110 ソウルリバイブ!
――1週間前。ユフィリアとニキータ、2人きりの会話。
ユフィリア:
「話って、なぁに?」
ニキータ:
「その、あんな事があった訳だけど、……平気?」
ユフィリア:
「うーん。……大丈夫、かな?」
口元は笑っているが、目は面白そうに見開かれていた。誤魔化そうとしている風にみえる。だがユフィリアの内面はかなり分かりにくい。『裏があるのでは?』とか『内心では違うのではないか』などと勘ぐっていると、疑心暗鬼に陥ってしまうのだ。
『悪口を言う人間は最低だ』『性格が悪い』と言っておきながら、悪口の一つも言わないのならば、今度は逆に『友達なのに隠し事をされている』『いい子ぶってる』などと批判してしまう。それが、普通だ。人間は矛盾しているし、状況が変われば、意見も変化するのが自然なことだ。
しかし、自分の『性格の悪さ』を基準に他人を判断していると、この子のことは勘違いしてしまう。実際に性格の良い人間は、いちいち人の悪口などは言わない。単に、言う必要がないからだ。だから、性格の良い子と付き合うには、自分も性格が良くなければならないか、もしくは心得が必要になるのだ。
ニキータ:
「イヤじゃなかったの?」
ユフィリア:
「ニナもでしょ。イヤじゃなかった?」
ニキータ:
「質問に質問で返して誤魔化さないで」
ユフィリア:
「えー? イヤっていうか、……気持ち良かった、です」
流石に顔を赤くしているので、本心のように見える。衝撃発言にこちらの顔まで熱っぽさを感じてしまう。
ニキータ:
「そうなの?」
ユフィリア:
「ニナは? 気持ち良くなかった?」
ニキータ:
「それは……。まぁ、そうかも」
ジンに触られたことは、実は良く覚えていなかった。覚えているのは、直接に脳をいじくりまわされるような感覚だけ。快感というよりは拷問に近い。いつの間にか気絶していて、起きてから事件のことを知らされた形だった。
ニキータ:
「私が気絶した後のこともあるでしょう?」
ユフィリア:
「うん、あるよねぇ」
ニキータ:
「どうだったの?」
ユフィリア:
「えっと、それは……」
ニキータ:
「何か、言いにくいことをされた?」ずずい
ユフィリア:
「私を乗せたまま、ソファごとぴょーんって飛んだりしたんだよ。ちょっと面白かったなーって」
ニキータ:
「どういうこと?」
ユフィリア:
「だって、飛んだんだよ。凄くない?」
ニキータ:
「それは凄いかもしれないけど、セクハラされてたんでしょう?」
ユフィリア:
「ジンさん酔ってたし。それは仕方ない部分もあるかなって」
ニキータ:
「『仕方ない』なんて言っちゃダメよ。被害者なんだから」
ユフィリア:
「でも、お酒飲ませたの私だし?」
ニキータ:
「お酒を飲んだら、セクハラしても、されてもいいの?」
葵の説教のセリフがよみがえり、憤慨していた。
ユフィリア:
「ええっと、なんだか私がジンさんの味方みたいになってるんだけど。……ニナが、セクハラされたのがイヤだったんじゃないの?」
ハッとさせられる。こちらが議論をふっかけることで、ジンを養護する立場をユフィリアに押しつけてしまっていた。単に『イヤだった』『セクハラだった』と同意して欲しかっただけなのだ。悪口を彼女の口から聞きたかったのだろう。ジンを悪者にして、仲間になって盛り上がりたかったのだ。
これらのどこまでが、自分の内面の問題なのかは、直ぐにはわからなかった。
ユフィリア:
「イヤだった?」
ニキータ:
「……貴方を、護れなかった」
ユフィリア:
「ううん。ニナは、護ってくれたよ」
ニキータ:
「それは、違う」
ユフィリア:
「ジンさんは、なんだろう、乱暴じゃなかったし、えっちだったけど、怖くはなかった。だからかな? あんまりイヤかどうかって考えなかった」
考えなかった、が彼女にとっての本心、本音なのだろう。セクハラされたら嫌だと思わなければ『ならない』というような、固定観念に縛られてはいないのだろう。考えが足りないとも思うし、彼女らしいとも思う。
しかし、セクハラされて嫌だと思わない条件は、一般的に考えればひとつだけだ。
