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14.たとえ理不尽であっても

アーヴィド王子の手を、つよく握る。



「……お分かりになられますか? ……アーヴィド殿下?」



わたしの呼びかけに、アーヴィド王子はちいさく、だけどハッキリとうなずいてくださった。


こみ上げてくる涙を抑えられず、そのままアーヴィド王子の胸に顔を伏せる。



――生還してくださった……。



離宮の裏山で、傷付いた血まみれのお姿で発見してから5日。


ついに、アーヴィド王子の意識が戻った。


上体を起こしてさしあげ、水をお飲みいただく。ご自分の――、意志で。



「……ここは?」



かるく首をふり、地下の隠し部屋を見回すアーヴィド王子。


美しいお顔の頬はこけ、わたしの膝と腕がお背中を支えている。



「わたし……、(わらわ)の離宮です」


「……ヴェーラ陛下の?」


「地下の……、隠し部屋です。ここなら、誰にも見付かりません」



外は昼下がり。


だけど、隠し部屋に日の光は届かない。


ちいさなロウソクの灯りが揺らめいた。



「母上に……、救けられてしまったか」



薄暗く、蒸した地下の密室で、アーヴィド王子と身体を密着させて、至近の距離で言葉を交わす。


このまま抱き締めたい気持ちを、懸命に抑えた。


いっそ本当に母であったなら、なに憚ることなく抱き締められただろうに……。



「そうですよ、アーヴィド。母が救けたのです。だから、生きなくてはなりませんよ?」



と、おどけたように言って、ゆっくりとアーヴィド王子を寝かせる。


つとめて明るい声をあげたのは、アーヴィド王子の声から、生きる気力というものを感じられなかったからだ。



――死にたがっている……。



その直感は、間違っていなかった。



「……兄が、……討たれました」


「ええ……、いたましいことです」


「もはや……、王国に光はありません……」


「アーヴィド殿下がおられます」


「私など……」



わたしは、アーヴィド王子の口に、キュッと指をあてた。



「いまは、お怪我を治すことだけお考えください。すぐに粥をお持ちします。5日も眠ってらしたのよ? お腹ペコペコでしょう?」



わたしが立ち上がると、後ろからアーヴィド王子の声が優しく響いた。


とても優しくて、切ない響きのする声だった。



「……私を王宮に突き出してください」



せまい地下室が、沈黙で満ちた。


意識の戻ったアーヴィド王子が、そう言い出すのではないかと、予想しなかった訳ではない。



「……私を匿えば、ヴェーラ陛下も罪に問われます。そうなる前に……」


「イヤです」



背中を向けたまま、絞りだすように言った。



「……生きてください。でないと、……イヤです」



兄王太子が、父王に誅殺された。


敬愛する王太子テオドール殿下の非業の死は、アーヴィド王子を絶望させるのに充分すぎる出来事だ。


まして、アーヴィド王子ご自身も謀反の罪に問われ、追われる身となった。


この先、状況が好転する希望はなく、


わたしにも、アーヴィド王子の無実の罪を晴らせる確証は何もない。


背中を向けたまま、顔の見れないわたしに、アーヴィド王子が死を覚悟した穏やかな口調で語りかける。



「……潔白のテオドール兄上が、父オロフ陛下に討たれ……、もはや、私に生きる意味など……。せめて、最期は……」


「おなじですね」


「……えっ?」


「おなじです」



精一杯の笑顔をつくり、アーヴィド王子の方にふり向いた。



「妾の兄も、オロフ陛下に討たれました」



板敷の床に膝をつき、横たわるアーヴィド王子の胸に手をそっと置いた。



「だけど、妾は生きております。……妾は、間違っておりますでしょうか?」


「いや……」


「それも3人も討たれたのですよ? まだ若かった兄を……、3人」



アーヴィド王子を、まっすぐに見詰めた。


弱々しくひかる青い瞳。


かつて、わたしを意地悪なメイドたちから救けてくれたアーヴィド王子。


王宮の理不尽に立ち向かう勇気をくれた。



「……いちばん下の兄は……、アーヴィド殿下と同い年でした」



生きていれば、22歳。族長の息子として、父や兄を助け、放牧にトナカイを追い、山野を駆け回っていたはずだ。


オロフ陛下の暴虐に、人生を狂わされたのはアーヴィド王子だけではない。



「……生きてください」



両手を重ねてアーヴィド王子の胸に置き、顔を伏せた。



「妾に……、わたしに……、殺させないで……ください」



それ以上に、重ねられる言葉はなかった。


理不尽でも、わたしの願いを聞き届けてほしい。それだけだった。


やがて、ぎこちなく差し出されたアーヴィド王子の指が、わたしの頬をつたう涙をぬぐった。



