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111  スイスイ転換

  

 ――夕食後の会話。エルンスト達は、怒り狂うそー太をなだめる方にまわっていた。


そー太:

「ちっくしょう! どうして隊長が怒られなきゃならないんだ! 文句は俺に言えって話だろ!」

エルンスト:

「あれは『注意しなかったこと』を叱ったんだ。仕方ない」

名護っしゅ:

「俺たちだって、お前にはナンも言わなかったろ?」

そー太:

「……そうなのかよ?」

大槻:

「隊長が注意するべきだったからな。口を挟まなかった」

エルンスト:

「まぁ、そういうことだ」

そー太:

「それじゃ、ぜんぜん納得いかねぇよ!」

名護:

「そうかもな~」

そー太:

「ウチは、母さん以外は、父さんも、兄さんも、みんなああして食べてるんだ。それの何がいけないんだ? たかがマナーって、アイツだって言ってたのに!」

エルンスト:

「自分の家ではやりたいようにやればいい。しかし、集団行動し、共同で生活するつもりなら、直しておくべきだぞ」

大槻:

「躾されていない、育ちが悪い、そんなレッテルを張られる。親を侮辱されたくないなら、直した方がいい」

名護っしゅ:

「女の子とメシ食いに行って、クッチャクッチャさせてたら一発でどん引きされるぞ~?」

そー太:

「別に、女に興味なんてねーし」

エルンスト:

「フッ。だが、このギルドに残りたいなら、癖を直すしかない。そー太、どうする気だ? 残るのか、それとも出て行くのか?」

そー太:

「そりゃ、隊長にもっと教わりたいし、だから残るつもりだけど。そうじゃなくて、なんで食事のマナーぐらいの事で、出て行かなきゃならないのかってことだろ?」

エルンスト:

「そうした文句を俺たちに言うのは構わないが、あの男に聞かれると、シュウトに迷惑が掛かるぞ」

そー太:

「それが納得いかないんだって!」

大槻:

「相手はお前の納得を必要としていない。それでも、どうしても納得がいかないというなら、戦ってみたらどうだ?」

そー太:

「戦うって?」

エルンスト:

「いや、マナーの件で文句をいえば、理由も何も、叩き出されるだけだ」

大槻:

「だったら関係ない理由をでっち上げればいい」

名護っしゅ:

「そりゃあ、いい。おい、やってみないか?」

そー太:

「でも、どうやって?」

大槻:

「仕掛ける前に、食事を乗り切らないとな」

名護っしゅ:

「だな。干し肉やっから、ここで練習してみろ」

そー太:

「サンキュウ……」


 ――名護からの干し肉を受け取ると、そー太は素直に礼を言って口に入れた。決して、歪んでいるばかりではないとエルンストは思う。


 食べるときに鼻詰まりがあれば、口から呼吸しながらでないと息苦しくなってしまう。花粉症のようなアレルギー性鼻炎の場合、アレルギーの種類・数によっては、一年を通じて、鼻づまりの状態になることもある。現実世界でのそー太にとっての原因はわからない。しかし、この世界では〈冒険者〉の体を使っているため、体質的な問題はない。ただ、癖の問題だけと言えた。


そー太:

「くそっ、納得いかねぇ」くっちゃくっちゃ

名護っしゅ:

「ほら、クチャクチャ言わすな」

そー太:

「ごめん」もぐもぐ

エルンスト:

「それで、どうするつもりだ?」

大槻:

「簡単なことだろう。つまり……」





ジン:

「なんだぁ? ユフィのやつ、昨日の晩メシ抜いたのに、朝も食わねぇ気か? ただでさえ『ちっぱい』なのに、凹んでなくなっちまうぞ」

シュウト:

「なんの心配ですか(苦笑)」


 なぜか朝食の時間になっても、ユフィリアは現れなかった。そんな彼女のことを、食べ過ぎだと言っては太る心配をし、食べなさ過ぎでは痩せる心配するジン。ニキータもこの場に来ていない。そろそろ様子を見に行った方がいいかもしれないと思い始めていた。


そー太:

「おい、ジジイ!」

ジン:

「…………」

そー太:

「てめぇだ、おっさん!」

シュウト:

「そー太、ジンさんに失礼な態度は止めてくれ!」

ジン:

「なんだ、俺のことか? どうしたクソガキ。クチャクチャ食ってたら、また窓から叩き落とすぞ?」


 破壊された窓は、薄いカーテンで覆ってあるのみ。窓枠も取り外してあった。しばらく直すつもりはないとのこと。


そー太:

「やれるもんならやってみろ!」

ジン:

「フフン。俺はやると言ったら、やるぞ」

そー太:

「ヘッ、特訓の成果をみせてやらぁ!」


 しっかり特訓したらしい辺りが、素直な心がけの青年だったりする。(悪い奴じゃないんだが……)と切ない心境になる。何もなくても泣きそうだった。


そー太:

「おい、おっさん!」

ジン:

「まだ用か? なんでもいいから、さっさと言え、さっさと」

そー太:

「朝飯の後で、オレと勝負しろ!」

ジン:

「……なんで俺がおまえ(みたいなザコ)と戦わにゃならん?」

そー太:

「なんか今、ムカっと来た。えーっと……」


 手にもっているメモを確認しているそー太。


そー太:

「俺には、その、おまえの実力を知る権利がある」

ジン:

「ほぅ、なんでだ?」にやにや

そー太:

「おっさんがこのギルドのメインタンクだったとしたら、えっと、なんだっけ? ともかく勝負しろ!」

ジン:

「へぇ、それって俺が負けたらどうなるんだ?」

そー太:

「オレが、このギルドのメインタンクになる!」

シュウト:

「なっ!?……そー太、そういうの、もういいから」

そー太:

「ごめん隊長。でもさ、このおっさんレベル88じゃんか。オレのがふさわしいって思うんだよ」

シュウト:

「そんなこと言ったって、単に昨日のを根に持ってるだけなんだろ?」

エルンスト:

「それを言ったら身も蓋もないだろう?」


 エルンストがそー太に味方するように口を挟んできた。そー太に知恵をつけたのは彼らだと直感する。食事の件で楯突かず、実力を問うなんて回りくどい真似をそー太がするとは思えないので納得である。しかし、なぜそー太の味方をするのかが分からない。


ジン:

「いいだろう。正当な挑戦とみなそう。じゃ、メシの後でな」

そー太:

「よっし、首を洗ってまっとけ!」

ジン:

「HAHAHA」←アメリカンな笑い

シュウト:

「ジンさん!(勝つのが分かってるのに、どうしてそんなことするんですか!)」

ジン:

「別にいいだろ。実力も見せないでおいて、メインタンクでござーいとかやられたら、そりゃたまらんよな?」

そー太:

「そうだぜ!」


 なぜか本人までそー太の味方をしている。単に戦いたいだけなのかもしれない。


ジン:

「何せ、ゲームは『年上』ってだけで勝てる種目じゃないからな」

シュウト:

「それは、……そうですね」


 反射速度からゲーム知識、のめり込み度などの様々な要素・観点から、『若い=弱い』とはなりにくいのがゲームというものだ。MMORPGであれば、人付き合いのスキルの関係で自分勝手だったり、空気が読めなかったりすることはあっても、それは年齢よりも個々人の性質に属するものだろう。若くても礼儀正しい人はいくらだっているのだ。「若いからって弱いと思って舐めるな!」といった気概を持つのは、悪いことではない。

 〈カトレヤ〉はたまたま年輩にゲーム巧者が多かっただけだ。そうした意味で、新鮮な目でそー太をまじまじと見てしまった。


ジン:

「ゲームだったら、だけどな」

シュウト:

「ですよね」


 一応は、僕もアキバ有数の戦闘ギルド〈シルバーソード〉の元メンバーなのだ。〈エルダーテイル〉というゲームになら、自信を持って「得意です」と言えるのだ。

 だが、ゲームのスキルだけではどうにもならない領域があることは、日常的に否応なく理解させられて来ている。


シュウト:

(そうか、そういうことかも)


 この問題は、彼らがそれをまだ理解していないことにあるのかもしれない。自分が隊長と呼ばれて慕われているのも、『ゲーマーとして』高く評価されている可能性があるのだろう。



 昼食を終えた僕らは、朝練のために街の外に場所を移した。そー太がなんとか食事を無事に乗り切ることができたので、ホッとした。 

 全員参加を告げておいたのだが、何人かはさぼっているようだ。60人以上いると、いない人を見分けるのは大変である。リストアップして点呼でもとるべきかもしれない。


ジン:

「そんじゃ、やるか」

そー太:

「絶対に、勝つ!」


 愛用するフェイスガード付きのヘルメットなしのジンが、首を左右にパキポキと鳴らすと、魔法の鞄からゆったりとブロードバスタードソードを引き抜いた。そー太の側は、対人・対亜人効果を持つ秘宝級装備だ。お互いに剣と盾を使う〈守護戦士〉同士の対決だった。


