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52.闇のなかのちいさな泡

姉の出兵は11日前。


時系列を整理すれば、ダニエルたちが離反した反乱軍分裂の報を受け、姉は西方への出兵を躊躇なく即断していた。


ただ、出兵させた討伐軍は東方貴族の兵だけで編成され、姉は総大将に宰相のステンボック公爵を任じている。



「状況の変化に素早く対応しながら、虎の子の国軍は手元で温存。実にトゥイッカ陛下らしい、果断にして怜悧な判断ですな」



と、カミル閣下がニヤリと笑われた。


大会堂のテラスに3人あつまり、ちいさな茶会をひらいている。


わたしの隣に座るアーヴィド王子が、険しい表情でうなずかれた。



「……西方貴族と東方貴族を争わせ、それぞれに兵を消耗すれば、国軍を擁するトゥイッカ殿の権力は強まるからね」


「その間に、徴発したレトキ族の兵で国軍を増強しようという肚であられたのだろうが……」



と、カミル閣下が、いたずらっ子のような微笑みをわたしに向けられた。


オクスティエルナ伯爵が王都に残した間諜。その報せは、まず王国西方に届く。


わたしへの急使は、その後。


タイムラグはやむを得ない。


おそらくエルンストはまだ父オクスティエルナ伯爵のもとに帰り着いていないし、わたしが王都に向かわせた偵騎もようやく王都に着いた頃。


そして、姉が11日前に出兵させた討伐軍は、反乱軍とすでに王国西方で激突している頃だろう。


いま現在(リアルタイム)において起きていることは、わたしにとって闇のなか。


とおく北方の辺地(レトキ)で、ちいさな泡の中に閉じ込められてるような錯覚にも陥る。


テラスのむこう、野原で始まっている新生レトキ国軍の軍事教練に、目を落とした。



「イサク卿の指揮は見事なものです」



カミル閣下が、わたしの心のうちを察せられたように感心した語調で囁かれた。


十日宴がおわっても、カミル閣下はなにも仰られず、わたしの仮宮殿での滞在を延長してくださっている。


しかも、選帝侯の兵士たちをレトキ国軍の教練に加えてくださった。



「10日も宴で歓待され、兵たちの気力は充分。すこしは働かせねば、国元にのこした者たちからやっかまれましょう」


「……どうして、ここまで?」



と、疑問を胸の内におさめておくことができず、ついカミル閣下に問いかけた。


姉トゥイッカが部族から搾取した産品で、これまでカミル閣下はおおきな利益をあげてこられたはずだ。


レトキ族の者たちが適正な生活を取り戻せば、たとえ、わたしの建国した新生レトキ王国との取引がつづいても、カミル閣下にとっては利益を減らす話にしかならない。


カミル閣下がむけてくださるご好意は、アーヴィド王子との友情というだけでは、わたしの理解を超えていた。



「ふふっ……、疑わしいですかな?」


「いえ、そういう訳ではありませんが……」


「……無頼令嬢と謳われた開祖マウゴジャータ以来、わがピエカル家は義侠の家。強いものと弱いものがいれば、弱いものに肩入れしたくなるのですよ」



困ったものです……、といわんばかりの苦笑いを浮かべられたカミル閣下が、面映ゆそうに眉を寄せられた。


アーヴィド王子が、わたしに顔を寄せられる。



「カミルはねぇ、トゥイッカ殿がレトキ族を虐げていたことに気が付かなかった自分が、悔しくてたまらないんだよ」


「もちろん、それもある」



カミル閣下は、クスリともせず苦い顔をされた。



「……すべての財貨をレトキに返したいほどだ」


「そこまでは、求めませんわ」



わたしが微笑むと、カミル閣下は肩をすくめられた。


過去をふり返るより、将来に渡ってカミル閣下の治めるドルフイム辺境伯領、そして、エルハーベン帝国との友好関係を築く方が、新生レトキ王国とって大きな財産になり得る。


