EX 極拳
タクト:
「究極のパンチ……?」
ジン:
「現在までに考えられる範囲のな。特技とは関係ないが、応用できるのは確認している」
ジン本人が確認できるはずはない。そうなると。
シュウト:
「ってことは、レイシンさんも使えるんですか?」
レイシン:
「ちょっとだけね。でも諦めたというか……」
ジン:
「そんな感じだな。やるなら伝授しよう。悩むんなら教えるつもりはない。どうする?」
タクト:
「悩むなら教えない、のは何故だ?」
ジン:
「極意拳術の『握り』は、秘伝に属する情報だ。高度な秘密ってヤツなんだ。安易に公開してたまるかよ」
タクト:
「……わかった。それをやる」
ジン:
「これは暴露話も無しだ。約束できるか?」
タクト:
「特に、誰かに言うつもりはない」
リコ:
「うん」
ジン:
「いいだろう」
モヤっとした感情が生まれる。
シュウト:
「あの、そんな大事なものを教えてしまって、本当にいいんですか?」
ジン:
「んー。なんでも一緒だが、使わなければ腐るだけだしな。誰にも伝えないのもどうかって話だろ。第一、この異世界で使わないなら他に使う場所なんてないんだし」
シュウト:
「それは、そうかもしれませんけど……」
ジン:
「誰も知らないまま消えていくよりはマシさ。たとえ本当の価値が分からなかったとしても」
ユフィリア:
「どうして? 私たちの頭が悪いから?」
ジン:
「そういう側面が無いとは言わんが、まぁ、違うよ。そりゃ知識があれば多少は価値に触れやすいかもしれない。けど、本当にはダメだな。……こういうのは、技に選ばれるかどうかなんだ」
タクト:
「技に」
シュウト:
「選ばれる?」
ユフィリア:
「じゃあ、どうやったら技に選んでもらえるの?」
ジン:
「人から愛されたいなら、人を愛しなさい、というだろ? 技に選ばれたければ、『技を選ぶ』ことだ。それを宝物にした時、宝物に『なる』んだよ」
ユフィリア:
「宝物かぁ、いいなぁ~」
シュウト:
「……もしかして、レイシンさんって?」
レイシン:
「うん。選ばれなかった」
ジン:
「足技の方が向いてたからな。天性のバランス感覚こそレイの特質だ」
蹴り技には体幹の強さなど、ボディバランスが必要になるという。レイシンのバランス感覚は、蹴り技でこそ活きる能力のようだ。
リコ:
「タクト、どうするつもり?」
タクト:
「選ばれるかどうかは分からないが、やるだけやってみよう」
ジン:
「じゃあ簡単に説明していくぞ。グーで殴ること。空手だと正拳だな。手で殴るという行為はあらゆる戦闘に顔を出す。その意味ではオーソドックスな攻撃手段と言えるだろう」
タクト:
「ああ」
ジン:
「これは意外と難しい技術が必要になる。素人の場合、フック気味の、カーブを描く軌道になり易い。この時、小指や薬指付近でヒットすることが結構あって、指を痛めたりしやすい。だから、真っ直ぐに殴るのが基本になってくる。また、ボクシングのようなグローブをつける場合もあるし、変則の握り方をする場合もある。……有名なのだと『中高拳』とかだな」
折り曲げられた中指が、拳からニュッと飛び出している。
ジン:
「こうなっちゃうともうグーパンとは言えないがね。この握りは人間の腹など、柔らかいところを殴るためのものだが、時々、『鍛えていれば壊れない』とかの無茶をいう場合もある」
リコ:
「〈冒険者〉なら、指が壊れてもヒールで治せばいいってこと?」
ジン:
「そんなの大型の手甲でも使えばいいだろ。わざわざ無理して中高拳を使う理由なんかあるか?」
ニキータ:
「無さそうですね」
ジン:
「正拳では拳頭部を当てろと教えるが、結局は面打撃になってしまう。正拳はしっかり握ることが大事だ。指の第2関節部分が先に当たると、それだけで骨折の原因になるからだ。しっかり握ることで、面打撃にするわけだ。
だが本来、打撃面の面積が小さいほど、貫通力が大きくなり、ダメージが増える。つまり中高拳には打撃面積を小さくする意味があるわけだ」
シュウト:
「ハンマーと針の差ですね」
ジン:
「じゃあ、どうやればいい?ということが問題になる。特にこの世界だと、柔らかい腹だけを殴れば済むって話じゃなくなってる。〈冒険者〉は鎧を着てるし、モンスターだっているだろう。鎧の上から殴ったり、岩みたいな皮膚している奴らをどうすべきか?という外部環境からくる問題なんかが問題になる。」
タクト:
「素直に大型の手甲だとか、爪系の武器を使えばいいんじゃないのか?」
ジン:
「そういう側面も、そういう案もあるだろう。……やめとくか?」
タクト:
「いや、最後まで聞きたい」
ジン:
「大型手甲の問題は、その大きさだな。尖ったパーツを使っちゃいるが、打撃面積が大きいのと、重さで速度が鈍ること。爪系武器になると構造に難があって、力の伝達に無駄が生まれる。どちらも無いよりマシなのは確かだが、無理矢理使っているところはあるだろう」
