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2.笑い方を思い出す

少年王子、アーヴィド王子の横顔は、研ぎ澄まされた刃物のように美しかった。


けれどメイドたちを睨みつける怒りの視線に、わたしの身体は堅くなる。


いつもわたしに厳しく冷たい態度であたる太ったメイド長が、醜い笑みで顔を引きつらせ、せわしなく言い訳をしている。


だけど、アーヴィド王子は一顧だにせず、すらりと剣を抜いた。



「黙れ」



磨き抜かれた剣身がメイド長の短い首筋にあてられると、部屋はピンと張り詰めた静寂に包まれた。



「レトキ族との和平の象徴として王宮にお迎えしたヴェーラ夫人に対し、腐りかけの食事を供するとは、いかなる存念か?」


「し、しかし、アーヴィド殿下……。蛮族の小娘などに……」



太ったメイド長は顔を真っ青にして、わたしには見せたことのない媚びた笑顔を浮かべていた。



「ほう。父王オロフ陛下より公妾の地位を与えられ、わが義母(はは)になられたと言ってもよいヴェーラ夫人を蔑むのか? それは、王国に対し謀反を起こしたに等しいぞ?」


「い、いえ、そんな、謀反などと……。私たちはただ、蛮族の娘の口にもあう料理をと……」


「ならばヴェーラ夫人にあてられた予算は充分に残っておろうな?」


「そ、それは……」


「よもや飴の甘さにさえ驚かれるような暮らしを強いていたということはあるまい」


「うっ……」


「ただちに監査に入らせるが、もし偽りがあれば、そなたの父の首も飛ぶぞ?」



矢継ぎ早にとぶアーヴィド王子の詰問に、メイド長の顔色はどんどん青ざめていく。


そして、アーヴィド王子の伸ばす剣身が、メイド長の首をヒタヒタと打った。



「正直に白状すれば、いまここで、そなたの首だけでことを収めてやるがどうだ?」


「ま、待ってください……」



と、わたしは思わず声をあげた。



「……もう、血を見るのは嫌です」



ながく続いた戦争で、血まみれに傷付いた兵士を何人も手当てし、見送ってきた。


もうそんなことがないようにと、わたしと姉が人質に差し出されたはずだった。


アーヴィド王子は蕩けるようにやさしい笑顔をわたしに向けてくれ、メイドたちは拘束されて部屋を出ていった。



「ヴェーラ」


「……は、はい」



アーヴィド王子は膝を折り、わたしに目線を合わせてくれた。


わたしをまっすぐ見詰める澄んだ青い瞳からは、なにかわたしの心をあたたかくする魔法でも出ているかのようだった。



「優しいことは、いいことだ」


「……はい」


「だけど、侮られてはいけない。ヴェーラが侮られることは、レトキ族が侮られることになる。それでは戦争は終わらない」



死んだ三兄と同い年のアーヴィド王子は、わたしに王宮での生き方を教えてくれた。


権威と権力を正しく示してやらなければ、秩序が乱れる。ちいさな綻びでも争いごとのもとになりかねない。


優しげな表情を絶やさないアーヴィド王子だったけど、その声音からは厳しさと寂しさを感じさせられた。


そして、わたしと姉トゥイッカが、あの恐ろしくて老いた国王の〈公妾〉、つまり奥さんにさせられていたことを知った。


いつかは好きな人と結婚し、子どもをつくり家庭を持つ。


幼心に抱いていた将来の夢が、部族の平和のために奪われていたことを知ったのだ。


あの甘い飴をわたしに舐めさせてくれた美しい少年王子に抱いたあたたかな気持ちは、生涯隠し通さなくてはならないものなのだと、心の奥底に追いやった。



   Ψ



アーヴィド王子は、わたしに侍女をつけてくれた。


王子と同い年、わたしより4つ歳上、14歳の侯爵令嬢、フレイヤ・レヴェンハプト。


マロンブロンドの髪にちいさなお顔。体付きは華奢で、濃いグリーンの瞳はクリクリと大きい。


すぐにわたしのドレスを、サイズの合ったものに着替えさせてくれ、特にいじわるだったメイドたちを遠ざけてくれた。


残ったメイドたちも、わたしに対する態度はガラリと変わり、仲良くなれた。


わたしは〈権力〉というものを知る。



「……姉のトゥイッカは、大丈夫でしょうか?」



わたしの問いに、フレイヤは目をほそめて可愛らしく微笑んでくれた。



「トゥイッカ夫人は陛下の覚え目出度く、ご寵愛を一身に受けておられるとか。ご心配には及びませんわ」



わたしを安心させようとするフレイヤの笑みは、わたしの心を暗くさせた。



――陛下の寵愛。



姉はあの恐ろしい国王の慰み者にされているということだ。


姉がわたしのところに姿を見せないのは、幼い妹まで老いた国王の醜い獣欲の牙にかけさせまいと、わたしを守ってくれているのに違いなかった。



――わたしが成長し大人の女になった暁には、姉と労苦を分かち合わなくてはいけない。



国王の軍が再び部族に向かわないために、わたしと姉はこの白亜の王宮に来たのだ。


