129 喫茶店にて
エルム:
「これは良いお店を教えていただきました。……素晴らしいです」
茶マスター:
「ありがとうございます」
ジン:
「うむ。これで抹茶アイスがあれば完璧なんだが」
お茶を堪能し、満足げなエルムを見て、ふと、用事を思い出した。
シュウト:
「そうだ。えっと、エルムさんにお土産が」がさごそ
エルム:
「ほう、なんでしょう?」
シュウト:
「これ、コーヒー豆なんですけど」さらっと
茶マスター:
「なっ!?」
ジン:
「おいおい(苦笑)」
警戒心もなくペラペラと話してしまい、マスターにも聞こえてしまっていた。ジンの反応は苦笑いしたぐらいのもので、たしなめるような雰囲気はなかった。
エルム:
「いったいどこで? いえ、ありがたくいただきます。……ところでマスター、コーヒーは?」
茶マスター:
「もちろん心得はありますが、機材が限られますので」
エルム:
「構いません。この豆でコーヒーを4つ」
茶マスター:
「3人で、4杯ですか?」
エルム:
「ええ、1杯は貴方に」にっこり
コーヒーの香りを楽しむ。マスターも満足そうにしたところで話の続きになった。
ジン:
「ケッ、人たらしめ」
エルム:
「ははは。みんなで楽しめれば尚よし、ですから。……それで、このコーヒーはどちらで?」
ジン:
「ああ、ローマでちょっとな」
エルム:
「えーっと(苦笑)」
ジン:
「わかってる。……知り合いに〈妖精の輪〉の転移先を選べるアイテムをもってるヤツがいてな。そいつの頼みでローマ行って、戦ってきた」
エルム:
「是非、その方と知り合いになりたいのですが?」
ジン:
「う~ん。お前がアイツを手伝う気があるならいいけど、その気がないなら止めておけ。軽い気持ちで邪魔していいヤツじゃない」
エルム:
「なる、ほど……」
シュウト:
(そういえば、アクアさんって世界を救おうとしているんだもんなぁ)
言わんとしていることは、たぶん世界を救おうとしている人間の足を引っ張るな、といった意味なのだろう。
ジン自身も便宜をはからせていたが、その分の借りをローマで返してきたところだった。おかげで僕らはドラゴンと戦う場所を得て、アキバにドラゴン素材が少しずつ流通するようになっている。
エルム:
「それにしても、そんな強力なアイテムをどうやって?」
ジン:
「念話で呼び出されて、その場所に行ったら置いてあったんだと」
エルム:
「それはつまり……」
ジン:
「ゴール寸前じゃないかってことだろ? まだだ。相手の意図や目的、動機、背景、居所、何も分かっていない」
エルム:
「……では、まだその時期ではないということですね」
ジン:
「そういうこと」
エルム:
「そんなアイテムがあったら、随分と楽をさせて貰えるのですが……」
シュウト:
「たとえばですが、エルムさんだったらどうやって使いますか?」
エルム:
「まずは、銀行施設にある『ギルドの共用スペース』を利用した、輸送手段の確立ですね」
ジン:
「フム」
銀行施設がある場所にはタウンゲートもある。(シブヤはタウンゲートはあっても、銀行施設はない) これまではタウンゲートを使い、荷物を持って移動すれば済む話だった。このためタウンゲートの機能が死んでいたことで編み出された裏技らしい。銀行に預けたアイテムは、どの街からでも引き出せる。その代わり、引き出せる人間は限られているため、本人が移動する必要があるのだた。同様の機能はギルドの共用スペースでも使えるため、この場合は別の街にいる同じギルドのプレイヤー同士であれば、物品のやりとりが瞬時に可能だということになる。
問題点は、遠くのプレイヤータウンにギルドのメンバーを確保しなければならないこと。そのメンバーが信用できなければならないこと、など。荷物(もくしはお金)を持ち逃げされたら意味がないし、アキバを離れたがるメンバーは少ないと考えられる。
エルム:
「まぁ、こんなことしか考えられないから、私の所には念話が来ないのでしょうね(笑)」
シュウト:
「あはは」
ジン:
「……なぁ、今の話って、戦闘に応用できねーか?」
エルム:
「たとえば、どのように?」
ジン:
「武器や食料の輸送は前提として、どうにかして人を移動させられないかってさ。 要するに、移動先に仲間がいりゃいいんだろ?」
エルム:
「しかし、銀行に生きてる人間は預けることはできませんよ」
シュウト:
「だったら、死んでいたら?」
いわゆる動物は死んでしまえば、お肉や素材アイテムとして移動可能になる。
エルム:
「それは……、いえ、まず何処で殺すかが問題でしょう。街中では衛兵が飛んできますし、銀行内は戦闘行為が禁止されています。街の外で殺してから荷物として運ぶのでは、時間的に間に合うかどうか」
当然、時間切れになれば七色の泡になって消えてしまう。〈冒険者〉が死体でいられる時間はそう長くはない。
ジン:
「自殺したらどうだ。それと殺す場所はもう少し近くに設定できるだろ」
シュウト:
「はい。ギルド会館はギルドホールを貸し出しています。ゾーンを購入して、戦闘行為を許可すれば、距離的にはかなり近くできます」
エルム:
「でしたら、後は死体を預けられるかどうか、ですね。以前に死んだ仲間の体をマジックバッグに入れようとした話を聞いたことがありますが、その時はできなかったとか」
ジン:
「あららん」
シュウト:
「バッグに詰めればいいんじゃないですか? 魔法のじゃなくて、普通の、大きなのサイズの」
エルム:
「なるほど。『カバンを入れること』は可能かもしれませんね。……仮にそれで成功するとしても、問題は幾つかあるでしょう。死体は銀行施設で転移可能なのか。預けた共用金庫の中で時間切れした場合、死体はちゃんと大神殿で復活するのか。死体として別の街に移動した場合、神殿に登録されるのか」
ジン:
「ふむ。登録されなかったら、蘇生の魔法を使わなきゃ、だな」
エルム:
「……何か、考えがあるのですか?」
ジン:
「いやいや、自分でやろうとは思ってないさ。死んでまで欲しいものなんてないよ。俺には、な。だけどこんな『無責任な』戦法もあんのかなってさ」
シュウト:
(無責任?)
部分的に分からなかったが、ジンはミナミのことが念頭にあるのだろう。アクアの情報は明かしたが、ミナミのことはまだ言わないつもりらしい。
エルム:
「それで、海外はどのような状況なんでしょう?」
ジン:
「めんどくせぇ、シュウト」ひらひら
シュウト:
「えっと。僕らもそこまで詳しくはないんですが……」
エルムは〈妖精の指輪〉に未練があるらしい。
海外で知ってることを話しておく。どこの国も混乱中であり、自治の形成が進んでいるアキバやミナミは例外に分類されること、西欧サーバーの状況とセブンヒルについて知っていることなどを少々。
エルム:
「……貴方がたは、私の想像よりかなり先を行ってましたね」
ジン:
「いや、どうだろうな。アクアと知り合ったのは偶然みたいなもんだし。帰還方法の探索だのは、これからの課題だ」
エルム:
「当面の問題ではない、と?」
ジン:
「小パーティーで何かと苦労しててな。戦力が足りない。というか火力とサブタンクと回復力と、ほぼ全部が足りてない。正直、探索に出られるレベルじゃないね。どんなダンジョンだろうと瞬殺できるぐらいじゃないと、効率が悪すぎて話にならん」
素早く敵を倒すには火力が必要で、火力を付け足すには人数が必要。人数が増えれば、回復力も必要になってくる。逆に敵の数が増えればサブタンクが必要になるし、サブタンクのための回復力も必要になる。人を動かすにはお金が必要で、それ以前に訓練や実力、あらゆるモノをひとまわりもふたまわりも大きくしなければならない。
シュウト:
「あの、レイシンさんがサブタンクじゃダメなんですか?」
ジン:
「普通の敵ならレイでも行けるがな。だがドラゴンが2頭で、もうギリだ。3頭になったらどうにもならないし」
エルム:
「……そこまで行くとレギオンレイドの話なのでは?」
ジン:
「やめてくれ。まだそんなこと言ってるとか、ありえねぇから。その手の区切りは、ゴブリン戦役までだ。これまでに何万体かのゴブリンと戦うレイドがあったのかよ?」
エルム:
「では、これからは何体かのドラゴンと同時に戦うようになっていくのですか?」
ジン:
「『これから』じゃない。もう、そうなってる。逆に言えば分断も、裏切らせるのも可能なんだろうが、デメリットの方が目に付きやすいかんな。お前も人事だと思わないことだ。ゲーム時代の常識を捨てないと、『この先』はもっとキツくなっていくぞ?」
エルム:
「ご忠告、傷み入ります」
最前線を駆け抜けている人間のセリフだ。重さがあって、真へと迫ってくる。隣で聞いていても身が引き締まるようだった。
シュウト:
「僕からもエルムさんに質問したいことが」
エルム:
「はい、なんでしょう?」
シュウト:
「日本の食料って大丈夫なんでしょうか」
エルム:
「……どういう意味で、ですか?」
レオンの言っていたことをエルムに振ってみたかったのだ。戦闘ギルドの自分たちよりも、生産ギルドの彼らに受け持って貰いたい問題だ。
エルム:
「なるほど。しかし、これはそう簡単な話ではありませんね。まず、主食である米や小麦を売るかどうかを決めているのは〈大地人〉だということです。どんなに豊作であろうと、〈大地人〉が売らないと決めれば買うことはできません」
シュウト:
「なるほど」
ジン:
「そりゃそうだ」
エルム:
「念のためにいえば、ここには駆け引きがあります。まず1人の領主の問題として考えてください。彼にアキバと取引すれば他の領主よりも有利になる、と思わせればいいことになります。もしくは逆に、アキバを無視すると他の領主よりも『不利になる』と思わせたい。そうなれば、彼は少し無理をしても取引せざるを得なくなります」
ジン:
「こちらの技術的優位なんかが前提だな」
シュウト:
「じゃあ、基本的には大丈夫なんですね?」
エルム:
「いえ、単純に不作で売るものがない、という可能性はありえます。なので、やはり絶対とはいえませんね。たとえば、こちらの世界の方が少し涼しいような気がします。そうなると冷害で不作になる可能性も考えておかなければならないでしょう。また、何かの原因でまったく雨が降らないといった状況も想定しておかなければなりません」
シュウト:
「雨が降らない?」
エルム:
「ここはおとぎ話の世界ですからね(苦笑) なんらかのゲーム的イベントでもあって、想像していないような危機に見舞われるかもしれません」
ジン:
「雨を降らせないようにする『ナントカの呪い』とか、逆に雪が降り続ける氷雪系モンスによるイベントとかだな。それを倒すのはいいとしても、イベント発生にちゃんと気付けるかどうかが真の問題だな」
シュウト:
「2週間や3週間、晴れが続いても、なんっとも思わないですし」
エルム:
「それぐらいで慌ててたら、とても生きていけません」
想像できる限りの、更に想像の範囲外の危機にまで対処しなければならない、ということだろう。
エルム:
「この夏、〈エターナルアイス〉で領主会議が開かれています。ここから分かるように、〈大地人〉は〈冒険者〉を利用して利益を得ようと考えているでしょう。我々は一夜にして現れた巨大消費の怪物ではありますが、同時に一夜にして現れた巨大市場でもあるのです」
ジン:
「ピンチはチャンス、とはよく言ったもんだな」
エルム:
「ですね(にっこり) 彼らも例年より作付け量を増やそうとするはずです。ひどい不作にでもならない限り、大丈夫かと。……それでも注意しておくべきでしょうね。作付け量を増やしたくても、田畑をいきなり大きくするのは難しいかもしれません。その他にも政治的な問題が起こらなければ、ですが。
または、我々がテコ入れできるかどうか、という問題もあるでしょう」
シュウト:
「日本は大丈夫そうですね」
ジン:
「まぁ、腹が減ったら、みんなで狩りにいきゃいいんだ。生産ギルドが買い付けてくるまで黙ってハラすかせて待っていられるかっつー」