タクト:
「グローブは軽いから威力へのプラスが小さいのと、防御には使い辛い」
そうして話を聞くほどに、究極のパンチの握り方がどうなっているのか、さっぱり分からなくなっていく。たぶん、専門の人達はみんな考えたことがあるのだろう。それでも気が付かなかった内容、ということになりそうなのだ。
ニキータ:
「打撃面積を小さくすると、威力が増しても、手が壊れやすくなる」
シュウト:
「でも既存の武術武器を使わないと。素手はステータス的なハンデも大きいだろうし」
レイシン:
「はっはっは」
リコ:
「あなたはもう答えを知ってるの?」
ユフィリア:
「うーうん。全然」
ジン:
「さて。正直、3日ぐらい前置きしたいんだけど、このぐらいにしておこうか。……手を出せ。普通のパンチと、極意拳術のパンチとをやってみせっから」
タクト:
「こうか?」
タクトが出した手のひらに向けて、まず普通のパンチから。そこまで速くないので、ぼすっと音がして止まった。
ジン:
「この威力のまま、極意拳術に変える」
同じように、ぼすっと……。
タクト:
「イタッ。……なんだ?!」
石丸:
「そういうことっスか」
ユフィリア:
「なになに、どういうこと?」
ニキータ:
「何か変化してた?」
シュウト:
「まったく同じに見えたんですが?」
レイシン:
「はっはっは」
リコ:
「タクト、本当なの?」
タクト:
「ああ。確かに違っていた。尖った感触がある」
ユフィリア:
「ねぇ、いしくん、私にも教えて?」
ジン:
「……まぁ、待て。今から解説すっから。とりあえず、これが利点のひとつだ。ビデオ撮影してスローで確認するとか、殴った痕跡を見るとかしない限り、よく分からない微妙な差って意味がある。技の特性のひとつにこの隠密性・秘匿性があるんだよ。写真記憶クラスの観察力・記憶力がないと外から見ても分からないはずだ。戦闘中に外から見て気付くのはまず無理なんだ」
シュウト:
「つまり、達人は……」
ジン:
「そう。同じように殴っていても、内容が異なっている場合がある」
タクト:
「それは、どうやればいい?」
ジン:
「これは秘伝だぞ。それを忘れるなよ?」
タクト:
「わかった」
ジン:
「はい、腕を前に伸ばす。手首は力を抜いて、ぶらぶら~っとさせる」
ユフィリア:
「ぶらぶら~」
ジン:
「ここからは一瞬だぞ。……手を、そっと握る。そこだ」
シュウト:
「ココ、ですか?」
リコ:
「たった、これだけ?」
タクト:
「これだけの違いしかないってのか!?」
ジン:
「バキで愚蛇独歩がたどり着いた1の拳。その本物がこれだ。腕を円柱だとした場合、理想的な形は、円錐の位置に打撃点がくることになる。円柱錐というべきかな? このままだと、手首が少し下がっているから、ぐねっとなって痛めやすい。ぐねっとならないように、ここからコブシを作っていく作業をやるんだ」
タクト:
「コブシを作る?」
ジン:
「空手だと荒縄を巻いた板を何万回と叩いたりするんだけど、この場合はコブシの強度という意味よりも、この形がズレないように格定させる作業なんだ」
タクト:
「格定……」
ジン:
「拳頭部からヒジまで真っ直ぐな鉄の芯を入れていく感じだな。ストレートパンチだけならそこまで難しくないかもしれんが、フックやアッパーに利用するには、かなり鍛錬を積まないとダメだ」
タクト:
「そういうことか」
ジン:
「最初は腕立ての形でおこなう拳立て伏せだな。拳頭部だけで体重を支えて、ヒジまでの『真っ直ぐな芯』を作る。その真っ直ぐを崩さないように、丁寧に腕立てを繰り返す」
タクト:
「回数は?」
ジン:
「特に決まりはない。この世界じゃ腕立てしても腕力が強くなったりはしないからな。速くやったり、ゆっくりやったり、腕を広げたり、角度を変えたり、いろいろ工夫することだ。回数は好きにやれ」
タクト:
「わかった」
ジン:
「ある程度まで形ができてきたら、実打撃の訓練も加えていく。何を殴ってもいいけど、モンスターとやる気だったら、慣れるまでは弱いのに限定しろ。いいか、普通のパンチのつもりで殴るなよ? これは側面からの衝撃に弱い。ハンマーじゃなくて、レイピアみたいなものだ。叩き属性から、突き刺し属性に変わる。パンチが『突き』に変わる」
シュウト:
「パンチが、『突き』に……!」
ジン:
「……と、その前に、次はパンチ自体の訓練をしないとな」
タクト:
「パンチ自体の訓練?」
ジン:
「当然ながら、握りを変えたぐらいで究極を名乗るなんておこがましい話だ。海原雄山なら怒鳴り散らすところだね」
石丸:
「至高のパンチっスね」
ジン:
