103 最後の夜
――冷たい雨が降っていた。
9月上旬とは思えぬ気候と相まって、まるで水滴が氷の矢のように感じられる。こちらの世界では傘を使う人は少なく、マントのフードを被って終わりにしてしまう。雨の矢を避けてうつむく人達は、悲しんでいるかのようだ。
そー太:
「もっと奥に詰めてください!」
――悲しげな表情で『助けに来てくれて、ありがとう』と言われた。
そー太、マコト、雷市、汰輔の4人は、エルムに頼み〈D.D.D〉の部隊に混じり、ライポート海峡を越え、はるばる北の帝国エッゾへ、そこから更にヤマトサーバー最北のプレイヤータウンであるススキノまで旅を終え、ようやくたどり着くことが出来た。
そー太は、実のところもっとドラマチックな大冒険になると思っていた。しかし、現実には地味な作業の連続でしかなかった。そして自分たちはただの足手まといでしかないのを、ようやく理解した。
自分たちは戦えば強い。だから、役に立つだろうと思っていた。
しかし、それは甘い考えでしかなかった。旅は地味なもので、ときおりゴブリン達と遭遇したとしても、速やかに処理されてしまった。自分たちよりも遙かに強い戦士達に囲まれ、何の苦労もない。正確には何の苦労もさせて貰えなかっただけだった。
2週間に渡る長い旅路というものは、その大半がなんてことのない『生活』の連続だった。起きて、食事して、移動して、休憩して、また食事して、眠るということの繰り返しである。GPSどころか地図もロクにない世界で、道無き道を進む。時には道を切り開き、方角を何度も確認し、斥候を出して地形を確認する。たまにグリフォンを飛ばすこともあった。そうやって着実に進んでいくものだった。物珍しさは最初の何日かだけだった。
遠征に参加した大勢の人数に行き渡るように料理を作るのも大仕事だ。何しろ小パーティとは人数が違う。小規模な町が移動しているような感覚でやっているからだ。現地で確保できる獲物を狩り、味に変化を付けるだけでも一大事である。水場の確保も重要だし、トイレ休憩なども個々人がバラバラに取ると一歩も先に進めなくなってしまう。
こうして移動計画が大きく破綻しないように調整を掛けていく必要があるのだ。何時間か前に野営の片づけをしたと思ったら、また野営の準備をすることが求められる。それも毎晩だ。……それらの膨大な作業量をこなすことで、遠征は成り立っていた。
だが、そー太達は手出しすることが出来なかった。未熟すぎた。自分たちが何の役にも立てていないことを、ただ突きつけられただけだった。モンスターをぶち殺すだけでは、どうにもならない戦場。素人でしかない自分達に愕然とする。働いていないのに、誰も何も文句など言わない。逆に、みんな優しくて気を使ってくれていた。『この足手まといめ!』と怒られることすらされなかった。
そー太:
(これじゃ、なんの為に参加したのか、わからないじゃないか!)
――途中で大きく班を分けることになり、そー太はススキノ救出部隊に志願していた。ゴブリンを倒すための旅だったはずが、こうして北への旅が続くことになった。
治安の悪化したススキノから、アキバに移住を望むプレイヤーを集めて、連れて帰るのだ。
ススキノの中に入れば、帰還呪文の帰還先が上書きされてしまう。このため、万一途中で死んだ時のことを考えて、グリフォン乗りを中心に街中に入らせることにしていた。そー太たちは街の外で、出てくる〈冒険者〉を出迎え、先導する役割をしていた。誰にでもできる交通整理のようなものだが、仕事ができれば何でも良かった部分はある。
男性冒険者:
「ちくしょう。クソッ」
女性冒険者:
「ねぇ、もうやめなよ」
男性冒険者:
「うるさい! チクショウ」
そー太:
「あの、どうかしましたか?」
女性冒険者:
「ごめん、なんでもないから」
そー太:
(チェッ、わざわざアキバから助けに来てやったのに、なんだよ)
――そー太にしても、感謝の言葉が欲しいわけではなかった。ただ〈D.D.D〉のメンバーが積み重ねてきた努力を間近で見ていただけに、何か一言いってやりたい気持ちになったのだろう。
結局、感謝の言葉を言ってくれた〈冒険者〉の顔は忘れてしまったが、悪態を付き、強く拳を握り込んでいた『彼』のことが、そー太の脳裏に焼き付くことになった。
◆
女子会に行ったニキータ達が、『マイハマでパーティがある』という話を仕入れて来たものの、(葵さんによれば条約締結を祝う祭典だとか)〈妖精の輪〉の周期の関係上、最終日はドラゴン戦の日と重なっていた。ユフィリアは残念がっていたが、今回は諦めて、幽霊ビルの改装に力を入れる方向で話がまとまった。
エルムを間に入れ、〈海洋機構〉の作業担当者とも打ち合わせが始まっていた。住居の改装を担当する人達は、マイハマの祭典とはあまり関係ない部門でもあって、祭典の準備に追われる人達を横目に、暇を持て余していたらしい。今回の仕事は意外にも喜ばれる結果になった。いわく「さっさと済ませて見物にいこうや!」とのこと。
