30.ポッカリあいた大穴
わたしは、ずっとずっと胸に秘めてきた想いを、アーヴィド王子に打ち明けた。
もう、わたしに秘密はない。
どう思われようとも、それはアーヴィド王子のご自由だ。ただ、わたしにはアーヴィド王子のお顔を見ることができない。
おだやかな口調で、わたしに伏せてこられたアーヴィド王子の秘密を打ち明けてくださるお顔も、見ることはできなかった。
「……ヴェーラたち姉妹が王宮に入る前、父オロフ王は6人の公妾を抱えていた」
「はい……」
「その6人の公妾のすべてが、トゥイッカ殿が王妃になられるまでに暇を出されるか……、急な病いに倒れて冥府に旅立った」
「はい……」
そのとき既に、姉トゥイッカとアーヴィド王子の暗闘は始まっていたのだろう。
そして、病いに倒れた公妾は恐らく、毒味のメイドと同じように、姉が旅立たせたのだ。
わたしは、その頃まだ王宮にいたというのに、まったく気が付いていなかった。
恐ろしいオロフ王の支配する王宮で、日々暮らしていくことだけで精一杯だった。
「トゥイッカ殿が、ヴェーラを離宮に追いやったのは……」
アーヴィド王子が言葉を切られた。
わたしは俯いたまま、ギュッと目を堅く閉じた。
「年頃を迎え、日に日に美しく育つヴェーラに……、父オロフ王の寵愛が移ることを恐れたからだ」
アーヴィド王子はきっと、その確証をお持ちなのだ。そこまでは聞きたくない。
とても聞けない。
――くっ。
肚の底から湧き上がる嗚咽を、喉で止めた。
漏らしたくない。アーヴィド王子に聞かれたくない。
「あら……、そうでしたの?」
と、微笑むことができない自分が――、
悔しい。
わたしは姉に……、侮られていたのだ。
恐れていたのはわたしの容姿であって、わたしの心など、自分の好きに操れると侮られていたのだ。
わたしは暴虐の王の閨になど行きたくなかった。あのシワだらけの手で、わたしの純潔を散らされたかった訳では、毛頭ない。
そのすべてを一身に引き受けてくれる姉に感謝していた。申し訳なく思っていた。
だけど、姉が、それを独占したいと考えていたことは――、
どの切り口から解釈しようとしても、わたしにはツラい。
わたしに離宮を賜ったとき、姉が向けてくれたやさしい視線が、
――あなたは、こちらに来なくていいの。
と語りかけているように感じていた自分が、滑稽で惨めだ。
アーヴィド王子は、それ以上にはなにも仰られなかった。
――これだけ言えば、すべて分かるね?
と、仰られているかのようだった。
そして、実際に、わたしは理解していた。
姉トゥイッカがわたしに向けてくれる愛情が、歪み切っていることを。
きっと、姉にとってはすべて本当なのだ。
わたしは、おおきく息を吸って、ようやくアーヴィド王子に笑顔を向けることができた。
「ありがとうございます。……教えてくださって」
「好きだ」
時が止まった。
「……はあ?」
「ボクもヴェーラのことが好きだ」
「いつから?」
もうすこし、雰囲気のある声が出せないものかと、自分でも思った。
あまりにも意外すぎて、声に抑揚がいっさい乗らない。
「……気が付いたのは、ごく最近。ヴェーラがここに来てくれなくなって……、考え込むうちに、……自分の気持ちに気が付いた」
「そうですか」
急に、アーヴィド王子の言葉がストンと肚に落ちて、あわてて目を逸らした。
「……外からかすかに聞こえる令息たちの笑い声に、なんで自分がムッとしているのか、分からなかった」
「はい……」
「それも……、腑に落ちた」
気持ちがついていかない。姉の所業に悔しがっていたわたしは、どこにいった?
ぽわんと、顔が赤くなっているのが分かる。
「ヴェーラが望むなら、このままどこかに逃げてもいい」
「…………えっ?」
「樵にでもなって、ひっそり静かに暮らそう」
肚からス――ッと、熱が抜けていくのを感じた。
「それは、ダメです」
「……そうか」
「アーヴィド王子には、華やかなる王宮が似合います」
「そうか……」
「わたしが戻します、必ず」
自分がすでに、冷厳とした権力者側の人間になっていることに、自分で驚いた。
アーヴィド王子を追う姉トゥイッカに、わたしは敗ける訳にはいかない。
「そうしたら、わたしを奥さんにしてください」
「……ヴェーラ」
「ダメですか?」
ジッと見詰めるわたしの瞳を、アーヴィド王子は逸らすことなく見詰め返してくれた。
澄んだ瞳。宝石のような青い瞳。
「分かった。必ず、するよ。ヴェーラをボクの妃にしよう」
「嬉しい」
側妃と王子が、許されない愛を誓い合うのに相応しい笑顔で、アーヴィド王子の誓いに応えた。
すべてが始まり、すべてが終わった。
そんな感慨に襲われる。
わたしの胸にポッカリとあいた姉トゥイッカという大穴を、アーヴィド王子の微笑みが埋めてくださった。
Ψ
アーヴィド王子と互いの気持ちを確認し合えたからといって、なにか状況が大きく変わったわけではない。
わたしは姉トゥイッカの鳥かごのなかで庇護されたままだし、鳥かごの中にはさらにアーヴィド王子を匿う鳥かごを隠し持っている。
アーヴィド王子を外にお連れすれば、即座に首を刎ねられてしまうだろう。
そして、姉がアーヴィド王子の追討令を取り消すことはない。
宰相も枢密院も姉の手の内にある。
オロフ王ひとりのものだったギレンシュテット王国は、姉王太后トゥイッカひとりのものになっていた。
味方になってくれる貴族を探そうにも、姉のような、部族から絞り上げた財源を持つ訳でもない。
まして、わたしは子飼いの騎士や兵も持たない。正式な直臣といえるのはフレイヤとイサクだけだ。
そのフレイヤにしても、実家のレヴェンハプト侯爵家のことがある。迂闊なことを相談すれば、おおきな負担になってしまう。
アーヴィド王子を光のあたる場所にお戻しするための、最初の一歩が見えない。
思い悩むだけの日々が、数日過ぎた。
その暑さがゆるんできたある日、黒髪のエルンストが訪ねてきた。
――また、ふたりで会っていただけますか?
と、わたしに囁いたエルンストは、茶会の定例日ではない日に、ひと目を忍ぶように、わたしの離宮にひとりで現れた。
――うふっ。まんざらでもないのね。
ふっと、姉の言葉が脳裏をかすめ、
エルンストは、わたしの婿にと、姉がわたしの離宮に寄越しているのではないかと、
胸のなかに黒い靄がひろがった。