「そっそ。パンチの品質をプロを越えるレベルに引き上げる」
タクト:
「わかった」
ジン:
「小さな卵でも持ってるみたいにゆるく握って、その状態で形はテキトーでいいから、可能な限り力を抜いたパンチを連打する」
タクト:
「テキトーに? 力を抜いて?」
ジン:
「そうだ。慣れて来たら段々と速度と回転を上げていく。片腕1万発で、2万発。ちゃんと出来てれば5000ぐらいで質性の変化が始まる。2万回こなせばまず大丈夫だろう」
シュウト:
「量質転換ですか?」
ジン:
「そうだ」
タクト:
「2万回でいいんだな?」
ジン:
「30分ちょっとで行けるハズだが、初日は1~2時間掛かるかもな。いいか? 可能な限り脱力しろよ」
タクト:
「…………」
ジンは『翌朝、デキ具合をみてやる』と約束し、その日はタクト達と別れた。
◆
リコ:
「ねぇ、タクト」
タクト:
「どうした?」
リコ:
「さっきの話なんだけど、ざっと計算してみたの。30分ちょっとで2万回ってことは、1秒あたり10回ぐらいの計算になるの」
タクト:
「なんか間違えたんじゃないか? オートアタックはそんな頻度じゃ攻撃できない」
リコ:
「どうする? 念話で質問した方がいい?」
タクト:
「適当に2万回だろ? じゃあ、適当じゃなく、ちゃんと2万回やった方がいいだろ。一撃一撃に全力を込めて、フッ!……フッ!」
リコ:
「もうちょっとペース上げないと、終わらなくなっちゃうよ?」
◆
――翌朝
ジン:
「おかしい。なんも変わってない……。お前、『ちゃんと』やったか?」
タクト:
「ああ、『ちゃんと』やったぞ」
ジン:
「今日は出かけるから、練習は見てやれん。もう2万回やってみろ。こうやるんだぞ?」
――脱力状態のジンが、腕をただ前後運動させる。それはパンチとは言えないもので、まさしく『適当に』『脱力して』という表現通りのものだった。だんだんと腕の速度が速くなり、回転が増すと目で追えず、数を数えられない状態になっていく。速度が増したことで、自動的にパンチらしくなっていた。
ジン:
「もっと速くてもいい。ともかく、ちゃんと言った通りにやれよ?」
タクト:
「ああ、ちゃんとやればいいんだろ」
◆
――さらに翌朝
ジン:
「マジか。なんも変わってないって、どういうことだよ? お前、練習したんか? サボったんじゃねーの?」
タクト:
「サボってない!」
リコ:
「タクト……」
タクトは確かに練習はしていた。ただし、6時間以上かけて。1秒に1回のペースで、全力で練習をした。やり方が違うのは昨日わかったはずなのに、自分のやり方でやると言って聞かなかった。
ジン:
「じゃあ、やり方を勝手に変えたんだろ。違うか?」
タクト:
「…………」
ジン:
「見ててやるから、何回かやって見ろ」
そしてまた、1回1回を全力でパンチの練習を始めた。5発目でジンは止めるように指示していた。
ジン:
「ヤメヤメ。……お前、何がやりたいんだよ?」
タクト:
「オレは強くなる。適当にやっている時間はない!」
ジン:
「無駄に時間を使ってるのは、お前だろうがよ」
タクト:
「それは教え方が悪いからだ!」
ジン:
「言った通りにやってなきゃ、教え方もへったくれもないだろ。……だいたい、その遅いパンチに、誰が当たってくれんだよ。 単なる自己満足だろ。わかんねーか? それとも俺に当たるかどうか試してみっか?」
タクト:
「…………」
ジン:
「お前の頭で理解できるかしらんが、まず、ブレーキ成分を取り除かなきゃならないんだよ。お前は錆び付いた自転車に乗っているようなものだ。錆ついてギコギコ言ってるのに、それを無視して、もっと強くこげばいいとか思ってるんだ」
タクト:
「オレは錆ついていない!」
ジン:
「いいや、お前のパンチは錆だらけだ。まずは錆を取り除いて、油を差して、新品同様の状態に戻さなきゃならない。パンチに必要な筋肉以外を『使わない練習』をする必要がある。それを抜きに先に進めるかっての」
タクト:
「力を抜いた状態で、強いパンチが打てるようになる訳がないだろ!」
ジン:
「じゃあ、お前のやり方だったら強いパンチが打てるようになるんか? 筋トレで筋力が増えない状態で、どうやったら『強いパンチ』とやらを打てるようになるんだ? 言ってみろ、ホレ」
ジンの合理性が私には分かってしまった。タクトの言ってることは希望的観測に過ぎない。いいや、単に逆らいたいだけに見える。タクトは決して馬鹿ではない。相手の言い分が理解できていない訳がない。
リコ:
「すみません。『タクトのやり方』じゃ強くなれないんですか?」
ジン:
「それは厳しいぞ。人間の体なら1万発も打てば疲労や筋肉痛なんかで腕があがらなくなったりもするが、〈冒険者〉の体は強靱だし、回復も速い。腕が上がらない状態で練習すれば、力に頼らない動きを掴める可能性はある。でも〈冒険者〉だと腕が上がらないような状態にならないし、なっても長く続かない」
