001 アキバを出るまで
……その人に出会ったのは、あの〈大災害〉の日だった。
その日、僕はいつものようにギルドの仲間と6人でパーティーを組み、洞窟の前で待っていた。そのはずだった。拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉が解禁になったら、直後にダンジョンを試そうと思っていたからだ。
しかし、気が付くと仲間と3人でシブヤに、否、『ゲームの中』に飛ばされていた。何が起こったのか全く分からなかった。不安、混乱、興奮、絶叫、失意、そして諦め。様々な色の感情が次々と襲いかかってきて、やがて途方に暮れていた。こんなことは何かの間違いで、ほんの一時的なことだろうと考えていた。そう、思いたかった。
僕たちはあちこちに念話した。直前まで一緒にいた残りの3人は、アキバに飛ばされていたことはすぐに分かった。それ以外のことは何も分からなかった。
シュウト:
「ともかく、なんとかアキバへ戻って、ギルドに合流しよう」
この日は何も頭が回らなかった。だから、なんでも良かったのだろう。人の多いところなら何処でも。誰かが、少なくとも自分ではない誰かが答えを知っているのではないかと思いたかった。
シブヤの街はよく行く場所だったし、空いているからログインに選んでいたこともある。タウンポータルが働いていないことを知り、徒歩でアキバまで向かうことにした。
当然、アキバまでの最短ルートも分かってはいた。けれど、念を入れて敵が弱いゾーンを通って行くことにしていた。この周辺の敵ならレベル的に恐ろしくは無いはずで、だから正直、心のどこかでは戦ってみたいという欲求もあった。
途中、一人の〈守護戦士〉を見付けた。
白銀の甲冑……というより、単に金属光沢そのままのナイトプレートを装備した〈守護戦士〉が、50メートルほど前を歩いている。しかも、このタイミングで右から3体、左から4体、……計7体のゴブリンとの戦闘に入ろうとしていた。既に剣と盾を油断なく構えている。
僕達は、この世界に来て、初めて目にする戦闘がどうなるのかを見守るべく、30メートルぐらいまで近付いて行った。所詮はゴブリンでしかないわけで、余程レベルが低くなければソロだからといって負けることなどはありえない。そのせいだろうか、不思議と助けようなどとは考えつかず、ごく自然に情報を集めることを優先していた。
ゴブリンどもは甲高い叫び声をあげながら、〈守護戦士〉へと襲い掛かっていく。それはなんとも異様な光景だった。武器を振り回す動作はゲームの、〈エルダー・テイル〉のそれと少し似ていて既視感を覚えさせるものだ。違うのは、現実だけが持つ圧倒的な迫力があったこと。現実で何頭かの野犬に襲われるよりも遥かに恐ろしいかもしれない。ゴブリンは動物ではなく、亜人間だ。僕は思わず自分の弓を手繰り寄せていた。
その〈守護戦士〉は素早く動くと、寄ってきたゴブリンの一体に剣を振り下ろしていた。その動きを見て、思わず「あっ」と声を出していた。 戦いに馴染んだ戦士の動き『そのもの』にしか見えなかった。勝利の予感に昂ぶる気持ちが胸に湧き上がってくる。
……だが、
「うへぇ~」
とても、気色悪そうな声を出していた。
それでも躊躇いは一瞬あったかどうか。巧みにポジションを変えながら、次々とゴブリンを仕留めて行く。それはソロ戦闘の教科書かと思うような戦いぶりであった。
ゲームとしての〈エルダー・テイル〉では、通常6人のパーティを組んでクエストや戦闘を行う。この時〈守護戦士〉等の前衛職は、壁役として敵をひきつけ、後衛の魔術師達への攻撃を防ぎ、その自由を確保する役割を担うことになる。このため数体の敵からの攻撃を『あえて引き受けること』をする。守られている後衛はその間に攻撃呪文を使ったり、弓を射たりして敵を倒す。こうした基本の役割分担をキチンと守ることが連携の基本にして要諦でもあるためだ。
比較してソロ戦闘の場合はどうか。同時に数体からの攻撃を受けていては回復が間に合わずに死んでしまう。そこで動いてポジションを変え、一度に攻撃を受ける敵を限定する必要がある。
