148 ライトモティーフ
お昼以降はジン達が再び合流した。ソロ(というか3人だったけれど)で満足したのか、ジンの機嫌は少し良くなっていた。
午後からは全員で狩り場を巡った。勢い付いて夜まで戦ってからアキバに帰還する。
夕方、〈竜翼人〉の里に出向いて、〈竜眼の水晶球〉の終点アイテムを受け取って来ている。これでアキバを案内して、欲しいものがあるかどうかを判断してもらうのだ。うまくいけば継続して取引が可能になるだろう。とりあえず〈海洋機構〉の2人組が終点アイテムを預かって持ち帰った。
――そうして、翌日。
ジン:
「今日も変化なし。もうそろそろ諦めたらどうだ? いくらやっても変わらないって分かったろ?」
また同じことをしていた。訓練の結果を見せにきたタクトは、ジンの言葉を無視するように黙っている。あわてた様子のリコが横から口を挟んでいた。
リコ:
「また来ます!」
ジン:
「はいはい、好きにしな~」
もう一週間以上が経過している。たぶん10日ぐらいではないだろうか。ふてくされているタクトの顔を見たら、どうにも蹴りをブチこみたくなる。
シュウト:
「ちょっと待て」
タクト:
「何だ?」
初めてこちらの存在に気が付いた、というような鬱陶しい視線だった。
シュウト:
「なんで指示された通りに練習しないんだ?」
タクト:
「そんなのオレの勝手だろう」
ムッとしたような声に、こちらの堪忍袋が弾けそうになる。頭の中で殺す算段をつけ始める。
シュウト:
「お前の勝手じゃないだろ。いい加減にしろ!」
タクト:
「この手を放せ」
現実世界では一度もやったことのない『胸ぐらを掴みあげる』というのをやっていた。かなり頭に来ていたのだが、護身術も習っているので『正しい胸ぐらの掴み方』を自然とやっていたりする。
――相手の胸ぐらを掴む正しい方法は、服を(ひねり込みながら)掴み、一度自分の方に引き込んでから、コブシの握りを相手側に押しつけつつ、アゴに向けて押し上げる。この時、つま先立ちにさせるのがポイントになっている。踏ん張れなくさせて、無力化する。(この状態を『死に体』ともいう)
『普通』のイメージで、服を掴んだ手をひねって引き寄せると、握りが自分の方に向いてしまう。護身術を習っている相手だと、これは簡単に外せることになる。相手が掴んできたのと同じ側の手(敵が右手なら自分は左手)で手をつかみ、親指側にひねれば関節が極まるので、力を入れなくても外すことができてしまう。
シュウト:
「お前なんかが、ジンさんの時間を無駄にして言い訳がない!」
タクト:
「なんだ、お前、アイツの太鼓持ちか?」
『コイツ、殺そう』と心の中で決めた。心が冷たくなっていく。
タクトはつま先立ちになっている状態なので、突き飛ばせば尻餅を付くことになる。
シュウト:
「弱い癖に、口だけは一人前か。救われないな」
タクト:
「なんだと!」
ユフィリア:
「シュウト、やめて!」
ビビってないでさっさと手を出してこいよ、と思っていると、ユフィリアが仲裁に入った。余計な真似だと思っていた。
シュウト:
「邪魔しないでくれ。コイツは身の程を知った方がいい」
冷静というより、血が冷たい。冷血な状態だった。武器を引き抜いて殺気を放つ。ユフィリアがどう思おうと知ったことではない。
ユフィリア:
「シュウト、ごめんね、ごめんなさい。お願いだからやめてあげて」
背中にしがみついて懇願されると、ちょっと困った感じになってきた。いま攻撃されると身動きが取れない、というのが50%で、ユフィリアにしがみつかれてちょっと(かなり)嬉しいのが25%、そしてジンの視線が気になるのが300%だ。合計は合わないけれど、割合的にはそんな感じだ。
シュウト:
「どうしてそんな? こんなヤツ、優しくする価値なんてないだろ」
ユフィリア:
「そんなことないよ。タクトは良い人だよ。大丈夫な人だから」
シュウト:
「…………クッ」
ユフィリアに背中か抱きつかれて、頬がゆるみそうになっている。ギュッとされているのに、ふわふわだった。ペタ胸がどうとかの問題じゃない。くっつかれているだけで、どうにも殺る気が維持できない。ここで腑抜けた顔はマズい。沽券に関わる。必死に歯を食いしばってこらえる。なんというシリアス破壊能力。
