表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/60

27.姉の為した労苦の香り

姉トゥイッカは喜々として、


アーヴィド王子との暗闘の日々を、わたしに語って聞かせる。


いまや、王国の最高権力者、


陰惨な粛清の謀主、


王太后トゥイッカ陛下のお話を、わたしは遮ることができない。



「フェリックスが生まれてからというもの、幾夜も幾夜も、閨でオロフにシクシク泣き続けたのよ?」



――フェリックス……、姉の息子が、生まれてから? 生まれる前ではなくて?



「それで、ようやくオロフも信じたわ。三バカ王子が、私とフェリックスの命を狙ってるって」


「そ、そう……」


「なのにオロフのヤツ……、口では私を愛してるとか、私なしでは生きていけないなんて言うくせに、三バカ王子を殺しもせずに、辺境の太守にして追放するだけでお茶を濁したのよ?」



……追放。



要衝を守る太守の重責――、


だなんて思っていたのは、離宮でのほほんと暮らすわたしだけだったのね……。



「……それも、最後までアーヴィドが、テオドールは王太子だからって、行かせまいと邪魔してきて、余計に閨で泣いてみせないといけなかったわ」


「そう……、大変だったわね。お姉ちゃん……」


「そうなのよ! 分かってくれる? ヴェーラ」



姉は、わたしに褒めてほしいのだ。


姉の過ごした〈労苦〉の日々をわたしに褒めてもらい、喜びを分かち合いたいのだ。


復讐を成し遂げた、喜びを。


か弱い女性の身にありながら、姉トゥイッカはひとり、部族への、王国への復讐を果たしたのだ。


閨から、暴虐の王を操って。



「ステンボック公爵を宰相にするときも、アーヴィドに随分、邪魔されたわ」



部族から搾取した富を(まいない)に、姉はステンボック公爵を籠絡した。


王国を乗っ取る、運命共同体に仕上げた。


ステンボック公爵はオロフ王の死まで、人がいいだけの宰相を演じ切った。


姉の振り付けで。


赤子を産んだ母親から乳が出ないと、ラウリが涙を滲ませる暮らしを部族に強いて、


姉トゥイッカは、オロフ王ひとりが握っていた権力を少しずつ少しずつ削りとり、政敵は謀略の罠にかけて粛清し、すべてを自分の手中へと収めていったのだ。



「ニクラスなんて可愛いものよ。枢密院を設置しようとする私に、自分に近しい者を加えることを条件に承諾してきたんだから」


「……そうなのね」


「……だけど、それもアーヴィドが邪魔してきたの。結局、フェリックスを王太子にするまで、枢密院を設置できなかったんだから。辺境にいたくせに……、余計なことばかりして」



枢密院が姉の首を刎ねるなど、とんでもなかった。それどころか枢密院28名の顧問官さえも姉の掌中の駒だったのだ。


彼らの方がむしろ、姉からの粛清に怯え、忠誠を誓い、そして、私腹を肥やしているのだ。



「……苦労したのね、お姉ちゃん……」


「そうなのよ! ……イングリッドに似てるからって、オロフもアーヴィドには甘くて、手を焼かされたわ」



イングリッド――、オロフ王の先代王妃。


アーヴィド王子の出産がもとで、お亡くなりになられた。



――そうだ……、アーヴィド王子。



唐突に、アーヴィド王子がいま、わたしたち姉妹の足のしたにおられることを思い出した。


なぜ、忘れてしまっていたのか……。


これ以上、引くことはないと思っていた血の気が、さらに引く。



――姉の話を、いますべてお聞きになられているはず……。



だけど――、



心ゆくまで話せて満足したのか、わたしが褒めるのが嬉しかったのか、


姉は、またわたしに抱きついた。


高価なドレスが擦れ合う。


一着で何万人もの赤子にミルクを買ってあげられるドレスが、雑然と絡み合う。



「だからね、殺させたの。アーヴィドが愛する兄のテオドールを、父親に殺させてやったのよ? いい気味だわ、私の邪魔ばかりしてた報いよ」



姉は、世界のすべてを怨んでいた。


わたしはいま目の前にいる姉に、抱き締めてあげることしか出来なかった。


もっと、はやくに抱き締めてあげられたなら……、なにかが違ったんだろうか?


