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39.お預けなのですよね

通常の倍速以上で駆けた隊列は、レトキの大地と王土を別ける深い渓谷に3日で着いた。


オロフ王のかけた、石造の頑強な大橋を渡る。


長期化したレトキ侵攻に対応するため、大兵力の動員を可能にした、誰も住んでいない山あいに拓かれた軍用道にかかる大橋。


わたしがうなずくと、イサクとエルンストの兵たちが、橋を落した。


中央から崩れ落ちていく大橋。


轟音が渓谷に響き渡り、なにもかもを飲み込む。


これで、もし姉がわたしの裏切りに気が付き、大軍を送り込んできたとしても、大きく迂回させなくてはならない。



――もう、戻れない……。



わたしは踵を返し、進軍の再開を命じた。


風に乗って飛んできた土埃が、しばらくの間、わたしたちの隊列に追いすがる。


視界が澄んでくる頃、わたしの故郷、北の大地ではすでに秋が終わろうとしていた。


全速力で北に向かって駆けるわたしたちの隊列は、夏から冬へと季節を早回しに移動している。


風は冷たさを増し、わたしたち姉妹が人質に出されたあの日に向かって、わたしは全速力で駆けている。


さらに数日駆け、隊列はレトキ族を統治する総督府に入った。


姉の書簡が知らせていた予定より、はるかに早いわたしの到着。


総督が慌てた様子でわたしを出迎える。


はじめて里帰りするわたしに姉が贈ってくれた正装のドレスに身を包み、わたしは馬車を降りた。


部族が尊ぶ黄色をしたシルクのドレス。


胸元には虹色をしたオパールのネックレスが輝き、プリンセスラインで広がるスカートの裾には黒蝶真珠があしらわれたクロユリのちいさな刺繍。


そして、無数のダイヤが輝く王太側后として正式なティアラをココアブラウンの頭に載せ、総督の案内で建物の中へと進む。


もとは、オロフ王の体面を保つため、名目だけに置かれた総督府。


レトキ族が暮らす山岳地帯の入口、すこしひらけた盆地にある。


オロフ王の築いた軍事拠点を流用した建物を姉が巧みに利用し、いまは実質的にもレトキ族を統治する拠点となった。


おそらく改装に改装を重ねた、宮殿のように豪華な建物は本来の役割にそぐわない。


姉が部族に課し、吸い上げつづける貢納の重さを凝縮したような、白亜の総督府。


謁見の間の主座にわたしが腰をおろすと、総督と総督軍の将帥たちが膝を突き、来訪への祝意をながながと述べる。



――侮られてはいけない。



アーヴィド王子の言葉の意味が、わたしにはまだ本当には理解できていない。


なぜ、意地悪をしていたメイドたちは、わたしへの態度を改めたのか。


なぜ、幼いイサクを蹴りあげていた親方が、素直に引き下がったのか。


なぜ、総督と将帥は、わたしに媚びへつらうのか。



権威と権力。



その正体を、わたしはまだ本当には理解していない。


もちろん、恐ろしい威圧感をつねに放っていたオロフ王が、強大な権力を振るっていたことに違和感はない。


そのオロフ王にしても、ひとりの人間だ。


国軍20万の全員が一斉に斬りかかれば、倒せない訳がない。


いや全軍でなくとも、そのうちの金鷲騎士団5万だけでも、近衛騎士団1万だけでも、いや、黒狼騎士団400人だけでも、オロフ王の首は落とせたはずだ。


だけど、そうはならなかった。


皆があれほど、オロフ王を恐れていたというのに。


いわんや、姉王太后トゥイッカが王国に君臨する権力をなぜ握れているのか。なぜ皆が姉を畏れ敬い逆らわないのか。本当のところ、わたしには解らない。


まもなく反乱が起きるにしてもだ。


総督は額の汗を拭きふき、卑屈な笑いをわたしに向け、姉が指示したわたしの出迎えが整っていないことに言い訳を続けている。



「……レトキ族の長老めらも、こちらに向かっておるはずでして……、一両日中には到着するかと……。白太后陛下には誠に申し訳なきことながら、しばらくお待ちいただきまして……」