まして、国境を接することになったレトキ王国の国軍創設に協力してくださっているのだ。


選帝侯カミル・ピエカル閣下が護りを任せる50人から鍛えてもらえるなど、わかきレトキ兵たちにとっては得がたい機会。


いちばん不安定な時期に、いちばん欲しい助力をいただいている。


贖罪というなら、充分なものをいただいているとも言えた。



「ところで、ヴェーラ陛下。十日宴も終わりましたが、まだ私を帰してはくれないのでしょう?」


「え、ええ……。できましたら」



カミル閣下の麗しいお顔が、仮宮殿の裏側、そびえる山々を見あげた。



「教練はイサク卿に任せておかれるほかありますまい」


「……そうですわね」


「それでは、ご予定の通り、ご両親が眠られる墓所に参られてはいかがですかな? トゥイッカ陛下との約束を果たされるのもよろしかろうと存じますが?」



思いもかけなかったカミル閣下の言葉に、ハッとわたしも山をみあげた。


お父様とお母様のお墓までは、山岳地帯につよい騾馬(らば)で往復4日ほどの距離がある。


たしかに、5万人を数えるレトキ国軍の軍事教練が完了するまで、あと4日ではすまない。


お墓参りに行って帰ってくるだけの時間は充分にある。


なにより、墓参りに行くのだと王都を発ったわたしが、これ以上、姉トゥイッカに嘘をかさねずに済む。


気休めにしかならないけれど、それでも姉との約束を果たすことは、わたしにとって意味があった。


そして、冥府のお父様とお母様に祈りたいことは山のようにある。



「このカミルも、お供させていただきますぞ」


「……ええっ!?」



恭しくあたまを下げてくださるカミル閣下に、わたしとアーヴィド王子の声がそろってしまった。



  Ψ



騾馬の旅でも、カミル閣下は実に楽しそうに、となりのフレイヤの美貌を褒めちぎりつづけている。


侍女見習いに採用したシルクカの見立ててくれた騾馬は経験豊富で、険しい山道もたしかな足取りでのぼってゆく。


地図をみれば、だいたいの位置が思い出せたので、道案内の供はつけなかった。


わたしとアーヴィド王子、それにカミル閣下とフレイヤの4人旅。


狩り装束に着替えたわたしを、カミル閣下が褒めちぎり、アーヴィド王子がムスッとされる。


わたしはクスクス笑い、フレイヤは彫像のような表情で天下の選帝侯閣下を見詰めた。



――ヴェーラ陛下のご不在中に帰国したりはしませんよ。



と、カミル閣下はみずから人質になってくださったようなものだ。


なんの秘密もない4人旅で羽根をのばしながら、途中、狩りにも興じた。


野生のトナカイを仕留め、焚火であぶって食べる。



「なるほど。さばきたては、たしかに美味いものですな」



麗しの選帝侯閣下に目をまるくしていただけることが、なんとも嬉しい。


アーヴィド王子とフレイヤも、仕留めたばかりのトナカイ肉を口にするのは初めてだ。


世に名高い貴公子2人と侯爵令嬢が、辺鄙な山奥の野卑な料理に舌鼓を打ってくれている。


不思議な光景でもあるし、わたしの故郷を褒めてくださるようで誇らしくもある。



「トナカイ肉は脂肪がすくないので、焼き加減が大切ですのよ?」



つい、外孫をむかえた祖母のように、次々に肉を焼いては3人にすすめてしまう。


満腹になったおなかを抱えながら、また騾馬に揺られる。


夜は焚火を囲んで、昔話に花を咲かせる。


アーヴィド王子はカミル閣下の女性遍歴をバラすし、フレイヤはアーヴィド王子の幼い頃を面白おかしく聞かせてくれる。


わたしは腹をかかえて笑い――、感謝した。


みんなが、わたしの心のうちを思い遣ってくれている。



――姉トゥイッカは、いまなにを考えているのか?