シュウト:
「自分が誰に迷惑を掛けているのか、よく考えろ」
悔し紛れにそれだけ言ってその場を後にする。ユフィリアを使って攻撃(口撃)するのは卑怯だったかもしれないが、そのぐらいしないと理解しないだろう。
シュウト:
(それにしても、恐ろしい破壊力だった……)
余韻というのか、抱きつかれた時の内心の喜びはどうにもならなかった。完敗である。ユフィリア、恐るべし。
◆
ニキータ:
「リコがいなくなった……?」
ユフィリア:
「お願い、探すの手伝って!」
タクトから『リコを探して欲しい』と頼まれたようだ。ギルドの玄関前では、落ち着かない様子のタクトがウロウロしていた。
ニキータ:
「喧嘩したのね?」
タクト:
「そうなんだ」
ニキータ:
「とりあえず探してみるけど」
タクト:
「すまない。もう戻らないつもりかもしれない。もし、街を出てたらどうすればいいのか……」
ユフィリア:
「どうしよう。ニナ、どうしたらいい?」
かなり精神的にやられているタクトだった。彼にはこのぐらいのお仕置きは丁度良いぐらいだろう。
落ち着いて考えれば、アキバを出たとしても行ける場所はほとんど無いのだ。人の減ったシブヤに行くか、どこかの〈大地人〉の町ぐらいだろう。がんばって足を延ばしてもミナミぐらいのものだ。元いたススキノに戻るとは思えないし、準備も足りない。街中にいるに違いない。
しかし、面倒事だというのに借りられる手が少ない。リコの顔を知っている人間、且つ、手伝ってくれそうな相手。そー太達は顔見知りだが、連れ戻すように説得できるかは分からない。難しいミッションになりそうだった。
ニキータ:
「どこか行きそうな場所とかは?」
タクト:
「……イライラすると、甘いものを食べる」
ニキータ:
「あなたはここに居なさい。それとユフィも」
ユフィリア:
「どうして? 私も一緒に探すよ!」
ニキータ:
「たぶん、貴方に顔を見られたくないと思う」
ユフィリア:
「そっか。……わかった、待ってる。お願いね!」
タクト:
「よろしくお願いします!」
まず葵に手伝ってもらうことにする。そー太達にも探させ、説得は私が引き受けることに決めた。念話で連絡をとりあいながら、優先的に甘味処を次々と巡っていく。カフェでもパフェぐらいは出すかもしれない。そう考えていくと、場所を限定してもそれなりに時間が掛かりそうだった。
捜索開始から40分以上経過した頃、ようやく見つけだした。
ニキータ:
「……発見しました。泣きながらスイーツ食べてます」
葵:
『めっかったか。任せて平気?』
ニキータ:
「はい」
葵:
『なんかあったら連絡ちょうだ~い』
ニキータ:
「はい」
リコ:
「ふぅぅぅぅぅ(涙)」
どうして泣いているのだろうか。詳しい理由は私も耳にしていない。タクトも恥ずかしかっただろうし、もしかしなくてもタクト本人には分かっていない可能性もある。この場合、ユフィリアが関わっていると考えて間違いないだろう。ユフィリアの存在が重圧やストレスになったと仮定しておく。リコは葵が推察した過去の経緯を知らない。自分の想像に押しつぶされたとか、そんな辺りだろう。
ニキータ:
「さ、いらっしゃい。帰るわよ?」
リコ:
「(ぷるぷる)」
首を横に振った。こちらに気付いているし、声も聞こえているようだが、そのだだっ子の仕草に呆れてしまう。
ニキータ:
「アナタねぇ、女の子が独りでこれからどうするつもりだったの?」
リコ:
「(ぷるぷる)」
ニキータ:
「タクトの所には戻れないんでしょう? しばらく、ウチにいらっしゃい」
リコ:
「ふぅぅぅぅぅ(涙)」
タクトという言葉に反応して再び泣き始めてしまった。拒むようにデザートを並べている机にしがみついている。どうしたものだろう?と考えて、深いため息をついた。
……考え方を変えよう。腰を据えてかかるしかない。大抵の場合、中途半端な説得は逆効果だ。
とりあえずタクトのことから目を逸らさなければダメだ。この問題の本質はユフィリアに対する恐怖にある。タクトに対する気持ちと、ユフィリアへの気持ちがごっちゃになってしまっているのだろう。どちらにせよ、あの子と向き合わなければ解決しない。まず、タクトの話と切り離す。
