになる人もいるらしい。特にそういった症状は感じなかったが、休憩になんの意味があるのやら?と思う。
シュウト:
「あの、なんでこんなことしているんですか?」
ジン:
「は? ……お前、馬鹿か?」
困ったもの見るような目つき。僕の頭がおかしいらしい。
バーミリヲン:
「前回こうされていたら、気が付かなかっただろうな」
スターク:
「指輪の力を隠すためでしょ」
言われてみれば、そういう使い方をすれば良いだけらしい。5分休憩は方便で、転移先が変わるのを利用するべく、時間を跨いだということらしい。9時は群馬に跳ぶけれど、10時からは愛媛に跳ぶ、といった具合だろう。
次のジャンプで、いつものドラゴン戦のスタート地点にたどり着いた。
ジン:
「よし、じゃあ一発目からレイドボスに行きたいが、移動もあるからそうもいかんだろう。少し余裕をもって、11時頃に戦うぐらいのペースで行こう。さっさと倒して、美味い昼飯にしたいところだね」
シュウト:
「分かりました」
ユフィリア:
「じゃあ、両手を上げて! う~んにゃ~ら……」
儀式的にユフィリアが体操を始めた。
スターク:
「今日もとっても輝いているねぇ」
エリオ:
「すばらしいでござる」
力を温存しつつ、レイドボスの元へ移動。ドラゴンは遭遇をさけたのか、時々あらわれる〈竜牙戦士〉を倒して、現地に到着。最後の打ち合わせをしながら、長めの休憩を取って完全に回復させる。
……戦いが始まる。
◆
シュウト:
「配置に付きました。……始めます」
誰にともなく呟く。アクアの耳にはこれでも聞こえているハズだ。
〈炎爪竜ビートホーフェン〉の姿を確認。専用のゾーンの中で、僕は1人だった。今回の敵は、黒い霧状の物理&魔法を無効化する特殊な防御能力を持っている。まずこれを引き剥がす必要があるのだが、前回の経験からヘイトも無視することが分かっている。そこで僕らのとった作戦は、変則のオープニングだった。
弦を引くと、龍奏弓が唸り声を発した。僕は囮としてみんなとは別の場所にいた。20秒で1個目の『瞳』が生まれた。2個目は60秒必要なのでプラス40秒かかる。だが、その前にビートホーフェンとの戦闘が始まるだろう。
20秒ほど経過したタイミングで、ビートホーフェンがこちらに反応した。あと20秒というのは中々に悩ましい。我慢すべきか、否か。移動スピードを見て、3秒ぐらいで諦めそうになる。
ジン:
「おおおおお!!」
僕1人で囮ができるはずもない。ビートホーフェンとの線上にはジンが待ちかまえていて、そこで戦闘が始まっていた。ジン以外の味方は、隠れていたゾーンの入り口付近から走って現れる。ヘイト・コントロールが利かない敵なので、散会気味に予定のポイントへ。プロック発生まで残り15秒ほど。
ジンの戦いについ見入ってしまう。ヘイトを無視する敵を、強引に釘付けにしていた。〈ヘヴィアンカー・スタンス〉に効果があるなら、とっくにそうしているだろう。攻撃を叩きつけて、進軍を阻止しているのだった。
ジン:
「チィッ、シュウト!」
一瞬だった。技後硬直でジンが僅かに停止した隙に、僕のところへと迫ってきた。ジンに落ち度があっただろうか? いや、そもそもジン以外にこうしてレイドボスを引き止めるような真似ができたとは思えない。
ジン:
「おいっ、無理すんな!」
回避のタイミングは一瞬だ。遅きに失するのは論外だが、早すぎてもダメなのだ。目の前に迫り来るビートホーフェンの姿に、反射的に泣きそうになる。でも、半分は笑ってしまいそうだった。こんなのと戦おうだなんて、無茶が過ぎる。巨大な怪獣が、僕なんかに価値を見いだして襲ってくるだなんて、なんというファンタジー!