わたしは、そればかりを考えている。


姉の意識が王国西方の反乱軍に向いている間はいい。


いつまでも実行されないレトキ族の徴発に疑問を抱けば、わたしと姉の戦いがいよいよ幕を開ける。


姉はレトキ族の中立を認めるだろうか?


いや、認めはしないだろう。


かといって、ギレンシュテット国軍を北に向ければ、姉は反乱軍に隙を見せることになる。


レトキ国軍が5万を擁すると布告すればなおさらだ。


王国軍と反乱軍の戦線は、ますます膠着にむかうはず。


ただ、それも希望的観測に過ぎない。もしも、姉の差し向けた討伐軍が反乱軍を撃破していれば、話がまったく変わってくる。


いずれにしても、レトキ国軍の軍事教練が終わるまで、わたしには身動きのとりようがない。


スコグベール王国の再興をねらって、わたしに同盟を持ちかけてきた、身体のおおきなダニエルにも、曖昧な返事しか返していない。



――レトキは、あくまでも中立を貫く。



ダニエルたちの邪魔を、ただちにすることはない。


けれど、明確に同盟関係などを結んでは、いたずらに王都の姉を刺激することにもなりかねない。


また、ニクラス殿下率いる反乱軍とも敵対することになる。


ギレンシュテット王国の統一を維持したままアーヴィド王子を王位に就けたいわたしとしては、ダニエルたちの動きを歓迎はできないけれど、いまは抑える力もない。


そして、時間と距離を隔てている王国西方で、いま現在の情勢がどうなっているかも分からない。


いくら心が焦れたとしても、いまのわたしは待つしかない。


だからこそ、カミル閣下も気晴らしにと、わたしをお墓参りに誘ってくださったのだ。



翌朝、急峻な山道をのぼり続け、やがて見晴らしのいい山頂に出た。


みんなの息が白い。


そこからゆっくり谷をくだっていくと、わたしのご先祖様たち、レトキ族歴代の族長たちが眠る墓所に着いた。


久しく誰も参った形跡のない墓所を掃除し、父と母のお墓を探し出す。


選帝侯閣下と第3王子殿下が一緒に掃除してくださった墓所には、清々しい空気が流れ、かすかに差し込む陽射しが神々しく降り注いだ。


戦死された父君にまだ手を合わせられていないフレイヤに申し訳なく思いつつも、みんなが一緒に、わたしの父と母と、そしてご先祖様たちに祈りを捧げてくれた。



――姉トゥイッカの心を鎮め、レトキ族のみなを守ってください。



最後まで目を伏せていたわたしの背中に、アーヴィド王子が手を置いてくださった。



「……ご両親に、婚約の報告をさせてもらったよ」


「あ……、ありがとうございます」



そうだ。わたしは、ひとりではなかった。


と、胸に熱いものがこみ上げる。


冥府の父母と向き合う時間は、自分をみずからで孤独に置いてしまっていた。


父母の(ひさし)もなく、部族のみなを姉トゥイッカ率いる王国軍と対峙させる重圧に気を張りすぎていた。


アーヴィド王子のむこうでは、フレイヤとカミル閣下も微笑んでくださっている。



――どうして、こうなった?



などと考えても、いいことはなにもない。


やさしく微笑んでくださるアーヴィド王子の胸の中で、嗚咽をこらえた。



「ボクたちが仲良くしてれば、もう戦争は起きないよ」



と、わたしの背中をポンポンと叩いてくださるアーヴィド王子に、わたしはコクコクと、何度もうなずいた。



  Ψ



墓参りを終え、仮宮殿にもどると、姉からの使者が再度到着し、拘束されていた。


携えていたのはレトキ族から兵の徴発を催促する命令書と、わたしへの書簡。


わたしを心配する言葉が、綴られていた。


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