1. 聖女? 正直、やってらんねえ
私は孤児だ。そして、ちょっと手に負えない性格だ。
始めから正直にいった方がいいだろう。いや、別に隠すこともない。生まれた場所も親も知らず、聖堂の前に捨てられて、ここで拾われ育てられた。おかげで寝食には困らなかったが……何というか、私の性格とこの聖堂はどうにも相性が悪かった。
まず、聖堂は静かすぎた。明け方から鐘が鳴り響き、お祈りをして、ご飯を食べて、またお祈りをして、掃除をして、お祈りをして、ご飯を食べて、またお祈りをして……退屈で死にそうだった。私は騒がしい方が好きだったし、体を動かしたかったし、規則なんてくたばっちまえって感じだった。静かに座っているより、何かを壊したり投げたりする方がずっと楽しかったんだ。
だから、ちょっとばかり騒ぎを起こした。『ちょっと』どころか『たくさん』やらかした。
明け方5時、聖堂のてっぺんにある鐘を蹴って落としそうになったこともある。アンジェラシスター長様は心臓発作を起こしかけたとか? まあ、どうでもよかった。どうせあの鐘の音、聞きたくなかったし。眠りが妨げられるだろうが。
聖餐式のワインをこっそりくすねて飲んだら、一日中笑い転げたこともある。顔を真っ赤にしてケラケラ笑う私を見て、シスター長様は五万回ため息をついていた。
12歳の時には、女神像を見物しようとその上に登ろうとして、隣にあった天使の石像の翼を二度ばかり折ってしまった。大したことないと思ったのに、シスターたちは大騒ぎだった。
「どうしよう……女神様に罪を……!あの天使たちは女神様のお使いなのに……!」
あるシスターは、その場で頭を抱え込み、泣き崩れた。
「イエラアアア!!!」
アンジェラシスター長様の絶叫が聖堂中に響き渡った。私は耳をほじくりながら「あー、何よー。遠くから見ようとしただけだよー」とぶつぶつ言いながら降りた。どうせただの石塊だろうに、何であんなに大げさなんだか。
もちろん、問題児は私だけではなかった。この聖堂には私以外にも、聖女候補なんて呼ばれている女の子が何十人もいた。みんな表向きは天使みたいに振る舞っていたけれど、腹の中ではお互いを憎み合い、嫉妬し合い、大騒ぎだった。特に私のことを一番嫌っていた。陰口が全部聞こえていたから。その中でも、私と一番クソったれに絡んできたのが、ユナという名前の奴だった。
ユナは一見して優等生タイプだった。髪も綺麗に整えて、服も清潔に着て、いつもニコニコ笑っていた。礼儀正しくて、善良で、従順で……まさにシスター長様や神父様が好きそうなスタイル。表向きは完璧な『聖女候補』だった。そして、それが私をさらにムカつかせた。何で私にまで作り笑いするんだ?
私たちは事あるごとにぶつかった。私はユナの作り笑いが嫌いだったし、ユナは私のどうしようもない振る舞いが嫌いだったんだろう。喧嘩のレパートリーは様々だったが、あの日のできごとは、今でもユナにとってはトラウマとして残っているはずだ。
ユナの貯金箱事件。
あの時、ユナはコツコツ貯めたお金をガラスの貯金箱に入れていた。将来のために密かにお金を貯めていると言っていた。私はそれがたまらなく気に食わなかった。私はお金ができたらすぐに飴を買って食べたり、市場で売っている変なオモチャを買ったり、あるいはただ空中にばら撒いたりした。貯金なんて何のためにするんだ?明日死ぬかもしれないのに。おまけに、そのお金が私より大切だというあの表情、ムカついたんだ。絶対に壊してやりたかった。
結局、私はユナの貯金箱を割った。それもユナが見ている前で。ハンマーで景気よく!ガラスの破片が四方に飛び散り、小銭が転がり回った。
ユナは最初、凍りついていたが、私の行動を理解した瞬間、目が血走った。あの白くて綺麗な顔が真っ赤になって、口から飛び出した言葉ときたら……
「イエラこのクソ野郎!!!!!」
……生まれて初めて聞く最高級の罵倒だった。聖堂で育った子供の口から出るとは想像もできなかった。私はその罵倒を聞いて呆然とし、床に落ちた小銭を拾っているだけだった。ユナは泣きわめいて大騒ぎになった。アンジェラシスター長様に引きずられて散々叱られたが、心の中では少しスッキリした。あの忌々しい偽善者め。ちゃんと本性を現したな。覚えてろよ。
まあ、とにかく、その後ユナは私を見るたびに歯ぎしりし、私はそんなユナをからかうのが生きがいになった。あいつが私のせいで苦しむのを見ると、少し気が晴れたんだ。私一人だけ嫌われているのが不公平に思えたし。
グルルル……!