エルム:
「そうですね(笑) いざとなったら〈海洋機構〉が船を出して、大量に魚を穫ってくることになると思いますよ」
ジン:
「毎日、魚か……」
シュウト:
「嫌いって訳じゃないんですけどね……」
どことなくウンザリしそうな話にげっそりする。お肉の誘惑にはあらがいがたい、ということかもしれず。
エルム:
「お肉の話でひとつ思い出しました」
ジン:
「なんだ、ウマい肉の噂でも仕入れたか?」
エルム:
「いえ、これは〈アキバ通信〉の感想からです。慣れていないプレイヤーが冒険に出た場合、持って帰って来た食材、特に肉の処理が甘い場合がありまして」
ジン:
「血抜きだな」
シュウト:
「アリガチですね」
エルム:
「ご存じとは思いますが、血抜きに失敗している肉は使い道がなくて、処理に困ります。見逃して流通させてしまうとクレームになりますし」
血抜きの失敗とは、自分たちの手ではぎ取った場合に起こる『初歩的な事故』のひとつだ。(ドロップアイテムでは発生しない)一度でもあの血の味のする肉を口に入れれば2度とやらなくなるものだろう。しかし、生産ギルドに売って始末しようとする人も中にはいるのだろう。単に常識が無いから、という意味もあるけれど、もう少し、生き物の命を奪ったことによる『勿体なさ』『申し訳なさ』の反応でもあると思われる。誰かもっと詳しい人なら、血抜きに失敗した肉の処置を知っていて、食べられるように出来るのでは?といった事を、みんなが一度は考えるからだ(たぶん)。結論的には、残った血を完全に除去するのは無理なので、捨ててしまった方が早い、となる。
ジン:
「某掲示板的にいやぁ、『初心者はスレ違い、質問スレ行け』ってヤツだな」
エルム:
「言ってしまえば、そうです(苦笑)」
シュウト:
「えと、どういう意味ですか?」
ジン:
「おいおい、ウブいな。3年ロムってこいよ。……半分は『初心者増やすんじゃねーよ!』って意味だ。もう半分は『血抜きも知らないとか、バカか』ってトコだろう」
エルム:
「日本人は、何というか、初歩的なルールの遵守率が異常に高いですからね。血抜きみたいなルールを守らない人には冷たくなる傾向があります」
シュウト:
「分かる気が……」
ジン:
「ま、ぶっちゃけ実害だしな。迷惑こうむってる連中の言い分だろうし、そのぐらいは口が悪い内には入らないさ」
エルム:
「ありがとうございます」
ジン:
「次の〈アキバ通信〉に書かせるとして、それだけじゃ弱いよな」
シュウト:
「血抜きは、実際にレクチャーをしてみせる必要があると思うんですが」
エルム:
「可能なら、そうですね」
ジン:
「だが、俺たちでやるのは面倒だ。誰か適役を探さないと……」
インターネットが無いことで、こうしたやり取りはとても重要な娯楽になっている。ジンやエルムが話していると、馬鹿話であっても内容が少しばかりハイレベルになる気がする。
ジン:
「ふむ、こんなもんか。シュウト、何かあるか?」
シュウト:
「ええっと、この間ジンさんが大根おろしのやり方を教えてたじゃないですか……」
◆
ジン:
「さ~くら~?」
咲空:
「はい!」ごりごり
ジン:
「力、入れすぎ~。大根おろしのコツは、下ろし器に軽く触れさせる程度にして、大根を素早く動かすことだ」
咲空:
「こう、ですか?」しゅしゅしゅしゅ
ジン:
「そんな感じ。ゴリゴリ押しつけなくても出来るだろ?」
咲空:
「はい!」しゅしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ
星奈:
「!?」←
現実では女性にとって重労働(?)になる大根おろし。ジンのアドバイス通りにやってみると、あっという間に大根1本をすりおろしてしまっていた。刃物の論理を応用しているのは明らかだ。
ユフィリア:
「じゃあ、私も!」シャキーン
星奈:
「!!?」←
――大根を手に装備して現れたユフィリアが、これまたあっという間に丸まる1本をすり下ろしてしまう。
