六、ボクサーも手より口で勝負
叫びは一階奥からだった。そこから通路が出て部室棟と繋がっている。近づくと再び悲鳴がしたが、明らかにそっちからなので、恒子たちは大喜びで飛び込んだ。及び腰なのは、しんがりの阿波根キャンだけである。
並ぶ部室のうち、最右翼のドアから三たび叫びがした。もう悲鳴どころか、低く押し殺す断末魔のような、さらに恐ろしいギャアアーという絶叫である。ドアには「ボクシング部」とある。
「き、きっとさっきのデモ隊がボコられてるだけっすよ。ろくなネタじゃないから、戻ったほうがいいっす」
額に汗じっとりで必死に言うキャンを無視し、物凄いドヤ笑みで皆をぐるりと見回す恒子。
「これは尋常じゃない事態だわ。きっとキレた部員に殴り殺されてるのよ。写真の準備はいい?!」
「おう、バッチリだぜ!」とスマホを掲げるジョルジュ。
「デモ隊の血まみれの惨劇を、絶対に逃してはだめよ。そらあーっ!」
などと威勢よくあけたドアの向こうを見て、恒子も部下たちも百年分は凍りついた。そこにあったのは確かに血まみれの惨劇だったが、想像とはレベルが百億光年は違っていた。
まず目の前にさっきのリーダーの生首が転がり、その向こうに胴体がぎらぎらの血の海に浸かっている。手足は根元からバラバラになり、そこらに丸太のように四散している。
その右の壁際には、同じくさっきのデモの子の一人がうつむき、ひらいた両足を投げ出してうずくまって、腹にパックリあいた裂け目から、大量のまっかな腸や内臓が洪水のごとくあふれ、血流が床まで滝になっている。
そして部屋の左端から低いうめきがするや、全員がそっちを向いた。最後の子が、体操着の部員らしい子に首筋を食いつかれ、ギョロ目をむき、引きつった形相で首をかしいで、まっかな血をげろげろ吐いて悶絶しているのだ。今の叫びは、おそらくこの子で、その前の二つは、あとの二人が順番にあげたのだろう。
さすがの豪傑・恒子も、これには目が飛び出かかって「ぎょわああー!」と引きつって叫び、きびすを返して廊下を逃げ出した。むろんあとのメンバーも続いたが、最後尾のキャンが振り向くと、さっき首を食っていた部員が、這うようにドアから出てきたので、恐怖のどん底に落ちて「うんぎゃああー!」と絶叫し、スピードをあげた。恒子を抜き、通路を出て校舎に入るや、目の前の教室に飛び込む。
勢いに飲まれ、あとの皆も次々に駆け込んだ。家庭科室だった。が、キャンが急に止まったので、後ろの恒子とジョルジュがぶつかってコケそうになった。
「いてて、なにしてんだよ!」
恒子の背にぶつけた鼻をおさえてジョルジュが怒鳴ると、立ちすくむキャンのきゃしゃな後姿があった。その向こうの壁際に、誰かが丈のありそうな背中をむけてうずくまっている。その特徴的な髪で、全員がすぐに気づいた。流れるように長いポニテ。
「生徒会長……?」と恒子。「そこで、なにをしてるんですか……?」
普通なら、優しいキャンが「怪我してるんすか?!」などとあわてて駆け寄るところだが、彼女は固まったまま動けなかった。
明らかに相手の様子がおかしい。丸めた背を小さく震わせ、一心になにかをしている。それも耳障りな音を立てて。
「くちゃ……くちゃ……くちゃ……」
(な、なんか食ってる?!)
ジョルジュはぞっとして身を引いた。
(さっきもボクシング部員が首筋に食いついてたし、こいつも……?!)
だが、恒子がもう一度なにか言おうとしたとき、不意に隣の物置部屋のドアがイイッ、とあき、中から校内で有名な金髪美女が現れた。が、誰も可愛いとも美しいとも思わなかった。その両目が飛び出して、長い腸のような胴で宙を泳ぎ、ニヤけた口からは黒ずんだ血を垂らしていて、完全にモンスターだったからだ。
が、恒子はすぐに気づいた。
「群上あかり?!」
叫びと同時に、うずくまっていた三島恵理子がくるりとこっちを向いた。その腕に、白目をむく生徒の生首を抱き、彼女はその頬に歯を立てて食いついていた。さっき聞こえたのは、恵理子がその頬肉を、もぐもぐ食っていた音だったのだ。
そのとき、キャンは唐突に理解した。さっきまでは、たんにボクシング部員が発狂でもしてデモ隊に食いついていたのかと思っていたが、そうではなかった。立ち上がった恵理子の腹から、大量の腸が足元までぬるぬる垂れ下がり、明らかに死亡レベルにまで流血しているのに、彼女はうつろな目で犠牲者の顔をバリバリかじっている。
どう見ても彼女は死んでいる。なのに人の肉を食っている。
人肉を食らう死人。
キャンは骨の芯まで恐怖におののいた。
(ゾンビだ……!)(こいつら、ゾンビだ……!)