……今も誰かが私の名前を罵っているような気がした。幻聴か?それとも耳が痒いから、またユナが私の悪口を言っているのか。あの女、私が貯金箱を割って以来、一日に何度も私の悪口を言うんだから。言ったって無駄なのに。
私は聖堂広場の片隅、日当たりの良い石畳の上に大の字になって寝そべっていた。昼寝するにはちょうど良い天気だった。聖堂の中は息苦しくて退屈だったけれど、ここの外はまだ少し息がつけた。空は青く、雲はモコモコしていた。遠くに見える山並みも平和に見えた。
あーあ、眠たい。このまま一日中寝ていたいな。聖女候補だとか何とか、全部面倒で死にそうだ。そもそも聖女なんて何のためにやるんだか分からないし。
――高坂ユン――
私は高坂ユン。この世界に転生した、日本の高校3年生だった。
人生最後の日がよりによって大学受験の日なんて、本当にクソッタレな運命だった。死ぬ直前まで英語のリスニング問題の音声が耳にまとわりついていた気がする。「Now, listen carefully...」なんていう忌々しい声。そして、目を覚ましたらここだった。古びた貧民街の薄暗い路地。
最初は戸惑った。ファンタジー小説でしか見たことのない世界が目の前に広がった時の、あの異質さといったら。だが、私は日本の受験地獄を生き抜いた高3だ。戸惑いは短く、適応は早かった。生き残らなければならない。生存が最優先目標だ。異世界?だからどうした。黙って生き残るしかない。勉強してでも、頭を使ってでも。
まずは情報が必要だった。私が落ちたこの場所がどんな世界なのか、人間はどう生きているのか、魔物はいるのか、法はどうなのか、お金はどう稼ぐのか……理系だった私の頭の中の知識がここでも通用するのか、それともただのゴミになるのか把握しなければならなかった。もし魔法のようなものが本当に存在するなら、それを分析して攻略することもできるかもしれない。
足で稼いで町を歩き回り、一番最初に立ち寄ったのが図書館だった。ここの人々の知的レベルを把握するには、図書館以上の場所はなかった。
結論から言うと……唖然とした。
「こいつら……マクスウェル方程式も知らない癖に、テレパシーだと?」
本を読めば読むほど苛々した。科学、歴史、哲学……日本の小学校レベルにも満たない知識が『高等学問』だとばかりに堂々と書かれていた。魔法だとか神性だとか、非科学的な概念がすべての理論の中心だった。いや、重力もまともに説明できない奴らが、神をどうやって信じるんだ?あー、もう、本当に苛々する!地球が丸いことも知らないんじゃないだろうな、まさか?