ジンはあんまり興味が無いのか、ほぼ女性陣に任せるつもりのようだ。『ほぼ』というのは、時々、『飽きのこない落ち着いた感じがいい』だとか『メルヘンチックは個室でやれ』『夏と冬でカーテン取り替えればいいんじゃねーの?』のように、全体方針にコメントするからだ。「葵を完全に放置するのは危険……」「うっさいジンぷー!」などのやり取りはもはや定番である。
そうして、暇があれば半地下の『あの部屋』に入り浸っていた。毛布にくるまって日中を過ごすウヅキとの違いは、場所だけの気がする。
『メイド奴隷』に任命された咲空と星奈はというと、ジンが何も命令しないことで、むしろ葵やユフィリアのおもちゃになりつつあった。助けを乞うような瞳で咲空がこちらを見ていた気がしたけれど、そっと視線を逸らして逃げて来てしまった。
シュウト:
(ごめん、だけど……)
助けられるほど立場が強くないのだ。それに、そんなに非道なことはされない……ハズである。女性陣は悪ノリしそうなので、待遇の改善を望む場合、ジンに訴えるしかない。これは後で教えてあげようと思う。
しかし、『メイド奴隷』にしたのはジン本人なのに、待遇改善が可能なのもあの人しかいないというのは、なんなのだろうと思ってしまう。
◇
ジンと2人で、ぶらっと買い食いに出たところ、町中で女性に挨拶されてしまった。
女性冒険者:
「シュウトさん、こんにちは」にこっ
シュウト:
「あ、どうも」ぺこり
一瞬、誰だっけ?と思い、相手のステータスを見ようとしたが、表示される前に思い出していた。たぶん、明るいところで相手の顔を見たことが無かったためだ。
ジン:
「……誰だ?」
シュウト:
「そうでした。ジンさんはあの時、独房にいたんですよね」
ジン:
「んー?」
ユーノ:
「あの、ボク、シュウトさんに話したいことがあったんです」
ジン:
「ボクっ娘、だと……?」
興味なさげな眠そうな瞳に、意地悪な光が宿る。
シュウト:
「えっと、何かな?」
ジン:
「つまりアレだろ、『ハナザーさん』な訳だな?」
シュウト:
「ハナ……?」
ユーノ:
「はなざー? えっと、何のことですか?」
ジン:
「なんだよ、勉強不足だな」
ユーノ:
「ご、ごめんなさい。それで、そのハナザーっていうのは?」
ジン:
「くっくっく。帰ったらギルドの仲間にでも尋ねてみるといい。半分ぐらいの人間はふき出すと思うぞ? みーんな影では、お前のことを笑ってるのかもしれないからなぁ」クックック
ユーノ:
「ほ、本当……?」
シュウト:
「意地悪しちゃ可哀想ですってば!」
なんだかユフィリアみたいなツッコミになってしまった。
ジン:
「まぁ、確かに可愛い子だな。どこで知り合った?」←ちょっとフォロー
シュウト:
「レベルが上がった日、あの後、取材を受けたんです」
ユーノ:
「ボク、〈アキバ・クロニクル〉って新聞の記者をやっています、ユーノです」
ジン:
「なっ……、てことは、貴様かっ! シュウトを『7番目』にしやがったのは!」
シュウト:
「じゅ、順番ぐらい どっちだっていいじゃないですか」
ジン:
「お前は黙っていろ」
ユーノ:
「あの、本当にごめんなさい。ボクも後で見て、びっくりしたんです。知らない間に順番が入れ替えられてて。だから、シュウトさんに会って、謝りたいと思っていました! 本当にごめんなさい!」
ジン:
「殊勝な態度で誤魔化せると思うなよ? 俺がアレのために背負わされた借金が、幾らになったと思ってやがる!」
ユーノ:
「借金?」
シュウト:
「待ってください、ちょっと落ち着いて! ジンさん、この人に八つ当たりしちゃダメですって!」
ジン:
「八つ当たりじゃない。モロに関係者だろうが! あぁん?」
シュウト:
「それでもダメですって!」
ユーノ:
「なんだか、よくわからないんですけど、ゴメンナサイ」
ジン:
「ハッ、ハナザーさんの癖に」ぽそっ
ユーノ:
「ボク、そのハナザーさんってゆうのじゃないです」ムッ
ジン:
「いいや、どっからどうみたってハナザーさんだろ」
ユーノ:
「違う!」
ジン:
「違わねーよ」
ユーノ:
「違うもん! ボクは、ユーノってゆーのぉ!!」
木枯らしが一陣、吹き抜けていった。
ジン:
「…………うっわー、さっぶ。寒波 到来しちゃったなー。気温が5度ぐらい下がったな」
ユーノ:
「ああああ、今のは、狙ったわけじゃなくって……」
ジン:
「ほーれ、周りみてみ? 失笑かってるし。やべっ、他人のフリしよっ」すすす
ユーノ:
「うがーっ、失礼でしょ!? 失礼だよ! 失礼するっ!!」
失礼3段活用と共に、小さな竜巻は去っていった。
シュウト:
「……ジンさんの好みなんですか?」
ジン:
「なんでそう思う?」
シュウト:
「好みの子って、イジメるじゃないですか」
ジン:
「イジっただけだ、イジメちゃいない。……お前も女の子のイジリ方を少しは覚えろ。会話を楽しめないと、間が持たないぞ?」
シュウト:
「はぁ……」
ジン:
「あの子なんか、反応がいいから練習相手には良さげ…………いや、ダメだな。あのハナザーさんには近づかないようにしろ」
シュウト:
「別にお近づきになりたいとか、思っていませんけど、……何か理由でも?」
ジン:
「うむ。俺たちには秘密があるからな。便利に利用するぐらいの距離感ならいいが、フトコロに入り込まれると、ちょっと厄介なことになりそうな気がする。んで、そんな距離感の調整がお前に出来るとは思えない、ってことだ」
シュウト:
「なる、ほど……」
記者の好奇心みたいなものもあるだろう。せっかく謝りに来てくれてところを、ジンにイジメられて可哀想な気もするのだが、注意しなければならない相手なのかもしれなかった。
◆
ユフィリア:
「最後の日なんだから、パーティしようよ!」
約1週間という異例の短期間にて改装も終わり、アキバへの引っ越しも最終段階に来ていた。今日はドラゴン狩りもお休みにして、シブヤのホームで荷物を片づけることになっていた。自分などは大して荷物もないため、毎回のように魔法の鞄にポンポンと放り込めば、それで引っ越し準備などは済んでしまう。それに家具の大半は新たに購入していることから移動させる必要もなかった。
基本的にゾーン自体は勿体ないので、そのまま維持していく方針らしい。やはり手放すのは惜しい気持ちになるからだろう。
普段は解放している入り口部分のゾーンなども、決められた人達以外には入れないように設定し直してしまう。
レイシンがパーティ用の料理を準備する間、全員であちこちの掃除を済ませてしまう。普段からユフィリアが綺麗にしていた関係で、そこまで汚れてもいない。部屋の中を掃除するのが一番大変で、それ以外は軽く拭き掃除する程度の話で終わりそうだった。
ユフィリア:
「うんっ♪ 綺麗になったよね!」
ニキータ:
「そうね」
シュウト:
「まだジンさんたちは部屋の掃除してるみたいだけど」
キョロ、キョロと周囲の様子を探るユフィリア。挙動がおかしいのはいつものことだが、何かありそうな態度だった。
ユフィリア:
「それでね、今日のパーティのために用意したものがあります」
シュウト:
「……念のために聞くけど、何するつもりさ?」
ユフィリア:
「ウフフ。ジンさんがお酒を飲んだところって見たことないでしょ? だから、酔ったらどうなるのかなって思って。シュウトだって気になるでしょ?」
ニキータ:
「……面白そうね。良い機会だから、正体を暴いてしまいましょ?」
ユフィリア:
「でしょ? 真っ赤になるのかな? 愚痴り始めるのかな? 泣き上戸だったりして! 楽しみ~」
脳天気に今からはしゃいでいるのには呆れるほかにない。少し、頭を冷やした方が良さそうな気がした。
シュウト:
「そんなことして、怒られても知らないぞ」
ニキータ:
「〈冒険者〉なんだし、少しぐらい具合が悪くなったとしても、平気でしょ?」
ユフィリア:
「ちょっとぐらい怒られても平気だもん。……意地悪ジンさんに正義の鉄槌だよ!」
シュウト:
「正義の鉄槌って……。それに、いくらなんでも苦手なお酒だったら、臭いとか、味とかで気が付くんじゃないか?」
ユフィリア:
「フフフ、そこは抜かりありません」
いったい、誰に似た?と思ったが、師匠の葵以外にはありえない。たぶんジンも怒ったりはするだろうけれども、結局、優しいから許してくれるだろう、ぐらいに思っていた。
◆
シブヤでの最後の夕食を終え、ジンがいつものソファに座る。このソファは持って行き、半地下のあの部屋に置いて使うことになっていた。
ジン:
「うむ、今夜もウマかったなぁ~」
葵:
「うん。大満足じゃ」
まったりとした空気に、しんみりとしたものが混じる。色々なことがあったが、今夜で一旦はここともお別れだ。
シュウト:
「このギルドホームって、いつから使ってるんですか?」
葵:
「んーと、あたしがキャラ変更する前からだから、4年、そろそろ5年ぐらいかなぁ」
ニキータ:
「長いですね」
レイシン:
「あの頃は、もっといろんな人がいたよね」
葵:
「みんなどうしてっかなー。〈大災害〉に巻き込まれなかったのだけは、良かったんだろうけどねぇ~」
いつか、自分たちもゲームを辞める日がくるのだろう。それはそんなに未来のことだとも思えなかった。葵たちは、そうして自分たちも見送る立場になるのかもしれない。……ふと、そんなようなことを思った。
〈大災害〉のような大事件に巻き込まれ、死にはしないものの、過酷な状況におかれていてさえ、自分たちは幸運で、幸福だった。もしかしたら現実世界で普通にすごしていたのよりも、幸せであったかもしれない。なんてことのない食べ物のありがたみなど、素朴なひとつひとつの出来事が新鮮で、とても大切なことだった。生きることを見直すという意味でも、素晴らしい体験をさせてもらっていた。それは、ひとえにジンやレイシン、葵といった年輩プレイヤーに護られているお陰でもある。
シュウト:
(僕も、きっと……)
感謝の気持ちを再確認する。それを言葉にするのは、さすがに恥ずかしくて出来なかった。彼らと同じように出来るようにならなければと強く思う。自分の周囲の人達を、笑顔にできるようになりたい。戦う強さだけではなく、もっと大きな強さも必要な気がする。
ユフィリア:
「ジーン、さん ♪」
ジン:
「おう、どうした」
ユフィリア:
「飲み物をどーぞ。ユフィ特製ウーロンドリンクだよ?」
ジン:
「お、気が利くねぇ。サンキュ!」
シュウト:
(……まさか!?)
