011 新しい日々
結論から先に言えば、僕らが行なったミナミへの遠征は失敗に終わった。
◆
サファギン退治を終えて帰還呪文でアキバへ、そのままシブヤの奥まった場所にある〈カトレヤ〉のギルドホームに戻った時には、既に21時も過ぎてしまっていた。二日ぶりでしかないはずなのに、もう1週間も経ったような気がする。それだけ濃い経験をしたということなのかもしれない。
レイシン:
「ただいま~」
ドアを開いたレイシンが声を掛けている。返事はなく、代わりにドシン・バタンと云った物音が中から聞こえた。久しぶりの出番に葵が緊張し、慌てたために盛大にコケたのだろうか?などと思ってしまう。戻る前に念話で報告しているだろうことを思うと、なぜ慌てているのか分からない。
奥へと入って行く。すると、光の精霊に照らされたままの室内で、一番目立つあたりの床に、うつ伏せに倒れたままの葵が何故か動かずにいた。どうやら死んだフリをしているらしい。召喚術が起動したままという杜撰さはどうにもならないし、一方で床にはご丁寧にも赤い液体までもが広がり…………というか、アレは一体、誰が掃除することになるのだろう?と余計なことが気になってしまう。
無言のまま、ジンとレイシンが(お前が行けよ)(無理、無理)(夫婦だろうが!)などとやり取りをしている。結局は、ジンがどうにも仕方がない風に口を開いた。
ジン:
「ち、血だ!……クソッ! 犯人はまだこの建物の中に居るに違いない」
海外ドラマの主人公風に悪態をつき、犯人を捜すためか、奥へ向かってズンズンと進んでいく。そうして葵の遺体(?)を跨ごうともせず、そのまま踏みつけた。
葵:
「ぐえーっ。そうきやがったか、……がくり」
間違っても『踏み潰される蛙の声』なんて聞いたことはないのだが、ともかく、葵はそんな感じの断末魔の声をあげていた。
◆
シュウト:
「で、この赤い液体は何なんです?」ごしごし
葵:
「かほりで分からないかなぁ? 赤ワインに決まってんじゃ~ん」
カウンターの定位置に戻り、普段着にしている魔術師のローブをワインで汚したままの葵が偉そうに発言した。メニュー作成による安物ワインにロクな香りなどあるはずも無く、(そんなのわかるか!)と僕はやさぐれ気分全開だった。予想通りにモップで床の後片付けをさせられている。
葵:
「そんで? そんで? ……今週のオマケメカは? ポチっとな?」
ジン:
「日本語で喋れ。お宝の話だったら、もうちょっと待ってろよ。デカいオマケがあるからな」
葵:
「むむっ、ダーリンが作ってる料理に何やら秘密の気配が?」
そう言って首を伸ばし、厨房の作業を覗き見ようとするのだが、奥の部屋なので葵の座るカウンターからは見えない。見えないのは、たぶん本人が一番分かっているはずだ。
葵:
「くっそー、てめーら、タバカりやがったな!」
ジン:
「…………お前は一体、何なんだ」
葵:
「モチ、天才美少女っスぅー」
ジン:
「よし、分かった。……シュウト、代わってくれ」
シュウト:
「掃除で忙しいので、スミマセン」
葵:
「そーっしょ、そーっしょ? シュウ君はアタシの味方だもんねー?」
ジン:
「やれやれ…………おっと、来たな」
一人で暇だったせいかエネルギー全開で喋りまくる葵に、相手する側が疲れつつある。ジンの言うように、ここでドアの方から人の気配がした。
石丸:
「どうも、お邪魔させて頂くっス」
葵:
「おぅ、その声は石丸くんっスね! 入れ、入れ!」
カモを手薬煉を引いて呼び込む野獣(狐尾族、召喚術師、女、Lv23、ロリ)の姿に恐れおのの僕を余所に、平気そうにヒョコヒョコと石丸が入って来てしまった。
挨拶もそこそこに、妙に背後を気にしている石丸だったが、サッと場所を譲っていた。タイミングよく飛び込んでくる人影がひとつ。
ユフィリア:
「来ちゃった。……私、アナタのことがどうしても忘れられなくて……。だって、このお腹には……っ!」
シュウト:
(な、何やってんだ、コイツ?!)
