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51.姉の望みどおりのわたしになる

十日宴ものこり2日という、正午前。


わたしの仮宮殿に急使が駆け込んだ。


ローゼハン侯爵家の三男、身体のおおきなダニエルが差し向けた急使だった。



――旧スコグベール王国勢、ニクラス殿下から、……離反。



やはりニクラス殿下は、王都で起きた偶発的な決起を、厳しい口調で(なじ)られた。


発端となった、最初に黒狼騎士団と戦闘におよんだ西方貴族に対し、



――貴様がおとなしく、首を黒狼にくれてやればよかったのだ!



とまで言い放ち、集結しつつあった反乱軍内部はおおいに紛糾したらしい。


ニクラス殿下のあまりに尊大な態度に耐えかね、ダニエルのローゼハン侯爵家をはじめ、旧スコグベール王国から帰順した貴族たちがそろって反乱軍から離脱。


王国西方でも北寄りの、旧スコグベール王国領内に兵を引き上げたとのことだった。


それが9日前。


選帝侯カミル閣下が総督府に来られたのと同じ日の出来事だ。


当然、ダニエルはわたしの即位とレトキ建国を知らないままに急使を発している。


わたしは貴賓室で引見した急使を労い、しばらく休んでいくよう伝えてから、大会堂に戻る。


途中、回廊からは、集まりはじめた志願兵の建てたゲルが見えた。



――反乱軍の崩壊が早すぎる……。



離反したのは一部であり、崩壊というのはまだ大袈裟かもしれない。


けれど、のこった反乱貴族たちも少なからず動揺しているはずだ。


賑やかな十日宴の会場で、そっと耳打ちしたアーヴィド王子は眉をよせ、皮肉げに口の端をあげられた。



「……スコグベール王国は、父オロフ王の侵攻に手ひどくやられたからね。もともとギレンシュテット王国への忠誠心が薄いんだよ」



ニクラス殿下の短慮に、いまにもため息を吐きそうな表情でアーヴィド王子はソファの背もたれに身体を預けられる。


その向こうでは、カミル閣下が笑いをこらえられていた。



「頼れる兄君をお持ちではないか?」



わたしは声を潜めていたというのに、女性の声は絶対に聞き逃されない。


思わず、フレイヤのような視線でカミル閣下を見てしまった。


といっても、これまでの経緯はすべてアーヴィド王子がカミル閣下に話してしまわれた。



――俺を巻き込もうとするなよ。


――でも、カミルだってほんとうは興味津々でしょ? 隣国の政変なんて。


――それはそうだが。



口では文句を仰られながら、カミル閣下の表情は楽しげで、おふたりの友情に厚みを感じさせられたものだ。


いまさら、カミル閣下に隠し立てすることは、なにもない。


物憂げな表情だったアーヴィド王子が、わたしに微笑みかけられた。



「それで、そのローゼハン侯爵家の三男坊は、ヴェーラになんて言ってきたの?」


「……わたしのレトキ建国が成れば、ぜひ同盟を結ばせてほしいと」


「同盟?」



ダニエルたちは、旧スコグベール王国の再興を目指すつもりだと書き送ってきた。


それは、彼らにとって東方に位置する王都の姉王太后トゥイッカとも、南方に兵を集める反乱軍のニクラス殿下とも敵対することになる。


そこに加えて、北方のレトキまで、敵には回せないということだ。


だけど、



最強――……、



と、ダニエルが評してくれた、レトキの兵はまだそろっていない。


いささか気の早過ぎる急使だったけれど、それだけ王国の情勢が緊迫しているということだろう。


カミル閣下が、麗しいお顔のとがった顎に、手をあてられた。



「……スコグベールといえば、たしか王族はすべて討たれたのではなかったか?」


「うん。……焼け落ちた宮殿と運命をともにされたって聞いてるよ」



アーヴィド王子が、お気持ちを窺わせない表情で応えられた。


旧スコグベール王国の併合は、アーヴィド王子がお生まれになる前の話だ。


