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36.終わりにしよう

漆黒の闇夜。足元だけを照らすようフードをかけたランプを手に、山に分け入る。


うしろに続くエルンストにあわせ、ゆっくりと慎重に進む。はぐれてしまえば、エルンストひとりでは下山できないだろう。


男装のような狩りの装束、腰には山刀(マチェット)、背には弓矢、肩には巻いた縄の束という、わたしのいでたちに驚くエルンストに、



――シッ。



と、人差し指を口元に立てた。


絢爛豪華なドレス姿のわたししか見たことのないエルンストが、驚くのも無理はない。だけど、説明はあとだ。


黙って山を登りはじめた。


それも道なき道。誰も追跡できないように、獣道さえない生い茂る草木のなかを突っ切って歩く。


山刀(マチェット)と弓矢は、獣に出くわした時の備え。


やがて、迷路のような岩場では、手を引いて歩く。ここではぐれたら、エルンストでは日が昇っても出られないかもしれない。



――アーヴィド王子以外の殿方の手を握るだなんて……。



という乙女心は、闇夜が隠してくれた。


そして、岩場にはえる大木に縄を巻きつけ、堅く結び、下に向かって投げる。


わたしなら、そのまま降りられるけど、貴公子のエルンストでは怪我をさせてしまうかもしれない。


縄を握らせ、下へと慎重に降りてゆく。


地面に降り立ち、ランプのフードをとると周辺がぼんやりと照らされる。


眉間にシワを寄せ、怪訝な表情で辺りを見回していたエルンストの視線が止まった。


そして、その紫がかった黒い瞳がおおきく見開かれた。


泉のほとりで、ランプのほのかな灯りを反射するレモンブロンドの髪。厚い胸板をつつむパール色の上着。


惚れ惚れするような美しい立ち姿のアーヴィド王子が、ゆっくりとふり返られた。


たちまち駆け寄り、アーヴィド王子の足もとで平伏して嗚咽をこらえるエルンスト。


先日の密議の際、エルンストが漏らしたひと言――、



――私の姉は、オロフ王の公妾のひとりでした……。



急な病いに倒れたエルンストの姉は、アーヴィド王子のはからいで、命を落とす前に実家の屋敷に戻され、一命を取りとめたという。


あの場にいた4人の貴公子は、明らかにニクラス殿下派とアーヴィド王子派に分かれていた。


オロフ王のような強く猛き王を求める者と、長兄テオドール殿下が即位された暁にはそうなられたであろう、心優しき王を求める者。


エルンストが後者であることは、わたしにも見て取れた。


今日を迎えるまでにアーヴィド王子とよく話し合い、エルンストにだけ密かに、アーヴィド王子のご健在を明かすことにしたのだ。


ちなみに「やっぱりやめとこう」ということになったら、焚火で焼いた鹿肉料理をふるまうつもりだった。


いや、この新月の闇夜を迎えるまでには、大小様々な苦労を乗り越えた。


まずは、密議のとき、おおきな身体のダニエルの口からレヴェンハプト侯爵家の名が出た。


フレイヤの実家だ。


王国の古参貴族であるレヴェンハプト侯爵家も、エルンストたちの起こす反乱に同心していたのだ。


念のため、フレイヤの兄を離宮に招き、その決意を確認した。


その場にフレイヤを招き入れ、謀反の計画を打ち明け、協力を求めた。


人形のように美しいフレイヤの顔は青ざめていたけれど、しっかりと頷いてくれた。


そして、兄を見送ったフレイヤが、狩り小屋でそっとわたしに声を潜めた。



「……アーヴィド殿下に、エルンスト殿を会わせるご決断に口出しはいたしませんが……」



フレイヤの兄にアーヴィド王子のご健在は明かしていない。



「……イサクの服を着ていただいたままでよろしいのですか?」



というフレイヤの提案で、姉トゥイッカにもらったパール色のドレスを、狩り小屋で解体した。


わたしの純潔を示すようにシンプルなデザインのスカートの布を切り出し、フレイヤとふたりで縫い子さんになる。


目立つので仕立て屋はもちろん使えないし、メイドにも打ち明けられない。


わたしたちでやるしかなかった。


慣れないので指先は針で傷だらけ。


すこしフレイヤに叱られた。


明るいところで見たら、少々縫製におかしなところもあるだろうけど、なにせ闇夜だ。


ランプの灯りに浮かぶアーヴィド王子は、神々しくさえ見えた。



――満足……。



ひれ伏したまま、嗚咽をこらえ続けるエルンストに、わたしは胸を張って、思わず腕組みしてしまった。


深手を負ったお姿で発見したときには追っ手を怨んだけど、いまとなってはアーヴィド王子の美しいお顔に剣を突き立てなかったことに感謝したい。



――むふん。



再会の感激に打ち震えるエルンスト。


アーヴィド王子は泰然と、やさしい視線で見詰められている。


一幅の絵画のように美しい光景。


わたしが愛する人、わたしを愛してくれる人の放つ――父オロフ王とは異なる――やわらかで荘厳な威厳に、


わたしは、見惚れていた。



   Ψ



やがて、落ち着いたエルンストをまじえ、これからのことを話しあう。


エルンストは、アーヴィド王子の存在を秘したまま、わたしたちに協力すると約束してくれた。


いま反乱軍が割れるのは、得策ではない。


そして、この夜、わたしの胸がなにより弾んだのは、



「ボクは王位に就き、ヴェーラを妃にするよ」



と、アーヴィド王子がエルンストに宣言してくださったことだ。



「……ニクラス兄上が王位に就けば、必ず東方貴族の粛清をはじめるよ。それではおなじことの繰り返しになる。復讐が復讐を呼んで、王国はバラバラになる。きっと、いまよりもっと、ひどいことになってしまう……」