ユフィリアだ。芝居っ気ギンギンにハンカチを握りしめ、いつの時代のメロドラマかと思うような台詞を演じている。「貴方なしじゃ生きていけないの、オロロン」などと言い、壁にもたれたままズルズルと崩れ落ちる。嘘泣きで哀愁を表現していた。恐るるべきノリの良さである。
葵:
「おっ、おっ、女の子たーーーー!!!」(非濁音)
椅子の上に立ち上がった葵が感涙に咽び、泣かずに叫んだ。 ジンは爆笑し、腹をよじらせて笑っていた。
ユフィリア:
「改めまして! ユフィリアですっ♪」
ニキータ:
「……ニキータです」
石丸:
「石丸っス!」
ユフィリア:
「3人ともども!」
ユフィリア&ニキータ&石丸:
「「よろしくお願いしまーす(っス)!!」」
葵が一生懸命に拍手していたが、人数が少ないのでまばらなパチパチ音にしかならなかった。
そのまま葵はユフィリア達に抱き付くべく飛び出し、「キャー」とか「久しぶりー」とか言っていたが、その服がワインで汚れたままなのが自分的にはどうにも気になって仕方がなかったりした。
葵:
「じゃあ? じゃあ?」
ユフィリア:
「これからしばらくお世話になります!」
ニキータ:
「アキバとの二重生活っぽくなっちゃうかもですけど」
葵:
「やったー! ぜんぜんかめへんよー!」
ナマ女の子に餓えていたらしき葵は、ユフィリアともなく、ニキータともなく抱きつき、頬を胸元に擦り付けていた。男がやったらセクハラで訴えられるに違いない。
シュウト:
(だから、その汚れた服を脱いでから……)
そして、尊大な態度でおもむろに振り向き、ねぎらいの言葉を発する。
葵:
「諸君、本当にご苦労だった。これで我がジオンは、あと10年戦える……っ!」
決め台詞のようだ。連邦派のジンが何やら文句を言っていたようだが、僕は適当に聞き流すことに徹しておいた。
葵:
「それにしても素晴らしい女優っぷりだったわ。私の『紅の仮面』を継ぐことが出来るのは、貴方しかいないっ!」
ユフィリア:
「先生、ありがとうございます!」
葵:
「むふぅー、これなら良いドラマが撮れそう。……ね、監督?」
ジン:
「誰が監督だ」
監督と呼ばれたジンがその立場を否定した。それにしても、このノリはいつまで続くのかと本気で心配になってくる。結局のところレイシン(の作る食事)だけが頼みの綱である。早く完成してくれないものだろうかと途方に暮れる。
ニキータ:
「一言よろしいでしょうか?……ウチのユフィリアはキスシーンなどはNGなので、そこの所、よろしくお願いしますね、カ ン ト ク ?」
ニキータが威圧感のある笑顔で凄むと、ジンは口元をニヤけさせつつ目を逸らした。葵が「何? 何!?」と瞳を更に輝かせる。ジンは「何でもねーよ!」と言い返していた。ところが……。
ユフィリア:
「監督! 私、……必然性があればやりますっ!」
とんでもない所から、つまりユフィリア本人が話を混ぜ返してしまった。一瞬、惑星規模で時間までもが止まった(気がする)
ジン:
「いや、むしろ必然性しかない! さっそく俺が直々に演技指導を!」
葵:
「良く言ったわ、それでこそ女優よ!」
ニキータ:
「葵さんまで煽らないで!」
欲まみれにジンが力説すると、葵までもが往年の名女優風にノってしまった。もはやニキータの叫びは虚しく響くのみである。
レイシン:
「楽しそうなトコ悪いけど、料理ができたから運ぶの手伝ってね」
この時ばかりは、「はぁーい」と素直な声が唱和する。
シュウト:
(これぞ正に天の声…………)
残念ながら、平穏を望む僕の願いは虚しく散る運命にあった。
◆
遅い夕食ということで「手抜き料理だけど」と言われ、その代表格でもある鍋料理が出てきた。レイシンが手早くこしらえたものは、塩味をベースとした肉と魚がたっぷり入っているもので、野菜が美味しく、風味が豊かなものだった。今は卵を落としての『おじや』タイムになっている。
