104 戸惑い
ニキータ:
「ああ、もう……!」
枕に顔をうずめ、少しでも体を休めようと思う。だがイライラしてしまって、眠気はさっぱりやってこないままだ。それも当然かもしれない。普段なら逆に目が覚めるはずの時間なのだから。
明け方まで続いた説教は、同じ内容が何回も何回も繰り返された。葵も女性であるから、女性に対してより厳しくなるのだろう。それが分かっていても、看過できない侮辱もあった。『アンタ達は、酔っぱらって適当に遊びで抱かれても平気かもれないけど……』などと罵られては、黙っているのだって難しくもなる。
ニキータ:
(平気な訳が、ない)
ユフィリアが申し訳なさそうな顔をしているものだから、なおのこと気持ちが収まらない。あの状況でジンに犯されていたら、こちらがレイプの被害者ではないか。それなのに『ジンの気持ちも考えろ!』などと言われたりしていた。たまったものではない。葵は自分たちよりも、昔からの仲間であるジンの方が大事なのだろう。自分たちには換えが利くが、あの人には換えが利かない。いざとなれば切り捨てられるのは自分たちの側だ。それが今回の件でよくわかった。
ため息をひとつ吐き、仰向けになる。
ニキータ:
(違う。本当は、そうじゃない……)
本当は、自分自身に対して苛立っているのだろう。自分の腑甲斐無さや考えの無さ、ジンに対する甘えなどが招いたことだと理解している。だが、いくら頭で理解できていても、納得がいかなかった。
ニキータ:
(自分に非がある。けれど、それを認めたくないんだ)
自分だけさっさと気絶してしまい、何が起こったのかよく分かっていないせいかもしれない。肝心のユフィリアが襲われた時にも、身代わりにもなれなかった。なろうとはした。その結果が気絶だ。どうしようもないではないか。
ニキータ:
(ここから、出て行くべきかも……)
思い浮かんだ言葉に、自分で驚いた。正当な理由があるのか、ただ反発的な感情によるものなのかは判断が付かない。農作物のように、まだ見ぬ理由をいもづる式に大地から引きずり出そうとしているのか、もしくは料理のように、『理屈』を粉みたいに上からまぶしつけようとしているのか。自分でもどちらの気持ちかわかない。
ニキータ:
(〈カトレヤ〉を飛び出し、以前と同じようにユフィリアと2人で生きていく……?)
そのイメージに体の芯から凍えそうな寒気を覚える。跳ね起きて、頭を強く振る。想像したものを追い出してしまわなければならなかった。
出て行くべき理由よりも、居残るべき理由を考えている。偽らざる本心というものかもしれない。
ニキータ:
(分かっていたつもりだったのに)
牙をむき出しにして襲ってくる『世界』から、『もののついで』とばかりに楽々と護られているのだ。かといって、まるっきり安楽だったわけでもないのだ。最前線に連れて行かれ、信じられない難易度の戦闘を幾度も経験して来ている。それでも、理不尽などは、更なる理不尽で踏みにじればいいと思っているのだから、周りはたまらない。呆れるのに忙しくて、怖がる暇もないではないか。
ニキータ:
(そういう全てを、壊そうとしたのよね)
怒られるのに決まっていた。もう護って貰わなくても平気だとでも思ったのかもしれない。失敗して怒られるまで理解する気のない子供みたい。バカなのは自分の側だ。
カーテン越しに明るさが感じられ、目を背けるように横向きになってつぶやく。
ニキータ:
「葵さんだって、ジンさんのことが好きなくせに」
不満の根っこはここだ。本当は気付いていたのに、気付かないフリをしていた。本当には気が付きたくなかった。『葵さんも』ということは、つまり『私も』ということだ。そんな簡単に認めたくない気持ちが強い。しかし、葵に対する不満やその原因を考えたら、ここに戻って来るしかない。
レイシンと結婚しても、まだ『ジンの一番の理解者』でいようとしている。正論を言っているようで、単に嫉妬しているだけだろうと考えてしまう。好きだという感情を隠して、理屈に逃げているのは卑怯だ。
ニキータ:
(でも、それを言うのなら)
理屈に逃げて卑怯なのは、自分も同じだ。ユフィリアを護っているつもりでいた。けれど……
ニキータ:
(護られているのは、私だ)
締め付けられるような切なさと、ギュッと凝縮されて感じる喜び。まるでニガいチョコレートが舌の上でトロケて、芳醇な香りと濃厚な甘さがほろっと広がる感覚に似ている。
自分だけが特別に護られているわけじゃないのは、分かっている。ユフィリアを大事にしていることも、分かっている。この気持ちだって吊り橋効果みたいに強制的で、緊急避難的な感情でしかないことも、分かっている。分かった上で、避けられないものなのだと思う。強い人に護られていたい欲求は、根源的で本能的で生理的なものなので、私の人格とは関係ないのかもしれない。
問題はユフィリアのことだ。
ニキータ:
(もしユフィを本当に護りたいのだったら、私がジンさんを口説けばいいんじゃ?)
