始まり
「一番下まで降りれば、また君と会える」
~ビートルズ「ヘルター・スケルター」
東京は緑なす武蔵野の郊外にある、私立星野宮女子高等学校の一年生、ラン・クーウォンは、中国からの留学生だった。チャイニーズらしい両サイドお団子頭で丸顔の、花のようなぱっちり目をした彼女は、留学時から日本の空気になじめず、いじめにあっていた。とくに同じクラスの番長的存在の群上あかりには、毎日のように外人差別丸出しで罵られ、足蹴にされ、やり放題やられていた。しかし家庭の事情から学校をやめるわけにいかず、といって気が弱くて反抗もできず、毎日泣いて暮らしていた。
そんな放課後、誰もめったに来ない学校の裏山に呼び出されたランは、あかりに一万くらい貸せといわれて戸惑った。これまでは心身にダメージはくわえられても金銭までは取られなかったからだ。
「そ、それは困るデス」
「どうしてよ」と目を吊り上げるあかり。
群上あかりは、長髪パツキンの派手な外見で、切れ上がった吊り目でヤンキーぽかったが、家は裕福でお嬢様だから、金には不自由していないはずなのだった。だが、それを言ってもしょうがない。今は偶然、金欠なのかもしれない。
ちなみに、ここはいちおう名門校なので、二人とも着ている制服は黒のセーラー服に薄黄色のタイという地味なものである。
「あんた、私の言うことはなんでも聞くって言ったじゃない」
「そ、それはそうデスが」と目を地に落とすラン。「その、ランは貧乏なので、そんなお金ありまセン。お、お金以外なら、なんでも――」
「ったく、○○人は○○だわねえ(差別表現なので伏字)。じゃどうすんの」と指さす。
「え」
「え、じゃないわ。いい? 私がお金を欲しいと言ってるのに、お金がない。んじゃ、どうするの? 簡単でしょ」
意味が分かり、たちまち険悪な顔になるラン。
「そっ、それはダメデスっ! そんなことはッ!」
たちまち意地悪くニヤニヤするあかり。
「ほーらその顔。やっぱあんた、私のこと嫌いなんだ」
「い、いえ、それは」と弱気に戻り目を落とす。それでさらにイラつくあかり。
「なによ、できないって言うの? ○○人なんだし、泥棒くらい屁でしょ。親の金でもなんでもいいから、とっとと明日までに作んなさいよ。ほら、返事は?!」
しかし目を地に向けたまま、拳を握りわなわなと震えるラン。我慢が限界に達しているのは丸分かりだった。それで、あかりのムカつきもぐんぐん上昇し、嫌味にさらに磨きがかかる。
「ハイ、って言いなさいよ、いつもみたいに。なんなら中国語でさ。そうだ、少しは勉強したいから教えてよ、ねえ、せんせえー」
「も、もうイヤデスっ!」
ついにキレて怒鳴りだす。
「なんで、そんなにランをいじめるデスか?! ラン、アナタに何かしマシタカッ?!」
しかしろくに動揺もせず、冷ややかに続けるあかり。
「私が困ってるのに無視したじゃない。で、どうなの、一万出すの、出さないの?!」
「だ、だから、お金は――」
「出したくないってことね?! 私にはビタ一文もやれない、とこういうことね?!」
とたんにキレだすので、あわてるラン。
「デスから、ない、とさっきから何度も――」
「なきゃ作れって言ったじゃない!」
「だから、それだけは――」
「作る気がない? ってことはさぁ」と腕組みしてにらむ。「要するに、私なんかにお金渡せるか、こんなやつ死んでもいいや、と、こういうことね?!」
「ちょ、ちょっとマッテ、なんでそうなるデスか?!」
ビビったが、もう遅い。あかりは完全にキレてしゃがみ、てのひら大のでかい石をひろった。ぎょっとして後ずさるランに、にじりよるあかり。
「○○人のくせに、逆らうんじゃないわよ!」と石を振り上げる。
「横暴すぎマス! きゃああ! 人殺し――!」
「うるせえええ――!」
森の中を逃げるランを、石を持って追うあかり。山なので足場はかなり悪い。谷に落ちかかり、「ひえええー!」と木にしがみつくラン。振り向けば、あかりが悪鬼の形相で「待てええ――! 殺すううう――!」と絶叫して迫っている。
寸でのところで石をかわした直後、相手の姿はすっと消えた。
(え……?)
嫌な予感で見下ろすと、数メートル下の谷底に、あかりの姿があった。大の字に倒れたあおむけの頭から、赤い色が花びらのように地面に広がっているのが、上からの木漏れ日ではっきりと見える。
(うわわわわあああ――!! ど、どうしよううう――?!)
パニクった。しかし、ランは強かった。歯を食いしばり決意すると、木の幹と根を伝って底に下りる。着くと、白目をむくあかりの胸に耳をあて、口と鼻に手をやる。鼓動も息もない。改めて恐怖に襲われた。
「し、し、し――」
言いかけたとき、いきなり木陰から二人の人間が飛び出してきて、腰が抜けた。どちらも制服の上に白衣を着た女の子で、この事態になにかやたら明るく、大喜びの様子で叫ぶ。
「死んでるの、これ?!」
あかりを指され、ランは座り込んだまま、やっと「は、はい」と答えた。
「やったああー!」とハイタッチする二人。とても死体の前ですることではない。
が、あとでランが思い出すと、科学者然としたその格好のせいで、実はさほど違和感がない行動でもあった。
二人のうち、片方は癖毛の多いボブヘアーの強気そうな吊り目で、もう一人は逆に垂れ目でグレーのさらさら髪、年齢は高校生っぽいが、ランはどちらも見覚えがなかった。
「ごめん、自己紹介しなきゃ、だね」
吊り目が胸に手をあてて言った。
「私は日下部葉月、こっちは西山千尋ちゃん」と隣を示す。
「は、はあ……」
困惑しかないランに言う千尋。
「私たち、科学部なんだ」
「ちょうどよかったぁ」
葉月はにこにこと言ったが、続けて放った一言に、ランは天空までぶっ飛んだ。
「私らいま、死体を探してたんだよねー」
(ええええ――ッ?!)(そ、ソンナ、頭掻きながら、苦笑して言うことデスカアア――?!)
これが、この学校全体を巻き込む、血と恐怖に満ちた大事件の始まりであった。