それでも、父オロフ王の侵攻でひとつの王家が滅んだことは、アーヴィド王子のご性分からされると、決して快い話ではない。


覇道の家にお生まれなのに平和を愛されるアーヴィド王子だからこそ、わたしは惹かれてやまないのだ。



「……王家にゆかりのある者を探して、王に担ぐんじゃない? 姻戚関係まで含めたら、いっぱいいるでしょ。……たとえば、ピエカル家とかさ」



アーヴィド王子がチラッと横目にカミル閣下の顔色を窺われる。


カミル閣下は視線を上にあげ、口をへの字に曲げられた。こんな表情でも麗しいのだから、ほんとうに女の敵だ。



「ふむ……。ピエカル宗家は、いま帝国の南方にかかり切りだ」


「ふ~ん、そうなんだ?」


「異民族に侵攻の動きがみられてな。……帝国西方で起きた内乱に、介入を軽々に決断できるとは思えんがな」



口ではそう仰りながらも、あながちあり得ない話でもないというご表情だ。


これは、ギレンシュテット王国の領土を、ピエカル家が切り取るという話でもある。


王国の第3王子たるアーヴィド王子と、ピエカル家のカミル閣下が交わされる会話としては、いささか際どい。


ピエカル家はエルハーベン帝国の外にも支配国を有している。条件次第では、スコグベール王国を獲りに動くかもしれない。



――内乱にはやく決着をつけないと、他国の介入を招く……。



ここに、わたしのジレンマがある。


姉の王国軍と反乱軍。王国を二分している両軍の戦線は膠着するだろう。


混乱の深まるなか、アーヴィド王子のご健在をあきらかにして、


両軍から、貴族を切り崩す。


反乱軍はともかく、姉が掌握している東方貴族まで切り崩すには、おそらくこの方法しかあり得ない。


反乱軍だけをニクラス殿下派とアーヴィド王子派に割ったのでは、姉の思う壺だ。


王国を二分から三分に持ち込むには、内乱がある程度膠着してくれないと、勝機が見えない。


だけど、王国政界ですら、すべては把握できていないわたしにとって、複雑な国際情勢まで動き始めたら手に負えない。


わたしは、アーヴィド王子をギレンシュテットの王位に就けたいのだ。


アーヴィド王子を、わたしが匿う悲劇の王子のまま終わらせたくない。



「ヴェーラ陛下は、実に欲張りだ」



と、カミル閣下には大笑いされた。


だけど、愉快そうな表情を浮かべられ、こうも仰られた。



「……わが友アーヴィドがギレンシュテットの玉座に座れば、実に楽しい世の中になりそうですな」



そして、いまだ動向のつかめていない、王都の動き。姉トゥイッカはどんな手を打っているのか。


招集をかけた東方貴族の兵は、すでに王都に集結しているのか。



――旧スコグベール王国勢の離反、反乱軍の分裂。……姉は動くのではないか?



エルンストの残してくれた腹心13名のうち4名を商人に扮装させ、王都の情勢を探る偵騎として走らせている。


けれど、彼らからの報告が返ってくるのには、いましばらく時間がかかる。


それまでは、読むしかない。姉の心を。


いまのところ、わたしの離反は、姉に隠し通せているはずだ。


まもなく、戦時宰相イサクのもと、新生レトキ王国の国軍の編成もはじまる。


姉の権力(ちから)の源泉、その重要なひとつであるレトキ族を、姉から切り離す準備が着々と進んでいる。


そして、わたしは初めて、姉に対抗できるだけの権力(ちから)を握れる。


対等なところから、話しかけられる。



――レトキに帰っておいでよ!!



一緒に山野を駆ければ、また元の姉の姿に戻るのではないか。怨みも復讐も、レトキの大地が忘れさせてくれるのではないか。


姉は、自分を赦せるのではないか。


王権など、アーヴィド王子にお返しすれば良い。


レトキの民たちが許すなら、レトキの女王は姉にゆずってもいい。


いや、喜んでゆずる。


そして、わたしはアーヴィド王子の奥さんになるのだ。



――ヴェーラは本当に好きな人と結婚してね? 幸せになってね? 幸せなヴェーラをお姉ちゃんに見せてね? 絶対よ?