例えば横一列に3体の敵が襲い掛かってきた場合、そのままだと3体からの攻撃をただ受けてしまう。しかし、後衛を守る必要のないソロ戦闘では、大人しく殴られてやる必要などない。従って(理屈としては)、敵の側面へと回り込み、端の1体を壁代わりに使って、他の2体からの攻撃が届かないように工夫すればいい、と言われている。
シュウト:
(ゴブリン3体を相手にするのなら僕でも同じことは出来る。でも流石に6体、7体となってくると……)
当然、数が増えるほど指数関数的に難易度は高くなる。少し組み立てを間違えただけで簡単に後ろに回りこまれ、囲まれて動きが取れなくなるはずだからだ。ゴブリンは弱いので、たとえ囲まれても問題は無い。無いのだが、ゴブリン相手に出来ないことが、もっと強いモンスターを相手に出来るわけも無い。
あの〈守護戦士〉は盾を巧みに使い、相手を押し返したりしながら滑らかに動き続け、ひとつひとつ丁寧に、まるで自分の動きを確認しているかのようにゆっくりと仕留めて行った。
あっけない戦闘の幕引き。見ていただけの僕達は、知らず肺に溜めていた息を吐き出し、安堵していた。
仲間の武士:
「なぁシュウト、凄かったな。あれソロプレイヤーなんだろうけど。なんか、俺達もやれそうだな?」
仲間の妖術師:
「そうだな」
戦士の戦いっぷりを隣で見ていた〈武士〉(サムライ)が興奮した調子で話しかけていた。まだ放心したままだったので反応が遅れる。その話を引き継いだのは仲間の〈妖術師〉(ソーサラー)だった。
僕はそのまま『あの人』を見ていて、彼が戦いで何を感じていたのか想像しようとしていた。
彼は動かず、ドロップアイテムを拾おうともせず、ただ立ち尽くしていた。何事かを考えている様子だったが、会話を始めたこちらに気付いた様子で、こちらを一瞥すると、そのままふらりと林の中へと消えて行ってしまった。
彼が立ち去った後には、言葉にしにくい気まずさが残った。ハシャギ過ぎたらしい。別に欲しくはなかったけれど、あの人が拾わなかったドロップアイテムを拾ってみることにした。最初は何でも珍しいものだ。時間が経過してゴブリン達の死体も、血などの痕跡も消えていく。こんなところまでゲームと同じなのか、と思う。
僕は落ちていた一枚の金貨を拾うと、指先に『あるはずのない血の臭い』を感じた気がして、そこではじめて、(人が命を奪う瞬間を見たのか……)と思い至った。
その後、僕達もモンスターと戦うことになったのだが、それは見るも無残なグダグダの戦闘になってしまい、ガックリと肩を落とすことになった。見るのと戦るのとでは大違いである。
その際、僕もモンスターを仕留めたが、あの〈守護戦士〉の漏らしたような呻き声を上げることは結局なかった。
これがジンとの出会いだった。
この頃は脳内メニューの操作にも不慣れだったため、相手の名前も、ギルドも分からないままにしてしまっていた。ただ深く濃い印象だけが残ることになった。
◆
茶髪の美女:
「クレセントムーンの、買ったの? お願い! ひとくち食べさせてー!」
赤髪の麗人:
「こら、わがまま言っちゃダメって」
軽装のドワーフ:
「このポテトならいいっス」
僕は早朝から並んで、〈軽食販売クレセントムーン〉の『味のする料理』をやっとの思いで手に入れたところだった。何時間ならんだと思っているのだろう。列にならびもしないで、買うことのできたドワーフの人にたかろうとするハゲタカ女子なんぞはとっとと死んでしまえ!などと思った。道端なのに我慢できず、自分もハンバーガーにかぶり付く。
久しぶりに感じる『瑞々しい味わい』をとても懐かしく思いながら、そのことで、複雑な気分になっていた。あまりの美味しさに落ち込まずにいられなかったのである。
それは言葉にするには曖昧な感覚だった。僕はロクに味のしない“湿った煎餅”を、自分達がゲームの中にいるという証拠のように思っていた。
シュウト:
(不味いのはゲームだから当然だ。……なら、美味しければどうなる?)