なぜだか愕然とした表情の星奈を見て、名護っしゅが『やれやれ』といった表情で呟いた。
名護っしゅ:
「一緒にやりたいんだろうなぁ~」
ユフィリアの真似をしてオニギリ握りのイメトレ(手根骨コントロールの訓練)をしている星奈を見たことがあれば、だいたい同じ結論に至るだろう。
なんだかんだと遊んでいる内に大根4本分のすり下ろしが出来上がり、『何コノ惨状?』的な状況へ。
ジン:
「どうしてこうなった? 誰がこんな大根ばっか食うんだよ!」
そしてユフィリアが大根おろしで雪ウサギを作り、「食い物で遊ぶな!」と騒ぎになるところまでが1セットである。
(/ここまで。数日前の回想おわり)
◆
ジン:
「あの大根雪うさぎが意外とうまかったのが微妙な話なんだが、んで、それがどうかしたのか?」
シュウト:
「えと、名護さん達が、星奈に『料理ができるようにしてあげたい』とか言ってまして」
エルム:
「なるほど『新妻のエプロン』ですね?」
ジン:
「なんだ、その微妙にエロいネーミングは? 星奈に裸エプロンさせる気じゃねーだろうなぁ?」
シュウト:
「違いますよ!」
エルム:
「ははは。最近、話題になっている、〈料理人〉でなくても料理ができるようになる装備品です」
ジン:
「ふぅ~ん。そんなんがあるのか」
シュウト:
「……なんとか手に入りませんか?」
エルム:
「念のためにこちらでも確認してみますが、〈海洋機構〉よりもロデ研の領分だと思いますよ」
ジン:
「ほう。ロデ研だったら、ちょうどヨダレ女に貸しがあるじゃねーか。ユフィリアに口を利いてくれって頼んでみな」
シュウト:
「わかりました」
ヨダレ女というのは、〈ロデリック商会〉の被服部門長、那岐のことだろう。天秤祭でユフィリアが援軍したので知り合うことになった。
ジン:
「ああ、それと、素材アイテムはこっちで集めさせろ。連中には良い訓練になるだろう」にんまり
エルム:
「それは多めに集めるといいですね。儲けの匂いがします」にっこり
ジンだけならともかく、エルムからも抜け目のない商人の素顔が一瞬だが垣間見えた気がした(たぶん気のせいだろうけれど)。この組み合わせも『混ぜるな危険』だな、と再確認した。敵にしてはいけない相手が多すぎて困る。
シュウト:
「そういえば、『口伝』ってご存じですか?」
ジン:
「なんだそりゃ?」
エルム:
「いえ、初耳だと思いますが」
シュウト:
「なんでも特技の習得段階らしくて、秘伝の上に口伝がある、だとかなんとか。新種の巻物の話とかで耳にしたことがないかな、と思いまして」
エルム:
「なるほど。〈ノウアスフィアの開墾〉で追加されたかもしれないのですね?」
ジン:
「口伝って口で直接に伝えるって意味なのに、口伝の巻物がある、だなんてちょっと変な感じだけどな」
シュウト:
「なんでも、そー太達が遠征に参加して、ススキノまで行ってきた時、〈D.D.D〉の人たちと仲良くなったとかで。口伝の噂を教えて貰ったみたいです」
ジン:
「はー、それでお前のところに来て、口伝ってなんですか?とかって訊かれたわけか」
シュウト:
「そんな感じでした」
ジン:
「〈D.D.D〉か。……信憑性があんな」
エルム:
「やはり口伝というのは聞いたことがありませんね。システム外スキルの話であれば、チラホラ耳にすることもあるのですが」
ジン:
「そんなん料理だってシステム外スキルじゃねーか」
エルム:
「まぁ、そうですね(苦笑)」
シュウト:
「仮に口伝っていうのが、オーバースキルのことだとしたら、ジンさんなんて口伝の塊みたいなものですよね?」
ジン:
「…………」
シュウト:
「ジンさん?」
ジン:
「……うむ、やはりレイドボスを倒して確かめるしかないな」
シュウト:
「ジン、さん?」
エルム:
「まぁ、それしかないと言われれば、それしか無さそうですが」
シュウト:
「あのー、結論が飛躍してませんか?」
ジン:
「だってお前、もうすぐ97だろ?」