恋も結婚も、すべてを諦めなくてはいけなくとも、無惨に死んでいった多くの同胞たちや兄たちに比べたら、どれほど恵まれていることか。


歯を食いしばり、微笑むフレイヤにニコリと笑顔を返した。



   Ψ



フレイヤが侍女としてわたしの身の回りを取り仕切ってくれるようになって、生活は一変した。


食事はすべて美味しくなったし、午後にはケーキとお茶を楽しむ。


メイドたちが〈休憩〉中に貪っていた菓子もすべて、正しくわたしの口に入るようになった。


行儀作法や学問の先生が来られる時間以外は、ラフな服装で過ごすこともできた。


山野を駆けた故郷の暮らしがどうしても恋しくてたまらない10歳のわたしが、中庭の樹にのぼるのも黙認してくれた。



「日焼けにだけは気を付けてくださいね」



フレイヤは苦笑いして、帽子を目深にかぶらせてくれる。


王宮に来てから初めて、ふかく呼吸が出来るような感覚がしていた。


だけど、姉トゥイッカは部族の平和のため人質の務めを果たしている。


姉の負担になりたくないわたしは、面会を求めるのを我慢して、ひたすら行儀よく過ごそうとしていた。



「やあやあ、母上。ご機嫌はいかがですかな?」


「もう! アーヴィド殿下? わたしの方が歳下なのですから母上はやめてくださいと何度言ったら」



お茶の時間には、アーヴィド王子が笑顔を見せて遊びに来てくれることもあった。


メイド長を追い出してくれたときこそ、ピリッとした雰囲気だったアーヴィド王子。


だけど、ふだんは最初に中庭でお会いしたときのイメージ通り、やさしくて朗らか。冗談も言われるし、抜けたところもある天真爛漫なお人柄だった。


いつも、他愛もない無駄話に花を咲かせては帰っていく。


アーヴィド王子の母君は、アーヴィド王子の出産がもとで亡くなられたらしい。



「だから急に2人も母上が出来て、ボクは嬉しいんだよ?」



と、はにかむように笑うけど、本心は幼いわたしの慣れない王宮暮らしを心配してくれてるのだと分かる。


ただ、アーヴィド王子が、老いた国王に若く瑞々しい身体を捧げる姉のことも、母と慕ってくれているのなら、いくばくか苦しみを和らげてくれているのではないかと、祈った。



「こんな気まぐれな息子が出来ては、ヴェーラ夫人もトゥイッカ夫人も迷惑ですわ」


「ひどいな、フレイヤ。気まぐれじゃなくて天真爛漫と言ってくれる?」



乳母に育てられたアーヴィド王子。フレイヤは乳姉弟なんだそうだ。


4つ歳上のふたりが、くだけた会話を聞かせてくれるのは、わたしの心を解きほぐそうと思ってのことなのだろう。


少しずつ笑い方を思い出していった。


行儀作法をひと通り学び終えると、フレイヤが王都の市街地にお忍びで連れ出してくれた。


永遠に終わらないかと思っていた冬が去り、道々の花壇には春の花が咲き乱れていた。


山野を駆けて育ったわたしに、にぎやかな市街地は物珍しく、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩く。



「ギレンシュテット王国は、国王オロフ陛下の偉業によって14の国を併合したのです。それによって国境がなくなり、商業が盛んになっているのですよ」



となりを歩くフレイヤの説明にうなずいて、行き交う人たちを眺めた。


どの顔も活気に満ちていて、おおきな声で笑ったり喧嘩したりしている。


いまごろ部族のみんなも、こうして笑っているだろうか。敵兵の襲撃に怯えなくていい生活を享受できているだろうか。


わたしより幼い子どもたちの世話をするのも、戦闘で傷付いた兵士を治療するのも、わたしの仕事だった。


合間をぬって狩りを教わり、食糧の調達も手伝っていた。


恐ろしいだけだった敵兵の国が、こんなに栄えていると知っていたら、族長の父はもっと早くに降伏していただろうか。


そうすれば兄たちは命を落とすこともなかっただろうか。


でも、兄たちが生きていたら、王国への人質は、わたしと姉ではなく兄たちのだれかだったのだろうか。


街の喧騒は、わたしの心を浮き立たせて、暗く沈ませた。


そのとき、裏道の奥でちいさな子どもが蹴り上げられているのが目に入った。



「この役立たずが! 何度言ったら覚えるんだ!?」



いかめしい顔をした大人の男の人が、子どもを見下ろして大声をあげる。


もういちど子どもを蹴ろうと、男が脚を後ろに引いたとき、咄嗟にわたしは駆け出していた。



「なんだ、お前は!?」



子どもに覆いかぶさったわたしに、男の怒鳴り声が降ってくる。


わたしの腕のなかでは、ちいさな男の子が痛みに耐えて震えていた。


大人は突然、よわい子どもに八つ当たりすることがある。戦地で育ったわたしには見慣れた光景だ。


わたしがキッと睨み返すと、勘に触ったのか、男はわたしごと蹴り上げようと、脚をおおきく後ろに引いた。


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