「それでも、希望はある。」前世の知識がここで『文字通り桁違い』レベルだという意味なのだから。これを上手く利用すれば……この世界を私の手のひらの上で転がすことだってできるかもしれない?いや、そこまではオーバーか。少なくとも、楽に、安全に、他人より上に立って生きることはできそうだ。知識はすなわち力だ。
もちろん、表向きには態度に出さなかった。私はこの世界では『異邦人』だ。目立たず、静かに情報を収集し、機会を伺わなければならなかった。人々と接する時は常に丁寧で礼儀正しく振る舞った。まるで受験の面接のように。微笑み、腰を低くし、敬語を使う。
「こんにちは。恐れ入りますが、この本、少し拝見してもよろしいでしょうか?」
「はい、ありがとうございます。失礼いたしました。」
だが、心の中では常にこうだった。
「あー、あの男、あれ詐欺師じゃない?あの魔物革は原産地が違うぞ?値段を吹っかけてるな。やれやれ、騙されやすいやつらだ。」
「あの魔法理論……エネルギー保存の法則はどこに売り払ったんだ?誇張が酷いな。これを信じるのか?」
「この世界の人々……純粋なのか馬鹿なのか分からないな。詐欺にかけるのにちょうどいいレベルだ。」
前世の知識が私にとって武器になり得ることは明確だった。この世界の技術、文明、知識レベルは、私には『機会』に見えた。いつかこの知識を利用してお金を稼ぎ、楽に暮らし、万が一の危険に備えなければならない。最高効率で。
今はただ静かに、最大限多くの情報を頭に詰め込んでいる最中だった。黙って勉強。それは前世でも今でも変わらない真理だった。
――ユナ――
くそっ。くそっ!くそっ!!!
あのイエラこのクソ野郎!!!私の貯金箱を割るなんて!それも全部目の前で!!!私がそいつのせいでどんなひどい目に遭っているのか分かっているのか!
怒りが込み上げてきた。私がどれだけ苦労してあの金を貯めたと思ってるんだ!聖女候補として貰うお小遣いを全て貯め込み、お菓子も買わずに、具合が悪い時に飲もうとしていた非常薬を買うお金まで貯めて貯めた金だった。具合が悪くなっちゃいけないんだから!それをあの忌々しい女が!!!ハンマーで!!!笑いながら!!!本当に悪魔みたいだ!
アンジェラシスター長様に泣きついて訴えたけれど、イエラはしばらく食事を抜く罰を受けただけだった。あーもう、思い出すたびに悔しくてたまらない!イエラあの女のことだけ考えると、悔しさで眠れない!
悔しくて眠れなかった。復讐したかった。だが、イエラあの狂った女に直接突っかかるのは自殺行為も同然だ。力では到底敵わない。殴り合い、蹴り合い、頭突き……やれることは全部やった。全部負けた。あの女は何なんだ、怪物か!
そうだ。お金が必要だ。もう一度お金を貯めなければならない。イエラよりもっとたくさん、もっと早く貯めて、見返してやるんだ!お金であいつを圧倒してやる!お金で!いや、ただの金持ちになるんだ!聖堂でも認められて、誰にも馬鹿にされないように!
聖堂から貰えるお小遣いだけでは足りない。何か他の方法が必要だった。村の人たちは森で薬草やキノコを採って売っていると聞いた。そうだ!それだ!森に行こう!薬草の採り方?幼い頃に少し見よう見まねで覚えた。キノコ?毒キノコだけ見分けられればいいだろう。危なくないと言っていたから……大丈夫だろう。お金さえ稼げるなら!
……と思ったんだけど。
グルルルル!
くそっ。くそっ!何だこれ!
遠くから変な音が聞こえてきたと思ったら、目の前に毛むくじゃらの獣が一匹現れた。体格は子牛くらいで、目は真っ赤だった。熊か?狼か?何だか分からないけれど、私を見て歯をむき出していた。口からは涎まで垂らしていた。腹が減っているみたいだ!私を食い殺そうとしている!
「ひぃっ!」
私は持っていた籠を放り出し、狂ったように走った。悪い獣め!薬草を採りに来た人間を追いかけ回すな!イエラのせいで気分も悪いのに!なんてついてないんだ!
木の根に引っかかって転びそうになり、木の枝に服が破れ、息は上がりきっていた。心臓が張り裂けそうだった。獣の唸り声はどんどん近づいてくる。駄目だ!ここで死ぬわけにはいかない!イエラより先に死んだら、悔しくて目も閉じられない!あの女は私が死んだなんて聞いたら、きっと嘲笑うに決まってる!絶対にそうなるものか!