「……アーヴィド殿下」


「うっ……ぐっ……」



不意に、アーヴィド王子が身をこわばらせた。


美しいお顔は歪み、激痛に耐えていることがひと目で分かる。



「も、もう! 無理をなさるから……。傷は深いのですよ!?」



アーヴィド王子のお身体をさすり、痛みが治まられるのを待った。


やがて、ぷはっと息を吐かれ、全身からこわばりが抜けていくのが見て取れ、わたしもふかく息を抜いた。



「し、しばらくは安静です! 余計なことは考えず、大人しく寝ているのですよ!?」


「ふふっ……」



もとの天真爛漫な笑顔にはほど遠い。


だけど、アーヴィド王子が笑みを漏らしてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。



「母上の仰せに……、従おう」



ふうっと長い息を、アーヴィド王子が漏らした。



  Ψ



メイドたちの目を盗みイサクがふもとの村から調達してきてくれた穀物を粥にして、アーヴィド王子に食べていただく。


まだ、ご自身では起き上がれないアーヴィド王子を抱き抱えるようにして、スプーンで少しずつ口に運ぶ。



「……母上がつくられたのですか?」


「そうです。母の手づくりです。ありがたく食べるのですよ?」


「ふふっ、そうします」


「しばらく何も食べていなかったのですから、粥とはいえ、よく噛んでから飲み込んでくださいね」



そして、アーヴィド王子の口に、ひと粒の飴を入れた。



「わたしを生かしてくれた、魔法の石です」


「……甘いです」


「噛まずに、ゆっくり舐めて味わうのですよ?」



わたしも、ひとつ飴を口に含み、ゆっくりと甘さを味わう。


アーヴィド王子の閉じた目に、うすく涙がにじんだように見えたけど……、わたしは何も言わずに隣で一緒に飴を舐めつづけた。



穏やかな日々が始まった。



とはいえ、メイドや侍従騎士たちに悟られないように、離宮のなかでは普段通りにふる舞い、細心の注意を払う。


そして、狩りに行くフリをして、隠し部屋に通う。


やがて、りんごをすり下ろしたものや、蒸かした芋を食べられるようになり、よく煮込んだ兎肉のスープもお持ちした。


もちろん、わたしが狩った兎だ。


本格的に冬が訪れ、獲物を焼く焚火で石を温め、温石(おんじゃく)をつくり、アーヴィド王子にお持ちする。


北方の厳しい冬を過ごす、レトキ族の知恵だ。



先のことは、お互い何も口にしなかった。



時の流れから取り残されたような、地下のちいさな密室で、穏やかに過ごす。


寝たきりで過ごすアーヴィド王子の脚が衰えぬようにと、傷の部位を避けてつま先から太ももまで丹念にマッサージしてゆく。


ときに足の裏をくすぐって、笑いあう。


いつもお互いの息がかかる距離で触れ合うアーヴィド王子に、胸の奥底に仕舞い込んでいたはずの気持ちがあふれ出しそうになる。



いや――、



わたしの想いは既にかなっているのだ。


これ以上の距離で心を通わせることは、望むべくもない。


わたしは側妃で、アーヴィド王子は王子なのだから。


たぶん、いまがいちばん幸せで、この先にこれ以上の幸せは待っていない。


どんな形であれ終わりを迎えるその日まで、身も心も傷付いたアーヴィド王子をお世話して過ごせることは、わたしが望みうる最大限の幸福なのだ。


これより先に進もうとしてはいけないと自分に言い聞かせ、焚火の火を見詰めた。


獲物を火にくべ、焼き上がるのをイサクと待っている。


黙々と弓矢の手入れを続けるイサク。


夕陽と焚火の火とが、褐色をした涼やかな顔を照らしていた。



「……イサクに、いい人はいないの?」



ふと、口をついて出た。


わたしの恋は、きっとここで終わりだ。


いや、終わりにしないといけない。


いずれはオロフ陛下の閨に召させる日もくるだろう。それは、明日かもしれない。


だからだろうか、いちばん身近に過ごしてきたイサクに幸せな話があるのなら、ふと聞かせてほしくなったのだ。


だけど、イサクはギョッとしたような表情を浮かべて、わたしを射るような目で見詰めた。


突然向けられた真剣な眼差しの意味が、わたしには分からず、ただ胸を締めつけられた。



「な……、なに? ……どうしたの?」


「いえ……」



と、わたしから視線を逸らしたイサクは、また黙々と弓矢の手入れをはじめた。


それ以上は、なにも聞いてはいけないような気がして、わたしも焚火の炎に視線をもどす。


ただ、俯いたイサクの首筋が、わたしの知ってる弟分の少年のものではなく、匂い立つような大人の男性のものになっていることに気が付いて、


訳も分からずに、胸を揺さぶられていた。


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