ニキータ:
「ジンさんが、好きなの?」
ユフィリア:
「んー、……わかんない(笑)」
今度こそ、回答を拒否されたと感じた。いや、どちらかと言えば、考えること自体を避けているように思えた。意識的か、無意識的か、ともかくユフィリアは、この件に関しては『考えないようにしている』らしい。
ユフィリア:
「珍しいね、ニナがこういう話するの」
ニキータ:
「そうね、そうかも」
ユフィリア:
「恋バナとか、苦手でしょう?」
ニキータ:
「私は理想が高いのよ」
ユフィリア:
「それは、私もだよ」
◆
静:
「隊長、いそがしいって~」
サイ:
「ね、あの人……」
古参の〈守護戦士〉の人――ジンが、何やら作業をしていた。板に文字を書こうとしているのだが、あまり上手く行っていない感じに見えた。
ジン:
「うーむ、生産職じゃなきゃダメか……」
サイ:
「あの、お手伝いしましょうか?」
静:
「ちょいちょい、なに言ってんの」
ジン:
「ワリィな。看板を作りたいんだが、誰か文字を書ける奴いねぇか?」
サイ:
「文字って、綺麗な字ですか?」
ジン:
「いや、書いてあればいい。アイテム作成だな。メモなら書けても、板に書くとなると、……この通り」
書いてあった文字がうっすらと消えていく。自動洗浄機能が働き、看板作りを拒んでいるように見えた。特定の生産職でなければ、簡単なものであっても作れないことはしょっちゅうだった。
静:
「あー、サブ職ですね。あたし〈筆写師〉なんで、書きましょっか? 文字は何て?」
ジン:
「おお、助かる。文字は『オールドメンズ・ルーム』 下に、『新参お断り』って」
サイ:
「カタカナ? アルファベット?」
ジン:
「アルファベットのがカッチョいいだろ」
静:
「Old men’s ……ルームって、エルだっけ、アールだっけ?」
サイ:
「R」
静:
「Room っと。……老人部屋っすか?」
ジン:
「大人部屋とか、古参部屋ぐらいのつもりだな。大人だからってアダルトルームにするとエッチな部屋っぽくなるだろ? しかし、シニアルームだと白髪の老人部屋っぽくなるからな。ちなみに昔のバスケマンガが元ネタでスリーメンズ・フープからモジっている」←渋谷ネタ
静:
「新~、参、お、断~、り……っと。完成~! これでいいですか?」
ジン:
「助かったぜ。ふむ、適当に書いてるように見えたけど、味のある字だな」
静:
「いやいや、ぜんぜん、てきとーですよ」
ジン:
「フムン。……ともかく、ありがとうな」
静:
「いえいえ~」
ジンという人は去って行った。
静が文字を書くことで誰かの役に立とうとしたのが意外だった。ちょっとした看板作りを楽しんでいるように見えたので、それで十分な気がした。
サイ:
「……そろそろ、行く?」
静:
「うん。いこっか!」
◆
そー太:
「あの、新しく入りました、そー太っていいます」
ユフィリア:
「私はユフィリアだよ、よろしくね?」
ニキータ:
「ニキータよ。よろしく」
そー太:
「よろしくお願いします!」
この時の私たちは、そー太という青年が、悪気のないトラブルを引き起こしているとは知らずにいた。挨拶をされたので、礼儀正しい青年だとばかり思ったのだ。
そー太:
「オレ、シュウト隊長の弟子になるんです!」
ユフィリア:
「そうなんだ。がんばってね!」
そー太:
「はい。あの、これをどうぞ」
ニキータ:
「いい匂いがするわね。食べ物?」
そー太:
「オススメの串焼きを買ってきました」
ユフィリア:
「ありがと! いただきまーす」
串に刺された肉にかぶりつく。後で食べてもいいのだが、貰ってすぐ食べる方が好ましいのは言うまでもない。
そー太:
「だけど、さっすが隊長だな。こんな美人のカノジョさんがいるなんて」
おべっかを使ったというよりは、本心がストレートに出たもののようだった。大いなる誤解が含まれていたが、肉を噛んでいる最中なので反論するのが遅れた。
ユフィリア:
「私、シュウトと付き合ったりしてないよ?」
そー太:
「……あれ、そうなんスか? オレはてっきりそうだとばかり。あっちゃー、まいったな」