ぐびっ、ぐびっ、とジョッキサイズの杯をあおるジン。ノドが乾いていたのか、ほとんど一気に飲み干してしまっていた。
ユフィリア:
「どう、美味しい?」
ジン:
「おう、ちょっと苦めだけど、冷たくてウメェな」
ユフィリア:
「オカワリ、いる?」
ジン:
「いいのか? じゃあ、もういっ…………あ?」
葵:
「ん、どったの?」
石丸:
「なにかあったんスか?」
ジン:
「なんだ? ……体が、おかしい」
ユフィリア:
「えへへ~♪ 最後の夜だから、お酒を入れました。ちょっとぐらい酔ってもいいでしょ?」
ジン:
「酒を、まぜたのか? バカな、俺が気付かない訳……」
葵:
「ジンぷー!」
ニキータ:
「メニュー作成から作った、酔っぱらう水を使いましたから」
シュウト:
「そうか、だから気が付かせないで飲ませられたのか!」
レイシン:
「大丈夫?」
葵:
「バカ!アンタたち、何を考えて」
ジョッキをコトンとテーブルに置くと、ふわりと滑るような動きでユフィリアを抱きしめるジン。楽しそうにクスクスと笑っていたかと思いきや。
ジン:
「(ちゅ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅー)」
ユフィリア:
「きゃー!? ジンさん? ジンさん!?」
ニコニコして、ユフィリアの頭や顔に、キスの雨をふらせていた。
葵とレイシンが無言で距離を取る。ニキータがゆらりと立ち上がり、部屋の隅に置いていた鞄から、弓を取り出していた。愛用している〈精霊の琴弓〉だ。取り出した矢を見て、顎が外れそうになる。
シュウト:
(いや、その矢は……!)
ピンチ用に渡しておいた、かなり高額な素材を用いた矢だった。金貨1500枚はくだらない。現状だと3000枚出したって買えるかどうかわからないような矢なのだ。ユフィリアがピンチなのは、わかる。それでも、弓兵としての感覚は、『こんなところで使っちゃうの!?』と悲鳴をあげていた。
ニキータ:
「ユフィを放しなさい!」
ジン:
「ハハハハハ!」
謎の大爆笑。ちょっとどころではない異変に、寒気すら覚える。
ユフィリアを抱きしめているのにも関わらず、リィン!と独特の弦の響きが室内を駆け抜ける。
ジンは右手であっさりと掴むと、くるりと手で矢を反転させ、そのまま投げ返していた。ニキータの顔を僅かにそれた矢は、彼女の背後に突き刺さり、爆発を起こしていた。
シュウト:
「ああああ、高い矢なのに……!」
石丸:
「ギルドホールが……」
ジンの左腕が、ユフィリアの背から腰をゆったりと往復する。彼女も抵抗しているのかもしれない。がっちり押さえられているのか、逃げるそぶりをみせていなかった。
ニキータ:
「その子を放しなさい!」
再び鞄に手を伸ばし、愛用のサーベルを取り出しているニキータは、ジンに向けて剣を構えていた。
ジンの瞳に、剣呑な光が宿る。
ニキータ:
「〈エレガントアクト〉!」
独特のダンスめいた動きで突きを繰り出すニキータに対して、ジンはあっさりとユフィリアを手放して迎撃の体勢を取っていた。素手のまま、ニキータの斬撃を捌いてしまう。そのまま、一歩、間を詰めるジン。
ニキータ:
「クッ!」
〈フェンサー・スタイル〉を用いるニキータの武器攻撃力は、180%以上にはなっているハズだ。〈守護戦士〉とはいえ、鎧無しのジンが受ければ、それなりのダメージを負うことになる。しかし、危なげなく回避し、……それどころか、どこか遊んでいるようにさえ見えた。
シュウト:
「違う……」
よく見ると、だんだんとニキータの動きが縮こまっていくではないか。ディフェンスしながら、ちょろちょろと体を触ったり、まさぐったりしているらしい。ニキータにしても、そこまで弱いわけでもない。通常の戦闘モードを使った攻撃を、近接でここまで鮮やかに回避しているジンが異常なのだ。フトモモの内側を撫でられ、バックジャンプで後退するニキータ。
ニキータ:
「〈ファイナル……」
サーベルを持ち替え、投げつけようとする。奥の手〈ファイナルストライク〉だろう。しかし、ジンは持ち替えるその動きを狙って、サーベルを弾き飛ばしてしまっていた。打つ手をなくしたニキータの腕をつかみ、素早く体を入れ替え、そのまま後ろから抱きしめていた。
ニキータ:
「ヤッ!」
服の下に隠れる豊満な胸を揉みしだこうとするジン。ニキータも必死に腕でガードするが、ガードしている部分を避けてさわり続ける。脇腹やお尻、足へと手が伸びていき、それを払おうとするニキータの手が胸から離れると、そこを狙ってジンの手が伸びる。この攻防を左右の手で同時に行いながらも、勝ち続けるジン。
唐突にニキータの体が力なく崩れる。崩れ落ちる寸前に胸に手を当てて体を支えていた。ニキータは気絶してしまったらしい。
葵:
「うっひゃ~。ヤバ過ぎでしょ」
ユフィリア:
「〈ホーリーライト〉!」
胸の感触を楽しもうとしていたジンの頭をめがけて、ユフィリアがレーザーめいた白い光線を放つ。回避したジンの背後で、またもや建物にダメージが発生。
ユフィリア:
「ニナに手を出しちゃダメなんだよ!」
ジン:
「……なら、お前が相手してくれんだよな?」
