57.姉はひとりでわたしを待つ
闇夜を切り裂く細剣のような三日月の下、高くそびえ立つ城門は、わたしたちの焚く篝火に照らされ悠然とたたずんで見えた。
かたく閉ざされた門扉。
瀟洒にして豪壮な意匠の凹凸に、炎のつくるちいさな陰影が揺らめいている。
誰もがこの門扉をくぐるたびオロフ王の暴虐の威風に身構え、帰りには生きて出られたことを神に感謝した。
その門扉の前に立つミアのオレンジ色のオフショルドレスが、炎の灯りを受けてマリーゴールドに輝いている。
――太陽みたいな娘。
わたしが抱いていたミアの印象は、ドレスの色にしか面影を残さない。
清楚にも見える立ち姿。
だけど、マーメイドラインのドレス姿からは、色気さえ感じさせられる。
物腰はやわらかで、グイグイもズケズケもなく、高貴な気品を帯びた口調で、わたしと別れたわずかひと月半ほどの出来事を語り聞かせてくれた。
王都で起きた偶発的な決起。
ミアの父親テュレン伯爵は、王宮になだれ込んだ反乱軍に首を獲られた。
テュレン伯爵は枢密院の顧問官にして、王太后トゥイッカの重臣。
反乱貴族たちの激しい憎悪の対象だった。
さらに、王宮で要職にあった4人の兄もすべて反乱軍に討ち取られる。
反乱軍が撃退された夜明け、ミアはただちにわたしの離宮から呼び出され、姉王太后トゥイッカから爵位の継承を命じられた。
ミアの姉2人はすでに他家に嫁し、母は王国東方の領地で静養中。
姉の手駒であるテュレン伯爵家をまとめるためには、次期当主の早急な擁立が必要で、それにはミアしかいなかったのだ。
父と兄の首は、反乱軍の〈戦果〉として王国西方に持ち去られた。
首のない5人の遺体をまえに茫然自失とするミアが、姉の命令を断ることはできなかった。
「……ヴェーラ陛下によく仕えたと、王太后陛下より褒辞を賜り、枢密院の書記官としてお側近くでお仕えさせていただくことになりました」
敗軍の使者として、礼則にもかなうミアの洗練された微笑みからは、胸が締め付けられるような切なさが押し寄せてくる。
当主と世子を一度になくしたテュレン伯爵家は、混乱を極めたことだろう。
――侮られてはいけない。
アーヴィド王子のかつての言葉が、わたしの胸の中で痛切に響く。
伯爵家の末っ子令嬢としてのびのび育ったミアが突然に、爵位にふさわしいふる舞いと、家臣に君臨する威厳とを求められたのだ。
唐突な父や兄との別れに涙する暇もなかったに違いない。
さらには病いを得ていた母までもが、夫と息子たちの突然の死を聞かされた心労によって、静養中の領地で急逝されたという。
王都で政務に忙殺されるミアは、母の臨終はおろか葬儀にさえ立ち会えなかった。
そのミアが、姉王太后トゥイッカの降伏の使者として、わたしの前で毅然と背筋を伸ばし微笑みを浮かべている。
いますぐにもミアを抱き締めてあげたい。
だけど、わたしにその資格はあるのかと、一歩も足を踏み出すことができなかった。
姉の側近として、降伏開門の条件を述べるミアは胸を張って背筋を伸ばし、堂々たる交渉をはじめる。
わたしは、白亜の王宮を包囲し攻め落とす側として、枢密院書記官ミア・テュレン伯爵に相対しなくてはならない。
「……すでに、王宮内にのこる騎士と兵士のすべては剣を置き、鎧を脱ぎ、中庭にて地に伏せております」
「分かりました……」
「夜も更け、幼き国王フェリックス陛下はすでにお休みでございます。ヴェーラ陛下の率いられる軍勢におかれましては、お静かに王宮内にお進みいただければ幸いに存じます」
「承知いたしました。異存ありません」
「累代の宝物を収めた宝物庫は封印しております。できましたら、略奪などで散逸することのなきよう……」
すべての交渉が妥結し、ミアはわたしに背を向け城門のなかに向けて顔をあげる。