シュウトの恋人だと勘違いしたため、挨拶のために串焼きを買ってきてしまったらしい。ちょっとした勘違いだったが、それも可愛らしく思えた。……この時点では。
ニキータ:
「ところで、これって何のお肉?」
ユフィリア:
「鶏肉かな? ちょっと豚肉みたいな感じもするね」
そー太:
「これ、ウサギ肉なんです。こっち来て初めてくったけど、結構イケると思いませんか?」にこにこ
飲み下したところでウサギの肉だと聞かされる。ユフィリアと2人、ピキッと固まった。こんな不意打ちは想定外である。
ユフィリア:
「〈ソウルリバイブ〉!(涙)」
そー太:
「串焼きに蘇生魔法!?」
魔力の波動が高まり、串焼きの入った袋の周囲に魔法陣が形成される。神聖な気配が濃くなったが、やはり何も起こらなかった。
ニキータ:
「……残念だけど、串焼きから蘇生しなおすとは思えない」
ユフィリア:
「だって、ウサちゃんなんでしょ? 可哀想だよ!」
そー太:
「なんか、マズったみたいな……」
ニキータ:
「ユフィ、可哀想だけど」
ユフィリア:
「やだぁ、あんな可愛いのに!」
そうしてユフィリアは、少し考えてから、涙を流しながら口を付けた串を最後まで食べきり、「ごちそうさまでした」と手を合わせて感謝を示した。それが終わると袋に入っていた残りの串を持って「大神殿に行ってくる」と歩いて行った。大神殿は死したものを弔うための場所ではない気もしたが、そこが一番ふさわしいと思ったのだろう。
夕飯時も、このそー太によるイベントは続いた。
ユフィリア不在のため、食堂はお通夜かと思うような静けさだった。このために、咀嚼音が離れた席からも丸聞こえになっている。馬鹿笑いをしながら、『クッチャクッチャ』と口を半開きにして食べる態度にイライラさせられる。周囲の者たちも注意しようとはしていない。特にシュウトが何も言わずにいるのが、腹立たしくなってきていた。
ジン:
「やれやれ……」
面倒そうに立ち上がったジンが、そー太の後ろまで来ると、ひょいとイスごと彼を持ち上げた。
そー太:
「なっ? なんだ?」
そのまま、窓に向かってかなりの速度で投げつける。窓は破壊され、イスごと2階から落ちていくそー太だった。食事していた全員が唖然として沈黙。
間もなく走ってくる音がして、食堂の扉を叩きつけるように開いて、そー太が戻ってきた。窓から飛び出した時にガラスが刺さったようで、血を滲ませていた。しかし〈冒険者〉の体では2階から落とされた程度では問題はなく、ピンピンしている。
そー太:
「なにしやがんだ、この野郎!」
ジン:
「シュウト! 立て」
シュウト:
「はい」
ジンは、そー太を無視した。そー太は、シュウトが怒られそうになったことで怯んでいた。
ジン:
「この馬鹿が。なんでおまえは注意してやんねぇんだよ」
シュウト:
「はい、すみません」
そー太:
「なんで隊長に文句言ってんだよ! 文句があったらオレに直接言えばいいだろ! 文句も言わないで、なんでブン投げられなきゃいけないんだ!」
ジン:
「お前がこのクチャラーの面倒みなきゃ、誰がみるんだ、え?」
そー太:
「無視してんじゃねぇ!」
シュウト:
「そー太、止めるんだ!」
そー太:
「だって隊長! コイツ、ふざけすぎだろ!?」
シュウト:
「ここはいいから、とりあえず、イスを拾って来てくれないか?」
そー太:
「だけどさ!」
シュウト:
「そー太! ……お願いだから、頼むよ」
そー太:
「……わぁったよ。……なんなんだよ、クソッ」
辛そうに笑うシュウトの懇願を受けて、ようやくそー太が食堂から出て行った。それを待ってから、ジンはシュウトに対する説教を始めた。歩いていく音は聞こえない。そー太はドアの所に立って聞いているのだろう。ジンだってミニマップが使えるのだから、そこに立っているのは分かっているはずだ。
ジン:
「言っただろう。お前の所に来ている人間なんだから、お前に任せるって。それをどうして俺が注意しなきゃならない? お前は何で仕事をしないんだ」
シュウト:
「すみませんでした」
ジン:
「どうして注意しなかった? 注意したら嫌われるからか? 嫌われるのが怖いのか? 何も言わなければ仲良くできるってか? それが仲が良いってことなのか? 誰かが代わりに注意してくれるとでも? 嫌なことは全部、人任せか? 俺が全部、代わりにやるのを期待してんのか?」
シュウト:
「それは……」
正直、注意する前に窓から叩き出したのは良くないと思うが、シュウトが注意しなかったことが問題という部分には、同意せざるを得ない。
ジン:
「(ため息)いいか、シュウト。ルールが必要なのは弱いってことだ。いちいちルールがなきゃ『ちゃんとできない』って意味だからだ。強ければルールなどは必要ない。弱いから、ルールが『必要になる』んだ」
シュウト:
「…………」
ジン:
「食事のマナーなんて、俺はど~だっていい。ルールもマナーも、所詮は『他人が決めたもの』でしかないからだ。正しいマナーだなんて、国、宗教、性別、その他あらゆる理由で変化する程度のものだよ。周囲を不快にしない程度に、ちょこっと合わせるぐらいすんのが当たり前だろ。……それがどうだ? 好き放題にやらせて、自分だけ良ければ後は無視して。なんでちゃんとやらない、やらせない。こうまで弱いなら仕方なくなっちまうんだよ。ちゃんとできないなら、ルールを作るしかない。ここでルールを作ってやるから、それを守らせろ。 クチャラーはダメだ。俺のメシが不味くなるような行為は、何があろうとここでは絶対に許さない。今後は、身内だろうが、客だろうが関係ないぞ。クチャクチャやってたら『あの窓』から投げ捨てるから、そう思え!」
そー太を投げ捨てた窓をさして、このルールは絶対だと宣言していた。しかし、自分のメシが不味くなる行為は許さないというのは、あまりにもメチャクチャで、しかし一番納得できる理由でもあった。
葵:
「それと、立て膝もナシだかんね。イスに立て膝なんて、韓国人ですらやらないっつーの」
ジン:
「このルールに文句のある奴は、出て行かせろ。意見を聞く必要はない。即座に叩き出すんだ。……分かったな?」
シュウト:
「わかりました」
私は、そー太に感謝したいほどだった。なによりもジンを動かしたことがすばらしい。ジンが動けば、秩序は回復する。姿勢の悪かった者たちも、一時的にせよ、ピシッとしていた。
サカイ:
「ちょっと待って欲しい」
取り巻き軍団の希望の星、サカイが反論のために立ち上がる。周囲の期待に押し出される形で仕方なく、といった具合だ。
サカイ:
「そんなルールの決め方はないだろう、あまりにも一方的過ぎる」
ジン:
「それが? 一方的で何が悪い」
サカイ:
「はぁ?」
ジン:
「嫌なら出て行く権利は保証されている。一方的にルールを決めて、押しつけて、それの何が悪い?」
サカイ:
「それは……」
明快なほど明快な強者の論理。ジンの一方的な言葉にゾクゾクしてしまう。『ここは私たちのギルドだ』という思いを強くする。
ビリオンマン:
「そんなの、ブラックギルドだろ!」
葵:
「ぶはははは! いいね! ブラックギルド。最高じゃん!」
ジン:
「そういうことだ。別に、お前たちが居なくても困らないぞ。出て行きたくなったら、どうぞご自由に」
ギルドのルールを好き勝手にすれば、ある種のデメリットを受ける。その大半は、ギルドメンバーを失うといったものになる。評判が悪くなれば、新規参入者も減ることになるだろう。それはそのままレイドコンテンツへの挑戦権を失うなどを意味し、ゲームを十全に楽しむ権利を喪失することに繋がる。
ここは会社でもなければ、学校でもない。現実であれば、法に背くルールの設定・強要で罰せられる可能性もあるだろう。しかし、この世界では規制する法のようなものはない。〈円卓会議〉の決めるガイドラインであっても、退会の自由を保証し、理不尽な拘束や監禁を禁じているぐらいのものだ。つまり、ギルドは一方的なルール設定を禁じていない。嫌なら出て行けばいいだけだからだ。
サカイ達は、縮こまるように黙ってしまった。出て行けといわれるのが恐ろしいからだろう。
ニキータ:
(シュウトは、どういう気持ちかしら?)