サイ:

「隊長、あの人はどのくらい強いんですか?」


 隣に来ていたサイに尋ねられたが、どう表現したものか悩んでしまう。ドラゴン相手にソロで戦って倒せるぐらい強い、などと言っていい訳もない。考えてみると実際にどこまで強いのか自分も知らないのに気付いた。


シュウト:

「んー、説明が難しいんだけど、ともかく凄く強いよ」←無難に

静:

「そんな風にはあんま見えないかなーって」

りえ:

「隊長とどっちが強いんですか?」←隊長ですよね?のつもり

シュウト:

「いやいや、ジンさんの方が全然強いから」

まり:

「えーっ?」

りえ:

「またまた~、謙遜しちゃって~」

静:

「そんな隊長も、スキ!」


ジン:

「うっせーぞ、リア充! 奥歯ガタガタ言わすぞ、このボケェ!」

シュウト:

「すみません!」


 反対側の樹木のところで、ウヅキが両手を開いて肩をすくめるジェスチャーをしているのが見えた。なんとも、恥ずかしい。


サイ:

「……ごめんなさい、隊長」

静:

「ステキって言おうとして、間違えちゃいました(テヘッ)」


 向かい合う2人の前にエルンストが進み出る。


エルンスト:

「では、俺が合図を」

そー太:

「っしゃあ! いくぜっ」

ジン:

「手は抜いてやるけど、負けても泣くなよ?」

そー太:

「誰が泣くか! 吠え面かかせてやっかんな!」

エルンスト:

「用意はいいか? では、…………始め!」


 両者ともに素早く間合いを縮めていく。直線的な動きのそー太に対して、ジンは盾を掲げつつ右回り気味の移動。

 先に動いたのはそー太だ。突進からの先制攻撃。ジンは特技のアシスト誘導を逆手にとり、盾に当たるように誘導していた。続けて強引な連続攻撃を放つそー太だったが、〈シールドスマッシュ〉でジンが寸断させてしまう。少し雑だが、そー太の攻め気は悪くなかった。立ち上がりとしては合格点だろう。

 ジンはオートアタックによる基本攻撃〈トリプルアタック〉できっちりとダメージを与えていく。この時、そー太相手には、ごく普通に戦っているように見えた。普段は鋭撃、重撃、極撃を使い分けてくるので、基本攻撃であっても楽はさせてもらえない。


そー太:

「〈ファング・イン・ザ・ダーク〉!」

ジン:

「〈キャッスル・オブ・ストーン〉」


 ジンのガードを突破できず、苦し紛れに飛び上がり、サブ職〈剣闘士〉(グラディエイター)の特技を放つそー太。だがジンは冷静に捌いている。

 双身体による攻防同時共存も使っていないし、神速の踏み込みも無し。そー太相手に、ただ至近距離で戦っているだけに見える。間合いを取るために何度も下がっているそー太。だがそれを許さず、すかさず距離を詰めていくジン。そー太の攻撃に合わせるように至近距離からの〈シールドチャージ〉。そー太の顔が歪む。



ジン:

「……ま、ざっとこんなもんよ」


 大きな山場もなく、そのまま押し切っての優勢勝ち。ジンの被害は攻撃を

ガードした際に削られたもののみで、それすら〈レジリアンス〉で回復してしまう程度。感想が出にくい戦いだった。


静:

「なんか、地味な感じですね」

サイ:

「まぁ、上手だとは思いますが」

りえ:

「凄く強いっていうより、そー太が下手?」

そー太:

「うっせーな! 聞こえてんだよ」

シュウト:

(……というより、どうしてジンさんが勝ったんだろう?)


 非常に厄介なオプションの数々を抜きに、そのまま押し切って勝ってしまっていた。だが、そもそも大した理由もなしに圧勝できるハズがない。異常な光景だと思わない・思わせないことが、最も異常なことなのだ。

 普段戦っている自分ですら分からないのだから、周囲で見ていただけで分かるようなやり方ではなかったのだろう。



シュウト:

「ジンさん、今のって?」

ジン:

「ああ、先にあのガキンチョの感想を聞いてこい」


 言われたとおりにそー太のところへ行くことにする。


シュウト:

「お疲れさま。ジンさんと戦ってみて、どういう風に感じた?」

そー太:

「ガンガン前に出てくるんで、すげぇやりにくかったです」

汰輔:

「そんなにガンガン押されてたっけ?」

マコト:

「そー太くんが自分から下がってたようにみえたけど」

そー太:

「メチャクチャ突っ込んでくんだよ! それで全然かみ合わなくって。 ……あの、スイマセン。オレ負けちゃって」

シュウト:

(見た目と中身が違うってことか)


 たぶん、よく観察しないと分からないような『ちょっとしたこと』をしていたのだろう。ウキウキとした気分でジンのところに戻った。


ジン:

「んで、なんだって?」

シュウト:

「ガンガン押してこられて、やりにくかったそうです」

ジン:

「んじゃ、成功だな」

シュウト:

「それで今のは、何を?」

ジン:

「スイスイ転換だ」

シュウト:

「スイスイ転換、ですか」

ジン:

「えっと、垂直運動量・水平方向転換の略称だ。垂直のすいと、水平のすいとで、垂水転換」

シュウト:

「それで、そのスイスイ転換って、どんな効果があるんですか?」

ジン:

「だから、ガンガン前に出てくるような感じになるんだよ。スイスイというべきか、バインバインかな?」

シュウト:

「はぁ」

ジン:

「その話は後でな。とりあえず、朝練の続きはどうするつもりだ?」

シュウト:

「えっと、どうしようかと?」

ジン:

「やれやれ。……おーい、戦士職でメインタンクに立候補したい奴がいたら、相手すっぞー!」


 絶対にメインタンクを譲るつもりはない!とか言いそうな人なのに、意外にも言い方が柔らかい。立候補するかどうか悩む余地を与えられたようで、ガヤガヤと騒がしくなっていた。


朱雀:

「すみません。アタッカーとしてメインパーティに入りたい場合、どうすればいいですか?」

ジン:

「おっ、いいねぇ。そっちはシュウトと枠の取り合いだな。戦ってみるかい?」

朱雀:

「是非、お願いします」


 そんなこんなで〈盗剣士〉の朱雀と試合をして、勝利した。簡単に自分のポジションを譲れる訳もない。本気を出したら、大人げないと言われてしまった。戦った印象としては真面目そうな雰囲気の青年でもあって、好ましく思えた。


 その後、戦ってみたいという4人(内一人はサイ)と、垂水転換を使ったジンはまたもや無難に勝利を納めていた。前に出てくる攻め気なスタイルのようでいて目立った攻撃特技は使わないこと、何より鉄壁のガードを突破できないことから、ディフェンシブな〈守護戦士〉として評価されたらしい。レイドを前提にすると、ディフェンスの巧みな〈守護戦士〉が評価され易いからだろう。

 ジンが参加したためか、前向きに練習をしそうな雰囲気が出てきて、その手応えが嬉しかった。ただし、ユフィリアが来ていないことが影響している可能性は否定できなかった。







ジン:

「どうした? アイツ、昼飯も抜く気か?」

ニキータ:

「それが、出られないって言ってるんです」


 朝から『調子が悪い』といって、ユフィリアは部屋から出てこようとはしなかった。熱でもあるのなら、看病しなければならないが、本人は『そういうものではない』『部屋には入れられない』を繰り返すばかり。遂に心配したジン達が様子をうかがいに来てしまった。


ジン:

「ユフィリア~、出ておいで~」



 しーん。



ジン:

「えー、ユフィリアさん、ユフィリアさん、4番テーブルご指名で~す」


 

 しーん。



ジン:

「反応無しか。ふむ、俺を無視するとは良い度胸だな。……覚悟はできてんだろうなァ?」

ニキータ:

「あんまり酷いことはしないでください!」

ジン:

「大丈夫だ。アイツに何かするつもりはない。アイツにはな(ニヤリ) ……じゃあ、ニキータさんに一肌脱いで貰おうかね」

ニキータ:

「もちろん構いませんが、どうすれば?」

ジン:

「文字通りだ。一肌、脱げ」

ニキータ:

「ええっ!?」

ジン:

「昔から『引きこもりには裸踊り』と相場が決まってんだよ。この国じゃ、主神からして引きこもりの前歴持ちだぜ? だから、その対処法も確立済みなのだ。さぁ、分かったら脱げ。俺に引っ剥がされる前に、さあ!」

ニキータ:

「ちょっと、ここで裸になれって言うんですか?」

ジン:

「協力すると言っただろう? ユフィリアのために役に立ちたいっていう気持ちはないのか? 嘘だったのか?」

ニキータ:

「嘘じゃありませんけど、もう少しマトモな方法だと思うでしょう?!」

ジン:

「ゴチャゴチャうるせぇ。なんでもいいから一枚脱げ!」

ニキータ:

「イヤぁ、目が怖い!」


 あっさりと上着を引っ剥がされる。「ほれ、もう一枚♪ もういっちまい♪」と口ずさむジンに、壁際に追い詰められる。もうダメだと思ったところで、ジンの動きが止まった。……いつの間にかユフィリアの部屋の扉が開かれていた。


ジン:

「よーし、いい子だ。……最初っからそうしてれば、もっといい子だ」


 ずかずかと女子の部屋に踏み込むジンを、服の乱れを直してから、慌てて追った。室内は薄暗く、ベッドに腰掛けているユフィリアは大人しくしていた。違っていたのはただ一点。壮絶なまでに、愛らしかった。普段から魅力的な彼女だが、本人が部屋から出られないと判断してしまうほどに、暴力的な『美』が室内には渦巻いていた。


ユフィリア:

「ジンさんは平気なの?」

ジン:

「普段よりちょっと可愛い程度だな。……意識は俺の領域だ。『その程度』でどうにか出来るとか思ってんじゃねーぞ?」ぽんぽん

ユフィリア:

「そっか、ごめんなさい」


 部屋の入り口で動けずに見ていると、ユフィリアがこちらを振り向き、寂しげに笑いかけてきた。


ユフィリア:

「ニナも、ごめんね?」


 心臓を鷲掴みにされたかのように、ドキリとしてしまった。彼女の影響力はあらゆるところから入り込もうとしてくる。視覚や聴覚だけでなく、漂う空気感が、皮膚呼吸を通じて体内に進入してくるような、畏れとも悦びともつかぬ……。


ジン:

「とりあえず、俺だけ見てろ」

ユフィリア:

「うん。そうする」


 ユフィリアの視線を奪ったジンに、嫉妬を感じていた。女性同士でこの状態では、外に出たらどうなってしまうのだろう。危険だ。なにが、どうなるのか分からないが、とてつもなく危険な状況だった。


ジン:

「ハラへったろ? メシを運んで来てやっかんな?」

ユフィリア:

「やだ。……寂しいよ」

ジン:

「んー? 俺もこの部屋で一緒に食ってやろうか?」

ユフィリア:

「みんなと一緒に食べたい」

ジン:

「いや、それはさすがに(焦) ……いや、そうしようか? お前が望むなら、そうしてもいい」

ニキータ:

「でも、それは」


 ジンに伴われ、部屋から出ようとするユフィリアとすれ違ったが、目を合わせてはくれなかった。ただ一人、ジンだけを見ていた。

 部屋の外では心配した取り巻き達に囲まれそうになるが、誰も近づくことはできなかった。声を掛ける剛の者もいたが、相手にされない。ユフィリアは誰のことも見ず、ジンだけを見ている。それがまるで彼女の責任であるかのように。


 昼食は地獄絵図となった。ジンの隣に座ったユフィリアを遠巻きにする取り巻き軍団は怒りと嘆き、不安の渦中にあった。ジンは妬みの視線で集中砲火を受けている。これまでで最も美しく、魅力的で魅惑的なユフィリアを独り占めしているのだから、これは当然だったろう。魔法のような力で視線を吸い寄せてしまう。見ていたいけれど、見ているのが辛い。ただそこにいるだけで、こちらの感情を強引に揺さぶってくる。

 

シュウト:

「……これって、どういうこと?」

ニキータ:

「わからない。けど、一緒にご飯をたべたいんだって」

咲空:

「凄い、綺麗です」

石丸:

「……好みではなかったはずっスが、今日のユフィさんはとても魅力的に見えるっス」

葵:

「いしくんにそう言わせるって、相当だねぇ(苦笑) ……だーりん、見ちゃダメ!」

レイシン:

「はっはっは。流石にこれ以上は近づけないなぁ」


 仲睦まじい恋人の距離感で2人は周囲を寄せ付けずにいる。ジンは状況を理解しているのだろう。理解していて、彼女のしたいようにさせているらしい。「あーん」をやって見せつけているのは、根が意地悪だからに違いない。取り巻き軍団の苦しむ姿を、ここぞとばかりに楽しんでいるように見えた。





名護っしゅ:

「なんだかやべーな」

大槻:

「なかなか面白いが、危険だ」

エルンスト:

「ああ、離れて食べよう」


静:

「凄すぎる……」

りえ:

「アレはやばいっしょ」

まり:

「うらやましいけど、ああなりたくはないかなぁ(苦笑)」


そー太:

「この辺でくおーぜ。席いいか?」

朱雀:

「……構わない」

マコト:

「すみません」

汰輔:

「どっこいせ」

雷市:

「いただきまーす」

そー太:

「なぁ、アンタはああいうの、気にならないのか?」

朱雀:

「別に。くだらないと思うだけだ」

そー太:

「だよな? 大の大人が揃って女1人にチヤホヤして、意味わかんねーよ」

マコト:

「えっと、朱雀さんはどうしてこのギルドに?」

朱雀:

「……別に。強い人がいるって聞いたからだ」

そー太:

「わかる! 隊長は強いんだぜぇ」

朱雀:

「言われなくても、さっき戦って知ってる」

そー太:

「そうだった。負けてたもんな」へらへら

朱雀:

「お前だって、手加減されて負けてたろう」

そー太:

「それは、……あのおっさんが、なんかズルしてんだよ」

朱雀:

「ズル? 何をされたっていうんだ?」

そー太:

「わかんねぇけど、なんか戦ってても『ちゃんと勝負してない』っていうか」

雷市:

「どういう意味?」

そー太:

「わかんねぇ」

朱雀:

「なら、ただの言い訳だな。手品なら騙されたと喜んでいればいいが、戦闘は仕掛けを見抜けなきゃ負ける」

マコト:

「……それは、そうかも」

そー太:

「マコトは黙ってろ。負けたんだから、もういいだろ」

朱雀:

「負け犬根性か」

そー太:

「違う。素直に負けを受け入れるのも、強さなんだよ」

汰輔:

「隊長の受け売りだけどな」

朱雀:

「フン」

そー太:

「お前、ヤな奴だな」

朱雀:

「だったら話しかけてくるな。俺はお前とは違う。俺はもっと強くなる」

そー太:

「俺だってそうだ!」


名護っしゅ:

「おーおー、青春してるねぇ」

大槻:

「心配か」

名護っしゅ:

「可愛い後輩だからな~」

エルンスト:

「しかし、雲行きが怪しくなってきたな」

名護っしゅ:

「なるようになるだろ」

大槻:

「なるようにしか、ならないな」







ジン:

「じゃあ垂水転換の話をしよう。今回の例題はレイにやって貰うから」

レイシン:

「よろしく」

シュウト:

「はぁ」


 半地下の部屋改め、オールドメンズ・ルーム――古参部屋でジンの講義が始まった。ソファに座り、隣にぴったりとくっついて座るユフィリアの頭を、左手で撫でている。そのため動けないと言いたいらしい。こちらからも言いたいことはあるのだが、垂水転換の話を聞いてしまいたいので、とりあえず黙っておくことにした。

 ちなみに、昼食後すぐ取り巻き軍団が10人ばかり辞めていった。全員が辞めそうな勢いである。


ジン:

「歩行を例に考えると、人間の動作は最低ふたつのベクトルがあるのが分かる。前進の前ベクトルと、重力に抗するための縦の上向きベクトルだな」


 レイシンがここで歩いてみせた。……まぁ、普通に歩いているだけである。


ジン:

「ここで問題にするのは、縦、垂直方向のベクトルだ。縦のベクトルが強いと、こういう動きになる」


 またもレイシンが歩いて見せる。今度は頭がぴょこぴょこと上下する動きだった。


ジン:

「当然、縦のベクトルが強くなれば、こうした軽く飛び跳ねるような動きになる訳だ。これを弾性運動と呼ぶことにする」

葵:

「だんせい運動があるなら、じょせい運動もなきゃダメじゃない?」

ジン:

「おお、除くの字でイケるな。勢いを除くで除勢運動、もしくは、単純に除く運動で除性運動って感じにできるな」

シュウト:

「それって、いま考える必要ありますか?」

ジン:

「いや、意外といい線いってるんだ。除性運動は、弾みを殺すんだよ。これは動作の発生・起こりを殺す意味に繋がるから、武術的には基本みたいなものだ。レイ、除性で歩いてみてくれ。ああ、途中で歩き方を変えて」

レイシン:

「了解」


 頭がぴょこぴょこ上下動していたが、途中からぴょこぴょこがなくなり、すーっと流れるような、弾みを殺した動きに変化していた。


ジン:

「な?」

シュウト:

「なるほど……」

ジン:

「威力的な意味では、弾性運動の方が優位だが、武術的な意味や動きでは除性運動が有利な場面が多いと感覚的に分かるだろう」

シュウト:

「ぜんぜん違う動き方ですね」

ジン:

「そうだ。弾性運動は、全身の弾性を活かすことが求められる。部分的には肋骨のスプリング化もこれに含まれる。全身のバネってのは、本来コレのことを言っていると思っていい」