姉の望みどおりの、……わたしになる。


あまりにもわたしに都合の良すぎる、わたし的大団円。


姉が口汚く罵ったアーヴィド王子こそ、わたしの本当に好きな人だと知ったら、姉はどんな顔をするだろう。



  Ψ



十日宴の最終日。アーヴィド王子のふとしたひと言が、わたしの気にかかった。



「いまのボクは、ヴェーラのために生きているからね」


「はははっ。そう言える伴侶に巡り合えるとは、得難き宝を手に入れたな。アーヴィド」



と、カミル閣下が冷やかすように笑われ、アーヴィド王子もはにかまれた。


隠し部屋から初めて泉のほとりに出た晩、わたしに聞かせて下さったのと同じ言葉。


なのに、なぜかわたしの心に影がさす。


おおいに盛り上がる宴席の主座で、チリッと、胸の奥でなにかが焼け焦げたような痛みを感じた。



「おや、ヴェーラ陛下はなにか憂いることでも?」



と、カミル閣下が切れ長の瞳をほそめられた。


知らず、わたしの眉の片方が眉間に寄っていた。ほんとうに、このお方は見逃されない。



「……い、いえ。憂いなど……、すこし恥ずかしかったのですわ。アーヴィド殿下が、のろけるようなことを仰られて」



照れ隠しするように笑顔をつくろい、盛り上がる舞台に顔を向けた。


わたしの侍女見習いになったシルクカも、踊り子たちの最後の舞踊にまじって見事な舞いを披露している。


カミル閣下にわたしの秘密を隠すために開いた十日宴は、すべてを打ち明ける場となり、幕を閉じようとしている。


アーヴィド王子がカミル閣下をお信じになられている以上、わたしもカミル閣下を信じようと思う。


なにより、みなに存在をあきらかにされ、心地よさそうなアーヴィド王子の天真爛漫な笑顔が見られることは、私も嬉しい。



十日宴がおわり、わたし居室の大きな窓から、アーヴィド王子とまもなく満月を迎える月を見あげた。


二度目の口づけを交わし、厚い胸板にほほを寄せる。



「まだ……」


「……なに? ヴェーラ」



アーヴィド王子の胸の中から、月明かりに照らされる美しいお顔を見あげた。


あまねく大地に報せられた訳ではないけれど、選帝侯カミル閣下を証人に、わたしの民となったレトキ族のみなの前で、わたしたちの婚約があきらかにされた。


ふたりで寄り添う姿を誰かに見られても、すこし恥ずかしいということをのぞけば、なんの問題もなくなったのだ。



「……まだ、……手を出してはくださらないのですか?」


「えっと……、そうだね」



戸惑われるアーヴィド王子は可愛らしい。


ふふっと笑い、夜空に浮かぶ満ちてゆく月に目を向けた。



「……すべて終わって、結婚式も挙げたあとがいいかな……?」



あたまの上から聞こえる、アーヴィド王子のたどたどしいお言葉。


すこし、意地悪な気持ちが起きてしまう。



「ふたりとも、死んでしまうかもしれませんわよ?」


「死なないよ」



わたしの予想になかった、アーヴィド王子のキッパリとした声音に、思わずもう一度、お顔を見あげた。


まっすぐな視線。空を見あげて、微笑んでおられた。


情勢は予断を許さない。


姉がニクラス殿下との決戦をまえに、こちらに兵を差し向けていたら、わたしたちは山に逃げ込んで、泥沼の山岳戦を展開するしかなくなる。


オロフ王を苦しめたレトキ族の山岳戦とはいえ、族長の息子であった兄たちは3人とも戦死したのだ。


わたしたちが無事でいられる保証はどこにもない。


けれど、アーヴィド王子の表情は自信に満ちていて、つい見惚れてしまうほどに美しかった。



「ボクは……、ヴェーラと結ばれたいからね。だから死なないよ。ヴェーラも死なせない」


「アーヴィド王子……、意外と……」


「ん?」



アーヴィド王子は首を傾け、やさしく微笑むお顔をわたしに向けられた。


わたしを見詰める宝石のような青い瞳が月明かりに透け、いつにもまして澄んでいるように見えた。



「……エロいですわね」


「エロ……、あ、いや、えっと……、結ばれたいって、そういう意味じゃなくて……、あ、そういう意味でもあるのか……、いや、えっと……」



狼狽えるアーヴィド王子に、クスクスと笑い、厚い胸板に手を添えた。


わたしの手の平の向こう、お服のなかには、アーヴィド王子のお命を奪う寸前だったおおきな傷跡がある。



3日後。


オクスティエルナ伯爵からの急使が届く。


姉トゥイッカは、王国西方の反乱軍に向けて出兵を命じた。


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