表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

異世界・ファンタジー系短編/中編集

世界を救うための、不死の正しい使い方

作者: 源泉

世界が壊れ始めていることを、人々は直感で理解していた。


誰かが声を上げたわけではない。

予言が下ったわけでもない。

ただ、生活の隙間に、説明のつかない違和感が溜まり続けていた。


昨日まで確かに覚えていたはずの出来事が、今日になると曖昧になる。

何度も通った道を、初めて歩くような気がする。

名前を呼ばれた気がして振り返っても、誰もいない。


世界は、少しずつ「前提」を失っていた。


それは災害ではなかった。

炎も、地震も、疫病もない。

ただ、意味が削られていく。


人々はそれを「綻び」と呼んだ。

どこかに穴がある。

見えないが、確実に存在している穴だ。

そこから、時間や因果や記憶が、音もなくこぼれ落ちている。


放っておけば、世界は世界でなくなる。

形を保てなくなる。


救う方法は、すでに示されていた。


世界の綻びは、同じ位相を持つものでしか塞げない。


石では軽すぎる。

魔力では不安定すぎる。

祈りでは届かない。


必要なのは、人の命だった。


だが、一度では足りない。

綻びは生き物のように呼吸し、常に広がろうとする。

塞いでも、同じ場所からまた裂ける。

傷口は癒えず、ただ押さえつけられているだけだ。


だから必要だった。

死に続けられる存在が。


その結論に辿り着くまで、時間はかからなかった。

感情を挟む余地は、ほとんどなかった。


彼女は、不死だった。


魔女と呼ぶ者もいた。

魔物と呼ぶ者もいた。


だが、どちらも正確ではない。

彼女はただ、死なない。

殺せば死ぬ。確かに死ぬ。

だが、必ず生き返る。

老いず、変わらず、終わらない。


迫害はされていなかった。

だが、共に生きられてもいなかった。


彼女は町の中にいたが、町の一部ではなかった。

人々は彼女を見て、見ないふりをした。


害ではないが、祝福でもない。

説明のつかない存在。


だからこそ、世界の綻びに「適合」した。


誰かが名を挙げる必要はなかった。

誰かが責任を負う必要もなかった。


沈黙の中で、結論だけが共有された。


――彼女なら。


だが、その言葉は誰の口からも出なかった。

代わりに、判断そのものが彼女に委ねられた。


私は、その場にいた。


決定権はない。

だが、立ち会っていた。

止めることも、異議を唱えることも、理屈の上では可能だった。


私は、何もしなかった。

彼女も、しばらく黙っていた。


「……誰にも必要とされなかったから」


小さな声だった。

言い訳のようでもあり、独り言のようでもあった。


「でも、もし私が世界を救えるなら……

生まれてきた意味が、できるでしょう」


それきり、彼女は何も言わなかった。

ただ、一歩前に出た。


その一歩が、すべてを決めた。


彼女は、世界の綻びに封じられた。


そこは内でも外でもない。

時間が進まず、戻らず、意味を持たない場所。

彼女の姿は、誰の目にも映らない。

声も届かない。死の瞬間すら、出来事にならない。


彼女は、そこで死に続ける。


世界が壊れようとするたび、

意味が抜け落ちかけるたびに、

彼女はそこで何度でも死ぬ。


いつか、彼女は言っていた。

毎回、最初の死と同じ感触で、慣れることはない。

そして必ず、戻る。

不死とは、そういうものだった。


世界は、安定した。


空は崩れず、地は裂けず、人々は眠り、朝を迎えた。

昨日と同じように、今日が始まる。


人々は感謝した。


「救われた」

「彼女のおかげだ」

「ありがたいことだ」


言葉はあった。

だが、それ以上はなかった。


生活は、すぐに戻ってきた。


畑は耕され、商いは再開され、子どもは生まれ、老人は死んだ。


私は、その世界で生きている。


彼女が見えない世界で。

彼女が死に続ける世界で。



最初のうちは、世界はまだ彼女を覚えていた。


綻びの近くには、人が集まった。

封じられた場所には何も見えない。ただ、空気の重さだけが違う。

そこに立つと、言葉が喉につかえるような感覚があった。