ドォン!
獣が私に向かって突進してくる音と同時に、背後で何かがぶつかる音がした。私は転んだまま首を巡らせた。
誰かが獣の前に立っていた。小柄な体格に整った服装だった。見覚えがあるような……ん?さっき図書館の近くで見かけた……あの人だったか?
その人は獣を睨みつけていた。獣は警戒するように唸り声を上げた。緊張感が走った。私は息すらまともにできなかった。
そして、その人が口を開いた。声は落ち着いていて礼儀正しかった。
「……大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
私に向けられた言葉だった。私はそこでようやく自分が安全だと気づいた。獣は後ずさり、私は助かった。同時に、悔しさが爆発した。イエラあの忌々しい女のせいで、金を失い、森に来て死にかけ……ようやく助かったという安堵感と、その全ての苦痛の根源がイエラのせいだという怒りが混ざり合った。全部イエラのせいだ!
「ううっ……ううっ……イエラ……イエラあの女がっ……ひっくひっく……!」
私はその人の前で座り込み、わんわん泣きながらイエラの悪口ばかり言った。獣はあの人が投げた石に当たったのか、あるいは他の理由なのか、唸り声を上げながら森の中に消えた。私はそれも知らず、イエラと叫び続けた。助けてもらった人の前で、恥ずかしいにもほどがある。でも、悔しいんだから仕方ないじゃないか!
――高坂ユン視点――
キノコでも採ろうかと思って森に入ったら、悲鳴が聞こえた。駆けつけてみると、妙な女子学生が獣に追われていた。別に英雄心からではなく、ただ目の前で人間が危険な目に遭うのを見るのが後味が悪かったから手を出しただけだ。助けておけば、後で何かお礼を貰えることがあるかもしれないし。それに、あの獣の皮、高く売れそうだし……ああ、これは後で考えよう。まずは助けないと。
幸い、護身用として持ち歩いていた小さな石ころが効果があった。まあ、聞きかじった情報で獣の弱点を大体把握していたというのもある。眉間の間を狙えば一時的に怯むという弱点。
獣が後ずさり、女子学生に大丈夫かと尋ねたら……急にわんわん泣きながら、ある人物の悪口を言い始めた。
「イエラ……イエラあの女がっ……!」
あそこまで罵倒される奴は初めてだった。しかもあの学生、聖堂の服を着ているところを見ると、聖女候補の一人のようだった。そんな聖女が、あそこまで怒り狂って罵倒するのを見ると、そのイエラという奴は普通ではないらしい。食い殺されかけたというのに、人の悪口から始めるなんて。
「聖女をあそこまで追い詰めるとは……」
瞬く間に興味が湧いた。この世界に来て出会った人々は、大体予想の範囲内だった。純粋か、狡猾か、それともただの凡人か。だが、あそこまで深い恨みを買うほどの変わった人間か。前世の知識でも把握しきれない『変数』なのかもしれない。いや、もしかしたら危険な変数ではなく、非常に有用な変数かもしれない?予測不可能な人間。そういう人間は大抵面白いか、それとも何か途轍もないかだ。
私は泣いている聖女を宥め、聖堂まで送り届けながら、イエラという子供についてさらに聞き込みをした。ユナという子供は、泣きながらもイエラの悪行を次々と捲し立てた。貯金箱事件、鐘事件、天使の翼事件……聞いていると、本当に呆れるばかりだった。聖女候補の奴が、あんなにやりたい放題でいいのか?いや、何でまだ聖女候補なんだ?きっと何か別の理由があるはずだ。
私の内なる冷笑的な部分が顔を上げた。『聖女』という役職が、この世界でどのような意味を持つのか、大体分かった。純潔や善性?そんな宗教的な意味合いよりも、ただ政治的に利用しやすい『象徴』程度なのだろう。純粋な民衆を惑わすための道具。そんな地位に、あんな問題児が候補でいるなんて……フッと、笑みがこぼれた。この世界、思ったよりずさんだな。