……ふと、イタズラ心がわき起こる。本音を混ぜるのは嘘を吐くときの常套手段だと、自分の心に言い訳をしておいた。
ニキータ:
「……ウフフ。いい気味ねぇ。今のアナタ、とても不細工だわ」
リコ:
「はう!?」
ニキータ:
「お待ちかねの『お仕置きタイム』だもの。たっっぷりと楽しませてもらうわよ。アナタは、私のユフィに何度もブスって言ったのだから。何回言ったのか覚えている? ……タダで済むだなんて思わないでちょうだい」
リコ:
「あああああ」プルプルプル
ちなみにブスと言った回数は4回だ。この子は覚えてすらいないだろう。6回とか7回とか水増ししてやろうか?と思っていた。7回ぐらいこちらの命令に従わせてもバチは当たらないだろう。どんな目に遭わせてやろう? そう考えていると、自分でも本気になってしまいそうだ。
――いや、彼女に相応しい方法を思い付いた。
ニキータ:
「行くわよ。ついてらっしゃい」
リコ:
「はひ」
ちょっとアクアの真似をして有無を言わせない感じで言ってみたのだが、効果はテキメンだった。代わりに支払いを済ませる。これがちょっとお財布的には痛かった(食べ過ぎでしょ!?)と言いたかったけれど、それをこの場で言うのはいかにも格好悪いので我慢。……後で覚えてらっしゃい。
リコ:
「あのぉ、私はこれからどうなるんでしょう?」
ニキータ:
「これから大変よ。気を強く持つことね」
リコ:
「気を、強く……?」
ニキータ:
「そう。女を磨きなさい。厳しい視線に耐えられるように。もっと美しくなるのよ。心が挫けてしまわないように。これからは常に『最高』と比べられることになるわ。仲良くしましょう、リコ」
リコ:
「それって、どういう……?」
ニキータ:
「アナタは『ユフィの友達』になるのよ」
その昔、リコより先に、あの子に向かって「ブス」と言った人がいた。
当時、あの子はもっとずっと張りつめていた。たった独り、油断しないように生きていた。誰も傷つけないように、誰も壊してしまわないように、そうっと暮らしていたのだろう。いつか張りつめたものが切れる日がくる。私にはひと目でそれが分かった。それ故か、美しかった。ただひたすら繊細で、儚く、周囲の目を引かずにはいられないようだった。
だからなのか、なぜだか、思わず言ってしまった。「アナタ、ブスね」と。多少は嫉妬もあったのかもしれない。無意識にあの子の気を引きたかった可能性も否定できない。ちょっと驚いた風の、あの子の顔を、見開かれた瞳を、今もハッキリと覚えている。
そして、今、私は彼女の親友だった。『先例』に習うのであれば、ブスと言った罪、その罰は『友達になる』が相応しい。あの子の望みを叶える大切な仕事だ。立派に務めて貰わなければならない。
ニキータ:
「よろしくね、リコ」
リコ:
「よろしくお願いします……」
泣いたカラスが、もう『挑みかかるような目つき』をしていた。芯の強さがうかがえる。そうこなくては。
ニキータ:
「うん。アナタなら大丈夫かもね」
……そんなこんなで、脅しつつ説得に成功した。
◆
夕食後、地下のオールドメンズルームでビートホーフェンの対策会議(らしきもの)が始まっていた。
アクア:
「ベートーヴェンとは、ドイツの作曲家でウィーン古典派様式の完成者よ。宮廷楽団歌手の子に生まれ、酒飲みの父親に狂ったようにピアノを叩きこまれている。そのお陰もあって、12歳で宮廷でオルガニストの代理を務めるまでになっているわ」
シュウト:
「12歳……」
アクア:
「ボンで宮廷礼拝堂のオルガン奏者になっているけど、10年で辞めているわね。ハイドンと出会って、師事し、ウィーンに出ている。ハイドン以外にもサリエリ、シェンク、アルブレヒツベルガーに学んでいる。ウィーンに移動して2年でピアノ演奏会で大成功して、貴族からの援助を受けられるようになっているわね」
葵:
「順風満帆だねぇ」
アクア:
「いいえ、ウィーンに出て6年後、1798年ごろから難聴に悩み初めたのよ。有名な〈ハイリゲンシュタットの遺書〉を書いたのは1802年ね」
ジン:
「4年後か。いや、それ、有名なのか……?」
ニキータ:
「聞いたことぐらいはありますけど……」
アクア:
「音楽家にとって聴覚を失うことがどれほどの絶望か。もう死のうと考えたベートーヴェンだった。けれど、『芸術だけが自分を引き止めた。』……有名よ」
ジン:
「あ、はい」
さすがにビートホーフェンと関係ないのでは?と思ったけれど言い出せなかった。生い立ち程度の基本情報は押さえておきなさいと言われると、まぁ、そうなのかな?と思ってしまう。
アクア:
「最後は病気まみれね。家族とのいざこざは絶えず、甥のカールは自殺してしまう。1827年、楽聖と呼ばれた偉大な音楽家は、60年に満たない人生の幕を閉じたわ」
ユフィリア:
「耳が聞こえなくなったのに、どうやって作曲を続けられたの?」
アクア:
「難しい問題ね」
日本でも近年、某ゴーストライターが問題になった。その後、ゴーストライターの人がタレントみたいになっていたけれど、その辺りはどうだったのだろう。
ジン:
「分析結果は一応、知ってる。推論の一種だと思ってくれ」
アクア:
「……聞かせて頂戴?」
ジン:
「どーも。聴覚を失うと、イマジネーションの源泉としての聴覚刺激そのものが失われる。真っ白な紙をに何か書けと言われると、ちょっと困ってしまうように、聴覚的に真っ白な状態だと音楽的な『切っ掛け』が得られなくなるはずだ」
英命:
「答案用紙であれば、真ん中に一本の線を引くだけでも変わる、と言われていますね」
アクア:
「……つまり、聴覚刺激の代わりに何かを使っていた、ということ?」
ジン:
「ああ。心臓の拍動や血流を『感じとって』いたらしい。音のない世界で、血流のどくんどくんというのを自分の音楽の世界にしたんだと」
アクア:
「面白いわね。ベートーヴェンは部屋を片づけられないと言われていて、60回近く引っ越しをしているのよ。片づけられないから引っ越しを繰り返したのね。でも、お風呂好きは有名だった。外見はボサボサで気にしないのに、お風呂が好きで清潔を好んだと言われている。矛盾するこの性質は、つまり、『作曲のためのお風呂』だったのね?」
ジン:
「そうだろう。ブラッドシステムと呼ぶべき、血流感知に特化した特別で特殊な内観を構築していたと考えられている。これが凄いのは、神経系じゃなくて、心臓や血管なんかの循環系に沿って意識が強化されている点だな」
アクア:
「神経系じゃない……?」
ジン:
「ベートーヴェンを捉え切るには血管系でなきゃダメなんだと。それと、音楽が『心拍に対して矛盾しない』って風に接続される」
アクア:
「なるほど。晩年の作品は、心拍に対して無理がないことが大切なのね……」
ブラッドシステムを意識した状態で、アクアの演奏を聴いてみたいと思った。
ジン:
「聴覚を失うことによる『もうひとつの問題』は、組み合わされた音を実際に聴くことが出来ないことだろう。まぁ、チェックは出来ないわけだ」
アクア:
「それはなんとなると思う。モーツァルトの場合、頭の中で楽譜が出来ていて、書き写すだけの状態が何度もあったというし、……私にもできると思う」
ジン:
「天才おっかね。……まぁ、意識システムとしては、縦軸・前後軸・横軸が2軸部分で交差していたそうだ。軸の3次元交差で、前頭葉を最大限に活性化していたらしい。同様の構造を持っているのは空手の大山倍達ぐらい、だとか。その共通項は、『論理力の強化』と『組織化』だったと言われている。まぁ『システムを構築する能力』かな。それが極限化していた、というべきだろう」
ニキータ:
「古典派様式の完成、ですね……」
――大きな視点で言えば、ベートーヴェンの圧倒的な論理性は、世界的なデジタライズの潮流との一致を見ている。出るべくして出た才能のひとりであったのだろう。
天然で、ワケがわからないほどの天才で、天上の音楽を奏でたのがモーツァルト。
逆に圧倒的に優れていながら、論理的で、理解が可能な、人間の苦悩・懊悩を奏でたのがベートーヴェンとされる。
葵:
「大山倍達って、ベートーヴェンと比べられるぐらい凄いの?」
ジン:
「単純に比較するのは難しいが、今の日本で空手を知らない人間はいないだろ? 昔は柔道漫画の悪役が空手使いだった。そんなマイナー武道でしかなかったものを、メジャーに引っ張り上げちゃったんだよ。マス大山はかなりの有名人だけど、彼を知らなくても、カラテを知っている人間は世界中に大勢いる。ベートーヴェンは、クラシック音楽での天才の1人にすぎない。けど、空手=大山倍達って感じだな」