思い付いた言葉を吟味するまでもなく、そんなことは出来ないと分かっていた。ユフィリアの気持ちを考える以前に、私自身にとって恥ずかしすぎるアイデアだ。自分に都合の良い妄想としか思えず、そんな風に仕掛けられると思えなかった。意識してしまっている相手にできることではない。臆病者の自分に、そんな真似ができるだろうか。しかも、相手は極めつけに察しがいいと来ている。自分の気持ちがバレて欲しいと期待する気持ちもあるが、結果が怖くてしかたない気もする。ユフィリアのこともおざなりにならないように考えなくてはならない。
ニキータ:
(ダメ。もう、コントロールできない……)
――底なし沼に捕まり、ゆっくりと引きずりこまれるかのように、睡魔に身をゆだねて落ちてゆくニキータだった。
◆
ユフィリア:
「おーきーてー。 ニ~ナ!」
ニキータ:
「……ん?」
目覚めるとユフィリアがいた。起こしに来てくれたらしい。現実世界では低血圧気味だったが、すぐに意識がしゃんとしてくるのが感じられた。
ニキータ:
(そっか)
朝まで説教されて、その後は考え事をして悶々としていたことを思い出す。ユフィリアがカーテンを開けていたが、部屋から見える感じだとまだ明るい。お昼ごろだろうか。
起き抜けの気だるさが抜けるのを待つ間、ユフィリアが動いているのを
ぼんやりと見ていた。
ニキータ:
「……」
ユフィリア:
「今日でここともお別れだね」
ニキータ:
「ええ、そうね」
ユフィリア:
「そろそろ下にいこ? もうみんな待ってるよ」
ニキータ:
「ね、ユフィ?」
ユフィリア:
「うん。なぁに?」
隠し事するのが嫌だったので、ジンのことが好きだと話してしまおうかと一瞬だけ考えて、話さないことにした。無責任で、自分勝手にすぎる。
ユフィリア:
「どうかした?」
ニキータ:
「いいえ、今日もカワイイ」
ユフィリア:
「ありがと。ニナはステキだよ」
ニキータ:
「そのセリフは、せめて顔を洗ってからにして欲しかったかも?」
ユフィリア:
「待ちきれませんでした」
二人で笑いあったところで、身支度を開始。今日からアキバでの生活が始まる。今までよりもちゃんと備えておかなければならない、のかもしれない。
◇
準備が出来たところで階下へ降りていく。昨晩の痕跡を残したフロアは、先に起きていたジン達によってかなり片付けられていた。
ユフィリア:
「おはようございま~す」
レイシン:
「おはよう」
ニキータ:
「おはようございます」
定位置のバーカウンターで葵がチラリと一瞥した。不機嫌ではないが、機嫌がいい訳でもなさそうである。石丸とシュウトも気が付き、軽い会釈を送ってくる。
ユフィリア:
「ジンさん、おはよっ!」
ジン:
「おう……」
昨晩の出来事もなんのその、元気いっぱい、ありあまっている。
目を逸らしたジンに気付くと、逆に近づいていくユフィリア。目を逸らした先に移動。また目を逸らすジン。逸らした方向に移動するユフィリア。何回か同じ事を繰り返していた。
両手を伸ばし、ばしっとジン顔を挟むと、自分の方に向ける。
ユフィリア:
「まだ怒ってるの?」
ジン:
「怒る? 俺が? なんで?」
ユフィリア:
「だって、お酒、無理矢理のませちゃったし」
ジン:
「俺は別に……」
顔を挟まれたままで、目が泳ぐジン。
挟んでいた手を下ろしたユフィリアは、頭を下げた。茎が弱ってしおれた花みたいに見える。
ユフィリア:
「ごめんなさいでした」
ジン:
「いやいや、そりゃーこっちこそ悪……」
謝り掛けたところで、ジンは動きを止めた。数秒の沈黙。ユフィリアが疑問符を張り付け、頭を上げる。
ジン:
「……最高だった」
ユフィリア:
「え?」
ジン:
「柔らかくって、良いカラダしてたよな。素晴らしかった。最高だった。もう幸せだったわ~」
一転、少々大げさな感じで誉めちぎり始める。何をしようとしているのか、意味がまるで分からない。
ジン:
「本当になぁ、感動ものだったね。すげー良かった。お酒飲ませてくれてありがとうさん」
ユフィリア:
「ジン、さん?」
ジン:
「スウィートやったとです。ほーみーたいやね。あれっきりにしてしまうのはあんまりにも惜しいかんなー。続きは今度、部屋でじっくりやろうぜ。な?」にかっ
ユフィリア:
「変態」
ニキータ:
「ド変態」
葵:
「超ド変態」
ジン:
「インフレ激しいな。えっちいの最高じゃんか」
葵:
「んなわきゃ、あるか!」
ジン:
「わっはっは。さて、と。んじゃ、そろそろアキバ行くか。昼飯は向こうついてからだ!」
ユフィリア:
「えーっ!? 朝ご飯なし?」
石丸:
「もうお昼っス」
笑いながら、逃げていくジンだった。
ニキータ:
「ほんっとに謝らないわね」
シュウト:
「うん。僕だったらすぐ謝るのに」
あまりの態度に呆然としてしまう。複雑な顔をした葵が解説を加えてきた。
葵:
「なるほどにー。解釈を変えたかったんじゃないかな?……過去は変えられない。けど、解釈は変えられる。あっこでジンぷーが謝ってたら、ただ気まずいだけの記憶になっちゃうかもしんないし」
シュウト:
「でも、あんまりいい思い出にはならないと思うんですが?」
葵:
「だからでしょ(苦笑) ユフィちゃんが昨日のアレをどう思ってるか知らないけど、少なくともジンぷーにとっては『幸せな出来事だった』って事にしたかったんでしょ。ただの変態野郎になるのと引き替えにね」
ユフィリア:
「そっか。やっぱりジンさんはいい変態さんだね」にっこり
シュウト:
「どうしてそうなるかな」
考えてしまった。
たとえば将来、二人が結ばれたとしたらどうだろう。ちょっとした笑い話になってしまうのかもしれない。そういう風に解釈が変わる可能性は、確かにありそうに思えた。
そもそも、女性のカラダを好き放題に触りまくったのだ。単純に謝罪すれば許されるという話ではない。ここでジンは謝罪する代わりに誉めちぎってみせた訳だが、誉められて『満更でもない気持ち』になる場合も確かにあるだろう。
しかし、今回のケースではそういう反応をするかどうかは個人差が大きいはずだ。カラダを誉められて気分が悪くなる人だって、きっといるのではないだろうか。
ニキータ:
(嫌われるのも、覚悟の上ってこと?)
もしくは、ユフィリアが嫌いにならないという確信があるのかもしれない。そこまでの信頼関係があの二人の間に、果たして存在しているのだろうか。その想像に鈍い痛みを感じてしまう。
――心の痛みから目を逸らすため、考え事を切り上げて出発の支度をするニキータだった。
◆
ジン:
「んじゃ、今日からここが、新しい家ってこったな」
シュウト:
「ですね」
アキバまでの移動を終え、僕たちは幽霊ビルの前に立っていた。シブヤのあのホームを離れる寂しさもあったが、新しいホームに入れる嬉しい気持ちも、どこか平行して同時に存在しているような気がした。
ユフィリア:
「私、もうお腹がぺっこぺこだよ」
レイシン:
「じゃあ、さっそくお昼ご飯にしようか」
シュウト:
「お弁当か何か、買って来ますか?」
ユフィリア:
「私、レイシンさんのご飯がいい!」
ジン:
「だとさ。買うなら、足りない食材ぐらいか?」
レイシン:
「そうだね」
葵:
「んじゃ、あたしらは中へ、っと」
葵が正面玄関のドアを開こうとしたところで、自動的な感じでドアが開いた。中から咲空たちが開けてくれたのだ。
咲空:
「お疲れさまです!」
星奈:
「えへへ」
ジン:
「よう、ご苦労さん」
咲空:
「はい。シュウトさんも、どうぞ中へ!」
シュウト:
「ありがとう。えっと、お邪魔します?」
ニキータ:
「プフッ」
葵:
「今日からよろしくねん!」
ニキータに笑われて、『お邪魔します』は変だったかな?と頭をかきつつ、中へ。
シュウト:
「うわっ!」
1階の正面玄関には噴水が設置予定だったが、これが想像していたのよりも位置が近く、サイズも大きかった。かなりのインパクトがあって、水の精霊力のことはあまり気にならないかもしれない。この状態だと、何も知らずに玄関を開けて走り込んだら、間違いなく噴水に突っ込んでしまうことになるだろう。
葵:
「いいじゃん!」
ジン:
「うむ、悪くない」
噴水の裏側に回ると、石像の口から水が出るような作りになっていて、ドバドバと水の音が強くなった。玄関側は広く分散して水を流し、見栄えを重視しているが、裏側はまとめて一カ所に集めることで、水を利用し易くなっていた。バケツや桶に水を汲み出すなら、この裏側の取水口を利用すればいいのだ。
そこから2階へ上がる階段は見え易くなっている。逆に半地下へ降りていく階段は、ジンの指示で隠され、少し回り込まなければいけないようにしてあった。自然と上の階へ誘導するための作りで、半地下への階段には気が付きにくくするためだ。
レイシン:
「じゃあ、食事の支度をしてくるから」
ジン:
「おう、直ぐに上がる」
レイシンと別れて、ジンは半地下へ。このギルドホームの目玉は、何といっても半地下の『あの部屋』だ。ここは先に見ておきたかったので、一緒について行くことにした。ドアを開けて入っていくジンの後に続いて、中へ。
ジン:
「明かりを頼む」
ユフィリア:
「待って」
短い呪文詠唱から、室内が浮かび上がる。
ユフィリア:
「うわぁ。ステキ!」
ジン:
「ふむ、もうちょっと明かりがあってもいいな」
シュウト:
「そうですね」
もともと倉庫として使うためのスペースの一つなので、広さはそこそこある。窓のない部屋だが、内装はしっかりしていて、綺麗にまとまっていた。入り込んでいる木の根も、そういうインテリアに見えなくもない。当初の予定通りにバーカウンターも作ってあって、ちょっとした料理を作るぐらいなら、ここでも良さそうな感じだった。シブヤのホームで集まっていた空間に近い。
ジン:
「この辺にするかな」
ジンのバッグから、にょきにょきとソファが膨らんで出てきた。いわゆる『空を飛んだソファ』だ。安物という話だったが、これがないと始まらない。根っこの前にストンと置くと、ジン本人も「どっこいせ~」と座っていた。
ジン:
「いいね。素晴らしい」
にんまりと笑って、満足げである。ユフィリアがその隣へさっと座った。
ユフィリア:
「いいね。素晴らしい」きらん☆
ジン:
「コラ、真似すんな」
ユフィリア:
「ウフフ♪ でも似てたでしょ?」
ジン:
「まだまだだね。大人のビターな感じが足りません」
葵:
「つまり加齢臭か」
ジン:
「だー!〈冒険者〉の体でそんなんニオってたまるか!」
ユフィリア:
「アハハハ! ……じゃあ、私はレイシンさんのお手伝いに行くね」
ジン:
「ほいよ」
にこにこのユフィリアが、手をひらひらさせて出て行った。彼女のサブ職〈主婦〉は料理スキルを与えるからだ。
葵:
「ふーむ。魔法の明かりで、もうちょい明るくしたいね。他になんかある? 床にクッションでも置こっか」
ジン:
「クッション置くなら靴も脱げってことだろ? 冷えそうでアレだな。床暖ってわけにもいかんだろうし」
葵:
「絨毯だのカーペットだのじゃ足りないかな。面倒だね。あったかくなる魔法の絨毯みたいなのあればいいけど」
ジン:
「後にしようぜ。俺らもボチボチ上がるべ」
シュウト:
「ですね」
噴水の取水口で手を洗い、2階へ。
料理をしているレイシンと、サポートで動いているユフィリアの姿が見えた。ダイニングキッチンとか言われる形状だった。奥にはサブキッチンも作られている。ダイニングキッチンのデメリットとなる煙が出たり、臭いの強いものの処理はそちらでやれるようにするためだ。レイシンの注文した『石窯オーブン』などはサブキッチンだろう。
ウヅキ:
「よう」
テーブル周りで仕事をしている星奈の近くに、ウヅキが座っていた。
ジン:
「なんだヒッキー、部屋に閉じこもってなくて平気か?」
ウヅキ:
「会った途端にうるせぇな」
ジン:
「なんだよ、心配してやってんだろ? 引きこもりは巣から出てきちゃダメだぞ?」にやにや
ウヅキ:
「バカにしてるだけだろうが!」
ジン:
「おいおい、卑屈はイカンな。引きこもりを恥じてどうする。『選ばれし戦士』なんだから、誇りをもて、誇りを」
ウヅキ:
「うっせーよ!」
顔をしかめて舌打ちしているウヅキをやり過ごし、ジンもさっさと椅子に腰掛けている。