シュウト:
「まだ94にもなってません」
ジン:
「97ぐらいでアサシネイトの更新が来るだろ。そんで秘伝の上に口伝とかあったらどうするよ? 夢の2万点ダメージじゃねーの?」
シュウト:
「それは、まぁ。そうだと嬉しいですけど」
しかし、もう『そういうこと』で喜べる訳ではない。レオンではないが、外側に力を求めるべきではないのだろう。自分の技を信じられないと、外に力を欲してしまう。
ジン:
「待て待て。そうなると全部の特技を秘伝に上げられるようになるとか? ……奥伝の巻物が安くなってくれると嬉しいんだがなぁ」
エルム:
「なるほど、確かにそういう風に影響しそうですね。……無さそうな気がしてきました」
シュウト:
「ですね」
ジン:
「あと6人、かき集めるしかないか……」ぶつぶつ
シュウト:
「あの、何か焦ってませんか?」
ジン:
「いや、だって、進行度で俺たちより先に行ってる連中がいるかと思うと、いてもたっても。もう準備不足とか言ってられないな。どこぞのレイドボスに挑まなければ!」
シュウト:
「えっと……」
口伝の巻物の存在を確認するためだけに?とは思ったが、口に出すのは止めておいた。レイドボスと戦いたくない訳ではないからだ。むしろ戦ってみたい。
ジン:
「お前、こないだ話してた『デカ乳ねーちゃん』に連絡したか?」
シュウト:
「えっと、まだです」
ジン:
「ちゃんと口説けよ? あと6人揃えてレイドしに行くんだからな!」
シュウト:
「……わかりまひた」
非常に残念なことに覚えていたらしい。(いや、思い出す切っ掛けを作ってしまった、が正確か)ヘナヘナになりつつ、どうにか肯定の意思表示をしておく。
ああ、念話しなければダメっぽい。……イヤだなぁ~。
エルム:
「……ところで〈ノウアスフィアの開墾〉なのですが」
ジン:
「うん?」
エルム:
「開発情報で流れていた噂をご存じでしょうか?」
ジン:
「俺はブランクがあっからわからんな。シュウト?」
シュウト:
「えと、どんな噂でしたっけ?」
エルム:
「MODを導入するとかいう」
シュウト:
「ああ、はい。耳にした覚えはあります。噂ですよね?」
エルム:
「そうです。ですが、今の状況を考えると、あながち嘘でも無かったのではないか、と」
MODとはゲームを楽しむための改造プログラムのことをいう。
特にMODは、プレイヤーが開発したものをいう(公式が行えば、更新やアップデートなどと呼ばれる) デフォルトで選択できるキャラクターのフェイスをいじくって、望みの外見を作れるようにするものもあるし、ゲームによってはクエストを追加したり、建物を追加したりと様々なことが可能だ。
ジン:
「なぁ、この話ってオチあんの?」
エルム:
「といいますと?」
ジン:
「今回、MODの導入を前提としていた。つまり『なんでもアリ』にすることで、『システム外』の行為・行動を許容して『システム内』にしたわけだろ」
エルム:
「そうなるのだと思います」
ジン:
「だとしても、MODの定義からすりゃ、俺のやってることはチートってことになっちまうな」
エルム:
「ああ、そうかもしれませんね(笑)」
代表的なチートといえば、セーブデータを改造し、ステータスやレベルをプログラム的に操作することでゲームの難易度を下げる行為などをいう。MODとの違いをどこに求めるのか?といえば、難易度操作にあると言われている。チートはゲームの難易度を積極的に下げる行為で、MODはむしろ逆に難易度を上げたり、難易度とは関係ない部分でゲーム内を豊かにしようとする。
しかし、本質的には名前の違いでしかない。プレイヤー側の主観的な問題で、ズルかどうか?という問題よりも、もっと『盛り上げる行為』か、『シラケさせる行為』か?という話なのだ。
シュウト:
「でも、手作りで新たに強力な武器や防具を作ろうとすることも、チート的ってことになりますよね?」
エルム:
「そうなるでしょうね」
ジン:
「だから、オチはあるのかって。俺がチート意外に」
