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5.両極を行き来する

王妃になった姉トゥイッカの頭上には、幾何学模様に編まれた銀のティアラが輝いていた。


人質として王宮に入ってからずっと、いつも儚げで陰のある佇まいだった姉。


いまや、その美しさに妖艶さを加えた。


ただ、妹であるわたしに向けてくれるやさしい視線は変わらず、おなじことを語りかけてくる。



――あなたは、こちらに来なくていいの。



部族が捧げた生贄である、わたしたち姉妹。その労苦を、姉は一身に引き受けてくれてきた。


けれど、第2王妃――側妃の地位を与えられ、14歳になったわたしも、姉と労苦を分かち合う日が来たのだとばかり思っていた。



「オロフ陛下からヴェーラに、離宮を賜りましたよ」



わたしを慈しむような声音で姉が発した言葉の意味が、しばらく分からなかった。


国王陛下のそばに立つ、アーヴィド王子も優しげに微笑んでくれている。


なんと応えたらよいか分からず、黙って見詰めるわたしに、姉が言葉を重ねた。



「……ヴェーラは、故郷にいた頃とおなじように暮らしていいと、陛下がお許しくださったのよ?」



わたしは、王宮から馬車で半日ほどかかる離宮に移り住むことになった。


離宮といっても、もとは王族の方が静養するための、こじんまりとした山荘。小高い山の中腹にある。


人質になってから初めて、王都を出た。


離宮の寝室。窓の外にはふかい森。


わたしはようやく気が付いた。


姉トゥイッカは、老いた国王の獣欲から、わたしを遠ざけてくれたのだ。



  Ψ



わたしの離宮に、王国の貴族たちから祝いの品が次々に届く。


側妃になった祝いと、離宮を賜った祝い。


使者からの祝辞を、側妃として厳かに受け、礼を述べる。


侍女のフレイヤがテキパキと取り仕切ってくれ、従者のイサクが祝いの品を片付けてゆく。


事態をどう受け止めたらいいか分からないわたしは、ただ茫然としていた。


すべての労苦を姉に押し付け、暴虐の王から逃げ出したのだという自責の念が、わたしの心に苦くひろがる。


けれど同時に、いつも誰かに見られているような王宮での人質生活から解放されたのだという安堵も抑えきれない。


蹂躙された部族の惨めな人質でありながら、王国に君臨する唯一無二の暴虐の王、オロフ陛下の第2王妃であるわたし。


自分では、自分の心の置き所を定めることができなかった。


そんなわたしの心を一点に定めてくれたのは、やはりアーヴィド王子の優しく天真爛漫な笑顔だった。



「やあやあ、母上! なかなか良い離宮ではありませんか?」


「も……、もう! ……だから、わたしの方が歳下なのですよ? 母上だなんて……」



わたしを祝うため離宮に足を運んでくれたアーヴィド王子と、謁見室で向き合う。


アーヴィド王子が祝いに贈ってくれたのは、素朴なつくりの弓矢だった。



「レトキ族は狩りを嗜まれると聞きました」


「嗜むというか……」


「ここなら、思う存分に木登りも出来ますし、狩りも楽しめます。ヴェーラ陛下にピッタリの離宮ではないですか?」



アーヴィド王子は手渡しで、わたしに弓を握らせてくれた。


かるく触れてしまったアーヴィド王子の指先の感触が、いつまでも心に残って、顔をあげることが出来ない。


そんなわたしの心の内をアーヴィド王子に悟られまいと、手にした弓を何度も撫でた。


側妃になったわたしに、アーヴィド王子は敬語で語りかけてくる。


第2王妃として〈陛下〉の尊称も許された。


第3王子であるアーヴィド〈殿下〉との間に、はっきりと分かる線が引かれたのだ。


おおきく息を吸い込み、暴れるわたしの心を押さえ付けた。



「誠に心のこもった品を贈っていただき、感謝いたします」



きっとわたしは、姉トゥイッカとおなじような笑顔をしていたに違いない。


王都から離れたといっても、公式行事などの際には王宮に戻り、第2王妃として国王陛下の隣に座らなくてはならない。


社交界へのお披露目も待っている。



「いやあ、母上と舞踏会で踊るのが楽しみです」



国王のほかに誰にも惹かれてはいけないわたしの心を奪う、美しく逞しい青年に成長した美貌の王子が、いっそ憎らしかった。


わたしはきっと、この先もずっと身体は王国に囚われ、心はアーヴィド王子に囚われたままなのだ。


にこやかに笑ってくれるアーヴィド王子に、わたしもニコリと笑顔を返した。



「舞踏会……。ええ、(わらわ)も楽しみです」



   Ψ



王宮からわたしの離宮に派遣されるメイドと侍従騎士は、ほぼ半年交代の任期制にしてもらった。



「半年ほど息抜きのつもりで務めてください。働きぶりが良ければ、王宮に戻る際には口添えいたしますから」



というわたしの言葉を聞いた彼らの目に、安堵の色が浮かんだ。


彼らからすれば、いわば左遷だ。


姉がわたしを守るために遷してくれたとはいえ、彼らの出世まで巻き添えにすることはない。


あとは侍女のフレイヤと、従者のイサクと、気楽な3人暮らしのようなもの。


王宮にひとり残る姉に対して自責の念ばかり抱いていては、かえって申し訳ないと、山野に囲まれた暮らしをのびのびと楽しませてもらうことにした。


いずれは、老いた国王の閨に召される日が来るだろう。


