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9.国王の猟犬

日が沈み、おおきな篝火(かがりび)が焚かれた城門のまえに、ひとりで立った。



「第2王妃ヴェーラ。謀反の凶報に接し、とるもとりあえず国王陛下と王妃陛下にお見舞いをと参上した。ただちに開門せよ」



侍女のフレイヤは、離宮内を取り仕切ってもらうために残した。


従えるのは侍従騎士2名だけ。厳戒態勢をとる城門で、彼らに取り次ぎは荷が重い。


馬車を降り、みずから衛兵に開門を求めた。



「お、恐れ多いことながら……、しょ、少々お待ちくださいますか?」



と、狼狽する衛兵たち。



「無論である。……役目、大儀。上官より開門の許しを得て参れ」



衛兵のひとりが通用門から王宮のなかに姿を消し、わたしはひとり、たかい城門の前で背筋を伸ばす。


馬車のなかで待つようにと言ってくれる衛兵に、かるく微笑みかけた。



「……心遣い、感謝するぞ。しかし、両陛下のことを想えば、いてもたってもおられぬのだ。ここで待たせてくれぬか?」



そのまま居心地の悪そうな衛兵たちに見守られて、開門を待ち続けた。


夜の闇に覆われた城門の向う側――王宮内は大混乱の最中にあるはずだ。


国王が閉ざすように命じたであろう城門。


開門の許しを誰から得ればいいのか、なかに入った衛兵は右往左往しているはずだ。


やがて、通用門がひらき、青ざめた顔に卑屈な笑みを浮かべた宰相が姿を見せた。


わたしと身長の変わらない、小太りな体型をした中年の宰相――ステンボック公爵。


頭はツルリと禿げ上がり、品のいいあご髭を蓄えている。



「……こ、これはこれは、ヴェーラ陛下。まことに申し訳なきことながら、こちらの通用門よりお入りいただけませんでしょうか?」



と、哀願するような笑みを浮かべ、苦肉の策をわたしに頼み込んでくるステンボック公爵が、宰相に任じられたのは3年前。


暴虐の王オロフ陛下が政務をすべて執るギレンシュテット王国に、ながく宰相は置かれていなかった。


けれど、さすがのオロフ陛下も老境に入られ、面倒な政務を億劫に感じられるようになったのか、その治世で初めての宰相を置かれた。


人の良いことだけが取り柄で、小間使いのように働かされるステンボック公爵に礼を言い、


わたしは通用門から王宮に入った。



   Ψ



騒然とする王宮内。


白銀の鎧を身に着けた近衛の騎士たちや、張り詰めた表情の兵士たちが松明を手に駆け回っている。


姉トゥイッカの居室へと向かいながら、ステンボック公爵から状況の報告を受ける。


王太子テオドール殿下の誅殺後、妃殿下は胸を短剣で突いてご自害。ご子息も続かれた。


第2王子ニクラス殿下は、妃殿下とご子息を連れて王宮から脱出。追っ手の騎士を返り討ちにして行方不明。


第3王子アーヴィド殿下にも王宮からの脱出を許し、抵抗してきた近侍の侍従騎士たちはすべて討ち果たすも、ご本人は単騎で姿を消し、逃亡……



――馬!!!