2日連続で2万回のパンチを打っているタクトだが、肉体的な疲労は残っていなかった。精神的にでも疲労してくれれば、適当に手を抜くことができるかもしれない。だが、タクトは手を抜くことが嫌いだ。それは私が一番よく知っていることだった。
ジン:
「パンチというイメージ・概念を、本人の中で取り替えなきゃならない。その為には正しく訓練する必要がある。なのに、今のパンチの概念のまま、究極にたどり着こうとしてしまっている。変わろうとしないかぎり、変わらないぞ。錆ついた自転車は、錆び付いてる時点で究極の自転車じゃないんだから」
タクト:
「オレにはオレのやり方がある」
ジン:
「……別に、俺が教えなくてもいいんなら、それでもいいんだけど」
リコ:
「また明日きます! 絶対に来ます!」
ジン:
「あのよー、俺のことはいくら嫌ってても構わないんだが、技は侮辱しないでくれっか。AKBネタのつもりは無いんだが、その。なんつーの? 先人達の努力とか、人生とか、歴史とか、そういうのが詰まってんだよ。もっと魂みたいなものっつーか」
タクト:
「…………」
ジン:
「あーあ。こりゃ時間かかりそうだなぁ……」
◆
リコ:
「ねぇ、タクト?」
タクト:
「なんだ? フッ!」
リコ:
「試しに、言われた通りにやってみない?」
タクト:
「フッ! 手抜きして、フッ! 強くなれる、 フッ! とは、フッ! オレは思わない フッ!」
リコ:
「たとえば自動車のレースでだけど。カーブを曲がるためにブレーキを踏んで減速するのって、手抜きになるかな? アクセルを踏みっぱなしじゃないとダメなの?」
タクト:
「そういう例を出すつもりなら、パンチはむしろ100m競争だろ」
リコ:
「タクトはアクセルとブレーキを同時に踏んでるって言われたんだよ?」
タクト:
「オレも、オレの体も錆ついちゃいない!」
タクトにはタクトのやり方があるのかもしれない。たが、基本を守らないとうまく行かない物事はあるだろう。
しかし、今度のことはあまりにも行き過ぎている。原因は別のところにあるような気がした。
タクト:
「なぁ、リコ?」
リコ:
「どうかした?」
手を止めて、タクトが向き直る。真剣な面もちに少しばかり緊張する。
タクト:
「どう思ってるんだ?」
リコ:
「どうって、なんのこと?」
タクト:
「オレが、あの男に師事していることだ」
リコ:
「……タクトは、そうだね、嫌かもしれない。でも私は、良いことだと思う。どうせ習うんだったら、強い人の方がいいんじゃないかな」
あの強さは、強烈なインパクトだった。秘密にしなければならないことは、言われなくても分かっていた。口外すれば余計な問題を引き起こすだろう。問題になるほどの強さだった。
タクト:
「……そうか」
少し傷ついてみえた。今度のことはジンに対する複雑な感情が原因になっているのかもしれない。そうなると、ユフィリアのことが根にあることになってくる。
リコ:
(もしかしたら、潮時、なのかな……?)
タクトはユフィリアのことが好きだ。だから私のことを受け入れてくれない。親切だし、優しい。親友だ。でも、だからか、友達の線を決して越えようとはしなかった。ただの一度も。
だとすると、ここにいる『私』はもういらないことになってしまう。今までは、何のかんのと言い訳を続けて、どうにか傍に居続けてきた。けれど、もう、タクトにしてあげられることはないのかもしれない。
自分の恋を諦めて、友達としてただ時間が過ぎていくのを、近くから見ていることなどできるはずもない。それは単に長く時間を掛けただけの自殺だ。
知り合いもロクにいない異世界の、アキバの街で、タクトと別れて独りで生きて行けるのだろうか? やってやれなくはないだろう。でも、改めて怖くなってきた。どこかのギルドに入って、現実に戻るまで、どうにか凌いでいくしかない。
豊かな自然に満たされ、生命の力で輝いていた〈エルダー・テイル〉の風景が、あっという間に崩れ落ちていく。タクトがいなくなってしまえば、この世界はそこら中にモンスターが蔓延る、暗黒と死の風で満たされた『地獄』でしかない。
リコ:
(戦うまでもなく、負けちゃうのかも……)
あの子は綺麗だ。それは見た目だけの話ではない。魅力が内側から溢れている。瑞々しくて、柔らかで、暖かくて、しかもシュッとしている。
あの子はタクトのことがそんなに好きな訳じゃないだろう。でも、タクトは格好良い。心配になるほど、格好良い。そりゃあ、もう、果てしなく格好良い。あの子だって付き合っていたぐらい格好良いのだ。
リコ:
(その、『そういうこと』をしていたのだとすると、元サヤ的な?)