もとは精悍な騎士だったと想起できる、でっぷりと肥え太った体躯。姉が部族から搾り取った富の分け前で、放蕩三昧の日々を送っているのだろう。


わたしは、この脂ぎった顔をした男に、権威と権力をふりかざさなくてはならない。



「もうよい」



わたしの冷えた声に、総督はキョトンとした顔をした。


わたしが、贅沢な椅子の肘かけを越えて手を横にひろげると、エルンストが書類の束を渡してくれる。



「総督……、ずいぶんと私腹を肥やしておるようだな?」



書類をめくりながら、声を低く響かせる。


なにが起きているのかと狼狽えた総督が、両腕をぎこちなく振って、モゴモゴとなにかを言った。


わたしは書類から顔をあげ、総督を見据える。



「多額の横領……。姉王太后トゥイッカへの侮辱に等しい」


「あ、いえ、その……、王太后陛下もご存知のことにございますれば……」


「姉に罪をなすりつけるのか?」



なおも抗弁しようとする総督から、わたしは目を背けた。



――いや、わたしは見なくてはいけない。



と、思いなおし、冷えた眼差しで総督を見下ろした。



「首を刎ねよ」



白刃が舞い、大きな血しぶきが噴き上がる。


わたしは、はじめて人を殺させた。


いや、殺した。


姉がわたしに与えた権威と権力をふりかざし、わたしは姉に反旗を翻した。


白刃を振るったのは謎の客将アーヴィ。ほんとうは、エルンストの役割だった。


だけど、兜の隙間からわたしを見るアーヴィ――アーヴィド王子の眼差しは険しくもあたたかい。



――ヴェーラの手だけを汚させはしない。



澄んだ青い瞳が、わたしに語りかけてくれていた。


わたしはかるく首をかしげてから、肘掛けに肘をつき、手の甲にあごを乗せる。


そして、総督の後ろに控えていた将帥たちに冷笑を浴びせかける。


心は、不思議なほどに落ち着いている。



(なんじ)らも、ずいぶんいい思いをしておったようだが……」



呆然としていた将帥たちが、慌ててわたしに平伏する。額を床にこすりつけている。



「ふふっ……。汝らを、黒狼の餌にくれてやるのは、ちと惜しい」



わたしの声が、すこし柔らかくなったことに安堵したのか、将帥たちの背中から力が抜ける。



「別命あるまで(わらわ)が総督を兼ねる。汝らは、これにあるエルンスト卿の指揮下に入り、謹慎して過ごせ。総督軍1000名も同様である」


「は、はは――――っ」



と、将帥たちは、わたしにひれ伏したまま、恭順の姿勢をしめした。


ただちに総督軍の総員を前庭にあつめ、エルンストの兵に囲ませ、武装解除した。


部族を苦しめてきた総督府。


姉の怨念がつくりかえた、復讐の拠点を、


わたしは掌握した。



   Ψ



総督府の一室をわたしの居室と定め、おおきな窓から夜空に半月をながめた。


そっと寄り添ってくださるアーヴィド王子が、やさしく肩を抱いてくださる。


半分になった欠けてゆく月の下で、故郷の山野が月明かりに照らされ、しずかに佇んでいた。



「……やさしいヴェーラに、ツラいことをさせてしまったね」


「いいえ……、わたしのためですわ」



エルンストには、総督の家族を保護するように命じてある。


お妾さんが8人も出てきたのには閉口して、すこしばかり罪悪感を減じてもらったけれど、彼女たちの保護も命じた。


そして、将帥や兵たちの家族は、エルンストの監視下に置いた。


贅沢な暮らしを享受する総督軍をめあてにできた、ちいさな歓楽街には戒厳令を布き、外出を禁じた。


いまやるべきことは、すべてやり終えた。


だけど、胸のざわめきは収まらない。


わたしの肩を抱くアーヴィド王子に、そっと身を寄せた。


山野から押し寄せるような静寂が、ちいさいけれど豪華なつくりの居室に満ちる。



「……あの」


「ん? なに、ヴェーラ?」


「……いまじゃないですか?」


「……なにが?」


「その……、キスしていただくなら」


「え……、ええっ?」



いいのです。キスも結婚するまでお預けなのですよね。分かっています。


わたしの動揺を嵩にきて、アーヴィド王子のこだわりを曲げさせるつもりはありません。


ツンッと、あごを上げたとき、頬に柔らかな感触が、一瞬だけ――、



「あ……」


「いまは……、これでもいい?」


「……充分です。とても、嬉しいです」



アーヴィド王子は、別に用意させた宿舎へと帰っていった。


まだアーヴィド王子の正体は明かせない。


イサクが厳重に警護してくれている。


くらい部屋にひとりになって、あたたかな頬に、しばらく手をあてて過ごす。


そして、顔をあげ、ふたたび夜の山野に目を向けると、自分の眼差しが冷厳な為政者のものになっていることに気が付いた。


わたしは王の妃になる。


アーヴィド王の王妃になる。


レトキの女王にもなるかもしれない。


総督の首ひとつが、総督軍1000名とエルンストの兵600の、戦闘を防いだのだ。


権力を正しく行使したのだと、自分に言い聞かせた。



   Ψ



2日後、姿を現した長老たちを拘束し、地下牢にいれた。


姉が選んだという新しい長老たち。わたしは、誰にも見覚えがなかった。


そして、総督軍の兵のうち、まだ勤勉で従順なものを選抜し、わたしの直臣に取り立てた。


彼らにすれば、横領の罪に問われた総督軍に籍を置いたままでいるより、王太側后の私兵となる方が、まだ身の安全を図れる。


喜び勇んで、わたしへの忠誠を誓った。


イサクの指揮下にいれた彼らを急使に立て、レトキ族の主だった者たちに召集をかける。


レトキ族は、多くの家――氏族のゆるやかな集合体だ。


族長が全体を束ねてはいたけど、氏族の長たちの意向は大きい。


わたしはその長たちを説き伏せ、わたしの女王即位を認めさせないといけない。


女王になりたい訳ではないけれど、族長の娘であるわたしが前面に立たないと、部族としてはまとまらないだろう。


そして、レトキ族の王国の建国に、賛同させなくてはならない。


国のかたちを整え、外敵の脅威に備えないといけない。



――ニクラス殿下が王都に向けた侵攻を開始する前に。


――王国西方で、西方貴族たちの反旗が翻る前に。


――姉が総督府の異変に気が付き、大軍を差し向けてくる前に。



これからギレンシュテット王国を呑み込む内乱。姉が原因となっておきる内乱に、レトキ族を巻き込みたくない。


中立を宣言し、わたしが大橋を落とした山あいの深い渓谷より北に、どの勢力の兵も入れたくない。


部族に平穏な暮らしを取り戻すために。


そして、アーヴィド王子を安全にお匿いし、いずれ復権をはたしていただくために。


わたしたちの結婚のために。


姉トゥイッカに、わたしは反旗を翻す。


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