気絶したニキータを床に下ろし、ユフィリアとの間をゆっくり詰めて行くジン。魔法効果のあるメイスを構えているものの、ジリジリと後退していくユフィリア。ジンのソファのところまで下がったところで、後が無くなる。
葵:
「…………」
レイシン:
「…………」
どうするべきかと振り返ったが、葵とレイシンは動かないでいた。何故だかわからないが、動けないらしい。
ユフィリア:
「キャッ」
ジン:
「ククク、可愛いヤツだ」
頬を撫でる手が、首筋から胸を避けて脇腹へ。そのまま腰から足へとゆったりと移動していく。顔を赤くしたユフィリアが、耐えるような表情になっている。
状況の変化は一瞬にして起こった。
小声での呪文詠唱から、ジンの背後で振り上げたメイスが振り下ろされる。
ユフィリア:
「ムグッ!?」
狙いは悪くなかったと思うのだが、小細工が通用する相手ではない。右手は掴まれ、呪文詠唱は、口を塞がれて終わった。
ユフィリア:
「ん!? うー、むー、・ー」
ユフィリアの口を塞ぐジンが何かしているらしい。くぐもったユフィリアの声が本気で焦っている感じを伝えてくる。自分が知る限り、2人の最初のキスのはずであり、それが、こんな形でいいのだろうか?などと、関係ない疑問を思う。
葵:
「入ってんね」(舌が)
シュウト:
「入ってるじゃなくって、この状況を、どうすれば?」
レイシン:
「……どうにもならないんだよ」
シュウト:
「えっ?」
葵:
「わかんないかな(苦笑) ジンぷーは、こうなったらもう誰にも止められないんだよ」
シュウト:
「でも、それは……」
レイシン:
「……どうにも、ならないんだよ」
繰り返すレイシンの言葉に、ゆっくりと自分の頭が動き出した。反発したい気持ちがそうしたのか、逆に絶望のセリフが口から漏れ出していた。
シュウト:
「そうです、レギオン、レギオンレイドなら!」
葵:
「それはどこにいるの? 今からアキバにいる〈D.D.D〉に来てもらう? それには何分掛かるのかな? それまでにユフィちゃんはどうなってると思う?」
レイシン:
「第一、レギオンレイドには勝てないって言ってたのは、もう一ヶ月も前の話なんだけど(苦笑)」
焦る気持ちで必死に頭を働かせる。
長いキスを終えて、ジンの顔がユフィリアから離れる。服の上から、ゆっくりと愛撫を始めるジン。
葵:
「うっひゃー、気持ち良さそ」
レイシン:
「手からかなりの気を流し込まれてるみたいだね」
葵:
「ニナちゃんはそれで気絶か。おっかね」
シュウト:
「そうだ、ゾーン設定を……」
葵:
「気付くの遅すぎ。それはダメなんだよ」
シュウト:
「なぜ、ですか?」
顔を覆う手を限界まで開いて、その隙間からジンとユフィリアを見ながら解説してくれた。
葵:
「ジンぷーがあたしを殺すのに1秒も掛からない。だからあたしはここから動けないの。1秒あればゾーン設定を操作し終える自信はあるけど、それよりも問題は、ユフィちゃんを連れてギルドホールからジンぷーが逃げ出しちゃった場合なんだよ」
シュウト:
「その場合、どうなるんですか?」
葵:
「ジンぷーが街に飛び出したら、詰みでしょ。いくら人が居なくなってたって、ゼロになったわけじゃないし。外でユフィちゃんとシテるところを誰かに見られたら、あの子が終わっちゃうよ。だから、絶対に、外に出しちゃダメなの。この中だけで終わらせなきゃ」
万が一、ジンが外に出たことによって、被害者が増えたらダメだという意味なのだろう。ユフィリアだけではなく、関係ない余所の女性プレイヤーが巻き込まれない保証などはない。
シュウト:
「でも、このままだと……」
レイシン:
「ユフィさんも満更でも無さそうだし、いいんじゃない?」
葵:
「ははっ、大人の割り切りだぁ。確かにあの子は自業自得だしね。合コン行って酒を飲んでりゃ、こうなることだって別に珍しくないかもしれないし」
シュウト:
「それは……」
ユフィリアが何度も身をよじるような動きをしている。声を出すのを必死に堪えているような感じだった。手の平から流し込まれた気でニキータはあっさりと気絶してしまっていた。なぜ、ユフィリアは耐えられるのか?と思ったが、気絶したらどうなるのかを考えるのが恐ろしい。
葵:
「ふぅ。こんなナリしてっけど、あたしは見逃してくれんのかなァ?」
レイシン:
「……護れなかったら、ゴメン」
葵:
「あたしは、ほら、大丈夫だから」
シュウト:
(……シャレに、なってない)
親友のレイシンを殺し、その妻である葵にも手を出したらどうなるのか。長年の友情だろうと一夜にして崩れ去るしかない。
認めたくなかったし、認められなかった。この先に自分の未来はない。楽しかった時間は、今夜で終わりになるだろう。
やがて正気に戻れば、やったしまったことの責任を感じてジンは出て行ってしまうだろう。ニキータとユフィリアも、ここに残ることはできないのではないか? レイシンと葵は、それでも生きて行かなければならない。この世界からは、そう簡単に脱出はできないのだから。
ジンにお酒を飲ませるなんて話は、小さな過ちでしかなかったはずなのだ。その結果はどうなるかなんて、これっぽちも考えてみなかった。自分は、もしかしたらくだらないイタズラを止められたかもしれない。後悔の念が、自責の念が、鈍く自分を貫いている。