ミアの絹のように滑らかな白い肩が、炎に美しく照らされていた。
「開門――――ッ!!」
その透き通ったのびやかで張りのある声に、ようやく記憶のなかのミアと、眼前のミアとが一致する。
それがなおいっそうにわたしの胸を締めつけ、たまらず目を伏せた。
Ψ
戦時宰相イサク卿の指揮で、粛々と王宮内に進むレトキ国軍のわかき兵士たち。
制圧が無事完了するまでの人質として、わたしの隣でその様を眺めるミア。
まっすぐなその視線に、イサクの姿はどう映っているだろう。
わたしの従者で平民だったイサクは、騎士にして5万の軍勢を率いる戦時宰相として王都に帰ってきた。
わずかひと月半のあいだに、ふたりがふたりとも、おおきく立場を変えた。
「結婚しよう!」
「……身分が違います」
「叙爵してもらおう!」
「……はあ?」
あれからでも、まだ1年も経っていない。
やがて、王宮の制圧が完了したと、イサクがわたしとミアの前で片膝を突いた。
瞬間、おおいに迷ったすえ、わたしも腰を落とした。そして、イサクの耳元で囁く。
「……なにも言わずに、ミアを抱きしめてあげて」
篝火に照らされたイサクの褐色の顔があがり、涼やかな目元がおおきく開かれた。
わたしが、ちいさくうなずくと、イサクも切なげに目をほそめ、眉根を寄せる。
黙って立ち上がったイサクはミアの前へと歩み寄った。名門伯爵家の当主に相応しい微笑みで軽くあたまを下げるミア。
そっと腕を伸ばし、イサクが抱き締める。
抗うでもなく、それを受け入れたミアは、やがてイサクの逞しい腕に顔を伏せ、しずかに嗚咽をひとつ漏らした。
「……ずっと、会いたかった」
イサクの言葉に、ミアは大声をあげて泣きはじめ、力いっぱいにイサクを抱きしめ、しがみつき、ワンワンと泣く。
――誰も、ミアを泣かせてあげられなかったのだ……。
もらい泣きがこぼれないよう天を仰いだわたしの肩を、アーヴィド王子がポンとひとつ叩いてくださった。
やさしげな眼差しは、ミアとイサクをふたりにしてあげようと、わたしに語りかけている。
かるくうなずくと、ツと滴がひと粒、ほほを伝った。
わたしはアーヴィド王子と、ラウリ率いる近衛隊に護られ王宮内へと進んだ。
運命はミアをイサクに再会させてくれた。
だけど、それ以外のすべてを、ミアから奪い去った。
唐突に。理不尽に。
いつかまた、わたしの羨んだ、太陽のような笑顔を見せてくれる日は来るだろうか。
Ψ
王宮内は静まり返っている。
わかきレトキの兵たちは勝ち誇るでもなく、かつて戦火を交えた王国の中枢を、粛然と制圧していた。
そのふる舞いに、王宮内のメイドや従者など非戦闘員たちの安堵している様子が見て取れた。
――粗野な蛮族。
かつて、わたしをいじめたメイド長が口汚く罵り、最強無比のオロフ王をしても下せなかったレトキの強兵による王宮占拠に、彼らは怯えきっていたに違いない。
やがて、姉の居室に至ると、扉のまえで姉の侍女長がふかく頭をさげて待っていた。
「……トゥイッカ陛下は、おひとりにてヴェーラ陛下をお待ちにございます」
アーヴィド王子とラウリに、ここで待つようにと告げ、侍女長のあけた扉のなかへとわたしはひとりで進んだ。
緋のヴェールをくぐり居室を見渡すと、ソファにひとり腰かける姉トゥイッカ、そのすぐ側には両膝を床に突いた漆黒の鎧。
うしろで扉の閉じる音がした。
薄紫色をした気味の悪い顔に、切れ込みのようなほそい目。
黒狼騎士団長のシモンがいる。
――謀られたか?
と、身構えたけれど、
「……ふふっ」
姉の笑い声が聞こえた。
緋色のドレスを身にまとい優雅に腰かける姉トゥイッカのまえには、飲み干されたワイングラスがふたつある。
「……侍女長は説明しなかったのね。ほんと使えない子……」
姉の美しい顔には、自嘲するような苦笑いが浮かんでいた。