ああ、勝ち目なんてあるハズもない。外見に関していえば、唯一勝てそうなところといえば、おっぱいの大きさぐらいのものだ。
リコ:
「ねぇ、タクト」
タクト:
「なんだ?」
リコ:
「おっぱいって好き?」
タクト:
「ぶっ。……な、なにを言って?」
リコ:
「好きなの? 嫌いなの?」
タクト:
「そんなの、嫌いなヤツなんていないだろ」
リコ:
「大きいおっぱいの方が好き? それとも小さい方が好き?」
タクト:
「お前、本当に大丈夫か?」
リコ:
「ねぇ、どっち? 大きいのがいいの? ちいさいのがいいの?」
タクト:
「知るか! そんなの、どっちだっていい!」
リコ:
「どっちでもいいんだ……」
ああ、唯一勝てそうなところも武器になりそうもないだなんて。絶望するしかない。
居ても立ってもいられない気分になる。私はアキバに向けて歩き始めた。ムシャクシャした時は、スイーツに限る。現実世界でそんなことをしたら太るだろう。しかし、この世界なら大丈夫。ムシャクシャしたらスイーツに限る。ドカ喰いしてやるのだ。
タクト:
「リコ、どこに行くんだ?」
リコ:
「甘いの食べてくる」
タクト:
「……何でムシャクシャしてんだ、アイツ?」
◆
――練習開始から11日目の朝
ジン:
「今日も変化なし。もうそろそろ諦めたらどうだ? いくらやっても変わらないって分かったろ?」
タクト:
「……」
リコ:
「また来ます!」
ジン:
「はいはい、好きにしな~」
10日間の練習でもタクトは成長できなかった。最早、諦めた様子のジンがタクトを適当にあしらうばかり。ここまでは昨日と同じだった。
シュウト:
「ちょっと待て」
タクト:
「何だ?」
シュウト:
「なんで指示された通りに練習しないんだ?」
タクト:
「そんなのオレの勝手だろう」
黒いイケメンの人がタクトの胸ぐらを掴み、至近距離から睨んでいた。このままではイケメン同士で喧嘩になってしまいそうだ。イケメン具合でならタクトの勝ちは揺るがない。
シュウト:
「お前の勝手じゃないだろ。いい加減にしろ!」
タクト:
「この手を放せ」
シュウト:
「お前なんかが、ジンさんの時間を無駄にしていい訳がない!」
タクト:
「なんだ、お前、アイツの太鼓持ちか?」
小馬鹿にするような嫌な笑いを浮かべるタクト。黒い人がタクトを突き飛ばす。タクトは勢いよく尻餅をついていた。
シュウト:
「弱い癖に、口だけは一人前か。救われないな」
タクト:
「なんだと!」
ジン:
「青春だねぇ」
ジンはにやにや笑っているだけで止めるつもりはないらしい。泣きそうな顔をしたユフィリアが仲裁に入った。
ユフィリア:
「シュウト、やめて!」
シュウト:
「邪魔しないでくれ。コイツは身の程を知った方がいい」
黒いイケメンの人が武器を引き抜く。その殺気がタクトに構えを取らせる。あの子は背中にしがみついて、戦いを止めさせようとしていた。
ユフィリア:
「シュウト、ごめんね、ごめんなさい。お願いだからやめてあげて」
シュウト:
「どうしてそんな? こんなヤツ、優しくする価値なんてないだろ」
ユフィリア:
「そんなことないよ。タクトは良い人だよ。大丈夫な人だから」
シュウト:
「…………クッ」
歯を食いしばって堪える黒い人。憎しみを込めた鋭すぎる眼光が、タクトだけでなく、私まで貫く。
シュウト:
「自分が誰に迷惑を掛けているのか、よく考えろ」
ユフィリアはタクトを一瞥もせず、真っ直ぐにジンの処へと行くと、ションボリした様子で謝っていた。
ユフィリア:
「ジンさんも、ごめんなさい」
ジン:
「ん。お前は悪くないだろ」
あの子がタクトのために、『恋女房の献身』をしている風にみえて、私の心をザワザワとさせた。
リコ:
(それは私のするべきことでしょ。あなたが、なんで、そんなことまでしているの?!)
決定的な敗北感が胸を重くする。タクトへの想いでは、決して、絶対に、負けていないと思っていた。そこが揺らいでしまえば、私は私では居られなくなる。
リコ:
(私が、変わらなきゃダメなんだ……)
絶望的な感情のなかで、ぼんやりと最後の時が来たことを知った。
垂らされた蜘蛛の糸が、ぷつんと切れるのを待つだけに、なっていたことを、ようやく私は、理解、し、た。
◆
いつか、変わる日が来るものだと思っていた。
タクトが昨日までと同じように、一撃一撃に力を込めているように、その『いつか』は来ないのだと、理解させられた。……私は、負けた。
リコ:
「タクト」
タクト:
「なんだ?」
リコ:
「今まで、ありがとう」
タクト:
「……リコ?」
練習を止め、タクトは私のところに来てくれた。最後まで優しかった。大好きな人。
タクト:
「どうした? なんでそんなことを言う?」
リコ:
「あの子が好きなんでしょ? 私はもう、いらないから」
タクト:
「何を言ってるんだ? そんなことを言うなよ。それに、独りでこれからどうする気だ!?」
リコ:
「そんなの、なんとでもなる。適当に生きていくから大丈夫。心配しないで」
タクト:
「ふざけるな、馬鹿なことを言うな! 心配するさ、心配させろよ!」
引き留めてくれる。やっぱり優しい。大好きだ。でも、私たちは迷惑を掛けていることを理解しなければならない。タクトのために、私は自分を捨てなければならない。それが、あの子に勝つために私ができる最後の抵抗だから。
たとえ傍に居られなくなったとしても、私は、魂を、捨てない!
リコ:
「本当は全部、分かってるんだよね? ジンさんの言ってることは正しい。タクトはそれが分かっているのに、わざと無視している」
タクト:
「それは……」
リコ:
「最初はたまたまだったかもしれない。でも、今は分かってやっているんでしょう? 強くなってしまったら、あの子の傍に居られなくなるから? ううん、ジンさんにいくら習っても、強くなれないって証明しようとしているんじゃないかな」
タクト:
「違う! そんなんじゃない!」
リコ:
「違わない! 今のタクトは格好悪いよ! 私の、私の大好きなタクトじゃない!」
タクト:
「それとこれは関係ないだろ! それで、なんで出て行くってことになるんだ!」
リコ:
「もうすぐ、私が邪魔になるって分かったから」
タクト:
「邪魔なんかじゃないさ。これまで一緒にやってきただろ? 高校から大学、それだけじゃない。この世界に来てからも。ススキノからアキバまで、ずっと一緒だっただろ?」
リコ:
「本当に優しいね。でも優しいだけじゃ女の子は傷つくんだよ。……気が付いてないかもしれないけど、タクトは、私のために強くなろうとしてたんだよね」
タクト:
「そうだ。……ああ、そうだ!」
リコ:
「今のタクトは矛盾してる。がんじがらめになってる。弱くないと困るんでしょ? だけど、この世界で生きていくなら、もっと強くならなきゃ。私のためじゃなく、あの子のためでいいから!」
タクト:
「…………」
立ち尽くして言葉を失ったタクトを見て、私は走り始めた。いざ走り始めてみると、自分がいかにノープランだったかを思い知った。
リコ:
(うわーん。言っちゃったー! これからどうしよう? ドコに行けばいいのぉ?)