この『美味しい食べ物』の登場は、この世界が『現実』だと認めなければならない証拠のように思えて、心に突き刺さるものがあった。美味しいのに、美味しいから、悲しい。
シュウト:
(もう一ヶ月も経ったのか……)
この一ヶ月は夢の中にいるような感覚で、時間だけが足早に過去へと流れていくばかりだった。
自分の所属する〈シルバーソード〉は、アキバの街でも屈指の戦闘系ギルドだ。新しい世界に順応するべく、〈シルバーソード〉でも苛烈な戦闘訓練を繰り返し、経験点を得やすい狩り場を求めて探索へ出ることも増えていた。
僕は、どこか馴れ馴れしい人付き合いにはカッコ悪い部分があると思っていた。その点で〈シルバーソード〉はレイド以外のことは勝手にやればいいというサバけた空気があり、パーティーを組むのも簡単に済んだ。インして3分でパーティーを組めば、後はその日の気分でクエストを選ぶだけ。そんな手軽さに惹かれ、このギルドを選んだのだった。
ゲームはゲームであるべきだと思っていたし、ゲームに現実を持ち込む必要を感じなかったためだ。
パーティーでのダンジョン探索に飽きてきたころ、だんだんとレイドに誘われるようになっていった。ギルドマスターのウィリアムは野心家でもあって、他の強豪ギルドとの先陣争い以外にも、海外サーバーへの遠征も行っていた。そんな風に、大規模戦闘への参加回数がだんだんと増えていくことになった。
そうした〈シルバーソード〉でも、〈大災害〉に巻き込まれた時には50人以上がログインしていなかった。組織の再編とともに熱に浮かされた状態になり、気が付けば全員でレベル91を目指すことになっていた。「レベル100でログアウトできる」とか「これは長編クエストであり、クリアすれば全員がログアウトできるようになる」もしくは「ログアウト専用のゲートが何処かに存在している」なんて与太話で盛り上がっていた。
自分も毎日のように戦闘に駆り出されたし、考える間もなく戦い続けることで時間は飛ぶように過ぎて行った。みんな必死だった。必死でいることで、「何か」から目を逸らそうとした。
そうしたある日、〈円卓会議〉が結成された。
それはアキバの街で暮らす人々にとって何かが終わり、何かが始まる日になった。
僕らは、ウィリアムが〈円卓会議〉の席を蹴ったと聞かされた。
ウィリアムはいつもつるんでいるメンバーと一緒に居ることを好んでいたため、あまり話したことはない。それでもフルレイドのクエストに参加すれば、同じ弓使いとして彼のプレイから盗めるものが無いか、常に意識していたと思う。
ウィリアムはゲームの素質みたいなものを強く感じさせるプレイヤーで、特に戦闘に関しては、その指揮も含めて、本当に上手かった。それは〈大災害〉の後もあまり変わっていない。
僕も人付き合いはあまり得意ではないし、好きでもない。だからギルマスが〈円卓会議〉を厭う気持ちも分かる気がしていた。共感していなかったと言えば、嘘になるだろう。
シュウト:
(ウィリアムさんは、……いや、僕らはまだゲームを続けようとしている。でも、そろそろ『ここ』が現実だって認めなければ。もう、そういう時期に来ているんじゃないか?)