葵:
「じゃあ結局、ジンぷーのスーパーパワーとやらでどうにかしたわけだ。……うはっ、だっさー」
食事しながら色々と話をしていたのだが、葵にツッコミを入れられている内に、つい正直に話してしまうことに。どうもジンの超戦闘能力のことは葵も知らされていなかったようだ。
葵:
「連続戦闘ったって、サファギン相手に300でギブって、アンタかなり鈍ってんじゃん」
ジン:
「バーロー、俯瞰視のゲームと主観視のリアル戦闘を一緒にすんなっつーの」
葵はいつもの様に軽い調子なのだが、しかしその内容にはまるで容赦がない。僕も巻き添えだった。自分の責任を感じて、ひとつひとつが心にグサグサと突き刺さるのに任せる。
葵:
「んで、実際のトコ、チミはドンくらいの強さなワケ?」
ジン:
「わからん。……測りようがないから説明できないっつーか」
シュウト:
(ああ、それでドラゴンドラゴン言ってるのかな?)
仮に、出会う敵の全てを一撃で倒せたとする。出会った敵の最大HPが9999までだったとしたら、その一撃のダメージが1万なのか、10万なのか、はたまた100万なのかを知ることは出来ない、といった意味なのだろう。
葵:
「じゃあ、どうやってやってんの? 原理とかは?」
ジン:
「原理って、そんなムツカシイこと急に言われてもなぁ…………“現実”の仕組みを“この世界”に当てはめて運用効率をアップさせてっから、火事場の馬鹿力みたいなもんか? うん、今から思えば、新しい料理法の発見だって『非メニュー操作』なわけだし、その戦闘バージョンって感じだろうな」
葵:
「そんな事やっといて、なぜ料理のことを思いつかないのかにゃ?」
ジン:
「ちょっと待て、流石にそりゃヒデーだろ? 確証なき実験と検証の世界をやってんのに、んな余裕あるかよ」
葵:
「まぁいいや。……そんで対価は? 何とのトレードオフ? 何か犠牲になってるものがあるんじゃないの?」
この質問には全員が息を呑んだ気がした。
ジン:
「……まだ大きなものは見当たらないな。目一杯までカラダを使ってるってことだから、そのうち腰痛とかになりそうだけど、今のトコは、しこたま眠いぐらいだな」
これを聞いて僕は色々な意味でホッとしていた。
葵:
「じゃあ、取り敢えず〈衛兵〉よりは強いってことぐらいしか分かってないんだ?」
ジン:
「…………」(ぎくり)
葵の狙い澄ました不意打ちを受け、ジンの目がギコチなく泳いでいた。
葵:
「はぁ~(溜息)、やっぱアンタか。それでどうなったの? 話しなさいよ」
こればかりは他のメンバーも驚きを隠せない。
ジン:
「いや、ホラ、〈円卓会議〉の告知で〈大地人〉の人権だとかの話があっただろ? 人間として意思があるんなら交渉の余地がありそうだし、ちょっと頼んで相手して貰っちゃおうかなって。偶然にも金に困ってるヤツがいたから、そいつと戦っただけだよ」
葵:
「それでどうなった?」
ジン:
「腕を斬って10秒ぐらいで終わったな」
葵:
「もっと詳しく。勝ったんでしょ?」
ジン:
「勝つったって、〈大地人〉は殺しちまうと復活できないだろうしなぁ。それで最初は避けたり受けたりで、十分に対応できるのが分かったから、腕だけ斬り飛ばして終わりにしたんだよ。金貨1万5千ばかし渡したから、もう金欠だ」
――そもそもの話として、システムの一端である『衛兵』と交渉など出来るはずがないはずだった。それがこれまでの常識である。ところが、〈大災害〉はNPCに人間としての意識や性格、過去などの背景を与えていた。衛兵は、人格を持たない機械人形などではなく、〈大地人〉が動力甲冑を着ているという設定である。従って、個性と同様にそれぞれ個々の事情を持って感じられるようになっていた。
