55.どれだけ寄り添えたか
わたしが出兵を決断したことで、仮宮殿では慌ただしく準備が始まる。
まずは正装のドレスに着替え、選帝侯カミル閣下をお見送りに出た。
「随分、勇敢なご決断でしたな」
麗しいお顔に、楽しげな表情を浮かべられるカミル閣下。
――やっぱり、男の子ですのね。
という笑顔で応えた。
「わたしの姉トゥイッカほど、泥沼の戦争を忌む者はおりませんわ」
討伐軍の勝報を受けた姉は、即断したはずだ。
国軍を、王国西方に出兵させる。
王国主力の金鷲騎士団はじめ大軍を送り込み、反乱貴族たちをしらみつぶしに各個撃破させる。
王宮はきっと手薄になっている。
それでも、内戦が長引くことを姉は避ける。
わたしたち姉妹を苦しめた、9年におよんだ王国との泥沼の戦争の記憶が、姉を早期決着へと駆り立てるはずだ。
カミル閣下が名残惜しそうに、レトキの山々を見上げられた。
「王太側后ヴェーラ陛下に、王太后トゥイッカ陛下。ギレンシュテット王国の頂点に咲き誇られた、あまりに美しきご姉妹。叶うことならば、今度はレトキの地にて微笑み合われるお姿を仰ぎ見たいものです」
「そのときにはきっと、今度は姉も一緒に、十日宴にてカミル閣下をおもてなしさせていただきましょう」
ニヤリと微笑まれたカミル閣下は、長身をヒラリと宙に舞わせて騎乗された。
なるほど。潔い去り際には、かえって情を引かれる。最後まで女子の心をつかんでいかれるお方だ。
そして、兵たちに出立を命じられた。
わたしの後ろで、侍女見習いのシルクカが小さく手を振ったのは、兵と結ばれた踊り子たちに別れを告げるためだ。
「口説き落とした女性を捨て置くなど、選帝侯カミル・ピエカルの旗下にあらず」
と、カミル閣下からの厳命があり、ほほを赤くした踊り子たちが、兵の背中にしがみつき、ともに去ってゆく。
「女の子をそのまま連れて帰るだなんて、カミルの率いる兵団らしいよね」
呆れたように仰るアーヴィド王子だけど、表情はどこか誇らしそうだ。
まったく性情の異なるカミル閣下とアーヴィド王子だからこそ、ふかい友情を築かれたのかもしれない。
「アーヴィド王子も、やっぱり男の子ですのね」
「え、そう? ……どのあたりが?」
「ふふっ。そのあたりです」
そして、ただひたすら書簡をしたためる。
反乱軍の西方貴族、古参貴族、さらに討伐軍の東方貴族たちに、アーヴィド王子のご健在を報せるためだ。
ずっと行方不明だった第3王子の突然の帰還に、貴族たちの思考は停止するだろう。
第2王子ニクラス殿下の権威が失墜した今なら、なおさらだ。
――アーヴィド殿下が、白太后ヴェーラ陛下と組まれた?
反乱貴族たちは再結集できる旗頭を渇望しているはずだし、東方貴族は不在にしている領地を突かれるのではないかと浮き足立つ。
ほんの半日でもいい。彼らの足が鈍った隙を突く。
「ヴェーラ陛下、出陣の準備が整いましてございます」
と、わたしの前で片膝をついたのは、近衛隊長のラウリだ。
部族伝統の大弓を肩にかついでいる。
肌は色艶を取り戻し、痩せこけていたほほもややふっくらした。
けれど、もともと引き締まっていた腕まわりの筋肉は厚みを増し、精悍な雰囲気を漂わせている。
「あらまあ、可愛らしいわねぇ~」
と、ラウリの幼い娘を抱かせてもらい、母乳を与えられるようになったと、奥さんからは涙ながらに感謝された。
やはり、レトキに平穏な暮らしを取り戻すためには、姉トゥイッカを討ち、白亜の王宮に囚われた姉を〈救い出す〉しかない。
改めて決意を固めたわたしは、フレイヤと一緒に馬車に乗り込み、さらに書簡をしたため続ける。
騎馬の一団を先行させ、わたしの馬車は近衛隊はじめ歩兵たちと出陣した。
馬車の両脇は、騎乗されたアーヴィド王子と戦時宰相イサク卿が護ってくれる。
元来、山野を駆けて育ち、強靭な足腰を持つレトキ兵たちは、短期間とはいえ充分な食事と鍛錬でさらに足取りを確かにしていた。
アーヴィド王子が感嘆の声を漏らされたほどに、最速で駆け、南へとひた走る。
――噂よりも速く王都に着きたい。
5万もの進軍を隠し通せるとは思わない。
けれど、姉トゥイッカが王国西方から兵を呼び戻す時間を与えたくない。
世のすべてを怨む姉トゥイッカを、妄執の宮殿から救け出し、レトキの大地に連れ帰るのだ。
「もとは言えば、トゥイッカ陛下はご立派に人質の役目を果たしてくださっていたのです」
ラウリをはじめ、近衛隊の兵士たちが口をそろえてくれた。
――赦しの民。
かれらの笑顔に触れたら、凍りついたままの姉の心も融けてしまうのではないか。
むしろ、婚約者ペッカを殺された怨みを融かしてしまわないように、姉はレトキ族の者たちと会わないようにしていたのではないか。
姉の手先となっていた氏族の長たちも、そのほとんどが、わたしへの帰順を誓ってくれた。
それでも、4人の長は、
――大恩あるトゥイッカ陛下を裏切ることはできない。
と、獄のなかにいることを選んだ。
ほんとうの姉は、やさしい人だ。
勇敢で快活で、いつもケタケタ笑って、太陽の下が似合う、カッコいい女性だ。