怒られたことを反省はしているだろう。しかし、喜んでいるのではないかと思えた。ジンが全て悪いと憤慨し、ジンでなければダメだと嘆く。ジンに怒られてうれしいという気持ちもきっとあるだろう。たとえば、かまって欲しくて、わざと失敗するタイプの子がいるように、だ。褒めて伸ばすべき理由のひとつは、『失敗したらかまってもらえる』というマイナスの学習をさせないためなのだから。
リーダーに対するどうしようもないほどの依存心。それをジン本人は崩そうとしてみえる。今回のこうした放置は、自分たちに学ばせるためなのだろう。
ニキータ:
(でも、それだけかしら……?)
果たして、自分が考えるような理由だけだろうか。どうやら、私はどうかしていたらしい。自分の感情に流され、客観的に状況が見えていなかったと思い至る。
ニキータ:
(もし、増員に別の目的があるとしたら、何?)
増員などすれば、不穏分子が紛れ込むのを手助けするだけなのだ。たとえば、シュウトのレベルアップの秘密を探ろうと思えばどうだろう。効率の良い狩り場を知るために、誰かが入り込んでいないとも限らない。秘密を暴露したいならともかく、隠すつもりなら、増員に意味などはない。行動が矛盾していることになる。
ニキータ:
(……まさか)
唐突に、一つの可能性に行き着く。あまりにも大胆な発想だった。『だから』彼ららしいと思ってしまう。ジンだけならともかく、葵の性格を考えたら、やりかねないことだと思った。
ニキータ:
(私にできることがあるとしたら、……気が付いていないフリをすることだけね)
確信を得たなら、その時は話て貰えるかもしれないし、自然に振る舞わせたければ、警告しないかもしれない。知っていて、知らないように振る舞うこと。難しいが、やってみせようとも思った。
◆
白いローブのようなゆったりとした服に着替える。普段は黒い〈暗殺者〉の装備を身につけているので、公式な場にでる時に使うようにと選んでもらった礼服のようなものだった。レベル91に上がった後に買ったため、これまで着る機会もなかった。まさかこんな事で着ることになるとは思ってもみなかった。
半地下の部屋の前で深呼吸する。部屋の前には見慣れない看板が立てかけられていた。『オールドメンズ・ルーム――新参お断り』
シュウト:
(いこう)
扉を開けて、中へ。夕食を抜かしたユフィリアも含め、シブヤからのメンバーは全員が揃っていた。毛布をかぶってウヅキも来ている。
葵:
「おっ、シュウ君、なんか格好が違うじゃん」
さっきまで怒っていたのに、普段と変わらない態度だった。しかし、やり切らなければと思う。
床に膝を付き、謝罪の言葉を述べる。
シュウト:
「この度は、申し訳ございませんでした」
そのまま頭を下げた。人生で初めての土下座だった。
ジン:
「なに謝ってんだよ、頭を上げろ」
シュウト:
「ですが……」
悲しさのような、悔しさのような感情が胸を突き上げる。繰り返された過ちに、後悔が重くのし掛かる。大切なものが壊れようとしていた。それを見てるばかりの自分に腹が立ち、情けなくなり、申し訳なさで謝らずにはいられなかった。大切な場所、大切な人達、それを無惨に壊そうとしている状況と、それを招いた自分。
自分の嗚咽の声を聞いた。泣いている事を、知った。
葵:
「あー、ジンぷーが泣かせた~」
ジン:
「俺じゃねーよ。むしろお前だろ?」
ユフィリア:
「もう~、誰だっていいでしょ」
泣いているから頭を上げられず、心の冷静な部分は、最近よく泣いているなぁ、と考えていた。涙と鼻水が出ていて、口で呼吸しなければならない。喉がゴロゴロする感じで呼吸もつらく、泣いているのはどこか楽だった。
ユフィリア:
「なんだか、シブヤに帰りたくなっちゃったな。向こうにいた時って、もっと楽しかったのに」
ニキータ:
「ユフィ……」
ユフィリアが決して言いそうにない、レア度最大級の後ろ向き発言だった。バラバラになっていく仲間たちの心。白けた空気に染まってしまうまでそう長くは掛からないだろう。