血の気が引いた。


アーヴィド王子が倒れていたわたしの山のどこかに、王子が乗っていた馬も倒れているはず。


あるいは、もし落馬されたのなら、山のどこかを歩いているかもしれない……。


だけど、いまわたしが出来ることはない。


ステンボック公爵が言うには、追っ手は一旦撤収し、現在は追討の兵を編成中。


夜明けと同時に出兵という段取りで、慌ただしく準備が進められているという。



――夜のうちに離宮にもどり、山からアーヴィド王子が通った痕跡を消してしまいたい……。



焦る気持ちを抑え、ステンボック公爵の報告にうなずき続けた。



  Ψ



近衛の騎士が詰める居室で、姉トゥイッカと抱きあった。



「ああ……、ヴェーラ……、ヴェーラ……、ヴェーラ……、ヴェーラ……」



と、わたしの名前を呼び続ける姉。


華奢な体躯は震えていて、ほそい腕をわたしに巻き付けて、力いっぱいに抱きついてくる。



「恐ろしい思いをされましたわね……、トゥイッカ姉様……」


「ああ……、ヴェーラ……」



そばで心細そうに見上げていた6歳の甥、第4王子フェリックス殿下も招き寄せ、3人で抱きあった。



「……恐ろしい毒が、フェリックスの口に入るところだったのです……」



毒見のメイドが喉を押さえ、口から泡を吹いて倒れた様。その驚き。恐怖。


姉は切々とわたしに語って聞かせる。


白磁のような肌からは一切の血の気が感じられず、姉そのものがいまにも消えてなくなりそうに、怯えて震えている。


部族の犠牲となり、その美しい肢体のすべてを老いた暴虐の王に蹂躙され、心を殺して生きてきた姉トゥイッカ。


毒入りの菓子を王の身代わりに口にして、苦しみながら命を落とすのでは、


姉の生涯に、救いがなさすぎる。


まして、姉の心を唯一慰める、幼い息子までおなじ目に逢った。


王妃に昇りつめたとはいえ、人質の身。


権謀渦巻く王宮のなかに、心からの忠誠を誓ってくれる者がどれほどいることか。


暴虐の王国で頂点に座らされながら、向けられる敵意と蔑視に削られつづけた姉の心は繊細で、か細い。


ともに山野を駆け、


悲惨な戦争のなかでも、真っ黒に日焼けした顔で快活に笑いあった姉は――、


もう、どこにもいない。


わたしの腕のなかで震えるか弱い女性を、ギュッと抱きしめた。



王宮のなかで、王太子殿下のご謀反は確定した事実になっていた。



――あの人格者の王太子殿下が……? 犯人は別にいるのでは……?



と、疑念を口にした貴族の首は、既に胴体から離れていた。


謀反に同心し王国に仇なす者がまだ王宮に潜んでいるのではないかと、騎士や兵士が目を血走らせて駆け回る。


王国の中枢でおきた凶事。


もちろん、これまで王子たちとの親交を望まなかった者などいない。



――お前は王子と親しかったな?



と、いつ自分が謀反に与する者だとみなされ、首を刎ねられるか分からない。


疑心暗鬼に覆われた王宮内。


父王の命を狙った極悪王子たちに非難の言葉を吐き続けなければ、自分の命が危うい。


恐慌をきたす王宮内で、心を千々に乱す姉トゥイッカに、


とても、アーヴィド王子の取り成しを頼むことはできなかった。



   Ψ



予想通り、オロフ陛下は荒れ狂っていた。


わたしが居室に入ったことにも気が付かれない。


黒い鎧を身に着けた騎士に、何度も杖を打ち付け、罵声を浴びせつづけている。


光沢のない漆黒の鎧――、


暴虐の王が飼う忠実な猟犬。



黒狼騎士団。



暗殺と諜報を主な任務にする、国王オロフ陛下の恐怖支配の象徴。


王国の主力騎士団である金鷲騎士団とは異なり、その刃は国内に向く。


貴族家や騎士家に生まれた者はほとんどおらず、出自の怪しい者たちが日夜、オロフ陛下のためだけに裏切者を探している。


猛毒入りの菓子を、オロフ陛下のまえに通してしまったことは、黒狼騎士団のあり得ない失態だと言える。


言い訳もせず黙って打ち据えられる黒狼の騎士の顔が、チラリとわたしを見た。


ごつごつとぶ厚く薄紫色をした肌に、切れ込みの入ったような細い目。



黒狼騎士団の団長、シモン・スヴェル。



シモンに目をつけられて、生きながらえた者はいない。


王国への裏切りや不正が暴かれ――あるいはでっち上げられ、幾人もの貴族や王族たちが闇に葬られた。


ほそい目の奥でひかる爬虫類のような眼光に、生理的な嫌悪感をもよおす。



――なにも見抜かれてはいけない……。



わたしの心の奥底から、アーヴィド王子を見つけ出すとするなら、きっとこのシモンだろう。


わたしは神妙な表情を崩さず、扉のまえに立ったまま、オロフ陛下のお声がかりを待ち続ける。



「おお……、ヴェーラか」



やがて、息を切らせたオロフ陛下の鷲のように鋭い視線が、わたしに向けられた。


たちまち襲いくる暴風のような威圧感と、絡みつくシモンの眼光。


その一瞬で、わたしは覚らされた。



――いまの時点で、オロフ陛下の怒りを鎮め、アーヴィド王子の無実の罪を晴らすなど絶対に無理だ!



糸口を見つけようなど甘かった。


わずかにでも怪しまれたら、たちどころに刃がわたしに向く。


離宮にも大軍が差し向けられる。


ただ、そのことを実感できただけでも、王宮に駆け付けた甲斐は充分にある。


離宮であれこれ思い悩んでいたら、へたな動きをして尻尾をつかまれていたかもしれない。それよりも、いまは息を潜めて時を待つべきと覚悟を決められた。


あとは、穏やかに退出し、離宮に駆け戻るだけだ。


暴虐の王と、陰険な猟犬シモンに、微塵も疑いを抱かせることなく――。


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