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17.むしろ大きく広がる

国王オロフ陛下が崩御され、ただちに新国王が即位された。


玉座に座る、6歳の甥――、


フェリックス・ギレンシュテット陛下。


白磁のような透明感のある肌は姉トゥイッカから受け継ぎ、薄い青色をしたブルートパーズのような瞳はギレンシュテット王家から受け継いだものだろう。


整った顔立ちからは、出会った頃のアーヴィド王子の面影も感じられた。


だけど、おとなしく内向的な性格は、本来は天真爛漫なアーヴィド王子とは真逆だ。


わたしは、絢爛豪華なドレスを着せられ、姉トゥイッカとともに煌びやかな謁見の間で、新王フェリックス陛下の座る玉座の背後に立たされる。


先代王、オロフ陛下の側妃――第2王妃として、姉王妃とともに、わたしが幼い新王陛下を後見する立場にあることが、世に示された。


母と叔母とに背後から見守られ、ピンと背筋を伸ばす甥フェリックスは健気で、可愛らしくもある。


そして、宰相と28人の枢密院顧問官、合計29人の重臣たちが、ひとりずつ新王陛下の前に進み出て宣誓する。


人が良いだけに見えていた小太りの宰相ステンボック公爵だけど、表情は険しく引き締まり、別人のように厳粛な空気を醸し出しながら、新王陛下への忠誠を誓った。


レトキ族の血も受け継ぐ甥フェリックスのことは、わたしも援けたい。



――これで王国と部族とに、二度と戦争は起きないだろう。



と、胸には希望が湧く。


だけど、29人の重臣が誓う忠誠の言葉に必ず含まれる、



「大逆の謀反人、ニクラスとアーヴィドを必ずや見付け出し、討ち果たすでありましょう」



という文言が、わたしの心を暗くした。


それでも、わたしは新国王の後見人として、29人からの宣誓を、厳かに受けなくてはならない。


暴虐の王。14ヶ国を征服し、一代で大王国を築いた英雄、オロフ陛下がこの世を去ったことで、


いったい誰が、アーヴィド王子が無実であると認めてくれるのか、わたしには分からなくなった。


オロフ陛下の恐怖と脅威が、重臣29人に細かく分かれてむしろ大きく広がり、黒い靄のようにわたしに立ち塞がる。


そんな錯覚さえ覚えた。



   Ψ



服喪期間は18日間と定められ、国葬までの間、わたしはいったん自分の離宮にさがることが許された。


その決定が、どこでどのように下されたものなのか、それすら、わたしには分からなかった。


離宮に戻る前に、姉トゥイッカの居室を訪ね、華奢で、か細いその身体を抱き締めた。


力を込めたら折れそうに細い腰、わたしより8歳年上の26歳にして、いまだハリを失わない吸い付くような潤いのある肌。


ほほを重ね、これまで姉がひとりで背負って来てくれた労苦を――、抱き締めた。


白亜の王宮。どこに、どんな目があり、どんな耳があるか分からない。


なにも言葉にすることなく、ただ抱き締めつづけた。


やがて、忍び泣きをはじめた姉トゥイッカの胸中を、すべて察することはできない。


姉が遠ざけてくれた離宮で、安穏と暮らしてきたわたしでは、姉がどんな想いで過ごしてきたのか、慮ることさえ失礼に思えた。


だけど、もらい泣きの涙を止めることも出来なかった。


わたしの胸から顔をあげた姉が、両手でやさしくわたしの頬をはさみ、涙をぬぐってくれた。


わたしが10歳、姉が18歳。寒風に吹き付けられながら、ふたりで歩いた日。心細くてたまらないわたしにかけてくれた言葉。



――大丈夫だからね。ヴェーラのことは、お姉ちゃんが守るから……。



あの日の誓いの通り、姉はわたしを守り続けてくれた。



「お、お姉ちゃぁん……」


「ふふっ、ちゃんと〈姉様〉って呼ばないと、行儀作法の先生に叱られてしまいますわよ?」



ぬぐってもぬぐっても涙の止まらないわたしを、今度は姉がやさしく抱き締めてくれた。


わたしたち姉妹ふたりだけに封じ込められた戦争が、ようやく終わったのかもしれない。



だけど……、



わたしは、姉を裏切っている。


姉がわたしのために用意してくれた離宮の狩り小屋の地下には、大逆の謀反人、アーヴィド王子がいる。


いつか姉に打ち明け、アーヴィド王子の無実を訴える日がくるのだろうか。


それは、姉がひとりで引き受け、最後まで耐え切ってくれた過酷な労苦の日々を、台無しにしてしまうのではないか。


わたしのちいさな胸に襲い来る、おおきな不安からは目を背け、


わたしは、姉に抱き締められ続けた。


いまはただ、姉が労苦から解放されたことを喜んでいたかった。


もう、老いた暴虐の王の閨に、美しくやさしい姉が、召されることはないのだから。



   Ψ



隠し部屋に降り、ベッドで身を起こすアーヴィド王子に、オロフ陛下の最期のご様子をお伝えさせてもらった。