わたしの胸のなかから、姉のウットリとした声が響く。



「だからね、ヴェーラ?」


「なあに、……お姉ちゃん」


「私にはヴェーラだけ。……私と一緒に人質になってくれた、ヴェーラだけなの」


「そっか……」


「だから、ヴェーラは本当に好きな人と結婚してね? 幸せになってね? 幸せなヴェーラをお姉ちゃんに見せてね? 絶対よ?」


「……うん、分かったよ。お姉ちゃん」



わたしの言葉に、姉トゥイッカはさらにギュウッとつよく、わたしを抱き締めた。



「ヴェーラは太陽なんだから。ずっと、お姉ちゃんを照らしていてね」



盛夏の夕暮れ時の暑さが、わたしたち姉妹の互いの汗を混ぜ合わせ、


姉から匂い立つ妖艶な香りが、わたしの鼻腔にいつまでも残る。


きっと、これは、姉の為した労苦の香り、


姉の営んだ、閨の香りだ――。



   Ψ



「次に会えるのは、夏の終わりの闘技会ですね。ヴェーラに会えるのを(わらわ)は楽しみにしております」



狩り小屋をでた姉は、優美な王太后陛下の顔に戻り、わたしは門まで見送った。


瀟洒で豪勢な意匠のほどこされた馬車が走り去り、姿が見えなくなるまで頭をさげていた。


隠し部屋に降りる梯子の一本一本が冷たい。


毎日何度も昇り降りする梯子に、手を滑らせないよう慎重に降りてゆく。


アーヴィド王子は、ベッドに腰かけて、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべておられた。



「……ご存知だったのですね? 王太子殿下のコンポートに毒を盛ったのが、姉様だと……、アーヴィド殿下はご存知だったのでしょう?」


「うん……、知っていたよ」



こみ上げる想いが身体を震わせるわたしに、アーヴィド王子は穏やかに応えられた。



「どうして……」



つづきが言葉にならない。


アーヴィド王子はわたしから目を逸らすこともなく、申し訳なさそうにさえしてくださらない。


ただ穏やかに、座っておられる。



「……姉様と争っていることを、……どうして、わたしに教えてくださらなかったのですか?」



アーヴィド王子は、わたしを見たまま何も仰られない。


わたしに教えなかった理由は、わたしにも分かっている。だけど、問いたださずにはいられない。



「追放になられるとき……、宰相を置くとき……、ううん、いつでも良かったではないですか? どうして、わたしには何も言ってくださらなかったんですか?」



わたしは、姉を失った。


なのに今また、アーヴィド王子まで失おうとしている。



「ボクと……」


「なんですか?」


「……ボクとトゥイッカ殿の考えが一致しているのは、……ヴェーラを守りたいってことだけなんだよ」



そうだ、そうなのだ。


分かっている。


ふたりに、わたしは守られている。


ずっと。


わたしが置き去りにされたのは、ただの結果なのだ。ふたりともきっと、置き去りにしたかった訳ではない。


陰鬱な暗闘から、わたしを遠ざけてくれた。離宮で安穏と暮らした。


その間、ふたりは血を流しあっていた。


わたしの大切なふたりが、互いに傷つけあっていた。


わたしが許せないのは、わたしだ。


なのに、権力者になった姉にはなにも言えず、大罪人の汚名を着せられ、わたしが匿うアーヴィド王子にだけ気持ちをぶつけている。


わたしをいじめたメイドたちより最低だ。



「王様になってよ!」


「……え?」


「アーヴィド殿下が王様になって、みんなを救けてよ! ……わたしを、救けて……よ……」



ひどいことを言っている。


アーヴィド王子がいまは、なにも応えられないことを言って、黙らせようとしている。


ほしい言葉をくれないなら、黙っていてとは言えなかった。


黙って、ただ抱き締めてほしかっただけなのに。


言葉なんかなくても、ただいちばん近くにいてほしかっただけなのに。



わたしはわたしを――、許せない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