衛兵という仕事内容から必然的にモラルが高く、普通であれば『ちょっと戦いたい』のような申し出に応じることなど有り得ない。そのため、ジンは地味に話しかけ、仲良くなるところから始めるつもりでいた。そうしてしばらく観察していると、偶然にも、金に困っている衛兵が見付かったという。渡りに舟と思い、金額を吊り上げてOKさせ、上司にバレたくない等の要望からタイミングを選び、幸いにも人の少なくなっていたシブヤで戦いを決行したのだった。万一に備えて友人だという回復役も連れて来させ、戦う相手本人に金貨1万枚、ヒーラーに5千枚を支払っていた。
親切にも『負けてくれようとした』ため、ちょっと本気を出させるように仕向けて何合かやり合い、フルパワーなのを感じた所で腕を斬り落として終わった。流石にその衛兵も、痛みよりも驚愕が上回ったような顔をしていたという。
ヒーラーが腕をくっ付けた所で金銭を払い、すべてを『無かった事』にした。この時も事前にミニマップを利用した『気配の探知』で周辺のチェックはしておいたのだが、どこからか、誰かに見られていたらしく、噂になってしまったらしい。
葵:
「それ、普通に襲えばタダじゃん」
ジン:
「アホか、それでもし勝ったら大事だろ。衛兵でも倒せないだなんて、物凄く危険な犯罪者じゃねーか。街に住めなくなったり、銀行や貸し金庫なんかを止められたらどうするんだ!」
――衛兵のシステムを管理しているのは、供贄一族といい、彼らは銀行の業務も行っている。
葵:
「まぁ、いいや。じゃあ、5人相手はどう? 10人なら?」
ジン:
「〈衛兵〉で、か? んー、同時攻撃できる人数・される人数ってのは限られてるから、10人でも20人でも一緒だろう。殺していいんだったら、たぶん問題ない。……けど、やっぱり殺せないから勝ちようがないぞ。あっちは好きに攻撃できて、回復し放題。でも、こっちは殺さないように手加減しなきゃならん。どのみち決め手に欠けるんだよなぁ。パーティ組んでたら仲間を守るのもちょっと無理だろうし、やっぱ勝負にならねーよ」
葵:
「ふむふむ、そっかそっか」
ジン:
「……てゆーか、お前、なに企んでんだよ?」
葵:
「えへっ、まだひみちゅー」
ジン:
「てンめぇ~、人には散々しゃべらせといて、それか!」
葵:
「にゃははは、もうちょい形になったらね~…………最後にもうひとついい?」
ジン:
「んだよ」
葵:
「仮に、今からシュウ君に教え込んだとして、何日でモノになりそう?」
シュウト:
「えっ?」
ジン:
「……正直に言って、わからん。レイでダメなら、大半の人間には無理かもしれん。算数的な確率論でやる“五分”ってヤツだろ」
葵:
「ああ、あの1%対99%であっても、何故だか50 対 50(フィフティ・フィフティ)ってヤツ?」
ジン:
「そう、それ。……まぁ、部分的に使えるようになる可能性はあるんじゃねーの? 才能はありそうだし」
葵:
「そもそも、なんで一般プレイヤーはダメなの? あたしの予想より、みんな弱いみたいなのはなんで?」
ジン:
「2つ目だぞ。たぶん“自分化”してるのが原因だ」
シュウト:
「自分化?」
ジン:
「最強の肉体を操縦する素人パイロットの悲劇だよ。街に出れば分かる。みんな『元の自分』になろうとしてる」
葵:
「…………」
◆
興味深いトップ会談が終わり、クエスト報酬の件に移った。これは最初にジンが話すところから始まっていた。
ジン:
「報酬なんだが、大雑把に7等分にさせて貰いたい」
葵:
「え? あたしにもお小遣いくれんの? ヤバ、何を買おう……」
ジン:
「んなワケねーだろ。……ギルドスペースの維持費もあるが、大半の用途は食費だと思ってほしい。余りはパーティの共同資金にする。それでも使い切れない様子なら、分けて返却すればいいだろう」
一瞬だけ期待した葵が拗ねている。
ニキータ:
「共同資金って、どんなものを考えているんですか?」