葵:

「でも、垂直方向だとアッパーとかにしか、使えないっぽくない?」

ジン:

「ジャンプ類全般での応用は可能だけどな。だから、垂水転換なのさ。じゃあ、実際にやって貰おう。その場でジャンプしてみ?とりあえず10回」


 「天井に頭を打ち付けないように」と注意され、10回ジャンプしてみた。普通に上向きに飛び上がるだけ。


ジン:

「次は、1センチずつ前に移動して10回ジャンプな。終わった時、10センチ前に移動していること。レイ、頼む」


 レイシンが例題を見せ、見ても分からない程度、ほんの少しずつ前に進んでいた。


ジン:

「これが5ミリの垂水転換。ジャンプして5ミリ、着地までで5ミリ移動している訳だな。やってみろ」


 別に難しくはないのだが、1センチだけ前に飛ぶというのが逆に距離感として大変だった。〈冒険者〉の強大な筋力をコントロールする意味で難しい。


ジン:

「今のはジャンプだったが、これを小さくしていくと、歩きでもできるわけだ。弾性運動で歩くんだ。やってみろ。かけ声はバインバインだ」


 反発力などの跳ね(撥ね?)を強調し、頭をあえて上下動させながら「バイン、バイン」と歩いてみる。けっこう難しいが、まったく出来ないと言うほどでもない。


ジン:

「もっとおっぱいを揺らす感じで、バインバインとやるんだ!」

ニキータ:

「セクハラです」

ジン:

「揺れる奴は黙ってろ。本当に傷つくのは揺れない奴だ。違うか?」

ニキータ:

「そこまでわかってたら、言わなければいいでしょう?」

ジン:

「ここでこれを言わないなんて、あらゆる意味でありえない。選択肢すら表示されないね!」

ユフィリア:

「もう、ニナに意地悪ゆっちゃダ~メ」

ジン:

「こいつぅ、可愛いったらねーな(笑)」

ユフィリア:

「ウフフフ」

シュウト:

(ぐはっ、……どうしてジンさんは平気なんだ!?)


 普段と対した違いはないにも関わらず、ユフィリアの暴力的な魅力によって強烈に濃いイチャラブとなっていて、殺されそうだった。文字通りの意味でだ。


ジン:

「バインバイン歩きが出来るようになったら、そのまま戦えばいい。バインバイン戦闘だな。至極簡単にいえば、それがさっきやって見せたものだ」

シュウト:

「垂水転換って、こんな簡単なんですか?」

レイシン:

「簡単じゃないけど、出来る人は無意識に使ってたりするよね」

ジン:

「しかし、ゲームには存在しない動きでもある。移動する度、歩く度、足を入れ替える度に、垂直運動量は発生している。これをほんの僅かでも水平方向に転換できれば、それだけで圧力を掛けることが可能になる。チョクの白兵戦における前方力の決定版が、これなんだ」

シュウト:

「前方力ですか。どんな効果が?」

レイシン:

「前方力に技を乗せるだけで、威力が変わってきたりとかね」

石丸:

「重要っスね」

ジン:

「スポーツは弾性運動優位だな。技の起こりを消さなくていい場合も多いし。つま先立ちしてる競技は、少しでも速く動きたいとかもある。今のは筋力による垂水転換の話だったが、武術の達人は『体のたわみ』から垂直運動量を取り出してくる」

ニキータ:

「そうすると、どうなるんですか?」

ジン:

「知らない外国語みたいなものだ。音としては聞こえるけど、意味がとれないだろ? 聞き慣れないと発音も聞き取れないから、音の認識自体が曖昧になってしまう。……こういう作用が武術的に発生するわけだ。自分の中に無い運動構造は、認識できない。当然、対処も反応もできない」

シュウト:

「外国語みたいに、ですか。その場合、どうすれば……?」

ジン:

「数ミリの転換であっても、一方的に狩られちまう。体で分からないものは、頭でも反応できないんだ。だから、なるべく近い感覚を経験させておくしかない」

葵:

「ジンぷーと戦って覚えるしかないってこと?」

ジン:

「ちゃうちゃう。自分でやって覚えるしかないんだよ。バインバイン歩きとバインバイン戦闘だって。外からの刺激はスルーし易いからな。自分の中に運動構造があるかどうかが、本質的な問題なんだよ」


 一通り説明を終えた感じなので、次に重要な話題を切り出すことにする。


シュウト:

「ところで、そのぉ」

ジン:

「なんだ」

シュウト:

「ユフィリアさんは、一体どうしちゃったんでしょう」

ジン:

「さぁ? ウサギパワーかな?」

ユフィリア:

「わかんない」


 ジンの体にほほをすり付けている。そんな動作を見ているだけで、焦るような気分が沸き起こってくる。直ぐにでも走って逃げたかった。


ニキータ:

「なんとか出来ませんか?」

ジン:

「可愛いし、いいじゃん。なんの問題もない」

シュウト:

「そんな、みんな辞めちゃいますよ?」

ジン:

「去る者は追わずだ。しかし、入会金でもとっとけば良かったな?」

葵:

「かなり儲かったろうしね。失敗したね。食事代ぐらいにはなったかも」

シュウト:

「いや、そういう話じゃないですから!」

ジン:

「じゃあ、どういう話なんだ?」

シュウト:

「…………」


 ジンからユフィリアを説得して欲しかったのだが、無視された。

 この後の夕食でも2人のラブラブ風景は続いた。ユフィリアはジンのことだけを見ていて、自分が相手にされないと分かった者達は去っていった。



シュウト:

「人がたくさん入ったのは良かったんだけど、なんか上手くいかなくて」

ユーノ:

「そうなんだ?」


 夕食の後、ユーノに誘われたのをいいことに、飲みに出てきてしまった。ギルドは前日までと逆の意味でメチャクチャになっていた。失恋の阿鼻叫喚を見ていられなかったし、ジンやユフィリアに面と向かって言えない文句や罵声を、こっちに浴びせられるのなんてお断りしたかったのだ。


 ユーノとの会話は楽しくて、ついつい愚痴めいたことも話したくなってしまう。


シュウト:

「戦闘訓練とかも、なんで嫌がるのか分からなくて。僕が戦闘狂なのかもしれないけど」

ユーノ:

「鬼教官だ?」

シュウト:

「ぜんぜんそんなこと、ないと思うんだけど」

ユーノ:

「自覚がないってこわーい。みんな陰で怯えてたり? 柱の陰に隠れてたりしない?」

シュウト:

「そんなのないって。甘いって思われてると思う」

ユーノ:

「ウフフ。舐めてみたら甘いかな?」

シュウト:

「……塩分なら利いてるかも」

ユーノ:

「アハハハ! それじゃあ、砂糖に、ハチミツ、メープルシロップを用意しなくっちゃ!」


 ユーノは楽しそうによく笑う。それでこちらの気分まで楽しくなってくる。


ユーノ:

「ごめんなさい。笑いすぎて涙でてきちゃった」

シュウト:

「泣くほど面白かった?」

ユーノ:

「うん、すっごく。だけど、変だね。戦闘ギルドなのに、戦闘訓練を嫌がる人がたくさん入って来ちゃうなんて」

シュウト:

「えっ?」

ユーノ:

「どうかした?」


 どうも自分は、もの凄く単純で、基本的なことに気が付いて居なかったらしい。〈カトレヤ〉はドラゴン戦特化の戦闘ギルドだったのだ。それなのに、戦闘ギルドだと説明した覚えがない。だから、ユフィリアのファンクラブみたいになってしまったのだ。そー太やサイ、静達も同様だ。ギルドに入れる前に、戦闘ギルドだってことを伝えておくべきだった。


シュウト:

(目的、全ては『目的』だったのか……!)


 ウヅキの言いたかったことがようやく理解できた。戦闘ギルドなのだから、不向きな人材と組むことなんてあり得ないことだ。目的の違う人たちには、入会をご遠慮願うのが当たり前の姿である。全員に戦えと言うつもりはないが、それならフォローやサポートに入って貰わなければならない。戦闘訓練だってするのが当たり前なのだ。逆にいえば、戦闘ギルドではないと思っているのなら、毎日の戦闘訓練なんて嫌がられても当然かもしれない。


ユーノ:

「ボク、何か変なこと言っちゃった?」

シュウト:

「いいや、凄くためになったから。来て良かったなって思って」

ユーノ:

「そう? やっぱりボクから敏腕記者の凄み、みたいなのがにじみ出ちゃったかなー」ちらっちらっ

シュウト:

「それは、ちょっとないかな?」

ユーノ:

「ひどーい! シュウトくん、ひどーい!」

シュウト:

「くくくく」

ユーノ:

「あはははは!」



シュウト:

(伝えなきゃ、いけないことが、ある!)


 ギルドへの帰り道、深夜にもかかわらず、僕の心には希望の灯りがあった。世界は、明るく感じられていた。

 


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