第9話:暴走ベルトと、泥舟の逃走
「――ガッ、ハッ……! 汚い……、汚いトラックだ。反吐が出るぞ、第7支部……!」
逃走用の軽トラックの荷台。デッドホーンは、ひび割れた装甲から青い火花を散らしながら、吐き捨てるように言った。本部のエリートにとって、この錆びついた軽トラに乗せられること自体、耐え難い屈辱なのだろう。
「ご、ごめんなさい、デッドホーン閣下! でも、今はこれしかなくて……!」
助手席から身を乗り出し、アルティナが必死に謝る。だが、ハンドルを握る俺の目は、バックミラーに映る「黄金の死神」を捉えていた。
「(……。格を気にする前に、しっかり掴まっておくことです)」
不意に、運転席から響いた声。それは加工された機械音声でも、ましてや怪人の鳴き声でもない。低く、冷徹で、淀みのない「人間の男」の声だ。
「っ!? だ、誰だ! 戦闘員以外の何者が潜んでいる!」
デッドホーンが荷台で身構え、周囲を凝視する。だが、そこにはボロを纏った一人の戦闘員――俺しかいない。
「クロウ……! いいの? デッドホーン閣下の前で……!」
助手席のアルティナが息を呑んだ。彼女は俺が喋れることも、その知略も知っている。だが、本部の幹部怪人の前で、クロウがその「素の口調」を晒すことは、致命的な機密の漏洩に等しい。
「(構いません。……デッドホーン様。格を気にする前に、自分の腹に空いた穴を気にしたらどうです。関節の潤滑油が漏れ、装甲のパテは剥がれかけている。本部の補給が止まっているあなたでは、もう一撃たりとも耐えられないはずだ)」
「貴様……、ただの戦闘員ではないな!? その落ち着き、その喋り……ただの末端が持てる空気ではない! 何者だ、貴様は!」
デッドホーンが、恐怖すら混じった声を上げる。名もなき兵卒の一人にすぎないはずの存在から、自分を値踏みするような冷徹な言葉を投げかけられ、彼は混乱に陥っていた。
「(ただの秘書ですよ。……今は、第7支部の。デッドホーン様、いい加減に理解してください。ドラクマ局長は、あなたを救う気なんて微塵もありません。新鋭のレオにあなたをぶつけて、適当なところで『処分』させる。……。今日のこの状況は、ただのリストラですよ)」
「リストラだと……!? この俺が、あの小僧に始末されるというのか!」
「ブレイブ・シュートッ!」
レオの叫びと共に、黄金の光弾がトラックの側面を掠めた。凄まじい熱気が車内に流れ込み、アルティナが悲鳴を上げて身を縮める。俺は必死にハンドルを抑え込み、横転しそうなトラックを立て直した。
「(ええ。このまま逃げても、あなたのボロボロの身体ではどのみち保たない。……ですが、あいつに一矢報いる方法はあります。……。いいですか、デッドホーン様。あいつの懐に潜り込み、あいつの『ベルト』を掴んでください)」
「……ベルトだと? 何の意味がある!」
「(あいつの力の源を直接叩けば、一時的に出力が逆流する。……。そこを私が狙撃し、あいつを無力化します。……。ドラクマの計算を狂わせ、あなたの手でヒーローを地に這わせる。……。エリートの最期として、これ以上の舞台はないでしょう?)」
嘘だ。 ベルトを掴んだ瞬間に暴発が起きることは、秘書の目には明らかだった。だが、プライドの高いこの老兵を動かすには、「自分の手でヒーローを倒す」という餌が必要だ。
デッドホーンは絶句した。俺の言葉に含まれる圧倒的な「真実味」と、背後に迫る本物の死。かつてのエリート怪人が、完全に俺の誘導に飲み込まれている。
「(拒否するなら、ここで降りて勝手に肉片になってください。……。生き残る道は、俺の指示に従うことだけだ)」
バックミラー越しに、レオが最後の跳躍を見せた。黄金の光が夜の闇を白く染め、トラックを真上から押し潰さんとする。
「イーッ! イイィィッ!(閣下、デッドホーン様! 下がってくださいッ! ここからは私の『演出』ですッ!)」
俺は再び怪人の鳴き声を上げ、急ブレーキをかけた。タイヤが悲鳴を上げ、砂煙が舞う。トラックがレオの真下で急停止した。限界を迎えたレオのベルトが、いよいよ臨界点を超えようとしていた。