嫌なことがあっても、ひと晩寝たらケロッとしている。
懸命に努力しないと、怨みを持ち続けることなどできない人だ。
赦しの女神を、戦争が変えてしまった。
白亜の牢獄から救い出し、一緒に山野を駆けよう。陽の光をいっぱいに浴びて、ふたりで真っ黒になろう。
フレイヤにはしこたま叱られるだろうけど、ここは許してもらおう。
わずかな休息をとりながら、数日駆けた。
レトキのわかき新兵たちに疲れは見えず、ダニエルが「最強」と評してくれたことが、ようやくわたしの腑に落ちた。
そして、すべての書簡を発し終え、馬車の窓から空を見上げた。
しびれた右腕を、手のひらから肘、二の腕、肩から首まで、フレイヤが丁寧に揉みほぐしてくれる。
わたしは、姉トゥイッカの心を読んだ。
けれど、それは見当違いかもしれない。
王都に着けば、万全の布陣をしいたギレンシュテット国軍が待ち受けているかもしれない。
戦場に送りたくなかったはずの同胞たちを、わたし自身の手で送ってしまったかもしれない。
だけど、姉は戦争を終わらせようとする。
このことだけは信じられた。
終わらせる方法が、わたしでは思いもよらない方法であれば、わたしの負けだ。
潔くわたしの首を差し出し、レトキ族のみんなは許してもらおう。
アーヴィド王子と結ばれなかったのは心残りだけど、充分に幸せな時間を過ごさせていただいた。
わたしが生まれて1年で起きた戦争。戦場で育った9年。暴虐の王に純潔を散らされるのだと覚悟して過ごした8年。
それに比べて、この1年のなんと幸せだったことか。
どれほど夢を見させていただいたことか。
夢の続きを見させていただけるかどうかは、わたしが姉の心にどれだけ寄り添えたかにかかっている。
姉が9歳のときに起きた戦争。
姉は戦場を駆けて育ち、戦場で花ひらいた恋を、賂に転んだ長老たちに散らされた。
モノのように差し出され、暴虐の王にその美しい肢体を蹂躙された。
復讐を果たすため、政敵たちを闇に葬り、権力の座を握った。
姉トゥイッカの心に、安らぎはあっただろうか。
すべての労苦を一身に引き受け、たとえそれが暴虐の王からの寵愛を独占するためであったとしても、わたしを護りつづけてくれた。
姉は愛を捧げられる相手に餓えている。
もはや、わたししかいないのだ。
それほどまでに、戦争に運命を曲げられた姉は、きっと泥沼化を避ける。
乾坤一擲、大軍を発して反乱を鎮圧する。
その度胸は充分にある人だ。
なにせ、わたしの姉は、女の細腕ひとつで大王国を乗っ取った、歴史に残る大悪女なのだから。
だけど、わたしはアーヴィド王子との結婚を、姉に祝福してもらいたい。
わたしを守り続けてくれたふたりに、仲良くしてもらいたい。
ただ、それだけの想いで同胞5万の兵を危険にさらし、愛するアーヴィド王子をも戦地に向かわせようとしている。
ずいぶん、はた迷惑な恋だ。
――世俗にならせば、婚約者と小姑に仲良くしてほしいってだけの話なのよ?
心に浮かぶ軽口にも、わたしの表情は晴れない。
冬から秋に巻き戻っていく風に吹かれ、お人形のように美しいフレイヤからマッサージしてもらって、心の不安を紛らわせる。
「フレイヤ……、実際のところカミル閣下とはどうだったの?」
「なにもごさいませんわよ」
「わたし、見ちゃったのよねぇ」
「なにをです?」
「わたしの両親のお墓参りをしてくれた晩。満月の下で、カミル閣下とフレイヤがヒソヒソ話し込んでいるのを」
ポンッと、音がしたようだった。
真っ白なフレイヤの肌が、首筋まで赤くなっている。
「ええ~~~っ!? そこまで反応するんなら、聞かせなさいよぉ~?」
わたしの手首を揉むフレイヤの手が、汗でぐっしょりだ。
苦笑いしながら、あれこれ聞くのだけど、顔を真っ赤にしたままのフレイヤはなにも答えない。
これは落ち着くまで無理ねと、息を抜いたとき、フレイヤがポツリとつぶやいた。
「……そ、相談に乗ってくださったのです、……こ、恋……の……、カミル閣下が……」
「あら、そおだったのね?」
あれこれ問いただしたかったけれど、これ以上は聞き出せそうになかったので、そっとしておくことにした。
フレイヤは、わたしより4歳年上。
貴族令嬢としては、行き遅れと言ってもいい歳だ。
わたしに尽くしてくれているけど、これほど美しいフレイヤだ。お相手が見つかったのなら、ぜひ応援してあげたい。
「また、姉様に勝たないといけない理由が増えたわね……」
秋空を見上げ、そして並走してくださるアーヴィド王子に微笑んだ。
乳姉弟の恋バナを報告できるのは、きっとこの戦いが終わったあとになる。
「かあ~、たまりませんな……」
と、わたしがつぶやいたら、フレイヤがキョトンと顔あげ、それからさらに顔を赤くしたのは、きっとわたしの気のせいだ。
やがて、わたしが大橋を落とした渓谷にいたり、進軍を止めた。
先発していた騎兵が、周囲を警戒してくれているなか、わたしは馬車を降りた。
そして、ラウリから渡された部族伝統の大弓を、渓谷をはさんだ向こう側、ギレンシュテットの王土に向けて引き絞った。




