38.再会させてくれますように
満月が水面にゆらめく泉のほとりで、アーヴィド王子とステップを踏んだ。
ついに、アーヴィド王子に離宮から動いていただく。
地下の密室から出ていただく。
ふたりで微笑み合いながら、軽やかに、秋の気配を感じる夜風に吹かれて踊る。
「トゥイッカ殿は手強いよ?」
「恐いですわ」
逼塞と緊張を常に強いられたこの生活を、もっとも穏やかな日々だったと振り返ることになるかもしれない。
この先のことは、地下の密室よりも真っ暗だ。
――ふたりで穏やかに踊ることなど、これが最後かもしれない。
だから、わたしもアーヴィド王子も微笑を絶やさない。
「ニクラス兄上はトゥイッカ殿を侮っている。トゥイッカ殿の思う壺だ」
わたしもオロフ王がいなくなるまで、姉の恐ろしさに気が付かなかった。
「トゥイッカ殿は謀反の企みに気がついていて、見て見ぬふりしているのだとしても、ボクは驚かないよ」
数々の粛清をくぐり抜けたエルンストたちは、黒狼騎士団の裏をかき、慎重に行動している。
とはいえ、すでに嗅ぎ付けられていたとしても驚きはない。
姉が、不満分子をあぶり出し一網打尽にするつもりで、泳がせている可能性もある。
「アーヴィド王子が誰よりも、姉のことをよくご存知なのですね」
「……ヴェーラ、妬いてる?」
「ふふっ、そうですわね。妬いているのかもしれません。……でも、わたしも姉から目が離せませんわ」
「ほんとだね……。すごいお姉さんだ」
まもなく始まる秋の終わり、晩秋にひらかれる収穫祭までには、すべての決着がついているかもしれない。
いや、その頃ではまだ、内乱の戦火が王国全土を焼いているかもしれない。
王国を二分した争いになる。
ニクラス殿下がハーヴェッツ王国の軍事支援を受けられる以上、それだけでも他国の介入は確実だ。
内乱は、ながく続くかもしれない。
機がおとずれるまで、アーヴィド王子を安全な場所で匿う。わたしが匿う。
中立を宣言させるレトキの大地に、匿う。
そのために、アーヴィド王子を離宮からお移しする。
正直、楽しかった。
アーヴィド王子には申し訳ないけれど、わたしの離宮の地下の隠し部屋に、いつもアーヴィド王子がいてくださる日々は、楽しかった。
ハラハラと恐ろしい思いもしたし、何度もヒヤリとした。けれど、ふり返ればわたしはずっと、ウキウキしていた。
だけど、終わりにしないといけない。
イサクに作ってもらってる、新しい馬車が完成したら出発だ。
その最後に、ふたり舞踏会をおねだりした。腰を抱いていただき、手を握り合い、ステップを踏んで、ターンする。
月明かりに照らされたアーヴィド王子は、お美しくて、素敵で、もうたまらない。
ずっと眺めて、ずっと踊っていたい。
楽しくて、胸を弾ませた時間は、あっという間に過ぎた。
Ψ
王宮の中庭まで降りてきてくれた姉トゥイッカが、困惑したように苦笑いを浮かべた。
「随分、背の高い馬車をつくったのね」
「だって、景色がよく見えるでしょう?」
自慢気に姉の手を引き、出来立ての馬車をグルグルと見せて回る。
瀟洒で豪華な装飾は、王都の職人に急いでつくらせて、イサクが貼り付けた。
――私たち姉妹、思う存分、贅沢して暮らしましょう?
わたしにそう言った姉が、金ピカの馬車に苦笑いを重ねた。
「ヴェーラは、贅沢の仕方を学ばないとね」
「あら? ……変かしら?」
「ううん、とても素敵よ。レトキの長老たちも目を見張ると思うわ」
やがて、エルンストが率いるオクスティエルナ伯爵家の兵600が到着した。
姉のまえで膝をつくエルンスト。
「妾の妹、白太后ヴェーラの護衛。しかと、任せたぞ」
すこし離れたところでは、宰相や枢密院顧問官が、わたしたち姉妹をにこやかに微笑んで見守っている。
そのなかにはミアの父親、テュレン伯爵の顔もあった。
永遠の別れになるかもしれないことを、ミアには告げられなかった。
わたしが不在の離宮を、当然わたしが帰ってくるものと思い、侍従騎士として護りつづけている。
イサクと引き離すことに、心が痛んだ。
けれど、姉の重臣を父に持つミアに、ほんとうのことは打ち明けられない。
運命がミアをイサクに再会させてくれますようにと、身勝手にも、祈った。
重臣たちからさらに離れたところには、黒狼騎士団長シモンの不気味な薄紫色の顔があった。
堅そうな肌に切れ込みをいれたようなほそい目が、どこを見ているのか、わたしからは分からない。
シモンがもし見つけてしまったら、わたしが姉と刺し違えるための短剣を懐に忍ばせていたけれど、幸い、シモンはその場を一歩も動かなかった。
姉に見送られ、馬車がゆったりと王宮から出発する。
「姉様の分まで、お父様とお母様に祈りを捧げて来るわ」
窓から身を乗り出して手を振り、
美しい姉のにこやかな微笑みを、美しく可憐で妖艶な緋色のドレス姿を、目に焼き付けた。
Ψ
王都の市街地を抜け、ちいさな林に入ると、ゆるやかに進んでいた隊列を止めた。
馬車の周囲をエルンストが心を許せる腹心13人が背を向けて取り囲み、兵には休息をとらせた。
馬車の底から隠し扉がひらき、レモンブロンドの髪が風に揺れる。
オクスティエルナ伯爵家の鎧を身に着けていただき、お顔を隠す頬あての付いた兜をかぶり、馬に跨られたアーヴィド王子。
兵士の鎧であろうと隠し切れない、高貴な気品。凛々しい騎馬姿に、つい見惚れる。
と、フレイヤに肘でつつかれた。
「……アーヴィ殿を目で追い過ぎですわよ?」
そうだ。アーヴィド王子は、謎の客将アーヴィになられた。
エルンストの腹心13人も余計な詮索はしない。
わたしも感慨に耽っている時間はない。
イサクが手早く取り除いた、馬車の余計な装飾はすべて林の中に隠す。
身軽になった馬車の両脇を、アーヴィド王子――アーヴィとイサクに護られ、エルンストが先導する隊列は、
北に向かって、全速力で駆けはじめた。




