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冬の童話祭2025

あすなろとゆずりは

作者: 六福亭


 小さな葉が何枚も頭の上に落ちてきたので、眠っていた狼は薄目を開けた。はるか高い木の上に、誰かがいるのだ。鼻から空気を吸うと、リスの匂いがした。だが、狼は再び目を閉じた。今は腹が減っていない。そのリスがよっぽど近くに来ない限りは、捕まえる気もなかった。


 狼はとても老いているが、森中の動物から恐れられていた。若い頃、狼が食べたいと思った獲物を逃がしたことは一度たりともなかった。狼が通った道はしばらく誰も近づこうとしなかった。


 この狼に今、家族や友はいない。つれあいは病で何年も前に死んだ。何頭もいた子どもたちは、皆立派に成長し、狼の元を巣立って行った。今はどこでどうしているかも分からない。狼は、時折不用意に近づいてくる小動物を捕まえて食べる他は誰とも触れ合わない、孤独な日々を過ごしていた。


 その日も狼は、枯れ葉を敷き詰めた寝床の上で、木漏れ日を毛皮いっぱいに浴びてまどろんでいた。久しぶりに、生まれたばかりの頃の息子の夢を見た。

 ところが、

「わあーっ」

 と甲高い声がしたと共に、軽い何かが狼の背中の上に落ちてきた。はっと目を覚ました狼は、素早く起き上がり、愚かにも自分のそばに落ちてきた小さな獣を捕らえた。

 前足の下でもがいていたのは、モモンガだった。鼻を近づけると、やわらかな肉の匂いがした。大きさからして、モモンガはまだ子どもらしい。キイキイと悲鳴を上げながら、懸命にもがいている。


 狼は、衰えた目の焦点をなんとかモモンガに合わせながら、モモンガに問いかけた。

「お前は、どうしてわしの元へやってきた? 生きるのが嫌になったのか?」

「ちがうもん!」

 モモンガが言い返す。

「空を飛ぶ練習をしてたんだい」

「空を飛ぶだと? お前の、そのちっぽけな体でか。成長しても、木から木へと移るのがやっとだというのに」

「それでも、ぼくは飛ぶんだ! 鳥になるんだ」

 狼ははっはっと笑った。「馬鹿な子だ。モモンガが鳥になれるものか」


 その時、たたたっと軽い足音を響かせて、赤毛のリスが狼の前に現れた。リスは、全身を震わせながらも果敢に叫んだ。

「モモンガを放せ!」

 狼はリスをじっと見た。

「お前は何だ。お前もわしの食事になりたいのか?」

「僕は……モモンガの友達だ! こいつがお前に食われるのを助けに来たんだ」

「なるほど。どう助けるつもりだ?」

 リスは、おもむろに枯れ葉の上に仰向けに寝転がり、腹を無防備にさらした。森の動物の間で、一生のお願いをする時の仕草である。

「お願いします、モモンガを逃がしてやってください」

「馬鹿なことを。せっかく、自分からやってきた獲物を逃せと言うのか? 狼の、このわしに?」

 モモンガが抗議する。

「だってぼく、空を飛んでただけだもん」

「モモンガは何も言わないで! __ねえ狼さん、モモンガはまだ、こんなに小さい子どもなんだよ。今食べたって、お腹の足しにもならないよ」

 狼は一生懸命にそう主張するリスの顔を見た。そして、どんな気まぐれを起こしたか、モモンガを捕らえていた前足をどかしてやった。リスが慌ててモモンガを助け起こし、ぎゅっと抱きしめた。

