4.白磁の花瓶より白い肌
緊張した面持ちのメイドたちが、手早くわたしを着替えさせていく。
見守る侍女のフレイヤは微笑を絶やさないけれど、やはり緊張を隠せてない。
わたしが王宮に入ってから初めての、国王陛下のお召し。
メイドたちの表情からは怯えのようなものまで感じられた。
やわらかなクリーム色をしたドレスに、わたしの小さな身体が包まれてゆく。胸元にはレースがあしらわれ、スカートにはたくさんのチュールが重ねられたプリンセスラインのドレス。
鏡台のまえに座らされると、ココアブラウンの髪がハーフアップにまとめられてゆく。
数か月の王宮暮らしの間に、肌の日焼けはすっかり姿を消し、自分で自分だとは思えないほどに青白い顔をしている。
「かあ~っ、かわええわぁ~っ」
フレイヤのつぶやきにビクッとして、思わずふり返った。
拳を握りしめ、眉間にしわを寄せたフレイヤが、なにごともなかったかのように、スッと姿勢を正して微笑を浮かべる。
なぜかメイドたちもクスクス笑い出してうなずき合い、わたしにその理由は分からなかったけれど、
彼女たちの楽しげな雰囲気のおかげで、すこし緊張がほどけた。
そして、鏡に映るわたし自身を見据えた。
玉のように白くなった肌には赤みがもどり、故郷の空を思い出す濃い群青色をしたわたしの瞳は泳ぐことなく、まっすぐ前を見詰められている。
虐待されていたイサクを救けたことに、やましいことは何もない。
陛下がわたしをお召しになった理由は分からないけれど、わたしは礼儀正しく、誇り高くふる舞わなくてはいけない。
――侮られてはいけない。ヴェーラが侮られることは、レトキ族が侮られることになる。それでは戦争は終わらない。
あの恐ろしい国王の息子である、アーヴィド王子の言葉を胸に、わたしは部屋を出て謁見の間へと向かう。
Ψ
たかい天井を巨人の足が何本も踏み抜いているかのような、ふとい大理石の柱が立ちならぶ謁見の間。
鮮血よりも赤い絨毯の上を、胸を張って歩いた。
わたしが先に謁見の間に入り、国王陛下の到着を待つものだと、礼儀作法の先生から習っていた。
だけど、なぜか玉座にはすでに国王陛下が座られている。
そして、鷲のように鋭い眼光が、わたしをまっすぐに射抜く。
恐ろしい威圧感。
この老いた国王のひと言で、ひとつの命など簡単にこの世から消え去る。
ギレンシュテット王国のすべては、一代で14ヶ国を征服した暴虐の国王――オロフ陛下おひとりのものだ。
のどは一瞬でカラカラになって、胸の鼓動はうるさいほどだったけれど、一歩一歩、足を静かに前に進めた。
ふと、玉座のとなりに立つ、わたしの部屋に置かれた白磁の花瓶より白い肌をした女性が、姉のトゥイッカであることに気が付いた。
一緒に山野を駆け、日焼けした顔で笑い合った頃の面影はなく、儚げな表情で、わたしを愛おしそうに見詰めてくれている。
淡いパープルをしたマーメイドラインのドレスは、スリムな姉を優美に飾り、胸元ではおおきな青い宝石が光っていた。
アッシュブラウンの髪はツヤのある光沢を放ち、灰色めいたブラウンではなく、ブラウンめいた銀髪のように美しく見えた。
こみ上げてくる涙を押しとどめ、視線をずらすとアーヴィド王子の優しげな微笑みが目に入った。
国王陛下、姉トゥイッカ、アーヴィド王子、さらには謁見の間に立ちならぶ多くの方々が、様々な色をした視線をわたしに絡みつかせてくる。
いくつもの動揺を押さえ込みながら、教えられていた位置まで到達すると、教えられたとおりにお辞儀をして、教えられたとおりに国王陛下に挨拶した。
「うむ。……見違えたな」
重々しい国王陛下の声が、ひろい謁見の間にビリビリと響いた。
気絶させられそうな威厳と威圧感とに怯える自分の心を奮い立たせ、かろうじてわたしは立っていた。
「余のために戦った兵士の子を救ったこと、まことに殊勝であった」
自分が褒められたことに、すぐには気が付かなかった。
それほどまでに、国王陛下の放つ威圧感と、その場の雰囲気に気圧されている。
「幼いながら、わが愛妾に相応しきふる舞い。さすがは誇り高きレトキの族長の娘であるな」
自分のことよりも部族を、族長である父を褒めてくださったことが嬉しかった。
だけど、それで緊張がほぐれるというものでもない。
丁寧に頭をさげて、お褒めの言葉にお礼を申し上げる。
そしてようやく、ゆたかな髭の向こうでオロフ陛下が微笑んでいることに気が付いた。
「兵士の遺児を保護するよう、ただちに触れを出した。余に気づかせてくれたヴェーラのおかげであるぞ」