ジン:
「んで、住み心地はどうだ?」
ウヅキ:
「……えらく快適だな。アンタらの金だと思うと、余計にな」ヘッ
ジン:
「そいつぁ、何より。気にスンな、ゲームの金なんざ惜しんだってしょうがねーべー」
葵:
「ちげーねー」
何か言いたげなウヅキだったが、口をつぐんだままだった。ギルドに強制的に加入させられて、緊張したりしているのかとも思ったが、思いのほかリラックスして見えた。彼女のギルド加入はもはや10日も前の出来事であり、その後はビル改装でゴタゴタしていたので、色々となし崩しになってしまっていた。この『なし崩し』は案外プラスに働いたのかもしれない。
その後、昼食に。料理に舌鼓を打っていると、例によって例のごとく、ユフィリアが騒ぎ始めた。
ユフィリア:
「ねぇねぇジンさん。パーティしようよ?」
ジン:
「ん~? ああ。新しいギルドホーム完成を祝して、ってヤツか」
ユフィリア:
「うん。そういうの!」
ジン:
「世話になった連中を集めて、簡単にやるか。いつにする?」
ユフィリア:
「今晩!」
葵:
「というか、知り合いのおんにゃの子を集めて、お披露目っぽいホームぱーちーとかしなくていいの?」
ニキータ:
「できれば、そういうのもやらないとですよね。……いいですか?」
ジン:
「好きにやればいいさ。レイと相談しとけ」
レイシン:
「ドラゴン狩りと被らなければ、いつでもいいからね」
ウヅキ:
「ドラ!?」
ニキータ:
「ありがとうございます」
ジン:
「なんだったらシュウトもオマケで付けてやるが?」
シュウト:
「……毎回思うんですが、僕の人権って」
ジン:
「何度でも言うが、無ぇ~な、んなものは」
シュウト:
「うううう(涙)」
実際はともかく、心の中では血の涙が流れていた。
葵:
「じゃあ、まず服を脱がせて~、ハダカにして~」
シュウト:
「ちょっ、なに考えてるんですか!」
ジン:
「あー、そりゃダメだ。服っつーか、ズボンを脱がせなきゃOKにしとこうか」
葵:
「半裸か。チェッ、つまらん」
シュウト:
「複雑な気持ちですけど、ありがとうございます」
人権は無視されたが、人間の尊厳は守って貰えた。同時にこれをするのだから、人間という生き物の業は深い、ような気がする。
ジン:
「当然だ。酔って乱交ぱーちーだなんてうらやましい思いをお前にさせる俺だと思うなよ? もげろこの野郎」
シュウト:
「はぁ~(ため息)、もうそれでいいです……」
妄想の中でどんな罪を犯したか知らないが、危機は去った様なので、これでいいと思う。たぶん。
葵:
「なんだー。シュウ君ハダカにして~、お酒を振りかけて~、お刺身乗っけて~、『女体盛り』ならぬ『イケメン盛り』にしたら面白そうだったのに~」
ジン:
「お前の方がよっぽど変態じゃねーか。変態! ド変態! 変態大人! 変態マキシブースト!」
葵:
「こンの釘宮病患者がぁ! やんのか!?」
ジン:
「おう、やったるぁ。かかってこいやぁ!」
ユフィリア:
「喧嘩はダメー! 私のために争わないでー!」
喧嘩の仲裁なのか盛り上げ係なのか分からない態度でユフィリアが嬉々として参戦。最近の彼女のトレンドは、ヒートアップさせることらしい。
ウヅキ:
「おい、いつもこうなのか?」
ニキータ:
「大体は……」
シュウト:
「なんか、すみません」
昼食は、たいへん美味しく頂きました。
◆
エルム:
「予定があったのに、無理を言ってすみません」
トモコ:
「気にしなくていいって~」
――〈海洋機構〉のトモコは、夕方からの予定をキャンセルし、〈カトレヤ〉のギルドホームにやってきていた。
予定といってもそんな大げさなものではない。予定があったことを匂わせる程度の駆け引きを、ナチュラルにこなしていただけである。申し訳なさそうな表情のエルムを見て、満足する。それが悪女の喜びだと本人は気が付いてすらいなかった。
どちらかといえば、エルムに引っ張り回される側だと思っているため、逆襲できたのが嬉しいというニュアンスである。
トモコ:
(たかが、食事!)