 狼は大きなあくびをした。

「二度目はないぞ。行け」

 リスはモモンガを連れて、あっという間に姿を消した。狼はまた寝そべり、夢の続きに戻ろうとした。


 だが次の日、小さなモモンガはまた狼の上に落ちてきた。

 狼はすっかり呆れ、枯れ葉の中で丸まるモモンガと、また駆けつけてきたリスを眺めた。

「性懲りもなく……」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「いいから、とっとと行け」

 狼はしっしっと二匹を追い払った。


 また次の日、狼は何となくそわそわと、頭上の木の枝を見上げてばかりいた。

 そして、案の定、モモンガが体を広げて落ちてきた。待ち構えていた。狼は、口を開け、そっとモモンガを捕まえた。そして、モモンガをくわえたまま、リスを待った。


 リスが木から降りてくると、狼はモモンガを地面におろし、こう言った。

「来い。鳥になる練習にうってつけの場所がある」

 リスは逃げだそうとしたが、狼は素早くリスとモモンガを口にくわえ、駆け出した。


 木々の間をすり抜け、清い泉をひとっ飛びに飛び越え、花が咲き乱れる野原で休むこともなく、狼は谷間にたどり着き、川のそばで二匹の獣をそっと下ろした。


 谷間には、鳥たちがたくさんいた。狼がその場に座り、石のように動かないでいると、鳥は自分たちのおしゃべりやあちこち飛んで遊ぶことに夢中になった。

「ここには、空を飛ぶ鳥がいる。彼らの動きを学んで、鳥になる練習をしろ」

 モモンガは大喜びして、すばしこく木を登って行った。

 残された狼は、傍らのリスにそっと尋ねた。

「あの子は何故、そんなに鳥になりたがるんだ」

「大きな鳥が、あの子の親をさらっていったんだ。だけどあの子はそれがよく分かっていなくて、鳥が飛ぶ様子が美しかったことばかり覚えているんだよ」

「そうか。まだ子どもだからな」

 木の上から、モモンガの歓声が聞こえてくる。モモンガは、両手両足をめいっぱい広げ、空を滑った。地面に降りるとまた木の上へ走り、また飛び降りるのを何度も何度も繰り返す。

 狼とリスはその様子を並んで眺めた。リスがぽつんと呟く。

「ああしていたら、モモンガも、いつかは鳥のように飛べるようになるのかな?」

「ならん」

 狼は断言した。

「モモンガの翼は、まがいものだ。空を飛ぶようにはできていない」

「どれだけ練習しても?」

「ああ」

「あの子は、馬鹿だね」

 リスが背中の毛を少しだけ逆立てた。

「僕は何度も、やめろとあの子に言った。それでもモモンガは、明日は鳥になろう、明日は空を飛ぼうと願ってばかりだ。鳥はあの子の親の仇なのにね。かないもしない練習を続ける毎日に何の意味があるんだろう?」

 狼は、孤を描くように飛ぶ鷹を睨んでいたが、リスに目を移して言った。

「それもきっと今だけだ。そのうち、お前も今が楽しかったと懐かしく思うようになるぞ。何も知らなかったモモンガが大きくなり、つれあいを見つけ、食べ物を集めるのに精いっぱいになれば、空を飛ぶ憧れなぞきれいさっぱり忘れてしまう」

「早くその時がくればいいよ。明日にでも」

 リスは、鳥がさっと空を滑ってモモンガに近づくたびに、はらはらしているようだった。

「あせるな。そのうち、あの子が本当に鳥になるかもしれない」

「そうかな?」

「さあ、わしは知らんが。ほら、木の上でモモンガが呼んでいるぞ」

 リスは、あわてて木の上に駆けていった。


 よく晴れた別の日も、狼はリスとモモンガを谷間へ連れていった。狼は谷間に着くと、寝床にいるのと同じように、やわらかい場所で寝そべった。そして、リスとモモンガが木の上で遊んでいるのをぼんやりと眺めていた。

 どうしてモモンガたちをここに連れてきたのか__狼は自分に何度か問いかけた。あの子たちを油断させ、いつか食べるつもりなのか。それとも、気まぐれが続いているだけなのか。はたまた__モモンガが本当に鳥になる瞬間を見たいとでも思っているのか?