「か……、重ねがさね……、恐れ多いお言葉……を……賜り……、恐悦至極に……ございます……」
「褒美に宝石なりを遣わそうと思うたのだが、トゥイッカが申すには菓子の方が喜ぶだろうと言う。ヴェーラもそれで良いか?」
「う……、嬉しい……です」
陛下が褒美にくださるというお菓子のことよりも、
姉トゥイッカがわたしのことを忘れず気にかけてくれていたことに、胸があたたかいものでいっぱいになった。
思わず姉の顔に目を向けると、わたしには覚えのない笑顔で、それでも慈愛にみちた視線を投げかけてくれていた。
あたたく膨らんでいた胸は、一瞬でキュッと凍えて縮こまる。
――姉トゥイッカは、こんな陰のある笑い方をする人ではなかった。
心臓が締め付けられたようだった。
人質としての務めを、部族の生贄としての労苦を、すべて姉に背負わせてしまっていることに、申し訳なさでいっぱいになった。
「良い機会であるゆえ……」
と、国王陛下はアーヴィド王子の兄君である王太子殿下と第2王子殿下をご紹介くださる。
アーヴィド王子がいつも尊敬の念を隠さず語ってくださる王太子テオドール殿下は41歳。
第2王子ニクラス殿下は38歳。アーヴィド王子とは24も歳が離れている。
「お……、お目にかかれて……光栄にございます」
わたしが深々と頭をさげると、やわらかに微笑んでくださる王太子殿下。
第2王子殿下は顎をしゃくってから、かるくうなずかれただけだった。
煌びやかな謁見の間に、複雑な思惑が渦巻いていることが、10歳のわたしでも感じ取れた。
いまは褒めてくださった国王陛下だけど、もしなにか機嫌を損ねるようなことを仕出かしたら、姉もわたしも部族も、ただでは済まないという緊張感の中、
わたしの心を場違いに惹き付けてやまなかったのは、アーヴィド王子の優しい笑顔だった。
だけど、わたしは部族の平和のために王国に差し出された、生贄の人質だ。
そして、あの恐しい老いた国王の公式愛妾――奥さんでもある。
この身の純潔は、いつかは国王に散らされる。そして、部族の平穏な暮らしのため、惨めな人質の労苦を姉と分かち合う。
わたしはそのために、この白亜の王宮に囚われているのだから。
ただ、老いた暴虐の国王がわたしの身体に手を伸ばすそのとき――、
心の奥底に仕舞い込んだ、アーヴィド王子への恋心までは奪えない。
それが、わたしをどれほど慰めてくれることだろうか。
Ψ
イサクはわたしの従者として、王宮に住まわせることになった。
侍女のフレイヤにつづいて、わたしの臣下がふたりになった。
といっても、2つ歳下の弟分ができたようなものだ。
褒美にいただいた珍しいお菓子を3人で分けて食べて、メイドたちにもふるまった。
みんなの笑顔が見られて、わたしの心はいくぶん和んだ。
2年後、姉トゥイッカが王子を産んだ。
フェリックスと名付けられた、わたしの甥にして第4王子は、きっと王国と部族との、平和の象徴に育ってくれるだろう。
ぷにぷにのほっぺたをつついてから、姉に微笑んだ。
「おめでとう……、姉様」
「ふふっ。ありがとう、ヴェーラ」
姉トゥイッカは嬉しそうに、だけど切なそうにも見える笑顔で、生まれたての赤ん坊を抱いていた。
その頃には、アーヴィド王子がわたしの部屋に遊びに来てくれることはなくなっていた。
「……王宮の者たちは、なにごとも面白おかしく語りたいものですから」
と、フレイヤが困ったように笑って、わたしに教えてくれた。
つまり、16歳の青年王子に成長したアーヴィド王子とわたしとの間に、男女の醜聞が疑われるようなことを避けているのだ。
寂しくはあったけれど、これ以上アーヴィド王子に惹かれては、わたし自身が苦しくなるだけだという想いもあった。
会いたくてたまらない気持ちは、膨らみ始めた胸の奥に仕舞い込んだ。
さらに2年が過ぎ、姉トゥイッカは王妃に立てられた。
姉は、国王オロフ陛下の正妻になったということだ。
それにともない、わたしは側妃――第2王妃ということになった。
国王陛下から呼び出されたとき、
――わたしも14歳。ついに、姉と労苦を分かち合うときが来たのだ。
と、身体を清め、純潔を捧げる覚悟を持って、謁見の間に向かった。
恐らくは部屋を移り、国王陛下の閨を務めることを命じられるのだろう。
謁見の間には、久しぶりに目にするアーヴィド王子の姿もあった。
わたしが老いた国王の〈ほんとうの奥さん〉になる瞬間に、アーヴィド王子が笑顔で立ち会っていることが、苦しくてたまらなかった。
だけど、口をひらかれたのは国王オロフ陛下ではなく、となりに座られる王妃陛下――つまり、姉トゥイッカだった。