顔に張り手して気合いを入れるぐらいの気持ちで、ぐずぐずした気持ちを切り捨てようとする。しかし本当は(されど食事、よね……)という弱々しい気持ちが沸き起こっている。自覚してまうと、弱い。
トモコ:
(なんだろ? なんか弱気だな、あたし……)
全部、エルムのせいだと思った。次の瞬間にエルムは関係ないと言い訳していた。気持ちがバラバラにだった。空中分解する前に、考えるのを止める。
Zenon:
「ここだぜ?」
食事といっても別に二人きりとかじゃない。Zenonもバーミリヲンも一緒だし、ユフィリアのギルドの引っ越し祝いにお邪魔するだけなのだ。いつもの『トモコ姉さん』をやらなければ、と強く思う。
猫人族の可愛らしい子が扉を開けてくれた。抱きしめたいほどの愛らしさを我慢し、ゾーン内への立ち入り許可などのやり取りをしてから中へ。一歩目から美しい噴水に目を奪われる。水の流れる心地よいサウンドや、微かな水しぶきが潤した空気を感じながら2階へ。
咲空:
「お連れしました~」
ジン:
「ごくろう」
葵:
「ヘイ、らっしゃい!」
エルム:
「失礼します。この度はギルドホームの移転、おめでとうございます」
葵:
「こりはこりは。どうもご丁寧に、あんがとさん」
エルム:
「本日はお招き、ありがとうございます」
ジン:
「世話になってるからな。ま、楽にしてくれ」
ユフィリア:
「ウフフ。エルムさん、こんばんは☆」
エルム:
「こんばんは。ユフィリアさんは今日もお美しいですね」
ユフィリア:
「ありがと。……トモコさん、だっ!」
エルムの挨拶を後ろから眺めていると、いつの間にかユフィリアに抱きつかれていた。じゃれてくる大型犬とそう大きな違いはない。頭を撫でてやっていると、離れたところにいたニキータが、手を上げて挨拶を送って来る。
ユフィリア:
「今日はね、レイシンさんが得意料理を出してくれるんだよ!」
もの凄く嬉しそうなユフィリアだった。自分がそれを食べられるのが嬉しくてしかたないようで、そんな彼女をみているだけで場の空気がなごんでいく。基本的に素直で可愛い子なのだ。途轍もない美少女で、だからなのか、性格が悪い方向に歪んでいないように感じる。……いや、変な子だとは思う。でも、悪い意味で変なのではない。
マダム菜穂美がやってきたところで、夕飯になった。
ユフィリア:
「うわぁ! 炊き立てのご飯! 美味しいそう~!」
トモコ:
「そうだね~」
炊き立てのご飯ぐらいで喜んでいるユフィリアに、ちょっと苦笑い。今どき、炊き立てだからってそこまで喜んだりするものだろうか。『純真さ』なのかもしれないが、自分の心のひねくれた部分が『ぶりっ子じゃないの?』とシニカルなことを考えている。
葵:
「挨拶は省略っ。あったかいウチに食べよ食べよ!」
ユフィリア:
「いっただきまーす!」
それぞれが食事に感謝を表現し、手をのばしていく。美味しいと騒いでいるユフィリアを見て、なんとなく白米をぱくりと口に放り込んだ。
トモコ:
「……うそ、やだ、美味しい!」
現実世界では、祖父母が作っているお米を送って貰っていることもあって、お米にはかなりうるさいつもりでいた。スーパーなどで売っているものとは根本的に品質が違うのだ。
新料理法の発見以降、食事に味が付いたとはいっても、現実世界には及ばない。たとえばお米は改良が重ねられ、信じられないぐらい美味しくなっているからだ。この世界でおいそれと追いつけるハズもない。
エルム:
「やはり、素晴らしいですね」
トモコ:
「……ねぇ、どうして? これってドコのお米なの?」
エルム:
「ウチで扱っているものですよ。ただし、精米したばかりのものを届けました」
確かめるようにもう一口。口に入れた瞬間に幸せになってしまう。炊き立てのつやつやとしたご飯は、大げさではなく、本当に宝物だった。こんなお米が出てくるなら、ユフィリアの感じ方の方が正しいと認めなければなるまい。