ニキータが真面目そうに質問する。
ジン:
「経費で落とす、みたいにしたいんだ。全員で使うものならなんでもいい。例えばテントだとか、持ってないなら馬を買うのでもいい。消耗品だと回復や毒消しのポーションなんてのもあるしな。回復役がいるからって、ポーション類の購入を個人の財布で勝手にやらせると、準備の良い人間と悪い人間とで、性能にバラ付きが出ることがあるからな。〈大規模戦闘〉なら人数の効果で均せるかもしれないが、小パーティにそんな余力はない。最初から準備をやり易い形に整えておく方がいいだろう」
シュウト:
「なるほど…………」
納得できる話だった。人数が多くなってくると、共同資金では不公平感が増えてしまうかもしれないが、小パーティの小ギルドであれば、一括管理の方がいいのかもしれない。
ジン:
「重複して物を買ったりしてもしょうがないから、細かい管理はシュウトに一任したいと思ってる。……大変かもしれないけど、頼んでいいか?」
シュウト:
「わかりました」
葵:
「ふぅ~ん? そういうことか」
葵がニヤニヤして呟く。ジンの意図が分かったようなのだが、自分にはさっぱり分からなかった。
――ここでのジンの目的は責任の分散にある。
強力な中心人物の存在は難しいもので、大きな組織になれば求心力として人々を纏める力を発揮するものだが、〈カトレヤ〉の様な小さな組織に一人の強すぎる中心人物がいると、大半の人間は責任感を失うことになり易い。責任感を失った人間は、ただ命令をこなすだけのお荷物になってしまう。
責任感なしで、人間は本当には動くことはできない。怒られるのが怖いから動く人間たちは、怒られないギリギリの範囲までしか動かなくなり、それが『普通』の状態になると、慣習として既得権益に似たものになっていく。すると自分の意思を失い、既得権益を守るために必死になり、やがて牙をむけるようになる。
ジンが普段から仕事や意思決定を投げっぱなしにするのも、自分が楽したいからではなく、自由にやらせたり、仕事を任せることで責任を持たせたいという狙いが大きい。
しかし、現実ではそれでも足りない。責任だけではなく、権限も与えなければならないためだ。そうして職責を得て、役割を分担することで、はじめて各人に能力を発揮することができる。すると今度は、職責の範囲を逸脱するのがタブー化するのが人の常である。自分の職責の範囲を越えて仲間を助けようとしなくなるのだ。このため、『兵隊も指揮官の目を持たなければならない』などと言われている。
責任とは、元来、『勝ち取るべきもの』なのだ。それが今日では、自分の番になるまで待ち、仕方なく引き受ける様な『できればいらないもの』になってしまっている。
ジンがその特殊な能力から『強い中心』として機能していても・いなくても、責任感を失うことのない本当の仲間が必要なのだ。その為に最低限必要なことをしようとしているのだった。
葵:
「じゃあさ、100万ぐらい貯金して、アキバでデカいビルでも買うとか、どう?」
ユフィリア:
「面白そう!」
葵の提案はかなり壮大なものだった。元飲食店を改築し、各種設備スペースに加え、たとえ狭くとも個室が10もある〈カトレヤ〉だとてゾーン購入に8万、月の維持費は金貨160枚で済むのだ。100万もあったらギルドタワーか小型のギルドキャッスルが買えてしまうような話であり、6人パーティには大き過ぎるものでしかない。
つまりこれはギルドの規模をこれから大きくしていくという方向付けや意思表示にもなっているのだ。
ジン:
「100万は行き過ぎかもしれないが、50万ぐらいの予算でやるのはいいかも知れないな。予算内で内装に凝ったりとかするのも大事だろうし」
レイシン:
「パンやピザを焼くのに専用のオーブンが欲しいんだよね」
ユフィリア:
「私、今すぐ思い付くのは大っきな鏡ぐらいかな……ニナは?」