〈シルバーソード〉で彼らとこのまま一緒にいれば、嫌でも『現実だと認めたくない気持ち』が目に入ってしまうだろう。そうすれば、自分の中にだって同じ気持ちがあることに気付かずに済ますことは出来ない。自分を誤魔化すストレスには耐えられそうもないし、耐えていいものだとも思えない。
シュウト:
(どうすればいいのか、まだわからない。僕にとって〈エルダー・テイル〉はゲームのはずだった。あの〈大災害〉の日から、それが現実に摩り替わってしまった。それなのに、いつまでもゲームを続けていてはダメなんじゃないだろうか……?)
そして僕は、〈シルバーソード〉を辞めることにした。本当には、ただ辞めたかっただけなのかもしれない。それはただの言い訳、もくしは、現実逃避かもしれなかった。実際問題、なにか別のビジョンがあるわけでもないのだ。ただ、同族嫌悪的な感情の発露だったとしても、もうここに居られない、という気持ちが先に走り出してしまっていたのだと思う。
シュウト:
(何が正しいのか、わからない……)
そうして3日、いつも通りにしながら待ってみることにした。3日待ってから、辞めようと思った。ウィリアムが〈円卓会議〉の席を蹴ったのは、後々のことを思えば軽率な行動だったと思っている。けれど、その批判の意味で辞めるわけじゃないし、変な勘繰りは避けたかった。それと3日あれば何か別のことが起こって、自分の気が変わるかもしれないと僕は考えたのだった。それは運命に何か期待してみたかったのも、あったのだと思う。
猶予の三日間は外へ戦いには出ず、顔馴染みの店で材料を買出しした。サブ職〈矢師〉のスキルを使って、色々な矢を作ることにしたのだ。作った内の大半はギルドのために都合することに決めていた。それに、矢に関して実験してみたいこともあった。
そうしてうやむやのうちに3日が経っていた。
自分では普段通りに過ごしていたつもりだったが、そう思っているのは自分だけかもしれない。一度辞めると決めると、逆に辞める事ばかり考えてしまい、かえって決意が固くなっていた。外からみたらソワソワしていたかもしれない。今まで自分でも何人かそういう連中を見てきたこともある。辞めそうなヤツはなんとなく分かるものらしい。だからといって別にどうとも思ったことはない。(ああ、辞めるつもりだな……)と思うだけだ。せいぜい自分に降りかかる不利益の有無や、その割合を計算するぐらいのことだった。
シュウト:
「すまない、ギルド、辞めようと思うんだ」
古参の武闘家:
「……ん、そうか」
シュウト:
「その、昔なじみにちょっと誘われてて……」
古参の武闘家:
「ああ、わかった。…………じゃあ、また機会があれば、な」
準備しておいた嘘までついて、〈シルバーソード〉を去った。仲間達はあっさりしたものだ。訊かれてもいない理由を言ったりした自分は滑稽でしかなかった。はじめて聞かされたような顔をしてくれたのは、有り難かった。
シュウト:
(何か計画があるわけじゃないけど、とりあえず一度、アキバを出てみよう……)
〈円卓会議〉の結成と同時に料理その他の秘密が公表され、今のアキバは爆発したみたいになっていた。この頃は新しいニュースが色々と飛び交っていたのだが、どれも自分とは関係ないところでやっているように思えて、妙にしらけた気分にさせられた。
簡単に荷物をまとめて、街を出る準備をすませる。ちょっとした思い付きで近接戦闘用の武器を新調しに顔馴染みの店へと向かった。顔見知りの店員に注文を伝えたが、愛想の良かったその人の反応は薄かった。まるで僕に気が付いていないみたいな感じだった。
シュウト:
(そういう、ことか……)
理由は単純。〈シルバーソード〉の看板がなくなったからだ。彼にとって、僕はもう何者でもなくなっていた。顔見知りだと思っていたのは自分の側だけ。戦闘ギルドだから愛想よくしていたのだろう。単に、それだけのことだと気が付いてしまった。
妙に虚ろな気分のまま、アキバから薄暗い森の中へとまるで逃げるみたいに入って行くことになっていた。