44.残念なことに正しかった
十日宴が折り返しを迎えた、早朝。
幾人かの踊り子たちは選帝侯の兵士の心を射止めていた。
兵士たちが旅先で戯れの恋に興じているのではないことを祈りつつ、居室で目覚めると外はひどい大雨だった。
ソファでお休みのアーヴィド王子は、まだ眠っておられる。
――この雨では、氏族の長たちの集結に遅れがでるかもしれない……。
空を見上げようと、バルコニーに出た。
――山の天気は変わりやすい。この大雨もすぐに上がればいいのだけど……。
大会堂からは徹夜組の騒ぎ声が、雨音に負けじと響いてくる。
「睡眠不足は美容の天敵です!!」
と、有無を言わせぬフレイヤの調子に、さすがのカミル閣下も押されて、わたしは毎夜、しっかりと休ませてもらっている。
ぶ厚い雲の向こうでは太陽が昇っているのか、空がほの明るい。
ノックの音がして、居室に戻るとフレイヤが控えていた。
「……氏族の長たちが、すべてそろったとのことです」
山に生きるレトキの者たちを侮っていたかと、苦笑いしつつも誇らしい気持ちで、フレイヤに着替えさせてもらう。
レトキの話し合いは、屋外で車座になって行うのが伝統だ。
雨があがり次第、氏族の長たちのもとに向かうことにし、まずは大会堂のカミル閣下のもとへと向かう。
「あ……、もう、行くんだ?」
と、アーヴィド王子がソファで寝ぼけ眼をこすられた。
「ええ。……レトキの氏族の長たちがそろいました。カミル閣下に、中座の非礼を詫びねばなりません」
「そうか、……カミルに口説かれないでね?」
「……アーヴィド王子?」
「ん?」
「いいかげん、わたしのことを信じていただけませんか?」
「あ……、うん。ごめん」
フレイヤがいるけど、もうおかまいなしだ。
アーヴィド王子のおでこに、キスをした。
「……ヴ、ヴェーラ?」
「わたしは、ずっとずっとアーヴィド王子のことだけをお慕いしてきたのです。……いつまでも信じていただけないと、すこし寂しいです」
ソファに身体を起こされたアーヴィド王子と、キュッと抱き合ってから、大会堂へと向かう。
なぜか拳を握りしめてるフレイヤの顔は見れないけれど、きっといつものすまし顔でついて来てくれてるはずだ。
朝風呂で、まだ髪の濡れたカミル閣下が出迎えてくださった。
「おお、これはヴェーラ陛下。今朝はお早いお出ましですな」
騒いでいる者たちはわずかで、大会堂のそこかしこで兵士たちが酔いつぶれ、踊り子たちと折り重なるように眠っている。
レトキの伝統、十日宴に相応しい乱れ方だ。
そんな中にあって、カミル閣下おひとりだけは、一切の乱れを見せられない。
帝国に7人しかいない選帝侯の名に恥じない気品を保たれ、かつ宴を心から楽しんでおられる。
「そうそう、ヴェーラ陛下。わが城から早馬が届きましてね」
「あら……? お引き留めし過ぎましたでしょうか?」
カミル閣下の微笑みに促され、隣の席に腰をおろした。
麗しいお顔が、わたしの耳元に近づく。
――こんどは、どんな口説き文句を囁かれるのかしら?
