一、自称科学部の二人
二人はランと同じ星野宮の生徒で、また同じ一年生でもあった。が、クラスが違うせいで見たことはなかった。だがそう思ったとき、ふとランの脳裏にある光景が甦った。
留学初日の朝、不安でいっぱいの胸を抱え職員室を目指して歩いていた校舎一階の廊下の先に、ふと見えた白い背中と、窓からの日差しにきらめく、はねまくった燃えるような髪。白衣だったので、最初は化学か何かの先生かと思ったが、それにしては小柄で大人っぽくなく、といって生徒がそんな格好でいるのも変なので、妙に気になった。が、相手はすぐに角を曲がって消えてしまった。
後ろ姿とはいえ、その美しさと、さっそうと歩く背中が、しばらく頭の中でループして消えなかった。なぜかは分からなかったが、それを思い浮かべるたびに不安は消し飛び、元気が出たばかりか、わずかな勇気すらわいて、恐怖に満ちた教室での自己紹介も、なんとか乗り切った。
だが帰るころには、その人のことはすっかり忘れてしまい、その状態はこの谷底に来る今の今まで、ずっと続いていたのだった。
(そうか、あの白衣の人が、この……)
一瞬、今の異常な状況を忘れかけたが、その日下部葉月の呑気な一言がランを現実に引き戻した。
「私ら、ここでよく実験するんだけど、今期のテーマは――はい、千尋ちゃん!」
と、いきなり隣を手で示すと、西山千尋もノリノリで演劇のようにくるっと一回転し、両腕を広げてビシッとポーズを決め、元気よく言った。
「はいっ、死体の蘇生でえええ――っす!」
(そ、ソンナ、明るく陽気に言うことデスかああ――?!)
目が飛び出そうになるランに、また苦笑して頭を掻きながら恥ずかしそうに言う葉月。
「いやぁ、猫とか犬でやってたんだけど、うまくいかなくて。やっぱ人間じゃないと効かないみたいでさぁ」
「き、効かないって……?!」
「ほら、これ」
差し出された分厚い書物の真ん中あたりをひらいて見せられたが、そこには「死体蘇生の術」などという、いかがわしい見出しがあった。どうも心霊とかスピリチュアル関係の本らしい。それもページは黄ばんで色あせ、表紙の厚紙もところどころ裂けたりして、相当古そうに見える。
ランはまた困惑した。
「え、ええと……。か、科学部、デスよ、ネ……?」
「へへへ、そうなんだけど」と照れ笑いする葉月。千尋があとを続ける。
「うちの部は発想が柔軟で、特に部長の葉月ちゃんは――あ、科学部は葉月部長と、あと部員が私で二人しかいないから、正式な部というよりは同好会なんだけどね」
「うん、この世には科学だけでは解明できない現象が、あまたある!」と、いきなり拳を握り力強く言う部長。「ときには、超自然の力を借りるのもいとわない! それが、この星野宮女子・自称科学部の方針なのです!」
「わーっ!」とパチパチする千尋。
ランはどっと疲れた。
が、すぐにはっと気づく。
「と、いうことは、ナンですか?! その怪しげなオカルト文献を使って、この人を(と、あかりを指し)、生き返らせよう、と、こういうことデスか?!」
「そのとおり! 鋭いねえ、君!」と指さす葉月。
「誰でもそのぐらい分かりマスっ! ひ、人が死んだというのに、それを使って実験だなんて……! ヒドイっ! 鬼デスっ! 悪魔デスっ!」とドン引く。
「うーん、それじゃあ――あ、あなたのお名前は?」と葉月。
「ら、ラン・クーウォン。中国から来た留学生デス」
「留学生? あ、そういえば聞いたことあるなぁ」
「ひょっとして、A組の中国人のいじめられっ子って、君?」
千尋に言われて、「うう……」と、うつむくラン。
やはり自分は、校内で悪い意味の有名人だったのだ。
葉月は一瞬眉をひそめ、次に、あかりがどうして死んだのか、と事情を聞いた。ランが日ごろの彼女との関係を説明すると、葉月はふうっとため息をついて言った。
「じゃあランちゃんは、そいつが死んで万万歳、って感じなんだね」
「えっ、いや、それは……」
気まずくなり、目をそらす。
確かに、あかりにやられなくなるのは助かるが、だからって何も死んでほしくはなかった。もっとも、逃げなければこっちが殺されていたわけだから、向こうが完全に悪かった事実はゆるぎないのだが、それでもランはまるで自分が殺したかのような、後ろめたさを感じていた。
「そいつに恨みがあるランちゃんとしては、そいつに生き返ってほしくない、と」
「ち、ちがいマスっ! ただ、その、ランは……」
ランとしては、あかりが元通りになって反省して謝ってくれたら一番なのだが、そもそもこんな実験で復活するとはとても思えない。
ただ、死体を関係ない他人が勝手にいじくることには、抵抗しかなかった。
「ランはただ、早く先生を呼んでほしいだけで」
「そりゃ呼ぶよ。このままほっとくわけにはいかないし」と葉月。「ただその前にさ、ちょちょいっと復活の儀式だけさせてよ、お願い。済んだら、誰か先生に電話するから。ね、いいでしょ? ほんと、ちょこっとだけだよ」
手を合わせて頼むと、千尋もオカルト書を振って苦笑した。
「どうせダメもとでやってみるってだけだから。これ、どっかのつぶれかけた古本屋で買ったやつで、全然あてになんないの。動物で何度かやったけど、全部失敗だったし。たぶん、なーんもなんないで終わりだよ」
「そうそう、ランちゃんは何も気にしなくていいから。だからねえ、お願いシマスっ!」
二人そろって深々と頭を下げられて、ランは承諾するしかなかった。というか、別にこっちに決定権があるわけではない。
許可がもらえるや、自称科学部の二人は、いそいそとあかりの死体に寄っていった。