エルム:
「……もしもの話なのですが、仮に〈大災害〉が起こらず、自分でMODを作るとしたらどうしますか?」
ジン:
「そんなリアルスキルは無いけど、可能だとしたら、俺は今やってることと対して変わらないだろうな。新しい特技とか、特技の新モーション、戦闘むけのアレンジをするだろう」
シュウト:
「僕は……」
〈大災害〉がなかったら、たぶん〈シルバーソード〉から抜けることも無かっただろう。そうなったらどうしたいと思うだろうか。
シュウト:
「強い敵や、歯ごたえのあるダンジョン、クエストを追加したいです」
エルム:
「……フフフ。想像した通りでしたね」
ジン:
「フム。強い敵が追加される可能性、か」
エルム:
「そうです」
シュウト:
「でも、MODの考え方だとすると、この世界に『来てから』強敵を作りだす必要があるのでは?」
ジン:
「耳の痛い話だな」
シュウト:
「……そうなんですか?」
ジン:
「システムに認証されるということは、この世界の全員に共有されるということを意味する。再現性が確保されるというかね。俺がオーバーライドを成立させたから、それで強化された連中が何人かいたわけだ。レオンとか、もしかしたらアクアとか」
シュウト:
「ああ……」
ジン:
「もっというと、敵モンスターが使ってこないとも言い切れなくなってる」
シュウト:
「いや、でも、それは」
敵が異常に強化される可能性。だがそれ以前に、『異常に』ではなく、『普通に』敵が強化される可能性もあった。
知性を持つ敵の恐怖、たとえば、報酬として得られる幻想級の武装を何故か使わずに残しておくような矛盾が、今後は解消される可能性もあるのではないだろうか。
ジン:
「これは石丸に確認した話なんだが、〈ノウアスフィアの開墾〉のノウアスフィアってヤツは、バイオスフィアの上位概念っぽい。
まずバイオスフィア、生物圏ってのは、ガンダムでいうスペースコロニーみたいなもののことだ。継続的に生態系を維持して行くことの出来る空間というか環境というか」
エルム:
「宇宙船地球号、ですね」
シュウト:
「ああ、はい」
ジン:
「地球か太陽がダメになったとして、他の星系に移住する時に全員を冷凍保存するかどうかって問題がある。解凍をどうするのか?ってこともあるだろうし、ワープドライブが完成したとしても、宇宙船で何十年、何百年、ことによっては何万年か移動し続けなきゃならない。当然、人間はそんなに長くは生きられない。だから、何代も先の子孫まで宇宙船の中で繁栄させる必要が出てくる」
エルム:
「その場合は当然、宇宙船自体の保守・維持まで含めて考えなければなりません。その上で、生態系の維持が可能な環境をバイオスフィアと呼ぶわけです」
シュウト:
「では、ノウアスフィアとは?」
ジン:
「知識圏、叡智圏などと訳されるらしい。詳細は俺にゃよく分からん。MODよりも大きな枠組みでいうオープンソースなどの集合体のようなものだとか」
シュウト:
「……ノウアスフィアって言葉に元ネタがあったんですね?」
エルム:
「『伽藍とバザール』は有名ですが、『ノウアスフィアの開墾』の知名度は低いですから、専門の人でないと分からないかも知れません」
口には出さなかったが『伽藍とバザール』というのすら、何なのか分からなかった。
ジン:
「んで、バイオスフィアの文脈で想像すると、人間的な知性を発生させる範囲、環境、『圏』の話かと思ったんだが」
シュウト:
「違うんですか?」
ジン:
「オープンソース的な『知の集積』で次のステージが開かれるんじゃね?といった内容らしい」
エルム:
「喩えるなら、AIや機械が人のような知性を、もっと人を超えた知性を獲得すること、などですね」
ジン:
「アトムとかターミネーターだな」
前者は、人の心をもったロボットの話。後者は、人と機械知性とが戦争した世界の話だろう。
ジン:
「……あるいは、俺たちは何らかの方法で知を集積するために呼び出された、家畜、なのかもしれないな」