21.続きは楽しみ
ミアは見ていて飽きない娘だった。
狩り小屋に勝手に入ることは禁じていたので、自分の仕事が終わると裏庭で待っている。
そして、イサクを見付けると、パアッと明るい笑顔になって駆け寄る。
イサクがひとつ歳下だと知ってからは、敬語もやめてグイグイいく。
「結婚しよう!」
「……身分が違います」
「叙爵してもらおう!」
「……はあ?」
「う~ん、戦場で手柄をあげよう!」
「……父を奪った戦争は、嫌いです」
「じゃあ、文官を目指そう!」
「いや……」
「ちょうどよかったなぁ~」
「……え?」
「アタシもヴェーラ陛下の侍従騎士にしてもらって、文官の勉強もしないといけないんだよなぁ~、一緒にやってくれる人いないかなぁ~?」
連日この調子でパタパタと自分の周りを駆けるミアに、ついにイサクが折れた。
「まあ……、勉強するだけなら……。ヴェーラ陛下のお役にも立つでしょうし……」
「やたっ! これはもうデート!?」
「え? ……違いますけど?」
「ええ~っ!?」
うるさいし、グイグイいくし、すこし違うような気もしたけど、
――太陽みたいな娘。
だと、思った。
ミアが来てから離宮の雰囲気も、ずいぶん明るくなった。
わたしはミアにこっそり声をかけ、両手の拳を握った。
「わ、妾、応援しちゃうわねっ!」
自分でもキャラがブレてると思った。
だけど、もしも戦争がなかったら。生贄の人質にも側妃にもならず、わたしが族長の娘として山野を駆けて育ったら。
わたしも、ミアのような娘になれたかもしれないと思ってしまうのだ。
姉と3人の兄が愛してくれる、末っ子のわたし。
父母の願い通りの、太陽みたいなわたし。
だから、イサクにまっすぐに愛を打ち明けられるミアが羨ましかった。
いや、打ち明けられる相手を好きになれたミアが、羨ましくてならなかった。
わたしの頬をつたった涙の意味は、きっとそういうことなんだと思う。
だから、せめて応援させてほしかった。
ただ、わたしは、イサクがわたしに寄せる想いにも気が付いている。
ふたりの仲を、主君であるわたしが取り持つようなことは、イサクに残酷なことをするようで、とてもできない。
結果として、なんだか変なキャラをミアに演じてしまったんだと思う。
「えへへ、嬉しいです!!」
と、快心の笑顔を見せてくれたミアが、父親に似ない小さな鼻のあたまをかいた。
「イサクに好きになってもらえるように、頑張ります!!」
わたしの権力も、実家であるテュレン伯爵家の権威もあてにせず、自分の力でイサクをふり向かせようとするミアの笑顔がまぶしかった。
こんな女の子になりたかった。
Ψ
初夏がきて、アーヴィド王子は杖がなくても歩けるようになった。
まだ、走ったり跳んだりはできないけれど、脱出路のさきの泉まで、わたしが手を引かなくても歩いて行けるまでに回復された。
そして、衰えた筋肉を鍛えなおすトレーニングも始められた。
初夏の陽光の下、泉のほとりで汗を流されるアーヴィド王子を眺めて過ごす。
最近のわたしの、至福の時間。
暑さも感じられる季節の変わり目で、上半身の服は脱がれている。
おおきな傷跡は痛々しいけれど、汗のしたたる胸板には見応えがある。
わたしの恋は、この距離までだ。
わたしの想いは、打ち明けたら壊れてしまう。なにもかも壊してしまう。
ミアのようには出来ない。
「まあ……、ふつう、みんな出来ないか。ミアみたいには」
と、つぶやいて、クスリと笑った。
服をすべて脱がれたアーヴィド王子が、泉の水で沐浴される。
正直、お身体は何度も見てきたので、いまさら照れることはない。眼福、眼福と思うだけだ。処女だけど。
ただ、ゆらめく木漏れ日にレモンブロンドの髪を照らされながら、泉に浸かって身を浄められるお姿は神々しくて、おもわず見惚れてしまう。
「ヴェーラに、頼みがあるんだ」
と、泉からあがって服装を整えられたアーヴィド王子が、はにかむような笑みを浮かべられた。
「ええ。なんでしょう?」
「ダンスの相手をしてくれない?」
「ダンス……、ですか?」
「脚のトレーニングに、ダンスのステップがいいと思うんだ。まだ、こまかな動きをすると、もつれるから」
「ああ……」
「それに……」
チチチッと、小鳥のさえずりが聞こえた。
「もうすぐ、ヴェーラの誕生日だよね?」
「あ、はい……」
「いまのボクじゃ、お祝いなんてできないしね……」
「ふふっ。……また、喜ばせてくださいましたね?」
「そう? 喜んでくれる?」
「ええ、とても嬉しいですわ」
狩り用のズボン姿だったけれど、スカートをひろげるようにして、アーヴィド王子にお辞儀をした。
「それでは、よろしくお願いいたします」
アーヴィド王子の腕がわたしの腰に回り、抱き寄せてくださる。
――なんだ、まだ埋められる距離があったのか。
と、内心ニンマリしながら、ゆっくりとステップを踏んでゆく。
木漏れ日が降り注ぐなか、泉のほとりで小鳥のさえずりを伴奏に、ふたりで踊る。
「……何年ごしの約束になりますかしら?」
「ん? なにが?」
「わたしと舞踏会で踊ってくださると仰いましたわ」
「……そうだっけ?」
「ま、ひどい。……とても楽しみにしておりましたのに」
あれは、わたしが離宮に移り住んだ年。
オロフ陛下の側妃になった年。
もう、5年も前。