と、眉を寄せ、口をへの字に曲げたときだった。
「……貴国の西方」
「え、ええ……」
「ハーヴェッツ王国の兵が侵攻したそうにございます」
「ま、……まあっ」
驚いて見せたけれど、ほんとうに驚いてもいた。
いまのわたしの手勢からは、王都に諜者を潜ませることも、偵騎を走らせることも難しい。
王国西方の反乱貴族からの報せを待つしかない。
それが、よもや帝国経由で王国の最新情報を聞かされるとは予想外だった。
動揺を押し隠し、いや、動揺しない方が不自然かと思い直し、カミル閣下につづきを促すように硬くうなずいた。
「……それが、ヴェーラ陛下」
「ええ……」
「なんと、あのニクラス殿が、ハーヴェッツ王国の兵を率いているそうなのです」
「まあ……」
カミル閣下からすれば他国の出来事とはいえ、ニクラス殿下はいまだ父オロフ王の命を狙った大逆の謀反人だ。
声を潜めるのも解るし、憂いを帯びた語り口もよく理解できる。
ただ、耳元で艶っぽく囁くのはやめてほしい。
「ヴェーラ陛下が、ただちに王都に戻られるというのであれば……」
「お戯れを……、カミル閣下」
わたしの耳元に顔を寄せるカミル閣下に、かるく顔を傾け微笑んだ。
「一度はじめた十日宴を中断するなど、レトキの血を受け継ぐ者にとっては、あってはならぬ恥にございます」
「ふふっ……。トゥイッカ陛下は、ヴェーラ陛下にそばにいてほしいと思われているのではございませんか?」
「姉が? まさか」
「ほう……」
と、カミル閣下は目をほそめ、ようやくわたしの耳元から顔を離した。
わたしはスゥと息を吸い、カミル閣下の切れ長の瞳を見詰めた。
「この危急のとき、妾が総督府にあったことこそ、天の配剤というもの。総督の横領で乱れた治政を正すことこそ、姉への援け。身体ひとつ駆け付けたところで、姉が喜ぶことなぞありますまい」
わたしの言葉に、カミル閣下は大きく目を見開き、そして、閉じられた。
「なんと、見事なお覚悟。君主たる者すべからくこうあるべきという、見事なお姿に感服いたしました。……いや、私が心得ちがいをしておりました。非礼な物言い、許されよ」
十日宴の中断は、よくある。
みんな忙しいんだから当然だ。だけど、恥であるのは確かで、もてなす側は客によくよく詫びる。
ただ、いまそんな話はどうでもいい。
兵士や踊り子たちが欠伸をして起きはじめたので、朝の宴が開始された。
粥を求める者、すでに酒を求める者。
踊り子と連れ立って湯浴みに出て行く者と、様々だ。
楽団の奏でる朝の爽やかな調べは、雨音に沈みがちな心を晴れ渡らせる。
カミル閣下も、ニクラス殿下とハーヴェッツ王国軍侵攻の話はそれ以上にはされず、そばにはべる歌い手や踊り子たちの朝の美しさを褒めそやしていた。
イサクが大会堂の入口で目くばせしてきたので、わたしはカミル閣下に中座を詫びて席を立った。
Ψ
大雨のなか、2人の急使が総督府に駆け込んでいた。
ひとりはオクスティエルナ伯爵が送ってくれた、ニクラス殿下の帰還を報せる急使。
カミル閣下のお話が裏打ちされた。
もうひとりは、姉が送った王都からの急使だった。イサクがただちに貴賓室に通し、エルンストが尋問してくれている。
すべての情報を吐き出させるため、総督府の異変を急使に知られてはいけない。
尋問といっても、丁重に労っているのだ。
そして、聞き出した情報は都度、わたしの居室に報せがくる。
――やはり、姉様はレトキ族に徴発命令を発したか……。
すべてが、わたしの杞憂であればいいと思ったこともある。
――すべてはわたしの思い違いで、姉トゥイッカは故郷の同胞を戦場に送ったりしないのではないか?
と、思い悩んだことは幾度もある。
わたしがアーヴィド王子を庇いたいがために、いらぬ疑いを姉にかけているのでは? と、眠れない夜もあった。
けれど、たしかに姉王太后のサインが入った命令書を、急使は携えていた。
――残念なことに、わたしの判断は正しかった……。
命令書には、レトキ訪問中のわたしを厳重に保護するようにとも記されている。
姉がわたしに向ける偏愛の、万分の一でも、同胞たちに向けてくれたなら……。
――もう、いいじゃない!? ペッカの仇なら、もう充分に討ったでしょう!?
もしも、わたしが地下の密室にアーヴィド王子を匿っていなければ、そう言って姉の足下に取り縋っただろう。
泣いて喚いて、姉に乞い願ったはずだ。
だけど、アーヴィド王子とレトキ族を同時に救うには、姉を欺くしかなかった。
もう何度も覚悟を決めたはずなのに、後悔が胸を締め付ける。
――もっと早くに、姉の苦しみを知っていたなら……。
姉の痛みを分かち合い、怨みを和らげられたなら……。
息をほそく長く吐きだして、心のなかから感傷を追い出した。
急使への尋問で、姉が東方貴族の兵を王都に集めるよう命じたことも分かった。
国軍に東方貴族の兵をあわせ、さらにはレトキ族からも徴発し、ニクラス殿下率いる反乱軍を一気に討伐するつもりだろう。
窓のそとでは、雨があがりかけていた。
「氏族の長たちに面会します」
わたしが立ち上がると、アーヴィド王子が兜をかぶってくださった。
イサクとエルンストは総督府内外の警戒、フレイヤはカミル閣下のお相手役。
わたしの護衛には、謎の客将アーヴィがついてくれる。
総督府付きのメイドたちにドレスを着替えさせてもらい、雨のあがった外に出ると、レトキの大地はぬかるんでいた。