攻撃態勢に入ろうとしている敵に向かって、弓を空撃ちする。飛んでいくプロックは『瞳』がふたつ。ぎりぎりのタイミングだが間に合った。『瞳』が黒い霧に反応して、穴が開いた。ダメージこそなかったが、『行ける!』と確信を持つ。とはいえ、余裕はまったくないので〈ガストステップ〉で退避に徹する。
葵:
『いしくん、GO!』
魔杖から展開される竜翼人の魔法〈レガート〉の力を乗せて、石丸の魔法が撃ち出される。ダメージ量と黒い霧の破壊とがイコールなのかは分からない。命中地点に穴が空き、すぐに穴が閉じるが繰り返される。段々と霧が薄まっているような印象を受ける。もしくは、すべて自分の希望的観測かもしれない。
シュウト:
「〈乱刃紅奏撃〉!」
石丸:
「〈ライトニングネビュラ〉!」
渦巻く雷光が、炸裂音と共に黒い霧を全体的に削っていく。僕が時間差で飛ばした6つの『瞳』の内、最初の3つで大きめの穴を空ける。残り3つをその穴から突破させようとするものの、ドラゴン本体には届かず消滅した。興味本位での攻撃だったが、成功していれば黒い霧への攻撃にはならなかったことになるので、失敗してホッとする部分はあった。やってみたかっただけで、成功したらたぶん怒られただろう。
アクア:
「奥の手、行くわよ!」
ノドから絞り出すように、唸り声を発するアクア。〈輪唱のキャロル〉で飛んでいく音符の形が変化する。まるで『瞳』のように、黒い雷を含んだ風の色味を帯びる。
いつの間にか準備していたらしい。竜言語魔法の音的な性質を解析して、自分で使えるようにしてあったらしい。
葵:
『魔法攻撃を開始!』
リディア:
「は、はい!」
スターク:
「さっすがー。なんでもできちゃうんだもんねぇ~?」
アクア:
「…………」ギロリ
スターク:
「ボ、ボクも魔法で攻撃しよっと」
ジンと共に戦列に復帰する。20秒ごとに『瞳』を撃ち出すことしかできないが、それでも僕はまだできることがあるだけマシだった。有効な攻撃をしているのは、石丸だけ。魔法使い達は間接的に攻撃参加しているに過ぎない。ジンは実ダメージこそ与えているが、黒い霧を削ることはやはりできないらしい。防御を無視する特性も、場合によっては不便なこともあるらしい。
葵:
『ユフィちゃん!』
葵が叫ぶ。ユフィリアは既に詠唱を開始していた。『神域』による魔法詠唱は、時間を遡って少し前の過去から『詠唱を既に始めていた』という風に感じさせる能力だ。神速のスペルキャスト能力とは言っても、詠唱速度そのものが短縮されるわけではなかった。
……だからどこか不気味でもあった。詠唱時間そのものが短縮できないなら、詠唱を始めた時間を前倒しすればいい。たとえその結果、時間を遡ろうが、過去に食い込んでいようが、一向にかまわない。そんな印象さえ与えるものだからだ。
ジン:
「避けろ!!」
ビートホーフェンの突進攻撃。前回も見た攻撃だったが、予見できなかった。とっさに回避しようとするが、間に合いそうにない。胸の前で腕を交差してガードしつつ、横にジャンプするのが精一杯だった。
シュウト:
「クッ!」
ユフィリア:
「〈イセリアルチャント〉!!」
衝突寸前、ユフィリアの魔法発動の声が聞こえた。周囲に天使の羽根が吹き上がる。この突進攻撃を狙っていたのだろう。幻想級の盾によって強化された〈イセリアルチャント〉は、高密度の羽根を発生させていた。ビートホーフェンに当たって次々と炸裂していく。突進の速度が鈍るほどの、恐ろしい数の攻撃が黒い霧を削っていく。
同時に僕たちのHPも回復させるものだが、まだノーダメージだったので、少しばかり勿体ない気分でもあった。
体勢を立て直し、再び瞳を生成させるべく弓を引き絞る。石丸もチャンとばかりに魔法を炸裂させていった。
石丸:
「〈ライトニングチャンバー〉!」
〈イセリアルチャント〉終了直後、石丸の魔法が決まった。五芒星をかたどる雷の結界に閉じこめられ、乱反射される雷に焼かれるビートホーフェン。ほぼ黒い霧は消えているが、まだダメージになっていない。
ユフィリアが、走った。〈ホーリーシールド〉で攻撃する気だろう。祈るような気持ちで、僕はプロックを放つ。まっすぐに、早く、速く、光のような速度で命中するようにと願って。その一撃は、前を走っていくユフィリアをあっさりと追い越し、ビートホーフェンへと吸い込まれていった。
リディア:
「ダメージ確認!」
ニキータ:
「ユフィ、ストップ!!」
僕らは、一斉に『その背中』を見た。まるで見えない手でその背中を押そうとするかのように。荒ぶる戦神が猛り、吼えた。まるで僕たちの気持ちを受け取ったかのように。
葵:
『いっけぇぇぇええええ!!!』
ジン:
「〈リインフォースメント〉」
ヘイト操作系の特技を発動させると、ジンはごく静かに動き始めた。
段々と加速する動作が唐突に消える。ビートホーフェンの眼前に滑り込むようにステップイン。そのままの速度で突進突き〈レイザー・スラスト〉を放つ。軽くジャンプしながらの振り下ろしの縦斬り。着地と同時にビートホーフェンの巨体に潜り込み、全身を使って盾で叩きつける。追撃で回転斬撃〈バックハンド・スラッシュ〉を切り上げるように出し、切り返しでエフェクトを纏わせると〈クロス・スラッシュ〉に繋げた。
ジン:
「〈レイジング・エスカレイド〉!」
あっという間に6連撃までを叩き込んでいる。続けて7撃目の〈ブレイジングフレイム〉を待っていると、そのまま終わった。〈リインフォースメント〉の能力は、ダメージ値やヘイト獲得値に関係なく、命中するごとにヘイト順位をひとつ高めるという代物だった。6連撃で6人分上昇した計算になる。
Zenon:
「って、中伝かよ!?」
ジン:
「奥伝の巻物、たけーんだよ」
翼を使ってふわりと降りてきたビートホーフェンに改めて鋭撃を3連撃。続けて〈タウンティングブロウ〉、トドメに〈アンカーハウル〉。
黒い霧は晴れた。ヘイトトップもヘイト量もジンがトップに返り咲く。横暴とも言えるような無敵状態。そのシステム外戦闘を終えて、今度こそ、〈炎爪竜ビートホーフェン〉と本当の戦いが始まる。
各自がそれぞれ、本番用の装備を構える。レイシンがドラゴン・ホーンズを、ウヅキがヴォーパルブレイドを。エリオがアイデンティティの証たる、二刀一対の幻想級武器をズラリを引き抜いていた。
ゾーンを揺るがす、大音量の咆哮がスタートの合図となった。