葵:
「ジンぷー、そろそろ助けちゃれば?」
ジン:
「……なんぞ勘違いをしているようだな。俺はどう助ければいいのかワカランでいるのだが」
葵:
「ん? ……どゆこと?」
ジン:
「最初に言っておいたと思うが、ギルドは1人のものじゃない。今回のメンバーの増員は、お前たちの望みだろ? 言ってしまえばお前らのワガママなわけだ。それに対して、俺は受け入れたわけだな」
ニキータ:
「ですが、ジンさんが動けば、秩序が回復すると思うのですが?」
ジン:
「秩序の回復が次の目的なら別にそれでもいい。けど、俺が出るのは本来、愚策だぞ。弱い敵を強くして対処するのは趣味じゃない。雑魚の集団は分断してナンボだ。そもそも『敵じゃない』のが問題だっつーのに。その手の問題は俺が出て行ってどうにかできるとは限らん。それに何より、どうしたいのか?が分からなきゃ、どうしようもないだろ」
ユフィリア:
「んーと、どういう意味? もう一回説明して?」
ジン:
「だからー、今、何人ぐらいだ?」
シュウト:
「60人ぐらいです」
ジン:
「そのぐらいなら、俺1人でも全員倒せるだろ。しかし、〈冒険者〉は死なないから、復活して、戻って居座られれば意味などはない。やるなら、『俺が勝ったら出て行け』とかの約束やら賭やらを成立させなきゃならん。そういう準備っつーか、手間がいるわけだ」
ウヅキ:
「おいおい、マジで勝てるってのかよ!?」
ジン:
「まぁ、そこはどうでもいい。お前らはなまじ俺の強さを知ってる分、思い込みが激しくなってんじゃねーの? 強さは、相対的なもんだし、一要素に過ぎないんだよ。勝てる状況でだけ勝てるってだけだ」
ニキータ:
「それはそれで、十分に凄いことですけどね」
ジン:
「だが、それだけのことだ。今回のケースは、殺しただけでは決着がつかないんだから、俺が無敵だから巧くいく状況じゃない。しかも、俺が強いと分かれば、連中は結束を強める結果になるかもわからん。これは『医龍』なんかのパターンだな」
葵:
「まぁ、そうなるわな」
ジン:
「その場合、連中は協力して俺を追い出す方法を探し始めるかもしれない。どんな手を使ってくるか分からないが、戦闘以外での俺の能力なんてたかがしれているから、足下をすくわれたり、厄介なことにならないとも限らない」
石丸:
「結束させないように立ち回る方が、対処しやすいわけっスね」
僕が相手をしていたため、彼らは彼ら同士でいがみ合い、混乱しているのかもしれない。彼らが機能していないのは、いい意味でも、悪い意味でも、僕が弱かったからだと言えそうだった。自分がもっと強引で押しつけがましい性格だったら、彼らはもっと組織的に、狡賢く抵抗していた可能性もあるということだ。
ユフィリア:
「そっかー」
ジン:
「まだ待て。……そもそも、お前らはどうしたかったんだ? ユフィはアレだろ? 男をはべらしてチヤホヤされたかったんだろ?」
ユフィリア:
「どうして? ぜんぜんそんなこと、思ってないけど」きょとん
ジン:
「しかし、現状はそうなっている。チヤホヤされて嬉しかったか? そろそろ満足したか?」
ユフィリア:
「そんなこと、望んでないってば!」
ジン:
「どうだかね~(ニヤニヤ)……シュウト、お前もだぞ。お前は何を望んで増員したんだ? それをハッキリさせないと、こっちはどうヘルプすりゃいいのかもさっぱりだぞ。今さっきまで泣いていたから『なんか困っている』のは理解できるが、何を、どう、困ってんだ?」
シュウト:
「何を、どう……?」
ジンの考えが分からなかったのは、自分の考えが決まっていなかったからなのだ。言わんとすることを整理すれば、『増員の目的は何か?』『現状の問題点は何か?』『どういう形でヘルプして欲しいのか?』と言った話になりそうだった。
しかし、僕は何も考えていなかった。静に「入れてくれ」と頼まれたから入れただけ。つまり、『増員したかっただけ』なのだろう。その結果、ギルドに混乱をもたらしてしまったとしても、当初の目的である『増員したかっただけ』という意味では成功していることになってしまう。
