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120  天秤祭前夜


 

 デートすると決まったあの夜以降、ユーノからの連絡がぱたりと来なくなっていた。こちらから連絡すればいいという噂もあるかもしれない。修練があるため、毎日は忙しく過ぎ去っていくばかり。そのまま放置しておくことに、微かな罪悪感めいたものをやがて感じるようになって来ていた。

 その日は10月の冷たい雨が降っていて、なんとなく暇な気分だった。こちらから念話してみようと思ったのは、正直にいえば、気紛れである。


シュウト:

「こんばんは」

ユーノ:

『やあ、今晩は穏やかな夜ですね』

シュウト:

「そう、だね」

ユーノ:

『今の、コンバンハの正式っぽい奴だよ』

シュウト:

「そうなんだ?」

ユーノ:

『うん』


 いつも通りの元気そうなユーノの声だったが、何かをはぐらかすような部分を感じていた。


シュウト:

「このところ連絡が無かったけど、……忙しい?」

ユーノ:

『ちょっとだけね。ボクって敏腕記者だからね。天秤祭のことで取材しまくりっていうの? 今も自分の部屋で記事をまとめてたのだよ』

シュウト:

「お疲れさま」

ユーノ:

『ふふ。ありがと』


 会話のリズムが良くなってきたところで切り出してみる。


シュウト:

「ところで、この間のデートするって話なんだけど」

ユーノ:

『ブブゴッ! ゴフッ、ゴブッ』


 盛大にやらかした感じの音が聞こえてきた。しばらくせき込み続け、『せっかくまとめたのにぃ~』などの切ない呟きが聞こえてくる。タイミングが悪かったかもしれない。


シュウト:

「ゴメン、なんか、いきなりだったかな?」

ユーノ:

『だ、大丈夫。ええっと、なんの話だったっけ?』

シュウト:

「デートするって話だけど、どうするつもりなの」

ユーノ:

『えーと、そんな話したかな?』

シュウト:

「いや、忘れてるんだったら別にい……」

ユーノ:

『ちがちがちがっ、忘れてたわけじゃないからね? 違うのです』

シュウト:

「……とりあえず、覚えてたってことでいい?」

ユーノ:

『そのぉ、あの日はかなり酔ってまして。もしかして夢だったかなー、みたいな?』

シュウト:

「……照れてるの?」

ユーノ:

『へぇぇぇ!? ソナコト、アルワケ、ナイデス』

シュウト:

「いや、カタコトになってるから(苦笑)」

ユーノ:

『実はボク、帰国子女なのデス』

シュウト:

「これまで普通に喋ってたのに? そんな突然に?」

ユーノ:

『突然なの! だから、デートするとか言っちゃったけど、それは言葉が不自由だからなの!』


 てっきり、デートするのは決定事項だとばかり思っていたのだが、そうでも無かったらしい。ならば別に義務でもなんでもないわけであり。


シュウト:

「わかった。無理しなくていいから(苦笑) それじゃ、おやす……」

ユーノ:

『切っちゃだめぇぇぇぇぇ!!!』

シュウト:

「あ、はい……」


 ユーノの態度は、少々、情緒不安定だったが、もともと酔うと泣いたり怒ったり、陽気になったりがコロコロと入れ替わる人だ。重く受け止めたりしなくなっていた。自室なら晩酌でアルコールが入っている可能性は十分に考えられる。


ユーノ:

『しますよ。……デート、します』

シュウト:

「そんな無理しなくても(苦笑)」

ユーノ:

『無理じゃない! 無理とかいわないで』

シュウト:

「はぁ」

ユーノ:

『……よろしくお願いします』

シュウト:

「……よろしくお願いします」

ユーノ:

『………………………………』

シュウト:

「あの、いつが良いとか、何か行きたい所とか、やりたい事とかは?」

ユーノ:

『き、君はモテるかもしれないけど、ボクはこういうの慣れてないんだから、こう、上手にエスコートしてくれてもいいんじゃないのかな?』

シュウト:

「えっ? ……こっちも、ほぼ初心者なんだけど」

ユーノ:

『だけど、あの子、前の彼女だって』

シュウト:

「酔ってても、記憶はバッチリあるんですね?」

ユーノ:

『そこで丁寧な感じに戻さないで! 丁寧語禁止』

シュウト:

「はい、わかりました」

ユーノ:

『全然分かってない』

シュウト:

「……わかった、から」

ユーノ:

『じゃあ、ドコに連れてってくれるのかな? あ、当日まで秘密の方がいいかな』

シュウト:

「いやいやいや、相談して決めちゃダメ?」

ユーノ:

『当日の楽しみが減っちゃうよ』

シュウト:

「こっちの少ない経験から言わせて頂きますと、デートスポットみたいな所がぜんぜん無いんですよ。映画館とか、遊園地とか、動物園とか、水族館とか野球観戦とか」

ユーノ:

「……そういえばそっか。街の外はモンスターのサファリパークだもんね」

シュウト:

「リアルのね」


 デートプランを投げられた辺りから、久しく忘れていた切迫するような焦燥感に逃げ出したくなっていた。まさか経験豊富などと思われているとは思いもしない。人からはそう思われる危険性について、今後は注意しようと思った。静やりえの顔と声で(さっすが隊長、完璧なデートプランですね!)といったイメージが再生されたが、もはや十分すぎるほどのホラーである。

 しかも、先ほどからデートに関して何も思い浮かばないと来た。食事の場所ひとつとっても、葵の情報支援を抜きにはどうにもならないと思い知らされる。未だに〈カトレヤ〉のみんなにユーノとの友達付き合いを秘密にしている関係から、今回はサポートを得られそうにもない。ソロでの自分の無力さを突きつけられたようで、どんどん恐ろしくなっていった。


シュウト:

(だけど、今の僕には頼みの綱がある。ジンさんなら、ジンさんならどうなさいますのでしょうか?)


ジンの声のイメージ:

(……そりゃお前、アサクサでも行って、蕎麦かなんかつついたら、宿で『やること』やってくりゃいいんじゃねーの?)


シュウト:

(しまった、ジンさんはそういう人だった……)


 デートの目的はセックス、などと平気で言う人なのをすっかり失念していた。もう少し常識的(良識的?)な人の意見が必要だと思われる。


シュウト:

(エルンストさんとか……は、何を言うのか予想できないな)


 まだまだ情報が不足していた。困ったのでとりあえず破眼を発動させておく。レイシン→はっはっは。石丸→買い物っス。葵→とりま相手だれ?→バレて×。ユフィリア→なんでも楽しいよっ!→理解不能。


シュウト:

(おおっ、適任の人が居るじゃないか!)ぽむっ


 ニキータ→って、天秤祭ならたくさんイベントとかあるでしょう?


シュウト:

(なんて真っ当な!)


 良識のある常識人の偉大さに心を打たれる。良識のない常識人とは大違いであった。そんなこと口が裂けたって言えやしないけれど(いや、間違っているのは僕の方だって、確実に言われるんだろうし……)


ユーノ:

『ねぇ、どうするの?』

シュウト:

「明後日から天秤祭だし、どこかで待ち合わせしようよ。いつなら空いてる?」

ユーノ:

『うーん、やっぱり3日目かな。のみの市の取材を午前中に頑張れば、午後は手が空くと思うし』

シュウト:

「それじゃ、3日目に。待ち合わせは当日、念話で」

ユーノ:

『うん、分かった。楽しみにしててあげよう』

シュウト:

「ははは。ありがとう」



 この時点では予想できなかった。僕は天秤祭の後半、ヤマトサーバーにはいられなかった。







寝坊した冒険者:

「うおーっ、寝坊しちゃったよ! 今日のおにぎりって何? あ、やっぱり言わないで!」

りえ:

「今日のは新作ですけど、インパクトありますよ~」

列の中程の冒険者:

「そりゃ楽しみだ」


 開店ギリギリのタイミングに飛び込み、列の後ろに並ぶ彼を待って、開店とする。


ニキータ:

「みなさん、おはようございます。お待たせ致しました。これより開店となります」


 一度、お辞儀をしておく。目の端では、まりもあわせてお辞儀していた。次にお知らせをする。


ニキータ:

「本日はお知らせがございます。明日からの天秤祭も、朝は同じく開店します。日中はお昼仕様のお味噌汁の屋台となります」


 「絶対に来るぞ!」などの声援のコメントが終わるのを待って、先を続けることに。


ニキータ:

「天秤祭2日目・3日目の夜は、当ギルドホームにて夕食の席を設けることに致しました。メニューは〈カトレヤ〉料理担当の誇る『スペシャリテ』となります。……はっきり言って自信作です。みなさんに食べて頂きたいと思っています」


 口調を変えて本気度をアピールしてみた。歓声が沸き起こる。ノリが良くて助かる。


 レイシンが得意料理を披露することで話がまとまっていた。ギルドホームに人を入れることになるため、大きく宣伝することはしないが、朝の常連客には優先的に来て貰うべく準備を進めることになった。


ニキータ:

「みなさまのお越しを、――お待ちしております」


 全員のお辞儀でこのターンは終了。


 目を向けると、ユフィリアはギリギリまで手を揉んだり、さすったりしていた。その姿を星奈がかぶりつきで見ている。どうやらユフィリアは星奈の憧れになったらしい。


 並んでいるお客様は50人を超えている。1人辺りに許された時間は30秒未満。理想は10秒。1分掛ければ、それだけで1時間も待たせることになってしまう。みな、お金の準備は終わっている。マイカップを受け取ると、次々と味噌汁を注ぎ入れる。オニギリは別料金だが、要らないなんて人は、結局1人もいなかった。


ユフィリア:

「手根骨コントロール!」


 魔法力や精霊力に似た、無色透明の力場が手に生まれる。

 素早くおにぎりを握っていくユフィリア。ジンからは『まぁ、合格点』と言われていた。この技術は完成するということがない。どこまでも深く追求していくことが可能であり、追求する姿勢だけが現状を維持させる最低限の条件という。

 ユフィリアの特製爆弾オニギリは、しっかりと握られているため、手で持っても、食べている最中でも崩れることはない。しかし、お米は一切、潰れてはいない。口に入れると程良くほぐれるオニギリに仕上がった。


タクロー:

「じゃあ、このカップで」

ニキータ:

「いつもありがとうございます、タクローさん」

タクロー:

「いやいや(照)」

静:

「タクローさん、オニギリもすぐですよ」

星奈:

「タクローさん!タクローさん!」

ユフィリア:

「タクローさん、どうぞ?」

タクロー:

「ありがとう。今日のも美味しそうだな~」


 マイ食器ボーナスとしてジンが考えたのは、『相手の名前を呼ぶ』というサービスだった。ステータス表示されるため、相手の名前を忘れるリスクもない。何より、相手を『1人の人間』として扱うことになる。


タクロー:

「……ぶははははは!」


 さっそくオニギリにかぶりついたタクローが笑い出した。続けておにぎりを受け取った人たちが、口を付けるたびに順に笑いが起こっていく。


寝坊した冒険者:

「なに? 今日のオニギリ何なの?」

まり:

「もうちょっとすれば分かりますって」

咲空:

「私、好きです。とっても美味しいです!」

寝坊した冒険者:

「オレ、気になっちゃうタイプなのに! どうして寝坊したかな~」


 今日の具はサバのみそ煮である。丁寧に骨を取り除き、柔らかく煮込まれたサバが、オニギリの中から具として出てくる。びっくり度は満点だ。私も試したが、冗談かと思いきや、かなり美味しかったりする。とろりとした煮汁がご飯に染み込み、その部分がまた格別だった。


 ユフィ特製ばくだんおにぎりは美味しいし、笑顔にさせるパワーも込められていた。

 ハンバーグ、ソーセージに続く第3弾が、今日のサバのみそ煮だ。こうした様々な具をおにぎりに入れようと思うと、おにぎりを握る難易度が自然と上がってしまう。それでもユフィリアはきっちりとまとめ上げていた。

 具も大切だが、理想は『握りが美味しい』と思って貰うことだ。ユフィリアはがんばっている。それは、少しでも美味しいと思って貰いたいからだ。朝早くからがんばってくれている人達に、少しでも美味しいものを届けたいと思う、純粋な心意気の話なのだ。


 あっという間に行列ははけてしまっていた。

 談笑しながら笑顔で食べている姿に、安堵のような、穏やかな気持ちを得ていた。部分的にはサバのみそ煮が受け入れられるかどうか?といった不安な気持ちが無かったわけではない。好評なようで何よりであった。


 最後に片づけをテキパキと済ませ、素早く撤収しなければならない。ここでモタモタしていると、みんな仕事に行けなくなってしまう。素早く終わらせるのも、仕事の内。


静:

「終わりました!」

ニキータ:

「では、ご挨拶を。――本日もありがとうございました」

女子全員:

「いってらっしゃいませ!」







トモコ:

「お疲れさまです、カラシンさんっ♪」

カラシン:

「おっ、手伝いに来てくれたの? トモコさ~ん」

トモコ:

「いいえ、ただの陣中見舞いです(笑)」

カラシン:

「そっか~(苦笑) そうだよね~」


 書類が煩雑に積まれた机のスペースに、甘いものと飲み物をどうにか置いた。ここはギルド会館内部に新しく設置された〈生産系ギルド連絡会〉である。新設なのに、もう残念なぐらいゴチャゴチャしていた。