パッと見たところ、オーソドックスな献立で、あまり期待などはしていなかった。〈海洋機構〉に所属していることもあって、料理人の知り合いはそれなりに多い。ここに並んでいるものと同じ料理を作れる人間は幾らでもいるだろうし、更に手の込んだ料理を作れる人も何人も知っている。しかし、並んでいる料理の一つ一つのレベルが違った。勘違いを打ちのめされるのに十分だった。珍しい料理が美味しいのではない。当たり前でありきたりな料理を、どれだけ美味しく作れるかで、料理人の腕は決まる。
トモコ:
(アキバで5本、いいえ、3本に入る料理人だ……)
料理の美味しさは掛け算なのだ。あちらもこちらも美味しい。白米が美味しいと、更に相乗効果で全部が美味しい。汁物も美味しい、おかずも美味しい。
その時、ほんの僅かに『物足りない感じ』がした。もっとガツンと食べ応えのある料理が欲しくなる。
レイシン:
「どうぞ?」
控えめな笑顔で、メインと思われる一品が出される。白いソースにまみれた出来立ての『何か』。それがタイミングを見計らったみたいに自分の目の前に置かれた。……それは望んでいた肉料理だった。
しかし、手を出すのにためらいが生まれていた。本能的に怖れていたのだと思う。相手は確実に仕留めに来ている。あまりにも魅力的な罠の前に、自分が無力な獲物であると理解した。
Zenon:
「うおおおおお! すげぇ!うめぇ!」
バーミリヲン:
「こんな料理があるとは……」
エルム:
「さっ、我々も」
トモコ:
「う、うん」
これほどの誘惑に勝てるはずもない。たっぷりのタルタルソースをのせたまま、チキン南蛮をそっとひとくち。これはある意味、暴力だった。打ちのめされ、舞い上がり、叩きつけられた。知らず溢れる涙。『どうやら私は感動しているようだぞ?』と他人事のように思う。あまりに美味しい料理は、涙腺に直撃していた。
トモコ:
「おいしいよう、おいしいよう……」
この時の自分が、あまりにも情けないありさまだったと恥ずかしくなるのは、もうしばらく後になってからだった。ともかく、あまりにも美味しくて、それがとても嬉しくて、しかし今までこれを食べていなかったことが悲しくもあり、いろいろとごちゃ混ぜだった。自分がこれほどまでに飢えていたことを知らなかった。いろんな人に教えたくて、でも教えたくなくて、そんな自分勝手な葛藤に戸惑って、混乱していた。
壊れた私を、エルムが甲斐甲斐しく世話してくれていたらしいが、赤ちゃんみたいに身を任せて、それに気が付いてすらいなかった。
弁解の余地などは無かったが、Zenonもバーミリヲンも騒いでいたし、ユフィリアだってニキータだって、だらしない顔で泣いたり笑ったりしていたのだがら、みんな似たような状態だったとは思う。
ジン:
「しかし、ヒドい殺戮兵器だな」
葵:
「否定はしない」
レイシン:
「はっはっは」
食事が終わって、ぼうっとしていた。感情が動きすぎて疲れたみたい。顔の感覚までおかしい。笑いすぎてほっぺが痛くなるのに似ていた。普段使っていない表情筋がたくさん動いたためだろうか。
エルム:
「落ち着きましたか?」
トモコ:
「うん。……ごめんね」
エルムが、ミルクティーを置いた。「砂糖は?」と訊かれたが、首を振って断った。砂糖でジャリジャリにしてから飲む人を知っていたためか、自分はそのまま口を付けてしまうことも多い。優しい味が広がる。まるで自分の領域を越えて、波紋のようにどこまでも響いていくみたいだった。お茶まで美味しいのは反則だ。
エルム:
「素晴らしい」
トモコ:
「本当だね」
ミルクティーを味わい、細い目を更に細めていたエルムに質問する。
トモコ:
「君は、……落ち着いていたよね」
エルム:
「予想していました。こうして時折、お茶を頂いていましたので。まぁ、予想以上でしたが」
トモコ:
「…………」
エルム:
「どうしました?」