お祝いに来てくれたアーヴィド王子が、
「母上と舞踏会で踊るのが楽しみです」
と、にこやかに笑ってくださった。
いつか暴虐の王の閨に召されるのだと覚悟していたわたしは、あれからずっと、
――出来得ることならば、純潔な身であるうちに一度だけでも、わたしと踊ってもらえないか。
と、願っていた。
その願いは、今日、思わぬ形でかなった。
わたしの誕生日を覚えていてくださったことも嬉しかったし、お祝いしようとしてくださるお気持ちも嬉しかった。
――ふたりだけの舞踏会。
言葉にすると、こんなに気恥ずかしい言葉はないなと思った。
だけど、身体の芯がジーンッと熱くなるほどに嬉しかった。
――いつまでも、こうして暮らせたら。
という想いが、どうしても頭をよぎる。
共同摂政の王太側后となったわたしを疑う者は、もう王国にはいないだろう。
――この生活がつづく限り、わたしだけのアーヴィド王子でいてもらえる。
と、とても狡いことを考えてしまう。
アーヴィド王子の胸に、ピタリと頬を寄せた。
「どうしたの?」
「すこし……、疲れました」
「そうか。じゃあ、続きはまた今度にしよう」
続き――、
なんて素敵な言葉なんだろう。
アーヴィド王子はいつも、わたしがいちばん欲しい言葉をくださる。
「ええ、ぜひ……、また今度、続きを楽しみにしておりますわ」
Ψ
誕生日を迎え、わたしは19歳になった。
わたしの離宮には、王国の貴族から次々にお祝いが届けられる。
それどころか、近隣諸国からは祝賀使までやって来た。
姉である王太后トゥイッカと共同で摂政を務める、その意味を、わたしは分かっていなかった。
戴冠式の日、謁見の間で感じたとおり、わたしは国王陛下より上、まさに王国の頂点に座っていたのだ。
煌びやかなドレスを身にまとい、豪華なティアラをつけて、お祝いの挨拶を受ける。
貴族からの使者は、わたしから見て陪臣にあたる貴族の家臣ではなく、貴族の令息かあるいは貴族本人であることも多かった。
他国からは王子や宰相クラスが送られてくる。
エルハーベン帝国からは選帝侯カミル閣下がおみえくださり、軽薄に口説いて帰っていかれた。
当然、みな様おひとりで来られるはずもなく、多くの家臣を引きつれてやって来られる。
いきおい離宮のまえの山道は、大渋滞。
フレイヤとイサクだけでは手が足りず、ミアなど侍従騎士、果てはメイドまで駆り出して接遇にあたる。
わたしへの謁見待ちで、ふもとの村に宿泊する貴族が続出で、村はずいぶん潤っているらしい。
全員の謁見を終えるのには、まだ数日かかりそうだ。
「まるで〈十日宴〉ね……」
と、わたしの漏らした独り言に、疲れ顔のフレイヤが怪訝な顔をした。
十日宴――、レトキ族の風習で、お祝い事や珍しい客をもてなすために文字通り10日ぶっ通しで開かれる宴会のこと。
わたしは戦争中に育ったので、2回しか経験してないけれど、野原に車座になって飲めや歌えやの大宴会がひらかれる。幼い頃のわたしには数少ない、楽しかった思い出だ。
――いつか、わたしが里帰りできたら、みんな十日宴をひらいてくれるだろうか……。
ふと、寂しさに襲われてしまったわたしに、
「……そろそろ、侍女団の編成を考えた方がいいかもしれませんわね……」
と、ヘトヘトのフレイヤがつぶやく。
とはいえ、地下にアーヴィド王子を匿うわたしの離宮に、人員を増やしたくはない。
たとえ共同摂政の王太側后といえども、匿うのは大逆の謀反人だ。
露見すればただではすまない。
処刑は免れても、地位はすべて剥奪のうえで投獄。わたしは一生、王宮の尖塔に幽閉……、といったところだろう。
いや、わたしのことは、別にいい。
フレイヤやイサク、なにより、アーヴィド王子が処刑されるのが、イヤだ。
想像するだけで耐えられない。
顔色からわたしの考えを察したのか、フレイヤもそれ以上には言わなかった。
ようやく、すべての使者の謁見を終えようかという頃、なぜか二順目に入った。
――ど、どういうこと……?
貴族令息たちが、珍しい菓子や茶葉を持って、ご機嫌うかがいにやってくる。
追い返すわけにもいかず、そのまま茶会にして相手をする。すると、その茶会に別の貴族令息が加わってきたりする。
楽しみにしていた、アーヴィド王子とのふたり舞踏会の続きはお預けのままだ。
やがて、毎日相手をするのに根をあげたわたしが、定例日を決めた。
結果、〈王太側后陛下が御自ら御定めになられた定例茶会〉は、大賑わいになった。
数々の名門貴族家の令息たちが一堂にそろう、サロンの様相を呈する。
さすがに、謀反でも怪しまれたらイヤなので、王宮の姉王太后トゥイッカに報告しておくと、
――頑張って!
と、返ってきて、
「なにをや?」
と、やさぐれた声でつぶやいてしまった。
そんな定例茶会がひらかれている日。
令息たちの話をにこやかに聞いていると、アーヴィド王子のことを悪し様に罵る令息がいた。
「あの能天気なアーヴィドなど、いまごろは野垂れ死にして、野犬の餌にでもなっておりましょう」
思わずムッとして、
「それは言葉が過ぎましょう」
と、口を突い出てた言葉に、
――しまった……。
と思ったときには、遅かった。
みなの空気は凍りつき、わたしを異様なものでも見るかのような目付きで見ていた。
首筋に、冷たいものが走った。




