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59.白磁の花瓶よりも美しく

わたしに膝枕をさせ、楽しげに微笑む姉トゥイッカはほんとうに美しい。


透き通るような白い肌に、おおきな群青色の瞳。幼げで可愛らしくも、凛と妖艶にも見える整った顔立ち。



「あら? ヴェーラの方が綺麗よ?」


「ええ~っ!?」


「ヴェーラは太陽なんだから。お姉ちゃんをいつも照らしてくれるわ」


「や、やめてよぉ~、姉妹で褒めあいだなんてぇ~」


「ふふっ、ほんとうね」


「……そうよぉ」



だけど、嬉しい。


わたしはずっと、姉に褒めてもらいたかった。わたしに代わって人質の労苦をすべて引き受けてくれる姉の役に立ちたかった。


たとえ容姿であっても、姉から褒められるのはとても嬉しかった。


わたしたち姉妹は、きっと悪名をのこす。


姉は王を籠絡し、わたしは息子を籠絡したのだ。惨めな人質の姉妹は、ふたりして大王国を乗っ取った。



「ねえ、お姉ちゃん。わたしのいいところを100個、教えて」


「なに、無茶なこと言ってるのよ?」


「いいから、教えて。なにも出てこなくなるまで教えて」


「ええ~っ? そうねぇ……」



嬉々としてわたしを褒めちぎる姉の美しい声音に、わたしは聞き惚れて過ごした。



「……フェリックスはどうしたらいい?」



わたしの問いに姉は微笑むばかりで、答えらしい答えをわたしにくれなかった。



「ヴェーラの好きにして。わたしには、ヴェーラがいればいいの」



美しくほそい姉の指が、わたしのほほに伸びた。



「……詰めが甘いわね」



と、知らずこぼれたわたしの涙をぬぐい、そのまま指をペロリと舐めた。


艶のある仕草に見惚れるわたしの瞳を、姉が見詰めた。



「ごめんね……。ヴェーラの本当に好きな人のこと、……悪く言っちゃって」



それから夜明けまで、今度はわたしが姉のいいところをずっと話し続けた。


くすぐったそうにしたり、はにかんだりしていた姉は、朝陽がさしこむと同時になにも応えてくれなくなった。


とても美しく、とても楽しそうに、姉はわたしの膝のうえで眠ってしまった。


爽やかな朝の陽光に照らされた姉の肌は白磁よりも美しく、神々しくさえある。


まるで太陽に祝福されたように眠る姉。


姉の前髪をかきあげ、額に口づけすると、応えてくれるうちにすれば良かったと、はやくも激しい後悔に襲われた。



――きっと、わたしを蕩かす素敵な笑顔を見せてくれただろうに。



わたしの膝のうえで眠る姉に涙をおとしたくなくて、天を仰いだ。


大理石を贅沢につかった天井を見つめ、嗚咽をこらえた。眠ってしまったとはいえ、姉には聞かせたくない。


天井に刻まれた装飾を目でたどり、はたと気が付いた。


瀟洒にみえた装飾は、たしかにレトキの紋様を刻んでいる。



「……言ってくれたら、良かったのに」



姉がどんな気持ちで、レトキの紋様を選んだのか。それは永遠の謎になった。


復讐をとげた征服の証しだったのか、怨みを忘れぬ儀式だったのか、……故郷に手向ける秘めた愛情だったのか。


どんな想いで天井を見上げていたのか。


王宮でわたしの部屋に置かれていた白磁の花瓶よりもずっと美しく眠る姉は、もうなにも応えてくれない。



白磁の花瓶――、



落して粉々に割ってしまったメイドの首を、オロフ王が刎ねようとしたとき、姉がかばってくれた。


仲の良かったメイドを救けたいけれど、怖ろしいオロフ王になにも言うことができず、メイドにしがみついたまま震えるわたしの前に立ち、姉は淑やかに取り成してくれた。


その姉のとなりには、アーヴィド王子が立っていた。


ふたりしてわたしを守る盾のように立ちはだかり、怒り狂うオロフ王をなだめ、取り成し、わたしの好きだったメイドは命を落とさずに済んだ。


メイドは罷免され実家に帰されたけれど、暴虐の王オロフ陛下が支配する白亜の王宮から、無事に出ることができた。


わたしはメイドと抱きあい、黙って喜びを噛み締めあっていたので目にすることはなかったけれど――、



きっと、ふたりは微笑み合っていた。



わたしを見詰め、目をあわせ、照れくさそうに微笑み合ったに違いない。


その光景は、わたしの心のなかにしかない。ほんとうのことは、もはや確かめようもない。


ずっと昔のことで、すぐにオロフ王の暴虐に怯える日々に戻ったので、あんなに喜び合ったメイドの顔も名前も覚えていない。


ふたりに礼を言ったかも覚えていない。


あの日に戻ることは、できない。


わたしと姉とアーヴィド王子。3人で抱き合えるときは、もう二度と訪れない。



