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26.やり過ごすべきだ

姉のほそい首。


重い貢納に耐えかね、部族が反乱でも起こそうものなら、重臣たちは躊躇いなく人質である姉の首を刎ねるだろう。


そうすれば幼い国王を傀儡に、重臣たちは王国を好きにできる。


彼らが姉を取り除く動機は充分にある。


媚びるような笑顔を浮かべた令息たちに囲まれ、優雅に微笑む姉トゥイッカの、白磁のように白い首を眺めて、ゾッとした。


自分の居室にも関わらず、壁の花よろしく、隅っこで微笑み、ただ時間をやり過ごすわたしと違い、


姉は令息たちに案内されるままに一座の中心に腰をおろし、その華をふりまく。


令息たちの笑顔には見覚えがある。


かつて王国の貴族たちが皆、オロフ王に向けていた笑顔だ。


畏れ、怯え、顔色をうかがい、だけども気に入られようと、息を潜めたような笑顔。



「ヴェーラを慕う御令息方が、離宮に集っていると耳にして、(わらわ)も気になっていたのです」


「そんな、……姉様。慕うだなんて……、みな様にご迷惑ですわ」


「あら、ヴェーラ? 過ぎた謙遜は、かえって失礼ですわよ。ねえ、みな様?」



姉の言葉に、令息方は口々に賛同し、わたしを褒め称える。


いや、わたしではない


王太后トゥイッカ陛下の妹……を、褒め称えているのだ。



「だけど、このお部屋、殺風景ね」



と、姉がわたしの居室を見回した。



「何事にも慎み深いヴェーラのお部屋らしいけど、地位に見合った贅沢も必要よ?」


「……恐れ入ります」


「……白磁の花瓶でも置いたらどうかしら? 似合うと思うんだけど?」



白磁の花瓶――、


王宮でのわたしの部屋にも置いてあった。


粗相をしたメイドが落として割ってしまい、粉々に砕け散った。


そういえば、あのメイド……。あのあと、どうなったっけ……?



