45.姉の見事な仕事ぶり
――これは、ダメかな……。
と、正直、思った。
雨が上がったばかりの野原。といっても草は枯れ、むき出しの地面はぬかるんでいる。
氏族それぞれ独特の紋様を織り込んだ敷物に座り、車座になる長や代表者たち。
総督の手先となり、搾取する側に立っていた者たちは既に拘束し、投獄してある。
約150の氏族のそれぞれ3名から5名程度。約500名が座る、おおきな車座。
痩せこけた日焼け顔。
その瞳から、どれも生気が感じられない。
ある種、異様な光景でもあった。
総督府に残されていた姉からの命令書には、どのタイミングで、どういう言い方をすれば部族の者たちが断りにくいか、こと細かく指示が書き込まれていた。
レトキ族の習俗をよく知る姉は、微に入り細に入り、念入りに彼らの心を潰しにかかっていた。
ときには、誰某を人質に取って脅すように、といったことまで指示していた。
その効果は、長らの眼差しにハッキリとあらわれている。
重い貢納を課し、虐げる姉トゥイッカ。
その妹である、わたしに敵意や反感を向けられることも覚悟していた。
わたし抜きで部族がまとまり建国するなら、それはそれでいいとも思っていた。
いずれにしても、わたしは王国の内乱からレトキ族を遠ざけたいのだ。アーヴィド王子との未来は別で考えたのでもいい。そう思っていた。
だけど、事態はわたしが考えていたより、はるかに深刻だった。
カミル閣下の接遇に追われ、彼らと一切接触できていなかったことも仇となった。
ここまでの状態だとは、想像だにしないまま、今日という日を迎えてしまったのだ。
姉は、部族を完全に隷従させていた。
わたしは彼らに、噛んで含めるように語り聞かせる。
王国で内乱が勃発したこと。姉からレトキ族に徴発命令が出たこと。だけど、わたしは皆を戦場に送りたくないこと……、
どうにか、わたしの言葉を彼らの心に響かせようと頑張ったけれど、手応えが感じられない。
――たしかに……、ここまで心を隷従させなくては、あれほど重い貢納を課して、反乱のひとつも起きないことは、あり得ないか……。
姉の見事な仕事ぶりに、険しく眉を寄せ、舌を巻かされた。
わたしが話を終えると、長たちはヒソヒソとなにやら話し合っている。
そのうちのひとり、老齢の長が、落ち窪んだ眼をわたしに向けた。
「……それで、ヴェーラ陛下はワシらに、なにをお命じになられたんですか?」
絶句するほかない。
わたしが10歳までに触れる機会のあった他の氏族の長たちと言えば、ややこしくてクセのある、プライドの高い人たちという印象だった。
族長の父といつも喧嘩腰で、王国軍を迎え撃つ作戦を練っていた。
老齢の長の隣に座る、息子とおぼしき男性が、日に焼けた顔を左右に振った。
「……戦争で9年戦いました」
「え、ええ……」
「それから、総督様に治めていただいて9年。私らがなんとか生きてこられたのも、トゥイッカ様のおかげです……」
時間をかければ、姉が彼らにかけた魔法を解くことが出来るかもしれない。
あるいは、わたしが命じたら、その通りに行動するのかもしれない。
だけど、それはわたしの愛したレトキ族の姿にはほど遠い。
静かにわたしが目を伏せると、長たちに動揺が広がった。
支配者側の人間――わたしの機嫌を損ねたのではないかという動揺。
いたたまれない気持ちで、走ってその場を逃げ出したかった。
――俺たちの国をつくろうぜ!!
――いいね!!
そんなお伽噺は、どこにもなかった。
「な、なんでもお命じください……」
と、心細そうな声が、わたしを取り巻く。
ふと、聞き覚えのある声がした。
「……自分の育てたトナカイを、自分で食べてぇな……」
目を開き、声の主を探すと、とおくにラウリの顔があった。
わたしの幼馴染。
離宮の狩り小屋で、部族の困窮した暮らしをわたしに教えてくれた。
ラウリを制そうとする人たちを、わたしが止めた。
「……続きを聞かせて、ラウリ」
族長の家にちかい関係だったラウリの家。
わたしにも見覚えのある――だけど痩せこけた――ラウリの父が、いまは氏族の長を務めているようだった。
わたしにコクリと頷いたラウリが、天を仰いだ。
「子どもに食わせてやりてぇ」
ほんの少しのことだった。
ほんの少しだけ、みなの瞳に生気が宿った。ラウリの言葉に揺さぶられていた。
「……ヴェーラ陛下は、そういう話をなされているんだ……と、俺は思った」
わたしが握らせた飴は、無事に子どもたちに舐めさせてやれただろうか?
ラウリが、わたしに熱い眼差しを向けた。
「……違いますか?」
「いいえ、その通りです」
わたしは立ち上がり、みなの瞳をひとつひとつ眺めた。
「わたしは、レトキ族の国をつくりたい」
ざわめきが広がる。
国――、という概念は、おそらくギレンシュテット王国の侵攻によって、レトキ族にもたらされたものだ。
部族、氏族、家族とは、概念が異なる。
「みなが参加し、ギレンシュテット王国にも負けない、レトキ族の国をつくりたい」
「そ、そんなことをしたら……、また攻めて来られるんじゃ……」
と、心底怯えた声を発した、中年の長の瞳を見詰めた。
オロフ王率いる王国軍の恐怖が刷り込まれた瞳。実際は〈いい勝負〉をしていたのだけど、彼らにしてみたら倒しても倒しても襲い来る恐怖の軍勢だった。
幼き日のわたしにとってもそうだった。
「勝てます」
わたしが力強く応えると、一座はしんと静まり返った。
「みながバラバラに戦うのではなく、力を合わせて戦えば、王国軍といえども退けられます。レトキの大地を、レトキの恵みを……、レトキ族の手に取り戻せます」
いま、内乱に対して中立を宣言云々と話をしても、彼らの心には届かないだろう。
独立――、
それはつまり、最低限、外敵の侵入から国を守れるようになるということだ。
そして、この機を逃せば、レトキ族の独立は、おそらく姉トゥイッカの死を待たなくてはならない。
姉は27歳。
内乱に敗れることがなければ、それは遠い未来の話になる。
生まれた時から心を隷従させた者たちばかりになれば、レトキ族は二度と、わたしの愛した姿を取り戻すことはないだろう。
「わたしが、族長の娘として、国王になります。女王として即位します」
みなの視線がわたしに集まる。
瞳が向くだけではなく、確かな意志が乗ってこそ、はじめて〈視線〉になるのだと、わたしは知った。
「もしも、敗れたならば、わたしの首を差し出せばいい。わたしの首を姉トゥイッカに差し出し、詫びればよいのです。……それで、みなの暮らしはいまのまま続けられるでしょう」
いまのまま――、つまり、重い貢納を課され、赤子を抱えた母親の乳も出ない生活であっても、姉はみずからの権力を維持する財源として、みなを生かし続けるだろう。
たとえ、首になったわたしを見て、部族への怨みを深めたとしても。
わたしの言葉に、みなが静まり返る。
すくなくとも、わたしの覚悟は伝わったものと信じたい。
やがて、ひとりの男の人が立ち上がった。
「……俺はヴェーラにつく」
と、見覚えのない男の人が、ボソリと言った。