シュウト:
「何か、方法は?」
葵:
「ひとつだけあるけど……」
シュウト:
「何ですか? 教えてください!」
すがるような気持ちで尋ねる。しかし、葵は首を横にふるばかり。
石丸:
「……本人が、決めるしかない事っス」
言っていることの意味が、わからない。
ユフィリア:
「ジンさん、お願い……」
ジン:
「ん~? どうした」
ユフィリア:
「みんな見てるのヤなの。ヤだから、ンッ」
涙を流してさえ、彼女は美しかった。無駄な化粧などしていないのだろう。透明な涙が、ホホを伝って流れた。
ユフィリア:
「お部屋に、いこ? お願い……」
それが答えだった。彼女の自己犠牲でしか、この場を凌ぐことはできないのだろう。ニキータを救い、葵を救うことは、レイシンを救うことにもなる。彼女が我慢をすれば、全員が、助かる。ギルドが崩壊しなければ、このまま続けていける……。
ジン:
「お前は、俺のものだ」
ユフィリア:
「……うん」
ジン:
「みんなには見られたくない? ダメだ、見せつけてやる」
全ての希望を打ち砕くセリフに、膝の力が抜け、しゃがみ込んでしまう。
葵:
「終わった……か」
葵の呟きは、全員の気持ちの代弁だったろう。
ジンの手は、腰のベルトにのびる。カチャカチャとベルトを外そうとしていたが、片手では苦労しているように、見えた。
その事が、自分の中の何かに触れた。
シュウト:
「……ははははは。あははははは!」
葵:
「シュウくん?」
シュウト:
「僕は、バカだ。何をやってるんだ、……本当にっ!」
ユフィリアを犠牲にして、このまま続けていくつもりだと? バカにし過ぎている。ジンは、いつも『何が理想か?』を考えていた。確かに、世の中は複雑で、割り切れないものもある。妥協しなければならないことだってあるのだろう。しかし、これはない。いくらなんでも、これで……
シュウト:
(これで、ジンさんの弟子を名乗れる訳が、ない!)
こんな人間がジンの弟子を名乗ろうだなんて、飛び降り自殺ものだろう。恥ずかしくて、生きている価値などないじゃないか。
シュウト:
「ジンさん! ……コントロールできないだけで、意識はあるんですよね? だったら、僕が、相手になります。僕が、貴方を楽しませます! それが僕の責任だ。僕は、貴方の『おもちゃ』なんだ。そうでしょう? そういう意味だったんでしょう!?」
ベルトを外そうとしていた手が止まる。やはりそうだ。間違いない。意識はあるのだ。ジンならば、セックスよりも戦いを、暴力を選ぶだろうという、理由のない確信があった。否、根拠がない訳じゃない。何十回、何百回、何千回と思考をトレースしてきたのだ。それが根拠だった。
シュウト:
(問題は……)
問題は、おもちゃにすら成れない自分の弱さにある。おもちゃ扱いされたことなどなかったのだ。それもこれも、自分が弱すぎたからだ。
シュウト:
「レイシンさん……。力を、貸してください」
レイシン:
「…………」
葵:
「ダーリン。あたしからもお願い。ジンぷーを、助けてあげて」
レイシン:
「……ごめん。そうだね、ユフィさんのためにも、死んで見せるぐらいのことは、しなきゃね」
石丸:
「自分もやれるっス」
3対1。たったの、3対1。それは絶望的な戦力差だった。ドラゴンすらソロで倒してのける『最強』を相手に、たったの3人で挑まなければならない。負けられない戦いを前に、恐怖で押しつぶされそうになる。
レイシン:
「ウォォォオオオオ!」
『獣化』からフリーライドに入るのだろうと思ったが、レイシンは更に唸り声を強めていく。
葵:
「ダーリン! ヒューマンじゃないんだよ? それをやったら!」
レイシン:
「無茶は承知! ここで無理しなきゃ、男じゃ、ない!」
シュウト:
「獣化が……!?」
獣化したレイシンが、更に少しずつ変化していく。獣化を越えた更なる獣化だった。爪が鋭くなり、歯が牙へ、体毛が増え、体の体積そのものが増えて感じられる。顔が、特に鼻筋が盛り上がり、狼の顔に近づいていく。
レイシン:
「うぉぉぉおおおお!〈ビーストライド〉!!」
赤く光っていた野獣の瞳が、黄金の色へと戻る。より深い獣化を制御するのに、どうやら成功したように見えた。
シュウト:
「レイシンさん……?」
レイシン:
「とりあえず成功だ。……行くぞ!」
シュウト:
「はい!」
石丸:
「うっス」
バァン!と強い衝撃音が響いた。瞬間移動のような速度で突っ込んだレイシンが、ジンに蹴りを見舞ったのだ。服の上からユフィリアの胸をさすっている左手はそのままに、右手や右肩だけが別の生命体になったかのように動き、レイシンの蹴りを迎撃していた。
レイシン:
「うおおおおお!」
その場で次々と連続蹴を放ってゆく。まるで意に介することなく、右腕だけで迎撃するジン。顔もユフィリアを見たままだった。レイシンは深く踏み込まず、その場で蹴り続けることで反撃を防いでいる。ジンとレイシンの戦いをこんな形で見ることになったことには、少しばかり残念な気がしていた。
シュウト:
(よし、使えるぞ!)