「それならば、ちょうど良い品がわが屋敷にございます」



と、なめらかでムラのない声がした。


黒髪のエルンストが、部屋の反対側に立ち、洗練されたふる舞いで、かるく頭を下げていた。


姉の顔が、声の主に向く。



「……そなたは?」


「オクスティエルナ伯爵家の次男。エルンストにございます」


「おお……、そうか。オクスティエルナ家といえば、領地は西方であったな……」


「はっ。ハーヴェッツ王国に近く、よき白磁が手に入ります」


「ハーヴェッツ……な……」



ギレンシュテット王国の西に国境を接するハーヴェッツ王国は、第2王子ニクラス殿下のお妃、グンヒルド妃殿下の御実家……。


ニクラス殿下が逃げ込み潜伏しているのではないかと、オロフ王が何度も詰問使を送られたけれど、


ながく同盟関係だったこともあり、オロフ王が崩御されたこともあって、結局、ウヤムヤになっている。


たしかに白磁の名産地ではあるけど、公に口にするには、気をつかう国名だ。


それを、エルンストは顔色ひとつ変えずに言ってのけた。


部屋にうっすらと緊張感が漂うなか、姉は華やかな笑みをエルンストに返した。



「ハーヴェッツ王国産ならば間違いありませんね。(わらわ)が買い上げて、ヴェーラに贈らせてもらいましょう」


「いえいえ、とんでもない。喜んで献上させていただきます」


「そうか……。エルンスト・オクスティエルナ、そなたの忠義、覚えておきます」



こともなげに微笑む、姉トゥイッカ。


ハーヴェッツ王国産の白磁といえば、貴族にとっても安い買い物ではない。


それを献上するというエルンストも、当然のように受け取る姉トゥイッカも、わたしには信じがたい。


けれど、これが王国の頂点、摂政にして王太后、執政の権を握る姉トゥイッカの現在の権勢なのだ。


たとえ、いまも蛮族から送られた人質の身であることに変わりなくても、


生贄として血祭りにあげられるその日まで、姉の華は、可憐に優雅に咲き続けるのだろう――。



   Ψ



茶会が終わり、姉に求められて狩り小屋に案内した。



――地下には、アーヴィド王子がいらっしゃるというのに……。



かつてないほど、緊張している。


ラウリや、ほかの誰とも違う。姉トゥイッカに気付かれたら、とてつもない負担を与えてしまう。



――静かにしていてくださいね……。



季節は盛夏を迎えているというのに、握った自分の指先が冷たい。


姉は、故郷を懐かしむように、わたしが作った弓矢や狩具を、ひとつひとつ丹念に眺めている。


粗末な狩り小屋には場違いな、絢爛豪華なドレスを着た姉が、目をほそめた。



「……レトキの故郷を思い出すわね」


「そう? ありがとう……、姉様」


「ん? ……なにが?」



顔をあげた姉は、やさしく微笑んでいた。


王宮では、どこにどんな目があり、どんな耳があるか分からない。


人質として王宮に入って以来、姉と本音で語らったことなど、一度もない。


オロフ王が崩御した日でさえ、わたしは姉の居室で抱き締めることしかできなかった。


互いに想いを言葉にはすることなく、ふたりで静かに泣いた。



――でも……、この狩り小屋なら……。



地下に匿うアーヴィド王子に聞かれてしまうとはいえ、ほかの誰にも聞かれることはない。



――部族に課される重い貢納の件、姉様に直接おうかがいするなら、いましか……。



と、首筋に力が入るのを感じたとき、姉がわたしをからかうような笑顔になった。



「ところでヴェーラ。心ときめく者はいないの?」


「……えっと?」


「貴族の令息たちと、定期的に茶会を開いているんでしょう? 誰かヴェーラの気になる殿方はいないの?」


「そ、そんなこと……」


「もう、気になって気になって。つい、押しかけて来てしまったのよ?」



戸惑うわたしの顔を、美しい姉の顔がのぞき込む。



「ヴェーラは白い結婚だったって、みんなの前で宣言してあげたでしょう?」


「あ、ええ……」


「だから、ヴェーラは気にすることなく、好きな男を婿に取っていいのよ?」


「む、婿……?」


「どこか有力貴族の次男か三男を婿にとって、このまま離宮で楽しく暮らせばいいわ」



姉は、楽しげな表情で、もう一度、わたしが作った弓矢を眺めた。



「もう、レトキなんかに縛られることないわ。……ヴェーラは、本当に好きな男と結ばれて、結婚していいのよ?」


「……お、お姉ちゃんは?」



思わず、お姉ちゃんと呼んでしまった。


姉がわたしを大切に想って、お膳立てしてくれた状況なのだということは分かった。


だけど……、生贄の人質としての労苦をひとりで背負いつづけてきた姉を差し置いて、わたしだけ幸せになることなど……、


考えられない。



(わらわ)? ……ふふっ」



姉は、わたしとおなじ色をした群青色の瞳を隠すかのように、眉をひそめ、鋭い視線をレトキ族伝統の紋様を刻んだ弓矢に目をむけた。



「妾の本当に好きな人は……、もう死んだわ……」



抑揚のない、冷えた声。



――姉が……、オロフ王を……好き……。



と、わたしのあたまが真っ白になりかかったとき、姉はふっと息を漏らした。



「……殺されたわ」


「え?」



――殺された? ……オロフ王が? 誰に?



混乱するわたしに、姉はやさしく寂しげな、わたしを労わるような微笑みを浮かべた。



「レトキの長老たちが殺したのよ」


「ちょ……」


「妾の……、私の婚約者だった、ペッカ」


「ペッカ……」



聞き覚えのある名前だった。


とおい記憶をたどる。部族が王国からの侵略を受けて、戦争中だった頃の記憶。


わたしたちが人質に出される直前、部族が降伏する直前に戦死した……、姉と仲の良かった……、



「私を人質に出すことに抵抗したペッカを、長老たちは死地に送り込んだわ」


「……そんな」


亡骸(なきがら)も戻ってこなかった」



姉は――、



「王妃になって、ペッカを殺した長老たちはみんな殺したわ。いまの長老は、私が選んだの」



故郷の、同胞たちを――、



「当然の報いでしょ? それに、私もペッカも守れず、私が長老たちを殺したことを気に病んで死んでしまった父様も、族長の名には値しないわ」



怨んでいたのだ――、



「私にはヴェーラだけ」



自分と妹を、暴虐の王に差し出し、自分たちの身の安寧をはかった部族のすべてを、怨んでいたのだ。



「だから、ヴェーラだけは本当に好きな人を見付けて、幸せになってね」



姉が、やさしくわたしを抱きしめた。


わたしの肩に乗る、姉の美しい顔から声がする。



「悪いやつらは、お姉ちゃんがちゃんと懲らしめておくわ。だから、ヴェーラは安心して幸せになってね」



部族に課した重い貢納は、姉の復讐だったのだ。


わたしの顔にかかる、姉のブラウンめいた銀髪が揺れた。



「あの、オクスティエルナ伯爵家の次男なんか、どうなの?」


「え、ええ……」



かろうじて、姉の楽しげな声に、返事をすることができた。



「西方貴族なのはちょっと気になるけど、ヴェーラが気に入ったのなら、私が取り持ってあげるけど?」


「そ、そうね……。すこし考えてみる」


「うふっ。まんざらでもないのね」



わたしの肩から顔を離した姉は、わたしの両肩に手をやり、わたしの顔をのぞきこむ。



「もう大丈夫よ」


「…………え?」


「私たち姉妹、思う存分、贅沢して暮らしましょう? レトキからもギレンシュテットからも、なにもかも奪い尽くす権利が、私たちにはあるわ」



姉がわたしに向ける屈託のない、慈愛に満ちたやさしい笑顔が、怖かった。



「邪魔者はみんな殺すか、どこかに行ったわ。……見付けたら、お姉ちゃんが殺してあげる。だから、もう大丈夫よ」


「……邪魔者?」



みぞおちを、ヒヤリと冷たいものが通り過ぎていった。



「そうねぇ……、あとはニクラスとアーヴィドくらいかしら? 王子だったくせに、往生際の悪い……。大人しく殺された兄のテオドールを見習えばいいのにね? 誇りってものはないのかしらね?」


「まさか……」


「ん? ……なあに、ヴェーラ?」



これ以上、いまはひと言も発するべきではない。分かっている。


にっこり微笑んで、姉の〈好意〉に礼を述べ、やり過ごすべきだ。


だけど、止まらなかった。



「……びわの……、王太子殿下が献上された……、びわのコンポートに……毒を仕込んだのは……」


「さあ……」



姉のほほが、ゆっくりと上がった。


盛夏の夕陽が、ほかに誰もいない狩り小屋にさし込んで、姉トゥイッカの銀髪を、紅蓮に染めた。



「……どうだったかしら? もう忘れたわ」



美しかった。


わたしの全身の血が凍りついたのではないかと思うほどに、夕陽に染まる姉の笑みは美しかった。


これ以上、なにも聞きたくないのに、姉は話を、やめてくれない。



「アーヴィドには、手を焼かされたわ」


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