人々は花を供え、酒を注ぎ、短い祈りを捧げた。

誰も彼女の名を呼ばなかったが、呼ばなくても分かっている、という前提があった。


「彼女のおかげだ」


その言葉は、何度も繰り返された。

世界が今日も壊れていない理由として、もっとも分かりやすく、もっとも安全な言い方だった。


感謝は本物だったと思う。

少なくとも、その場にいる間は。


だが、感謝は長く続くものではなかった。


世界は、あまりにも何事もなく回り続けた。


空は崩れず、地は裂けず、朝になれば人は目を覚まし、夜になれば眠った。

綻びが広がる兆しは、表には出なかった。


彼女は、役割を果たしていた。

それ以上でも、それ以下でもない。


数年が経つころには、綻びの場所を訪れる人は減っていた。


理由は単純だ。

忙しくなったのだ。

暮らしが戻り、やるべきことが増え、明日の予定が積み重なっていった。


祈りは短くなり、やがて省略された。

供え物は形式的なものに変わり、いつしか置かれなくなった。


それでも、誰も悪意を持ってやめたわけではない。

忘れたわけでもない。


ただ、当たり前になってしまったのだ。


私は、その変化を見ていた。


綻びの場所に立ち会う役目は、形式として残っていた。


定期的に人が集まり、異常がないかを確認する。

だが、確認できるものは何もない。

見えないものを見て、起きていない出来事を確かめる。


その行為自体が、次第に形骸化していった。


彼女は、そこにいる。

私は、それを知っている。


だが、世界は知らなくても困らない。


ある日、若い者が言った。


「昔、世界が危なかった時代があったらしいですね」


それだけだった。

そこに、彼女の話は含まれていなかった。



彼女が今も死に続けていることは、世界にとって必要な情報ではない。

それは悪意ではない。



私も、通常通りの生活を送っていた。


朝、目を覚ます。

水を飲み、服を着て外に出る。

夜には布に身を沈める。


目を閉じるとき、世界が壊れるかもしれないという恐怖は、もうない。

朝になれば、昨日と同じ世界があると、疑いなく思える。


安心して眠れるという事実が、私を生かしていた。


そして同時に、それが私を静かに追い詰めていた。


彼女は、その間も死に続けている。


世界がわずかに軋むたび、

意味が抜け落ちかけるたび、

彼女は綻びの中で、何度も命を失う。


その死は、誰にも見られない。

誰にも数えられない。


世界の側から見れば、何も起きていないのと同じだ。


私は、それを知っている。


世界そのすべてが、彼女の死の上に成り立っている。


私は、ときどき考える。


彼女は、本当に世界を救いたかったのだろうか、と。


彼女は、世界を愛していたわけではない。

絶望していたわけでもない。

ただ、誰かを犠牲にして生きる側になりたくなかった。


誰かを犠牲にして生きる側になりたくなかった彼女の選択は、

結果として、世界全体が彼女を犠牲にして生きる形を作った。


誰も悪くない。

誰も強制していない。

誰も間違っていない。


正しさだけが、ここにある。


私は、ときどき思う。


もし彼女が、あのとき一歩踏み出さなかったら。


だが、それは起きなかった。


起きなかった出来事は、想像の中にしか存在しない。

現実は、彼女が選び、世界がそれを受け入れ、私が生きている。


それだけだ。


時折、綻びの場所から離れた場所で、子どもたちが遊ぶのを見る。

彼らは世界の終わりを知らない。

不死の存在も、犠牲の構造も、何も知らない。


それでいいのだと、世界は言うだろう。

それが、正しい使い方なのだと。


私は、何も言わない。


言葉にする必要はない。

世界は、すでに完成している。


今日も、綻びは表に現れない。

今日も、空は崩れない。

今日も、人は眠り、目を覚ます。


彼女が、見えない場所で死に続けている限り。


世界は救われている。

誰も間違っていない。

誰も罰せられない。


そのすべてを知った上で、私は生きている。


そして、そうして生き続けることが、

彼女の選択を肯定し続けることになる。


彼女の望みは叶ったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