34.おおきな誤解
オクスティエルナ伯爵家の王都屋敷。小ぶりながら重厚なつくり。
四方に窓がひらいた見晴らしの良い最上階の小部屋で、エルンストがみずからお茶を淹れてくれた。
「黒狼どもを率いておみえになるとは、……さすがに肝を冷やしました」
「ふふっ。……さては欺かれたか、と?」
「あ、いえ……」
窓から見下ろすシモンは、おとなしく隠密馬車のそばで待っている。
「……王太后陛下より、白太后陛下のお邪魔になることはするなと、キツく命じられております」
と、シモンは、相変わらず感情の読めないしわがれ声で言った。
国王陛下の忠実な猟犬は、王太后陛下の忠実な猟犬になったのだろう。
いや、その従順な姿はむしろ飼い犬か。
ただ、主人に仇なす者には容赦なく噛みつき、噛み殺す、番犬でもあるだろう。
事実、枢密院顧問官のひとりは、既に粛清されていた。きっとシモンの暗躍があったはずだ。
シモンのそばでは、一緒に侍女のフレイヤを待たせ見張らせているけど、油断はできない。
小部屋に視線を戻すと、闘技会を終えたばかりのエルンストの肌は上気していて、いつもの洗練された雰囲気に、逞しさも加えている。
そして、会っていることはおおっぴらになっても、話している内容は誰にも聞かれないこの小部屋には、おなじく闘技会に出場していたほかの令息も座っている。
「……同志です」
と、手短かに紹介された令息は3人。
みな貴族の次男や三男で、身動きがしやすい。領地と王都を行き来しながら、決起の日に向けた準備を進めているらしい。
そして、白太后陛下が闘技会出場者を秘かに労う、私的な茶会……が、始まった。
「……まずは、ご決断いただきましたことに、感謝申し上げます」
と、わたしに深々とあたまを下げたのは、最年長のローゼハン侯爵家三男、ダニエル。
おおきな体格をした偉丈夫で、顔もおおきい。わたしの倍はある。
「ふだんは冷静沈着なエルンストが、強く主張したのです。白太后陛下……、いえ、ヴェーラ陛下はお味方になっていただける、と」
ダニエルは小部屋の角に目を向けた。
エルンストが持ち帰ってくれた、わたし手製の弓が、立派な台座に乗せられ丁重に飾られている。
「……ヴェーラ陛下のレトキ族を想われるお気持ちは本物であると、こちらの御製の弓を手に熱く語り、われらを説き伏せたのです」
「そうでしたか」
わたしは、クスリと笑い、エルンストの淹れてくれたお茶を手に取った。
エルンストは離宮でひらかれる令息たちのサロンに顔を出し、わたしを品定めしていたのだ。
恐らく、わたしがアーヴィド王子の肩を持つ発言をしてしまったとき「これは」と思い、それから注意深く観察されていたのだろう。
みな、なかなかに喰えないし、用心深い。
ダニエルが、にこやかな表情であごに手をやった。
「……そして、トゥイッカ陛下とフェリックス陛下の助命を条件とされた優しきお心に触れ、われらもヴェーラ陛下に心服いたしましてございます」
表情と話しの内容が合わない。外から目にする者には、わかい王侯貴族がつどう、優雅で楽しげな茶会にしか見えないだろう。
そして、万が一にも唇の動きが読まれないよう、かるく手で隠している。
わたしも目をほそめ、扇で口元を覆った。
「みな様も、お約束いただけますね?」
「無論にございます。われらの目的は王政を正すことにあり、幼き国王陛下や、わかき王太后陛下の首をあげることではございません」
わたしが一座を見回すと、みながそれぞれにうなずいた。
まだ反乱計画の全貌は知らされていないし、彼らも手の内をすべて明かすことはしないだろう。
そして、わたしも彼らにすべてを打ち明けることはない。
アーヴィド王子のご健在は、秘中の秘だ。
ダニエルとエルンストのほかにいるのはクランゼル子爵家の次男と、ホルン伯爵家の三男。ダニエルと違い、わたしのサロンに顔を見せたことがあった気がする。
「……ヴェーラ陛下と交わさせていただいた約定につきましては、ハーヴェッツ王国のニクラス殿下よりも応諾の旨、密書が届いております」
と、エルンストが書簡をひらいて見せた。
ニクラス殿下のサインは、アーヴィド王子に確認していただいたものと同じ筆跡だ。
――口から離れた言葉は、勝手に走る。
現王政転覆を企む陰謀の渦中に、自分が身を置いたことを実感し、あらためて背筋に冷たいものが走る。
わたしは、姉に刃を向ける側に立った。
「……妾は、レトキ族をまとめ、中立の立場に置くだけで良いのですね?」
部族を戦地に送らなくてもいい。そのことに釘を刺す。
そして、わたしが姉に怪しまれることなく〈里帰り〉するための助力を求めた。
みなが腹に一物もった謀反の謀議。
互いの手の内は伏せて、腹の底を探り合うような時間が過ぎる。
よく観察すれば、4人の貴族令息にも立場の違いが見て取れた。
それぞれ、旧ヴィルトマーク王国、旧スコグベール王国、旧ヴィットダール大公国、そしてギレンシュテット王国の古参貴族と、家門の出自が異なる。
反乱軍が一枚岩でないことは、懸念材料でもあり、わたしにとっては朗報でもある。
――混乱に乗じて、アーヴィド王子の復権を図る……。
わたしは、趨勢を見極め、そのタイミングを慎重にうかがわなくてはいけない。
場合によっては、内乱が勃発してから混迷を極める王国内で立場を翻し、建国なったレトキ王国を背景に、姉トゥイッカからアーヴィド王子の追討令取り消しと王室復帰、そしてレトキの独立承認を勝ち取る。
そして、アーヴィド王子と一緒に姉トゥイッカと組んで、ニクラス殿下を首魁とする反乱軍の鎮圧に尽力する――。
そのような展開もあり得るのだ。
傍目には、わかき白太后が4人の貴公子をはべらせる優雅な茶会。くつろいだ風情の微笑を絶やさず、肚の底では緊張と警戒を解くことができない。
ふと、4人が怪訝な表情をそろえた。
――なにか、疑念を招いたか……?
と、冷や汗がこめかみを伝った。
わたしが故郷レトキ族のために反乱に同心したとはいえ、姉王太后トゥイッカの妹であり、共同摂政の王太側后として現王政の中枢に位置することに変わりはない。
彼らからの信頼が盤石であるはずがない。
なんらかの形で、わたしの昇った梯子だけを外してしまう恐れは充分にある。
ダニエルがおおきな身体を折りたたむように窮屈そうに屈めて、窓枠より下に口を持っていく。
そして、眉間にシワを寄せ、声を潜めた。
「……白太后陛下は、おおきな誤解をなさっておられます」
「……はて、……誤解とは?」
口元を扇で隠し、平静を装ってダニエルの視線をかわし、つづく言葉を待った。