アクア:
「パイオニアなのね」
Kー1も空手の大会だというし、よく分からないけれど、どちらも凄かったのだろうと思う。僕らは日本人なので、空手に対する客観的な判断はできないのかもしれない。もう社会常識になってしまっている。それがどれだけ凄いことなのかは想像するしかない。大山倍達がいなければ、ほとんど聞いたこともないようなマイナー武道のままだった可能性があるのだ。
ジン:
「そんだけ強い論理認識力があると、どうしても人格的に超越しちゃうらしいけどな。やっぱ貴族がふんぞり返ってても馬鹿にしか見えないというか」
アクア:
「そうでしょうね」
ジン:
「腰も並の格闘家以上に強靱だったらしい。腰が強すぎて、こう、対立できちゃったらしいんだよな(苦笑)」
葵:
「あー、性格だけじゃなくて、物理的に強かったわけだ?」
ジン:
「喧嘩させたら、たぶんそこらの素人じゃどうにもならなかっただろうと言われている」
ニキータ:
「腰って、演奏と関係あるんですか?」
ジン:
「なんだって影響するさ。体で無関係な場所なんてねーよ。作曲だろうが創作だろうが、全身運動であり全脳活動だね」
アクア:
「言い切るわね。私も同意するわ。ブラッドシステムを考えれば、全身を使い切る大切さが分かるもの。……ところで、腹痛とかの病気はどうなっていたの?」
ジン:
「あー、マイナスの極意らしい。病の気、邪気を取り込んじゃう体質っぽいな」
シュウト:
「そんなのがあるんですか!?」
ジン:
「病は気から、というだろう? 社会に衝撃を与える悪人は、マイナスの極意に突き動かされている場合がある。『正義は人それぞれ』とかの話じゃなくて、犯罪者の構造のことだけどな」
葵:
「こわっ!」
ジン:
「極意はプラスのものだけじゃない、ってことだ。人間の構造だから当然だよ。まぁ、2軸と3軸の中間の、中軸があれば、マイナスの影響をある程度カットできるというけど。……とはいえ、ベートーヴェンのは、芸術の源泉として邪気を使っていたんだと思うけどな」
アクア:
「正に、音楽性ね(苦笑)」
ユフィリア:
「……でもそれだったら、中軸の方がいいの?」
ジン:
「んー、2軸だと前頭葉の活性化、3軸だと小脳とか運動野の活性化になるから、中軸ならいいとは一概には言えない。運動とか戦闘には3軸をキッチリと修めるのが大事になってくる。その辺りは望むパフォーマンスとの関係があるんだよ」
ユフィリア:
「そっかー」
勉強が出来る人と、運動が出来る人の違いなんかは、そうしたメカニズムが関わっている可能性があるのだろう。そんなことを考えていると、うんざりした表情のスタークがツッコミを入れた。
スターク:
「ていうかさぁ、ビートホーフェンと関係ないよね?」
ジン:
「…………」
アクア:
「…………」
葵:
「…………」
誰も否定できなかった。雑談は雑談で楽しいというか、広い意味でためになっている、というか。
ジン:
「でもなぁ、分かっていることって、黒い無敵フィールドを纏っていることと、巨大ヒール使ってくることぐらいだぞ?」
シュウト:
「両手を地面に叩きつける必殺攻撃もありましたね。『運命』みたいな」
クリスティーヌ:
「運命……?」
石丸:
「交響曲第5番のことを日本では『運命』と呼んでいるっス」
アクア:
「冒頭のことね。『このように運命は扉をたたく』と言ったとか」
スターク:
「運命、か。あれはヤバそうだったね……」
葵:
「途中でこう、腹痛とかになってくれないっかなァ~?」
ニキータ:
「ぷっ」
リディア:
「病気の耐性が低いとか?」
シュウト:
「そんなレイドボス、聞いたことないけど(苦笑)」
どこか弱ければいいのに、といった希望的観測は、あまり有用ではないが、息抜きにはなるのかもしれない。
クリスティーヌ:
「黒い無敵フィールドは、〈竜翼人〉たちの武具で突破できたとして、そこからどうするか、でしょうね」
ジン:
「1回目の巨大ヒールはモーションも分かってるから、俺がスタンで潰せる。まぁ1回で済むかどうか知らんけども」
