18.揺らめく半月
黒いシルクのドレス。胸元には銀糸で故オロフ陛下の紋章が刺繍されている。
顔には黒いヴェールを垂らし、おなじく黒いドレス姿の姉王妃トゥイッカと、荘厳な棺をはさんで歩く。
オロフ陛下の国葬は、王国すべての貴族が参列し、大聖堂にて盛大に執り行われた。
甥フェリックス陛下は、偉大な父王から王権を継承する新国王として立派に、そして健気に哀悼の意を表される。
たどたどしくも胸を張って述べられた追悼演説に、みなの涙が誘われた。
幼い国王の後ろに控える黒衣を着た重臣たちからは、強大な王国の中枢を担う高揚感が見え隠れする。
あくの強そうな貴族たちに取り囲まれ、献花する甥の背中はより小さく見えた。
だけど、姉トゥイッカは彼らと親しげに言葉を交わす。
――王宮でひとり戦ってきた姉には、きっと味方もいるのだ……。
わたしの出る幕ではないと感じ、すこし離れて立ち、静かに見守った。
王妃トゥイッカ。
北方に蟠踞する蛮族、レトキ族の女神の名を持つ惨めな人質は、晒し者にされるが如くに王国の頂点、王妃の座に就けられ、ついには新国王の母となった。
わたしに出来ることなど、なにもないかもしれないけれど、姉と甥を支えたい。
同時に、わたしはアーヴィド王子に着せられた無実の罪を晴らし、王室に復帰していただきたいとも願っている。
――私は、かわいい弟と王座を争ったりはいたしません。
アーヴィド王子の言葉を、わたしは信じている。きっと、幼い国王フェリックス陛下の治世を王兄として支えてくださる。
いまだ行方不明の第2王子ニクラス殿下が、どのような心持ちでおられるかは分からない。
父王オロフ陛下によく似た、傲慢で尊大なふる舞いが目立ったニクラス殿下。
あのオロフ陛下に献上された菓子に、猛毒が仕込まれていた大逆事件。
その真相が明らかになり――、
いや、真相が分からずとも追討令が取り消され、アーヴィド王子が許されたら、ニクラス殿下も姿を現されるかもしれない。
そうなると、フェリックスの王位継承に異を唱え、争いになるかもしれない。
戦火があがるかもしれない。
だけど、きっとその時、アーヴィド王子はフェリックスの味方をしてくれる。
そう、信じた。
Ψ
国葬が終わり、離宮に平穏が戻る。
王都はまだ騒然としているけれど、わたしの離宮にまでは届かない。
冬の寒さはゆるみ、隠し部屋に匿うアーヴィド王子は、イサクのつくってくれた松葉杖を使い、歩行訓練が出来るまでに回復された。
天井のひくい隠し部屋で、まっすぐ立てばアーヴィド王子は頭を打ってしまわれる。
だけど、松葉杖を使われる分にはギリギリ大丈夫だ。
「自分でトイレに行けることが、なにより嬉しいです」
「まっ……。でも、……そうですわよね」
ほそい脱出路の途中に、簡易のトイレをイサクが作ってくれたのだ。
うまく工夫してくれたのか、臭気が隠し部屋まで届くこともない。
「母上には、私のすべてを見られてしまいました」
「は、母なのですから当然ですわっ! ……もう! 恥ずかしいから、口に出さないでくださいます!? これでもうら若き乙女なのですよ!?」
まあ……、負傷兵の〈お世話〉をしていたわたしに、経験がなかった訳ではない。
だけど、恋する人の〈お世話〉となると、すこし意味合いが違うものだ。
目に焼き付いて離れない……、のだけど、もちろん本人には秘密だ。
アーヴィド王子は、わたしに外の様子を聞いてこられない。黙々と歩行訓練に取り組んでくださっている。
ただ、わたしの感じた溝が、埋まったとも思えない。
王国に吹き荒れた粛清の嵐で、アーヴィド王子に関係の近かった貴族も、数多く失脚させられた。
首が飛んだ者だけではない。爵位と領地を剥奪され、国外に追放された者もいる。
抵抗する貴族が挙げた兵は、王国の主力騎士団である金鷲騎士団によって、すぐに鎮圧された。
いまも黒狼騎士団は暗躍しているだろう。
だけど、アーヴィド王子に伝えることは出来ない。いまはただ、心穏やかにお身体の回復にだけ努めてほしい。
わたしは――、秘密だらけだ。
姉トゥイッカに秘密を抱え、アーヴィド王子に秘密を抱え、誰になんの秘密を抱えているのか自分でも分からなくなりつつある。
それがすべて、心の奥底に秘めてきた、アーヴィド王子への恋心に端を発していることは、自分でもよく分かっている。
生きてほしい。
もう一度、あの天真爛漫な笑顔を見せてほしい。心から笑ってほしい。
アーヴィド王子の脇に肩を入れ、せまい地下の密室でピタリと密着して、歩行訓練のお手伝いをしながら、
ほんとうの平穏がはやく訪れることを、祈っていた。
Ψ
早咲きの春の花が芽吹く頃、脱出路をつたいアーヴィド王子を外にお連れする。
杖を使われながらゆっくりと進まれるアーヴィド王子の手を引いてゆく。
脱出路は裏山にある泉のほとりに立つ、大木のウロのなかにつながっている。
約4ヶ月ほどを地下の密室で過ごされたアーヴィド王子が、いきなり日の光の下に出られては、目を傷めてしまわれるかもしれない。
メイドたちが寝静まる、半月の深夜を選んだ。
狩り小屋では不測の事態に備えて、イサクが待機してくれている。フレイヤもきっと、離宮で眠れない夜を過ごしているはずだ。
やがて出口の下に到着し、まずはわたしが木のウロまで登った。
続いてアーヴィド王子が縄梯子に手をかけ、慎重に登ってこられる。
わたしの伸ばした手をキュッと握ってくださり、わたしは力いっぱいに引き上げた。
「キャ……」
と、わたしが押し倒されたような格好で、アーヴィド王子はついに地上に昇られた。
あれほど何度も肌を密着させて過ごしてきたというのに、上になられるのは初めてで、胸がドキッと高鳴った。
「だ……、大丈夫ですか? 傷は痛まれていませんか?」
「ええ……、すみません」
杖は脱出路に置いてきたので、わたしが脇に肩を入れ、抱き上げるようにして起き上がっていただき、ウロの外に出た。
風が、ほほを撫でた。
背のたかい樹々に囲まれた泉に、半分の月が映って、揺れていた。
「ははっ……」
と、アーヴィド王子がわたしの頭のうえで笑われた。
「……綺麗ですね」
「ええ……、綺麗ですわね」
泉のほとりにふたりで腰をおろし、水面で揺らめく半月を眺めた。
梟の鳴く声がした。
わたしの隣で、ジッと水面を見詰めたまま動かないアーヴィド王子の横顔は、ほのかな月明かりに照らされ、息を呑むほどに美しかった。
月光に浮かぶ艶やかな唇――、
つい、口移しに水をお飲みいただいたときの感触を、わたしの唇に蘇らせてしまう。
もう二度とない、わたしの大切な秘密。
わたしの舌先にのこる、アーヴィド王子の唇を分け入った感触――、
そのとき、アーヴィド王子の唇がわずかに開かれ、ハッと我に返った。
アーヴィド王子が、わたしになにかを仰られようとしている気配を感じ、
なぜだか、わたしは息を呑んで、身構えてしまった。