次に混乱が問題――ニキータの言い方に倣えば『秩序の回復』が必要――だとしたらどうだか。この問題はジンの能力の範疇を超えてしまっている気がした。ギルド内部の秩序は個々人の心がけの問題で、それらは一方的なルール設定や恫喝などで強要できるものとは思えないからだ。ジンのお出ましを願った場合、反抗勢力として一致団結するという意味での秩序ある状態に戻せるかもしれないが、それは僕自身が求める形かどうか?という問題に戻ってきてしまう気がした。
ユフィリア:
「じゃあ、私たちってワガママしていいの?」
ジン:
「おー、おー、これまでもは違ったとでも?」
ユフィリア:
「……私、ワガママだったかな?」
ニキータ:
「いいえ、ユフィは良い子だったわ」
ユフィリア:
「えへ」
ジン:
「言ってろ。……考えは纏まったか?」
シュウト:
「もう少し、考えさせてください。それと、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
葵:
「だいじょびだいじょび。あたしは、ちょっちショックだったけど」
ジン:
「EXPポッドだな。これからは節約しないとだな」
シュウト:
「本当に、すみませんでした」
葵:
「たった金貨5万枚とも思ったけど、1個500ならそこまで悪い値段でもないんだよねぇ~。元手は掛かってないし、どのみち1個1500じゃ誰も買わないっしょ。1個か2個ならともかく、100個だと1000枚でだって厳しいよね」
ジン:
「そうだろうな。売る前提で考えれば、だが」
葵:
「今回の分はあたしのお小遣いにするからチャラってことでいいっしょ。そだ! 今度からジンぷーには1個500で売ることにしよう!」
ジン:
「じゃあ使わねーよ、バーカ!」
葵:
「だれがバカだ、このトンチキ!」がるるる
シュウト:
「本当に、すみませんでした」
ジン:
「俺は特にご迷惑されてないし」
シュウト:
「えっ? あの、掃除してたじゃないですか」
ジン:
「おう、久しぶりにな。掃除は別にいいんだけど、寝てたのを起こされたのはちょいムカッとしたから、新参出入り禁止の看板を作っておいたぜ」
シュウト:
「ですから、その起こした張本人が、そー太なんです」
ジン:
「ふーん」
葵:
「だから、さっき投げ捨てたクチャラーの子だってば」
ジン:
「え゛っ!? ……そうなの?」
シュウト:
「気がついて、なかったんですか?」
ジン:
「寝起きだし、相手の顔なんかロクに見ちゃいないって。ちょっとまて、その場合、掃除させられた恨みを晴らすために、窓から投げ捨てた風に見えるんじゃ……。ぐはぁ、かっちょわりいいいぃぃぃ(喀血)」
葵:
「自爆してやんの」
ニキータ:
「思わぬ方向で大ダメージですね」
ジンからすれば1/60ぐらいの確率なので、同一人物とは思わなかったのだろう。知っていたらもう少し違う態度を取ったのだろう。
ユフィリア:
「……いい感じに許してもらってるみたいだけど、私はうさぎのお肉を知らないで食べちゃったんだからね」
シュウト:
「うぇ!?」
葵:
「そうなん?」
ジン:
「マジか!?」
ニキータ:
「そー太くんが、差し入れてくれたお肉が、ね」
シュウト:
「そー太ぁ……」
喧嘩を売ってはいけないところばかり狙って、ピンポイントで仕掛けているのはなぜなのか。本当にどうすればいいのか分からない。
ユフィリア:
「あんなに可愛いのに、食べられちゃったなんて、しかも私が食べちゃったなんて……」
ジン:
「あー、じゃあアレだな。そのウサちゃんの分まで強く生きないとな?」
ユフィリア:
「……うん。分かってるんだけど」
ジン:
「あんな可愛いのを食べたんなら、これからはもっと可愛くなっちゃうな。ウサギパワーとかで」
ユフィリア:
「ウサギパワー?」
後から考えれば、これが直接の切っ掛けだったのかもしれない。ウサギを食べてしまったユフィリアは、翌朝、部屋から出てこなかった。