ニキータの残していたサーベルは、〈暗殺者〉でも使用が可能だった。部屋に戻って、魔法の鞄を取ってくる暇はない。弓も矢も、彼女のものが転がっている。気絶したままのニキータを見やり、ここでどうにかしなければと強く思う。
シュウト:
(全力で、行きます……!)
装備したまま持っていた投げナイフを瞬間的に撃ち出す。
――ナイフ投げには2種類の方法があり、それぞれ『ショット』と『スローイング』と呼ぶ。
これらはBFSとAFSにそれぞれ対応関係があった。『ショット』は、腕の力で投げつけるもので、BFSに対応し、瞬間的な撃ち出しを目的としている。『スローイング』は、AFSに対応し、全身の運動量を利用するもので、腰のひねりなどを利用する。
特に忍者の手裏剣などは、走りながら投げることを意図することから、ショット系の投げ方になっている。腕や上半身の動きを使って叩きつけるような特殊な投擲方法を『打つ(ぶつ)』と呼んだ。
スローイングは全体の動作が大きくて長いため、相手に『投げること』がバレてしまうのがデメリットになるが、高い速度を出すことが可能で、遠くまで届かせられることがメリットになっている。
レイシンの蹴りと同時になるように放ったナイフは、簡単に腕で弾かれてしまっていた。レイシンの蹴りを上半身ごと躱し、腕でナイフを迎撃していた。あんなことがどうして可能なのか、まるで理解できない。
シュウト:
(今は、全力で!)
――ジンの背後に『揺らめき』が生まれる。そこから姿を現すシュウトは、技後硬直を感じさせない滑らかで素早い動作によって〈アサシネイト〉を放った。狙い澄ました一撃がジンの首を襲う。……覚醒版シュウトによる、世界最高峰の攻撃。絶対必中のタイミングだった。
シュウト:
「がっ……!?」
壁に叩きつけられている自分を発見する。何が起こったのか?と自問する。ジンを相手にすると何度か感じたことのあるものだった。真のリアルタイムでは、出来事は『後からやってくる』ものらしい。
体を倒しての〈アサシネイト〉回避からの、右足での後ろ蹴り。壁に直行したらしい。ジンに視覚的な意味での死角は存在しない。全力でも、ぜんぜん足りないのもとっくに分かっている。
シュウト:
(これで〈アサシネイト〉はしばらく使えなくなった。……どうする?)
ニキータの弓のところに移動。矢を手に取ったところで驚く。ガードしているハズのジンのHPはまるで減っておらず、逆にレイシンのHPが削られていた。よく見れば、高速で連続蹴りを放っているレイシンの足が、ジンの手刀によって痛めつけられているのか、ボロボロになっていた。
シュウト:
「レイシンさんの足が!?」
葵:
「交差法だね。ダーリンの蹴りを叩いて逸らしてるんだよ。ジンぷーには1発も当たってない。それどころか、1回もガードすらしてない」
シュウト:
「そんな……」
右手・右足だけのジンを相手に、ただの1回も攻撃を当てられていない。ただの1点もダメージを与えられない。
石丸:
「〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉!」
ユフィリアを巻き込まないようにする目的だろう、溶岩弾がレイシンを大きく迂回し、ジンへと迫る。
ジン:
「フン!」
ジンの右手が軽く動くや、コブシの大きさの溶岩弾はあっさりと打ち消されていた。ジンの右手には先ほど投擲した投げナイフが握られていて、青いライトエフェクトが消えるところだった。
シュウト:
「いつの間に!?」
レイシン:
「マズいな……」
葵:
「ユフィちゃんを巻き込んで範囲攻撃! 殺しちゃえば大神殿で逃げられる!」
葵の指示とほとんど同時だったと思われる。ジンとユフィリアを乗せたままのソファが、高く飛び上がった。ソファはレイシンを飛び越えると、回転し、石丸をソファの角で蹴り飛ばしていた。飛ばされた石丸は自分に体当たりする格好となり、受け止めたためにこちらの攻撃も停止。
さすがにソファが空を飛ぶと思わなかった。度肝を抜かれたと自覚するのに3秒近く掛かってしまう。
シュウト:
「なんて、メチャクチャな……」
しかし、頭の中では好都合だと思っていた。ジンは遊んでいる。殺そうと思えば、葵を合わせたって10秒も掛からない。時間を稼いでいれば、〈冒険者〉の体だ、ジンが酔いからさめる可能性は、決して低くない。
シュウト:
(……余計なことは考えるな。今は全力で!)