エルムは優しかった。醜態を晒した自分にも。そこまで考えたところで、顔を隠すようにうずくまる。顔から火が噴きそうなほど熱くなっていた。
配慮だったのだろう。やや間を空けてから別のことを言った。
エルム:
「……ところで、これは重要な知見であると思いませんか? 我々〈海洋機構〉にとって、見過ごすことのできないものだと」
トモコ:
「どういう、意味?」
エルム:
「まさに字のごとく『美しい味』でした」
トモコ:
「そうだけど。だから?」
エルム:
「この食事の秘密を探るためには、再調査が必要です。それも何度も。ご一緒に、いかがですか?」
のろまな亀にみたいになった頭の中で、ゆっくりと意味が繋がる。次の機会をどうするか?と言われれば、断るような勿体ないことはできなかった。
トモコ:
「重要、なんだよね?」
エルム:
「もちろんです」
トモコ:
「みんなのため?」
エルム:
「必要です」
しぶしぶというフリをしつつ、共犯関係になる契約にOKした。みんなのためと口で言いながら、しばらくは調査の名目で楽しませてもらうつもりでいた。それはたぶんエルムの思惑通りなのだろう。そうだとしても、私にとっても好都合だった。
トモコ:
「本日はお招き、ありがとうございました」
〈カトレヤ〉の幹部メンバーと思われる人達に挨拶をしにいく。
葵:
「料理はどう? 満足できたかにゃ」
トモコ:
「いっぺんにファンになっちゃいました」
レイシン:
「それは嬉しいなァ」
ジン:
「うむ。気に入ったんなら、またおいで」
トモコ:
「また来ます! 絶対!」
みっともない姿を見せてしまったことで、少し怖い気持ちもあった。それでも優しい言葉をかけて貰えたことにホッとしていた。まるで、そこだけゆったりとした穏やかな時間が流れているような、安心できる雰囲気を纏っている人達だった。
ユフィリア:
「ウフフ。ジンさんって、たまに優しいよね」
ジン:
「そんなことないぞ。俺は常に優しい人death」
葵:
「『二度とくんな!』みたく辛辣にする場面じゃないしね」
トモコ:
「あははは……」
ジン:
「ざけんな。ユフィのお友達に優しくする程度の常識はあるっつー」
葵:
「そうして優しさを使い切り、ユフィちゃんには冷たく当たるわけか」
ジン:
「そっそ」
ユフィリア:
「やーだー! 私だって優しくされたいんだよ?」
やりとりを見ていて、『良かったなぁ~』と思う。
ユフィリアは誰もが持て余すほどの美しさを持っている。性格は素直で可愛いとしても、やはり人間関係は難しくならざるをえない。ニキータはがんばり屋さんだが、一人ではどうにもならないこともあるだろう。見ていられなくて、〈海洋機構〉に来ればいいと誘ったこともあったが、どうやら『帰る場所』を彼女たちは無事に見つけたようだ。
エルム:
「ここまでで結構です」
シュウト:
「では、また来てください」
ユフィリア:
「絶対だよ!」
トモコ:
「絶対くるから!」
帰り際、玄関の外まで見送りに出ていたシュウト達を断ったのだが、結局は外まで一緒だった。泊まっていけとか、お風呂に入っていけと言われたが、初回からそれは図々しい気がして止めておいた。
エルム:
「次に来たときは、泊まっていくのも良いかもしれませんね」
トモコ:
「図々しくない?」
エルム:
「そうですが、朝食も魅力的でしょう?」
トモコ:
「朝食付きか……」
よだれを分泌させる器官が壊れている気がした。
Zenon:
「もういっそ、あっちのギルメンになっちまうか?」
バーミリヲン:
「やめろ、シャレにならない」
エルム:
「我々は、我々の役割を果たす方が、お互いのためになるのでしょうね」
振り返ると、ユフィリアがまだ手を振っていたので、大きく手を振り返す。『いい子だなぁ~』と改めて思う。
ラッキーな夜だった。エルムの横顔を見て、これは少しばかり誉めてやらなければなるまい、と思う。……その内に、気が向いたら。