「……おめでとうって、言わせ損ねたわ」



苦笑いしながら、姉のちいさなあたまを、そっとソファに寝かせた。


緋色のドレスに、深紅のソファ。


薔薇の花で埋め尽くされた棺桶で眠るように、姉は穏やかな表情を浮かべていた。


オロフ王といい姉トゥイッカといい、たくさんの人を傷付けた者ほど、平穏に旅立てるのかと毒づきたくなる。


そして、扉をあけると、アーヴィド王子がおひとりで待ってくれていた。


いや。床に座りこみ、その膝ではちいさな甥、フェリックスが眠っていた。



「姉は……、旅立ちました」



わたしの言葉に、アーヴィド王子は悲痛な表情を浮かべ弔意をあらわしてくれた。



「トゥイッカ殿なら、そうなさるのではないかと、……危惧していた」



と、視線をおとされ、フェリックスの髪をなでられた。


愛おしげなその仕草には、異腹の弟に対する親愛の情が込められていた。



「……ボクがどんなに勧めても、部屋に入りたがらなかったんだ」


「そうでしたか」


「……母の許しがないからと」



わたしもアーヴィド王子のとなりに腰をおろし、フェリックスが目覚めるのを待った。


あたまをアーヴィド王子の逞しい肩に乗せ、小声で姉との別れを聞いてもらった。


アーヴィド王子はなにも仰られず、ただ黙って何度もうなずいてくださった。


やがてフェリックスが目を覚まし、わたしが手を引き、フェリックスとふたりで姉の居室のなかに入った。



「陛下の母君は旅立たれました。……どうぞ、お別れを」



わたしの言葉に、フェリックスは何度も姉とわたしの顔を見比べ、口をひらいた。



「……もう、叱られないのか?」


「ええ……。もう陛下を、叱ってはくださいません」



しばらく、目をキョロキョロさせていたフェリックスは、そっと姉の顔にちいさな手を伸ばし、



ペチッ――……



と、姉のほほを打った。



「ほんとだ」



にっこり笑う幼い甥に、わたしは言葉をなくし、床に両膝を突いて、つよく抱き締めた。


壮絶な姉の人生の幕切れ。


きっと、これは相応しいものなのだと自分に言い聞かせ、フェリックスを抱き締めつづけた。



「帰りましょう……、帰ろう。レトキに帰ろう」



   Ψ



姉が言い遺した助言のとおり、国王フェリックス名でアーヴィド王子の追討令を取り消した。


その勅令に、わたしは共同摂政としてサインした。


フェリックスをただちに退位させ、後継に指名させたアーヴィド王子が即位される。


新国王アーヴィド陛下の御名のもと、国軍、討伐軍、反乱軍のすべてに停戦命令を発した。


友好国ハーヴェッツ王国には親書をしたため、ニクラス殿下とともに兵を帰国させるようにと促した。


国軍と金鷲騎士団および近衛騎士団はアーヴィド陛下への帰順を表明。


停戦監視を行いつつ、東方貴族の兵を領地に帰国させる。


王国から充分な年金を支給すると約束したニクラス殿下は、ハーヴェッツ王国の兵とともに王土を去られた。


すべて、姉からの助言のとおりにことが進んでゆく。


わたしとオロフ王との婚姻無効を聖職者に宣言させ、わたしは王太側后の地位を返上した。


そして、レトキ王国の建国と、わたしの女王即位をひろく布告した。


やがて、戦火を交えた緊張感をはらんだまま、すべての王国貴族が大会堂にそろい、アーヴィド陛下の戴冠式を執り行った。


戴冠式のあとの晩餐会は、簡素な秋の収穫祭も兼ねてひらく。


隣国の女王として列席したわたしは、再会した選帝侯カミル閣下立会いのもと、アーヴィド陛下との婚約をあきらかにする。


複雑な色合いの拍手につつまれ、アーヴィド陛下と寄り添い立った。



――妹ヴェーラは、ながく側妃――第2王妃でありながら、初夜を迎えぬままにオロフ陛下を亡くしました。



(あで)やかに宣言した姉の声が耳に蘇る。


姉のおかげで、わたしが〈白い結婚〉であったと証され、わたしはアーヴィド陛下と結ばれた。


あのとき響き渡った盛大な拍手に比べると、わたしたちを祝福する拍手はちいさい。


だけど、わたしは幸せだった。


幸せだけに目を向けることにした。


そうでなくては、姉に申し訳が立たない。


わたしは本当に好きな人と結ばれ、これから光り輝く毎日が待っているのだから。


いや、わたしが光り輝かせるのだ。


あわただしく執り行ったすべての儀式典礼を終え、わたしは姉の亡骸(なきがら)と甥フェリックスを連れ、5万の軍勢に護られながらレトキの大地に帰った。


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