 〈生産系ギルド連絡会〉とは、生産系ギルドの横の繋がりを強くするための専門部署みたいなものだ。簡単に言えば、クエストなどを行う時は〈アキバ冒険斡旋所〉へと行き、生産活動を行う時は〈生産系ギルド連絡会〉へ行く、といった具合になる。〈大災害〉以後のアイテム新作成法の普及によって、単純なクエストのようなくくりでは対応できない案件のために、連絡会が配置されていた。


 明日からの天秤祭の中心はこの〈生産系ギルド連絡会〉となっている。

 新しく生み出されたアイテムの発表会みたいなのをやりたいね?といった話題がまずあった。しかし、要請はあれど需要と結びつかない感じで立ち消えになりそうなところ、ちょうど良く『お祭りやりたいやん?』なムーブメントと合体したのだ。その結果が、今回の天秤祭だったりする。


 お祭りムーブメントを助長させる方向に、私達、女子会参加者が関わっていることは、絶対的な秘密だ。天秤祭は盛り上がりが怖い規模になってしまい、現にこうしてカラシンが根を詰めて働いている。しかも、人が少なすぎてこわい。〈第8商店街〉の人達が援軍にこない理由が想像できてしまって更にこわい。きっと『地味な裏方なんてやっていられるかー!』とかなのだ。文化祭の主役は俺たちだ!という自負みたいな圧力が生産系ギルドの内部にはある。(日頃のうっぷんを晴らすのは正義、みたいな)


トモコ:

(う~ん、名前の問題かも?)


 文化祭の実行委員は、実際はかなり面白い。お祭りで一番面白いのは、経験上、実行委員だと思う。仕事量は多いし、大変は大変なのだけど、やりがいと苦労と面白さはほとんど同じものでもある。だから『天秤祭実行委員会』だったら、人が集まった可能性は高かったろう、と思ってしまう。


 ……でもそれは口が裂けても言うつもりはない。〈海洋機構〉内部の部門連絡会をやらされている関係でこことも縁があるのだけど、でも連絡会という言葉だけで『〈生産系ギルド連絡会〉もついでにやっといてよ?』みたいな雰囲気を醸し出されてたりする。笑顔だけど目がマジというやつだ。


トモコ:

「あとでミチタカさんも来ますので。仕事、押しつけちゃってもいいですよ?」

カラシン:

「ははは、そうしようかな。〈海洋機構〉はどう?」

トモコ:

「メチャクチャです。今が一番忙しいですよ。……っていうか、カラシンさんがいなくて第8って平気なんですか?」

カラシン:

「全然、大丈夫みたい。でも、もうちょっと必要とされてもいいかも」

トモコ:

「そんなことないですよ、カラシンさんが居なきゃ始まりませんよ!」

カラシン:

「そう? やっぱそうかな?」


 元々チャッターギルドのマスターだ、こちらの力量に会わせたトークも余裕なのだろう。軽口で切り返せて少しホッとした。

 ガス抜きの役目を果たしたと感じところで引き上げることにする。これ以上はやぶ蛇であろう。もしも手伝いたくなったりしたら、目も当てられない。


トモコ:

(……アイツめ)


 それにしても、のらりくらりと働かないエルムが、ふらふらしていて腹が立つ。本人の言い分も意味がさっぱり分からない。なにやら『ボトルネック以外が頑張っても、フローにプラスの影響がでない』とか。働けば他の人が楽になるだろうに『逆にリソースを圧縮する』からどうのこうの。


トモコ:

(言い訳が多いのが悪い。格好、悪い)


 ちょっとは格好良いところを見せたっていいではないか。お祭りなのだし……。

 

カラシン:

「怖い顔してどうしたの?」

トモコ:

「す、すみません」(///)


 慌てておいとました。くそう、アイツのせいだ!と八つ当たり気味に念話。働けというつもりだった。


エルム:

『ちょうど連絡しようと思っていたところでした』

トモコ:

「どうかした? 急ぎの案件?」


 〈海洋機構〉でトラブルでもあったかな?と頭を巡らせる。


エルム:

『それが、〈カトレヤ〉で夕食会をやるそうです。スペシャリテを出すと言ってましたから……』

トモコ:

「こないだのチキン南蛮!? 行く! いつ?」

エルム:

『2日目と3日目の夕方から、ですね。一般客も入れるという話でしたので、私もご一緒したく』

トモコ:

「そっか。打ち上げとかあるし、3日目抜け出すのは厳しいよね。2日目かな、うん、そうしよう」

エルム:

『わかりました。では、そのように』


 すっかり浮かれて舞い上がっていた。冷静になると、自分から念話したのに、文句を言うのをすっかり忘れ、向こうの話題だけで終わっていたのに気が付く。


トモコ:

(……まぁ、いいか)


 普段はしない鼻歌なぞを鳴らしてしまうあたり、自分は上機嫌なのだろうと思う。天秤祭は楽しいイベントになりそうだ。だから、よしとしよう。







 ――天秤祭前夜、同時刻。西洋サーバー、セブンヒル(ローマ)。


ヴィルヘルム:

「明日の昼過ぎだそうだ」

アクア:

「そう……」


 ローマ市街の潜伏地点。広めの室内には20人から待機しているにも関わらず、アクアと2人きりかと思うような静けさだった。複数の衣擦れの小さな音。数人が振り返り、アクアの言葉を待った。


 不思議な女だった。突然やってきて、我々〈スイス衛兵隊〉に協力しろといってきた。彼女の予測は的中し、その事で自分たちが潜伏する立場に追いやられてしまったと言ってもいい。しかし、誰も彼女を恨むことはしなかった。


 時を遡り、7月。ギルド〈聖堂教会〉が作られたとされるのはこの頃だ。『白の聖女』ヴィオラートを中心とした、宗教団体に近いものと言われている。

 6月末に起こった『亜人大移動』の際、彼女は空を覆うほど巨大な〈オーロラヒール〉で、参加していた全軍を癒したという。これは目撃情報が多数あり、ヴィオラートが何らかの特別な能力を秘めていることは確実だった。〈聖堂教会〉は彼女の特異能力を奇跡として祭り上げたものだ。言ってしまえば、ただそれだけのものになるハズだった。


 だが、潮目が変わる。8月、フランスから『赤き暴風』の異名で呼ばれる男、レオンが現れた。フランスから1万人近いプレイヤーを引き連れ、セブンヒルにやってきた。そして到着するや、その日の内に〈聖堂教会〉へと参加してしまったのだ。全ては電撃的な速度で行われた。レオンは『白の聖女』の片腕となり、その政治力を発揮していった。


 10月の現在までにセブンヒル(=ローマ)に集まったプレイヤーの総数は5万人。これでセブンヒルは、西側世界の中心となっていた。


 現れたアクアは、白の聖女がいなくなったことを告げた。確認してみたところ、もう一月ほど表に顔を出していない。クーデターは極めて静かに行われたと考えられる。〈冒険者〉ゆえに死ぬことはないにしても、監禁しているのでほぼ間違いないだろう。

 そしてレオンは明日、セブンヒル中の人間を集めて、皇帝となることを宣言する予定だ。組織が大きすぎるため、不意打ちのように発表とは行かなかったのだろう。内部からリークされた情報を得ることが出来た。


 元来、ローマ帝国における皇帝とは、第一人者のことであり、いわば政権与党のリーダーみたいなものだった。過去のローマ人は王を嫌う性質をもっていたからだ。この性質は長い間潜伏したままであったが、市民革命と共に永い眠りから目覚めるところとなった。

 

 レオンもまた皇帝を名乗ろうとしていることから、〈大地人〉貴族を含めた議会での権力を掌握したことを意味している。

 現代では、ただ1人の王を嫌う性質は薄まりつつある。〈大災害〉を緊急事態とし、レオンに独裁官の権限を与えることに異議を唱えることはないだろう。

 問題は、我々はどうするのか、ということだ。


アクア:

「明日、レオンが皇帝宣言をしたら、その場で宣戦布告する」


 苛烈な発言に息をのむ。


ラトリ:

「ちょっとちょっと。どうする気だい、お嬢さん?」

ヴィルヘルム:

「正面から挑むのか?」

アクア:

「それしかない」

ギヴァ:

「だが、敵の兵力は1万あるぞぉ」

アクア:

「これは賭よ。レオンが皇帝になることに不満を持つ人間は少ない。皇帝になると宣言されてしまえば、それが事実になってしまう」

ヴィルヘルム:

「白の聖女を監禁し、皇帝を僭称しようとしていると突きつけ、相手の正当性を崩す。だが、実力の無いものを大衆は認めないだろう」

ラトリ:

「だから正面から挑むしかないってわけね……」

ギヴァ:

「勝ち目はないが、やるしかないだろうなぁ」

アクア:

「敵の戦力を分断して、レオンと1対1で戦う状況を作るのよ」

ヴィルヘルム:

「だが、ヤツにはあの鎧があるぞ?」

アクア:

「こっちも切り札を出すわ。出し惜しみしていられる状況じゃないもの」

ラトリ:

「切り札?」


 


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