ニキータ:
「……お、お風呂とか」
石丸:
「そういえば、〈西風の旅団〉がギルドに大浴場を作るとかって話っスね」
葵:
「アハハ、夢が広がるよねぇ。悪いけど、しばらくはウチのゴエモン風呂で我慢しててよ~」
ユフィリア&ニキータ
「「えっ?」」
葵の台詞にユフィリアとニキータが固まった。
石丸:
「……もしかして、お風呂があるんスか?」
石丸もちょっと驚いている。
葵:
「な、何なん? フツー、お風呂ぐらいあるっしょ?」
シュウト:
「……いえ、冒険者の宿にはお風呂の機能が無いので、木桶に湯を張って、それぞれの部屋で体を軽く流すのが基本スタイルなんです」
葵:
「そうだったの?!」
――シュウトの説明に『お風呂格差社会』の哀愁が漂う。シュウト本人も先日、葵の見ていないところでお風呂に感動し、ジンに向かって自分がいかに興奮しているかを伝えようとして、呆れられていた。
〈カトレヤ〉ではサブ職〈大工〉持ちがいないため、〈大災害〉後、かなり早い段階に、ジンが大きな樽を買って来て風呂の代用にしていた。底を鉄製にするなどの変更が利かなかったため、直火で湯を沸かす機能は無く、水に熱湯を継ぎ足して温度調整するしかなかったが、そこら辺であまり贅沢を言えるものではなかった。
レイシン:
「だったら、今からちょっとお風呂入れようか?」
ニキータ:
「いいんですか?!」
レイシン:
「もちろんだよ。ちょっと面倒だけど、それは別にいつものことだからね」
ジン:
「よし、やるか」
レイシンの言葉にジンが立ち上がる。水を運ぶのは力仕事だからだろう。ニキータはお風呂の件に関しては強い興味・関心があるようで、落ち着きを無くしている。お風呂の予感に早くも震えていた。
簡易風呂の仕組み上、お湯を温め直すためには、新たに熱湯を注ぎ足さなければならない。段々と湯の量が増えていくことになるため、一番風呂は常にロリ体形の葵と決まっていた。ユフィリアが遠慮したためニキータは二番手をゲットし、早くもソワソワしている。今はパスタを茹でるような寸胴の大鍋に水をタップリと入れ、葵の呼び出した火の精霊で熱している。グラグラと沸き立つまでしばらく掛かるだろう。
石丸:
「ところで、ご相談があるんスが……」
ジン:
「どうした?」
石丸:
「レイニー・トレントのドロップアイテムのことっス。アレを売らずにしばらく取って置きたいんスが」
ジン:
「別に構わんけど、そりゃまた、どうして?」
石丸:
「値段が上がるかもしれないからっス」
葵:
「……ほほぅ~? 詳しく話してごらんなさいよ」
石丸の話をジンが聞いていたのだが、葵も面白そうなので興味を示した。
石丸:
「生産ギルドが合同で作っている新しい道具の話はご存知っスか?」
葵:
「多少はね。蒸気機関を応用するらしいじゃない? ……工場で動力みたいにするのかもしれないけど、まずは乗り物が王道っしょ。機関車は線路だとかで色々と手間だから、まず船を作るんじゃないかしら」
石丸:
「話が早いっスね。……精霊船と聞いているっス」
葵:
「石丸くんも中々の事情通じゃないの~」
ジン:
「それとトレントの素材は、どういう関係があんだ?」
話の主筋がズレないようにジンが先を促した。葵に全て任せてしまうと回り道をしまくって先に進まなくなる危険があるのだろう。
石丸:
「レイニー・トレントの木材は、水の属性を持っているっス。なので船の材料に使うのが最適っス。それで7体分もの素材があれば、かなり役に立つと思うんス」
トレントは火が弱点であるため、レイニー・トレントの『火で燃えない』という点が強調されている。例えば燃えにくい木材と云えば桐ダンスの桐などが有名だ。しかし元々が水の属性であることを思えば、水にも、むしろ水にこそ強いという面を備えているのかもしれない。加えて高レベルモンスターの素材であることもポイントが高い。それだけでかなり丈夫だと保証されているような物だろう。仮に薄くしても強度が残るなら、軽量化にも使えることになる。