よし。『イエラ』という奴は、もう少し詳しく調べてみる価値がありそうだ。私の異世界生存計画に役立つかもしれない子供だ。多分。あるいは、非常に厄介な邪魔者か。直接確認してみる必要がある。
――イエラ視点――
昼寝をたっぷりして起きたら、日が傾き始めていた。う、背中が痛い。石畳ってこんなに硬かったっけ。次はもっと柔らかいところで寝よう。
ストレッチをして体を起こした。晩ご飯でも食べに行こうか。聖堂のご飯は美味しくないけど、タダだし。それとも市場で何か買って食べるか?お金あるかな?あ、ないや。ユナの貯金箱を割って手に入れた金、全部使っちゃった。ちっ。
歩き出そうとした時、ふと視線を感じた。向こうの町の図書館の入り口に誰か立っていた。
……あれ、誰だ?聖堂の子じゃないみたいだけど。見覚えがあるような、ないような。何で私を見てるんだ?あ、さっきユナの横にいた奴だ。
疲れていたけれど、何となく気持ちが悪かった。あんな風に堂々と見られるのは初めてだったし。私を避けることもなく。私は無視して行こうかと思ったけれど、どういうわけか足が止まらなかった。よし、行って何で私を見てるんだと問い詰めてやろう。礼儀正しい振りをしている顔を見ると、何だか腹が立つな。ああいう奴は裏切るのが得意なんだ。
私がスタスタと近づいていくと、少し驚いたようだったが、すぐにまた礼儀正しく笑った。不自然な笑みではないけれど、あまりに完璧すぎて逆に偽物みたいだった。あの顔の裏で別のこと考えてるのが丸分かりだ。
「こんにちは。」
『こんにちは』?笑わせるな。私は聖堂でも『こんにちは』なんてほとんど言われないのに。シスター長様以外はみんな私を避けるのに必死だったから。自分たちだって問題起こすくせに、私にだけは偉そうに。
私は適当に首を軽く傾けた。
「何見てんだ。」
私の言葉に、高坂ユンは目を丸くしたが、すぐにまた笑った。今度はさっきより少し自然だった。いや、ただ諦めたのか?それとも楽しんでいるのか?
「あ、いえ、その……イエラさんでいらっしゃいますよね?森で出会ったユナさんから色々お話を伺いました。実物はもっと……個性が強い方ですね。」
……ユナあの女、またペラペラ喋りやがったな。予想はしてたけど。それに『個性が強い』って言葉、あれ悪口をオブラートに包んでるんじゃないか?『頭おかしい』とかそういう意味じゃないのか?
「何だよ。だから?私の悪口でも散々聞かされたか?ユナあの泣き虫から。」
「いえ、そういうわけでは……ただ、不思議でした。そのような話を聞いても全く気にしないご様子が。普通は怒ったり戸惑ったりすると思いますが。」
気にしてないだと?心の中ではムカついてるのに?それを態度に出してどうする。
「不思議がるこたあない。行くなら行け。腹減ったんだ。」
私が面倒くさそうに言うと、高坂ユンは変わらず笑っていた。
「あ、私は今、図書館に行こうとしていたところでした。ちょうどイエラさんもいらっしゃったので……もしかして、と思って。」
「もしかして何だよ。私に何をどうしろってんだ。」
苛々してきた。早く晩ご飯を食べに行きたいのに。こいつ、何なんだ?どうしてこんなに粘り強く話しかけてくる?私に話しかけてくる奴なんていないのに。
その時、高坂ユンが持っていた本の束が手から滑り落ちた。何冊かの本が床に落ちた。がさごそ。結構分厚い本だった。
「あっ。」
私は拾う気もなく、ただ立っていた。何であれを私が拾ってやるんだ。自分の物は自分で始末しろ。それに、私は今腹が減っている。早く晩ご飯を食べに行かなければ。
ところが、高坂ユンは腰をかがめて本を拾うと、その中の一冊を私に差し出した。
「この本、もしかしてお探しかなと思いまして。さっき広場にいらっしゃった時……これを枕に寝ていらっしゃいましたから。」
私がさっき昼寝する時に枕にしていた本だった。表紙に私のヨダレの跡がはっきりとついていた。それを拾ってきたのか。うわ、ちょっと恥ずかしいじゃねえか。一体あんな物、何で拾ってきたんだ?