今までは常にタクトの味方をしてきたのに、あんな風に言ってしまった。もう嫌われたかも。いやいや切り替えないと。独りで生きていかなきゃならないんだから。
……
………
…………
……………
リコ:
「ううっ、グスッ」(もぐもぐ)
ニキータ:
「発見しました。泣きながらスイーツ食べてます。はい、はい」
リコ:
「ふぅぅぅぅぅ(涙)」
ニキータ:
「さ、いらっしゃい。帰るわよ?」
リコ:
「(ぷるぷる)」
ニキータ:
「アナタねぇ、女の子が独りでこれからどうするつもりだったの?」
リコ:
「(ぷるぷる)」
ニキータ:
「タクトの所には戻れないんでしょう? しばらく、ウチにいらっしゃい」
リコ:
「ふぅぅぅぅぅ(涙)」
私は机にしがみついた。あんな場所に行けるハズがない。あの子には絶対に会いたくなかった。さすが会わせる顔がない。
ニキータはため息をひとつ吐くと、向かいの席に座った。頬杖をつくと、私の顔をじぃっと見つめて、それからうっすらと笑った。
ニキータ:
「……ウフフ。いい気味ねぇ。今のアナタ、とても不細工だわ」
リコ:
「はぅ!?」
ニキータ:
「お待ちかねの『お仕置きタイム』だもの。たっっぷりと楽しませてもらうわよ。アナタは、私のユフィに何度もブスって言ったのだから。何回言ったのか覚えてる? ……タダで済むだなんて思わないでちょうだい」
リコ:
「あああああ」
かつて感じたことのない恐怖。生命と精神への危機。歯の根があわず、カタカタと音が鳴って、震えていることを自覚する。目の前に座っている素敵なお姉様は、たいへんに危険な存在だった。皮一枚向こうには邪悪が潜んでいる。
ニキータ:
「行くわよ。ついていらっしゃい」
リコ:
「はひ」
もう逃げられないのは明白だった。この狭いアキバで隠れる場所などはない。優雅な身のこなしで支払いを済ませると、後ろも見ないで歩き始めてしまった。必死について行くしかなかった。虜囚人生の始まりだ。
リコ:
「あのぉ、私はこれからどうなるんでしょう?」
ニキータ:
「これから大変よ。気を強く持つことね」
リコ:
「気を、強く……?」
ニキータ:
「そう。女を磨きなさい。厳しい視線に耐えられるように。もっと美しくなるのよ。心が挫けてしまわないように。これからは常に『最高』と比べられることになるわ。仲良くしましょう、リコ」
リコ:
「それって、どういう……?」
ニキータ:
「アナタは『ユフィの友達になる』のよ」
じんわりと染み込むように、足先から痺れるような毒が全身を巡り、やがて脳へと至った。体の芯から理解する。目の前を歩くお姉さんが偉大な存在であることや、自分が怠け切っていたことなどを。生き地獄は今の自分にふさわしい罰だった。しかし、地獄だと思ったら負けてしまうだろう。……これは、最高難易度への挑戦だった。
ニキータ:
「よろしくね、リコ」
リコ:
「よろしくお願いします……」
ニキータ:
「うん。アナタなら大丈夫かもね」
◆
――翌朝
ジン:
「…………」
タクト:
「どうだ?」
ジン:
「まぁ、ギリギリか。無駄な抵抗をして、これまでどれだけロスしたか分かっているな?」
タクト:
「……分かっている」
ジン:
「なら、いい。変な癖が抜けるまで今の練習は続けろ。んで、変えてみてどうだった?」
タクト:
「力を抜けば、速度が上がるのは分かった」
ジン:
「よし。問題はここからだ。速度や威力を高めるには、力を『正しく』入れなければならない。しかし、パンチに必要な筋肉、パンチングマッスルにだけ力を入れるのは難しい。ここを適当にやってしまうと、ロスが残ってしまう」
タクト:
「錆びたパンチになってしまうのか」
ジン:
「…………」
タクト:
「なんだよ?」
ジン:
「いや、変わってきたな」
タクト:
「うるさい」
更に数日、練習を続けた。ジンの秒速40発(10秒で403発)を見たり、石を遠くに投げることで力の入れ方やその性質を学んだ。
日に日に成長・変化が実感されるようになっていた。的確な鍛錬の意味や意義、楽しさ、喜びを味わう。逆に的外れな練習が如何に貧しく、乏しいかということを知った。
リコがいるのは知っていたが、顔は見ていない。会わせる顔が無かった。それからリコが今まで与えてくれていたものの大きさを思い知った。
ジン:
「だいぶ良くなってきたな。パンチングマッスルの運用でいえば、初歩的な段階は終えたろう。うっし、ここらでいったん形にしようか」
タクト:
「形に?」
ジン:
「ああ。今度は、極意拳術の握りで、〈ライトニング・ストレート〉を発動させるんだ」
タクト:
「しかし。……いや、そうか。モーション入力すれば」
ジン:
「そうだ。パンチ用グローブを使えば、拳頭部打撃に変化させられる。モーション入力に拳速を加えれば、大幅な速度アップも可能だ」
タクト:
「威力はどうなる?」
レイシン:
「少なくとも2倍以上。もっと3倍近くにもできるよ」にっこり
シュウト:
「3倍、ですか?」
ユフィリア:
「凄いねっ!」
ニキータ:
「本当に、必殺技なのね」
タクト:
「必殺技か。そうか、オレの……」
夢中になって練習している内に、余計なことはすべて忘れてしまっていた。ただ、この先にある自分を知りたかった。
ジン:
「タクト」
タクト:
「なんだ?」
ジン:
「……俺の顔を殴ってみるか? 一発なら思いっきり殴らせてやらんでもない」
タクト:
「なんだ、それは? 謝罪のつもりかよ」
ジン:
「かもな」
眠そうな顔をしたジンの意図は読めなかった。あの顔に思い切りコブシをたたき込んだら、それはそれは気分が良さそうな気がする。
タクト:
「いや、やめておく」
ジン:
「おいおい、殴らせてやるって言ってんだぞ? いいのか?」
タクト:
「殴らせてもらって喜べってのか? 馬鹿にするな」
ここで殴ったら負けの気がした。たぶん、これは何かのヒントかもしれない。ただで殴らせるとは思えないし、安易に謝罪するような性格でもなさそうだ。
これが何のヒントなのかが問題だ。もし、殴らなければ分からないものだとしたら、問題は自分の側にあるのかもしれない。自分は、今、どう思っただろう?
ジン:
「あっ、そ。俺を殴れる最後のチャンスを逃したな」
タクト:
「黙れ、いつでも殴れるようになってやる!」
◆
――更に数日後
ジン:
「実戦形式で試してみっか。誰とやる? 俺、レイ、シュウト」
シュウト:
「僕がやります」
おっかない目で睨んでくるシュウトを、必死に睨み返す。気合いで負けるわけには行かない。
ジン:
「おーおー、やる気出しちゃって、まぁ」
シュウト:
「勝ちますけど、いいですよね?」
ジン:
「いいけど、まさか『噛ませ』を演じたりしないだろうなぁ?」
シュウト:
「そんな訳……」
ジン:
「俺は『噛ませ』が嫌いだかんな? 相手に華を持たせようとか、パワーアップさせたりとかしたら、……分かってんな?」
シュウト:
「……はい」
ジン:
「よーし、シュウトは30秒間、ハンデとして攻撃しないこと。さ、いってみようか!」
左手に弓、右手にショートソードを持ったシュウトが静かに佇んでいた。静か過ぎた。空気感の違いに警戒心が沸き起こる。今の自分でどこまでやれるのか、30秒の内に試しておくことにする。
ジン:
「んじゃ、始め」
タクト:
「うおおお!」
のれんに腕押し、柳に風とばかりに、巧みに受け流されてしまう。何ひとつとして通用しなかった。目の前にいるのに、相手の間合いの中にいるという実感すらないままだった。
タクト:
「当たらない!」
そー太:
「さすが隊長だぜ!」
石丸:
「――30秒っス」
ジン:
「ホレ、少しはイイトコロを見せろよ、終わっちまうぞ~?」
シュウト:
「すぐに終わらせます。……覚悟はいいな?」
タクト:
「そう簡単に終われるかよ!」
だが一瞬だった。油断していたつもりはないのに、自然に間合いに滑り込まれている。防御反応すらできずに切り裂かれていた。バックジャンプで間合いを取ろうとしたが、遅きに失していた。
シュウト:
「逃がすか!」
タクト:
「ぐっ!」
切り刻まれていく。手も足も出なかった。圧倒的な強さに、絶望的な戦力差に飲み込まれる。為す術もなく負けるのは時間の問題でしかなかった。
タクト:
(ダメだ、強すぎる。勝てない……)
絶望しようとした瞬間、声が光となってボクを照らしていた。
リコ:
「タクトぉぉ! 負けるなぁぁあああ!!」
タクト:
(リコ!?)
声援に気を取られ、シュウトの攻撃の手が緩んでいた。ファントムステップで脱出する。
タクト:
「はぁ、はぁ、……」
リコが見ているのを背中に感じる。なら、『格好良いタクト』でいなければならない。
タクト:
(アイツは強い。だけど……!)
せめて一撃は当てよう、と目標を定める。シュウトは圧倒的に強い。実際に、アイコン入力も、モーション入力も通用しなかった。たぶん、今のままでは一撃も当てられないだろう。
タクト:
(弱いな、ボクは……)
弱々しい苦笑い。それが本当の自分だ。リコはいつも誉めてくれたけれど、強い自分を無理に演じていただけだった。いつも弱くて、でもリコだけは守りたくて、周囲に八つ当たりして、本当にどうしようもなかった。
それに比べてシュウトは強い。きっとちゃんと努力してきたのだろう。だからボクが嫌いなのだ。ボクもボクが嫌いだ。
そして、ボクは、アイツがそんなに嫌いではないらしい。
シュウト:
「何がおかしい?」
タクト:
「いいや、気が合うなと思って」
シュウト:
「なんの話だ」
タクト:
「こっちの話さ」
素早く間合いを詰めてくるシュウト。
タクト:
(顔に来い!顔に来い!顔に来い!)