多くの人の命を奪い、踏みにじってきた暴虐の王は、安らかに冥府へと旅立った。


なんの報いも受けず、永遠の眠りについた。


アーヴィド王子は穏やかな表情を崩さず、淡々とわたしの話を聞いてくださる。


悲しみも怒りも、表されない。


アーヴィド王子が父オロフ陛下に抱く複雑な思いは、わたしなどとは比べものにならないだろう。


王国史に残る偉大な英雄王であり、尊敬していた御父君。同時に敬愛していた兄テオドール殿下を無実の罪で誅殺し、ご自分も命を落とされるところだった……。


話を終えたわたしは、傷の手当てだけをさせてもらい、隠し部屋の梯子を登った。



   Ψ



国葬や、そのひと月後に開かれる戴冠式の段取りを詰めるため、王宮からひっきりなしに使者が訪れる。


基本的に、わたしは、



「承知しました。……よしなに」



と、応えるだけで、細かなことは侍女のフレイヤが打ち合わせしてくれる。


使者として訪ねてくるのは、主にテュレン伯爵など枢密院の顧問官たちで、ときには宰相ステンボック公爵がみずから足を運んでくることもあった。


どの顔も引き締まり、目付きは鋭く、それぞれ自分の領地では厳格な為政者であったことを思い出させられる。


彼らもまた、オロフ陛下の暴虐に身を潜め暴風をやり過ごしていただけで、これが本来の顔なのだろう。


そして、その隣には必ず、薄紫色をしたシモンの薄気味悪い顔があった。


国王の猟犬は、枢密院の猟犬となったのだろうか。切れ込みのようなほそい目をひからせ、黙って使者に付き従っていた。


ただ、シモンはいつも、そっと紙片を置いていく。そこには王宮の様子が簡潔に記されていて、わたしは王宮で貴族の粛清が始まっていることを知った。


続々と弔問に訪れる貴族のうち、反新王と目を付けられた者が、次々に査問にかけられているという。


小さな紙片から、すべては読み取れない。


だけど、あの謀反騒ぎの夜のような恐慌状態に近い雰囲気が、王宮を覆っていることが察せられた。


わたしは急いで書簡をしたためる。


侍女のフレイヤが、わたしにいかに忠節を尽くしてくれているかを切々と書き上げ、王宮の姉トゥイッカに急使で届けた。


正妻をアーヴィド王子の乳母に出したフレイヤの父、レヴェンハプト侯爵が拘束され、査問を受けていたのだ。


やがて、フレイヤがわたしのまえにひれ伏した。



「……父の疑いは晴れたと、報せが届きました。拘束を解かれ、いまは王都の屋敷に戻ったそうにございます」


「そう……、良かった」


「すべて、ヴェーラ陛下のおかげにございます……」


「レヴェンハプト侯爵閣下は王国への忠義を貫かれておられました。……(わらわ)の書簡など、良くて1日解放を早めたほどのものですよ」



臣下の礼を正しく執るフレイヤに、主君として労わりの言葉をかける。


だけど、フレイヤはひれ伏したままだ。


よほど怖い思いをしたのだろう。震える声で感謝の言葉をつづけた。



「……この上は、大恩を受けましたヴェーラ陛下に、なおいっそうの忠誠を捧げさせていただく覚悟にございます」


「ふふっ。それは楽しみね! 肩でも揉んでもらおうかしら?」


「そんな、ご褒美を……」


「ご褒美?」


「あ、いえ、肩でも胸でもどこでもお揉みさせていただきます!!」


「……む、胸は、……ちょっと?」


「あっ!!」



と、両手で口をふさいだフレイヤと、ようやく笑いあえた。



「ふふっ……。やさしくしてくれるなら、すこしくらい揉んでもいいわよ?」


「おた……、ほんとですか?」


「……フレイヤ。そこは言いかけた通り『お戯れを』って言うところよ?」


「そ、そうですよね……」


「なんで、残念そうなのよ」



ただ――、


実際のところシモンが紙片で報せてくれなければ、レヴェンハプト侯爵は危なかったかもしれない。


そうなれば、わたしとしてもフレイヤに暇を出さざるを得ず、片腕をもがれるようなことになっていた。


シモンがわたしを助けた意図は分からない。



「……やはり、(なつ)かれたのでは?」



と、首をひねるフレイヤの言葉にも、素直にうなずくことはできない。


わたしの油断を誘う、撒き餌だったかもしれないのだ。


わたしがアーヴィド王子を匿う以上、慎重に距離をとっておきたい相手であることに、変わりはなかった。


アーヴィド王子はただ穏やかに過ごされている。わたしがお持ちした書物を、いつも静かにお読みになられていた。


それが、父王の喪に服されているということなのか、お心の内を尋ねることはできない。


わたしと言葉も交わしてくださるし、笑顔も見せていただける。


だけど、オロフ陛下のご危篤をお伝えしたあの日から、アーヴィド王子との間に、目には見えない溝ができたような気がしていた――。


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