私はその本を無造作に受け取った。別にこの本が必要だったわけではない。ただ昼寝の枕にちょうど良かっただけだ。本のタイトルなんて覚えてない。何かの歴史書か?字だけがぎっしり書いてあったけど。
「……これで満足か?」
「はい。ありがとうございます。よくお休みになられたようで何よりです。」
よくお休みになられたようで何よりだと?何だこの反応は。何がありがとうで、何が何よりなんだ?理解できない奴だった。普通は私を汚い物を見るように見たり、聖堂でこんなことしちゃ駄目だと説教したり、そのどちらかだ。あるいはただ無視するか。こいつは何か違う。
私は本を脇に挟んで向き直ろうとしたが、高坂ユンが再び私に話しかけてきた。
「あの……もしかして、勉強はお得意ですか?本をご覧になっているようでしたので。」
……勉強?私に勉強が得意かって?イエラに?聖堂でも毎日居眠りするか問題を起こして、知識レベルは最低を記録している私に?貯金箱を割ったり天使の翼を折ったりする私に?毎日シスター長様に背中を叩かれている私に?
呆れてしまった。何を考えてそんな質問をするんだ?皮肉か?それとも本当に純粋なのか?どう見ても純粋には見えないけど。それとも私を探りを入れているのか?
「私?勉強?プッ。」私は呆れたように笑った。「私が勉強が得意だったら、ここで聖女候補なんてやってると思うか?とっくに辞めて学者にでもなってるさ。学者が何かもよく知らないけど。本なんて枕にするだけで、読みゃしない。」
正直、学者なんてものが何かもよく知らなかったが、何か偉そうに見えたから言ってみた。ただ聖女候補になりたくないと言いたかっただけだ。うんざりだと。
高坂ユンは私の答えを聞いて、また少し目を見開いた。そして、再び笑った。だが、その笑みが……さっきとは少し違った。何か心の中で別のことを考えているような、微妙な笑みだった。面白がっているような?予想通りに進んでいるような?私がどんな反応をするか分かっていて尋ねたような気さえした。
クルン……クルン……
突然、聖堂の中から低い音が聞こえてきた。普段のミサやお祈りの時間とは違う、何か緊迫した音だった。何事だ?尋常じゃない。イエラもその音を聞いたのか、首を巡らせた。高坂ユンも音がする方を見た。
私たちは自然と聖堂の中に足を踏み入れた。聖堂の中はざわめきに満ちていた。全ての聖女候補が一箇所に集まっていて、アンジェラシスター長様が前に立っていた。尋常ならざる雰囲気だった。皆の視線がシスター長様と……私に注がれた。
――イエラ視点――
聖堂の中に入ると、空気がピリピリしていた。全ての聖女候補が集まっていて、その前にアンジェラシスター長様が立っていた。シスター長様は普段とは違い、表情が硬かった。私がまた何か問題を起こしたのか?昼寝がばれたのか?それとも……鐘をまた蹴ったのか?今回は本当に追い出されるのか?