問題があるとすれば、この世界には様々な素材で満ち溢れているため、船に向いた素材が他にもあるかもしれないという点ぐらいだろう。
葵:
「すぐ売らないのは何故? 今すぐ〈海洋機構〉あたりに持ち込んで、高く買ってもらう方がいいんじゃないの?」
石丸:
「そこなんス。最初の精霊船が成功した後に量産が始まったり、本格的な船や戦艦を作る時に売るのがべストだと思うっス」
ジン:
「なるほど、その頃なら高級素材は枯渇しているかもしれないな。量を持っていると買い叩かれ易いが、〈海洋機構〉じゃなくて、そのライバルと交渉したりするのも面白いな」
石丸:
「そうなんス。それに……」
葵:
「何?」
石丸:
「自分達で船を持ちたくなるかもしれないっスから」
ジン:
「おいおい、流石にそれは……」
自分達で船を持つのはかなりの難易度だろう。大工だけじゃなく、水夫が何人も必要になる。
葵:
「おっけ。じゃあ、倉庫も空き部屋もあるから好きに使っちゃって~。せっかくの素材だから傷めないようにだけお願いね」
石丸:
「了解っス」
そして湯が煮立ち、篭手かと思うような厚手のミトンに、これまた分厚いエプロンまで装着したジンが、えっちらおっちらと大鍋を抱えて風呂場へ向かった。これから何度もこの往復をすることになるのだろう。
一番手の葵がレイシンに手伝って貰い、ようやっと赤ワインで汚れたローブを脱いで風呂場に向かった。葵が風呂からあがってくると、またジンが鍋を抱えて温度調整+湯量の追加に向かう。二番手であるニキータの頬は、期待に紅潮していた。彼女は服を着たまま呼ばれ、一緒に付いて行った。好みの温度にするためだ。後はこの繰り返しである。
十数分後、ニキータが出てきて一言。
ニキータ:
「お風呂、お先に頂きました……」
男性陣:
((うぉっ、色っぺー!))
男性陣の心の声が、聞こえるハズがないのに、揃った気がした。
旅装を解いて美人おねいさんに戻った彼女の、湯上りほっかり姿は凶悪な破壊力を秘めていた。身体がほぐれたことで心もほぐれたのだろう。穏やかな微笑みは幸せのオーラをこれでもかと発している。
シュウト:
(そこまでお風呂が好きだったのか……)
ジン:
(次の冒険先はこれで半ば決まったな)
シュウト:
(?)
ジン:
(ふっふっふ。まぁ、詳しくは後でな)
途中でユフィリアが魔法でお湯をキレイにしようと言い出す。これは画期的な思い付きだった。
最後にジンが入って終わりになった。ぬるめのお湯が好きだとかが、色々とあるらしい。
葵:
「7人もいると、やっぱ時間が掛かるわねぇ」
ジン:
「んだな、デカい湯船が欲しくなる」
葵:
「がんばって稼いできてちょーだい?」
ジン:
「うっわ、超ねむてー」
ユフィリア:
「葵さーん!」
葵:
「何々、どったの?」
ユフィリアが葵に何やら相談している。一方でニキータが〈吟遊詩人〉らしく楽器を出して来ていた。
葵:
「……いいね! やろやろ!」
ジン:
「…………」
ユフィリア:
「そうこなきゃ!……え? ジンさん、もう寝ちゃうの?」
ジン:
「ああ、先に休む。みんなで楽しむといい。(………………)」
最後になんと言われたものか、ユフィリアは口元をくにゃくにゃにしてニヤけていた。
なんとなく危機を察知し、「自分もそろそろ…………」と立ち去ろうとしたところ、後ろから肩をつかまれた。白くて細い指が皮膚に食い込むような力を出していて(これは魔女の手だ!)と思わずにいられなかった。
ユフィリア:
「シュウトは、どこ行こうとしてるのかな?」
シュウト:
「いや、そろそろ夜も更けたから自分の部屋に……」