願いは届かず、顔を攻めてこない。素早く飛び退いてチャンスを待つ。
レイシン:
「笑顔だね」
ジン:
「ああ、動きが少し良くなって来てる。何か狙ってやがんな」
タクト:
(顔に来い!顔に来い! 顔に、来いっっ!!)
ボクの全ては通じなかった。ならば、『ジンの技』を使うのみ。
シュウト:
「〈デス・スティンガー〉!」
タクト:
「ここだぁ!」
顔を狙ってきた〈デス・スティンガー〉を片軸で左内受け、同時に右腕をのばす。
シュウト:
「なっ!?」
驚異的な反応。パンチだったら防がれていただろう。しかし、狙いはそこじゃない。着衣を掴む。
タクト:
「おおおおお!!!」
左腕で連打を開始する。ダメージは殆ど与えられないが構わずに続ける。右腕も放して両手での連打に移行。毎日練習してきた2万回の打撃を加え続ける。
シュウト:
「なっ、にっ!?」
やがてシュウトの動きが停止した。狙い通り。
レイシン:
「ヒットストップか!」
ジン:
「見せてみろ、タクト」
タクト:
「〈極拳〉……!」
腕は脱力し、柔らかく握る。シュウトのヒットストップが終わろうとしている。だが、こちらの方が早い。
シュウト:
「くっ!」
シュウトのバックジャンプを追い抜くように、雷の拳がその胸に突き刺さった。凄まじい手応え。吹っ飛んでいくシュウト。
リディア:
「いやぁあ!」
朱雀:
「嘘、だろ?」
そー太:
「凄い……」
タクト:
(そうか、そういうことか……!)
技を選ぶということ、技に選ばれるということ。ジンが顔を殴れと言った意味、全てが繋がった。あの時『思い切り殴れば、気持ちいいだろう』と思ったのだ。『思い切り殴る』ということは、コブシを固めて、力の限り、ロスしてようがお構いなしに、思い切りということだ。
だが、今は違う。自分を捨てて、技を選んだ。思い切り殴るということは、極意拳術、略して〈極拳〉を選ぶということだった。パンチという概念を取り替えたのだ。
ヒットストップのチャンスであっても、自分のやり方で殴っていたらあのシュウトにはたぶん当たっていなかっただろう。
静:
「あれっ? 隊長は?」
サイ:
「消えた……」
タクト:
「なっ!?」
吹っ飛んだ際に土埃が舞い上がり、視界をわずかな時間だが遮っていた。土埃が晴れると、いつの間にか居なくなっている。どこにもいない。消えていた。
リコ:
「タクト!!」
リコの声に反応して咄嗟に振り返るが、強い衝撃で殴り倒されていた。シュウトの手から剣が落ちる。胸を踏みつけられた。口から血を滴らせたシュウトが、弓を構えている。引き絞られた矢は顔面を狙っていた。
シュウト:
「お前は、ここで 死んでおけ」
容赦のない死の宣告。至近距離からの特技発動。エフェクトの光を見ながら『ああ、死んだな』と思った。
ジン:
「いいだろう、そこまでだ」
刹那、ジンが割り込みをかけ、シュウトの特技攻撃を少しだけ逸らしていた。地面をエグるその威力にぞっとする。あんなのを喰らっていたら、顔が跡形もなくなっていただろう。
……生き残ったことに、とても安堵していた。
ジン:
「試合的にはシュウトの圧勝だが」
レイシン:
「勝負としてはタクトもがんばったね」
ジン:
「まんまと噛ませを演じやがって」
シュウト:
「す、すみません……」
レイシン:
「いやぁ、良い戦闘センスだったと思うよ」
ジン:
「戦士系な。シュウトのとは別物だ。ちょっと覚醒したかもな」
シュウト:
「えっ、覚醒なんてあるんですか?」
ジン:
「細胞活性というか、シンクロ率の上昇というか。……相手の変化に気付かず、まんまと一撃もらいやがって」
シュウト:
「うぐっ」
ジン:
「お前は、後でお仕置きだ。……おい、タクト」
タクト:
「はい」
名を呼ばれ、ただ返事をした。もう取り繕う必要は感じなかった。
もしかしなくても、自分が師事した人は、自分がどうにかできる相手ではなかったのだろう。どのくらいの僥倖だったのだろう。
彼女の払った犠牲に、その大きさに、今更ながらに戦慄する。
ジン:
「もう一回チャンスをやろう。俺の顔面を思いっきり殴ってみるか?」
タクト:
「……いえ。もう、必要ありません」
ジン:
「そうか。『選んだ』な」
タクト:
「はい」
シュウト:
「選んだ……?」
技に選ばれるかはまだ分からない。けれど、選ぶことはできた。今はそれだけでいい。楽しみは先に取っておこう。
終わってみて、目で探してしまうのは、喜びを一番に共有したい相手だった。
タクト:
「リコ!」
リコ:
「久しぶり、だね」
タクト:
「ああ、久しぶりだ」
リコ:
「強かったよ。格好良かったね」
タクト:
「いや、まだまだ全然さ」
リコ:
「……ちょっと感じ、変わった? 優しくなった気がする」
タクト:
「そうかな? そうかもな」