葵:
「同時攻撃! タイミングを合わせて!」
ソファごとジンが再び舞い上がる。意外なほど高い機動力を誇るソファに感嘆の気持ちがわき起こる。ジンは花瓶を掴むと、葵に向けて投げつけていた。
葵:
「ギャッ!」
良い音でくだけちる花瓶。水も被った葵が、頭を抱えて痛みを堪えていた。
戦闘を続行。可能な限りの攻撃を繰り出すも、ジンには一つとして通用しない。
シュウト:
「ちょっとでいい、何か隙さえあれば……!」
その時だった。ユフィリアが両手を伸ばし、ジンの首に腕を絡めると顔を近づけ、キスしようと迫った。とっさに回避してほっぺちゅーに切り替えているジン。
レイシン:
「ここだ!」
ジン:
「チィッ!」
ナイフが飛んできて、自分の肩に突き刺さる。ソファとセットになっている小型のテーブルを掴むと、石丸に向けて投げつけて呪文を妨害。レイシンが足から飛ばした衝撃波を、青く輝く素手で相殺。
ユフィリアを含めた4人の連携でも、崩すことは出来なかった。それどころか、〈竜破斬〉は素手でも放てたのだろう。ここまで奥の手を隠されていたのを知った。
ジン:
「っ!?」
第5の人物が技後硬直の隙を狙って駆け抜ける。ソファを踏みつけ、膝蹴りを放った。その技の名は、シャイニング・ウィザード。
葵:
「うらぁ!」
膝蹴りがジンのアゴを強撃するものの、命中した段階から勢いを殺し、ダメージを最小限度に押さえる操作をしているジン。葵は着地に失敗、尻餅をついていた。
葵:
「見たかこの野郎! 一撃入れてやったぞ!」
戦局全体からみれば、何の意味もない一撃だった。それでも、レベル23の葵が、あの体で、ジンに一撃を加えたのだ。それだけでもこの場では偉業だといえた。素晴らしい戦闘センスだと思った。
ジン:
「くくくく、はははははは……」
面白そうに笑うジンに、ユフィリアが慌てて呪文詠唱を開始。
ユフィリア:
「〈キュア〉! お願い!」
ユフィリアの〈キュア〉がジンを快癒したはずだった。笑っていたためか、ジンは呪文を妨害しなかった。
葵:
「……どーよ、ジンぷー!」
ジン:
「はぁ~あ。……そうだな、1点だが、喰らってるな。俺の負けだ」
ユフィリア:
「ジン、さん?」
ジン:
「もう大丈夫だ。……迷惑を掛けたな」
普段のジンだった。
ユフィリア:
「あー、ドキドキしたぁ~!」
ユフィリアが最初に叫び、思いっきり笑っていた。
それが引き金になったように、歓喜が爆発した。両の拳を突き上げ、訳の分からない声で叫んでいた。
シュウト:
「っっったぁぁぁぁああああ!!!」
葵:
「いよっしゃ~!!!」
レイシン:
「なんとか、なったね」
石丸:
「強かったっス。やはり、まるで歯が立たないっスね」
ジン:
「……やれやれ、参ったぜ」
葵:
「ちなみに、酔ってた時の記憶は? 残ってんの?」
ジン:
「…………てへっ」
葵:
「『てへっ』じゃねーよ。誤魔化してんじゃねーよ」
ジン:
「えっと、それでは拙者、これにてドロンさせていただきたく」
葵:
「逃げんなコラぁ!!」
素早く逃げ出したジンに、再び笑いが起こる。もう今の状況なら、何だって笑い転げることができただろうと思う。
その笑い声から少しズラしたタイミングで、ユフィリアが吐息を漏らしていた。
ユフィリア:
(ふぅ~ー……・・・・)
シュウト:
(うぐっ)
レイシン:
(うわっ)
呼吸意識がダイレクトに感知できてしまい、ちょっと困った感じになっていた。ユフィリアが吐き出した吐息は、あまりにもエロティックだった。体の中で渦巻く残響を、呼吸と共に吐き出して捨てたのだろう。その濃度が伝わってきていた。……レイシンと目が合い、互いに苦笑いする。タイミングを外してくるユフィリアのセンスの良さが、逆効果になって感じたほどだった。
その晩は、そこからも大変だった。室内はボロボロになっていて、後片付けもそこそこに、ニキータを起こして3人で正座させられていた。夜が明けて朝日が射し込む時間になるまで、葵の説教タイムは続くことになった。ずんぶんと絞られ、口汚く罵られもしたが、やったことに比べれば安い対価であったと思う。
こうして、シブヤでの最後の夜は終わった。
新年初っ端からコレなのではなく、断固として大晦日の続きであります。