何事だ?集団で問題でも起こしたのか?もしかして私の昼寝のせいか?まさか。私が何をしようとみんな驚きはするけれど、ここまで集まって深刻な雰囲気は初めてだった。
シスター長様が私を見ながら言った。他の候補たちは皆立っていたのに、私はたった今入ってきて入り口に立っていた。高坂ユンも私の隣で立ち止まった。
「イエラ。お前が今来たのだから、皆聞くように。」
ん?私に言ってるのか。
シスター長様が口を開いた。声は厳格だったが、悲しみのようなものも混ざっていた。まるで別れの挨拶をするような声だった。
「本日、イエラに成人式を執り行う。」
……私に?成人式?急に?何で?全く考えてもみなかった。まあ、やるならやるでいいけど。面倒だろうな。また何か変な儀式みたいなことをするんだろう。
戸惑ったが、心の中では「成人式なんて、面倒事が一つ増えるだけじゃないか?」と思っていた。私は聖女候補に選ばれて以来、いつもこうだった。何かイベントがあると、私をねじ込んできた。何でそうするのかは分からなかった。私が特別に神聖力が強いわけでもないし、性格が良いわけでもないのに。アンジェラシスター長様は、妙に私にだけ少し甘いところがあった。問題を起こしても、完全に追い出しはしなかったから。変な人だ。
だが、シスター長様の次の言葉はさらに衝撃的だった。
「そして、成人式と同時に、イエラは聖堂を離れ、『旅立ち』を宣言する。」
……何?旅立ち?聖堂を出るだと?私に出て行けと?
急に?何で?私が何をしたって言うんだ?今回は本当に鐘を蹴ってないのに!
一瞬、頭が真っ白になった。聖堂は私の全てだった。生まれてから今まで、ここで生きてきた。ここ以外に行く場所もない。聖堂のご飯がなかったら、何を食べて生きていけばいいんだ?道端で寝なきゃいけないのか?やばい、大変なことになったな。明日から一体どこで寝よう?
だが、その呆然とした状態は長く続かなかった。続いて訪れた感情は……安堵感?自由?それとも……少しばかりのワクワク感?
そうだ。考えてみれば、私はこの聖堂がうんざりだった。この忌々しい聖女候補という肩書きも面倒だったし。規則も嫌いだったし、退屈な日常も嫌いだった。毎日ユナと喧嘩するのも疲れたし。問題を起こしてもシスター長様の顔色を伺うのも嫌になった。毎日お祈りばかりするのも退屈だった。
外に出ろだと?聖堂を離れて自分の道を見つけろだと?
もしかしたら……これが機会なのかもしれない。私が求めていた自由を手に入れる機会。このうんざりする場所から抜け出す機会。聖女という枠に囚われず、ただ自分自身として生きる機会。
シスター長様は私を見ながら言った。眼差しは厳格だったが、どこか温かさも混ざっているようだった。少し……心配しているような眼差し?そして……仕方ないという眼差し?
「イエラ。お前はここで学び成長した。ここはお前にとって家も同然だったろう。だが……ここは、お前には狭すぎる場所だ。お前の荒々しい……いや、お前の強く自由な魂は、外でこそもっと輝けるだろう。これが、お前が聖女としてではなく、お前自身として生きていくべき道なのだ。」
荒々しいと言いかけたな、シスター長様。正直だな。でも「お前自身として生きていくべき道」だなんて、どういう意味だ?私の道?
私はじっと立ってシスター長様の言葉を聞いた。他の聖女候補たちはざわめいていた。驚きの表情、嘲る表情、心配する表情……様々だった。ユナは私を見て口を固く結んでいたが、眼差しは複雑に見えた。私への怒り以外の感情も混ざっているようだった。上手くいったと思っているのか?
私はシスター長様を真っ直ぐ見つめて口を開いた。私の声は予想より淡々と出てきた。むしろ少し浮かれているような気もした。
「……まあ、結構なことだ。」
シスター長様の眉間が少しだけ皺寄せられた。他の奴らも立ち止まった。あの反応は何だ?私が泣きついてしがみつくと思ったのか?
「聖女? 正直、やってらんねえよ。柄じゃないんだ。」
私はフッと笑った。本心だった。聖女なんて、私には似合わない。純潔?善良さ?そんなものとは縁遠い。問題を起こして罵倒して喧嘩ばかりしている私が、どうやって聖女になれる。私が聖女になったら、この世界は滅びるだろう。本気で。
「出て行って……私の人生を生きるさ。聖堂の外で。面白いことでも見つけながら。」
シスター長様は何も言わず私を見つめていた。目元に水分が滲んでいるようにも見えた。何で泣こうとしてるんだ?私が出て行くのが嬉しいのか?