さっきまでニヤけていたはずのユフィリアは物凄く冷たい声を出していた。しかし、すぐさまシュウトの背中に身を預けるようにしながら猫ナデ声を出す。
ユフィリア:
「ねぇ、聞いて? さっきね、私、裏切られたばっかりなんだよ? あの休憩地点で、レイシンさんに凄い剣幕で突っかかって行った人がいたよね? その人、ジンさんの味方だって、信じてたのに。……酷いと思わない?」
シュウト:
「いや、それは、だから違くってですね?」
僕の身体を掴んだユフィリアは、抵抗を許さないパワーをもって自分の方へ向き直らせる。無表情のビー玉みたいな氷の眼に貫かれる。自分よりもずっと後ろを見ているかのよう。半妖精どころか氷の女王だろう。
ユフィリア:
「まさか、また裏切るなんて言わないよね?」
シュウト:
「……はい」
抵抗は無駄であると悟る。
ユフィリア:
「そう、よかった~」
――季節は冬から春へと一瞬で移り変わり、ユフィリアに輝く大輪の笑顔が咲いた。こうしてシュウトは『大魔王からは逃げられない』ことを思い知ることになった。
ユフィリア:
「これは何かな?」
ニキータ:
「“赤”じゃない?」
葵:
「“赤”だよ」
ユフィリア:
「行く?」
ニキータ:
「行っちゃう?」
葵:
「……女の子は?」
ユフィリア:
「恋に酔っても」
女子3人:
「「お酒じゃ酔わない! イエーイ!!」」
――深夜である。女の子達と一緒に騒いでいる。この時、シュウトは正に『リア充』の現場にいた。ニキータが演奏し、ユフィリアが振り付きで歌い、踊っている。葵も舞台に乱入して踊ったり叫んだり笑ったりしていた。シュウトも歌えと命令され、嫌なのに無理矢理に歌わされた。抵抗は無駄だった。歌詞も分からないのに無難な曲をしどろもどろになりながら歌った。テンションが上がりすぎているのか、何があっても女性陣は笑い転げていた。
シュウトは、自分がリア充が嫌いだった事を思い出していた。ユフィリアとニキータの二人組は、冒険している時は大人しかったので忘れてしまっていたのだ。やり易いぐらいだったのだ。しかし、彼女達はやはり『リア充』であった。彼女らの『本領』にはやはり付いていけないとシュウトは思い知った。しかし既に時は失われてしまっていた。全ては後の祭りである。
レイシンがいつしか居なくなり(たぶん特技を使ったのだろう)、石丸も気が付くと寝ていた。シュウトだけが逃がして貰えず、オモチャにされる。狂った夜はいつまでも続いた。
◆
――明け方、ジンは飲み物を口にしようと自室から降りてきて、クーラーボックスを開けた。冷えた水を取り出し、一口、二口と飲みながら散らかった部屋の惨状に何があったのかを知った。
ジン:
「うっわー、大変だったろうなー」
――シュウトに同情していると、机にうずくまっている当人を見つけていた。恐る恐る声を掛けてみることにした。
ジン:
「シュウト? おい、まだ起きてたのか? もう部屋で寝たらどうだ? …………ブッ」
――顔を上げたシュウトを一目見て、飲んでいた水を吹き零してしまった。
ジン:
「ぅ、ぁ、……とりあえず顔を洗ってこいよ、な?」
シュウト:
「……はい」
――リア充になり損ねたシュウトは、心の大事な部分を汚されてしまっていた。机にうずくまり、袖を濡らしている。ジンに声を掛けられて顔を上げた彼は、女の子の化粧をさせられており、化粧による『黒い涙』が幾筋も頬を伝って流れ落ちた跡が残っていた。
女性陣は乱痴気騒ぎに満足して部屋で爆睡である。お昼過ぎに起きて来た時、ジンが葵の頭にキツいゲンコツを見舞った。
葵:
「あだっっ」
ジン:
「一緒になってノリノリか? あぁ!? やり過ぎんなっつってんだろ!」
葵:
「うぐぅ、ちょい飲み過ぎまして……てへっ?」
――その日、シュウトは夕方まで昏々と眠り続けた。心の傷を、少しでも夢の世界に置き忘れてくることを願うばかりであった。