アクア:
「システム的にロックされてでもいない限り、負けるとは思えないわ」
スターク:
「うわっ、強気ぃ~」
アクア:
「当然でしょう。それより、メンバーの偏りが気になるわね。〈召喚術師〉は居ないの?」
スターク:
「それを言うなら、回復役が先だよ!」
葵:
「次の本番は、さすがにマコちん連れてかないよね?」
ジン:
「昨日のは特別だ」
ニキータ:
「あ、はい。〈召喚術師〉にアテがあります」
アクア:
「実力は大丈夫なの?」
ニキータ:
「経験は浅いですが、賢い子なので平気なハズです」
アクア:
「ゲーム時代の経験は参考にしかならないし。いいわ」
ジン:
「お前が決めるなよ(苦笑) ……別にいいけど」
ニキータ:
「ありがとうございます」
ユフィリア:
「んーと、誰?」
シュウト:
「ホントに、誰のこと?」
ニキータ:
「さ、誰かしらね?」にっこり
葵:
「わからなきゃ、お楽しみだね」
楽しげなニキータだった。気になっていたが、こちらはこちらで隠し玉を準備している。『彼女』が参加すれば戦力アップは間違いない。次は出られるハズだ、心変わりさえしなければ。昨日のレイドでボス攻略をしなかったのだから、参加して貰わなければ立場的に困る。
アクア:
「さぁ、いよいよね!」
ジン:
「ん?」
スターク:
「何が?」
葵:
「……あー、そっか。アクアちゃんがいれば、明日にも出られるじゃん」
シュウト:
「うぇ、へっ!? そ、そうでした!」
〈妖精の輪〉の周期の関係で、間に3~4日あるのが普通なので、そこまで考えていなかった。アクアの指輪の力があれば、いつでも出発できる。それこそ、今すぐでも。
ジン:
「俺はいつでもいいぞ。準備しておけよ」
アクア:
「ダメそうなら、特別に明後日でもいいわ」
シュウト:
「すみません! ちょっと連絡してきます」
レイドボスとの戦いが近づいている。早く戦いたいけれど、もっとレベルアップもしていたい。勝ちたいのは当然としても、その中で良い戦いがしたかった。後悔はしたくない。焦るような気持ちが猶予期間の持続を望んでいる。熱くて、冷たい、矛盾した感情の共存。
……僕は楽しんでいた。先を競うのとは別種の、こうした状況はどこかで感じたことがある何かでもあった。
Zenon、バーミリヲンに連絡した結果、出撃は明後日に決まった。
その結果を彼女、――ケイトリンに伝えた。
ケイトリン:
『……分かった。必ず行く』
シュウト:
「よろしく」
厄介な性格で苦手な相手だが、味方だと思えば心強くもある。口に出しては言えないが、なんとなく〈シルバーソード〉アキバ支部という気持ちもあった。
もちろん、〈カトレヤ〉の一員であることに誇りもプライドもある。今更、古巣に戻りたいとは欠片も思っていない。それでも〈シルバーソード〉出身であることは自分にとって汚点ではなかったし、古巣を自慢したい気持ちが少しは残っていた。
シュウト:
「ジンさんのお陰、かな……?」
嫌気が差して飛び出したはずなのに、歪まずに済んでいる。綺麗事を言えるのは、結局、健全だからだろう。成長と充実の実感があるから、引け目を感じずに胸を張れる。勝っているかどうかは分からないけれど、負けていないとは思える。
ケイトリンのレベルは91。アキバでもまだまだ数少ない90レベル越えの戦士だ。〈シルバーソード〉は85レベル以上のモンスターを倒すことのできる第一級の戦闘ギルドなのだ。
アキバを飛び出して、何をするでもなくぼんやり過ごしていたら、今頃どうなっていたのだろう。きっとケイトリンと顔も合わせられず、避けたり逃げ出したりしていたと思う。ニートや引きこもり、不登校の心理は、自分で考えていたのよりもずっと、ずうっと近かったと思い至る。別世界ぐらいに思っていたのは、単なる幸運に過ぎなかったのだろう。
シュウト:
(そうか、ケイトリンもそんな気持ちなのかも)
僕と彼女は同じだった。ほんの些細な運の違いでしかない。同情していると知られたら、きっと怒られるだろう。けれど、幸運に胡座をかいて傲慢に振る舞うのであれば、それはこれまでの無知な自分とも変わらなくなってしまう。陳腐かも知れないけれど『痛みを知っているから、優しくできる』は正しい気がした。