私は首を巡らせて周囲を見渡した。見慣れた顔、見慣れた場所……もうここを去らなければならない。この古くて、退屈で、息苦しい聖堂。
悪くない気分だった。むしろスッキリした。もしかしたら……少し期待もしている。外はどうだろう?聖堂みたいに面白くない場所だろうか?それとも何か面白いことがあるだろうか?お金はどうやって稼げばいいんだろう?
私は聖堂の扉の方へ足を向けた。荷物をまとめたり、別れの挨拶をしたりする必要もなかった。私の荷物は元々大したことなかったし、特に別れの挨拶をする相手もいなかった。シスター長様?後でまた会うだろう。ユナ?会わない方がいい。いや、もしかしたら外でまた顔を合わせて、一戦交えるかもしれないし。
聖堂の扉を出た。暖かい日差しが顔に当たった。自由の空気が肺腑に入ってきた。鼻をクンクンさせた。聖堂の中の、むせ返るような湿っぽい匂いじゃない。土の匂い、草の匂い……外の世界の匂いだ。生きている匂い。
「聖女? やってらんねえよ。出て行って、私の人生を生きるさ。行くぞ!」
もう一度、小さく呟いた。いや、少し大きめに言った。聖堂の中にいる人々に聞こえるように。これから私の好き勝手に生きていくんだ。誰の干渉も受けずに。聖女候補でもなく、問題児の孤児でもない、ただの私、イエラとして。腹減った。とりあえずご飯を食べられる場所を探さないと。そして、何か面白いことも見つけないと。
――高坂ユン視点――
聖堂の中に入った途端、尋常じゃない気配を感じた。聖女候補たちが皆集まっていて、シスター長様が前に立っていた。そして、全ての視線がイエラに注がれていた。
シスター長様の口から出た言葉は衝撃的だった。成人式と同時に『旅立ち』だなんて。実質的に聖女候補の剥奪であり、聖堂からの追放と変わりなかった。いくら問題児だとはいえ、あんなに急に?
他の候補たちは驚いたり、ざわめいたりしていたが、イエラの反応は予想外だった。ショックを受けたり悲しんだりするどころか、むしろ『結構なことだ』と言って、晴れ晴れとした表情をしているなんて。『聖女? 正直、やってらんねえよ。』彼女の率直な冷笑と吹っ切れがそのまま感じられた。さすがユナがあそこまで歯ぎしりする相手だけある。ただ者ではない。
「やってらんねえ。」
彼女が聖堂の扉を出て、日差しの中に立つ後ろ姿を見ながら吐き出した最後の言葉。その瞬間、私の内側で確信が生まれた。
この娘だ。この娘は予測不可能で、システムに縛られず、何より自由だ。聖堂という囲いの中から、厭うことなく外へ出るあの度胸。聖女という肩書きに未練すら感じていないあの姿。私に必要な仲間は、まさにこういう類いの人間だ。前世の知識と、この世界の武力、そして予測不能な行動力まで。イエラの破壊力と私の知力が合わされば?相乗効果は絶大だろう。おまけに……正直、面白そうだ。退屈だった異世界生活に、この娘が割り込んでくれば、何か違う、予測不可能で騒がしいことが起こりそうな予感がする。これは間違いなく『機会』だ。
イエラが聖堂の扉を出て、日差しの下に立つ後ろ姿を見た。迷いのない足取り。
私は彼女に続いて聖堂の扉の外へ出た。聖堂の中に引き返す代わりに、彼女が進んだ方へ足を進めた。これからこの娘の行く末を、もう少し近くで観察してみる必要がある。そして機会があれば……手を差し伸べてみるのも悪くないだろう。もちろん、私の利益のためだが。この娘なら……私の計画に必要なパズルのピースになり得る。
私の異世界生存計画に、『イエラ』という予測不能な最上位の変数を追加する。
もしかしたら……かなり騒がしく、もしかしたらかなり危険な未来が待っているかもしれない。だが、退屈なよりはずっとマシだ。さて、一度行ってみるか。