口調は穏やかでやさしいながらも、アーヴィド王子の眼差しは険しい。


それでも、ほかの誰かに「妃にする」と言葉にしてくださったことが、わたしは跳び上がるかと思うほど嬉しかった。


エルンストは恭しく姿勢をあらため、わたしたちふたりを祝福してくれた。


そして、アーヴィド王子とわたしに、忠誠を誓ってくれたのだ。



「その忠誠は、ボクの妃になるヴェーラにだけ捧げてくれるかい?」



と、アーヴィド王子がやさしく仰ってくださり、エルンストはわたしに膝をついた。



「……よもや、これまでの間ずっと、アーヴィド殿下をお匿いいただいていたとは。芯の強いお方だとお見受けしておりましたが……。このエルンスト、心の底から感服いたしましてございます」



持っていたのが山刀(マチェット)だけで申し訳なかったけれど、わたしは刀身をエルンストの肩に乗せた。


そして、背筋を伸ばし、主君として最初の言葉を厳かに述べる。



「エルンスト・オクスティエルナ。汝に、わが騎士となる栄誉を授ける」



そして、宣誓の言葉を聞き、エルンストはわたしの騎士になった。


まだ誰にも明かせない、秘密の主従関係。


ながい時を経て、地下の密室に匿うアーヴィド王子をお護りする仲間が、ようやくひとり増えた。


えもいわれぬ感慨を胸に、わたしは黒髪の騎士の手を引き、闇夜のなか下山した。



   Ψ



エルンストを帰したあと、そっと寝室のベッドにもぐり込んだのだけど、なかなか寝付けない。


隠し部屋の梯子を降りて、すでにお戻りでベッドに横になられていたアーヴィド王子の隣に滑り込んだ。



「……ん? どうしたの、ヴェーラ?」


「あれで……、良かったのですわよね?」


「エルンストのこと?」



アーヴィド王子ともよくよく話し合って決めたこととはいえ、



――もしも、エルンストが姉トゥイッカの間諜であったなら……。



と、根拠のない不安が湧いてくる。


夜明けと同時に、黒狼騎士団が離宮になだれ込んで来るのではないかと、しなくていい妄想に襲われてしまうのだ。



「……今夜は、ここで眠らせてもらってもいいですか?」


「……えっ?」


「ダメですか……?」



しばらく、返事を躊躇われていたアーヴィド王子。


わたしがピタッと横に張り付き、天井を眺められたままのアーヴィド王子が、申し訳なさそうに口をひらかれた。



「これは……、ボクがツラい……かな?」


「えっ? ……わたしのせいですか?」


「……手を……出しちゃうよ」


「まっ」



手を出していただいても、わたしの方は全然かまわないのだけど、


正式に結婚してからがいいという、アーヴィド王子のお気持ちは大切にしたい。


というか、嬉しい。


暴虐の王に純潔を散らされると覚悟して過ごした日々に比べて、なんと幸せなことか。


本当に愛する人と結ばれる、その日がわたしには待っているのだ。


ふと、わたしの目に止まったのは、部族の使者に教えてもらった苔を煎じた小瓶。


体力涵養のため、まだお飲みいただいていたのだけど、



――夜の方にも効果が……。



という使者のニヤケ顔を思い出し、



――ム、ムラムラさせちゃってるのかしら……?



と、すこしアーヴィド王子に悪い気がしてしまった。


いま小瓶に残っている分がなくなったら、終わりにしようと心に決めた。


しばらくイチャイチャしてから、脱出路をつたい、ふたりで泉のほとりに腰かけた。


そして、アーヴィド王子の肩にあたまを乗せさせてもらう。


ランプのちいさな灯りに照らされ、水面に映るわたしたちの寄り添う姿。


かすかに揺らめく、その姿を眺めながら、ようやくわたしは眠りに落ちていくことができた。


新月の闇夜が、わたしの姉に対する裏切りを、覆い隠してくれていた。



   Ψ



王宮にあがり、姉に面会を求めた。


突然の来訪であったので、姉の居室でしばらく待たされる。


姉は、宰相と枢密院顧問官を従えて政務を執る日々を、忙しく送っていた。


ひとり欠けた顧問官も東方貴族から補充され、重臣29人が分担し、それでも政務に追われている。


私腹を肥やすのにだけ忙しいという訳ではない。強大にして広大な王国の全土からは、膨大な量の政務が押し寄せるのだ。


それを、オロフ王はすべておひとりでこなされていた。



――やはり、オロフ王こそは英雄。不世出の天才であられた……。



わたしの騎士となったエルンストが、険しい表情で過去をふり返って言うには、



「……オロフ王は恐ろしいお方でしたが、誰にも等しく恐ろしくあられました。気分ひとつで首を刎ねるようなこともありましたが、決して依怙贔屓(えこひいき)をなされるようなことはございませんでした……」



暴虐にして英明――、


稀代の英雄オロフ王の晩年を、閨で狂わせたわたしの姉トゥイッカは、歴史になんと名を残すのだろうか。


瀟洒な窓枠が縁どる青い空を眺めながら、そんなことを考えていた。


そして、わたしは今から、その姉を欺かなくてはならない。


愛する人と、愛する故郷のために。


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