考えたくはなかったけれど、姉と同衾させられるようなことが起きるかもしれない。


あるいは国王の方が離宮に足を運んで、わたしの上にのしかかる日が来るのかもしれない。


求められたら、応じないという選択肢はわたしに与えられていない。


それが部族の平和のために捧げられた生贄である、わたしに課せられた責務だ。


その日が来るまで、つかの間かも知れない山野暮らしを姉トゥイッカから与えてもらったことに、心から感謝した。



秋の収穫祭には、王国各地を治める貴族たちが領地の特産品を献納するため、王宮に集う。


そのとき、北に遠く離れたわたしの部族からも、貢ぎ物を携えた使者が王宮を訪れる。


年に1度だけ、部族の使者がわたしと姉に向けてくれる笑顔に――実際の労苦はすべて姉が引き受けてくれているとはいえ――人質として部族の犠牲になっている自分が報われた気持ちになる。


部族が平穏に暮らすために、わたしと姉は王国に差し出されているのだから。


側妃となった年から、部族の使者にはわたしの離宮にも寄ってもらった。


そして、部族に伝わる狩りの技法を、改めて教えてもらう。



「さ……、さすがに私は……。一応、侯爵令嬢ですし……」



というフレイヤには無理強いしなかったけど、従者のイサクは一緒に狩りを学んでくれた。


わたしが側妃になった年、イサクは12歳。


すでに身長は抜かれていて、弓を引き絞る褐色をした腕は、逞しい肉付きを見せ始めていた。



「……ヴェーラ陛下のお役に立ちたいのです」



と、寡黙なイサクだったけれど、侍従騎士たちに頼み込んで鍛錬方法を教わり、身体を鍛え込んでいる。


よく見たら顔立ちも涼やかだ。



「イサクって……、もうすこし大きくなったら、きっとモテるわよねぇ?」


「ええ。平民の生まれとは思えない、意外な気品もありますし」



フレイヤと顔を寄せ合い、鍛錬に汗を流すイサクをニマニマと眺めて、ヒソヒソと話す。


メイドのお姉様方から密かな人気もあるようだし、いつかイサクに相応しいお嫁さんを見つけてあげたい。


不遇な孤児だったイサクが、幸せな結婚をしてくれるのなら、それはとても喜ばしいことだ。


そんなイサクとふたりで狩りに出て、鹿や兎を仕留める。


離宮の裏手にある納屋を改装した狩り小屋で、部族が受け継ぐ技法で肉をさばいて、焚火で焼いて食べた。


王国貴族の子女であるメイドや侍従騎士には、近寄らなくて良いと伝えてある。


ただ、イサクとフレイヤはわたしに付き合ってくれて、3人で野営のような食事を楽しんだ。



「とにかく、日焼けにだけは気を付けてくださいね」



と、フレイヤからは肌を厳重に日差しから守る、特製の帽子をかぶせられ、手袋をはめられる。


公式行事で王宮に呼ばれると、煌びやかなドレスを身にまとわなくてはいけない。


そのとき、顔が日に焼けているようでは、側妃に相応しい気品に欠けると見なされるだろう。


日頃からフレイヤが入念にお手入れしてくれているのも、台無しにしてしまう。



「うへへっ……」



と、わたしの肌にクリームを塗りながらたまにフレイヤが漏らす、妙な笑い声は気になっていたけど……、


たぶん、わたしの気のせいだ。



   Ψ



緑豊かな山野に囲まれた離宮で気ままに過ごし、華やかな王宮では煌びやかなドレスを身につけ公式の場に立ち会う。


その両極を行き来する生活が4年続いた。


わたしは姉トゥイッカが王宮に入った時とおなじ、18歳になった。



――いつ国王から閨に呼び出されてもおかしくない。



姉の労苦を分かち合う、その覚悟が色褪せる隙もないほどに、国王オロフ陛下の猛々しさが薄れることはない。


来年には御歳80を迎えられるというのに、老いた国王が放つ威圧感はいまだ衰えを知らない。


第2王妃として横に座るたび、緊張で身を堅くした。


アーヴィド王子は兄である王太子殿下、第2王子殿下と共に、王国を守る要衝で太守の重責に任じられ、いまは王都におられない。


だから、まだ舞踏会で踊ってもらっていない。



――出来得ることならば、純潔な身であるうちに一度だけでも、わたしと踊ってもらえないか……、



と、それが、わたしのささやかな願いになっていた。



秋が深まり、今年の収穫祭を明後日に控えた昼過ぎに、イサクとふたりで狩りに出た。


部族の使者たちに1年ぶりに披露する、狩りの腕前を確認しておきたかったのだ。


草木の繁みに身を隠しながら、獲物を探してゆっくりと歩く。


全身の肌が鋭敏になったかのように神経を研ぎ澄ませるこの時間が、わたしは好きだ。


わたしの身体に流れる血が、レトキ族のものなのだと、再確認できるようだった。


そのとき、わたしの耳が、



――うっ……。



という、人間のうめき声を拾った。


この山にわたしたち以外の人間が立ち入ることはない。


賊の侵入かもしれなかったけど、


このうめき声には、聞き覚えがあった。


戦場で深い傷を負った兵士たちが漏らしていた、心ではなく身体が救けを求める声。



そして、もうひとつ心当たりがある――、



思わずわたしが駆け出すと、イサクも続いた。


うめき声の主は、血まみれで今にも冥府に旅立ちそうな姿で倒れていた。


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