 自問自答を繰り返す狼の元へ、リスとモモンガが降りてきた。彼らは木の実をたくさんかかえていた。

 赤い実を狼の鼻面に近づけて、食べてとモモンガが言う。

「これは、何だ?」

「ぐみ!」

 狼はその実を口に入れた。甘酸っぱい。

「おいしい?」

「まあ、そこそこだ」

 リスはどんぐりをかじっていた。モモンガが歌うように言う。

「かし・とうひ、こなら・すだじい、まてばしい、あべまき・かしわ、くぬぎ・みずなら」

「呪文か?」

 リスも歌う。「木の名前だよ。やまぶどう、くるみ・いぬびわ、やまぼうし、あけび・ぐみ・くわ、ふさすぐり・くり」

 モモンガが飛び跳ねる。

「もみじ、いちょう、あすなろ!」

 狼はぐみの種をかみながら、笑った。

「物知りだな。わしは、木の名はたった一つしか知らない」

「どの木を知ってるの?」

「ゆずりはの木だ」

 リスとモモンガは顔を見合わせた。

「初めて聞いた」

「そうだろう。このへんには生えていないからな。若葉を茂らせるために、老いた葉が自分から落ちて場所をゆずる、そんな木だ。……昔、つれあいが教えてくれた」

 狼は、ぐみの実をのみこむと、立ち上がった。

「さあ、もう帰る時間だ。また今度、連れてきてやろう」


 あくる朝、リスが一匹で、狼の寝床へ駆けてきた。そして、ぐっすりと眠っていた狼をむりやり起こした。

「……お前か」

 不機嫌な狼は低くうなった。だが、リスはちっとも気にせず、狼をゆさぶった。

「モモンガが来てない?」

「いないな。あいつがいたら、こんなに気持ちよく寝ていられるものか」

 リスはぶるりと震えた。

「家にもどこにも、モモンガがいないんだ!」

「食われたんじゃないのか?」

「ちがうよ!」

 リスの真剣な顔を見て、狼は軽口を叩いたことを後悔した。

「悪かった。きっと散歩に行っているだけ__」

「ちがう。あの谷間に、一匹で行ったかもしれない」

「何故?」

「モモンガの仲間が、あの子を馬鹿にしたんだ。鳥になんてなれるわけがないって! そう言われた直後から、あの子がいなくなった!」

「それでどうして、谷間に行く必要がある?」

「わかりきってるじゃないか。鳥になるためだよ!」

 狼はリスを背中にのせて走った。あの谷間は、モモンガ一匹でうろつくには危険すぎる。鷹やふくろうや、その他小さな獣を食べる鳥がいるのだから。


 やっと谷間にたどり着いた時モモンガの悲鳴が上から降ってきた。目の悪い狼のかわりにリスが見つけて叫んだ。

「鷹が、モモンガを捕まえてる……!」

 狼は、それを聞くが早いか、空を見上げることもなく谷間を抜け出した。どこにいくのと尋ねたリスに答えている暇もない。


 狼が目指すのは、鷹の巣だ。古びた鼻を目いっぱい使って、狼は鷹の匂いを探した。時折立ち止まり、耳をすます。鳥たちのさわぐ声にまじって、鷹の雛の声が聞こえた。

 鷹が戻ってくる直前に、狼とリスは巣に先回りすることができた。リスが狼の背を飛び降り、木を登った。

 モモンガをつかんだ鷹が、巣に帰ってくる。巣にたどり着いたリスは、枝をかじり、巣を地面に落とした。鷹は怒りの声を上げ、モモンガを放り出した。モモンガを追って地面に降りたリスに、鷹が襲いかかる。

 その時、待ち構えていた狼が鷹に食らいついた。鷹は鋭いかぎ爪とくちばしをぎらつかせて狼の毛皮を裂く。それでもひるまず、狼は鷹と戦った。


 地面に落ちたモモンガを辛うじて受け止めたのは、リスとやわらかい枯葉だった。リスは泣きじゃくるモモンガをなだめ、地面の上の鷹のひなから離れた。恐ろしい戦いは、二匹が気づかないうちに終わったようだった。鷹がよろよろと翼を動かし、ほうほうの体で空へ逃げていった。

 リスとモモンガは狼に駆け寄った。狼は、鷹を追い払ったかわりに、自分もくちばしでのどを刺されていた。いつもの寝床にいる時のように、狼はその場に寝そべった。

 そばで泣くリスとモモンガに、狼は「行け」と一言だけ言い残し、永遠の眠りについた。


 その出来事以来、モモンガはずっと木の上でふさぎこんでいる。リスは何も言えないでいたが、ある時決心して、モモンガに聞いた。

「鳥になる練習は、もうやめたの?」

 モモンガは背中の毛をちりちりと逆立てて言った。

「もう、鳥にはなりたくない」

「そっか」

 リスにはそれしか返事ができなかった。僕と狼は、モモンガが本当に鳥になるところは、とうとう見ることができなかった__そう考えるとむなしかった。

「じゃあ、何になりたい?」

 リスが聞いても、モモンガは答えなかった。何かに憧れるだけの子ども時代は終わってしまったのだとリスは思う。狼の言った通りだ。鳥になりたいと騒いでいたのは、ほんの短い間だけだった。

「僕は、狼みたいになりたいな」

 自分の口から出た言葉に、リスはおどろいた。モモンガも、目を丸くしてリスを見つめている。

 リスは笑う。今の言葉が本心から出たものだと気づいたからだ。

「僕らを助けてくれた、あの狼みたいに。モモンガはどう?」

 モモンガは何も言わず、一度だけ小さくうなずいた。それで十分だった。狼のように、自分より小さな誰かを助けられるような獣になりたい、そんな気持ちをきっと二匹は分かち合っている。

「今すぐには無理でも、きっと、明日には」

 落ちる葉を眺めながら、リスはそう呟いた。


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― 新着の感想 ―
狼とモモンガの出会いがとてもかわいくて……そこから少しずつ関係性が変わったり、距離が縮まっていく流れにほっこりしました。切ないラストもとても好きです。
瑞月風花様の「瑞月堂」から参りました。 鳥になりたいというモモンガとそれを助けるリス、本来なら食べてしまうはずの狼がどちらも助けるのは、不思議な命の助け合いを感じさせられます。 新しい葉に古い葉が譲る…
種族をこえて、老いたる者から若い者へと伝わったものがあるのでしょうね。
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