32.言葉を届かせたい
エルンストの漆黒の瞳に揺らぎは見られず、偽りや欺瞞を見付けることはできない。
きっと、エルンストは真実だけをわたしに打ち明けている。
王政への謀反。
それも、国を二分した激しい内乱が起きようとしている。
そして、エルンストの言う通り、姉トゥイッカはレトキ族から兵を徴発するだろう。いちばん厳しい死地に送り込み、みずからの盾とするために。
姉はきっとなんの痛痒も感じない。
姉の愛した婚約者ペッカに部族の長老たちがした仕打ちを、おなじようにやり返すだけだと、平然と同胞たちを死地に送る。
真剣な表情でわたしを見詰め続けるエルンストに向け、口をひらいた。
「わ、妾に……、どうせよと?」
「レトキ族を、お守りいただきたい」
エルンストの言わんとするところが、まだ読めない。なにが狙いか分からない。
けれど、ここで喰い付いてはいけない。
侮られてはいけない。
ス――――ッと、背筋が伸びた。
「レトキ族のもとに戻られ、女王として即位していただきたい」
「ほう……」
心の動揺を押し隠し、エルンストの言葉を待つ。……いや、女王って。と、思っていたけど。
「族長の娘であられるヴェーラ陛下には、その資格がおありになるはず。レトキ族の国を建国し、ギレンシュテット王国の内乱に中立を宣言していただきたいのです」
――レトキ族の国を、建国。
惹かれる言葉ではあった。
ただ、ここでエルンストの言葉に、全幅の信頼を置くことはできない。
ことは、謀反だ。
王位の簒奪を、武力で為そうという大逆の陰謀だ。暗闘でも濡れ衣でもない。
「……エルンスト」
「はっ」
「ニクラス殿下が寄こされたという、汝が懐にしまったその密書。それを妾に預けることはできますか?」
エルンストの漆黒の瞳が、一瞬、左右に動いた。
密書は、謀反を企む、なによりの証拠だ。
わたしを抱き込もうというのなら、わたしからの信頼を得ようというのなら、まずは、わたしを信頼できるかどうかだ。
「妾に命を賭けよと言うのであれば、まずは汝が、妾に命を差し出して見せよ」
エルンストは険しい表情でわたしの目を見たまま、ちいさく頷き、懐から取り出した密書を、わたしに渡した。
手元でひらき、もう一度目を通す。
わずかな心の揺らぎも、エルンストに感じ取られてはいけない。
「……姉王太后トゥイッカ陛下と甥国王フェリックス陛下をたとえ退けたとて、ニクラス殿下のご気性では……、ふたたびオロフ王を戴くも同然かと思うが?」
「それでも……、アーヴィド殿下の行方が知れず、安否も分からぬ今、……われらはニクラス殿下を担ぐしかないのです」
「分かりました……」
ニクラス殿下の密書から顔をあげ、エルンストの緊張した面持ちを見詰めた。
「妾にすれば、突然の話である。よく考えたいが、それで良いか?」
「はっ。……それで結構にございます」
レトキ族のもとに戻る。女王になる。建国する。どれひとつとっても、途方もない話だ。
まず、姉の疑いを招かずに、レトキ族のもとに戻る方策が思い浮かばない。
そして、足下に匿うアーヴィド王子をどうするのか? 反乱に加担していただくのか。それまでの間、黒狼騎士団の目も光るなか、どこでお匿いすればいいのか。
考えなくてはいけないことは、山のようにある。
そもそも、この密書は本物で、エルンストは本当に真実をわたしに語っているのか。
「ただし、エルンスト……、考えるにしても、ひとつ条件がある」
「……はっ」
「姉トゥイッカと甥フェリックスを殺さぬと約束せよ」
エルンストの目が、クッと開かれた。
「レトキ族のもとに連れ帰り、隠棲させる。姉には……、レトキの大地に謝罪させねばならない」
「……承知いたしました。お約束いたしましょう」
エルンストは膝を折り、胸に手をあて、わたしに向かい宣誓の姿勢をとった。
「フェリックス陛下がご退位され、トゥイッカ陛下とともに王国から去っていただけるのであれば、お命までは奪いません。心を同じくする同志たちにも申し伝えます」
空約束だ。無謀な反乱が成功するとも限らない。ほんとうに内乱となれば、戦争の混乱でウヤムヤのうちに姉の首があげられるかもしれない。
ただ、もしすべてが偽りで、エルンストが姉の手先であったなら、
――レトキの大地に謝罪させる。
この言葉を、わたしの最期に、姉のもとに届かせたい。
「……まもなく王都にて開かれる、闘技会にて、お返事を賜りたく存じます」
と言い残し、エルンストはわたしの離宮をあとにした。
門まで見送りには出なかった。
いまのわたしの顔を、ミアには見せられない。
Ψ
「間違いなく、ニクラス兄上の筆跡だね……」
隠し部屋で、アーヴィド王子と並んでベッドに腰掛け、エルンストから預かった密書に目を落とした。
腰と太ももがピタリと、アーヴィド王子に触れている。
だけど、ときめきや喜びよりも、わたしの心細さを埋めてくれるアーヴィド王子の衣越しに感じられる体温のぬくもりを、わたしの肌が求めていた。
心細い? なにが? 自問自答しながらアーヴィド王子の話に耳を傾ける。
「……王国が治まるのであれば、ニクラス兄上が王位に就かれるのも、……良いかもしれないね」
「けれど……」
「なに?」
「……ニクラス殿下では、ちいさなオロフ王になられるだけなのでは?」
「……恐らく、そうだろうね」
それでは、わたしがレトキ族に国を持たせ独立させたところで、ふたたび王国からの侵攻を受けるかもしれない。
今度こそ完全に併合され、ギレンシュテット王国の長い王号に、またひとつ君主号を加えるだけになるのではないか。
そのとき、わたしは姉を頼ることはできないだろう。
わたしがひとりでレトキ族の運命を背負い、決断しなくてはならない。
それに、アーヴィド王子のお立場はどうなるのだろう?
わたしは顔をあげ、アーヴィド王子の横顔を見詰めた。




